Library 感想
家 霊
岡本かの子 


 山の手の高台で電車の交叉点になっている十字路がある。十字路の間からまた一筋細く岐(わか)れ出て下町への谷に向く坂道がある。坂道の途中に八幡宮の境内と向い合って名物の'どじょう'店がある。拭き磨いた千本格子の真中に入口を開けて古い暖簾が懸けてある。暖簾にはお家流の文字で白く「いのち」と染め出してある。
 どじょう、鯰、鼈(すっぽん)、河豚、夏はさらし鯨――この種の食品は身体の精分になるというこから、昔この店の創始者が素晴らしい思い付きのつもりで店名を「いのち」とつけた。その当時はそれも目新しかったのだろうが、中程の数十年間は極めて凡庸な文字になって誰も興味をひくものはない。ただそれ等の食品に就てこの店は独特な料理方をするのと、値段が廉(やす)いのとで客はいつも絶えなかった。
 今から四五年まえである。「いのち」という文字には何か不安に対する魅力や虚無から出立する冒険や、黎明に対しての執拗な追及性――こういったものと結び付けて考える浪漫的な時代があった。そこでこの店の洗い晒された暖簾の文字も何十年来の煤(すす)を払って、界隈の現代青年に何か即興的にしろ、一つのショックを与えるようになった。彼等は店の前へ来ると、暖簾の文字を眺めて青年風の沈鬱さで言う。
「疲れた。一つ'いのち'でも喰うかな」
 すると連れはやや捌(さば)けた風で
「逆に喰われるなよ」
 互いに肩を叩いたりして中へ犇(ひしめ)き入った。
 客席は広い一つの座敷である。冷たい籐の畳の上へ細長い板を桝形に敷渡し、これが食台になっている。
 客は上へあがって坐ったり、土間の椅子に腰かけたりしたまま、食台で酒食している。客の向っている食品は鍋'るい'や椀が多い。
 湯気や煙で煤けたまわりを雇人の手が届く背丈けだけ雑巾をかけると見え、板壁の下から半分ほど銅のように赭(あか)く光っている。それから上、天井へかけてはだだ黒く竈(かまど)の中のようである。この室内に向けて昼も剥き出しのシャンデリアが煌々と照らしている。その漂白性の光はこの座敷を洞窟のように見せるばかりでなく、光は客が箸で口からしごく肴の骨に当ると、それを白の枝珊瑚に見せたり、堆(うずたか)い皿の葱の白味に当ると玉質のものに燦(きらめ)かしたりする。そのことがまたかえって満座を餓鬼の饗宴染みて見せる。一つは客たちの食品に対する食べ方が亀屈(かじか)んで、何か秘密な食品に噛みつくといった様子があるせいかも知れない。
 板壁の一方には中くらいの窓があって棚が出ている。客の誂えた食品は料理場からここへ差出されるのを給仕の小女は客へ運ぶ。客からとった勘定もここへ載せる。それ等を見張ったり受取るために窓の内側に斜めに帳場格子を控えて、永らく女番人の母親の白い顔が見えた。今は娘の'くめ子'の小麦色の顔が見える。くめ子は小女の給仕振りや客席の様子を監督するために、ときどき窓から覗く。すると学生たちは奇妙な声を立てる。くめ子は苦笑して小女に
「うるさいから薬味でも沢山盛ってって宛てがっておやりよ」と命ずる。
 葱を刻んだのを、薬味箱に誇大に盛ったのを可笑(おか)しさを堪えた顔の小女が学生たちの席へ運ぶと、学生たちは娘への影響があった証拠を、この揮発性の野菜の堆さに見て、勝利を感ずる歓呼を挙げる。
 'くめ子'は七八ヶ月ほど前からこの店に帰り病気の母親に代ってこの帳場格子に坐りはじめた。くめ子は女学校へ通っているうちから、この洞窟のような家は嫌で嫌で仕方がなかった。人生の老耄(ろうもう)者、精力の消費者の食餌療法をするような家の職業には堪えられなかった。
 何で人はああも衰えというものを極度に惧(おそ)れるのだろうか。衰えたら衰えたままでいいではないか。人を押付けがましいにおいを立て、脂がぎろぎろ光って浮く精力なんというものほど下品なものはない。くめ子は初夏の椎の若葉の匂いを嗅いでも頭が痛くなるような娘であった。椎の若葉よりも葉越しの空の夕月を愛した。そういうことは彼女自身かえって若さに飽満していたためかも知れない。
 店の代々の慣わしは、男は買出しや料理場を受持ち、嫁か娘が帳場を守ることになっている。そして自分は一人娘である以上、いずれは平凡な婿を取って、一生この餓鬼窟の女番人にならなければなるまい。それを忠実に勤めて来た母親の、家職のためにあの無性格にまで晒されてしまった便りない様子。能の小面(こおもて)のように白さと鼠色の陰影だけの顔。やがて自分もそうなるのかと思うと、くめ子は身慄(みぶる)いが出た。
 くめ子は、女学校を出たのを機会に、家出同様にして、職業婦人の道を辿った。彼女はその三年間、何をしたか、どういう生活をしたか一切語らなかった。自宅へは寄寓のアパートから葉書ぐらいで文通していた。くめ子が自分で想い浮べるのは、三年の間、蝶々のように華やかな職場の上を閃めいて飛んだり、男の友だちと蟻の挨拶のように触覚を触れ合わしたりした、ただそれだけだった。それは夢のようでもあり、いつまで経っても同じ繰返しばかりで飽き飽きしても感じられた。
 母親が病気で永い床に就き、親類に喚び戻されて家に帰って来た彼女は、誰の目にもただ育っただけで別に変ったところは見えなかった。母親が
「今まで、何をしておいでだった」
 と訊くと、彼女は
「えへへん」と苦もなげに笑った。
 その返事振りにはもうその先、挑みかかれない微風のような調子があった。また、それを押して訊き進むような母親でもなかった。
「おまえさん、あしたから、お帳場を頼みますよ」
 と言われて、彼女はまた  くめ子は、多分諦めのようなものが出来て、今度はあまり嫌がらないで帳場を勤め出した。

 押し迫った暮近い日である。風が坂道の砂を吹き払って凍て乾いた土へ下駄の歯が無慈悲に突き当てる。その音が髪の毛の根元に一本ずつ響くといったような寒い晩になった。坂の上の交叉点からの電車の軋(きし)る音が前の八幡宮の境内の木立のざわめく音と、風の工合で混りながら耳元へ[掴]んで投げつけられるようにも、また、遠くで盲人が呟いているようにも聞えたりした。もし坂道へ出て眺めたら、たぶん下町の灯は冬の海の'いさり'火のように明滅しているだろうとくめ子は思った。
 客一人帰ったあとの座敷の中は、シャンデリアを包んで煮詰まった匂いと煙草の煙りとが濛々としている。小女と出前持の男は、鍋火鉢の残り火を石の炉に集めて、焙(あた)っている。くめ子は何となく心に浸み込むものがあるような晩なのを嫌に思い、努めて気が軽くなるようにファッション雑誌や映画会社の宣伝雑誌の頁を繰っていた。店を看板にする十時までにはまだ一時間以上もある。もうたいして客も来まい。店を締めてしまおうかと思っているところへ、年少の出前持が寒そうに帰って来た。
「お嬢さん、裏の路地を通ると徳永が、また註文しましたぜ、御飯つきでどじょう汁一人前。どうしましょう」
 退屈して事あれかしと待構えていた小女は顔を上げた。
「そうとう、図々しいわね。百円以上も'カケ'を拵えてさ。一文も払わずに、また――」
 そして、これに対してお帳場はどういう態度を取るかと窓の中を覗いた。
「困っちまうねえ。でもおっかさんの時分から、言いなりに貸してやることにしているんだから、今日もまあ、持ってっておやりよ」
 すると炉に焙っていた年長の出前持が今夜に限って頭を擡(あ)げて言った。
「そりゃいけませんよお嬢さん。暮れですからこの辺で一度'かた'をつけなくちゃ。また来年も、ずるずるべったりですぞ」
 この年長の出前持は店の指導者格で、その意見は相当採上げてやらねばならなかった。で、くめ子も「じゃ、ま、そうしよう」ということになった。
 茹(ゆ)で出しうどんで狐南蛮を拵えたものが料理場から丼に盛られて、お夜食に店方の者に割り振られた。くめ子もその一つを受取って、熱い湯気を吹いている。このお夜食を食べ終る頃、火の番が廻って来て、拍子木が表の薄硝子の障子に響けば看板時間前でも表戸を卸すことになっている。
 そこへ、草履の音がぴたぴたと近づいて来て、表障子がしずかに開いた。
 徳永老人の髯の顔が覗く。
「今晩は、どうも寒いな」
 店の者たちは知らん振りをする。老人はちょっとみんなの気配を窺ったが、心配そうな、狡(ずる)そうな小声で、
「あの――註文の――御飯つきの'どじょう'汁はまだで――」
 と首を屈めて訊いた。
 註文を引受けてきた出前持は、多少間の悪い面持で
「お気の毒さまですが、もう看板だったので」
 と言いかけるのを、年長の出前持はぐっと睨めて顎で指図をする。
「正直なとこを言ってやれよ」
 そこで年少の出前持は何分にも、一回、わずかずつの金高が、積り積って百円以上にもなったからは、この際、若干でも入金して貰わないと店でも年末の決算に困ると説明した。
「それに、お帳場も先と違って今はお嬢さんが取締っているんですから」
 すると老人は両手を神経質に擦り合わせて
「はあ、そういうことになりましてすかな」
 と小首を傾けていたが
「とにかく、ひどく寒い。一つ入れて頂きましょうかな」
 といって、表障子をがたがたいわして入って来た。
 小女は座布団も出してはやらないので、冷い籐畳の広いまん中にたった一人坐った老人は寂しげに、そして、審きを待つ罪人のように見えた。着膨(きぶ)れてはいるが、大きな体格はあまり丈夫ではないらしく、左の手を癖にして内懐へ入れ、肋骨の辺を押えている。純白になりかけの髪を総髪に撫でつけ、立派な目鼻立ちの、それがあまりに整い過ぎているので薄倖を想わせる顔付きの老人である。その儒者風な顔に引較べて、よれよれの角帯に前垂れを掛け、坐った着物の裾から浅黄色の股引を覗かしている。コールテンの黒足袋を履いているのまで釣合わない。
 老人は娘のいる窓や店の者に向って、始めのうちは頻りに世間の不況、自分の職業の彫金の需要されないことなどを鹿爪(しかつめ)らしく述べ、従って勘定も払えなかった言訳を吶々(とつとつ)と述べる。だが、その言訳を強調するために自分の仕事の性質の奇希性について話を向けて来ると、老人は急に傲然として熱を帯びて来る。
 作者はこの老人がこの夜に限らず時々得意とも慨嘆ともつかない気分の表象としてする仕方話のポーズをここに紹介する。
「わしのやる彫金は、ほかの彫金と違って、片切彫というのでな。一たい彫金というものは、金で金を截(き)る術で、なまやさしい芸ではないな。精神の要るもので、毎日'どじょう'でも食わにゃ全く続くことではない」
 老人もよく老名工などに有り勝ちな、語る目的より語るそのことにわれを忘れて、どんな場合にでもエゴイスチックに一席の独演をする癖がある。老人がなおも自分のやる片切彫というものを説明するところを聞くと、元禄の名工、横谷宗a、中興の芸であって、剣道で言えば一本勝負であることを得意になって言い出した。
 老人は、左の手に鏨(たがね)を持ち右の手に槌を持つ形をした。体を定めて、鼻から深く息を吸い、下腹へ力を籠めた。それは単に仕方を示す真似事には過ぎないが、さすがにぴたりと形は決まった。柔軟性はあるが押せども引けども壊れない自然の原則のようなものが形から感ぜられる。出前持も小女も老人の気配から引緊められるものがあって、炉から身体を引起した。
 老人は厳かなその形を一度くずして、へへへんと笑った。
「普通の彫金なら、こんなにしても、また、こんなにしても、そりゃ小手先でも彫れるがな」
 今度は、この老人は落語家でもあるように、ほんの二つの手首の捻り方と背の屈め方で、鏨と槌を操る格好の'いぎたなさ'と浅間しさを誇張して相手に受取らせることに巧みであった。出前持も子女もくすくすと笑った。
「しかし、片切彫になりますと――」
 老人は、再び前の堂々たる姿勢に戻った。瞑目した眼をおもむろに開くと、青蓮華のような切れの鋭い眼から濃い瞳はしずかに、斜に注がれた。左の手をぴたりと一ところにとどめ、右の腕を肩の附根から一ぱいに伸ばして、伸びた腕をそのまま、肩の附根だけで動かして、右の上空より大きな弧を描いて、その槌の拳は、鏨の手の拳に打ち卸される。窓から覗いているくめ子は、かつて学校で見た石膏模造の希臘(ギリシャ)彫刻の円盤投げの青年象が、その円盤をさし挟んだ右腕を人間の肉体機構の最極限の度にまでさし伸ばした、その若く引緊った美しい腕をちらりと思い泛(うか)べた。老人の打ち卸す発矢(はっし)とした勢いには、破壊の憎しみと創造の歓びとが一つになって絶叫しているようである。その速力には悪魔のものか善神のものか見判け難い人間離れのした性質がある。見るものに無限を感じさせる天体の軌道のような弧線を描いて上下する老人の槌の手は、しかしながら、鏨の手にまで届こうとする一刹那に、定まった距離でぴたりと止まる。そこに何か歯止機が在るようでもある。芸の躾けというものであろうか。老人はこれを五六遍繰返してから、体をほぐした。
「みなさん、お判りになりましたか」
 と言う。「ですから、'どじょう'でも食わにゃ遣りきれんのですよ」
 実はこの一くさりの老人の仕方は毎度のことである。これが始まると店の中にあることも、東京の山の手であることもしばらく忘れて店の者は、快い危機と常規のある奔放の感触に心を奪われる。あらためて老人の顔を見る。だが老人の真摯な話が結局'どじょう'のことに落ちて来るのでどっと笑う。気まり悪くなったのを押し包んで老人は「また、この鏨の刃尖(はさき)の使い方には陰と陽とあってな――」と工人らしい自負の態度を取戻す。牡丹は牡丹の妖艶ないのち、唐獅子は唐獅子の豪宕(ごうとう)ないのちをこの二つの刃触りの使い方で刻み出す技術の話にかかった。そして、この芸によって生きたものを硬い板金の上へ産み出して来る過程のいかに味のあるものか、老人は身振りを増して、滴(したたる)るものの甘さを啜(すす)るとろりとした眼付きをして語った。それは工人自身だけの娯(たの)しみに淫したものであって、店の者はうんざりした。だがそういうことのあとで店の者はこの辺が切り上がらせどきと思って
「じゃまあ、今夜だけ届けます。帰って待っといでなさい」
と言って老人を送り出してから表戸を卸す。
 ある夜も、風の吹く晩であった。夜番の拍子木が過ぎ、店の者は表戸を卸して湯に出かけた。そのあとを見済ましでもしたかのように、老人は、そっと潜り戸を開けて入って来た。
 老人は娘のいる窓に向って坐った。広い座敷で窓一つに向った老人の上にもしばらく、手持無沙汰な深夜の時が流れる。老人は今夜は決意に充ちた、しおしおとした表情になった。
「若いうちから、このとじょうというものはわしの虫が好くのだった。この身体の'しん'を使う仕事には始終、補いのつく食いものを摂らねば業が続かん。そのほかにも、うらぶれて、この裏長屋に住み付いてから二十年あまり、鰥夫(やもめ)暮しのどんな侘しいときでも苦しいときでも、柳の葉に尾鰭(おびれ)の生えたようなあの小魚は、妙にわしに食いもの以上の馴染みになってしまった」
 老人は掻き口説くようにいろいろなことを前後なく喋り出した。
 人に嫉まれ、蔑まれて、心が魔王のように猛り放つときでも、あの小魚を口に含んで、前歯でぽきりぽきりと、頭から骨ごとに少しずつ噛み潰していくと、恨みはそこへ移って、どこともなくやさしい涙が湧いて来ることも言った。
「食われる小魚も可哀そうになれば、食うわしも可哀そうだ。誰も彼もいじらしい。ただ、それだけだ。女房はたいして欲しくない。だが、いたいけなものは欲しい。いたいけなものが欲しいときもあの小魚の姿を見ると、どうやら切ない心も止まる」
 老人はついに懐からタオルのハンケチを取出して鼻を啜った。「娘のあなたを前にしてこんなことを言うのは宛てつけがましくはあるが」と前置きして「こちらのおかみさんは物の判った方でした。以前にもわしが勘定の滞りに気を詰らせ、おずおず夜、遅く、このようにして度び度び言訳に来ました。すると、おかみさんは、ちょうどあなたのいられるその帳場に大儀そうに頬杖ついていられたが、少し窓の方へ顔を覗かせて言われました。徳永さん、どじょうが欲しかったら、いくらでもあげますよ。決して心配なさるな。その代り、おまえさんが、一心うち込んでこれぞと思った品が出来たら勘定の代りなり、またわたしから代金を取るなりしてわたしにお呉れ。それでいいのだよ。ほんとにそれでいいのだよと、繰返し言って下さった」老人はまた鼻を啜った。
「おかみさんはそのときまだ若かった。早く婿取りされて、ちょうど、あなたぐらいな年頃だった。気の毒に、その婿は放蕩者で家を外に四谷、赤坂と浮名を流して廻った。おかみさんは、それをじっと堪え、その帳場から一足も動きなさらんかった。たまには、人に縋(すが)りつきたい切ない限りの様子も窓越しに見えました。そりゃそうでしょう。人間は生身ですから、そうむざむざ冷たい石になることも難しい」
 徳永もその時分は若かった。若いおかみさんが、生埋めになって行くのを見かねた。正直のところ、窓の外へ強引に連れ出そうかと思ったことも一度ならずあった。それと反対に、こんな半木乃伊(ミイラ)のような女に引っかかって、自分の身をどうするのだ。そう思って逃げ出しかけたことも度々あった。だが、おかみさんの顔をつくづく見るとどちらの力も失せた。おかみさんの顔は言っていた――自分がもし過ちでも仕出かしたら、報いても報いても取返しのつかない悔いがこの家から永遠に課されるだろう。もしまた、世の中に誰一人、自分に慰め手が無くなったら自分はすぐ灰のように崩れ倒れるであろう――
「せめて、いのちの息吹きを、回春の力を、わしはわしの芸によって、この窓から、だんだん化石して行くおかみさんに差入れたいと思った。わしはわしの身の'しん'を揺り動かして鏨と槌を打ち込んだ。それには片切彫にしくものはない」
 おかみさんを慰めたさもあって骨折るうちに知らす知らず徳永は明治の名匠加納夏雄以来の技量を鍛えたと言った。
 だが、'いのち'が刻み出たほどの作は、そう数多く出来るものではない。徳永は百に一つをおかみさんに献じて、これに次ぐ七八を売って生活の資にした。あとの残りは気に入らないといって彫りかけの材料をみな鋳直した。「おかみさんは、わしが差上げた簪(かんざし)を頭に挿したり、抜いて眺めたりされた。そのときは生々しく見えた」だが徳永は永遠に隠れた名工である。それは仕方がないとしても、歳月は酷(むご)いものである。
「はじめは高島田にも挿せるような大平打(おおひらうち)の銀簪に'やなぎ'桜と彫ったものが、丸髷用の玉かんざしのまわりに夏菊、'ほととぎす'を彫るようになり、細づくりの耳掻きかんざしに糸萩、女郎花(おみなえし)を毛彫りで彫るようになっては、もうたいして彫る'せき'もなく、一番しまいに彫って差上げたのは二三年前の古風な一本足のかんざしの頸に友呼ぶ千鳥一羽のものだった。もう全く彫る'せき'は無い」
 こう言って徳永は全くくたりとなった。そして「実を申すと、勘定をお払いする目当てはわしにはもうありませんのです。身体も弱りました。仕事の張気も失せました。永いこともないおかみさんは簪はもう要らんでしょうし。ただただ長年夜食として食べ慣れた'どじょう'汁と飯一椀、わしはこれを摂らんと冬のひと夜を凌ぎ兼ねます。朝までに身体が凍え痺れる。わしら彫金師は、一たがね一期(いちご)です。明日のことは考えんです。あなたが、おかみさんの娘ですなら、今夜も、あの細い小魚を五六ぴき恵んで頂きたい。死ぬにしてもこんな霜枯れた夜は嫌です。今夜、一夜は、あの細い小魚の'いのち'をぽちりぽちりわしの骨の髄に噛み込んで生き伸びたい――」
 徳永が嘆願する様子は、アラブ族が落日に対して拝するように心もち顔を天井に向け、狛犬(こまいぬ)のように蹲(うずくま)り、哀訴の声を呪文のように唱えた。
 くめ子は、われとしもなく帳場を立上った。妙なものに酔わされた気持ちでふらりふらり料理場に向った。料理人は引上げて誰もいなかった。生洲(いけす)に落ちる水の滴りだけが聴える。
 くめ子は一つだけ捻ってある電燈の下を見廻すと、大鉢に蓋がしてある。蓋を取ると明日の仕込みに'どじょう'は生酒(きざけ)に漬けてある。まだ、よろりよろり液体の表面へ頭を突き上げているのもある。日頃は見るも嫌だと思ったこの小魚が今は親しみ易いものに見える。くめ子は、小麦色の腕を捲くって、一ぴき二ひきと、柄鍋の中へ移す。握った指の中で小魚はたまさか蠢めく。すると、その顫動(せんどう)が電波のように心に伝わって刹那に不思議な意味が仄かに囁(ささや)かれる――いのちの呼応。
 くめ子は柄鍋に出汁と味噌汁とを注いで、ささがき牛蒡(ごぼう)を抓(つま)み入れる。瓦斯こんろで掻き立てた。くめ子は小魚が白い腹を浮かして熱く出来上った汁を朱塗の大椀に盛った。山椒一つまみ蓋の把手に乗せて、飯櫃(めしびつ)と一緒に窓から差し出した。
「御飯はいくらか冷たいかも知れないわよ」
 老人は見栄も外聞もない悦び方で、コールテンの足袋の裏を弾ね上げて受取り、仕出しの岡持を借りて大事に中へ入れると、潜り戸を開けて盗人のように姿を消した。

 不治の癌だと宣告されてから却って長い病床の母親は急に機嫌よくなった。やっと自儘(わがまま)に出来る身体になれたと思った。早春の日向(ひなた)に床をしかせて起上り、食べたいと思うものをあれやこれや食べながら、くめ子に向って生涯に珍らしく親身な調子で言った。
「妙だね、この家は、おかみさんになるものは代々が亭主に放蕩されるんだがね。あたしのお母さんも、それからお祖母さんもさ。恥かきっちゃないよ。だが、そこをじっと辛抱してお帳場に噛りついていると、どうにか暖簾もかけ続けて行けるし、それとまた妙なもので、誰か、いのちを籠めて慰めてくれるものが出来るんだね。お母さんにもそれがあったし、お祖母さんにもそれがあった。だから、おまえにも言っとくよ。おまえにももしそんなことがあっても決して落胆おしでないよ。今から言っとくが――」
 母親は、死ぬ間際に顔が汚いと言って、お白粉(しろい)などで薄く刷(は)き、戸棚の中から琴柱(ことじ)の箱を持って来させて
「これだけがほんとに私が貰ったものだよ」
 そして箱を頬に宛てがい、さも懐かしそうに二つ三つ揺(ゆす)る。中で徳永の命をこめて彫ったという沢山の金銀簪の音がする。その音を聞いて母親が「ほ ほ ほ ほ」と含み笑いの声を立てた。それは無垢に近い娘の声であった。

 宿命に忍従しようとする不安で逞しい勇気と、救いを信ずるさ寂しく敬虔な気持ちとが、その後のくめ子の胸の中を朝夕に縺(もつ)れ合う。それがあまりに息詰まるほど嵩(かさ)まると彼女はその嵩を心から離して感情の技巧の手先で犬のように綾なしながら、うつらうつら若さを思う。ときどきは誘われるまま、常連の学生たちと、日の丸行進曲を口笛で吹きつれて坂道の上まで歩き出てみる。谷を越した都の空には霞が低くかかっている。
 くめ子はそこで学生たちが呉れるドロップを含みながら、もし、この青年たちの中で自分に関りのあるものが出るようだったら、誰が自分を悩ます放蕩者の良人(おっと)になり、誰が懸命の救い手になるかなどと、ありのすさびの推量ごとをしてやや興を覚える。だが、しばらくすると
「店が忙しいから」
 と言って袖で胸を抱いて一人で店へ帰る。窓の中に坐る。
 徳永老人はだんだん瘠せ枯れながら、毎晩必死とどじょう汁をせがみに来る。
(昭和十四年一月)

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入力  maki
校正  nani
公開サイト 書籍デジタル化委員会
http://www.wao.or.jp/naniuji/
1999/12/07/完成版ver1.01
NO.032
底本 『岡本かの子』ちくま日本文学全集/1992/筑摩書房
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(註)
コード外の文字は[ ]で示し、別字またはカナで表記。
ウムラウト、アクサンなどは省略。