事業に失敗して生きる気力を失った
親たちのネグレクトにあい、
さらには学校での居場所も失ってしまった中学生の「私」
空の向こうの光に憧れた「私」はやがて、
高い窓から飛び立つが……




 目が覚めると、ものすごく良いお天気だった。今日は日曜日。この世での貴重な休日をあと一日だけ味わっても良かったのだけれど、カーテンを開けて窓の向こうに溢れる光に目を細めたとき、私の心は決まった。

 走って行こう、光の中へ。行く先が暗闇ではないと信じる勇気が持てるのは、奇跡のように澄んだ青空が広がる今日のような朝しかない。

 服を着替えて部屋を出る。家の人たちはまだ寝ている。お休みの日に早起きなんて出来ないほど、みんな絶望に倦み、疲れ果てているのだ。光の射さない廊下の、薄暗く澱んだ空気がうっとうしかった。私は階段を駆け降り、自転車に乗って家を飛び出した。
 行くべきところはわかっている。海辺に建つ古いホテル。廃屋となったその高いビルには、女の子がどうにか1人通れるほどの抜け穴があることを、私は知っていた。一番上の窓から見える景色が、どんなに素晴らしいかということも。どこまでも続く空を見ながら、いつか私はあそこへ行くのだと、今まで何度心に繰り返したか知れないのだもの。
 長くなだらかな上り坂を、潮風に向かって上って行く。追い風に乗って駆け下りる帰り道の爽快感を、もう味わうことはないのだと思うと少し切なかった。だけど坂の向こう、遠く翳む水平線が見えてくると、あっという間に感傷は消えた。
 私に帰るべきところはない。行くべきところは、あそこなのだ。

 自転車を飛び降り、生い茂る雑草をかき分けて走って行く。階段をいくつも駆け上り、開け放たれたドアから古い部屋に入る。海に面した窓を開け、身を乗り出した私は「あ…」と声を上げた。
 見ていると涙がこぼれそうなほど、透明に澄み切った青空。その大きな空をふたつに断ち切って、細く白いひこうき雲が真っ直ぐに伸び続けている。
 あれは私だと思った。もう、怖くなんてなかった。遠いその雲に手をのばしたまま、私はためらうことなくジャンプする。

 憧れ続けた光に手が届くのは、もうすぐ……。







 お葬式までの間に、ぐちゃぐちゃに潰れてしまった私の身体をどうにか見られる状態にするのは、大変なことだったらしい。花に囲まれた私の顔は不自然な歪みを見せ、どんなにメイクしてもごまかせない傷跡をいくつも走らせていた
 そんな私の顔を覗き込んで、誰もが大泣きに泣いた。かつて、私に向かって「死んじゃえ!!」と言った子たちも。本当は死んで欲しくなかったから泣くのか、罪の意識で泣くのか、どちらかはわからない。いっそ、死んだときそのままの姿をあの子たちに見せてやれば良かったのにと思う。そうすれば彼らも、死というものがどんなものか、もっとリアルに知ることができただろう。
 だけど私にはそんなことを考える資格はない。私だって、もしかしたらあちら側にいたかも知れないのだもの。
 大人たちは皆、「なぜ?」と言った。「あんなに明るくて素直だった子がなぜ?」と……。私の幼い頃しか知らない親戚の人たちや、何も知らなかったパパはもちろん、私のかぶった大波の飛沫をいっしょに受けてきたはずのママでさえも、「どうしてだかわからない」といった表情で茫然と目を泣き腫らしていた。
 だけど、私は知ってる。ママが何も見ず、何も感じることができなかったことを。何かを敏感に感じ取るには、ママは多くのものを一人で背負い過ぎ、疲れ過ぎていたのだ。だから、私はママを責めることはできない。
 先生たちも……そう、目を赤く泣き腫らしていたけれど、それはおそらくとんでもないことに巻き込まれてしまった自分自身に対する憐憫の涙だっただろう。「私のクラスに問題はなかった」と、担任の先生は何度も繰り返し、その同じ言葉を校長先生たちはテレビやマスコミに向かって繰り返した。
 彼らは本当に、そう思っていたのだ。あの子たちはみんな、自分たちのやったことを巧妙に隠していたし、もし先生たちが何かを感じ取ったとしても、それはすぐに、なかったことにされただろう。お金持ちの子供ばかりが通う私立の名門中学に、マスコミに騒がれるような「問題」など有り得るはずもないことだったから。
 だから私の死は、何不自由なく育てられた女の子にありがちな、漠然とした死への憧れによるものだと片付けられた。他に理由は考えられないと……。
 そんなわけ、ないじゃない。あるかどうかもわからない遠い光に憧れることができるのは、本当の闇の中にいる者だけだ。だけどもう、どうでもいい。嘘を信じることで、遺された人たちが少しでも心穏やかになれるのなら、それでいいと思う。
 涙に溢れたあの場所で、唯一私の胸を痛めたのは、カナの泣き顔だった。あの子は泣きながら何度も「ごめんなさい」と繰り返した。何もできなくてごめんなさい。助けて上げられなくてごめんなさい。あなたの辛さを私は誰よりもわかってたはずなのに……って。
 激しい感情など見せたことのないあの子のそんな姿を、誰もが驚いて見つめていた。よりによってあの子が、私に対してこんな風に謝るなんて、みんな信じられなかっただろう。私だって信じられなかった。そして辛くてしょうがなかった。誰よりもそんな風に謝って欲しくない相手、それがカナだったからだ。
 お願いだからやめてと言いたかった。あなたに謝らなくちゃならないのは私。だからそんなに自分を責めないでと、肩を抱いて言ってあげたかった。だけど空気になってしまった私には、それすらもかなわない。







 幼かった頃、私の周りにあふれていた光は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。ささやかな伝統と業績を誇る会社の次期社長として颯爽と働いていたパパ。そんなパパの隣で、幸せそうに笑っていた優しいママ。おばあちゃんもあの頃はまだママに辛くあたることなんてなかったし、頼もしいおじいちゃんも生きていた。
 そんな大人たちの愛情を一身に受けていた一人っ子の私に、辛いことなんて何もなかった。悩みといえば、お菓子の食べすぎで出来た虫歯が疼くとか、飼い犬のパピがなかなかお手を覚えてくれないとか、そんなことぐらい。あの能天気な女の子は、本当に私だったのだろうか。

 おじいちゃんが亡くなり、代々続いた社長の座をパパが継いだ頃、私たちの頭の上に闇が降り始めた。不景気の波に勝てず、少しずつ会社が傾いてゆくのを、良い時代しか見て来なかったパパは、どうすることもできなかったのだ。
 1年もたたない内にパパの会社は傾き、潰れた。社長でなくなったパパは知り合いの紹介で、別の会社で一社員として働くことになった。
 だけど人の上に立つことしか知らなかったパパにとって、年下の上司に怒鳴られながら慣れない仕事をこなす日々は相当に辛いものだったのだろう。挫折感と屈辱感に苛まれ、とうとうパパは、ママ以外の女の人に安らぎを求めるようになってしまう。
 夜毎激しくなるママとパパの言い争いの声で、私はそのことを知った。パパが会社の若い女の人と浮気をしているらしいことを。
 その事実はもちろん、ママを打ちのめした。ケーキを焼くのが上手で、いつもふんわりしたスカートに花柄のエプロンをつけて、女の子のように無邪気に笑っていたママ。裕福な家に生まれ、子供の頃は自分の父親に、結婚してからはパパに、すべてを委ねて生きてきたママ。そんなママだったから、パパが人生のみならず、心ですら預けることができる相手でなくなってしまったことを知って、どうすれば良いかわからなくなってしまったのだ。
 元々ママと気が合わなかったおばあちゃんは「こんなことになったのもあんたがしっかりしてなかったからだと」きつい言葉を投げつけ、ママを追いつめた。いつしかママはすべてを投げ捨てて、茫然と日々を過ごすようになってしまう。命を断つ前の一年間、私はついに一度もママの笑顔を見ることはなかった。

 大人たちのそんな変化が、お金持ちの子供たちばかりが集まる私立の中学校に通っていた私の生活に影響しないわけがない。学校で用意するように言われたものをたびたび持って行けなくなり、壊れたり無くしたりしたものはそのままになった。通学の定期代ですら、さんざん言わないと出してもらえない有り様。友だちの誘いを断ることも増え、「付き合いが悪い」と不満顔をされるようにもなる。私は次第に追いつめられていった。
 だけど現実に打ちのめされた大人たちは、転校手続きを取ることなど考えもしてくれない。私は何としてでもこの教室の中で居場所を失うまいと必死に心を砕くようになった。
 窮状を悟られてはいけない、背筋を伸ばし、堂々としていなければいけない。女の子たちは案外、シビアだ。例え親の都合でそうなったにしても、自分たちとは合わない卑屈な空気を身にまとうようになったクラスメイトを、今まで通りの仲間とは認めてくれないだろう。
 そんな私が思いついたのが、常に誰かを自分より下に置いておくことだった。そう、カナだ。大企業の幹部の娘だったカナは、私なんかと違って決して転げ落ちることのない、正真正銘のお嬢様だったけれど、おっとりした物腰と、人の良過ぎる性格がわざわいして、なんとなくみんなから軽く扱われていた。そんな彼女を私は意識して貶めるようになったのだ。
 これまでリーダー的役割を演じることの多かった私に、クラスのみんなはすぐに同調し、カナの周りを軽い苛めに似た空気が取り囲むことになった。おかげで私は境遇の変化に気づかれることはなく、自分の居場所を取り戻した。
 ひどいことをしたのはわかっている。あの頃も、家に帰って1人になるたび、自己嫌悪で吐きそうになった。だけど教室に入ってしまえば、わけのわからない恐怖にかられ、カナにきつい言葉を投げつけずにはいられなくなるのだ。そのたび怯えの中にわずかな憐れみのようなものが混じった眼差しを向ける彼女の反応にも苛立ち、私の言動は次第にエスカレートしていった。
 だけどこんなことがもちろん、いつまでも続くわけがない。そう、私はやり過ぎてしまったのだ。

 きっかけは担任の先生から何度も持ってくるように催促された、修学旅行の積立金。私の学校は例年、海外への豪華な旅行を売りにしていたから、積立とはいえ相当な金額だった。
 何を言ってもママは力なく首を振るばかり。どうしよう……頭の中がぐるぐるした。このお金を持って来られなければ、私は今度こそ、この教室にいられなくなる。そんな風に思えた。
 気がつくと、私はカナを呼び出し、こう迫っていたのだ。
「おこづかいが足りなくなっちゃったの。ちょっと、家から借りて来てくれない?」
 まるで、狩りか遊びの延長のような調子でそう切り出した私を、「何を言ったのかわからない」と言いたげにカナは見つめた。誰もいない校舎裏の奇妙な静けさも、校庭から微かに聞えるみんなの声も、何もかもが遠く、現実感を失って感じられたことを、今でも覚えている。

 カナがどんな風にしてそのお金を用意したのかは知らない。だけど決して器用な性格ではない彼女が、家族に知られず大金を持ち出すことなどできるはずもなかった。
 結局、疑問に思った彼女の親たちが学校に問い合わせたことで、私のやってきたことはとうとう、明らかになってしまうのだ。
 この時も事件が表沙汰になるのを恐れた学校は、密かに事態を処理し、私は適当な理由で10日間の出席停止を命じられることになる。ママは娘のやったことが信じられず今まで以上に呆けたようになり、おばあちゃんはまたしてもママを責め、この家にあるまじき罪を犯した私にも辛くあたるようになった。パパはもう、家に帰らなくなっていた。
 そして私は退学になることを密かに願ったがかなえられず、絶望するしかなかった。教室に戻ればそこに地獄が待っていることは、わかっていたから。

 予想していた通り、苛めのターゲットはカナから、出席停止処分の解けた私に移った。決してお金に困ることのない生徒たちが集まるこの学校で、クラスメイトからお金を巻き上げるなんて前代未聞のことだったし、いつもクラスの中心で偉そうにしていた私の突然の転落も、皆にはいい気味と映ったようだった。
 ことに、私の近くで不満を燻らせていたらしい数人の女の子たちは、私に酷く当たった。少し前まで親友のような顔をしていつも一緒にいた子たちだ。私の上靴を隠したのも、教科書を切り裂いたのも、給食に異物を入れたのも、彼女たちだってこと、私は知ってる。「バカ」とか「死んじゃえ」とか、すれ違いざまに何度酷い言葉を投げつけられたかも、知れない。私はいくら何でもカナに「死んじゃえ」なんて言葉、一度も使ったことなかったのに。

 だけどどんなに酷いことをされても、怒りは感じなかった。私だって似たようなことをやっていたんだもの。怒る資格なんて、ない。それにもう、どうでもよかった。誰からも愛される価値のない私自身も、闇に閉ざされたこの人生も……。生きていることそのものが、ただ、ひたすら虚しかった。
 お休みの日、自転車を走らせて行くあの廃墟が、私のただひとつの居場所になった。高い窓から、遠くまぶしい空を見てると、心が蘇り、感情があふれ出す。たったひとり、子供のように泣き続けながら、私はこの世界に居てはいけないのだと思った。私を取り巻くすべては悪い夢で、どこか遠い、私の知らない場所に、私にとっての本当の現実はあるのだと。
 そうして私はいつしか、空の向こうにある光に強く憧れるようになったのだ。

 絶え間ない光の中にいることが、幸せってわけじゃない。そんな事実を、決して戻れない場所に来た今になって、皮肉なことに私は知るのだけれど。







 お葬式の夜、私は長い夢を見た。死んでしまった人間が夢を見るなんておかしなことだけれど、やはり「夢」としか言いようのないものを。
 私が見たのは、生きていれば自分のものであったはずの、その後の人生。それは、自ら死を選んだ者に対する罰なのだという。なぜ、「罰」なのかはすぐにわかった。取り返しのつかないことをしてしまった自分の軽率さを、私は深く激しく悔やむことになったのだから。

 死を選ばなかった私が代わりに選んだのは、学校へ行かなくなることだった。いや、正確には、行けなくなったのだ。ある朝突然、ベッドから起き上がることがどうしてもできなくなった。家に居るからといって楽になったわけではなく、将来への不安に苛まれ、私は食べては吐き、食べては吐く日々を送るようになる。
 辛い日々は長く続いた。だけどそれが変化の始まりだった。
 まず、ママから連絡を受けて様子を見に来てくれたパパが、痩せ衰えた私の姿を見てショックを受け、目を覚ましてくれた。浮気相手と別れて家に戻り、前向きに仕事に取組み始めたパパの姿は、ママに気力と笑顔を取り戻させた。そんな二人の変化に、おばあちゃんも何も言わなくなった。このままではいけないという強い思いが、再び家族を結びつけたのだ。 
 しばらく入院して健康を取り戻した私は、お金ばかりかかるそれまでの中学をやめ、近くの公立中学に通うようになる。その場所で私はようやく、楽に呼吸ができるようになったのだった。
 そして私たちは、4人が住むには大き過ぎた家も売り払って小さな家に移り住み、今の自分たちの生活に相応しい生活を始めることになる。ママはやりくりに精を出す傍ら、なんと仕事を見つけて生き生きと働きだした。パパもつまらないプライドを捨て、新しい仕事にすっかり慣れたみたいだ。忙しいパパやママを助けて私はお祖母ちゃんに教えてもらいながら家のことを手伝い、料理だって、洗濯だって、余裕でこなせるようになった。
 大変だけれど、溌剌とした毎日。こんな形の幸せがあったのだ……私はただ呆然とするしかなかった。

 それだけじゃない。私はその後、大切なパートナーになる男の子と出会うことになる。その子のことを私は知っていた。生きていた頃、駅へ向かう途中で、颯爽と自転車で走り抜ける姿を何度か見たことがあるから。
 素敵な男の子だと思っていた。華奢な身体にサラサラの髪。なのに、ペダルを漕ぐ足は思いがけないほど力強くて……。あっという間に飛び去ってゆくその後ろ姿を、思わず振り返って見つめたものだ。
 その彼と私は偶然にも、高校のクラスメイトとして出会うことになるのだ。憧れの彼は意外に気さくな男の子で、私たちはすぐに親しくなった。彼は私の辛い過去を真っ直ぐに受け止め、そのままの私を好きになってくれた。付き合いは大人になるまで続き、私たちは結婚することになる。

 だけど夢は、私と出会わなかった彼のその後も映し出す。その人生は悲しいほど孤独だった。「なぜ、結婚しないのか」と聞かれるたび、「よくわかんねーんだけど、ぴんとくる子がいなくて…」と答える彼の瞳は本当に「どうしてだかわからない」という表情を浮かべていて、私は切なくなった。
 だってあなたは、私に出会うはずだったんだもの。彼が独りで生きて行ける人じゃないこと、私と出会うことでしか幸せになれない運命だってことは、すぐにわかった。わかったところで、もう、どうすることもできなかったのだけれど。
 寂しがり屋の彼は、手近な女の子たちと長続きのしない恋愛を繰り返しながら、やがて、歳老いてゆく。そうして、独りの部屋で最期の時を迎える時、呆然とつぶやくのだ。「どうして、俺は今も独りなんだろう」と。
 もっと幸せになれるはずだった。自分の隣には、いつも誰かがいるはずだったのだ。そんな解せない思いを、最後まで胸に残し、やっぱり「どうしてだかわからない」という表情を浮かべながら彼は人生を終える。
 私のせいだ。私は見知らぬひとりの男の子に、一生の孤独を強いることになってしまった。本当なら大切な人になるはずだった男の子に。
 私の死は、私ひとりの死ではなかったのだと、今さらのように気づいた。なんだか、泣けて泣けて仕方がなかった。







 数か月がたった。私はいまだにここにいる。あんなに憧れた空の向こう、光にあふれたあの場所に帰って行くことはいつだってできるのに、どうしても立ち去ることができないでいるのだ。
 私がいなくなった後、闇に閉ざされた日々を送るパパやママのことが心配だった。私はあの家を真っ暗闇だと思っていたけれど、そうじゃなかった。明るい光に満たされていないなら闇も同然だと思っていたけれど、そうじゃなかったのだ。
 本当は、ただ明るいだけの光になんて価値はない。暗闇の中に射す一筋の光こそ、本当の輝きを持つのだと私は知った。そして私こそが、パパやママにとってその大切な一筋の光になり得たのだと。
 小さな救いは、パパとママがお互いの存在を小さな光として生き始めようとしていること。そんな彼らを、私は放っておけない。だからと言って何ができるわけでもなかったのだけれど。

 私を埋葬したばかりの真新しいお墓には、驚いたことにカナが毎日のように訪ねて来る。時には可愛い花束を持って。そうして長いことそこにいて、いろんなことを話してゆく。
 あの子がこんなに饒舌な女の子だったなんて、私は知らなかった。そして、これほどの複雑な思いを心に隠し持ってたなんて。
「私たち、友だちになれたかも知れないのに」とカナは言う。
「あなたが私にひどいことを言うたび、言われた私と同じくらい、あなたは苦しんでるんじゃないかと思ってた。私と同じ種類の苦しみを、あなたは抱えてるんじゃないかって」
 それは、誰からも愛されない苦しみ、自分はこの世に存在してはいけないのではないかと感じる苦しみだった。カナが、彼女の家族の中でただ1人、母親の違う子供であったことを、私は彼女の独白から知る。そのために彼女は、家では疎外感に苦しみ、学校では控えめに振舞うしかなかった。
 そんな彼女だからこそ、気づいたのだ。あらゆる罪の中には、その罪と同じだけの苦しみがあるということに……。もちろんそんなこと、私がカナにしたことの言い訳になんてならないはずなのに、彼女は私を赦してくれた。
「あなたが辛い思いをしていたとき、私に何かできることはないかって必死で考えた。だけど何もできることなんてなくて、そのままあなたは死んでしまった。今でも悔しくてしょうがないの。ねえ、私たち、本当ならもっと分かり合えてたよね。いい友だちになれてたよね」
 そうだね……涙声で私に語りかけるカナに、私は答えた。私がもう少し大人だったら、あなたのように、苦しみを優しさに変えるだけの強さがあったら、私たちは親友になれてた。だけどその声はカナには届かない。
 こうして私はもう1人、自分が孤独にしてしまった相手がいることを知ったのだった。

 私は知らなかった。私の人生は、私のものだけじゃなかったってこと。私が死ぬってことは、私に関わる大切な人たちの人生の一部も、死んでしまうということだったのだ。
 私は独りではなかったのだと、今知ったところでどうすることもできない。この世界は闇に満ちているし、私がその闇を照らし出す光になることは、もはや、できない。
 でも、大切な人たちを見守り、独りではないのだと知らせてあげることは、もしかしたらできるかも知れない。
 立ち去ることは、やめようと思った。パパやママ、出会うはずだった男の子、親友になるはずだった女の子。私の大切な、あらゆる人たちのために。

 ひこうき雲になるにはまだ早い。もう少し、私はここにとどまっているべきなのだ。




END






このお話は、荒井由実『ひこうき雲』の歌詞をモチーフにしたフィクションです。実在の人物・団体・事件などには一切関係ありません。


  ひこうき雲 by Yumi Arai    作詞・作曲 : 荒井 由実 
ひこうき雲

Super Best Of Yumi Arai
1973年11月に発売されたユーミンの記念すべきデビューアルバム『ひこうき雲』のタイトル曲。早すぎる死を迎えた友人に対する共感と羨望を歌ったと言われるこの曲は、女の子らしい「別世界への憧れ」に満ちています。これほど無邪気に死に対する憧れを歌うことができたのは、世の中が上り調子で、死というものが遠い時代だったからなのでしょう。ある意味、幸せな時代の幸せな歌とも感じられます。
今の時代、私たちにとって死はもう少しリアルなもの。生き辛さは増し、自殺者も後を絶ちません。そんな時代だからこそ、「生きてさえいれば、きっといいことはある」というシンプルなメッセージを、この歌を借りて伝えることができればと思いました。「空に憧れて、空に消えていった」女の子のその後、遺された者たちのその後に思いを馳せながら、読んでいただければと思います。




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