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桜の実の熟する時
島崎藤村 



 日蔭に成った坂に添うて、岸本捨吉は品川の停車場手前から高輪へ通う抜け道を上って行った。客を載せた一台の俥(くるま)が坂の下の方から同じように上って来る気勢(けはい)がした。石塊(いしころ)に触れる車輪の音をさせて。
 思わず捨吉は振返って見て、
「お繁さんじゃないか」
 と自分で自分に言った。
 一目見たばかりで直にそれが覚られた。過ぐる一年あまりの間、なるべく捨吉の方から遠ざかるようにし、逢わないことを望んでいた人だ。その人が俥で近づいた。避けよう避けようとしていたある瞬間が思いがけなくも遣って来たかのように。
 ある終局を待受けるにも等しい胸のわくわくする心地で、捨吉は徐々(そろそろ)と自分の方へ近づいて来る俥の音を聞いた。迫った岡はその辺で谷間のような地勢を成して、更に勾配の急な傾斜の方へと続いて行っている。丁度他に往来(ゆきき)の人も見えなかった。彼は古い桑の木なぞの手入れもされずに立っている路の片側を択(よ)って歩いた。出来ることなら、そこに自分を隠したいと願った。進めば進むほど道幅は狭く成っている。俥は否(いや)でも応でも彼の側を通る。彼は桑の木の方へ向いて、根元のあたりに生い茂った新しい草の緑を眺めるともなく眺めて、そこで俥の通過ぐるのを待った。曽(かつ)ては親しかった人の見るに任せながら、あだかも路傍の人のようにして立っていた。
 カタ、コトという音をさせて俥は徐(ゆる)やかに彼の背後を通過ぎて行った。
 まだ年の若い捨吉は曽て経験したことの無いような位置に立たせられたことを感じた。眺めていた路傍の草の色は妙に彼の眼に浸みた。最早彼は俥と自分との間にある可成な隔りを見ることが出来た。深く陥没(おちこ)んだ地勢に添うて折れ曲って行っている一筋の細い道が見える。片側の薮の根キ(ねき)に寄りながら鬱蒼とした樹木の下を動いて行く俥が見える。繁子は白い肩掛に身を包んで何事かを沈思するように唯俯向(うつむ)いたままで乗って行った。
 捨吉から見れば五つばかりも年上なこの若い婦人と彼との親しみは凡そ一年も続いたろうか。彼女の話し掛ける言葉や動作は何がなしに捨吉の心を誘った。旧い日本の習慣に無い青年男女の交際というものを教えたのも彼女だ。初めて女の手紙というものをくれたのも彼女だ。それらの温情、それらの親切は長いこと彼に続いて来た少年らしい頑固(かたくな)な無関心を撫で柔げた。夕方にでもなると彼の足はよくこの姉らしい人の許へ向いた。多くの朋輩(ほうばい)の学生と同じように、彼も霜降の制服のすこし緑色がかったのを着て、胸のあたりに金釦(きんボタン)を光らせながら、そよそよと吹いて来る心地の好い風の中を通って行った。星の光る空の下には、ある亜米利加人の女教師が住む建物がある。構内には繁子の監督している小さな寄宿舎がある。その寄宿舎の入口で、玄関で、時にはまだ年のいかない女生徒なぞを伴いながら出て来る繁子とさまざまな話しをして、わずかばかりの黄昏時を一緒に送るのを楽みとした。繁子は編物の好きな女で、自分の好みに成った手袋を造ってくれると言って、彼の前で長い毛糸の針を動して、話し話しそれを彼に編んで見せたことも有る。
 彼は再び繁子に近づくまいと心に誓っていた。仮令(たとえ)途中で擦れ違う機会が有ってもなるべく顔を合わせないようにして、もし遠くからでも見つけようものなら直に横町の方へ曲って了うようにしていた。この避けがたい、しかも偶然な邂逅(めぐりあい)は再び近づくまいと思う婦人に逢って了った。
 繁子を載せた俥は丁度勾配の急な坂にかかって、右へ廻り、左へ廻り、崖の間の細い道を僅かばかりずつ動いて上って行った。

 岡の上へ捨吉が出た頃は最早繁子の俥は見えなかった。その道は一方御殿山へ続き、一方は奥平の古い邸について迂回して高輪の通りへ続いている。その広い邸内を自由に通り抜けて行くことも出来る。捨吉は後の方の道を取った。
 思いがけなくも繁子に遇った時の心地は彼女が見えなくなった後まで捨吉の胸を騒がせた。彼女を載せた俥が無言のままで背後を通過ぎて行ったことは、顔を見合せるにも勝り、挨拶するにも勝って一層ヒヤリとさせるものを残した。彼女の身を包んでいた、多分自分で編んだ、あの初夏らしい白い肩掛は深く鮮やかに彼の眼に残った。
 葬り去りたい過去の記憶――出来る事なら、眼前の新緑が去年の古い朽葉を葬り隠す様に――それらのさまざまな記憶が堪らなくかれの胸に浮んだ。繁子のことにつれて、もう一人の婦人のことも連がって浮んで来た。丁度、繁子と同じ程の年配で、同じようにある学校で教えていた人だ。玉子というのがその人の名だ。玉子は繁子に無いものを補うような、何処か邪気(あどけ)ないところを有(も)つ人だった。彼はこの若い年長の婦人から自分の才能を褒められたことを思出した。「何卒、これから御手紙を寄して下さい」と言われたことを思出した。他に二人の婦人の連もあって、玉子と共に品川の海へ船を浮べた時のことを思出した。その帰途に玉子と一緒に二人乗の俥に載せられたことを思出した。その俥の上でこの御殿山の通路を夢のように揺られて行ったことを思出した。玉子は間もなく学校を辞めて神戸の方へ帰って行ったから、この婦人との親しみは半歳とは続かなかったが、神戸から一二度手紙を貰ったことを思出した。その手紙の中には高輪時代の楽しかったことを追想し、一緒に品川の海へ出て遊んだ時のことを追想して、女の人から初めて聞く甘い私語(ささやき)のような言葉の書いてあったことを思出した。
 何時の間にか捨吉は奥平の邸の内へ来ていた。その辺は勝手を知った彼がよく歩き廻りに来るところだ。道は平坦になって樹木の間をどこということなく歩かれる。黒ずんだ荒い幹肌の梅の樹が行く先に立ちはだかっている。うんと手に力を入れたような枝の上の方には細い枝が重なり合って、茂った葉蔭は暗いほど憂鬱だ。沢山開く口唇のような梅の花は早や青梅の実に変る頃だ。捨吉はこういう場所を彷徨(さまよ)うのが好きに成った。彼は樹の葉の青い香を嗅いで歩いた。
 浅い谷を隔てて向うの岡の上に浅見先生の新築した家が見えた。神田の私立学校で英語を授けてくれた浅見先生がこの郊外へ移り住んでいるということは捨吉に取っては奇遇の感があった。新築した家の出来ない前は先生は二本榎の方で、近くにある教会の牧師と、繁子達の職員として通っている学校の教頭とを兼ねていた。捨吉はしばらく二本榎の方の家に置いて貰った。そこから今の学窓へ通っていた。捨吉が初めて繁子を知ったのはその先生の家だ。玉子を彼に紹介したのも先生の奥さんだ。
「何時までも置いて進げたいと思うんですけど、家内はあの通り身体も弱し、御世話が届きかねると思いますからね――」
 それが先生の家を辞する時に、先生に言われた言葉だった。
「私がすることは少許も貴方の為に成らないッて、そう言って叱られましたよ――私が足りないからです」
 それが奥さんの言葉だった。
 捨吉から見れば浅見先生は父、奥さんは姉、それほど先生夫婦の年齢は違っていた。奥さんは繁子や玉子の友達と言いたいほどの若さで、その美貌は酷く先生の気に入っていた。一頃は先生も随分奥さんを派手にさして、どうかすると奥さんの頬には薄紅い人工の美しさが彩られていることも有った。亜米利加帰りの先生は洋服、奥さんも薄い色のスカアトを引いて、一緒に日暮方の町を散歩するところを捨吉も見かけたことが有る。新築した家の方へ落着いてから、先生の暮し方は大分地味なものと成って来た。彼は浅い谷の手前から繁茂した樹木の間を通して、向うに玻璃戸(ガラスど)のはまっている先生の清潔な書斎を、客間を、廊下を、隠れて見えない奥さんの部屋まで、それを記憶でありあり見ることが出来た。
「浅見先生の家へも、最早しばらく行かないナ」
 と捨吉は言って見た。
 この親しい家族の方へも彼の足は遠く成った。彼は先生の家の周囲を歩くというだけで満足して、やがて金目垣に囲われた平屋造りの建物の側面と勝手口の障子とを眺めて通った。

 学窓をさして捨吉は高輪の通りを帰って行った。繁子が監督している小さな寄宿舎のあるあたり、亜米利加の婦人の住む西洋風の建物を町の角に見て、広い平坦な道を歩いて行くと、幾匹かの牛を引いて通る男なぞに逢う。まだ新しい制服を着て、学校の徽章(きしょう)の着いた夏帽子を冠った下級の学生が連立って帰って行くのにも逢う。
 学校へ入った当座、一年半か二年ばかりの間、捨吉は実に浮々と楽しい月日を送った。血気壮んな人達の中へ来て見ると、誰もそう注意深く彼の行動を監督するものは無かった。まるで籠から飛出した小鳥のように好き勝手に振舞うことが出来た。高い枝からでも眺めたようにこの広々とした世界を眺めた時は、何事も自分の為(し)たいと思うことで為て出来ないことは無いように見えた。学窓には、東京ばかりでなく地方からの良家の子弟も多勢集(つど)って来ていて、互に学生らしい流行を競い合った。柔い黒羅紗(くろらしゃ)の外套の色沢(いろつや)、聞き惚れるような軟(しな)やかな編上げの靴の音なぞはいかに彼の好奇心をそそったろう。何時の間にか彼も良家の子弟の風俗を学んだ。彼は自分の好みによって造った軽い帽子を冠り、半ズボンを穿き、長い毛糸の靴下を見せ、輝いた顔付の青年等と連立って多勢娘達の集る文学会に招かれて行き、プログラムを開ける音がそこにもここにも耳に快く聞えるところに腰掛けて、若い女学生達の口唇から英語の暗誦や唱歌を聞いた時には、殆んど何もかも忘れていた。楽しい幸福は到るところに彼を待っているような気がした。彼は若い男や女の交際する場所、集会、教会の長老の家庭なぞに出入し、自分の心を仕合(しあわ)せにするような可憐な相手を探し求めた。物事は実に無造作に、自由に、すべて意のままに造られてあるように見えた。一足飛びに天へ飛び揚ろうと思えば、それも出来そうに見えた。あの爵位の高い、美しい未亡人に知られて、一躍政治の舞台に上った貧しいヂスレイリの生涯なぞは捨吉の空想を刺戟した。彼は自分でも行く行くは「エンジミオン」を書こうとさえ思った。
 儚(はかな)い夢はある同窓の学友の助言から破れて行った。彼は自分と繁子との間に立てられている浮名というもの初めて知った。あられもない浮名。何故というに、その時分の彼の考えでは少くとも基督教の信徒らしく振舞ったと信じていたからである。けれども彼は眼が覚めた。曽て彼を仕合せにしたことはドン底の方へ彼を突落した。一時彼が得意にして身に着けた服装なぞは自分で考えても堪(たま)らないほど厭味なものに成って来た。良家の子弟を模倣していた自分は孔雀の真似をする鴉(からす)だと思われて来た。彼が言ったこと、為たこと、考えたことは、すべて皆後悔の種と変った。
 学窓に近づけば近づくほど捨吉は種々(いろいろ)な知った顔に逢った。皆が馴染(なじみ)のパン屋から出て来る下級の生徒なぞがある。一頃教会の方で捨吉と一緒に青年会なぞを起して騒いだ連中が何となく青年の紳士らしい靴音をポクポクとさせて遣って来るのにも行き逢った。以前のようには捨吉の方で親しい言葉を掛けないので、先方も勝手の違ったように一寸(ちょっと)挨拶だけして、離れ離れに同じ道を取って行った。
 界隈の寺院では勤行の鐘が鳴り始めた。それを聞くと夕飯の時刻が近づいたことを思わせる。捨吉は学校の広い敷地について、亜米利加風な講堂の建物の裏手のところへ出た。樹木の多い小高い崖に臨んで百日紅(さるすべり)の枝なぞが垂下っている。その暗い葉蔭に立って独りで手真似をしながらしきりに英語演説の暗誦を試みている青年がある。捨吉よりはずっと年長の同級生であった。
 捨吉の姿を見ると、その同級生は百日紅の傍を離れて微笑みながら近づいた。そして、むんずと彼の腕を取った。
「岸本君――今日は土曜日でも家へ帰らないんですか」
 とその同級生が尋ねた。
「だって君、どうせもう暑中休暇になるんだもの」と捨吉は答えた。
「そうだね。もう直き暑中休暇が来るね」
 遠い地方から来ているこの同級生は郷里の方のことでも思出したように言った。
 賄(まかない)の食わせる晩食を味わおうとして、二人は連立って食堂の方へ行った。黙し勝な捨吉は多勢の青年の間に腰掛けて、あの繁子に図らず遭遇(でっくわ)したことを思出しつつ食った。
 捨吉が食堂を出た頃は、夕方の空気が岡の上を包んでいた。すべての情人を誘い出すようなこういう楽しい時が来ると、以前彼は静止(じっと)していられなかった。極く極く漠然とした眼移りのするような心地でもって、町へ行って娘達に逢うのを楽みにしたり、見知り越しなお嬢さんの家の門なぞに佇立(たたず)んだり、時には繁子の居る寄宿舎の方へ、あるいは彼女が教えに通う学校の窓の見える方まで行ったりして、訳もなしに彷徨い歩かずにはいられなかった。その夕方さえ消えた。
 捨吉は寄宿舎の方へ帰った。同室の学生は散歩にでも出掛けたかして、部屋には見えない。窓のところへ行って見ると、食事を済ました人々が思い思いの方角をさして広い運動場を過ぎつつある。英語の讃美歌の節を歌いながら庭を急ぐものがある。張り裂けるような大きな声を出して暗い樹蔭の方で叫ぶものがある。向うの講堂の前から敷地つづきの庭へかけて三棟並んだ西洋館はいずれも捨吉が教を受ける亜米利加人の教授達の住居だ。白いスカアトを涼しい風に吹かせながら庭を歩いている先生方の奥さんも見える。
 夕方の配達を済ました牛乳の空罐(あきかん)を提げながら庭を帰って行く同級生もあった。流行歌の一つでも歌って聞かせるような隠芸のあるものはこの苦学生より外に無かった。学校に文学会のあった時、捨吉は一緒に余興に飛出し、夢中に成って芝居をして騒いだことがある。夢から醒めたような道化役者は牛乳の罐を提げて通る座頭の姿を見るにも堪えなかった。
 誰が歌って通るのか、聞き慣れた英語の唱歌は直ぐ窓の下で起った。捨吉はその歌を聞くと、同じように調子を合せて口吟んで見て、やがて自分の机の方へ行った。
 白い肩掛はまだ眼にあった。彼はそれから引出されて来る譬えようの無い心地を紛らそうとして、部屋の隅に置いてある洋燈(ランプ)を持って来た。そして机の上を明るくして見た。彼はまたその燈火の点いた洋燈をかかげながら自分の愛読する書籍を取出しに行った。

 静かな日曜の朝が来た。寄宿舎に集った普通学部の青年で教会に籍を置くものは、それぞれ仕度して、各自の附属する会堂へと急いで行く。食堂に続いた一棟の建物の中に別に寄宿する神学生なども思い思いの方角をさして出掛けて行く。人々は一日の安息を得、霊魂の糧を得ようとして、その日曜を楽しく送ろうとした。
 浅見先生が牧師として働いている会堂は学校の近くにあった。そこに捨吉も教会員としての籍が置いてあった。その朝、彼はいくらか早めに時間を計って寄宿舎を出た。そんな風にして会堂で繁子に逢うことを避け避けしていた。若い娘達を引連れて彼女が町を通っている時刻は大凡(おおよそ)知れていた。谷を下りてまた坂に成った町を上ると、向うの突当たりのところに会堂の建物が見える。十字架の飾られた尖った屋根にポッと日の映じたのが見える。
 町の片隅には特別の世界を形造る二三の人が集って立話をしていた。いずれも会堂の方で見知った顔だ。思わず捨吉は立留って、それらの人の話に耳をとめた。
 長い髯を生した毛深い容貌の男が種々な手真似をした後で、こう言った。
「確かに奇蹟が行われました」
 その前に立った男は首を垂れて聞いていた。
「医者が第一そう言うんですからね」ともう一人の老人が話を引取って言った。老人は眼を輝かしていた。
「とてもあの娘は吾儕(われわれ)の力には及びませんでしたッて。医者がもう見放して了った病人ですぜ。それが貴方、家族の人達の非常な熱心な祈[祷](きとう)の力で助ったんですからね」
「確かに奇蹟が行われたのですよ。主が特別の恩恵(めぐみ)を垂れ給うたのですよ」
 長い髯の男は手にしていた古い皮表紙の手擦れた聖書を振って言った。
 その時、捨吉はこの人達の話で、洗礼を受けようとする一人の未信者の娘のあることを知った。その受洗(じゅせん)の儀式が会堂の方にあることをも知った。
 会堂の石垣に近く、水菓子屋の前の方から話し話し遣って来る二三の婦人の連があった。その中に捨吉は浅見先生の奥さんを見かけた。懐しそうにして彼は奥さんの方へ走り寄った。
「ちっとも御見えに成りませんね。岸本さんはどうなすったろうッて、御噂してますよ」
 相変らず無邪気な、人の好さそうな調子で、奥さんは捨吉に言った。
 会堂の内には次第に人々が集りつつあった。左右の入口から別れて入って来る男女の信者達はそこに置並べてある長い腰掛を択んで思い思いに着席した。捨吉と同じ学校の生徒でここへ来て教を聞こうとするものは可成ある。晴やかな顔付で連立って来て、ずっと前の方に着席するものも有る。説教壇の前のところに一人特別に腰掛けたはその日受洗する娘と知れた。
 執事が赤い小形の讃美歌集を彼方是方(あちこち)と配って歩いた。ここへ来て霊魂をあずけるかのごとき人達は一番前の方に首を垂れている娘の後姿を、その悔改(くいあらため)と受洗間際の感動とで震えているような髪を、霊によって救われたという肉を、あたかも一の黙示に接するかのようにして眺めていた。そして、その日行われる儀式によって日頃にまさる感激を待受けるかのように見えた。そういう中で、捨吉はある靴屋と並んで、皆の後の方に黙然と腰掛けた。
 浅見先生の姿が説教壇の上にあらわれた。式が始まるにつけて婦人席の中から風琴(オルガン)の前の方へ歩いて行ったのは繁子だ。捨吉は多勢腰掛けている人達の間を通して、彼女を見た。彼女が腰掛を引寄せる音や鍵台の蓋を開ける音や讃美歌の楽譜を操る音はよく聞えた。捨吉はその風琴の前に、以前の自分を見つけるような気がした――勿忘草(わすれなぐさ)の花を画いて、それに学び覚えた英詩の一節なぞを書添えて彼女に贈った自分を。
 捨吉と並んだ靴屋はこの教会の草分の信徒で、手に持った讃美歌集を彼の方へ見せて、一緒に歌えという意味を通わせた。捨吉は器械のように立ったり、腰掛けたりした。
 丁度洗礼を受けようとする娘が長老に助けられて、浅見先生の前で信徒として守るべき箇条を読み聞かせられている。先生が読み聞かせる度に、娘は点頭(うなづ)いて見せる。それを眺めると、学校の他の青年と四人ほど並んで一緒に洗礼を受けた時のことが夢のように捨吉の胸に浮んだ。矢張、先生の司会で、繁子の音楽で、信徒一同の歌で、この同じ会堂で。あの時分のことを思うと青年会だ親睦会だ降誕祭だと言って半分夢中で騒いだ捨吉の心は何処へか行って了った。会堂風に造られた正面のアーチも、天井も、窓も同じようにある。十字架形の飾りを施した説教台も、その上に載せた大きな金縁の聖書も同じようにある。しかし捨吉の眼に映るものは、すべて空虚(うつろ)のように成って了った。曽て彼の精神を高め、華やかにしたと思われることは幻のように消えた。凱歌(がいか)を奏するような信徒一同の賛美が復た始まった。

 「ハレルヤ、ハレルヤ――」

 病から回復すると同時に受洗の志を起したという可憐な小羊を加えたことは、一同の合唱に一層気勢を添えるように聞えた。

 「ハレルヤ、ハレルヤ
   ハレルヤ――アーメン」

 浅見先生の説教、祈[祷]なぞが有って、やがて男女の会衆が散じかける頃には、捨吉は逸(いち)早く靴屋の側を離れ、皆(みん)なの中を通り抜けて、会堂の出入口にある石の階段を下りた。

  安息の無い、悩ましい、沈んだ心地で、捨吉は寄宿舎の部屋の方へ引返した。各(おのおの)の部屋は自修室と寝室との二間に分れている。寝室の壁によせて畳の敷いた寝台が作りつけてある。そこへ彼は身を投げるようにして、寝台へ顔を押宛てて祈った。
 第三学年も終に近い頃であった。翌朝教室の方へ集って見ると、その学年の終にある英語の競争演説の噂がしきりとされている。下級の学生の羨望の中で、教授達の家庭へ一同招待された夜の楽しさなぞが繰返される。捨吉が同級の中には随分年齢の違った生徒が混っていた。「お父(とっ)さん」と言われるような老成な人まで学びに来ていた。
 エリス教授が教室の戸を開けて入って来た。教授の受持は主にエロキュウションなぞで有った。
「Now,Gentlemen――」
 とエリス教授は至極鄭重(ていちょう)な慇懃(いんぎん)な調子で、一切亜米利加式に生徒を紳士扱いにするのが癖だ。
「Mr.Kishimoto」
 と教授は人の好さそうな腮(あご)を捨吉の方へ向けて、何か彼からも満足な答を得ようとした。
「前にはよく答えたではないか、どうしてそう黙り込んで了ったのだ」と先生の眼が尋ねるように見えた。一度捨吉は眼に見えない梯子(はしご)から落ちて、毎朝の礼拝にも、文学会にも、他の同窓の人達が我勝に名誉の賞金を得ようとして意気込んでいる華やかな競争演説にまで、ほとほと興味を失って了った。彼は同級の中でも最も年少なものの一人ではあったが、入学して二年ばかりの間は級(クラス)の主席を占めていた。一時は彼は多くの教授の愛を身に集めた。殊(こと)に亜米利加から新規に赴任して来たばかりの少壮な教授なぞは、真面(まとも)に彼の方を見て講義を続けたり、時間中に何度となく彼の名を呼んで質問に答えさせたりした。この目上の人の愛は、すべての人から好く思われ、すべての人から愛されたいと思った彼の心を満足させたのである。それらの日課を励む心すら何処へか失われて了った。彼はエリス教授を満足させるほどの果敢々々しい答もしなかった。
 多くの日課はこの通りだった。彼は唯自分の好める学科にのみ心を傾け、同級の中でも僅かの人にしか口を利かないほどの黙し勝にのみ時を送った。
 眼に見えない混雑は捨吉の行く先にあった。午後に彼は以前の卒業生の植えた記念樹あたりへ出た。ふとその樹の側を通る青年がある。上州の方から来ている良家の子息で、級は下だが、捨吉と一緒に教会で洗礼を受けた仲間だ。一時はよく一緒に遊んだ生徒だ。揃いの半ズボンで写真まで取ったこともある。
 その生徒は捨吉の顔を覗き込むようにして、
「白ばっくれるない」
 という声を浴せかけて通った。
 その足で、捨吉は講堂の前から緩慢(なだらか)な岡に添うて学校の表門の方へ出、門番の家の側を曲り、桜の樹のかげから学校の敷地について裏手の谷間の方へ坂道を下りて行った。一面の薮で、樹木の間から朽ちかかった家の屋根なぞが見える。勝手を知った捨吉は更に深い竹薮について分れた細身を下りて行った。竹薮の尽きたところで坂も尽きている。彼はよくその辺を歩き廻り、林の間に囀る小鳥を聞き、奥底の知れない方へ流れ落ちて行く谷川の幽(かす)かなささやきに耳を澄ましたりして、時には御殿山の裏手の方へ、ずっと遠く目黒の方まで独りで歩きに出掛けたことがある。四辺(あたり)には人も見えなかった。誰の遠慮も無いこの谷間で彼は堪らなく圧迫(おしつ)けられるような切ない心を紛らわそうとした。沈黙した鬱屈した胸の苦痛をそこへ泄(もら)しに来た。張り裂けるような大きな声を出して叫ぶと、それが淋しい谷間の空気へ響き渡って行った。
 一羽の鳥が薄明るく日光の射し入った方から舞い出した。彼はそこに小高く持上った岡の裾のような地勢を見つけた。その小山へ馳け登って、青草を踏み散らしながら復たそこで力一ぱい大きな声を出して怒鳴った。


 夏期休暇が来て見ると、彼方へ飛び是方へ飛びしていた小鳥が木の枝へ戻って来たように、学窓で暮した月日のことが捨吉の胸に集って来た。その一夏をいかに送ろうかと思う心地に混って。彼はこれから帰って行こうとする家での方で、自分のために心配し、自分を待受けていてくれる恩人の家族――田辺の主人、細君、それから、お婆さんのことなぞを考えた。田辺の家に近く下宿住居する兄の民助のことをも考えた。それらの目上の人達からまだ子供のように思われている間に、彼の内部に萌した若い生命の芽は早筍のように頭を持上げて来た。自分を責めて、責めて、責め抜いた残酷たらしさ――沈黙を守ろうと思い立つように成った心の悶え――狂じみた真似――同窓の学友にすら話しもせずにあるその日まで心の戦いを自分の目上の人達がどうして知ろう、繁子や玉子のような基督教主義の学校を出た婦人があって青年男女の交際を結んだ時があったなぞとはどうして知ろうと想って見た。まだ世間見ずの捨吉には凡てが心に驚かれることばかりで有った。今々この世の中へ生れて来たかのような心持でもって、現に自分の仕えていることを考えて見ると、何時の間にか彼は目上の人達の知らない道を自分勝手に歩き出しているということに気が着いた。彼はその心地から言いあらわし難い恐怖を感じた。
 七月らしい夏の雨が寄宿舎の窓へ来た。荷物を片付けて寄宿舎を離れようとしていた青年等はいずれも遽に夕立の通過ぎるのを待った。
 明治もまだ若い二十年代であった。東京の市内には電車というものも無い頃であった。学校から田辺の家までは凡そ二里ばかりであるが、それ位の道を歩いて通うことは一書生の身に取って何でも無かった。よく捨吉は岡つづきの地勢に添うて古い寺や墓地の沢山にある三光町寄の谷間を迂回することもあり、あるいは高輪の通を真直に聖坂へと取って、それから遠く下町の方にある家を指して降りて行く。その日は伊皿子坂の下で乗合馬車を待つ積りで、昼飯を済ますと直ぐ寄宿舎を出掛けた。夕立揚句の道は午後の日に乾いて一層熱かった。けれでも最早暑中休暇だと思うと、何となく楽しい道を帰って行くような心持に成った。何かこう遠い先の方で自分等を待受けていてくれるものが有る。こういう翹望(ぎょうぼう)はあだかもそれが現在の歓喜であるか如くにも感ぜられた。彼は自分自身の遽かな成長を、急に高くなった身長を、急に発達した手足を、自分の身に強く感ずるばかりでなく、恩人の家の方で、もしくはその周囲で、自分と同じように揃って大きくなって行く若い人達のあることを感じた。就中、まだ小娘のように思われていた人達が遽かに姉さんらしく成って来たには驚かされる。そういう人達の中には大伝町の大勝の娘、それから竃河岸の樽屋の娘なぞを数えることが出来る。大勝とは捨吉が恩人の田辺や民助の兄に取っての主人筋に当り、樽屋の人達はよく田辺の家と往来をしている。あの樽屋の内儀さんが自慢の娘のまだ初々しい鬘下地なぞに結って踊の師匠の許へ通っていた頃の髪が何時の間にか島田に結い変えられたその姉さんらしい額つきを捨吉は想像で見ることが出来た。彼は又、あの大伝町辺の奥深い商家で生長(しとな)った大勝の主人の秘蔵娘の白いきゃしゃな娘らしい手を想像で見ることが出来た。

 新橋で乗換えた乗合馬車は日本橋小伝馬町まで捨吉を乗せて行った。日に光る甍(いらか)、黒い蔵造りの家々、古い新しい紺暖簾は行く先に見られる。その辺は大勝の店のあるあたりに近い。田辺のお婆さんがよく噂して捨吉に話し聞かせる石町(こくちょう)の御隠居、一代の豪奢(ごうしゃ)を極め尽したというあの年とった婦人が住む古い大きな商家のあるあたりにも近い。一体、田辺の主人はまだ捨吉が少年であった頃、石町の御隠居の家の整理を依頼された縁故から、同じ一族の大勝の主人に知られ、それから次第に取付き、商法も手広くやり、芝居の方へも金を廻し、「田辺さん」と言えば大分その道の人に顔を知られるように成ったのである。この恩人が骨の折れた苦しい時代から少年の身を寄せ、親戚では無いまでも主人のことを小父さんと呼び、細君のことを姉さんと呼び細君を小母さんと言うにはあまりに若く、それほど主人と年が違っていたからそんな風に殆んど家族のものも同様にして捨吉は育って来た。田辺の家の昔に比べると、今はすべての事が皆の思い通りに進みつつある。それが捨吉にも想像される。人形町の賑かな通を歩いて行って、やがて彼は久松橋の畔へ出た。町中を流れる黒ずんだ水が見える。空樽を担いで陸から荷舟へ通う人が見える。竈河岸(へっついがし)に添うて斜に樽屋の店も見える。何もかも捨吉に取っては親しみの深いものばかりだ。明治座は閉っている頃で、軒を並べた芝居茶屋まで夏季らしくひっそりとしていた。
 そこまで行くと田辺の家は近かった。表の竹がこいの垣が結い換えられ、下町風の入口の門まですっかり新しく成ったのが先ず捨吉の心を引いた。
 年はとっても意気な熾(さか)んなお婆さんを始め、主人、細君は風通しの好い奥座敷に一緒に集っていて、例のように捨吉を迎えてくれた。お婆さんが灰色の髪を後へ切下げるようにして、何となく隠居らしく成ったのも捨吉にはめずらしかった。そればかりでは無い、久しい年月の間、病気と戦って臥たり起きたりしていた細君の床がすっかり畳んで片付けてあった。田辺の姉さんと言えば年中壁に寄せて敷いてあった床を、枕を、そこに身を横しながら夫を助けて采配を振って来た人を直ぐ聨想(れんそう)させる。その細君が床を離れているというだけでも、家の内の光景を変えて見せた。
 細君はまだ自分で自分の身体をいたわるかのように、瀟洒(しょうしゃ)な模様のついた芝居茶屋の団扇などを手にしながら、
「姉さんも生命拾いをしたよ」
 と自分のことを捨吉に言って見せて、微笑んだ。
「なにしろ、お前さん、彼女の病気と来たら八年以来だからねえ」とお婆さんが言った。「小父さんも骨が折れましたよ……よくそれでもこんなに快くなったと、あたしはそう思うよ……木挽町(こびきちょう)の先生なぞも驚いていらっしゃる……彼女の床を揚げて見たら、それだけ畳の色がそっくり変わっているぐらいだったよ……」
 自分の孫が夏休で学校の方から帰って来たかのように、お婆さんは捨吉に話し聞かせて、長い羅宇(らう)の煙管で一服やった。このお婆さんが細君のことを話す調子には実の娘を思う親しさが籠っていた。主人は他の姓から田辺を続いだ人であった。
「全く骨が折れましたよ。米が病気でさえ無かったら今時分私は銀行の一つ位楽に建ててます」
 と主人は心安い調子で言って笑った。書生を愛する心の深いこの主人は捨吉の方をも見て、学校の様子などを尋ねたりして、快活に笑った。ずっと以前には長い立派な髯(ひげ)を厳しそうに生した小父さんであった人がそれを剃り落し、涼しそうな浴衣に大胡座で琥珀のパイプを啣(くわ)えながら巻煙草を燻し(ふかし)燻し話す容子は、すっかり下町風の人に成りきっていた。主人の元気づいていることはその高い笑声で知れた。全く、田辺の姉さんが長い病床から身を起したというは捨吉にも一つの不思議のように思えた。
「まあ捨吉も精々勉強しろよ。姉さんも快くなったし、小父さんもこれからやれる。今に小父さんが貴様を洋行さしてやる」
「そうともサ。洋行でもして馬車に乗るくらいのエラいものに成らなけりゃ捨吉さんも駄目だ」
「貴様の知っている通り、吾家じゃこれまでどれくらい書生を置いて見たか解らないが、何時でも是方の親切が仇になる――貴様くらい長く世話したものも無い――それだけの徳が貴様には具わっているというものだ」
 こういう主人とお婆さんとの話を細君は側で静かに聞いていたが、やがて捨吉の方を見て言うだけのことを言って聞かせて置こうという風に、
「一時はもうお前さんを御断りしようかと思う位だったよ……」
 その言葉の調子は優しくも急所に打込む細い針のような鋭さが有った。捨吉は紅くなったり蒼くなったりした。

「兄さん」
 と広い勝手の上り口から捨吉を見つけて呼んで入って来たのは、田辺の家の一人子息だ。弘と言って、捨吉とはあだかも兄弟のようにして育てられて来た少年だ。
「このまあ暑いのに帽子も冠らないで、何処へ遊びに行ってるんだかねえ」
 と細君は母親らしい調子で言った。この弱かった細君にどうしてこんな男の児が授かったろうと言われているのが弘だ。一頃は弘もよく引付けたりなどしたが、お婆さん始め皆の丹精でずんずん成長って、めっきりと強壮そうに成った。おまけに、末頼もしい賢さを見せている。
 お婆さんは茶戸棚のところへ行って、小饅頭などを取出し、孫と捨吉に分けてくれた。
「弘、写真を持って来て兄さんにお目にお掛けな」
 と細君は弘を側に呼んで、解けかかった水浅黄(みずあさぎ)色の帯を締直して遣った。弘が持って来て捨吉に見せた写真は、父と一緒に取ったのと、一人のとある。界隈の子供と同じように弘もいくらか袖の長い着物で写真に映っていたが、その都会の風俗がいかにもよく似合って可愛らしく見えた。
「実によく撮れましたネ」
 と捨吉に言われて、お婆さんから細君へ、細君から主人へと、三人はもう一度その写真を順に廻して見た。主人は眼を細めて、可愛くて成らないかのようにその写真に見入っていた。
「弘さん、いらっしゃい」
 と捨吉が呼んだ。やがて彼は弘を自分の背中に乗せ、部屋々々を見に行った。夏らしく唐紙(からかみ)なぞも取除してあって、台所から玄関、茶の間の方まで見透される。茶の間は応接室がわりに成っていて、仕切場だとか大札とか居茶屋の女将だとかそういう座付の連中ばかりでなくその他の客が入れ替り立ち替り訪ねて来る度に、よく捨吉が茶を運ぶところだ。彼は弘を背中に乗せたまま、茶の間から庭へ下りて見た。青桐が濃い葉影を落しているあたりに添うて一廻りすると、庭から奥座敷が見える。土蔵の上り口まで見透される。
 細君は捨吉の背にある弘の方を見て、
「おや可笑しい。大きなナリをして」
 と奥座敷に居て言った。
 奥座敷では、午後の慰みに花骨牌(はな)が始まった。お婆さんと主人が細君の相手に成って、病後を慰め顔に一緒に小さな札を並べていた。
「弘の幼少い(ちいさい)時分にはよくああして兄さんに負(おぶ)さって歩いた。一度なんか深川の方までも――」
 とお婆さんが札を取上げながら、庭の方を眺めて、「でも、二人とも大きく成ったものだ」
「さあ、今度は誰の番です」と主人が笑いながら言出した。
「あたいだ」とお婆さんは手に持った札とそこに置並べてあるのとを見比べた。
「弘はお母さんの傍へお出」
 と細君が呼んだので、捨吉は背中に乗せていた弘を縁側のところへ行って下した。弘はまだ子供らしい眼付をして母親の側に坐った。そして種々な模様のついた花骨牌(はなふだ)を見比べていた。
「桐と出ろ」と主人は積重ねてある札を捲って打ち下した。「おやおや、雨坊主だ」
 細君の番に廻って行った。「どうも御気の毒さま。菅原が出来ました」と細君は揃いの札を並べて見せた。それを見た主人は額に手を宛てて笑った。
 間もなく捨吉は庭下駄を脱ぎ捨てて勝手口に近い井戸へ水汲みに行った。まだ水道というものは無い頃だった。素足に尻端折(しりはしょり)で手桶を提げて表門の内にある木戸から茶の間の横を通り、平らな庭石のあるところへ出た。庭の垣根には長春(ちょうしゅん)が燃えるように紅い色の花を垂れている。捨吉が水を打つ度に、奥座敷に居る人達は皆庭の方へ眼を移した。葉蘭(はらん)はぞはバラバラ音がした。濡れた庭の土や石の饑え渇いた水を吸うように見る間に乾いた。
 捨吉は茶の間の方へも手桶を向けて、低い築山(つきやま)風に出来た庭の中にある楓の枝へも水を送った。幹を伝う打水は根元の土の上を流れて、細い流にかたどってある小石の中へ浸みて行った。茶の間の前を蔽う(おおう)深く明るい楓の葉蔭は捨吉の好きな場所だ。その幹の一つ一つには彼に取っては親しみの深いものだ。楓の奥には一本の楠の若木も隠れている。素足のまま捨吉は静かな緑葉からポタポタ涼しそうに落ちる打水の雫を眺めた。
 復(ま)た捨吉は庭土を踏んで井戸の方から水の入った手桶を提げて来た。茶の間の小障子の側には乙女椿などもある。その乾いた葉にも水をくれ、表門の内にある竹の根にも灑(そそ)ぎかけた。彼はまた門の外へも水を運んで行った。熱い、楽しい汗が彼の額を流れて来た。最後に、客の出入りする格子を開けて庭のタタキをも洗った。そこには白い滑らかな方形の寒水石(かんすいせき)がある。その冷い石の上へ足を預けて上框(ありがまち)のところに腰掛けながら休んだ。玄関の片隅の方を眺めると、壁によせて本箱や机などが彼を待受け顔に見えた。
 花骨牌にも倦んだ頃、細君は奥座敷の縁側の方から玄関の通い口へ来て佇立(たたず)んだ。まだ捨吉は上り框へ腰掛けたなり素足のままでいて、自分の本箱から取出した愛読の書籍を膝の上に載せ、しきりにそれを読み耽っていた。見ると細君が来て背後に立っていたので、捨吉はきまり悪げに書籍を閉じ、すこし顔を紅らめた。
 病後の細君が腰を延ばし気味に玄関から茶の間と静かに家の内を歩いているその後姿を捨吉はめずらしいことのように思い眺めた。やがて格子戸の外に置いた手桶を提げて井戸の方へ行こうとした。ふと、樽屋の内儀(おかみ)さんが娘を連れながら、表門の戸を開けて入って来るのに逢った。
「捨さん、何時御帰んなすったの。学校はもう御休みなんですか」
 と河岸(かし)の内儀さんは言葉を掛けた。女ながらに芝居道の方では可成幅を利かせている人だ。娘も捨吉に会釈して、母親の後から、勝手口の方へ通った。一度捨吉は田辺の細君の口から、「捨さんは養子には貰えない方なんですか」と樽屋の内儀さんが尋ねたという話を聞いてから、妙にこの人達に逢うのが気に成った。
 捨吉は井戸端で足を拭いてから、手桶の水を提げ、台所から奥座敷と土蔵の間を廂間(ひあわい)の方へ通り抜けた。田辺の屋敷に附いた裏の空地が木戸の外にある。そこが一寸花畠のように成っている。中央には以前住んだ人が野菜でも造ったらしい僅かの畠の跡があって、その一部に捨吉は高輪の方から持って来た苺を植えて置いた。同窓の学友で労働会というものへ入って百姓しながら勉強している青年がその苺の種を分けてくれた。それを捨吉は見に行った。
 幾株か苺は素晴らしい勢で四方八方へ蔓を延ばしていた。長い蔓の土に着いた部分は直ぐそこに根を生した。可憐な繁殖はそこでもここでも始まっていた。
「ホ。何物もくれなくて可いんだ」
 と捨吉は眼を円くして言って見て、青々とした威勢の好い葉、何処まで延びて行くか分らないような蔓の間などに、自分の手を突込むと、そこから言うに言われぬ快感を覚える。手桶に入れて持って来た水を振舞顔に撒いていると、丁度そこへ主人も肥満した胸のあたりを涼しそうにひろげ、蜘蛛の巣の中形のついた軽い浴衣で歩きに来た。
「小父さん、御覧なさい――こんなに殖えましたよ」
 と捨吉が声を掛けた。
 主人は大人らしい威厳を帯びた容子で捨吉の立っている側を彼方是方(あちこち)と歩いた。どうかすると向うの花畠の隅まで歩いて行って、そこから母屋の方を振返って見て、復た捨吉の方へ戻って来た。行く行くはこの空地へ新しい座敷を建増そうと思うという計画などを捨吉に話して聞かせた。それからまた自分の事業の話などもして、大勝の大将と共同で遠からず横浜の方にある商店を経営しようとしていることなどを話した。
 何かにつけて主人は捨吉の若い心を引立てようとするように見えた。この「小父さん」が好い時代に向いつつあることは捨吉の身にとっても何より心強い。八年以来煩い煩いしていた細君が快くなったというだけでも大したことであるのに、家はますます隆盛(さかん)な方だし、出入するものも多くなって来たし、好い事だらけだ。主人の眼には得意に輝いて見える時だ。その眼はまたいろいろ物を言った。「小父さんが苦しかった時代のことを比べて見よ。捨吉、貴様はこういう家屋と庭園を自分のものとして住むということ何とも思わないか。書生を置き、女中を使い、人は『田辺さん、田辺さん』と言って頼って来るし、髪結の娘で芸を商売にするものまで出入することを誉のようにして小父さんが脱いだ着物まで畳んでくれるということを何とも思わないか。小父さんの指に光る金と宝石の輝きを見ても何とも思わないか。捨吉、捨吉、どうして貴様はそうだ――何故小父さんの後へ随いて来ないか」それを主人は種々なことで教えて見せていた。

 細君が床揚げの祝いの日には、主人も早く起きて東の空に登る太陽を拝んだ。竃河岸の名高い菓子屋へ注文した強飯(こわめし)が午前のうちに届いた。「行徳!」と呼ばって入って来て勝手口へ荷をおろす出入の魚屋の声も、井戸端で壮んに魚の水をかえる音も、平素に勝って勇ましく聞えた。奥座敷の神棚の下には大勝始め諸方から祝いの品々が水引の掛ったままで積重ねてあった。
 強飯を配るために捨吉は諸方へと飛んで歩いた。勝手に続いて長火鉢の置いてあるところで、お婆さんが房州出の女中を指図しながら急しそうに立働いた。菓子屋から運んで来た高い黒塗の器の前には細君まで来て坐って、強飯をつめる手伝いをしようとした。
「米、何だねえ。お前がそんなことをしなくっても可いよ」
 とお婆さんは叱るように言って見せて、大きな重箱を細君の手から引取った。南天の実の模様のついた胡麻塩の包紙、重たい縮緬の袱紗(ふくさ)、それをお婆さんが詰めてくれた重箱の上に載せ、風呂敷包にして、復た捨吉は河岸の樽屋まで配りに行って来た。
 その日は捨吉の兄も大川端の下宿の方から呼ばれて来た。宿は近し、それに大勝の大将は田辺の主人の旦那でもあればこの民助兄に取っての旦那でもあって、そんな関係からよく訪ねて来る。田辺の主人と民助とは同郷の好(よし)みも有るのである。
「民助さん、まあ見て遣って下さいよ。捨さんの足はこういうものですよ」とお婆さんは捨吉の兄に茶をすすめながら話した。
「捨さん、一寸そこへ出して兄さんにお目にお掛けな」と細君は捨吉を見て言った。「この節は十文半の足袋が嵌まりません。莫迦に甲高と来てるんですからねえ」
「どうだ。俺の足は」と主人はセルの単衣を捲って、太い腰の割合に小さく締った足を捨吉の方へ出して見せた。
「父さんの足と来たら、これはまた人並外れて小さい」と細君が言った。
 民助は奥座敷の縁先の近く主人と対い合って坐っていた。こんこん咳払いするのが癖で、「自分等の年をとったことはさ程にも思いませんが、弘さんや捨吉の大きく成ったのを見ると驚きますよ」と言って復た咳(せ)いた。
「なにしろ、『お婆さん、霜焼が痛い』なんて泣いた捨吉が最早これだからねえ」と主人は肥満した身体を揺るようにして笑った。
 内輪のものだけの祝いがあった。昔を忘れないお婆さんも隠居らしい薄羽織を着て、まだ切下げたばかりの髪の後部を気にしながら皆と一緒に膳に就いた。
「弘は兄さんの側へ御坐りなさい」
 と母親に言われて、弘は自分の膳を捨吉の隣へ持って来る。捨吉もかしこまりながら好きな強飯を頂戴した。
 食事が終わって楽しげな雑談が始まる頃には、そろそろ主人の仮白(こわいろ)などが出る。芝居の方に関係し始めてから、それが一つの癖のように成っている。主人のは成田屋張で、どうかすると仮白を真似た後で、「成田屋」という声を自分で掛けた。それが出来る時は主人の機嫌の好い時であった。
「弘、何か一つ遣れ」
 主人は意気の昂(たかま)った面持で子息にも仮白を催促した。
「お止しなさいよ」と細君は手にした団扇で夫を制する真似して、「父さんのように仮白ばかり仕込んで、困っちまうじゃ有りませんか。今に弘はお芝居の方の人にでも成って了いますよ」
「これがまた巧いんだからねえ」と主人は子息の自慢を民助に聞かせた。
「民助さん、貴方の前ですが」とお婆さんも引取って、「どうもあたしはこの児はあんまり記憶の好いのが心配で成りません。米もそう言って心配してるんです。まあ百人一首なぞを教えましょう、すると二度か三度も教えるともうその歌を暗で覚えてしまいます……貴方の前ですが、恐ろしいほど記憶の好い児なんですよ……」
「弘さんはなかなか悧巧(りこう)ですから」と民助が言った。
「しかし、あんまり記憶の好いのも心配です」と細君が言った。「私の兄の幼少いの時が丁度これだったそうですからねえ」
「彼女の兄というのは二十二か三ぐらいで亡くなりましたろう。学問は好く出来る人でしたがねえ」と主人は民助に言って聞かせた。「実は、私もお婆さんや米のように思わないでも有りません。どうかすると私は弘の顔を見てるうちに、この児にはあんまり勉強させない方が好い、田舎へでも遣って育てた方が好い、そう思うことも有りますよ」
「そのくせ、父さんは一番物を教えたがってるくせに――一番甘やかすくせに」と言って細君は笑った。
 夭死(わかじに)した細君の兄の話から、学問に凝ったと言われた人達のことが皆の間に引出されて行った。田舎の親戚で、田舎に埋れている年とった漢学者の噂も出た。平田派の国学に心酔した捨吉等の父の話も出た。
「捨吉、そんなところにかしこまって、何を考えてる」と主人が励すように言った。
「皆これでどういう人に成って行きますかサ」と細君は吾児(わがこ)と捨吉の顔を見比べた。
 お婆さんは首を振って、「捨さんの学校は耶蘇(やそ)だって言うが、それが少し気に入らない。どうもあたしは、アーメンは嫌いだ」
「お婆さん、そう貴女のように心配したら際限(きり)が有りませんよ。今日英学でも遣らせようと言うには他に好い学校が無いんですもの。捨吉の行ってるところなぞは先生が皆亜米利加人です。朝から晩まで英語だそうです」と言って主人は捨吉の兄の方を見て、「どうかして、捨吉にも洋行でもさして遣りたいものですな――御店の大将もそう言ってるんです――」
 民助は物を言うかわりに咳(せ)いたり笑ったりした。
 記念すべき細君の床揚の祝いにつけても、どうかして主人は捨吉を喜ばそうとしているように見えた。行く行くは自分の片腕とも、事業の相続者ともしたいと思うその望みを遠い将来にかけて。


 楽しい田辺の家へ帰っても捨吉の心は楽まなかった。
「貴様はそんなところで何を考えてる」と田辺の小父さんに問われることがあっても、彼は自分の考えることの何であるやを明かに他に答えることが出来なかった。しかし、彼は考え始めた。彼が再び近づくまいと堅く心に誓っていた繁子に図らず途中で邂逅(めぐりあ)った時のことは、仮令(たとえ)誰にも話さずにはあるが、深い感動として彼の胸に残っていた。それが彼から離れなかった。避けよう避けようとして遂に避けられなかったあの瞬間の心の狼狽と、そして名状しがたい悲哀とは……あの品川の停車場手前から高輪の方へ通う細い人通りの少い抜け路、その路傍の草の色、まだ彼はありありとそれらのものを見ることが出来た。あの白い肩掛に身を包んで俯向(うつむ)き勝ちに乗って行った車上の人までもありありと見ることが出来た。あの一度親しくした年長の婦人が無言で通り過ぎて行った姿は、何を見るにも勝り何を聞くにも勝って、あだかも心の壁の画のように過去った日のはかなさ味気なさを深思せしめずには置かなかった。
 夏期学校の開かれると云う日も近づいていた。かねてその噂のあった時分から、捨吉は心待ちにしていたが、暑中休暇で戻って来てからまだ間も無し、書生の身ではあり、自分もそこへ出席させて欲しいとは小父さんに願いかねていた。
 ある日、捨吉は主人が独りで庭を歩いているのを見かけた。その側へ行ってこんな風に言出して見た。
「小父さん、僕は御願があります」
 主人は、何かまた捨吉めが極りを始めたという顔付で、
「何だい。言って見ろや」
 と笑って尋ねた。
 その時、捨吉は自分の学校の方で特にその夏の催しのあること、すぐれた講演の開かれることを主人に話した。その間しばらく自分は寄宿舎の方に行っていたいと願って見た。
「へえ、夏期学校というのが有るのかね――」
 と主人は言って、捨吉が水を撒いて置いた庭の飛石づたいに、彼方此方(あちこち)と歩いて見て、やがてまた軽い浴衣の裾をからげながら細い素足のままで捨吉の方へ来た。そして未だ年少な、どうにでも延びて行く屋根の上の草のような捨吉の容子を眺めた。この主人は成るべく捨吉を手許に置きたかった。しかし書生を愛する心の深い人ではあり、日頃いかに気を引立ててくれるようにしてもとかく沈み勝ちな捨吉のためにはあるいはそういう夏期学校へ行って見るのも好かろう、という風に心配しつつ許してくれた。
「済んだら早く帰って来いよ。小父さんも多忙(いそが)しい身に成って来たからな――」
 と附けたして言った。
 捨吉は嬉しくて、主人の前に黙って御辞儀一つした。その御辞儀が主人を笑わせた。

 許しが出た。捨吉はいそいそと立働いた。しばらく書生としての勤めから離れる前に庭だけでも奇麗に掃除して置いて行こうとした。金魚鉢の閼伽(あか)をかえること、盆栽の棚を洗うこと、蜘蛛の巣を払うこと、為(し)ようとさえ思えば為(な)ることは何程(いくら)でも出て来た。家の周囲に生える雑草は毟(むし)っても毟っても後から後からと頭を擡(もた)げつつあった。捨吉は表門の外へ出て見て、竹がこいの垣の根にしゃがみながら草むしりに余念もなかった。
 井戸端には房州出の若い下女が働いていた。丁度捨吉が芥取(ごみとり)を手にして草の根を捨てに湯殿の側の塵溜箱(ごみばこ)の方へ通ろうとすると、じっとしてはいられないようなお婆さんも奥の方から来て勝手口のところへ顔を出した。その流許(ながしもと)で、お婆さんは腰を延ばしながら一寸空を眺めて見て、「ああ、今日も好い御天気だ」という顔付をした。
「捨さん、御洗濯物があるなら、ずんずん御出しなさいよ。この天気だと直ぐに乾いちまう」
 とお婆さんは捨吉を見て言って、その眼を井戸端の下女の方へ移した。御主人大事と勤め顔な下女は大きな盥(たらい)を前にひかえ、農家の娘らしい腰巻に跣足(はだし)で、甲斐々々しく洗濯をしていた。捨吉が子供の時分から、「江戸は火事早いよ」なぞと言って聞かせているお婆さんだけあって、捨吉の身のまわりのことにも好く気をつけてくれた。夏期学校の方へ出掛けると聞いて、汗になった襦袢や汚れた紺足袋の洗濯まで心配してくれた。
「捨さんの寝衣は」
 とお婆さんは下女に尋ねた。下女は盥(たらい)の中の単衣(ひとえ)を絞ってお婆さんに見せた。それが絞られる度に捩じれた着物の間から濁った藍色の水が流れた。
 捨吉はすごすごと井戸端を通りぬけ、復た芥取を提げて草むしりを仕掛けて置いた門前の方へ行った。
 憂鬱――一切のものの色彩を変えて見せるような憂鬱が早くも少年の身にやって来たのは、捨吉の寝巻が汚れる頃からであった。何もかも一時に発達した。丁度彼が毟っている草の芽の地面を割って出て来るように、彼の内部に萌したものは恐ろしい勢で溢れて来た。髪は濃くなった。頬は熱して来た。顔のどの部分と言わず癢(かゆ)い吹出ものがして、膿み、腫れあがり、そこから血が流れて来た。制(おさ)えがたく若々しい青春の潮は身体中を馳けめぐった。彼は性来の臆病から、仮令自分で自分に知れる程度にとどめて置いたとは言え、自然を蔑視(さげす)み軽侮(あなど)らずにはいられないような放肆(ほしいまま)な想像に一時身を任せた。
 こういうことが、優美な精神生活を送った人達の生涯を慕う心と一緒になって起って来た。捨吉は夏期学校の催しを思いやり、その当時としては最も進んだ講演の聞かれる楽みを思いやって、垣の根に蔓(はびこ)った草をせっせと毟った。葉だけ短く摘み取れるのがあった。土と一緒に根こそぎポコリと持上って来るのもあった。
「御隠居様、この御寝衣はいくら洗いましても、よく落ちません」
 と下女が物干竿の辺で話す声は垣一つ隔てて捨吉のしゃがんでいるところへよく聞えて来た。
「ひどい脂肪だからねえ」
 というお婆さんの声も聞えた。
 捨吉は額の汗を押拭って見て、顔を紅らめた。彼は草むしりする手を土の上に置き、冷たい快感の伝って来る地面に直接掌を押しつけて、夏期学校の講演を聞こうとして諸方から集って来る多くの青年のことを思いやった。同級の学生でそこへ出席する連中は誰と誰とであろうな度と思いやった。

 寄宿舎の方へ持って行く着物も出して置かなければ成らなかった。高輪へ出掛ける前の日の午後、捨吉は自分の行李を調べるつもりで土蔵の二階へ上がろうとした。蔵の前の板の間に、廂間(ひあわい)の方から涼しい風の通って来るところを択んで、午睡(ひるね)を貪っている人があった。大勝の帳場だ、真勢(ませ)さんという人だ。真勢さんは御店から用達に来た序でと見え、隠れた壁の横に肘を枕にして、ぐっすりと寝込んでいた。狭い板の間で、捨吉がその上を跨いでも、寝ている人は知らなかった。土蔵の二階は暗かった。金網を張った明り窓の重たい障子を開けて僅かに物を見ることが出来た。そこで捨吉は行李の蓋を開けていると、お婆さんも何か捜し物に梯子段を上って来た。
 お婆さんは暗い隅の方から取出したものを窓の明りに透かして見て、
「捨吉さん、これはお前さんの夏服だよ」
 と捨吉に見せた。それは彼が一時得意にして身に着けたものだ。
「これもお前さんのズボンだろう」
 とお婆さんは復た派手な縞柄のを取出して来て捨吉に見せた。窓から射す幽かな弱い光線でも、その薄色のズボン地を見ることが出来た。捨吉は脱ぎ捨てた殻でも見るように、自分の着た物を眺めて立っていた。
「あれも要らない、これも要らない、お前さんは何物も要らないんだねえ――まあ、この洋服はこうして蔵って(しま)って置こう――今に弘でも大きく成ったら、着せるだ」
 とお婆さんはその夏服の類を元の暗いところへ蔵いながら言った。
 この土蔵の二階から捨吉が用意するだけの衣類を持って、お婆さんと一緒に奥座敷の方へ降りた時は、主人も弘も見えなくて細君だけ居た。お婆さんは土蔵から取出して来たものを細君に見せて、
「米、これかい」
 と聞いた。それは細君の好みで病中に造った未だ一度も手を通さない単衣であった。
「どうせこんなものを造(こしら)えたって来て出る時は無いなんて、あの時お前もそう言ったっけ」
 とお婆さんは思出したように言った。
「ほんとにねえ」と細君はまだ新しくてある単衣を膝の上に置いて見て、「これが着られるとは私も思わなかった……しかし私がいくら贅沢したって樽屋のおばさんの足許へも及ばない。あのおばさんと来たら、絽の夏帯を平素にしめてます」
 細君はそれをお婆さんに聞かせるばかりでなく、捨吉にも聞かせるように言った。
「お婆さん、済みませんがあの手拭地の反物を一寸ここへ持って来て見て下さいな。捨さんにも持たして遣りましょう」
 と細君に言われて、お婆さんは神棚の下の方から新しく染めた反物を持って来た。
「吾家(うち)ではこういうのを染めた」
 とお婆さんは水浅黄の地に白く抜いた丸に田辺としたのを捨吉に指して見せた。気持の好い手拭地の反物が長くひろげられたのも夏座敷らしい。細君は鋏を引寄せて、自分でその反物をジョキジョキとやりながら、
「でも、よくしたものだ。前には『捨さん、お前さんの襟首は真黒だよ』って言っても、まだ垢が着いていた。それがこの節じゃ、是方から言わなくとも、ちゃんと自分で垢を落してる――それだけ違って来た」
 こんなことを言って笑って、切取った手拭は丁寧に畳んで捨吉の前に置いた。細君は出入の者にそれを配るばかりでなく、捨吉にまで持たしてやるということを得意の一つとした。
 午睡から覚めた真勢さんが顔を洗いに来たころ、捨吉も井戸端に出てこの大勝さんといっしょになった。真勢さんは田辺の小父さんの遠い親類つづきに当っていた。あの御店へ通うように成ったのも小父さんの世話であった。午睡で皺になった着物にも頓着せず、素朴で、関(かま)わないその容子は大店(おおだな)の帳場に坐る人とは見えなかった。
 しかし捨吉は田辺の家へ出入する多くの人の中で、この真勢さんを好いていた。
「真勢さん、僕は明日から夏期学校の方へ出掛けます」
 と話して聞かせた。
「ホ、夏期学校へ」
 と真勢さんは汗染みた手拭で顔を拭きながら言った。
 夏期学校と聞いて真勢さんのように正直そうな眼を円くする人は、捨吉の身のまわりには他に無かった。何故というに、その講演は基督教主義で催さるるのであったから。そして、真勢さんは基督教信者の一人であったから。こうした十年一日のような信仰に生きて来た人を大勝の帳場なぞに見つけるということすら、捨吉にはめずらしかった。真勢さんは一風変っているというところから、「哲学者」という綽名(あだな)で通っていた。アーメン嫌いな田辺のお婆さんや細君の前で真勢さんは別に宗教臭い話をするでもなかった。この人の基督教信者らしく見えるのは唯食事の時だけであった。その食前の感謝も、極く簡単にやった。真勢さんは膝を撫で撫で眼をつぶって一寸人の気のつかないようにやった。
 真勢さんは捨吉からしきりに夏期学校の催しを聞こうとした。井戸端から湯殿の側の方へ、白い土蔵の壁の横手の方へ捨吉を誘って行って話した。
「なにしろ、そいつは可羨(うらやま)しい。多忙しい身でないと一つ聞きに出掛けたい……安息日すら守ることも出来ないような始末ですからな……尤も自分の信仰だけはこれで出来てる積りなんですけれど……基督だけはちゃんと見失わない積りなんですけれど……」
 教会の空気に興味を失った捨吉にも、こうした信徒の話は可懐しかった。真勢さんは築地の浸礼教会に籍を置いていて、浅見先生の教会なぞとは宗派を異にしたが。
 湯殿の側を離れてから、二人はもうこんな話をしなかった。捨吉は玄関の小部屋へ言って出掛けるばかりに風呂敷包を用意した。何もかも新しいものが彼を待っている。学校のチャペルの方で鳴る鐘の音は早や彼の耳の底に聞えて来た。

 学校までは捨吉は何も乗らずに歩いた。人形町の水天宮前から鎧橋を渡り、繁華な町中の道を日影町へと取って芝の公園へ出、赤羽橋へかかり、三田の通りを折れまがり、長い聖坂に添うて高輪台町へと登って行った。許されてめずらしい講演を聞きに出掛ける捨吉には、その道を遠いとも思わなかった。聖坂の上から学校までは、まだ可成あった。谷の地勢を成した町の坂を下り、古い寺の墓地について復た岡の間の道を上って行くと、あたりは最早陰鬱な緑につつまれていた。寄宿舎の塔が見えて来た。高い窓を開けて日に乾してある蒲団も見えて来た。
 夏期学校の催しは構内のさまを何となく変えて見せた。寄宿舎の方へ通う道の一角で、捨吉は見知らぬ顔の青年が連立って歩いて来るのに逢った。聴講者として諸方から参集する外来の客は寄宿舎の廊下をめずらしそうに歩き廻ったり、塔の上までも登って見たりしていた。心をそそられて捨吉も暗い階段を高く登って行って見た。せせこましく窮屈な下町からやって来た彼は四隅に木造の角柱を配置した塔の上へ出て、高台らしい岡の上の空気を一ぱいに呼吸した。品川の海も白く光って見えた。
 舎監から割当てられた部屋へは、捨吉よりすこし後れて同級の菅(すげ)が着いた。以前遊んだ連中とも遠く成ってから、黙し勝ちに日を送って来た中で、捨吉はこの同級生と親しい言葉をかわすように成ったのである。菅は築地の方から通って勉強していた。夏期学校を機会に、しばらく寄宿舎で一緒に成れるということも捨吉にはめずらしかった。
「どうだろうね、足立君は来ないだろうか」
 と捨吉はもう一人の同級生のことを菅に言って見た。捨吉は菅と親しくなる頃から足立とも附合いはじめた。三人はよく一緒に話すようになった。
「足立君は来るという話が無かった。しかし来ると可いね。」
 と菅も言って、捨吉と一緒に部屋の窓際へ行って眺めた。運動場の向うには、他の学校の生徒らしい青年や、見慣れぬ紳士らしい服装の人も通る。講堂の横手にある草地に集って足を投出してる連中もある。仙台からも京都からも神戸からも学校の違い教会の違った人達が夏期学校をさして集って来ていた。外から流れ込んだ刺戟(しげき)は同じ学校の内部を別の場所のようにした。
 講演の始まる日には、捨吉は菅と同じように短い袴をはいて、すこし早めに寄宿舎の出入口の階段を下りた。互いに肩を並べて平坦な運動場の内を歩いて行った。講堂の方で学校の小使が振り鳴らすベルの音は朝の八時頃の空気に響き渡りつつあった。運動場の区劃(くかく)は碁盤の目を盛ったような真直な道で他の草地なぞと仕切ってあって、向うの一角に第一期の卒業生の記年樹があれば是方の一角にも第二期の卒業生の記念樹が植えてあるという風に、ある組織的な意匠から割出されてある。三棟並んだ亜米利加人教師の住宅、殖民地風の西洋館、それと相対した位置に講堂の建物と周囲の草地とがある。入口の石段について、捨吉が友達と一緒に講堂へ上ろうとすると、ポツポツ界隈からもやって来る人があった。そこで捨吉達はエリス教授にも逢った。教授はズボンの隠袖(かくし)へ手を差入れて鍵の音をさせながら、図らず亭主側に廻ったような晴々とした顔付で居た。
 多数の聴講者を容れるチャペルは階上にあって、壁に添うた階段は入口に近くから登られる。三年ばかりの間、毎朝の礼拝だエロキュウションの稽古だあるいは土曜の晩の文学会だと言って、捨吉が昇降したのもその階段だ。それを上りきる時分に、菅は滑らかな木造の欄(てすり)に手を置いて、捨吉の方を顧みながら、
「岸本君、君は覚えているか……僕等が初めて口を利いたのもこの上り段のところだぜ」
「そうそう」と捨吉も思出した。「ホラ、演説会のあった時だっただろう」
「僕の演説を君が褒めてくれたあね……あの時、君は初めて僕に口を利いた……」
「随分僕も黙っていたからね……」
 二人が友情の結ばれ始めた日――捨吉は菅と共にしばらく廊下の欄に倚凭(よりかか)りながら、その日のことを思って見た。チャペルの扉の間からその広間の内部の方に幾つも並んだ長い腰掛が見えた。緩い螺旋状を成した階段を登って来る信徒等はいずれも改まった顔付で捨吉等の前をチャペルの方へと通り過ぎた。

 日本にある基督教界の最高の知識を殆んど網羅した夏期学校の講演も佳境に入って来た。午前と午後とに幾人(いくたり)かの講師に接し、幾回かの講演を聴いた人達はチャペルを出て休憩する時であった。
「菅君、ここに居ようじゃないか」
 と捨吉は友達を誘って二階の廊下の壁の側に立った。チャペルの扉の外から階段の降り口へかけて休憩する人達が集っていた。折れ曲った廊下の一方は幾つかの扉の閉った教室に続いている。その突当たりに捨吉達が夏まで授業を受けた三年級の室がある。その辺まで壁に添うて立つ人が続いていた。捨吉は友達と並んで立っていて、互いに持っている扇子をわざと交換して使って見た。そこにも、ここにも、人々のつかう扇子が白く動いた。そして思い思いに夏期学校へ来て見た心持を比べ合っていた。中には手真似から言葉のアクセントまで外国の宣教師にかぶれてそれが第二の天性に成って了ったような基督教界でなければ見られないお爺さんも話していた。蒸々とした空気と、人の息とで、捨吉達はすこし逆上(のぼ)せる程であった。
 やがて復たベルの音が講堂の階下の入口の方で鳴った。屋外へ出て休んでいた聴講者等まで階段を登って来た。チャペルの方へ行く講師の一人が捨吉達の見ている前を通った。文科大学の方で心理学の講座を担当する教授だ。菅とは縁つづきに当る人だ。
「M――だ」
 と菅は低声(こごえ)で捨吉に言った。基督教界にはああいう人もあるかと、捨吉も眼をかがやかして、沈着な学者らしい博士の後姿を見送った。
 続いて、旧約聖書の翻訳にたずさわったと言われる亜米利加人で日本語に精通した白髪の神学博士が通った。同じく詩編や雅歌の完成に貢献したと言われ宗教家で文学の評論の主筆を兼ねた一致教会の牧師が通った。今度の夏期学校の校長で、東北の方にその人ありと言われ、見るからに慷慨(こうがい)激越な気象を示したある学院の院長が通った。破鐘(われがね)のような大きな声と悲しい沈んだ声とで互いに夏期学校の講壇に立って、一方を旧約のイザヤに擬するものがあれば、一方をエレミヤに擬するものがある、声望から経歴から相対立した関西の組合教会の二人の伝道者が通った。捨吉達が同級生の一人のお父さんにあたる人で、新撰讃美歌集の編纂委員たる長い白い髯を生した老牧師が通った。青山と麻布にある基督教主義の学院の院長が通った。日本に福音を伝えるため亜米利加の伝道会社から派遣され、捨吉達が子供の時分からあるいは未だ生れない前からこの国に渡米した古参な、髪の毛色の違った宣教師達が相続いて通った。京都にある基督教主義の学校を出て、政治経済教育文学の評論を興し、若い時代の青年の友として知られた平民主義者が通った。まだその日の講演を受持つS学士が通らなかった。初めて批評というものの意味を高めたとも言い得るあの少壮な哲学者の講演こそ、捨吉達が待ち設けていたものである。そのうちに、すぐれて広い額にやわらかな髪を撫でつけセンシチイヴな眼付をした学士が人を分けて通った。
「ああSさんだ」
 と捨吉は言って見て、菅と顔を見合せた。学士に続いて、若い女学生が列をつくって通った。浅見先生が教えている学校の連中だ。つつましげなお婆さんの舎監は通ったが、その中には繁子は居なかった。
 捨吉は菅の袖を引いた。「行こう」という意味を通わせたのである。
 天井の高いチャペルの内部には、黄ばんだ色に塗った長い腰掛に並んで溢れるほどの人が集った。一致派、組合派の教会の信徒ばかりでなく、監督教会、美以美(メソジスト)教会に属するものまでも聴きに来た。捨吉等の歴史科の先生で、重いチャペルの扉の音のしないように閉め、靴音を忍ばせながら前へ来て着席する亜米利加人の教授もある。その後に捨吉は友達と腰掛けた。S学士の講演にかぎって、その内容の論旨を並べた印刷物が皆に配布された。そこでもここでも紙を開ける音が楽しく聞えて来た。広いチャペルの左右には幾つかの長方形の窓框(まどわく)を按排(あんばい)して、更に太い線に纏めた大きな窓がある。その一方の摺硝子(すりガラス)は白く午後の日に光って、いかにも岡の上にある夏期学校の思をさせた。
 捨吉達のところへも印刷物を配って来た。菅はそれを受取って見て、
「希臘(ぎりしゃ)道徳より基督教道徳に入るの変遷――好い題目じゃないか」
 と捨吉にささやいた。
 恍惚、感嘆、微笑、それらのものが人々の間に伝わって行く中で、学士は講壇の上から希臘道徳の衰えた所以(ゆえん)、基督教道徳の興った所以を文学史の立場から説き初めた。時とすると学士はフロック・コオトの後の隠袖から白い怕子(ハンケチ)を取出し、広い額の汗を押拭って、また講演を続けた。時々捨吉は身内がゾーとして来た。清しい、和かな、しかも力の籠(こも)った学士の肉声から伝わって来る感覚は捨吉の胸を騒がせた。それを彼はポーと熱くなって来たり、また冷めて行ったりするような自分の頬で感じた。

 夏期学校は三週間ばかり続いた。普通の学校の講義や演説会では聞かれないような種々な講師の話が引継ぎ引継ぎあった。いかに多くの言葉がそこで話されたろう。その中にはまたいかに空虚な声も混っていたろう。いよいよ最終の日が来た。講師等の慰労を兼ねて、一同の懇親会が御殿山である筈であった。
「いよいよ御別れだね」
 と捨吉等は互いに言い合った。三週間は短かったけれども、その間に捨吉はいろいろなことを考えさせられた。菅との交りは一層隔ての無いものに成って来た。
 御殿山はその頃は遊園として公開してあった。午後の二時頃のまだ熱い日ざかりの中を捨吉は友達と連立って懇親会へと出掛けて見た。一頃の花のさかりと違って山は寂しい。こんもりと茂った桜の樹蔭は何処でもそれを自分等のものとして好き勝手に歩き廻ることが出来る。紅味をもった幹と幹との間を通じて更に奥の幽深(ふか)い木立がある。誰に憚るところもなく讃美歌を歌いながら樹の下を歩き廻る夏期学校の連中が右にも左にも見える。
 日は豹の斑(ふ)のようにところまんだら地面へ落ちていた。捨吉達は山を一廻りして来て、懇親会の会場に当てられた、ある休茶屋の腰掛の一つを択んだ。変色した赤い毛氈(もうせん)の上に尻を落し、その子に二人で足を投出して、楽しい勝手な雑談に耽った。
 基督教主義の集りのことでこういう時にも思い切って遊ぶということはしなかった。皆静粛に片付けていた。捨吉は桜の樹の方へ向いて、幹事の配って来た折詰の海苔巻を食いながら、
「菅君、君は二葉亭の『あひびき』というものを読んだかね」
「ああ」
 と菅も一つ頬張って言った。
 初めて自分等の国へ紹介された露西亜(ロシア)の作物の翻訳に就いて語るも楽しかった。日本の言葉で、どうしてあんな柔かい、微細い言いまわしが出来たろう、ということも二人の青年を驚かした。
 涼しい心持の好い風が来て面を撫でて通る度に、二人は地の上に落ちている葉の影の微かにふるえるのを眺めながら、互いに愛読したその翻訳物の話に時を送った。
 幹事の告別の言葉があり、一同の讃美歌の合唱があり、ある宣教師の声で別れの祝祷(いのり)があって、菅も捨吉も物のかげに跪坐(ひざま)ずいた頃は、やがて四時間ばかりも遊んだ後であった。御殿山を離れる前に、もう一度捨吉はそこいらを歩き廻った。山のはずれまで行って、独りで胸の塞がった日にはよくその辺から目黒の方まで歩き廻ったことを思出した。寄宿舎で吹矢なぞを造(こしら)えてこっそりそれを持出しながら、その辺の谷から谷へと小鳥を追い歩いた寂しい日のあったことを思出した。ふと、思いもかけぬ美しいものが捨吉の眼前に展けた。もう空の色が変りつつあった。夕陽の美は生れて初めて彼の眼に映じた。捨吉はその驚きを友達に分けようとして菅の居るところへ走って行った。友達を誘って来て復た二人して山のはずれへ立った頃は更に空の色が変った。天は焔(ほのお)の海のように紅かった。驚くべく広々としたその日まで知らずにいた世界がそんなところに閃いていた。そして、その存在を語っていた。寂しい夕方の道を友達と一緒に寄宿舎へ引返して行った時は、言いあらわし難い歓喜(よろこび)が捨吉の胸に満ちて来た。


「捨さん、お帰りかい」
 夏期学校の方から帰って来た捨吉を見て、田辺のお婆さんは土蔵の内から声を掛けた。薄暗い明窓の光でお婆さんは何か探し物をしていたが、やがて網戸をくぐって、土蔵前の階段を下りて来た。
 家の内にはお婆さんと下女だけしか見えなかった。細君は長い間煩(わずら)った為、少年時代からの捨吉の面倒を見てくれたのも主にこのお婆さんであった。そんな訳で捨吉は若い姉さんよりも、反ってこの年とったお婆さんの方に余計に親しみを持っていた。
「小父さんもこの節は毎日のように浜の方サ…姉さんも大勝さんの御店まで……彼女(あれ)も、お前さん、そういう元気サ……好くなると成ったら、もうずんずん好く成っちまった……まるで嘘みたように……七年も八年も彼女の寝床が敷詰にしたったことを考えると、あたいは夢のような気がするよ……」
 お婆さんはいろいろ話し聞かせて、小父さんの妹夫婦も捨吉の留守の間から来て掛っていることなどを話した。玉木さんの小母さんという人には捨吉も田辺の家でちょいちょい逢ったことが有る。その夫婦だ。例の大勝の帳場を勤めている真勢さんとは縁つづきに当る人達だ。
「玉木さん達は何処に居るんです」
 と捨吉が聞くと、お婆さんは奥座敷の二階の方を指して見せた。
 霜焼が痛いと言って泣いた時分から捨吉のことをよく知っているお婆さんは彼が平素に似ず晴々とした喜悦の色の動いた顔付で夏期学校から帰って来たのを見た。しかしお婆さんは何を聞いて来たかとも何を見て来たかともそういうことを捨吉に鑿(ほ)って尋ねようとはしなかった。「最早お前さんも子供では無いから、三度々々御茶受は出しませんよ」なぞと言いながらも、矢張子供の時分と同じように水天宮の御供の御下がりだの塩煎餅だのを分けてくれた。
 捨吉は御辞儀をして玄関の方へ引退ったが、夏期学校で受けて来た刺戟は忘れられなかった。何という楽しい日を送って来たろう。捨吉は玄関の次にある茶の間へも行ってそう思って見た。まだ彼は友人の菅なぞと一緒に高輪の寄宿舎の方に身を置くような気がしていた。広い運動場の見える講堂側の草地の上に身を置くような気がしていた。多勢の青年が諸方から講演を聞きに集ったあのチャペルの高い天井の下に身を置くような気がしていた。好い講演が始まってそこでもここでも聴衆が水を打ったようにシーンとして了た時はどんなに彼も我を忘れて若い心に興奮を覚えたろう…
 小さいながらもある堅い決心をもって、捨吉は小父さんの家の方へ帰って来た。浮々と考えていた幸福の味気なさがいよいよ身にしみじみと思い知られて来た。一切のものを捨てて自分の行くべき道を探せという声が一層的確(はっきり)と聞えて来た。
 英吉利(いぎりす)の言葉で物が読めるように成ってから捨吉は第三学年のおわりまでにモオレエの刊行した『イングリッシュ・メン・オヴ・レタアス』のうち十八世紀の詩人や文学者の評伝を三冊ほど抄訳した。学校の図書館から本を借りて来ては、ある時は殆んど日課もそっちのけにして、それらの伝記に読み耽り、それを抄訳して見るのを楽みにした。三冊は彼に取って可成な骨折であった。大切にしてめったに人にも見せないその三冊を寄宿舎の方から持って来ている。田辺の家の玄関の片隅にある本箱の中に蔵って置いてある。丁度蜜蜂が蜜でも溜めたように。
 捨吉は自分のはなはだしい愛着心に驚かされた。誰が手習の帳面のようなものをこう大事がって毎日々々取出して眺めているものがあろう。誰が半年も一年近くもこんなに同じことを気にかけているものがあろう。葬れ。葬れ。忘れ去りたい過去の記憶と共に。こう考えて、玄関の壁に掛けてある古びた額の下に立って見た。その額には田辺の親類にあたる年老いた漢学者が漢文で細かに書いた何とか堂の記だ。その漢学者からは捨吉もまだ少年の時分に詩経の素読なぞを受けたことのある人だ。茶の間の柱のところへも行って倚りかかって見た。客があれば夏でもその上へ座蒲団を敷いて勧める大きな熊の皮の上へも行って寝て見た。その猛獣の身体から剥ぎ取ったような顔面の一部と鋭い爪の附着した、小父さんの自慢の黒々として光沢のある、手触りの荒いようで滑らかな毛皮の敷物から身を起した頃は、捨吉は一思いに自分の殻を脱ぎ捨てようと思った。
 いっそ焼き捨てて了おう。そう思立って人の見ない裏の空地を撰んだ。三冊の草稿を持出しながら土蔵の前を通り、裏の木戸を開け、例の苺を植えて置いた畠の側へ行って見ると、そこに格好な場所がある。一方は高い土蔵の壁、一方は荒れた花壇に続いている。その空地に蹲踞(しゃが)むようにして、草稿の紙を惜気もなく引きちぎり、五六枚ずつもみくちゃにしたのを地べたの上に置いては火をかけた。紙は見る間に燃えて行った。捨吉は土蔵の廂間(ひあわい)にあった裏の畠を掃く草箒を手にしたまま、丹精した草稿が灰に化(な)って行くのを眺めていた。
「ええ――一緒に焼いちまえ」
 と言って見て、残った草稿を一纏めにした時は、どうかすると紅い[焔]が上った。その度に捨吉は草箒で火を叩き消した。色の焦げた燃えさしの紙(かみきれ)片は苺の葉の中へも飛んだ。
「捨さん、お前さんは何をするんだねえ」
 とお婆さんが木戸口から顔を出した頃は、捨吉の草稿はあらかた灰に化っていた。
「ナニ、何でも無いんです…すこしばかり書いたものを焼いちまおうと思ってるんです……」
「御覧なさいな、御近所ではなんだかキナ臭いなんて言ってるじゃ有りませんか」
 と復たお婆さんが言って、台所の方から水を入れた手桶を木戸口のところまで提げて来てくれた。捨吉は頭を掻き掻きお婆さんのくれた水ですっかり火を消した。灰も紙片も一緒こたに黒ずんだ泥のようにして了った。飛んだ人騒がせをしたと彼はきまり悪くも成った。これしきのものを焼捨てるのに、とは思ったが、黄ばんだ薄い煙が一団となって高く風の無い空に登ったのは狭い町中で彼のしたことと知れた。
 すごすごと捨吉は手桶を提げて台所へ戻ろうとした。奥座敷の方からお婆さんが声を掛けるのに逢った。行きかけた足を止めると、お婆さんの顔は見えなかったが、言うことはよく聞えた。
「……屑屋に売ったっても可いじゃないか……なにも書いたものをそんなに焼かなっくっても……」
 捨吉はどう言訳のしようも無かった。何故そんな真似をしなければ気が晴れないかということは、とても口に出して言えなかった。彼は手桶を提げたきり悄然(しょんぼり)と首を垂れて、お婆さんが言葉を続けるのを聞いていた。
「……お前さんが又、そんな巧みのあるような人なら、吾家(うち)なぞに居て貰うことは御免を蒙りましょうよ……」
 それほど自分の心持が目上の人に通じないかと捨吉は残念に思った。
 夕飯の時が来て細君も弘も円い大きな食台(ちゃぶだい)のまわりに一緒に成った。その時はもうお婆さんは他の話に移って、捨吉のしたことを咎めようとする様子はなかった。その淡黄色な、がっしりとした食台の側で、捨吉は玉木さんという人に紹介(ひきあわ)された。
「捨さん、あなたにもまたこれから御世話様に成りますよ」
 と玉木さんの小母さんは自分の旦那の顔と捨吉の顔とを見比べて言った。
 お婆さんは台所の方へ立って行ったり、また食台の側へ来たりして、独りでまめに身体を動かしながら、
「玉木さんは、捨さんの御父さんに御逢いに成ったことが有りますか」
「いえ、一度も――岸本さんという御名前は聞いてはおりましたが」と玉木さんが答えた。
 玉木さんは食客らしく遠慮勝ちに膝をすすめて、夫婦して並んで食台の周囲に坐った。「さあ、どうぞ召上って下さい」と田辺の細君に言われて、「戴きます」とは答えたが夫婦とも直ぐ箸を取ろうとはしなかった。御飯やおかずがつけてある前に、やや暫時(しばらく)頭を下げていた。それを見て捨吉はこの玉木さんが基督教の信徒であることを知った。

 お前はクリスチャンか、とある人に聞かれたら捨吉は最早以前に浅見先生の教会で洗礼を受けた時分の同じ自分だとは答えられなかった。日曜々々に定(きま)った会堂へ通い説教を聞き讃美歌を歌わなければ済まないことをしたと考えるような信者気質からは大分離れて来た。三度々々の食前の祈[祷]すら廃している。では、お前は神を信じないか、とまたある人に聞かれたら自分は幼稚ながらも神を求めているものの一人だと答えたかった。あやまって自分は洗礼なぞを受けた、もし真実に洗礼を受けるならこれからだ、と答えたかった。
 多勢の男女の信徒が集る教会の空気は捨吉の若い心を失望させたとは言え、学校のチャペルで日課前に必ずある儀式めいた礼拝なぞにもほとほと興味を失ったとは言え、何時の間にか彼はいろいろな基督教界の先輩から宗教的な気分を引出された。その影響は又、小父さんなぞの汗を流して奮闘している世界に対して妙に自分を力ないものとしたばかりでなく、世間に迂(うと)いということが恥辱ではなくて反って手柄かなんぞのようにさえ思わせた。こうした力なさは時とすると負惜みに近いような悲しい心持さえ捨吉に味わせた。小父さんの知っている人で莫迦(ばか)に元気の好い客なぞが来て高い声で笑ったり、好き勝手に振舞ったり、駄洒落を混ぜた商売上の話をしたりすると、小父さんなぞから見るとずっと難有味(ありがたみ)のない人だと思うにも関わらず、そういう大人の肥満した大きな体格に、充実した精力に、まだ年の若い捨吉は圧倒されるような恐ろしいもののあることを感じた。実際、捨吉は昔の漢学先生の額の掛った三畳ばかりの玄関を勉強部屋とも寝間ともして、自分のすることを大人に見られるのも恥じるような、青年らしい暗い世界に居た。
 玉木さん夫婦が来て同じ屋根の下に住むように成ったことは――例えば基督教信徒と言ってもあの真勢さんなぞと違って――妙に捨吉の心を落着かせなかった。玉木さんの小母さんは行く行くは女の伝道師にと志している人であった。まだこうして田辺の世話に成らない前、よく築地の方のから来て、滔々(とうとう)とした弁舌で福音の尊さを説きすすめたことを捨吉も耳に挟んだことがある。この婦人に言わせると、すべては神の摂理だ。貧しさも。苦しさも。兄なる人の家へ来て夫婦して身を寄せるほどの艱難(かんなん)も。おのが伝道師たらんとする志を起したのも。おのが信仰の力によって夫を改宗させたということも。三度々々の涙のこぼれるような食事も実は神の与え給うところの糧である。田辺の小父さんが横浜の方からでも帰って来ている日には、殊に玉木の小母さんの気焔(きえん)が高かった。物に感じ易い捨吉はこの婦人と田辺のお婆さんや姉さんとの女同士の峻烈(きび)しい関係を読むように成った。殊にそれを一緒に食台に就く時に読んだ。
「玉木さん、御飯」
 と時には捨吉が二階の梯子段のところへ呼びに行くことがある。すると夫婦は一階ずつ梯子段を踏む音をさせて降りて来て、入念に食前の感謝をささげた。ややしばらく夫婦が頭を下げている間、姉さん達も箸を取らず、夫婦が頭を上げるまで待っていたが、その間の沈黙には捨吉に取って何とも言いようのない苦しいものが有った。

 「ゆうぐれしずかに
     いのりせんとて、
  世のわずらいより、
     しばしのがる――」

 讃美歌の声が奥座敷の二階から聞えて来る。玉木さん達は夫婦だけで小さな感謝会でも開いたらしい。その讃美歌の合唱は最初は二人で口吟(くちずさ)むように静かで、世を忍ぶ心やりとも貧しさを忘れる感謝とも聞えたが、そのうちに階下へも聞えよがしの高調子に成った。玉木さんの男の声は小母さんの女の声に打消されて、捨吉が歩いた庭の青桐のところへ響けて来た。
 玉木さんの小母さんのすることは捨吉をハラハラさせた。捨吉は異様な、矛盾した感じに打たれて、青桐の下から庭の隅の方の楓や楠の葉の間へ行って隠れた。
「兄さん」
 と呼んで、こういう時に捨吉の姿を見つけては飛んで来るのが弘だ。どうかすると、弘は隣の家の同い年齢(おないどし)ぐらいな遊友達の娘の手を引いて来て、互いに髪を振ったり、腰に着けた巾着の鈴を鳴らしたりして、わっしょいわっしょいと捨吉の見ている前を通過ぎた。こうした幼い友達同士をすら、玉木の小母さんは黙って遊ばせては置かなかった。何か教訓を与えようとした。「弘さん達は二階で何をしていたの」なぞと聞いた。身に覚えのある捨吉は玉木の小母さんの言ったことを考えて、わざわざ少年をはじしめるようなそういう苛酷な大人の心を憎んだ。
 ある日、捨吉は二階の玉木さんの部屋へ上って行って見た。次第に玉木さんも捨吉と忸々(なれなれ)しい口を利くように成ったのである。殊に捨吉が基督教主義の学校で勉強していることや、聖書を熱心に読んで見ていることや、浅見先生の家にも置いて貰ったことがあるという話を知ってから、ちょいちょい玉木さんの方から捨吉の机の側へ覗きに来て、時には雑誌なぞを貸してくれと言うように成ったのである。
「捨さん、まあ御話しなさい」
 と玉木さんは言って、さも退屈らしく部屋を見廻した。
 その二階は特別な客でもあった時にあげる位で、平素はあまり使わない部屋にしてあった。楠の木目の見える本箱の中には桂園派の歌書のめずらしくても読み手の無いような写本が入れてある。長押(なげし)の上には香川景樹からお婆さんの配偶(つれあい)であった人に宛てたという歌人らしく達者な筆で書いた古い手紙が額にして掛けてある。玉木さんはここへ世話に成ってから最早その部屋の壁も、夏の日の射した障子も見飽きたという様子で、小父さんから借りた一関張(いっかんばり)の机の前に寂しそうに坐っていた。
 玉木さんは何をして日を暮していたろう。明けても暮れても読んでいるのは一冊の新約全書だ。ところどころに書入のしてある古く手擦れた革表紙の本だ。読みさしの哥林多(コリンタ)前書の第何章かが机の上に開けてある。
 捨吉は学校の友達にでも物を尋ねるような調子で、
「玉木さんがいらっしゃる築地の方の教会は何と言うんですか」
「私の属しているのは浸礼教会です」
 玉木さんは煙草を服(の)むことさえ不本意だが、退屈凌ぎに少しはやるという顔付で、短い雁首の煙管で一服付けながら答えた。
「基督教の中にもいろいろな宗派が有りますね。浸礼教会と云うと、真勢さんの行くのと同じですね」
「ええ、真勢も矢張そうです」
 玉木さんは眼に見えない昔の士族の階級を今も猶保存するかのように、真勢、真勢と呼捨にした。
「玉木さん、あなたはこれからどういうことをなさるんです」
 この捨吉の問には、玉木さんはめったにそんなことを聞いてくれた人も無いという眼付をして、やや眉をあげて、
「私ですか。これから伝道者として世に立とうと思ってます。私も今日までには随分いろいろなところを通って来て……失敗ばかりして……まあ漸く感謝の生涯に入りましたよ……」
 涼しい風が部屋の片隅の低い窓から通って来た。その延び放題に延びた長い枝や、青い荒い柳の葉が風に動いているのも見えた。捨吉は玉木さんと話しているうちに、そうした晩年になって静かな宗教生活に入ろうとしている人と対坐するような活々(いきいき)としたところは少しも感じなかった。貧しい弱いものの味方になってくれる基督教の教会へ行って霊魂(たましい)を預けるより外には、もうどうにもこうにもならないような、極度の疲労と倦怠とで打ち震える人の傍にでも居るような気がした。でも、「痩せても枯れても玉木です――一個の男子です――そう婦女子なぞに馬鹿にされてはいませんよ」と武士らしい威厳をもった玉木さんの眼は言うように見えた。
 そこへ階下から上って来たのは玉木の小母さんだ。小母さんは散らかしてあった針仕事なぞを壁の隅に取片付けていたが、やがて何か思いついたように夫の顔を見て、
「あなた、なんだか私は御祈りがしたくなった。今日は金曜ですに、皆で一緒に御祈りをせまいか」
「それも可かろう」
 と玉木さんは坐り直して肩を動(ゆす)った。
「捨吉さん、今日はあなたも御仲間にお入りなさいな」
 と小母さんは捨吉にもすすめた。
 哀憐(あわれみ)が捨吉の胸に起って来た。彼は夫婦と車座になって、部屋の畳の上に額を押宛てながら、もうそろそろ年寄と言っても可い人達のかわるがわるの祈[祷]の言葉を聞いた。小母さんは神様に言付けるような調子で、制(おさ)え難い女の胸の中を熱心に訴え、田辺のお婆さんや姉さんまで改宗させずには置かないという語気で祈った。玉木さんの方は極っくサッパリと祈った。「天にましますわれらの父よ、すべてをしろしめす父よ……」という風に祈った。
 次の日曜には、捨吉は表門の出入口のところで、ヨソイキの薄い夏羽織を着て出掛けようとする玉木さんの姿を見掛けた。
「玉木さん、教会ですか」
 と捨吉は聞くと、玉木さんは淋しそうに点頭(うなず)いて、赤い更紗の風呂敷に包んだ聖書を手にしながら築地の方を指して行った。
「お金ほど難有(ありがた)いものが今日の世の中にあるものかね……お金が無くて今日どうして生きて行かれるものかね……あたいは耶蘇は大嫌いだ……」
 何かお婆さんの癇癪に触ったことが有ると見え、捨吉をつかまえて玉木の小母さんにでも言うようなことを言って聞かせた。年をとってもお婆さんは精悍の気に溢れていた。娘と共に養子の主人を助けて過ぐる十年の間の苦労した骨折を取返すのはこの時だという意気込を見せていた。
 捨吉はちょっと面喰った。お婆さんや姉さんと玉木の小母さん夫婦との間に板挿みにでも成ったように感じた。大人同士のあらそいを避けて、誰も居ないようなところへ走って行きたい。そこで叫びたい。この心持は何とも名のつけようの無いものであった。彼は自分の内部から湧いて来るもののために半ば押出されるようにして、隅田川の水の中へでも自分の身体を浸したいと思付いた。
「お婆さん、一寸僕は大川端まで行って参ります。一寸行って泳いで参ります」
 こう言って出た。
 暑い日あたりの中を捨吉は走るようにして歩いて行った。水泳場の方へ通い慣れた道を取り、二町ばかり行って大川端の交番のところへ出ると、そこから兄の下宿も見える。河岸に面した二階の白い障子も見える。一寸声を掛けて行くつもりで訪ねると兄は留守で、奥の下座敷の方に女の若い笑声なぞも聞えていた。
「岸本さんは浜の方へお出ましで御座います」
 この下宿のおかみさんの返事で、兄は商用のために横浜の商館の方へ出掛けたことが知れた。岸の交番のならびには甘酒売なぞが赤い荷を卸していた。石に腰掛けて甘酒を飲んでいるお店者(おたなもの)もあった。柳の並木が茂りつづいている時分のことで、岸から石垣の下の方へ長く垂下がった細い条(えだ)が見える。その条を通して流れて行く薄濁りのした隅田川の水が見える。裸体で小舟に乗って漕ぎ廻る子供もある。彼は胸を突出して深く荒い呼吸をついて、青い柳の葉を心ゆくばかり嗅いだ。
 水泳場には捨吉の泳ぎの教師が居た。二夏ばかり通ううちに捨吉も隅田川を泳ぎ越すぐらいは楽に出来たのである。小屋の屋根に上って甲羅を乾かすもの、腕組をするもの、寝そべるもの、ぶるぶる震えているもの、高い梯子の上から音をさして水の中へ飛込むもの、そういう若い人達の中には身体の黒いのを自慢な古顔もあり、漸く渋皮の剥けかかった見知らぬ顔もあった。岸の近くは泳ぎ廻る人達の罵り叫ぶ声や蹴る騒がしい音で満たされていた。
 勝手を知った捨吉は多勢水泳場の生徒が集っているところで、時分も直ぐに着物を脱ぎ、背の立つ水の中を泳ぎ抜けて、小屋の近くに繋いである舟の上へ登った。遠く舟を離れて対岸をめがけて進むものもあった。彼も身を逆さまにして舟から水底の方へ躍り入った。あたかも身を悶(もが)かずにはいられないように。あたかも何か抵抗するものを見つけて身を打ちつけずにはいられないように。
 河蒸汽の残して行く高い波がやって来た。舟から離れて泳いでいるものはいずれもそれを迎えようとして急いだ。波は山のように持上がって来る。どうかすると捨吉はずっと後の方へ押流された。その度に彼は波の背に乗って、躍りかかって来るような第二の波をかぶった。一時はシーンとするほど深く沈んだ身体が自然と浮いて来て、段々水の中が明るく成ったと思うと、何時の間にか彼は日の反射する波の中に居た。旧両国の橋の下の方から渦巻き流れてくる隅田川の水は潮に混って、川の中を温暖(あたたか)く感じさせたり、冷たく感じさせたりした。浮いて来る埃塵(ごみ)の塊や、西瓜の皮や、腐った猫の死骸や、板片(いたきれ)と同じように、気に掛るこの世の中の些細な事は皆ずんずん流れて行くように思われた。
 捨吉は頭から何からすっかり濡れて舟へ上った。両方の耳からは水が流れて来た。その身体を日の光の中に置いて、しばらく波の動揺に任せていた。
「兄さん」
 と岸から呼ぶ子供の声がした。弘だ。弘は母親に連れられて大川端へ歩きに来ていた。
「弘さん」
 と捨吉も舟の上から呼びかわした。何年も何年も寝床の上ばかりに臥(ね)たり起きたりした田辺の姉さんが弘の手なぞを引いて歩いている姿をこの河岸に見つけるということは、捨吉にはめずらしかった。お婆さんの言草ではないが、まるで嘘のような気がした。
 岸へ上って身体を拭き、面長な教師にも別れ、水泳場を出て弘を探した頃は、姉さん達はもう見えなかった。小父さんが釣に来てよく腰をかける石なぞが捨吉の眼についた。
 濡れた手拭を提げて元来た道を田辺の家の方まで引返して行くと、捨吉は門前のところで玉木の小母さんのボンヤリ立っているのに逢った。小母さんは何を眺めるともなく往来を眺めていた。
「捨さん、お前さんはえらい」と小母さんが捨吉の顔を見て言った。
「何故です」と捨吉は問返した。
「何故って、田辺のような家にそう長く辛抱していられるのは、えらい」
 この小母さんの返事に、捨吉は侮辱を感じた。
 小母さんは悄(しお)れて、「もう私共はそんなに長いことここの家の御世話に成ってはいません」
 と附添(つけた)した。

 アーメン嫌いな人達の中で、時々捨吉が二階へ上って行って祈[祷](いのり)の仲間入をするように成ったは、同じ居候の玉木さんを憐れむという心からであった。こういう芝居町に近い空気の中にすくなくも基督教の信徒を見つけたからであった。彼はまだ身に覚えのないほど自ら憐むということをも覚えて来た。
 八月も末になって、捨吉は例のように書生としての勤めを励んでいた。せっせと庭を掃いているとめずらしく友達の菅が訪ねて来た。
「よく来てくれたね」
 と捨吉は田辺の家の方で友達を迎えたことを嬉しく思った。
「岸本君、君は今いそがしいんじゃないか」
 と菅が言ったが、捨吉はそれを打消して、庭から茶の間の方へ廻って一緒に下駄穿(げたばき)のまま腰掛けた。
「捨さん、何だねえ、お友達をお上げ申すが可いじゃないか」
 とお婆さんもそこへ顔を出して、捨吉の友達という青年をめずらしそうに見た。
「ここで沢山です」と菅はお婆さんの方を見て言った。
「君、上りたまえな」
 と捨吉は友達にすすめて、自分も一緒に茶の間に上った。こういう時にはお婆さんはよく気をつけてくれた。奥の部屋の方からわざわざ茶を入れたりお煎餅なぞを添えたりしてそれを持って来て勧めてくれた。
「菅君、これはまだ君に見せなかったッけか」
 と捨吉が玄関の方から取出して来て友達の前に置いたは、青いクロオス表紙のウォルヅウォースの詩集だ。菅はその表紙をうちかえして見て、二枚ばかり中に入れてある英吉利(いぎりす)の銅板の挿絵をもん眺めた。
 捨吉も一緒に眺め入りながら、
「好い画だろう。これは君、僕が初めて買った西洋の詩集サ。銀座の十字屋に出ていたのサ」
 こんな話から、二人はまだ少年の頃に英吉利の言葉を学び始めた時のことなぞが引出されて行った。初めてナショナルの読本が輸入されて、十字屋の店頭(みせさき)なぞには大きな看板が出る。その以前から行われたウィルソンやユニオンの読本に比べると、あの黄ばんだ色の表紙、飽きない面白い話、沢山な挿画、光沢のある紙においてまでが少年の心をそそって、皆争って買った時のことなぞも引出された。捨吉が初めて就いた語学の教師は海軍省へ出る小官史(こやくにん)とかで、三十銭の月謝でパアレエの万国史まで教えてくれた話も引出された。
「僕が二度目に就いた英語の先生という人は字引をこしらえていたよ。面白い発音の仕方で、まるで日本外史でも読むのを聞いてるようだっけ。それでも君、他の生徒があの先生はなかなかえらいなんて褒めりゃ、自分まで急に有難くなったような気もしたッけ」
 こう捨吉は友達に話して笑って、更に思出したように、
「浅見先生には僕は神田の学校でアーヴィングをおそわった。『スケッチ・ブック』なんて言ったって本が無かった。先生は自分が抜萃(ばっすい)したのをわざわざ印刷させた。アーヴィングなぞを紹介したのは恐らく浅見先生だろうと思うよ」
 こんな話もした。
 小一時間ばかり話しては菅は帰った。友達が置いて行ったやわらかい心持は帰った後までも茶の間に残っていた。
 夕方の静かな時に、捨吉は人の見ない玄関の畳の上に跪いた。唯独り寂しい祈[祷]の気分に浸ろうとした。丁度そこへお婆さんが通りかかった。捨吉は頭を上げて見て思わず顔を真紅にした。


 もう一度皆同級の青年が学窓を指して帰って行く時が来た。三年の間ずっと一緒にやって来たり途中で加わったりした生徒が更に第四学年の教室に移り、新しい時間表を写し、受持々々の教授を迎え、皆改まった顔付で買いたての香のする教科書を開ける時が来た。その中には初歩の羅甸語(らてんご)の教科書もあった。寄宿舎へ集るものは互いに一夏の間の話を持ち寄って部屋々々を賑わし、夜遅くまで舎監の目を忍び、見廻りの靴の音が廊下に聞えなくなる頃には、一旦寝た振をしていたものまで復た起出して寝室の暗い燈火(あかり)で話し込む時が来た。
 学校の表門の側にある幾株かの桜の若木も、もう一度捨吉の眼にあった。過去った日を想い起させ、曽て自分の言ったこと為たこと考えたことを想い起させ、打消し難い後悔を新にさせるような人々が、もう一度捨吉の眼前を往ったり来たりした。
 捨吉には既に田辺の家の方からある心の仮面を冠ることを覚えて来た。丁度小父さんの家がまだ京橋の方にあった時分田舎から出て来たばかりの彼は木登りが恋しくて人の見ない土蔵の階梯(はしご)を逆さに登って行くことを発明したが、そんな風にある虚偽(うそ)を発明した。彼は幾度となくそれを応用した場合を思出すことが出来る。そうした場合に起って来る自分の心持を思出すことが出来る。
 小父さんの家の玄関へ来て取次を頼むという客の中には随分いろいろな人があって、その度に御辞儀に出たり名前を奥へ通したり茶を運んだりしたが、芝居の座主とか大札とかが飛ぶ鳥も落すような威勢で入って来ても、芝居茶屋のおかみさんの腰のまわりにどんな自慢な帯が光っても、傲然(ごうぜん)とした様子で取次を頼むという客が小父さん達と同国の人とかで東京へ一文も持たずに移住したものは数え切れないほどあるが、その中での成功者はまあ誰と誰とであろうというような自慢話を聞かされても、彼はそういう場合に極りで起って来る反抗心を紛らそうとして、まるで何も感じも無いようなトボケた顔をしていたその自分の心持をよく思出すことが出来る。
 持って生れて来ただけの生命の芽は内部から外部へ押出そうとはしても、まだまだ世間見ずの捨吉の胸はあたかも強烈な日光に萎れる若葉のように、現実のはげしさに打ち震えた。彼はまたある特種の場合を思出すことが出来る。つい田辺の家の近く住んでよく往来を眺めている女の白く塗った顔は夢の中にでも見つけるような不気味なものであった。毎日夕方からお湯に入りに行くことを日課にしているその女の意気がった髪に掛けた青い色の手絡(てがら)は堪らなく厭味に思うのであった。その女が自分の大事な兄さんに岡惚(おかぼれ)しているという話を調戯(からかい)半分に田辺の姉さん達から聞かせられても――兄は商法の用事で小父さんの家へよく出入したから――でも彼は大人の情事(いろごと)なぞというそういうことに対して何処を風が吹くかという顔付をしていた。「捨さん、お前さんもよっぽど変人だよ」と田辺の姉さんに笑われて、彼はむしろある快感を覚えたことを思出すことが出来る。
 それを彼は高輪の方でも応用しようとした。曽て一緒に茶番をして騒いだ生徒にも。曽て揃いの洋服を造って遊んだ連中にも。曽て逢うことを楽みにした繁子や、それから彼女の教えている女学校の生徒達にも。曽て「岸本さん、岸本さん」ともてはやしてくれた浅見先生の教会の人達にも。「狂人の真似をするものは矢張狂人だ。馬鹿の真似をするものは矢張一種の馬鹿だ」とこの言葉は彼を悦ばせた。彼は痴人の模倣に心を砕いた。それを自分の身に実現(あらわ)そうと試みた。
「天秤棒!」
 どうかするとこんな言葉が冷かし半分に生徒仲間の方から飛んで来る。誰かそれを不意と思出したように。岸本は年少なくせに出過ぎて生意気だというところから、「鋳掛屋(いかけや)の天秤棒」という綽名(あだな)を取っていた。以前はそれを言われると――殊に高輪の通りで知った人の見ている前では――可成辛かった。もうそういう時は過ぎた。「白ばくれるない」とでも呼んで通る人の前へ行くと、殊に彼は馬鹿げた顔をして見せた。そして、胸に迫る悲しい快感を味おうとした。
 学校のチャペルへ上っても、教室へ行っても、時には喪心したように黙って、半分死んだような顔をしていることが有った。以前彼の快活を愛したエリス教授も、最早一頃のように忠告することすら断念(あきら)めて、彼が日課を放擲(ほうてき)するのに任せた。「ほんとに岸本さんも変ったのね」とか、「まあ岸本さんはどうなすったの」とか女学校の方の生徒達にまで言われるように成った。重い屈したあまり、彼はどうかすると裸体で学校のグラウンドでも走り廻りたいような気を起して、自分で自分の狂(きちがい)じみた心に呆れたこともある。
 こういう中で、捨吉は二人の友達に心を寄せた。相変らず菅は築地の家の方から通学していた。足立が寄宿舎生活をするように成ってからは、三人して一緒に成る機会が多かった。

 捨吉は足立の部屋の前へ行って、コンコンと扉を叩いて見た。
「お入り」
 と言う声がする。「カム・イン」と英語で言う声もする。
 扉を開けて入ると、丁度菅も学校の帰りがけに寄っていた。三脚しか椅子の置いて無い部屋の内に足立、菅の外に同級の寄宿生も二人居て、腰掛けるもあり、立つもあり、濃い色のペンキで木目に似せて塗った窓枠の内側のところに倚りかかるも有った。
「岸本は丁度好いところへ来た」
 と足立は年長の青年らしく言って、机の上に置いてある菓子の袋を勧めた。
「菅君、やり給えな」
 と一人の同級生は袋の口を菅の方へも向けて持成(もてなし)顔で言った。
「阿弥陀っていうと、何時でも僕の番に当るんだ」と他の同級生がわざと口惜しそうに言う。
「君が買って来たんか」
 と捨吉も笑って、皆と一緒に馳走の菓子を頬張った。
 窓の外は運動場に面した廊下で時々そこを通う下の組の生徒もある。するすると柱づたいに上層の廊下の方から降りて来るものも有る。いくらか引込んでいるだけに静かな窓のところへ菅は腰掛けて、
「岸本君、君に見せようと思って持って来たよ」
 と風呂敷包の中から一冊の洋書を取出して見せた。
「買ったね」
 思わず捨吉は微笑んで嬉げな友達の顔を見た。ダンテの『神曲』の英訳本だ。捨吉は友達の前でその黒ずんだ緑色の表紙を一緒に眺めて、扉を開けて行くと、『神曲』の第一頁がそこへ出て来た。長い詩の句の古典らしく並んだのが二人の眼を引いた。
「まだ読んで見ないんだが、一寸開けたばかりでも何だか違うような気がするね」と菅は濃い眉を動かして、「多分、君の買ったのと同じだろう」
「表紙の色が違うだけだ」
 と捨吉は答えてそれを足立にも見せた。若い額はその本に集った。
 他に同級生は居ても、特別の親しみがこの部屋へ来ると捨吉の身に感ぜられる。友達の読む書籍は彼も読み、彼の読む書籍は友達も読んだ。話せば話すほど引出されて行く。後から後から何か湧いて来る。時には、どうしてあんなことが言えたろうと、互いに話し合ったことを後で考えて見て、ビックリすることさえもある。
 足立が前に言ったことは、ふと捨吉の胸を通過ぎた。
「何故、君はあんなに一時黙っていたんだ」と足立が尋ねたが、そう直裁(ちょくさい)に言ってくれるものはこの友達の外に無い。捨吉はその時の答をもう一度探して見た。「僕は自分の言うことが気に入らなく成って来た……一時はもう誰にも口を利くまいと思った……そうすると独語(ひとりごと)を始めた、往来を歩いていても何か言うように成った……とても沈黙を守るなんてことは出来ない……」
 あの時、足立は快活な声で笑った。そしてこんなことを言った。「なにしろ岸本にも驚くよ。折角あんなに書いたものを焼いて了うなんて男だからねえ」
 眼前にあることと済んで了ったこととが妙に混り合った。捨吉は足立や菅と一緒に居て、一人の友達の左から分けた髪が眼についたり、一人の友達の黒い羽織の色や袴の縞なぞが眼についたりした。何処までが「今」の瞬間で、何処までが過去(すぎさ)ったことだか、その差別をつけかねた。 髭の赤い舎監が部屋の扉を開けて見廻りに来た。第四学年と成ってからは舎監も皆の為(す)るような笑顔をさえ見せ、友達でも呼ぶような調子で「足立君」とか「菅君」とか呼ぶように成った。
「残り物ですがいかがです」
 一人の同級生は菓子の袋を割いて舎監の前に置いた。
「それじゃ一つ御馳走に成るかナ」
 と舎監は手を揉んだ。
 軍人あがりのこの舎監は体操の教師をも兼ねていた。部屋の中央にある机の側に立って、足立達の用(つか)う教科書や字書を眺めた目を窓の外へ移し、毎日々々塵埃(ほこり)になって器械体操なぞを教える広い運動場の方を眺めながら、
「秋らしく成ったネ。西南戦争を思出すナ……」
 と粗い髭をひねりひねり言った。
 捨吉は窓の近く造りつけてある書架の前へ行って立って見た。何気なく足立の蔵書を覗くと若い明治の代に翻刻されたばかりの『一代女』が入れてある。古い珍本から模刻したというその挿画のめずらしい元禄風俗や、髪の形や、円味をもった袖や、束髪なぞが流行って来た時世にあって考えると不思議なほど隔絶(かけはな)れている寛濶(かんかつ)で悠暢(ゆうちょう)な昔の男女の姿や、それからあの皆なの褒める○○の多い西鶴の文章は捨吉も争って買って来て開けて見たものだ。何という汚れた書だろう。そう考えた彼は『一代女』を引割いて捨てた話をして、酷く足立には笑われた。それらのことが一緒に成って胸の中を往来した。
 捨吉は人知れず自分の馬鹿らしい性質を羞じずにはいられなかった。何故というに神聖な旧約全書の中からなるべく猥褻な部分を拾ってさかんに読んで見た男もそういう自分だから……
 舎監は部屋を出て行った。自修時間も終る頃だ。待構えていた下級の生徒等は一斉に寄宿舎を飛出した。広い運動場ではベース・ボールの練習も始まった。捨吉が菅と一緒に窓から外の廊下へ出ると、続いて一人の同級生も欄(てすり)のところへ来て眺めた。遠慮勝ちに普通学部の生徒の側を通って郊外の空気を吸いに出る神学生も見える。豪(えら)い人達だと思った年長の青年で学校へ遊びに来た卒業生も見える。赤い着物を着せた子供の手を引きながら新築した図書館の建物の側を歩いて行く亜米利加人の教授の夫人も見える。
 ふと繁子の名がめずらしく捨吉の耳に入った。しかも思いも寄らない同級生の口から。
「Bも駄目だよ、いくら豪傑を気取ったって――」
 とその同級生が言った。Bとは三年ばかり前の卒業生の一人だ。
「しかし君。可いじゃないか、男と女が交際したって」と捨吉は何気なく言って見ようとしたが、口には出さなかった。
「なんでもS先生の細君の取持だそうだ――」同級生はミッション・スクウル風の男女交際も、今までの習慣に無い婚約ということにも一切反対の語気で言った。
 次第に遠くなって行った繁子がBとの婚約の噂は妙に捨吉の胸を騒がせた。もう一度彼女は捨吉の方を振返って見て、若かった日のことを悉く葬ろうとするような最後の一瞥を投げ与えたように思わせた。
 運動場であるベース・ボールの練習も、空を飛ぶ球の動きも、廊下から見物するものを直に飽きさせた。皆な静止(じっ)としていられなかった。何か動くことを思った。けたたましく一つの部屋の戸を開けてまた他の部屋の方へ歓呼を揚げながら廊下を駆け抜けるものもある。
「菅君」
 と捨吉は友達の名を呼んで見て、その側へ行って一寸口笛を吹いた。
「何だい、いやに人をジロジロ見るじゃないか」と菅は笑った。
「君、ボクシングでもして遊ぼうか」
 捨吉はそんなことを思い付いて、皆が休息と遊戯を楽む中で、温厚(おとな)しい友達を向うへ廻した。
「どうしようと言うんだ」
「突きッくらを遣るんサ――二人で」
「岸本なんかに負けて堪るもんか」
 菅は「よし来た」という風に身構えた。両方の拳を堅く握り締めた。
「いいか、君、突くぜ」
「笑わせるから不可(いかん)よ」
「君が笑うから駄目だ」
「だって、ヒドい顔をするんだもの」
 捨吉は右の足を後方へ引き、下唇を噛みしめ、両腕に力を籠めながら、友達の拳の骨も折れようとばかり突撃して行った。菅も突き返した。
「まだ勝負がつかないじゃないか」
「もう御免だ。こんなに手が紅くなっちゃった――」
 楽しい笑声が窓の内外に起った。
 菅が築地をさして帰ろうと言いかけた頃は足立も捨吉も窓のところから一緒に秋らしい空を望んだ。どうかすると三人で腰掛けて日暮方の時を楽むのもその窓のところだ。向うの教室の側面にある赤煉瓦の煙筒も、それから人間が立つかのように立っている記念樹も暮れて来て、三棟並んだ亜米利加人の教授達の家族が住む西洋館にはやがてチラチラ燈火の点く頃までも。

 神は何故に斯く不思議な世界を造ったろう。何故にあるものを美しくし、あるおのを殊更醜くしたろう。何故に雀の傍に鷹を置き、羊の側に狼を置き、蛙の側に蛇を置き、鶏の側に鼬鼠(いたち)を置いたろう。何故に平和な神の教会にまで果てしなき暗闘を賦与し、富める長老と貧しい執事とを争わすのだろう。  姦淫する勿(なか)れ、処女を侵す勿れ、嫂(あによめ)を盗む勿れ、その他一切の不徳はエホバの神の誡(いまし)むるところである。バイロンの一生は到底神の嘉納(よみ)するものとも思われない。英吉利の詩人が以太利(イタリー)へ遊んだ時、ベニスの町で年頃な娘をもった家の母親はあの美貌で放縦な人を見せまいとして窓を閉めたというではないか。それにしても、万物を悲観するようなバイロンの詩がどうしてこう自分の心を魅するだろう。あの魅力は何だろう。仮令(たとえ)彼の操行は牧師達の顔を渋(しか)めるほど汚れたものであるにせよ、あの芸術が美しくないとはどうして言えよう。
 こうまた考えない訳にはいかなかった。
 捨吉にはもう一つ足の向く窓がある。新しく構内に出来た赤煉瓦の建物は、一部は神学部の教室で、一部は学校の図書館に成っていた。まだペンキの香のする階段(はしごだん)を上って行って二階の部屋へ出ると、そこに沢山並べた書架がある。一段高いところに書籍の掛りも居る。時には歴史科を受持つ頭の禿げた亜米利加人の教授が主任のライブラリアンとして見廻りに来る。書架で囲われた明るい窓のところには小さな机が置いてある。そこへも捨吉は好きな書籍を借りて行って腰掛けた。
 寄宿舎から見るとは方角の違った学校の構内のさまがその窓の外にあった。一日は一日と変って行く秋の空がそこから見えた。
 窓の日のあたりを眺めていると、捨吉の心は田辺の小父さんの方へ行った。どうかして捨吉の気を引立てようとしている小父さんが「貴様も見よ」と言って案内してくれた秋の興行の芝居が眼に浮ぶ。暗い板敷の廊下がある。多勢の盛装した下町風の娘達が互いに手を引きつれて往ったり来たりしている。芝居の出方でその間を通う男の挨拶するのを見ても、小父さんの顔の売れていることが知れる。廊下の暖簾(のれん)の間から舞台の方の幕の動くのも見える。樽屋のおばさんの娘をそういう暖簾のかげに見つけるのは丁度汐水(しおみず)の中に海の魚を置くほど似合わしくもある。
 二階のうずらにはまた狭い桟敷がある。樽屋のおばさんも覗きに来る。欄(てすり)に倚りかかって見ている弘もある。そこへ小父さんの肥った身体が入ると皆膝と膝を突合せた。
「捨吉、あの向うが小父さんの領分だ」
 と小父さんは舞台の正面に向かった高い桟敷を指して見せて、土間にも幾桝か買って置いたところがある、そこは出方に貸付けてあるなぞと話して聞かせてくれた。
 小父さんは用事ありげに桟敷を離れたり復た覗きに来たりした。茶屋の若いものが用を聞きに来ると、小父さんは捨吉の方を見て、
「どうぞ沢山御馳走して遣って下さい」
 と微笑を含んで言った。
 日の暮れないうちから芝居小屋の内部には燈火が点く。桟敷の扉を泄(も)れる空の薄明かりが夢のような思いをさせる。鼻液をかむ音、物食う音、ひそひそ話す声、時々見物を制する声に混って、御簾(みす)の下った高い一角からは三味線の音が聞えて来る。浄瑠璃の調子に合せて、舞台の上の人は操られるように手足を動かしたり、しなやかな姿勢をしたりした。どうかすると花やかな幕が開けた。人形のように白い顔をした若い男と女が舞台の上にあらわれて、背中と背中を触合わせたり、婉曲に顔を見合せたり、襦袢の袖を濡らしたりした。
「成駒屋」
 唸るような見物の大向から掛ける声が耳の底にある。
 麦畠の中で熱い接吻をかわすという英詩の文句が岸本の眼前には開けてあった。それは学校の図書館の本で英吉利の詩人バアンズの評伝中に引いてある一節であった。岸本は不思議な感じに打たれた。あの英吉利の詩人の書いたものに自分はこれほどの親しみを有つことが出来て、見たこともないスコットランドあたりの若い百姓が何となくそこいらに転がっているような気持をさせるのに、どうして自分の国の芝居小屋で舞台の上に見て来たことがこんなに自分の心を暗くするであろうかと。岸本は小父さんがわざわざ案内してくれた芝居からは反って沈んだ心持を受けて来た。
 芝居を見物した日は夕方から雨に成った。桟敷に居て雨の降るのを聞きつけた時は、楽しいようで妙に淋しかった。気味の悪いほど暗い舞台の後の方から突然(だしぬけ)に出てくる悪党の顔や、死を余儀なくされる場合の外には悔悟することも知らないような人の心や、眼の眩むような無法な暗殺の幕は、どうかすると見物半ばに逃げて帰りたいような気を起させた。芝居のはねた頃は雨がまだ降っていた。茶屋の若い者は番傘を運んで来たり、弘を背中に乗せて走ったりした。
「どうして成駒屋の人気と来たら大したものだ。しかし先代の若い時はもっと人気があった。娘が幾人身を投げたか知れない。芝居のはねる時分には裏門の前あたりは人で通れなかった位だ。そうして皆な役者を見に来たものだ」
 と小父さんは話してくれた。芝居見物と言えば極りで後に残る名のつけようの無いほど心細い、いやな心持の幾日も幾日も続いて離れないことは、余計に捨吉をいらいらさせた。眼の球の飛出たような役者の似顔絵、それから田辺の姉さんの枕許によく置いてあったみだらの感じのする田舎源氏の聨想(れんそう)なぞは妙に捨吉には悩ましいものであった。
 もっともっと胸一ぱいに成るようなものを欲しい。そう思って見ると、堤を切って溢れて行くような「チャイルド・ハロルド」の巡礼なぞの方に、捨吉は深く心を引かれるものを見つけた。青い麦の香を嗅ぐようなバアンズの接吻の歌も、自分の国の評判な俳優が見せてくれる濡幕(ぬれまく)にも勝って一層身に近い親しみを覚えさせた。彼はまた詩人ギョエテの書いたものを通して、まだ知らなかったような大きな世界のあることを想像し始めた。

 十一月も近くなって、岸本は兄から来た葉書を受取った。
「国許より母上上京につき、明土曜日には帰宅あれ。母上はお前を待つ。尤も今回はそう長く滞在してもいられない筈だ」とある。
「お母さんが来た」
 思わずそれを言って見た。――国の方のことも捨吉は最早大分忘れて了った位だ。お母さんと一緒に田舎で留守居する姉さんや、一人の家僕なぞのことが僅かに少年の記憶を辿らせる。思えば東京へ遊学を命ぜられて大都会を見ることを楽みに、兄に連れられて出て来た幼かった日――
 捨吉はしばらくお母さんへ手紙も書かなかった。お母さんからのは、いつも姉さんの代筆で、無事に勉強しているか、こちらも皆な変りなく留守居をしている、憚りながら御安心下さいというような便りを読む度に、捨吉は何と言って返事を書いて可いのか、それすら解らないほど国の方のことは遠く茫然として了った。彼はどういう言葉を用意して行ってお母さんに逢って可いのかも解らなかった。
 土曜日の午後から、捨吉はお母さんの突然な上京を不思議に考えつつ寄宿舎を出た。秋雨あがりで体操も碌に出来ないような道の悪い学校の運動場を見ると、寒い田舎の方へは早や霜が来るかと思わせた。取りあえず伊皿子坂で馬車に乗って、新橋からは鉄道馬車に乗換えて行った。
 田辺の家へ寄って見ると、台所に光る大きな黒竃(くろへっつい)の銅壷(どうこ)の側で、お婆さんが先ず笑顔を見せた。
「捨さん、お母さんが出ていらしったよ」と姉さんも奥座敷に居てめずらしそうに言った。「長いことそれでも吾家ではお前さんを世話したものだ」と眼で言わせて。
 夏の間のような低気圧が田辺の家には感じられなかった。二階に身を寄せていた玉木さん夫婦も、もう見えなかった。姉さんは壮健(じょうぶ)そうに成ったばかりでなく、晴々とした眼付で玉木さん達の噂をした後に、めったに口にしたことのない仮白(こわいろ)なぞを遣うほど機嫌が好かった。 「鹿尾菜(ひじき)と煮染(にしめ)の惣菜じゃ、碌な智慧(ちえ)も出めえ――」
 姉さんまで小父さんの成田屋張にかぶれて、そんなことを言うように成った。
「捨さん、お前さんは何を愚図々々してるんだねえ。早くおっ母さんにお目に掛りにお出な」
 とお婆さんは急き立てるように言った。
 民助兄は大川端の下宿の方で、お母さんと一緒に岸本を待受けていてくれた。障子の嵌硝子(はめがらす)を通して隅田川の見える二階座敷で、親子は実に何年振かの顔を合せた。


「お母さん、もう少しお休みなさい。まだ起きるには早うござんす」
 と、兄は寝床から声を掛けた。
「あい」
 と、お母さんも寝返りを打ちながら答えた。
 早起の兄も、郷里の方から出て来たお母さんを休ませるために、床を離れずにいる様子であった。このお母さんと兄との側で、親子三人めずらしく枕を並べて寝た大川端の下宿の二階座敷で、捨吉も眼を覚ました。本所か深川の方の工場の笛が、あだかも眠から覚めかけようとする町々を呼び起すかのように、朝の空に鳴り響いた。捨吉は半分夢心地で、その音を聞いていた。過ぐる十年の長い月日の間、「お母さん」と呼んで見る機会も殆んど有たなかったその人の側で。その人の乳房を吸い、その人に抱かれて寝た少年の日も遠い昔の夢のように。
 ややしばらくして、復た兄が言った。
「お母さん。もう少しお休みになったらどうです。昨夜はまたあんなに遅かったんですから」
「田舎者は、お前、稀に東京などへで来ると、よく寝られずか。車の音がもう終宵(よつぴて)耳について」
 こんなことを言って、お母さんは早や起出した。
 他人に仕える一切の行いが奉公なら、捨吉の奉公は彼が極く幼い頃から始まった。大都会を見るのを楽みに、九つの年に両親の膝下を離れて来た日から、既にその奉公が始まった。上京して一年ばかりは姉の夫の家に世話になり、そこから小学校に通ったが、姉夫婦の帰国後は全く他人の中に育てられたのである。兄等のはからいで、田辺の家に少年の身を寄せるように成ってからも、注意深い家族の人達の監督を受け、学問するかたわら都会の行儀作法を見習い、言葉づかいを覚え、田辺の小父さんや姉さんやそれからおばあさんに仕えることを自分の修行と心得て来た。その頃、兄はまだ郷里の方で、彼の許へ手紙を寄せ、家計もなかなか楽ではないぞ、その中で貴様に学問させるのだから貴様もその積りでシッカリやってくれとよく言ってよこした。子供心にも彼は感激の涙なしにそういう手紙を読めなかった。艱難(かんなん)も、不自由も、彼にはそれが当然のことのように思われた。どうかして人の機嫌を損ねないように、そして自分を幸福にするように、とは一日も彼の念頭を離れなかった。多くの他の少年が親の膝下でのみ許されるような我儘(わがまま)は全く彼の知らないものであった。まだそれでもお父さんの生きているうちは、根気よく手紙をくれて、少年の心得になるようなことや、種々な郷里の方のことや、どうかすると嫂(あによめ)が懐妊したから喜べというような家庭の中のことまで、よく書いてよこしてくれた。お父さんが亡くなったことを聞いたのは、彼が十三の歳であった。お父さんの最終にくれた手紙には、古歌なぞに寄せて、子を思う熱い親の情(こころ)が書き籠めてあったが、それからはもう郷里の方のこまかい事情を知らせてよこしてくれる人もなくなった。お母さんからも遠くなった。漸く物心つく年頃になって、彼は一年ばかりも郷里の方のお母さんの側に居て来て見たいと言出したことがある。「貴様も妙なことを考える奴だ」と田辺の小父さんから笑われたことがある。どうも自分の性質はひねくるような気がして仕方がないと言って見て、「馬鹿、学問を中途で止めて親の側に居て来るという奴があるものか」とまた小父さんからひどく笑われたことがある。捨吉がお母さんの側にでも居て来て見たいなぞと言出したのは、後にも前にもその一度きりであったが。
 それほど捨吉はお母さんから遠かった。お父さんが亡くなったことを聞いた時すら、帰国は叶わなかった。唯一度――郷里の方で留守居するお母さんや嫂を見に帰って行ったことがある。その時は兄の代理として、祖母さんのお送葬(とむらい)をするために出掛けたことがある。それぎりだ。すべては彼の境涯が許さなかった。

 お母さんは隅田川の見える窓に近く行って、東の方の空を拝んだ。毎朝欠かしたことも無いように軽く柏手を打って、信心深い眼付で祈願を籠めるそのすがたを、捨吉は久し振で見た。何か心配あっての上京とは、お母さんを見た時一番先に捨吉の胸へ来た。単独な女の旅ということも思い合された。長い留守居で、お母さんも年をとった。朝になって見て余計にそれが捨吉の眼についた。深い谿谷(たにあい)の空気に揉まれたお母さんの頬の皮膚の色は捨吉が子供の時分に見たまま、まだ林檎のように艶々とした紅味も失われずにあったが。
 周囲は下町らしい賑かな朝の声で満たされた。納豆売の呼声も、豆腐屋の喇叭(らっぱ)も、お母さんの耳にはめずらしいもののようであった。お母さんは田舎風の黒羅紗のトンビを引きよせ、部屋にいてもそれを引掛けて寒い国から東京へ出て来たという容子をしていた。兄は何かにつけてお母さんに安心を与えようとする風で、その昔県会議員などをした人とも思われない程めっきり商人らしくなった前垂掛の膝をすすめ、長火鉢の側でお母さんにも弟にも手づから朝茶を注いで勧めた。
「御蔭でまあ大勝の大将には信用されるように成りましたし、浜には取引が出来ますし、田辺とは殆んど兄弟のようにして往ったり来たりしていますし……これまでに取付くというだけでも、なかなか容易では無かったんです」
 こう兄はお母さんに言って、例の咳払いを連発させた。田舎の炉端で灰を掻きならすと同じ手付でお母さんは兄と対い合った長火鉢の灰を丁寧に掻きならしながら、郷里の方に残して置いて来た嫂や、孫娘や、年とった正直な家族の噂をした。お母さんと兄との間には、捨吉なぞのよく知らない話も混って出て来た。まだ世間見ずの捨吉にも、それが兄の借財に就いてであることは、容易に感知することが出来た。
「何か捨吉の許へも持って来たいとは思ったが、土産一つ用意する暇もあらずか。ほんとに今度は何処へも内証の旅だで」
 と、お母さんは捨吉の方を見て言った。
「今織りかけた機(はた)があるで、そのうちに届けるわい」
 と附添(つけた)した。
 食後には兄はいそがしそうな様子で、
「一寸私は大将のところまで行って来ます。他にも用達に廻って来るかも知れません。捨吉、今日はゆっくりしても可かろう。正午までに俺も帰って来る」
「あの昨夜の話はお前に頼んだぞい」とお母さんが言った。
「承知しました。お母さん、それじゃお話しなすって下さい」
「あい、そうかい」とお母さんは立って見送った。
 兄は出て行った。お母さんは部屋に置いてある箪笥の前を歩いて見たり、兄の机の上などを見廻したりして、
「まあ、俺も出て来て見て、これで漸(やっ)と安心した」
 とさも溜息を吐くように言った。久し振で兄の咳払いを聞いただけでも、お母さんは安心したらしい様子であった。やがて捨吉の傍へ来て、兄の居るところではしなかったような話を始めた。お母さんは子供の時の面影でも探すように捨吉の顔を見ながらその話をした。
「なかなか郷里の方も口煩いぞい」とお母さんが言った。「あんまり御留守居が長くなるもんだで、皆で種々(いろいろ)なことを言う。やれ岸本の姉さまは可哀そうだの、兄さまは東京の方で女を囲って置かっせるだの、子まであるそうな、そんなことまでお前、皆で言い触らす。俺も黙って聞いてはおられんじゃないかや。『おあき(嫂の名)、心配するない、俺が東京へ行って見てくるで』――そう言って、急に思い立って来たわのい。寒い日だったぞや。国を出る時はもうお前、霜が真白。峠の吉右衛門も心配して、『姉さま、こんな日に行かっせるかなし、名古屋まで用があるで、そいじゃ途中まで送って行って遣らず』――そう言って、吉右衛門が送って来てくれた。まあ俺も出て来て見て、漸と安心した。おあきを兄さまに渡すまでは、俺の役目が済まないで。どうしてもお前、国でも皆な一生懸命よのい、俺もお前達のために神様へ願懸けして、どうかして兄さまもよくやって下さるように、捨吉も無事で居りますように、毎日そう言って拝んでいる。どんなに心配しているか知れなぞや……」

 眼前の事物にほとほと興味を失いかけていた捨吉がお母さんの話を聞いて見た時の心持は、所詮説明すことの出来ないものであった。唯それは感じ得られるような性質のものであった。そしてそれを感ずれば感ずるほど、余計にすべてが心に驚かれることばかりのようであった。はかない少年の夢が破れて行った日から、彼は殆んど自分一人に生きようとした。寂しい暗い道を黙し勝ちに辿って来た。彼は曽て自分が基督教会で洗礼を受けたということまで、このお母さんに告げ知らせようともしなかった。これほど自分のために心配してくれるお母さんのような人があることさえも忘れ勝ちに暮して来た。
 何年も捨吉が思出さなかった懐しい国の言葉の訛や、忘れていた人達の名前が、お母さんの口から引継ぎ引継ぎ出て来た。お母さんは捨吉から送った写真のことを言出して、
「あの写真をよこしてくれた時は、皆大騒ぎよのい。吉田屋の姉さま、おりつ小母さままで来てて、『あれ、これが捨様かなし、そいったってもまあ、こんなに大きく成らっせいたかなし』なんてそう仰ッせて……」
 少年の時分からよく見覚えのある、お母さんの左の眼の上の大きな黒子(ほくろ)。それを見ていると、どうかすると捨吉はお母さんの話すことを聞いていながら、心は遠く故郷の山林の方へ行った。彼の心は何年となく思出しもしなかった遠い山のかなたに狐火の燃える子供の時の空の方へ帰って行った。山には狼の話が残り、畠には狢(むじな)や狸が顕われ、禽獣(とりけもの)の世界と接近していたような不思議な山村の生活の方へ帰って行った。あかあかと燃える焚火の側で、焼きたての熱い蕎麦餅に大根おろしを添えて、皆なで一緒に食う事を楽みにした広い炉辺の方へ帰って行った。一緒に榎の実を集めたり、時には橿鳥(かしどり)の落して行った青い斑の入った羽を拾ったりした少年時代の遊び友達の側へ帰って行った。「オバコ」という草なぞを採って、その葉の繊維に糸を通して、機を織る子供らしい真似をした隣の家の娘の側へ帰って行った。その娘の腕まくり、裾からげで、子供らしい淡紅色(ときいろ)の腰巻まで出して、一緒に石の間に隠れている鰍(かじか)を追い廻した細い谷川の方へ帰って行った。生れて初めて女というものに子供らしい情熱を感じたその娘と一緒に、よく青い蔕(へた)の附いた実の落ちたのを拾って歩いた裏庭の土蔵の前の柿の木の下の方へ帰って行った。「わたし」と言うかわりに女でも「おれ」と言い、「捨さん」と呼ぶかわりに「捨さま」と呼ぶような、子供の時分から聞き慣れた可懐しい言葉の話される世界の方へ帰って行った。そこでは絶えず自分のことが噂に上りつつあるというに、しかも自分の方ではめったに思い出しもしなかった旧い馴染みの人達の側へめずらしく帰って行った。
 兄は用達から帰って来た。午後からお母さんは田辺の家を訪ねる筈であった。
「捨吉、貴様はお母さんのお供をしろや」と兄は言った。「時間が来たら貴様は学校へ帰るが可い。どうせ田辺には逢う用があるし、大勝の大将から頼まれて来た言伝(ことづて)もあるし、俺は後から出掛ける」
「それじゃ、捨吉に連れてって貰わず」
 とお母さんも言った。年はとっても、お母さんの身体はよく動いた。捨吉の見ている前で、髪をなでつけたり自分で織ったよそいきの羽織に着更えたりして、いそいそと仕度した。田辺の訪問はお母さんに取って無造作に済ませることでも無いらしかった。

 お母さんのお供で捨吉は兄の下宿を出た。屋外は直ぐ大橋寄りの浜町の河岸だ。もう十月の末らしい隅田川を右にして、夏中よく泳ぎに来た水泳場の附近に沙魚(はぜ)釣の連中の集るのを見ながら、お母さんと二人で並んで行くというだけでも、捨吉には別の心持を起させた。河岸の氷室について折れ曲ったところに、細い閑静な横町がある。そこは釣好きな田辺の小父さんが多忙しい中でも僅かな閑を見つけて、よく釣竿を提げて息抜きに通う道だ。捨吉は自分でも好きなその道を取って、田辺の家の方へお母さんを案内して行った。
 田辺は全盛に向おうとする時であった。板塀越しに屋敷の外で聞いた井戸の水酌みの音まで威勢が好かった。小父さんが交際する大勝一族の御店の旦那衆をはじめ、芝居の替り目ごとに新番附を配りに来る茶屋の若い者のようなそういう人達までさかんに出入する門の戸を開けると、一方は玄関先の格子戸、一方は勝手の入口に続いている。捨吉は勝手の入口の方からお母さんを案内しようとして、丁度そこで河岸の樽屋の娘に逢った。捨吉が学校から戻って来る度によく見かけるのはこの娘だ。娘は捨吉親子に会釈して表の方へ出て行った。
「さあ、お母さん、どうぞお上んなすって下さい」
 と田辺のおばあさんは逸早(いちはや)く竃(へっつい)の側まで飛んで出て来た。
「捨さん、お前さんもまた玄関の方から御案内すれば可いのに」
 と田辺の姉さんもそこへ出て来て、半ば遠来の客を持成顔(もてなしがお)に、半ば捨吉を叱るように言った。
「御待ち申していました」
 と小父さんまで立って来て、お母さんを迎えた。
 田辺のおばあさんの亡くなった連合(つれあい)という人と、捨吉のお父さんとは、むかし歌の上の友達であったとか。幾年か前には、お父さんは捨吉を見るために一度上京したことがあって、田辺の家の一番苦しい時代に尋ねて来た。お母さんはまた、田辺の家の人達の一番見て貰いたいと思うような日に訪ねて来たのであった。
 奥座敷で起る賑かな笑声を聞捨てて、捨吉は玄関の方へ取次に出た。大勝の店に奉公する若いものの一人が旦那の使に来た。新どんと言って、いくらか旦那の遠い縁つづきに当るとかで、お店者らしく丁寧な口の効きようをする人であった。この取次を機会に、捨吉はおばあさんや姉さんとお母さんとに交換される女同士の改まったような挨拶を避けて、玄関を歩いて見た。極く僅かな暇があっても、捨吉の足を引きとめるのはその玄関の片隅だ。もしお母さんが学問のことの解るような人であったら、何よりも捨吉が見せたいと思うものは、そこにあった。彼はそこにある自分の本箱の中に、湖十の編纂した芭蕉の一葉集、高輪の浅見先生に聞いてある古本屋から探し出して来た西行の選集抄、その他日頃愛読する和漢の書籍を蔵って置いた。それらは貧しい中から苦心して蒐めたもので、兄から貰った小使で買った其角(きかく)の五元集、支考の俳諧十論などの古い和本も入れてある。郷里の方の祖母さんが亡くなって葬式に行った時に、父の遺した蔵書の中から見つけて来た黄山谷の詩集もある。捨吉はこうした和書や漢書の類を田辺の家の方に置き、洋書はおもに学校の寄宿舎の方に持って行って置いた。
「捨吉」
 と奥座敷の方で呼ぶ小父さんの高い声が聞えた。
 捨吉が復た小父さん達の中へ行った見た頃は、弘まで姉さんの側に倚りかかって、めずらしそうに捨吉のお母さんの方を見ていた。
「捨さん、何だねえ。玄関の方なぞに引込んでないで、ちっとはお母さんの側にでも坐っておいでな」
 とおばあさんが言った。
「ほんとだよ」と姉さんも調子を合せた。「お母さんの頸ッ玉へでも齧(かじ)り付いて遣れば可いんだ」
 才気をもった姉さんは捨吉の腹の底を抉るようなことを言った。姉さんは半分串談(じょうだん)のようにそれを言ったが、思わず捨吉は顔を紅めた。
「どうです、お母さん」と小父さんは例の調子で快活に笑って、「捨吉も大きくなったものでしょう」
「捨吉さん、どちらかと言えば小柄な方でしたのに、ここ二三年以来急にあんなに大きく成りました」と姉さんも言葉を添えた。
 お母さんはつつましやかな調子で、「ほんとに、これと申すも皆田辺様の御蔭だで、難有(ありがた)いことだぞや――そう申してなし、郷里の方でも言い暮しておりますわい。何から何まで御世話さまに成って、この御恩を忘れるようなことじゃ、捨吉もダチカンで」
 交際上手な田辺の人達はやがてこのお母さんを打解けさせずには置かなかった。おばあさんは国の方に居る捨吉の姉の噂をしきりとして、姉が一度上京した折の話なぞをお母さんの口から引出した。
「彼女(あれ)が出てまいった時よなし」とお母さんは思出したように言った。「捨吉を某処(どこぞ)へ一緒に連れてまいりましたそうな。その時捨吉が彼女にそう申したげな。こうして姉さんと一緒に歩いていても、何処か他(よそ)の家の小母さんとでも歩いているような気がするッて。彼女が郷里の方へ帰ってまいって、その話よなし。ほんとに、同じ姉弟でも長く逢わずにいたら、そんな気がしませず……」
 お母さんの言出した話は、それが国の方の姉の噂であるのか、自分の遣瀬(やるせ)ない述懐であるのか、よく分らないような調子に聞えた。
「他の家の小母さんは好かった」と小父さんも眼を細くして笑出した。
 捨吉はそこに集っている皆の話の的になった。小父さんの笑った眼から何時(いつ)の間にか涙が流れて来た。兄の下宿の方ではそれほどには思わなかった捨吉も、田辺の家の人達の前にお母さんを連れて来て見て、不思議な親子の邂逅(めぐりあい)を感知した。



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入力  まっきい
校正  nani
公開サイト 書籍デジタル化委員会
http://www.wao.or.jp/naniuji/
2000/01/24/掲載途中
NO.019
底本 『桜の実の熟するとき』新潮文庫/1996/新潮社
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(註)
コード外の文字は[ ]で示し、別字またはカナで表記。
ウムラウト、アクサンなどは省略。