winter rain




「三上、明日の夜までスケジュール空けてあるから」
クリスマスイブの夕方、雑誌の取材が終わったおれにそう言って、封筒をテーブルに置いて出て行った。
封筒の中には、羽田発最終便の長崎行きのチケット。
おれは、荷物の管理をもうひとりのマネージャーに任せ、ギターケース片手に部屋を出た。
「脇坂さん」
自販の前で、紙コップの味気ないコーヒーをすすっていた脇坂に声をかけると、脇坂は行って来いと手を振った。
「くれぐれも風邪なんか引かないように。それくらいわかってるだろうな」
「ああ」
短く答えると「早く行けよ」とおれの背中をぽんと押した。
タクシーを拾い、空港へと向かう。
街は、華やかなイルミネーションで彩られ、街行く人もみな楽しそうに見えた。
途中、ホームセンターを見つけ、防寒用品を購入した。
一年前の今日、いや正確に言うと明日の明け方、優は天へと召された。
おれは、優に会いにあの街へと帰る。









***   ***  ***









タクシーを降りると、刺すような風が身体を襲い、霧のような雨が降っていた。
空港内も、クリスマス色に彩られ、そのデコレーションが目に入るたびに、おれは思う。
一年前、寝たきりのベッドの中で、優はどんな風にクリスマスイブを迎えたんだろう?
そして、おれはそのとき、何をしていたのだろう?
最終便、満席だったにもかかわらず、スーパーシートに身を沈めるおれ。きっと脇坂は早くから予約を入れていたに違いない。
脇坂は優を知っている。おそらく、優におれとの別れを促したのは、彼だろうから。
駅前で歌っているおれに、上京を勧めたのは他の誰でもない彼である。それ以来、ずっとおれの担当で、ともに仕事をこなしてきた。彼がいなければ今のおれはなかったろうと思うくらいに。それほど、おれは彼を尊敬しているし、頼りにしていた。
優と一緒に暮らすからと言うおれの、広めのマンションを探してきたのも脇坂だったが、優が突然いなくなっておれが少し荒れ気味だったときにも、いつもの冷静な姿勢を崩さず、プロなら仕事はしっかりこなせと叱咤激励したのも彼だった。友樹から優の死を聞かされ、そのことを彼に話した時、そうですかとしか言わなかった彼の顔が、悲しそうに歪んだのを見逃さなかった。おれが初めて見た、脇坂の人間らしい表情だった。
その時、おれは確信した。友樹の言っていた事務所の人間が、このオトコであるということを。
だけど、おれはそのことを責めもしなかったし、ふれることさえしなかった。今さらどうにもならないことだし、もしかして、優にとっては、東京でおれと暮らす人生より、外国で英語を学んで自分で切り開く人生のほうが、よかったかもしれない、そう思ったから。
脇坂も、以来おれに何も言わなかった。
なのに、今日・・・・・・









***   ***   ***









長崎空港に着くと、9時をまわっていた。タクシーで優の眠る場所へと向かう。
東京と同じく、しとしとと冬の雨がフロントガラスを濡らす。
「お客さんは、最終の東京からですか?」
運転手に話しかけられて、適当に相槌を打った。こんな夜中に、墓所まで乗っけろと言われれば興味を持つに違いない。
「こっちは朝から寒くてね〜この雨も雪に変わるって予報ですよ」
雨が雪に変わる・・・か。
優と最後に別れたのも、雪の中だったな。
忘れもしない去年の12月19日、コンサートリハを抜け出して、カナダまで優を追っかけた。
優の苦しみのひとつも理解せず、優を抱いて、そして別れた。それが永遠の別れになるとも知らずに・・・
あの日、優は突然こわいと言って泣き出した。理由を尋ねても笑ってごまかした。
おれは、ウソをつく時の優のくせを把握していたはずなのに、いちばん大事な場面でそれを見逃した。
今でもこの手に残っている。痩せ細った肩、薄く青白く光った肌、そしてそれに反して温かかった身体。
次の日、玄関でさよならと笑って言った優をたまらず抱きしめると、どこにいたって先輩の幸せを願っているからと、静かにおれに抱かれていた。
身体を離すと、最後に先輩の手にふれたいとおれの指に指を絡めて、その指先をじっを見つめる瞳から一筋涙が流れたのを見たとき、このままだと離したくなくなってしまうと、無理やり手を離し、ドアを開けた。
じゃあとおれが短く別れの言葉を発すると、再び笑顔を見せた優。
降りしきる雪の中、真っ白な道をタクシーの拾える大通りまで歩きながら、絶対振り返らないと心に決めたのに、優が泣いているような気がして一度だけ振り返った時、雪まみれになりながら笑顔で手を大きく振っていた優。まるであのお台場での別れの時のように・・・・・・









***   ***   ***









「お客さん、着きましたよ。すぐ済むなら待ってましょうか?」
親切な運転手の言葉を丁寧に断ると、今晩は夜勤ですからもしよかったら呼んでくださいと、名刺をくれた。
礼を言って、タクシーを降りた。
傘をさし、持ってきた懐中電灯で照らしながら、真っ暗な道をその場所へとゆっくり歩を進める。普段なら不気味にさえ思うこんな場所も、優が眠っているかと思うと、なにも恐くなかった。
「優、久しぶり」
その場所に着くと、声をかけた。ここには、優の家族が眠っている。それぞれにも挨拶をする。そして、今夜は優だけど話がしたいからと、断りを入れた。
ここに来るのは、あのコンサートの日、以来。本当の命日は明日だから、まだ誰も訪れてないのだろう。花の一本さえ飾られていなかった。
「悪いな。花のひとつも持ってこなくて。けど、たぶん明日友樹がりっぱなヤツを抱えてここに来るから」
おれは、雨に濡れた冷たい石にふれる。もうあのぬくもりを感じることは出来ないんだと思うと胸がしめつけられるが、今日はそんな悲しい顔を優に見せに来たわけじゃないと、ぐっと堪えた。
優、家族と仲良くやってるか?もう泣いてはいないか?おれは、こっちで優を泣かせてばかりだったからな・・・
「そうだ、優、これ、サンキューな」
おれは、左耳のピアスに手をやった。
「すげえな、ちゃんと優の想いがおれに届くなんて・・・神様も捨てたもんじゃないよな」
もし、優が生きていれば、永遠におれに届くことのなかったこのピアス。それがおれの元にあるってことは、悲しいことだけれど・・・これが事実。
ふと、時計を見ると、日付が変わっていた。
12月25日。
クリスマス。
優の命日。
優は、一年前の今日、明け方の4時ごろに息をひきとったらしい。
らしいというのは、静かにひとり、眠るように天へと召されたから。
イブの夜は、幾分つらそうだったけれど、普通におじさんおばさんと会話をしていたらしい。ケーキにも少し手をつけ、まさか息をひきとるなんてだれも思わなかったそうだ。
完全看護の病院で、夜の見回りの時でさえ、何も変わりはなかったらしい。
そして、起床の時間に、冷たくなっているのを発見された。
だれにも、看取られることなく、ひとりで逝っちまうなんて、優らしいと言えば優らしい。
苦しんだ様子はなかったそうで、もしかしたら本当に眠っている間に、逝っちまったのかもしれない。
優の寝顔はかわいいから・・・あまりに愛しすぎて神様が連れて逝っちまったのかもしれない。
イブの夜、優は何を思って眠りに着いたのだろう?
楽しかった家族とのパーティーを思い出していたのだろうか?
キリスト教の国カナダで経験した、本物のクリスマスを思い出していたのだろうか?
おれと優は、たった一度しかイブをともに過ごせなかった。
プレゼントを交換し、初めてくちづけを交わした夜のことを、少しは思い出してくれただろうか?
「今日は、優にプレゼントを持ってきたんだ」
おれは、バッグから、1枚のCDを取り出した。
「これ、来年の優の誕生日、2月22日にリリースするんだ」
冷たい石の上に立てかける。
「おれの優への想いがいっぱい詰まったアルバム。もう出来上がってるんだけど、発売日だけは譲れなかったからな。すでに業界にはデモがまわってるんだけど、えれえ評判なんだぜ?予約の状況からしても、売り上げ記録間違いなしなんだってさ」
曲作りも、レコーディングもあまりに順調で、早々に出来上がってしまった。いつものペースで、かなりゆったりとしたスケジュールを組んでいたにもかかわらず。スタッフも関係者も驚いていたっけな。
ラジオ局やレコード店なんかに配るデモCDにも、曲数は絞ったものの、流す回数には制限をかけなかったから、いたるところで流され、それが宣伝になって、予約だけでも予定出荷枚数を越えそうな勢いだった。
たくさんの人に聞いて欲しい、それが優の願いだったから。
それまでおれは思っていた。聞きたいやつが聞けばいい。理解できるやつが聞けばいいと。
だけど、優の言葉に、おれは気がついた。聞きたくてもCDを買えない、コンサートに来れない人もいるってことに。
まだアマチュアの頃、おれは自分が歌いたいから、もしかしたらプロになるチャンスが転がり込んでくるかもしれないから、駅前で歌っていた。でも、おそらくそれだけじゃない。自分の作った曲を聞いてもらいたい、そう願ってもいたはずなんだ。
「おれと優が作ったこのアルバム、日本中の人に聞いてもらおうな。その前に、全曲、おれが聞かせてやるから」
いつの間にか、雨が雪に変わっていた。天気予報通りに・・・
こんな雪の日だったよな・・・ここで倒れている優を発見したのは・・・・・・
やっぱり、優と雪って、何か縁があるな・・・
雨より雪のほうがしのぎやすい。まあ、優と一緒なら寒さなんて感じないけれど。
買ってきた小さめの毛布やらを何重にも石畳の上に敷いた。ここは、一区画が大きくて、おれが腰を下ろす場所は十分にある。
風邪なんか引くと、脇坂に怒られてしまう。プロとして失格だと。
そして、何より、優が怒るだろう。でも、怒りの言葉でさえ、聞きたいな・・・ふと思った。
腰を下ろして、ギターを取り出した。
ふたつの懐中電灯が、おれと優を照らし出している。
天を仰ぐと、漆黒の空から、しんしんと落ちてくる白い綿のような雪が、おれを包み込んでいく。
ふわっと暖かい何かにくるまれた気がした。
―――優・・・?
声に出すと消えてしまいそうで、心の中で呼んでみる。
『こんな寒いところで止めてくださいって言ったって、先輩は絶対止めないだろうから・・・それならぼくが暖めてあげます』
―――優?優なのか・・・?
『先輩、ぼくはいつだって先輩のそばにいるのに・・・こんなところまで無理してこなくても・・・』
―――無理なんかしてないよ?優に会いたいから来たんだ。来てよかった・・・優と話ができるなんて・・・・・・
『いつだってお話ができるわけじゃないんです』
―――じゃあなんで・・・
『今日はクリスマスの夜だから・・・奇蹟が起こったのかな・・・?』
―――そうか・・・それでもうれしいよ。
『ぼくだってうれしいです』
笑顔の優が頭に浮かんだ。
『先輩・・・ぼくは、どうしても先輩に伝えたいことがあったんです』
何なんだろう・・・?
『最後まで言葉に出して言えなくて・・・手紙にしか残せなかった・・・・・・』
・・・手紙?
『だから、今日、神様が奇蹟を与えてくださったのかもしれない。先輩がぼくに歌をプレゼントしてくれると言うなら、ぼくはこの言葉をあなたに贈りたい』
―――優・・・?
『ああ、もう時間がないみたい。やっぱり奇蹟は一瞬にしか起こらないんですね。でも、ぼくはずっと先輩のそばにいるから・・・いつだってずっとあなたを抱きしめているから・・・・・・』
だんだんと声が遠ざかっていく気がして、おれは思わず口にした。
「優、待ってくれ!もう少しだけ!優!」
『先輩、ありがとう。あなたに愛されて本当に幸せだった。どうか、ぼくの分まで生きて・・・幸せに・・・・・・』
それから、何度呼んでも、優は返事をしなかった。
ただ、おれのそばにいる、抱きしめていると言った通り、ふわりと何かに包まれている感触だけは身体に残っていた。
そうだな・・・優はいつだって、おれのそばにいるんだな。
「じゃあ、優、聞いてくれよな。優だけのために、心を込めて歌うから・・・」
おれは歌い続けるだろう。降り続く雪の中を。夜が明けるまで、ずっと・・・・・・
優・・・おれだって、おまえに愛されて幸せだった。そして今も幸せだ。
だから、心配しないで、安らかに眠ってくれ・・・・・・
おれに会いたくなったら、いつだって会いに来てくれよな。
おれが、くじけそうになったら、叱咤激励に来てくれよな。
そして、おれの歌をひとりじめしたくなったら、いつだって言ってくれ。
おれは、おまえのためなら、いくらだって歌ってやるから・・・・・・
なあ、優・・・聞こえてるか・・・・・・?
『聞こえてますよ』
優が、優しく耳元で囁いた・・・気がした。




〜Fin〜





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