worod03
「痛い」
「あ、申し訳ありません。」
髪を踏んづけていたことに気づき、カルマは足をどける。
「誠意がこもっていない。」
ディルスが、髪を押さえながら、前髪の向こう側から、恨めしげな視線を送った。
「髪を引きずりながら歩くと、汚れますよ。」
「好きで伸ばしているんじゃない。陛下が目覚められるまで切れないんだ。」
「存じています。せめて上げていてください、そっちも注意していただかないと、
俺の方だけでは少し無理です。」
「んじゃ、括ってくれ、この量じゃさすがに俺も無理だ。それが嫌なら、お前が注意しろ。」
そう言うことは耶麻の方が適任だと思うのだが、どうせ言ったら、不機嫌ゲージが上がり、
また何か反論してくるのだろうから、大人しく従っておくことにした。
「お前も、良い性格になったよなあ。」
書類に目を通しながら、ディルスが呟く。
「御陰様で。どれくらいの付き合いだと思っているのですか。」
長い髪を、何回かに分けて櫛で梳かしていきながら、カルマが応えた。
「いい加減、お互いの顔も見飽きるを通り越してるよな。」
人間と比にならないほどの長い付き合いだ、当然、派手なケンカもしたし、
その後に寒い二流ドラマのような仲直りもした、人間の一生に近い年月もの間会わなかったこともある。
「見飽きたで済めば楽だったんでしょうけど。あなたが眠っている間、苦労させられた分、
労ろうという、部下を思いやる気持ちは無いんですかね。」
「そこだよな、昔は文句も言わず尽くしてくれたのに。」
可愛くなくなったなあ、と呟くディルスの言葉をカルマは聞き流しながら、髪を紐で縛っていく。
「あなたは、あまり変わりませんね。」
「・・・あまり、てことは、変わったところはあるのか?」
チラリとこちらに視線をよこすディルスに、カルマが見返した。
「・・・・・・・いえ、変わったと感じたのは、あなたが眠る直前の珍しく気弱になって
いた時ぐらいです、あんな気持ち悪いもの二度と見たくないですがね。」
その言葉に、ディルスはクッとのどの奥で笑う。
人間の血が流れる限り、人間よりは長生きできても、魔族のような半永久的な体では
なかった。変わらない周囲のものと違い、僅かな柄に年をとっていく外見と、それ以上に
中身がボロボロになっていた体を捨てる直前、魔族として生きていく自分が、
どうしようもなく人間の血に縛られている事を感じ屈辱的だった。
「言うねえ、俺もお前のあんな泣き出しそうな顔、見たくねえよ。」
「俺は泣いていません。」
「泣きそうだった。」
「泣いていないから、憶測でしかありません。」
縛った髪を、さらに上で纏める、それでもまだ垂れ下がっているぶんは長い。
色は昔と変わらぬ紺色。眠っている間にずいぶんと伸びた。
人間の体を完全に捨て、魔族として生きる。
だから人間として死ぬために眠り、魔族として目覚めることになったのは随分昔だ。
自分の父としての存在者は、死んだ自分の魂だけを残し、新たな器を用意することで、
それを叶えた。
ただし、寸分違わず、全く同じ肉体を作り出すことは、まだタブーとされていた。
だから、作り出された体は、肉であって肉で無し、血であって血でないものが流れている。
人間をもして作られた人形のような体。
されど人に近い存在。
変革が起きる前に実験も兼ねて作られた試作品だが、今のところ問題はない。
「そういや眠っている間、何か言ってきたか?」
目覚めたときに、最初に目の前にいた部下の姿に、もしかしたら、眠ったままの自分のお守りなんて飽きて、
どこかに行ったのではないかと思っていたので、少し安心したのは黙っていよう、とディルスは無意識に思った。
「何を、ですか?」
声をかけたことはある、何度も声をかけた。
何時目覚めるか分からないから、早く目覚めるように、本当に目覚めるのか不安になって急かしたこともある、
それでも眠り続けているから、腹が立って悪態付いたこともある、けれど本人に教える気はない、
目覚めたときに相変わらずの笑い方をするのをみて、
自分だけが、気に病んでいたいようで、悔しくて、せめて自分だけが知っていることとして、黙っていることにした。
「・・・別に、気のせいかもしれないし、俺も半分以上寝ている状態だから、
夢でも見ていただけかもしれないな。」
「充分夢は見たでしょ、今度はしっかり現実で仕事をしてください、終わりましたよ。」
ディルスはその声に、立ち上がり、鏡の前に立って一通り確認すると、満足げに頷いた。
「お前にしては上出来。」
「お褒めいただき、ありがとうございます。」
魔界も天界も、眠っている。
人間界が誰にも見守られず進めてきた世界。
そして変革は起きる。
二つの世界が目覚めることで、新たな力が加わり、世界が均衡を崩す。
その為の準備を進めていかなければならない。
「御影からの報告はあったか?」
「まだです、少々手間取っていてるようですが、急がせますか?」
「いや、急ぐなら耶麻の方だから良い、で、例の資料見つかったか?」
「あなたの髪を踏む直前に。」
そう言って、置いていた紙の束をワタした。
「ふ、ん・・・・・・・・なあ。」
ディルスをは書類をめくりながら、パソコンにデーターを打ち込んでいく。
「何でしょうか?」
「お前から見た俺は、お前が見ていた俺のままか?」
その質問に、僅かにカルマは考えた。
「俺は、アンタ以外、仕える気はない。それは眠る前に言ったはずだ。」
その言葉に、ディルスは口の端を上げた。
「お前は変わったけど、変わらないな。」
希望どおりのおもちゃを与えられた、子供のように、満足そうな言葉でディルスは言う。
「お互い様です、Master」
それは変わらない、風景。