Baby


妊娠まで


子供が欲しいな〜と思い始めたのは、結婚して1年くらい経った頃でした。
そこで、子授け祈願のお参りに行ったり、産婦人科でタイミング指導をして
もらったりして数ヶ月が経過。
突然「来月(6月)、ディズニーリゾートへ行こう!」と思い立ちました。
実は、秋には退職することが決まっていた私。
TDRにはそれから行くつもりにしていました。
けれど、無性に「6月に行こう!」という気分になったのです。
そうして6月末にTDRへ。
この時、何だか体が熱っぽくて、だるかったことを覚えています。
「もしや妊娠?」という期待もありましたが、日頃から頻繁に体調を崩して
いたこともあり(それで退職することにした)、半信半疑の気分でした。




2003年7月 妊娠発覚(2ヶ月)

TDRから帰ってきて、すぐのこと。
生理予定日から3日が過ぎて、早々と妊娠検査薬を試してしまいました。
使用説明書には「予定日1週間後から」と書いてあったけれど、待ちきれなくて。
結果は、すぐにくっきりと陽性が。
「やっぱり」という思いと、信じられない思いが混じった不思議な気分でした。
すぐに夫に報告すると、口では「うわぁい」と言っていたものの、私以上に実感が
なさそうでした。
早々と病院へ行って、確認できなかったら不安だしな〜と思い、受診は1週間後
くらいにしようと考えた私。
結局、翌日の会社帰りに衝動的に産婦人科へ立ち寄ってしまいました(^_^;)
この時点で5週と1日。エコーで小さな袋が確認されました。
帰りに夫と、夫の実家へ行って義両親に報告。
早すぎるかな〜と思ったけれど、夫も「まぁ、いいんちゃう」と言うし、言いたかったし。
喜んでくれるだろうとは思っていたものの、義母は喜びのあまり泣くほどでした。
とっても嬉しかったけれど、ずしっ!とプレッシャーを感じた瞬間。
「何があっても、お腹のこの子を無事に産まなくては!」と責任を感じました。
何かあったら、私たちだけではなく、義母もすごく悲しませることになると思い
嫁として、そんな事は避けたいなぁと思いました。
ちなみに私の母への報告。
私が、生理が3日遅れた時点で、電話で「妊娠してるかも!!?」と大騒ぎして
「3日くらいじゃ、まだ分からないよ〜」と、落ち着くようにたしなめられていたため
実際に妊娠していたと言っても、「あら、やっぱり?」という感じで、驚きや感激はなかった
ようです^^; でも、電話で「おめでとう。良かったね」と言ってくれました。




2003年8月 悪阻で早期退職(3ヶ月)

妊娠が分かって1週間も経たないうちに、悪阻の始まり。
やたらとげっぷが出始め、その後ずっと乗り物酔いしているような感じに。
当時、私は電車で1時間半くらいの距離を通勤していたのですが、
満員電車で立って行くのは辛く、快速を止めて各駅停車で通い始めたところ
通勤時間は2時間半になりました。座ってはいるものの、つらかったなぁ・・・。
妊娠6週から悪阻で会社を休みがちになり、お腹の調子も悪くなったり
(妊娠中は便秘や下痢になることがあるらしい)、なぜか突然歩けなくなったり。
退職は秋のつもりでしたが、8月末に早めてもらうことにしました。
バタバタと辞めることになり、引継ぎをしようにも私は休みがち。
私の仕事を引き継ぐことになった方や上司は不安だったろうなぁ・・・。
今思い出しても、心苦しい思い出です。
歩けなくなった時に実家に帰省したのをきっかけに、その後もちょくちょく実家へ戻り
最後の方は実家から通っていました。(実家だと、1時間半で通勤できたし・・・。)
悪阻の時って、母の料理が一番食べやすかったです。慣れ親しんだ味だからかな。
夫、義母、母、職場の方、と周りに迷惑をかけまくった妊娠生活でした( -_-)
妊婦って、もっとバラ色の生活かと思ってたんだけど・・・。
この時期は、どんよりと鬱陶しい顔で寝込んでいた記憶しかありません。
お腹の赤ちゃんは順調で、7週で心拍が確認でき、8週5日で母子手帳をもらうよう
言われました。予定日は2004年3月3日。
悪阻でつらい時期、エコーで赤ちゃんを見るのが一番の楽しみでした。
12週5日で、手を動かしているのが見えました。
すごく感激したのも束の間、お医者さんから「風疹の抗体値が高い」と言われました。
それがどういうことなのかよく分からなかった私。
妊娠初期に風疹に感染した場合、赤ちゃんの心臓に障害が出てしまうため
中絶を勧めているとのこと。
他にも色々お話があったように思うけれど、頭が真っ白になりよく覚えていません。
詳しい再検査が必要だけれど、その病院は会社の近くだったため8月末で転院することに
なっており、次の病院で調べてもらうよう言われました。
結果は大丈夫だったけれど分かるまでの間、気が気じゃありませんでした。




2003年9月 専業主婦に(4ヶ月)

退職してから半月くらい、しつこく悪阻で吐いたりしていたものの、のんびりと暮らしていました。
専業主婦なのに、家事も超手抜き。というのも、夫から
・お風呂掃除
・台所で、棚の上の物を取ること(踏み台に上ること)
・拭き掃除
・洗濯物干し(洗濯かごを持って階段を上ること)
・掃除機の使用
を禁止されていたからです。今思うと、何って過保護な!(笑)
重い物(掃除機ってそんなに重いか?)を持つな、無事に子供を産むことだけに専念してくれと
甘やかされていました。
この頃立ちくらみがひどかったので、夫としては心配だったのでしょうが・・・。
台所の収納を変えようと、踏み台に上ったことがばれて叱られました。
風呂掃除をしたら、お腹がカチカチになって痛み、しばらく横になる羽目になり
「頼むから、次からお湯だけ抜いて洗わずにおいといて」とお願いされる始末。
そういうわけで、料理以外ほとんど夫任せな生活でした。
料理は頑張って、ほとんど毎日夫のお弁当を作っていました。
この時期に感激したこと。悪阻で吐く私のために、夫がトイレ掃除をしてくれたのです。
「トイレが綺麗な方が、ロッテンも気持ち良く吐けるでしょ」と。
気持ち良く吐くってどんなの〜( ̄〜 ̄;)??と思いつつも、夫の優しさに感激しました。

赤ちゃんは、約10cmで100gくらい(携帯電話くらい)の大きさに。
だいぶ人間らしい形になって、足をバタバタさせていました。
妊娠4ヶ月に入り、エコーがお腹の上からになったため、夫も一緒に診察室へ入るように。
あまり感情を表に出さない夫ですが、それなりに感動した様子。
私のお腹に向かって話しかけることが増えました。
まだ赤ちゃんの聴覚はできていないから、多分聞こえてないんだけど・・・(^-^;
お腹に耳をあてて「お!チャプチャプいってる!羊水の音か!?」・・・って
それは多分、私の腸の音ですわ・・・。




2003年10月 安定期(5ヶ月)

安定期に入り、悪阻も治まってようやく「楽しいマタニティライフ♪」の幕開け。
病院でやっているマタニティビクスに通い始めたのが、この頃でした。
マタニティビクス自体は、体を動かしてとても気持ち良かったのですが。
人見知りで初対面に弱い私は、なかなか他の妊婦さんとおしゃべりすることができず、
参加しても誰とも話さずに帰ることがしばしば。
「今日も、誰とも話せなかった・・・」とため息をつきながら、とぼとぼと帰っていたのも
今となっては懐かしい思い出です。
(臨月間近になると、予定日が近いママ友がいっぱいでき、現在もお付き合いが続いています。)

食欲が復活し、悪阻で4キロ近く減った体重が増え始めました。
夫と飲茶の食べ放題のランチへ行ってから、健診へ行ったら(←なんて無謀な)
お医者さんと看護師さんの両方から「体重増加に気をつけてね」と注意( ̄▽ ̄)。
体重増加スタンプを母子手帳に押されることは、ぎりぎり免れました。
この時点で、妊娠前から比べてマイナス1キロ。
先輩ママに話したところ、「健診の前に食べ放題は、ちょっと大胆すぎ」と言われました。
それから食事管理に気をつけて、翌月の健診までに1キロ減らしました(^∇^)

10月半ばには、夫と二人で旅行へ。
あまり体に負担がかからないよう、行き先は近場で淡路島にしました。
私が一番好きな誕生花のコスモスをいっぱい見たくて、選んだのが
「淡路ファームパーク イングランドの丘」「あわじ花さじき」「あわじ夢舞台」(花博跡地)
それから「奇跡の星の植物館」。
花さじきには一面のコスモス畑が広がっていて、とても綺麗でした。



赤ちゃんは約20cmで、頭の直径が4.5cmくらいの大きさ。
ずっと性別が分かるのを楽しみにしていたけれど、夫と相談してやっぱり聞かないことにしました。
生まれてからのお楽しみ♪ということに。この頃になると、性別はどちらでも良い気分でした。




2003年11月 お菓子作りにはまる(6ヶ月)

無性に甘いものが食べたくなったこの時期。お菓子作りにはまりました。
砂糖をレシピの半分くらいにしたり、一回あたりに作る量もなるべく減らしていたので
出来栄えは良くありませんでしたが、甘くてケーキなら何でも良くて喜んで食べていました。

この頃の外食にかける情熱はすごかったです。
いつ、どこに、何を食べに行くか、真剣に計画を立てていました。
計画した外食以外は、家で栄養バランスとカロリーを考えた食事作りに励んでいました。
暇さえあれば料理本や料理サイトを見て、とにかく「食べる」ことに情熱を注いでいる私に
夫は「何か、意識が違う方向にいってるよね・・・」と(笑)
そう言えば、ベビー用品や出産関係の本、たまごくらぶなんかは、全然見ていませんでした。

それでも、市でやっている妊婦教室やマタニティビクスなどへ通ったり、お腹の赤ちゃん用に
アフガンを手作りしたりと、それなりに妊婦らしく楽しいマタニティライフを送っていました。

6ヶ月健診の時、病院で4Dエコー撮影をしてくれました。
が、赤ちゃんはずっと片手を顔の前にかざしていて、顔が半分しか見えず・・・^^;
お医者さんが「手、どけて〜」と言いながらお腹を叩くと、元気良く蹴り返してくるものの
頑として手はどけてくれませんでした。
「ま、生まれる前から、子供は大人の思い通りにはならんっちゅうことやな」とお医者さん。
それに対して夫は「いや〜聞き分けが悪くてお恥ずかしい」とか言いながらも
嬉しそうにモニターをにやにやと見ていました。・・・親ばか。
この頃、ようやく夫にも胎動が分かるようになり、喜んでいました。




2003年12月  食パン作り(7〜8ヶ月)

ホームベーカリーでの食パン作りにはまったのがこの頃。
レーズン&くるみ、人参、全粒粉、オニオン&チーズ、きな粉・・・と入れる具を色々と変えては
食パンを焼いていました。
レシピがたくさん紹介されているサイトのパンは、美味しそうだけれどカロリーも高そうで。
食欲と体重管理の狭間で揺れる妊婦は辛かったです。


7ヶ月健診では、赤ちゃんの推定体重は980g。
胎動がますます活発になってきて楽しんでいました。

12月半ばの8ヶ月健診では、赤ちゃんの推定体重は1200g。
この健診の時に、お医者さんから「性別はもう聞いてますか?」と言われました。
そのあっさりとした言い方に、夫も私もとっさに「男の子なんだな」と思い込みました(笑)。
性別は生まれるまで聞かないことにしていたので、お医者さんにはたずねませんでしたが
二人で「多分男だね〜」と言っていました。

この時期、夫が私のお腹に耳をあてると「ボチャボチャ」という音が聞こえることが分かりました。
羊水の音??
私の腸の音じゃないの〜?と言ったんですが、どうやらこれまでとは違うらしい。
私は自分ではお腹の音を聞けないので、悔しかった覚えがあります。




2004年1月  出産の準備開始(9ヶ月)

ベビー用品を買ったり、入院の荷物を準備し始めたのがこの頃でした。
母&祖母曰く、普通は8ヶ月に入ったら準備しておくものだそうで「何てのんきな!」と
叱られながら、一緒に買い物に行ったりしました。
また、先に出産した友人たちから、色々な物を譲ってもらったり貸してもらったりして
ぐっと現実味が増してきました。

33週の健診では、赤ちゃんの推定体重は2161g、35週時には2300gでした。
この頃になると、赤ちゃんが大きくなって、顔が子宮の壁にくっついているため4Dは撮影できず。
結局、一度も綺麗に撮れなかったな〜。
性別よりも、どんな顔をしているかの方が、生まれてからのお楽しみでした。

この時期、夜中には胎動が激しすぎて熟睡できず、毎日のように昼寝を2時間程していました。
あとは夫のひざ掛けや赤ちゃんのベストを作ったり。
寒さと風邪の流行のため、あまり外出せずに家でのんびりと過ごしていました。
私があまりにごろごろとしているため、母から「難産になるよ」と心配され、
1月後半にはしばらく休んでいたマタニティビクスを再開しました。




2004年2月  いよいよ臨月(10ヶ月)

2月4日。いよいよ妊娠10ヶ月に。これから健診が週1回になりました。
この日はNSTで赤ちゃんの心拍数を確認。
推定体重は2400gで、子宮口はまだ開いていないとのこと。

毎日そわそわと陣痛を待ちながら、パン作りに励んだり、夫と映画へ行ったり、梅見に行ったりと
今思えば活動的によく遊んでいました。
産院でやっているマタニティビクスやマタニティウォーキングにも積極的に参加し、
予定日が近い友達が増えたのもこの時期です。
「同じ頃出産して、一緒に入院できるといいね」
「陣痛が来たら連絡してね」
と不思議な連帯感を味わいながら、携帯電話のメールアドレスを交換しました。

37週。赤ちゃんの推定体重は2770g。少し下がってきていて、子宮口も少し開いているとのこと。

38週。赤ちゃんの推定体重は2700g。子宮口の開き具合は依然として「少し開いている」とのこと。
この「少し」って一体どのくらいよ??と思い、助産師さんに尋ねたところ「小指の半分くらい」とのこと。
1cmにも満たない程度か・・・とちょっとがっかり。

39週3日。赤ちゃんの推定体重は2900g。腹囲が4cm減っていました。
これは、赤ちゃんが下がってきて骨盤に収まってきたということらしく、体が軽くなった感じがしました。
胎動も少し鈍くなったようで、「いよいよ!?」と一気に緊張が高まりました。

39週5日。夜寝る前、「おしるし」を発見。少量の出血だったため朝まで様子を見ることに。
そのまま陣痛が来ることを期待するものの、陣痛はやってこず。

39週6日。朝になっても出血が少しずつ続いているため、病院へ電話して診察を受けることに。
子宮の開き具合は変化なし。
おしるしがあったら2〜3日で生まれるものと思っていたのですが
「そのまま1週間以上生まれない人もいるよ」と言われて、がっくり。
それでも晩には、これまでと違う鈍い生理痛のような痛みがあり、「これは前駆陣痛??」と期待。
この頃は毎晩「いよいよ陣痛が来るか!?」と緊張していたため、睡眠が短くて熟睡できない日が
続いていました。
何となく、陣痛は夜中に来るものと思いこんでいて、朝になると夫と二人で
「夕べも来なかったねぇ・・・」と肩を落としていました。

40週0日。いよいよ予定日。けれど何ともないままマタニティビクスへ。
友人たちには「今日、予定日でしょ?何でここにいるの〜!?」と驚かれました。
この日の夜中、目が覚めると隣に夫がいません。
彼は「おしるしも前駆陣痛もあった。しかも今日は予定日。きっと今夜こそ陣痛が来る!」と思い
ずっと起きて「その時」を待っていたのでした^^;
私に「来たら起こすから〜。今からそんな事してたら、身が持たないよ」と促されて、布団に入りました。
夫も緊張してるんだなぁと思った出来事です。
そうして翌日。
夫があまり寝ていないため、今夜はゆっくり寝かせてあげたいなぁと思ったタイミングで、
陣痛はやって来たのです(爆)。




2004年3月  出産!!

40週1日。時々お腹が痛いなぁと思いながら一日過ごしました。
夜23時頃も痛かったのですが、夫にはとりあえず黙っていました。
前日ほとんど寝ていない彼は、疲れた様子で「今日は早く寝るわ・・・」と早めに布団へ。
私も24時前には就寝することにしました。

40週2日。夜0時から陣痛がやって来ました。
と言っても、最初は「何か張ってるけど・・・コレって陣痛?あんまり痛くないなぁ??」と思う程度。
時間を見ていると、きっちり10分間隔でした。
「10分間隔になったら病院へ電話って言われたけど、そんなに痛くないし。
気のせいかもしれないから、とりあえず眠ってみよう。」
と思った次の瞬間、それまでよりは強めの痛みが。
「ほらほら、気のせいじゃぁないよ〜」と教えてくれているかのようでした。

「たとえ夜中でもいいから、陣痛来たらメールちょうだい!!」と言われていた友人2名にメールを送信。
すると1人から、すぐに電話がかかってきました。
私より半年早く出産した彼女に、「私も最初はあまり痛くなかったよ。とりあえず電話したら?」と言われて
1時過ぎに病院へ電話し、助産師さんと相談して、5分間隔になるまでは家にいることに。
2時に夫を起こして準備をしてもらい、3時頃に病院へ到着。
診察を受けると、子宮口は3cm開いているとのこと。
「お〜。いよいよ始まるのね〜!」と、わくわくした気分でした。

LDR室の向かいにある部屋で横になり、夫に付き添ってもらってのんびりと過ごしました。
陣痛がやって来た瞬間は辛くて腹式呼吸に専念していましたが、陣痛と陣痛の間は割と平気で
夫と普通に会話。
「義母に電話をかけて、こういう風に伝えて」とか「私の母には何時に電話して」など指示を出しまくり。
「ちゃんとこういう風に言ってよ」と偉そうな私の態度に、「まだまだ余裕そうだね」と夫は苦笑い。
それでも6時頃には子宮口が6cm開き、LDR室へ移動することに。
助産師さんから
「この時点で、痛さのあまり叫ぶ人もいるくらいなんですよ〜。ロッテンさん、我慢強いですよ」
と言われ、夫は「ロッテンって、意外と頑張り屋さんなんだな」と思った様子。
夫の目に私に対する尊敬の念を感じて、ちょっと気分が良かったです(笑)。
上述の助産師さんの台詞は、私を気遣って夫に大げさに言ってくれたものだと思っていましたが
その後の話では、どうも私は本当に痛みに強い(というか痛みを感じにくい)タイプだったみたい。
「旦那さんにお尻を押してもらったり、腰をさすってもらったりしてね」と言われましたが
何となく夫にお尻を押してもらうのが恥ずかしく、陣痛が来たら自分で肛門を押さえていました。
夫には陣痛の間隔を測ってもらったり、飲み物を飲ませてもらったり。
彼は「僕は何もしていなかった」と後で言っていましたが、横にいてくれるだけで心強かったです。

7時過ぎの内診で、「赤ちゃんが横向きになっちゃっているから、お母さん横向きに寝て下さい」との指示が。
そうすると、陣痛の辛さが突然レベルアップ!
さすがに痛みを逃すのが辛くなってきた頃、私の母が病院へ到着。
(この時、夫は退室していました。トイレか電話にでも行っていたと思います。)
「付き添っていようか?」と言ってくれたのですが、その時の私は、夫以外の人は受け付けなくなっていました。
夫には陣痛で辛い表情も見せることができたのですが、他の人にはなるべく平静を装おうとしてしまうのです。
助産師さん相手ですら、痛がってるのを見せないようにしてしまった私。
まして、自分の母に苦しんでいるところは見せられないと思いました。
で、その時の私には、言葉を選ぶ余裕もなく
「いい。○○さん(←夫の名)と二人の方が落ち着くから」
と、ものすごくストレートな言い方で断ってしまいました。
さらに、そこに陣痛がやって来たもので、思わず「出てて!」と叫んでしまいました。
母は慌てて逃げるように、部屋から出て行きました。
陣痛の波が去った後は、母に対する態度に後悔しまくり。
戻ってきた夫に事情を話し、「母を傷つけちゃったよ〜」とうろたえたり、落ち込んだりしていました。
多分、こんな風に気を散らせたのがまずかったと思うのですが。
その後から、微弱陣痛になってしまいました。

8時の時点で、確か陣痛は3分間隔。子宮口の開きは7〜8cmくらいだったと思います。
突然、痛みが弱くなりました。
そして、陣痛の間隔がどんどんと広がっていき、その間私は眠るようになりました。
「あれ〜?何かやたら眠いなぁ?しかもあまり痛くない・・・」
と思いながら、うとうと。
横にいた夫は、私がどんどんと無表情になり、眠りこける様子が怖かったそうです。
お医者さんが部屋に入ってこられたのが、9時頃。
微弱陣痛になっていると言われました。
「多分、お産が近づいて緊張して、ここ数日はあまり眠れていなかったんやろなぁ」
「このままだと、お母さんもどんどん疲れてくるし、そろそろ赤ちゃんに会いたいやろ」
「このまま1時間お母さんに眠って休息を取ってもらって、それで陣痛が復活するなら良し、
あかんようなら促進剤を使おうな」
と、言われました。
薬を使う!?と、その時の私は大ショック。(今から思えば、別にこだわる必要もないと思いますが。)
自力で赤ちゃんを産んであげられないなんて・・・と悲しくなりました。
廊下で待機してくれていた母と義母にも、薬を使うかもしれないと報告。
母は、私の悲愴な表情にとっさに「手術になったのか!?」と思ったらしく、「薬を使うかも」と言うと
「はぁ!?何をたいそうに。さっさと使ってもらって、赤ちゃん出してもらったらいいやん」と言われました。
義母は「薬を使って、赤ちゃんは大丈夫なの?」と少し心配そうな様子でした。

それから夫と二人きりで過ごすこと約1時間。陣痛が再び強くなってきました。
さっきまでとは比べ物にならないくらい。
あまりの痛さに、腹式呼吸どころではなく、思わずうずくまってしまう。
「破水したかも」と助産師さんを呼んだところ、破水はしておらず、子宮口もまだ全開にはなっていないとのこと。
もだえながら耐えること1時間。時刻は11時。
ようやく、子宮口が全開になりました。いよいよ分娩開始です。

(実は、うちの夫は、立会い出産を希望していませんでした。
私も、あまり見て欲しくないと思っていました。
マタニティビクスの時に、助産師さんから
「分娩は見せずに、それまでの間は付き添ってもらったら?
陣痛の時だけでも旦那さんにみてもらったら、その後の育児の協力度が違うよ」
と言われ、出産希望書にも「陣痛の間は付き添い。分娩に入ったら部屋から出てもらって下さい」と
書いていたんです。
分娩になる時が分かるのか心配になり、あらかじめ助産師さんから
「分娩が始まる時には、上のライトを移動させて、スタッフが器具の用意を始めます」
と聞いていました。)

助産師さんが分娩の準備を始めた途端、私が夫に向かって「出て行って!」と叫んだそうです。
(私はこのへん、記憶にありません。夫は私のきつい口調にショックを受けたそう。)
「はいぃっ」と慌てて出て行く夫に、助産師さんが「え!?いいんですか!?」と驚いていたらしい。
(出産計画書に書いておいたのに・・・読まれていなかったのね(-.-;))
それまでの助産師さんと、もう一人介添えの方も加わりました。
陣痛が来た時に息を吐きながらいきむよう言われ、マタニティビクスでもトレーニングしていたので
理屈は分かっていたのです。
頭では分かっていたのですが、とにかく痛い。
いきむ根性が出てこない。
陣痛の波が去る時は早々と脱力してしまい、「波が去る時まで、最後のひと踏ん張りして」と言われました。
そして、助産師さんから
「もうすぐ赤ちゃんが出てきたら、お母さんのおっぱいをあげるんです。(←初乳というもの)
だから、おっぱいが出るように、陣痛が来ていない時はおっぱいマッサージをして下さい」
と言われました。助産師さんにも、マッサージされました。
お産の時って、こんなことするの?と驚きました。
(後で分かったのですが、私は陣痛が弱かったため陣痛促進の目的で行ったそうです。
普通は、分娩しながらのおっぱいマッサージはしていません^^;)
何度かいきみましたが、一向に赤ちゃんは出てきません。
助産師さんに、何度も「まだですか?」と聞いてしまいました。
「だいぶ出てきたよ。今、卵くらい」
卵って・・・まだまだやん・・・と、力が萎えてきました。
そうこうしているうちに、完全に根性がなくなって
『もうやだ・・・なんでこんな辛い思いしているの・・・』
と心の中で泣きが入ったその時。
腹式呼吸でいきめなくなり、かわりに「ひっく。ひっく。」としゃくりあげる感じになってしまいました。
「しっかり息して!」と助産師さんに叱られるも、「もうやだ。誰か何とかして」と心の中ですっかり他力本願。
陣痛が来たら、助産師さんがお腹を押すようになりました。
その陣痛もすっかり弱くなっているらしく、助産師さんが二人がかりで足首と胸を必死でマッサージ。
お医者さんと助産師さんの3人が、ぼそぼそと何やら相談しているな〜と思ったら。
「あと3回いきんだら、赤ちゃんに会えるからね」
と突然、具体的な数字があげられました。
その後会陰切開が行われ、お医者さんがお腹を押すように。
お医者さんが横に立たれた時に
「これからちょっとお手伝いさせてもらうわな。でも、お母さん自身の頑張る力が一番強いと思うわ」
と言われました。
そうしてお医者さんにお腹を押してもらいながら、いきむこと数回。(3回じゃなかったぞ!)
ふと時計を見ると、時刻は13時でした。
・・・分娩が始まってから、もう2時間も経ってる・・・
と不安になった瞬間、考えるより先に口が動いていました。
「赤ちゃんは、大丈夫ですか?」
私の突然の問いかけに、お医者さんは
「え?赤ちゃん?うん、赤ちゃんは元気よ〜」
のんびりとした口調に、ほっとしたのを覚えています。
赤ちゃんを意識したことで、最後のパワーが出たのか?
それから5分後、ようやく赤ちゃんが誕生しました。
私の胸の上に置かれた、温かい重み。
「ありがとうね・・・」と言ったら、涙が出てきました。
それから、ふと湧いた疑問。
「あの・・・性別はどっちなんですか?」
助産師さんに
「あら!聞いてなかったの?はい、女の子ですよ〜♪」
と言われました。
てっきり男の子だと思い込んでいたのでびっくりしましたが、すごく嬉しくなりました。
多分、どちらでも嬉しかったんだろうなぁ。

すぐに廊下にいた夫が呼ばれて、私の横に。
夫の顔を見たら、また涙がどっと出てきました。
しんどかったよー。
痛かったよー。
辛かったよー。
嬉しいよー。
無事に生まれて良かったよぉー。
色んな思いが、ごちゃまぜになっていたように思います。
「お母さん、すごく頑張ったんだよ〜。自分がしんどい時も『赤ちゃん、大丈夫ですか?』って
赤ちゃんの心配してねぇ」
とお医者さん。
夫は何度も「ありがとう」「お疲れ様」と言ってくれました。
実はこの時、彼も涙ぐんでいたらしいのですが。
自分のことでいっぱいいっぱいだった私は気づかず。

「おっぱいをあげてみましょう」と言われて、そのまま授乳。
「結構吸う力が強いでしょ〜」と言う助産師さんの横で、夫は「ほんとだー」とニコニコ。
でも私の方は、その時会陰切開の傷を縫合されており、チクチクと刺される感触に
『いてっ!いててて・・・(TT)』と意識が下半身に集中していました。
それから、ふと廊下にいる母&義母のことを思い出しました。
「あの・・・母たちにも入ってもらいたいんですけど」と言ったところ、お医者さんから
「その格好でか?」とクールなツッコミが。
気づけば、授乳を終えたところで胸ははだけているし、縫合直後で下半身も晒したまま。
はっきり言って、分娩台の上ですっぽんぽんな状態!
うぎゃ!こんな姿、夫にも見せたくなかったよ〜(恥)
(ま、夫の視線は娘に釘付けで、私の格好には気づいていなかったようですが。)
それから助産師さんたちにパジャマを着せてもらったと思ったら、家族で写真撮影。
「お母さん、はいっ」と手渡されたのは、鏡とクシでした。
・・・も、いいです〜。疲れて身なりどころじゃありません・・・。
さっと前髪だけ梳かしました。
『頼む、寝かせて・・・』と思いながら、私が写真撮影に臨んでいたその頃。
夫が呼ばれたまま戻ってこないので、廊下では義母が、
「ロッテンちゃんか赤ちゃんに何かあったのか!?」と、心配していたそうです。

母と義母がLDR室へ入って来たのは、娘誕生から1時間近く経った後でした。
「ロッテンちゃん、お疲れ様。○○(←夫の名)を父親にしてくれてありがとう」
この時の義母の台詞は、今でも心に残っています。

夫は娘を抱いて「姫〜」と早くもメロメロ。
かと思えば、しんみりした口調で「この子も、やがては僕の手を離れていくんやなぁ・・・」
って、早いっ早すぎっ!
まだ数時間前に、この世に出てきたところですから!(笑)

生まれたての赤ちゃんって、くちゃくちゃで宇宙人みたいかと思っていましたが
実際は生まれてすぐから可愛くて可愛くて仕方なかったです。
無事に生まれてきてくれて、ありがとう。
これからよろしくね。

・・・END・・・



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