官房長官と事務次官

 

居酒屋の空気が一変に変質した。

ブラックスーツ上下にシンプルなテーラーコートを羽織る

大柄な体躯にオールバック、強い印象の目元と引き結ばれた口元が

いかにもその筋の人間でござい、という風体の男と、

 

アルマーニの紺をさりげなく着こなす穏やかそうな顔つきにすらりとした体つきが、

インテリジェンスの見本という風情の男が連れ立って入ってきたからだ。

店主は何が起きようとも店を守る決意を固め、

店員たちは誰が注文を取りに行くかで熱の入ったじゃんけん大会が行なわれていた。

 

「俺とお前が仮に付き合うとしたら俺が女役になるらしい」

「…いきなりその話題は何だ?

何故俺がわざわざお前()と恋愛せねばならんのだ」

「お前はやはり知らないか。男性同士で思わせぶりな態度をとれば

一部お嬢さんの妄想の餌食になるのさ、体格差があれば尚好いのだそうだ」

「理解に苦しむな、つまりそれは俺のような体格が大きく男性的な者が

お前のような普通体系の童顔を女役にすることを望んでいるということなのか?」

「お前は飲み込みが早くて助かる。ケースにも拠るが一般的にはそういうことだ」

「笑える冗談だ。立場上仮説で評するべきではないが

仮に世界中に俺とお前しかいなくなれば、或いはその希望に応えられるかも知れんがな?」

「ほう、お前がこういう下世話な話に迎合をするとは意外だな」

「おいおい、冗談を言ったまでだろう。本気にしたか?」

「ん、俺も冗談のつもりだったが?本気にするならば…

役割を別つのは決して物理的な『力』の差ではないということさ。

長い付き合いからお前という人間に男色の趣味が無いことを知っているし

その前提から取り得る「合意」という手段の可能性は消失する。

そうなると「強要」という結論に達するが無理に関係を強いれば法律に抵触し、その方法は不可能」

「お、おい、天津…」

「今の私の立場を保持しつつ目的を達する為に取るべき手段は一つしかない。それは…」

「………それは?」

天津は声を低め海原の耳元に注ぎ込むように囁いた。

「お前が今度次官会議で通そうと思っている決議案は誰に

『決定権』があるかはお前が知っているよな海原?」

「……ッ……!」

思わず海原は手に持っていたビールのジョッキを取り落とし、

足元まで円を描くように転がり、弧上の座布団に阻まれて止まった。

信じられない風に大きく目を見開いて、

隣の笑っている―長年「友人」であると信じていた―男を注視する。

「………本気か、天津?」

「悪いが布巾を頼む。急がないと畳に染むぞ

「おい、ふざけるな!俺の質問に答えろ!!

通り掛かった店員の女性に呑気に話しかけている天津の胸倉を掴み、

海原はきつく睨みつけて怒号を飛ばした。

店の畳が一枚や二枚駄目になろうがそんなことは今の海原の知ったことではない。

あまりの怒りに天津は困ったように笑みを浮かべた。

「何て顔をしているんだ。

あくまで本気とするならば、つまり『仮に』の結論を出したまでだ、冗談だよ。」

「お、お前は…今度の閣僚議会では覚えておけよ!

事務次官の不信任案を出すように手を回してやるからな!!!

「ははは、勘弁してくれ。これは賄賂をせんと辞めさせられてしまうな。

大ジョッキを2つ追加だ。」

海原は腕と足を組んで座り―つまりは仁王座り―、

幼馴染である事務次官は敵に回したくない男だと改めて認識した官房長官だった。

 

因みに、大穴狙いで「官僚」の職業にベットしていた店員が全勝ちして

いたことは蛇足ながら付け加えておく。

合掌。

 

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