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![]() 望まない妊娠、結婚、そして離婚のために、 18歳でシングルマザーになってしまった「私」。 看護師への夢を捨て、未来への不安に苛まれながら日々を過ごす彼女は、 路面電車の行き交う通りで、自分の人生を救うことになる歌と出会う。 ![]() |
夜の8時を過ぎた頃……その時間帯が、いつも私にとって試練の時間だった。 お風呂から上がって寝るまでの間、息子はなぜか必ず機嫌が悪くなる。一日の疲れと眠気がピークに達しているのだということはわかるのだけれど、だったら、無駄な抵抗なんかせずに寝てしまえばいいのに。まるで眠りに引きずり込まれることが恐怖であるかのように、決まって彼は泣き叫ぶ。 抱いても、あやしてもだめ。どうすればいいかわからず、私までが大声を上げて泣きたくなる。毎晩のように団地中に響き渡る泣き声に、近所じゃ虐待ではないかと噂されていることも知ってる。「これだから若いお母さんは……」というささやきが聞えてきそうな気がする。 そう言われても仕方がない。18歳の私は、1歳になったばかりの息子に劣らず、何も知らない子供だったのだから。 何もかも放り出して逃げ出したい。泣きわめく息子を置いて、この部屋を出て行きたい。そんな思いと必死に戦いながら、いつも立ち尽くしているしかなかったのだ。 嵐が過ぎ、息子がようやく泣き疲れて眠ってしまうとほっとする。今日もどうにか一日を乗り切ることができた。だけど、明日になればまた同じことの繰り返しだ。 わずかばかりの親の援助と生活保護をやりくりし、節約して、節約して、節約して、どうにか日々の食べるものや着るものや息子のオムツを確保する。長い長い一日を、なんとか無事に乗り切れますように。息子が熱を出しませんように。小さな子供特有の理不尽な嵐を爆発させませんようにと祈るような思いでやり過ごす。 同じ歳の友人たちは皆、勉強や遊びに忙しいはずだけれど、そんなことは別の世界の出来事だった。もう、うらやましいという気持すら、失っていた。 早く子供を保育園に入れて働きに行けと親は言うのだけれど、もちろんそうしなければならないことはわかっていたのだけれど、ひどい人見知りで何かあれば泣きわめき、その上しょっ中熱を出す息子が集団生活に馴染めるとはとても思えなかった。私自身、そんな彼の相手に疲れ果て、今日こそと思いながら、なかなか役所に足を運ぶことができないでいた。 八方ふさがり……そんな言葉が頭に浮かぶ。もちろん先のことを思えば不安にもなる。だけどあれこれ考えるひまもなく、あっと言う間に眠りが訪れてくれるのが救いだった。夜中は何度も夜泣きに起こされることになるのだけれど、とにかくその隙間の時間はぐっすり眠る。 そうしてまた、朝が来て、決して未来につながっていかない細切れの日々が永遠に続くような、あの頃の私はそんな気がしていた。 だけどその夜、息子のかんしゃくはいつもに増してひどかった。1日中雨に降り込められていたものだから、よけいにイライラがつのっていたのかも知れない。 それは私だって同じだった。声をからして泣きわめく子供の声を30分近く聞いているうちに、自分のなかで何かがぷつんと切れる予兆を感じた。やばい、と思う。長い間必死に保ってきた自分自身が、ばらばらに壊れてしまいそうだ。そうなればおそらく、息子は無事ですまないだろう。 私はとっさに息子を抱きかかえ、大声を張り上げた。 「ねえ、チンチン電車を見に行こう」 雨は止んでいた。夜の10時を過ぎようとしていたけれど、そんなことはこの際気にしていられない。とにかくこの部屋を出なくては。このままじゃ取り返しのつかないことになってしまう。 当然ながら息子は私の言葉など聞いているはずもなく、身を反り返らせて泣き叫ぶ。そんな彼を無理やり抱え上げて団地の階段を駆け下り、私は夜の街へと飛び出した。 妊娠がわかったのは、高校3年生の春だ。 私は看護師になるという夢を目指して猛勉強を始めていた。私の目の前には未来へと続くピカピカの道が真っ直ぐに伸びていて、ただその道を進んで行きさえすれば、夢にたどりつけると信じていた頃だ。 当時大学生だったひとつ年上の彼は、生んで欲しいと言った。俺には自分の子供を見殺しにすることなんてできない。生んでくれ、結婚しようと。 その言葉は、私から意志を奪った。ひとつの命を犠牲にしてまで自分の夢をかなえたいのかと、責められているように思えて……。 私は彼の言葉を拒否することができず、高校を中退して彼に人生を委ねる決心をしたのだった。 今、こうして目の前で息子が生きていることを考えれば、その選択は間違っていなかったと思う。だけどその代償に、私が失ったものはあまりにも大きかった。 子供を見殺しにできないと言った彼の優しさが、本物の覚悟と強さに裏打ちされたものではなかったことがわかるのに、そう時間はかからなかった。大学をやめて働き始めた彼の顔から、完全に笑顔が消えたのは、子供が生まれてしばらくたった頃。若くして家族を支える重圧に耐え切れなくなった彼は、次第に口数が少なくなり、家に帰らなくなった。たまに帰って来ると必ずのようにひどく酔っ払っていて、時には私を殴りもした。 だから彼が置手紙を置いて本格的に姿を消した時、私はむしろほっとしたかも知れない。不思議と腹は立たなかった。逃げ出せるものなら逃げ出したいと思っていたのは私も同じだったから。彼には逃げ場所があり、私にはなかった。ただそれだけの違いだったのだ。 だけどその後移り住んだ公団住宅の何もない部屋で、6ヶ月になった息子と向かい合った時、私は自分の未来が完全に閉ざされてしまったことを悟らないわけにいかなかった。 私の人生はもう、終わったも同然なのだ。これからの長い人生を、私はたった一人で、夢もなく、希望もなく、日々の暮らしに汲々としながら生きて行かなければならない。 私が自分自身の人生を舵を取ることは、もう二度とないのだと思った。 ![]() この子供はとにかく電車さえ見せておけばOKなのだ。小さくカラフルな路面電車が車に囲まれてゆっくりと走り出す姿を目にしたとたん、息子は涙の残る瞳を大きく見開いて、泣くのをぴたりとやめた。 この世の終わりのように泣き叫んでいたことなど一瞬で忘れたかのように、にこにこと笑みを浮かべ始めた彼を見て、私はほっとしたような呆れたような気持になる。 交差点の脇に立ち、行ったり来たりする路面電車を見つめる私たちの姿に、通り過ぎる人々が不審げな視線を投げかけてゆく。盛り場に近いその場所を行き交うのは、サラリーマンやOK、学生風といった人たち。パジャマに近いジャージ姿にぼさぼさの髪という私たちの姿は、さぞ目立ったことだろう。 だけど女の子らしく見栄えを気にする気持など、とうに私の中から消え失せていた。とにかく虐待の危機を脱することができたのだから、それでいい。 それから20分ばかり、好きなだけ電車を見て、息子はようやく満足したのだろう。急に眠そうな顔になり、しきりに目をこすり始めた。 私は手を伸ばして彼を抱き上げ、明かりを映し出してきらきらと光る雨上がりの道路を見つめる。考えてみれば、こんな時間にこんなところに来るのは久しぶりのことだ。ほんの2年ほど前には、カラオケだのなんだの、結構遅くまで遊んでいたものだけれど。 小さく頭を振って感傷を断ち切り、「帰ろうか」と踵を返しかけたときだった。 力強いギターの音が、夜の空気を震わせて、私の耳に真っ直ぐ届いた。私は反射的に音の方を見る。 歩道橋の階段の脇に小さな人だかりができていた。続いてギターの音に負けず力強い歌声がその辺りから聞こえてきたとたん、私はなぜだか一瞬、動けなくなっていた。そして吸い寄せられるようにふらふらとそちらへ足を向けてしまう。 いつもの私ならありえないことだった。この界隈にストリートミュージシャンの姿は決して珍しくはない。だけど私は彼らの存在を疎ましく感じていた。彼らが体現するもの、自由だとか、青春だとか、夢を追うとかいったことに、本能的な拒否感を覚えていたのだ。だけどそんな感情をあっさりと飛び越えて、その歌は私の心臓に真っ直ぐ届いたのだった。見えない力に引っ張られるように、私は雑踏を縫って歩き、必死に背伸びをして人だかりの中を覗き込む。 行き交う車を背に、ギターを弾きながら歌っていたのは、華奢な感じの男の人だった。 肩まである薄茶の髪、すらりとした立ち姿。遠くから見ても、人目を引く格好の良さだ。彼を包む女の子たちの熱い視線が目に見えるようだった。だけど30人ほどいる聴衆の半分ぐらいは男の子だ。けっこう年を取った人もいる。みな、真剣な瞳で歌に聴き入っていて、その表情を見るだけでも彼の歌が本物であることがわかる。 私もその歌が持つ力に、否応なく引き込まれていた。なんだか、胸の奥がざわざわする。私の知らないところで眠っていた何かが引っ張り出され、パワーを与えられ、次々に生き返る。そんな感じがする。 この感じはもしかして、今の私にとても必要なものなのかも知れない。ぼんやりとそう思った時だった。 胸の中で眠っていた息子が、不意に目を覚ます。嫌な予感にとらわれる間もなく、空気の変化を感じ取った彼は、いきなり大声で泣き出した。驚いたように振り返ってこちらを見る人々の視線が突き刺さる。 歌は始まったばかりなのに。もう少し聴いていたいのに。無駄な抵抗と知りつつ、少しだけあやしてみる。だけど息子はますます泣き声を大きくしただけだった。いたたまれなくなって、仕方なく帰ろうとした時、唐突にギターの音が止んだ。 人波をかき分けてこちらへと歩いてくるのは、皆の真ん中で歌っていたその人だ。怒られるに違いないと思い、私は身を竦ませる。だけど、逃げ出すこともできず立ち尽くす私の前に立ち、彼はにっこり笑って息子に手を伸ばした。 「泣くなよ。大丈夫だから……」 歌っている時とは違う、優しい声だった。間近に見るその顔は女の人のように整っていて、色褪せた長めの髪がよく似合っている。だけどその表情や、真っ直ぐこちらに向けられたその瞳には男っぽい力強さが感じられ、私はドキドキしてしまった。 素敵なものを見て素敵だと感じたのは、本当に久しぶりのことのような気がする。自分の中にそんな感覚が残っていること自体、不思議だった。 ぽーっとなってしまった私は、反射的にその人に息子を差し出した。驚いたことに人見知りの激しい息子が、彼に抱き上げられたとたん大人しくなる。それでもまだぐずぐずと泣きじゃくる息子を、彼は小さく揺すってあやし始めた。女の子たちの間からため息のような声が上がる。 どんな顔をしてよいのかわからなくなって困り果てる私の前で、彼は神業のようにあっという間に息子を泣き止ませ、ニコニコと笑い出させてしまった。そんな息子を地面に降ろし、彼は私を見る。 「もうこいつの眠気も限界みたいだから、あと一曲だけ聴いたら帰った方がいいね。何か聴きたい曲はある?」 「え……えっと、じゃあ、さっきの曲を――」 柔らかい笑みの混じった瞳で見つめられただけで胸がいっぱいになってしまい、私はもうお詫びもお礼も忘れててただ言葉を返すしかできない。 彼は「オーケー」と笑みを深くした。 「いつも土曜日の6時ぐらいからここでやってるから、よかったらまた、おいでよ。それくらいの時間なら、こいつも大丈夫だろ?」 その言葉は、途方もなく贅沢な招待状のように感じられた。私が黙ってうなずくのを見届け、彼は人波の中、元の場所へと帰って行く。 そうして再び始まったその歌は、さっき以上の力強さで私の胸を揺さぶったのだけれど、もう息子を泣かせはしなかった。電車を見ている時以上の真剣な表情で歌に聴き入るその横顔は、私を何だか不思議な気持にさせた。 ![]() 翌週の土曜日、私は早いうちからその場所へ来て、息子と二人、通り過ぎる路面電車の数を数えながら、6時になるのを待った。どのみち家に居たって仕方がない。人生にささやかな目標ができたような気持だった。 思ったより早い時間に、その人はギターケースを下げて私たちの前に現れた。まだ他の人たちは来てない。おかげで少しだけ、二人きりで話すことができたのは幸運だった。 彼の名前は慎哉さん、大学4年生と聞いて、私はちょっとだけ驚いてしまった。私より4つも年上なんだ……。でも考えてみれば、それは別段珍しくもないことで、ただ単にあの頃の私が他のみんなより自分が老けているように錯覚していただけなのだけれど。 だけど慎哉さんはもちろん、そんな私の驚きに気づくことなく、彼の姿を見て駆け寄ってきた息子の頭をくしゃっと撫でる。 「今日はお前、機嫌いいみたいだな」 そう言って息子を抱き上げるその仕草があまりにも慣れた感じなのが不思議に思えて、私がそのことを尋ねると、慎哉さんは笑って答えた。 「姉貴夫婦の家に居候してるんだ。やんちゃなのが2人いて、いつも相手させられてる。だから子守りは得意分野かな」 冗談混じりに返されたその言葉の意味を深く斟酌することなく、私は単純に納得してしまう。そう、私は何も知らなかったのだ。 そうこうしているうちに、ライヴを手伝う仲間たちや、熱心なファンたちが集まってきて、周囲はにわかに賑やかな空気に包まれ始める。先週のことを覚えていた人たちから話しかけられ、私も忙しくなった。こんなに大勢の知らない人と接するのは久しぶりのことで、めまいがしてしまう。 気がつけば人の輪の真ん中に立ち、ギターをかまえた慎哉さんはすっかり遠い人になっていた。寂しさを覚える暇もなく、静かなアルペジオの音と、人の心に寄り添うような歌声が胸の中を満たし始める。 薄闇の降り始めた空気の中、行き交う車のぼんやりとしたヘッドライトに照らされながら歌う慎哉さんの姿は、現実を忘れさせてくれた。あっという間に時間は過ぎる。2時間ばかりが経ち、息子が不機嫌な顔で眠気を訴え始めた絶妙のタイミングで、慎哉さんは昨日私が聴いたあの歌を歌い出し、私を驚かせたのだった。 以来、この土曜日の夜は私にとって大切な時間となった。慎哉さんに会い、歌が聴けるからというだけじゃない。ここに来る人たちは、子供を連れた私にも屈託なく声をかけてくれ、私は久しぶりに仲間というものができたように感じていた。 彼らはみんな、自分を隠したり飾ったりすることがない。私から見ればまぶしいような毎日を送っている同年代の女の子たちも、それぞれに迷いや悩みを抱えていて、だからこそ、この場所へ来るのだ。息子と二人きり、必死に日々を繋ぐ中で、いつの間にか私の胸に深く影を差していた孤独の思い、自分だけが辛いのだという思いは、次第に薄らいで行った。 そんな風に息を吹き返しつつあった私の心に、新たに芽生えたものがある。それは焦燥だった。 このままでいいのだろうか、という思い……。 いや、このままではいけないに決まっているのだ。そんな事実を、私は思いがけない形で突きつけられることになる。 ![]() その日、いつものように路面電車を眺めながらライヴの時間を待っていた私たちの前に現れたのは、慎哉さんではなかった。 「ごめん、先輩今日はバイトが長引いちゃって。ライヴは中止なんだ」 慎哉さんの後輩で、いつもライヴの準備を手伝ったり、集まり過ぎたお客さんの整理をしたりしているその人は、心底すまなそうな顔で私たちにそう告げた。慎哉さんから連絡を受けて、ここへ来る人たちに早く知らせなくてはとあわてて駆けつけたのだそうだ。 「それだけのためにここに来たの?」 私が少し驚いてたずねると、彼は笑って答えた。 「俺はもう就職も決まってるし、暇だからね」 就職……ってことは、この人も4年生なのだ。なのにどうして慎哉さんのことを「先輩」と呼ぶのだろう。疑問が顔に出てしまっていたのか、彼は説明を加えてくれた。 「ああ、慎哉さんは先輩だけど、同じ学年なんだ。あの人、1年休学してるから」 みんな知ってることだから……とその人が話してくれたのは、あまりにも重すぎる事情だった。 2年前、慎哉さんのご両親は亡くなった。借金苦が原因の自殺だった。 会社が危なくなり始めた頃から、慎哉さんは休学を余儀なくされ、家には取り立てが押し寄せて来たりもして、大変だったのだそうだ。皮肉なことにご両親の死によって借金は解消され、慎哉さんはお姉さん夫婦の好意で彼らと一緒に住み、復学できることになったのだけれど、今でも学費と生活費を稼ぐためのアルバイトに追われている。 そんな中、わずかに余裕ができた頃に始めた週に一度のこのライヴは、慎哉さんにとってただひとつの生きがいになっているのだった。 「いろいろ大変だった時期を俺も見てるから、ちょっとでも応援したくてね。まあ、今じゃすっかりあの人の歌に惚れこんじゃってるってこともあるんだけど」 照れたような笑みを浮かべて話すその人の言葉に、私は何も答えることができなかった。小さくショックを受けてしまって。 姉貴夫婦の家に、居候してるんだ……あの言葉の裏には、そんな事情があったのだ。私は何も知らなかった。そして心のどこかで、慎哉さんのことを羨ましいと思っていた。学生だから、時間にも心にも余裕があるから、あんな風に歌えるんだって……。 だけど、そうじゃなかった。あらゆる困難や辛い記憶を乗り越え、あの人はあの場所に立ってる。そしてそれこそ心を削り取るようにして、歌い続けているのだ。 私は、何をやっているのだろう。目の前の壁を自分の力で乗り越えようともせず、どうしてこんなところで立ち止まっているのだろう。 その時以来、私は慎哉さんの歌う言葉の意味を、少しだけ重いものとして受け止めるようになった。そして、自分自身の未来を、少しだけ真剣に考えるようになったのだった。 ![]() 3月、慎哉さんはこの街を離れることになった。東京に就職が決まったのだ。 最後のライヴには、それはもうすごい数の人たちが集まった。そんな中でも、彼はいつもと変わらず笑顔で歌い続けていた。 息子が眠気を訴え始め、私たちが人の輪を離れようとする頃、彼はいつものように私が大好きなあの歌を歌ってくれた。この歌を聴くのも、もう、最後なのだ。心を揺さぶるような力強いストロークの音を聴きながら、胸にふと込み上げて来るものがあったのだけれど、その思いを伝える術はない。私は心の中でそっとさよならを言って息子と二人、その場を離れたのだった。 だからもう本当に驚いてしまったのだ。翌日の昼下がり、息子に電車を見せるために同じ場所を訪れた私が、階段の脇のベンチに座っている慎哉さんの姿を目にしたとき……。 「よかった。この時間は毎日ここに来てるって聞いたから、待ってたんだ」 軽い動悸を覚えて立ち止まる私に、彼はほっとしたような笑みを見せて言った。 「これを、渡そうと思って……」 そう言って彼は、屈託のない仕草で1枚のCDを差し出した。私は反射的にそれを受取り、あたたかなタッチのイラストが描かれたジャケットに視線を落とす。嘘みたい、どうして? という思いは、後からやってきた。 「これは……?」 半ば呆然としながら、私はひとりごとのようにつぶやき、慎哉さんを見る。彼はどうしてか懐かしそうな瞳を、遠く、通りの向こう側に向けた。 「ちょうど、あの辺りで歌ってた人たちがいたんだ。少し前まで……」 休日を過ごす人々が楽しげに行き交う歩道の脇、ぽっかりと空いた場所があった。もちろんそこに人の姿はない。だけど慎哉さんは何かの残像を見つけ出そうとするかのように、その場所に真っ直ぐな視線を向け、言葉をつなぐ。 「その頃俺は大学に行けなくなって、朝から晩まで働くばかりで、未来なんて全然見えなかった。でも、仕事の帰りに偶然、あの人たちの歌を聴いた時、初めてパワーがわいたんだ。大丈夫、何とかなる……いや、絶対自分の力で何とかしてみせるって気持ちになれた。今はメジャーデビューして、ストリートで歌うこともなくなっちゃったけどね。でも、今でも俺の神様みたいな人たちなんだ」 そう言って彼は私が手にしたCDに視線を移した。 「そこに、君の好きなあの歌が入ってる。君はあの曲を俺のオリジナルだと思ってたみたいだけど」 「その人たちの歌だったんだ……」 私は少し恥ずかしくなってつぶやく。慎哉さんがうなずいて口にしたアーティストの名前は、確かに聞いたことがあるような気がしたけど、でも、それだけだった。どんなに世に知れた名前でも同じことだっただろう。テレビはいつも幼児番組に占領されてるし、ラジオも聴かない。そもそも音楽というもの自体が胸に届かない状況に私はずっといたのだ。 「本当に知らなかったんだな」と慎哉さんはちょっと残念そうな顔で笑った。 「勘違いをそのままにしとくのもフェアじゃないし、本物の方がずっといいから、聴いて欲しいんだ。それに、これからは俺が歌ってあげることもできなくなるから……」 え? と私は驚いて顔を上げる。私のために、彼はこの歌を歌い続けていてくれていたのだろうか。 「君のことは、ずっと気にかかってた。歌を聴いてくれる人たちの中で、君だけがたった一人、ひどく遠い目をしてたから。まるで、目の前にある現実から必死で目をそらしてるみたいにね。あの頃の俺と同じだと思ったんだ。でも……」 そう言って慎哉さんは言葉を切り、真っ直ぐな眼差しで私を見つめた。 「大丈夫だよ。どんなに未来が見えなくても、道はなくても、前に進める。簡単なことじゃないけど、君にはそれだけの力がある。そのことを伝えたくて、いつもあの歌を歌ってたんだ。君なら大丈夫……ってね」 私は胸がいっぱいになり、何も言えなくなった。大丈夫……その言葉は、私が初めて慎哉さんと会った時に耳にした言葉でもあった。その時彼は息子に対してそう言ったのだけれど、その時も、それからもずっと、私にメッセージを送り続けていてくれたのかも知れない。大丈夫、君なら前に進めるって……。 「ありがとう……」 私はうつむいて、ようやく口を開いた。その言葉は涙と共に何度も何度もこぼれ落ちた。 慎哉さんは私が泣き止むのを辛抱強く待ち、そうして、不思議なほど真剣な顔をして隣に座っていた息子の頭をくしゃっと撫で、私たちに別れを告げたのだった。 その夜私は、慎哉さんのくれたあの歌を聴いた。何度も何度も聴いた。 ストリートで聴いていた時はそのメロディーに、リズムに、言葉の持つ響きに、ただわけもなく元気づけられていたのだけれど、こうして一人の部屋で聴いていると、歌詞の持つ意味のひとつひとつが驚くほど胸に迫ってくる。 私はこれで良かったんだ。間違ってなかったんだ。目の前の道が消えてしまったなら、自分で切り開いてゆけばいい。閉ざされた扉しかないなら、そんなもの、叩き壊してしまえばいい。そうやって生きてゆくことにこそ価値があるのだ。 簡単なことじゃないけど、君にはそれだけの力がある……メッセージのひとつひとつに慎哉さんのあの言葉が重なり、私は再び涙をこぼさずにはいられなかった。 翌日、私は息子を保育園に入れるために役所へ足を運んだ。そうして私はようやく、前に進んでゆくための小さな一歩を踏み出したのだった。 ![]() 夜勤明けのその足で、ライヴ会場に向かった。会場にはもう夫と息子が来ていて、人に埋め尽くされた座席の間を走る私に、そろって笑顔で手を振ってくれた。 空は恐ろしいほど深く透明な青。気持のいい風も吹いている。野外ライヴには絶好の日和だ。 「もうすぐだよ。一番目だから」 プログラムに載った写真を指差して息子が言う。写真とはいえ、昔と変わらないその笑顔に思わず胸がいっぱいになったのだけれど。 「やっと本物に会えるんだよな。なんか、すっげえ懐かしい」 なんてことを息子が感慨深げに口にするものだから、私は思わず吹き出してしまった。 「……って、あんた1歳だったのよ。覚えてるの?」 「覚えてるに決まってんじゃん」 息子は珍しく真剣な目をして、はっきりとそう答えた。私はなんだか不思議な気持になる。 10歳にしては大人びた物言いをするこの少年に、慎哉さんはあの頃、魔法をかけてくれたのかも知れない。毎晩神経質に泣き喚いていた気の弱い子供は、私が働き始めたとたん、あっという間にたくましく成長した。集団生活にもすぐに馴染み、今ではクラスでもリーダーシップを取る方だというのだから驚いてしまう。家のこともいつの間にかそつなくこなすようになり、今や息子はお荷物どころか、私がこれまでの日々を乗り切るのになくてはならない存在となっていた。 私は……と言えば、戦いの日々を生きてきた。息子を保育園に入れてくれようとしない役所と戦い、子供を育てながら働くことに理解を示さない職場と戦い、私を考えなしに子供を産んだしょうがない小娘だと見なそうとする世間と戦い……そのたびに怪我もしたし傷も増えていったけれど、そんなこと、私にはどうってことなかった。 君にはそれだけの力がある……慎哉さんのあの言葉が、私を支えていてくれたから。 私は息子を育てる一方で必死にお金を貯め、数年後、看護学校に入学した。勉強はそりゃもう楽なものじゃなかったけれど、両親の協力を得ながら学校に通い続け、念願の看護師資格を手にした。今は近くの総合病院で働いている。高校生の頃の夢を、ようやくかなえることができたのだ。 遠回りをしたものだと思う。だけどそれでよかった。道なき道を行く日々、幾枚もの閉ざされた扉を叩き壊して前に進む日々は、あの頃前に真っ直ぐ伸びていたピカピカの道を進むよりも、確実に私を強くしてくれたと思うから。 そしてそんな私に、運命は思いがけないご褒美をくれた。今の夫だ。 職場で患者として出会った同い年の彼は、とてもバランスのとれた人だった。いつも穏やかな笑顔を浮かべていて、大きなことは言わないかわりに、自分が引き受けたものを決して投げ出したりしない。私は彼と出会って、肩の荷物がすっと軽くなったような気がしてる。 まさかこんな日が来るとは、あの頃、思いもしなかった。 「あ、始まるみたいだ」 息子がそう言って立ち上がった。私と夫は笑みを交し合い、息子に続いて席を立つ。 夫も慎哉さんの歌が好きだった。彼のインディーズ時代のアルバムを、夫が病室に持って来ていたことがきっかけで、私たちは親しくなったのだ。 メジャーデビューして2年。売れない時期もあったけれど、今や慎哉さんは、彼が「神様」と呼んだ人たちが主催する野外ライヴに招かれるほどのアーティストになっている。 そんな彼を、私はもちろん、ずっと応援し続けていたのだけれど、これまでそれどころではなかったり、息子が小さかったりしたこともあって、ライヴに足を運ぶことはかなわなかった。 だから遠いステージの上とは言え、慎哉さんの姿を直接目にすることは久しぶりで、なんだかドキドキする。 もうすぐ、あの歌声を聴くことができるのだ。 聴き慣れたイントロが流れ出し、会場が大きく湧く。私は自分の人生を救ってくれた人の姿を瞳に焼き付けるため、いったん目を閉じて、軽く深呼吸した。 |
END![]() このお話は、コブクロ『轍』の歌詞をモチーフにしたフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。 |
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