選べない男 前編
 








おれは優柔不断だ。
自分の好みのものがふたつあったらどちらかひとつに決めることができない。


こちらのここが好き。
あちらのここが好き。
こちらのここが嫌い。
あちらのここが嫌い。


足して二でわれたらいいのに…といつも思う。
それでもこの年齢まで無難にやってこれたのは、周りの人間と、選択される対象のおかげだ。


甘やかされて育ったため、欲しいものは迷う前に与えられた。
幼稚園から大学までエスカレーター式の私立校だったから進路に迷うことはなく、極めつけに卒業後に祖父が経営する会社に入った。さすがに社会にでると悩むこともあるが、それは迷いではない。


おれはバイだ。
男も女も大好きだ。
この性癖は選択の幅を広げるが、そのぶん迷うことも多い。
しかしおれがそんな場面に遭遇するたび助けてくれるのが、さっき言った選択される対象だ。
おれを争い戦い、勝ったほうと続けるだけ。
自分が選べないのだから仕方ないしそのほうが楽だ。
そして、大体にしてどちらかが一方的に引くことはない。
お互いがどれだけおれのことが好きかを主張しあい奪い合う。
それを内心ドキドキしながらおれは見ている。
どちらが勝つか心配なのではなく、どちらにも見捨てられないか心配なのだ。
外見や振る舞いに似合わず、おれは結構寂しがりやなのだ。
もちろん傲慢で通っているおれは、そんな感情を抱いていると知られたくない。
だから、勝手にしてくれと言わんばかりに、傍観しているだけだ。
幸運なことに、おれの優柔不断さを責めるやつはなく、誰もが争いの対象をライバルに定めていた。
おそらくはおれを責めても答えなんて出ないことを知っているのだろう。


そして今。
何度か経験したことのあるシチュエーション。
場所は賑わうファミレス。
煩いくらいの雑音がおれたちの会話も飲み込んでくれる。





『別れてよ』





おれのとなりの女のトゲトゲしい声。
向かいには俯いたままの男。
どちらもおれのことが好きらしい。
おれもどちらのことも好きだ。
バイであるから恋愛対象は増える。単純計算でも異性愛者の二倍。
そんなおれがただひとつ心掛けているのは、同時に同じ性別の人間と付き合わないことだ。
だから今こうなっている。


女と知り合ったのはいわゆる合コン。
男と知り合ったのはその手のバー。
全く正反対の性格の二人だった。


先に出会ったのは男のほうだ。
久しぶりに出かけた男ばかりが集まるバーで、男は一人で飲んでいた。
その姿はいささかぎこちなく、こういうバーに不慣れだということを物語っていた。
おれは遊びなれたやつが好きだ。
そのほうがお互いフランクに付き合えるし、いろんな意味で割り切ることができる。
本気の恋愛なんてごめんだ。
しかしその日はどうかしていた。
隣に座り声をかけると、ビクリを顔を上げた男におれはドキリとした。
かなり好みのタイプだったからだ。
少し話をしてみれば、男が素直で遊び慣れないタイプであるとわかった。
本来ならそこで終わりにするはずだったのだが、おれは自分でも驚くくらい男を気に入ってしまった。
今まで視野にも入れていなかったタイプが珍しかったのかもしれない。
それから何度かバーで会うようになり、そのうち身体の関係を持つようになった。
予想通り男にとってすべてがはじめての経験だったようだ。
今まで自分の性癖を受け入れられず、かといって女性を好きになることもできず、悩んでいたらしい。
一大決心をしてバーに来たのだと恥ずかしそうに語っていた。
すべての初めてを奪うのはとても新鮮だった。
反応がいちいち初々しく、素直で従順だ。
おれは何度も男を抱いた。
男をカワイイと思う感情も沸き始め、おれは初めての感覚に酔った。
しかし、酔いはいつか醒めるものだ。
おれに対してひとつの我侭も言わず、何を求めるでもない男を持て余し始めた。
おれが求めればいつでもどこでも身体を開くくせに、おれに対しては何も要求しない。
おれは物足りなくなったのだ。


そんなとき、参加した合コンで知り合ったのが、今となりにいる女だ。
綺麗に着飾り、自分を魅力的に見せる術を熟知している、大人の女だった。
どうやら向こうもおれを気に入ってくれたらしく、その日のうちにベッドイン。
女はおれの想像通りだった。
自信家で傲慢。男は自分に傅く存在だと思っている。
しかし、そういう女は嫌いではない。
特に今回の女は主導権を握りたがった。
待ち合わせ場所からデートの場所、食事をするレストランまで全部女が決めた。
おれは金さえ出せばよかった。
気の利いたトークと相手を褒める気遣いは得意だから気にならない。
そしてそれはベッドの中でも同じだった。
面倒な愛撫を施さなくても、女はおれに乗っかり、天国へと連れていってくれた。


女はかなり強引独占欲が強く、おれの仕事以外の時間をすべて自分のものにしたがった。
時々面倒だと思うこともあったが、何も考えなくてもいいことはとても楽だった。
女と付き合うようになって男と会う時間が減ったが、男は何も言わなかった。
するとおれの気持ちにもまた少し変化が現れた。
持て余し気味だった男の行為が再び新鮮に思えてきたのだ。
全く正反対の男と女。
ふたりと付き合うことで、それぞれの少し飽きかけてきた部分を見直す。
傲慢で自信家の女と、控え目で従順な男。
おれはふたりとの逢瀬を楽しんだ。


しかし、刺激的でかつ穏やかな交際はそう長くは続くかなかった。
二股をかけていることが女にバレたのだ。
プライドの高い女は烈火のごとく怒った。
もうひとりの相手が男だということは女にとってたいした問題ではなく、ただ、自分のプライドが傷つけられたことが許せなかったらしい。
けれども別れようと思わないほどにはおれのことを好きらしかった。
女は男に会わせろとおれに迫った。
『どっちが好きなの?』と問う女におれが曖昧に笑うと、それをおれが困っていると理解したみたいだった。
まさか自分の方が下だとは思ってもみないのだろう。
女の言い分をのらりくらりかわしていたけれども、女は手当たりしだい手段を使って男と見つけ出し、今日の場を作ったのだった。


実のところ、おれはこの勝負、男が勝つだろうとにらんでいた。
普通に考えれば、性格的にも女のほうが勝っているように思えるが、そんなことはない。
おれに対する気持ちが、男のほうが強いと感じていた。
より愛されているという実感があったのだ。
女が怒っているのはプライドを傷つけられるのを恐れているからで、おれを奪われることを恐れているわけではない。
それなりにおれへの愛情を持っているだろうが、男のそれとは比較にならないほどの分量に違いない。


今までの経験上、ほぼ100%勝つのはおれのことをより好きなほうだ。
敗者となるのは、すべて好きという気持ちが弱いほうだ。
だから結末はいつも同じ。





『面倒くさいからもういい』





そう言って一方が席を立つのだ。
そしてそいつとは二度と会うことはなく、おれは成り行きのままに残ったやつと付き合いを続ける。
そんなとき、おれの心には去り行く者に対して未練なんて感情はカケラもない。
おれにとってはどちらにより愛されているかが問題なのではない。
おれがどちらかを選べないことが問題なのだから、相手に任せるしかないのだ。
綿帽子のようにふわふわと、流されるままに飛んでゆく。
それがとても楽だった。


だが、今日のおれは少し違っていた。
男が勝つだろうと思う気持ちの中に、願望が混ざっていた。
それに気がついたのは、責められる一方で顔も上げない男がほんの少しだけ顔を上げたときだ。
視線が合った男の瞳は戸惑いにあふれているように見えた。
だからおれは女にわからない程度に小さく笑いかけてやった。
すると男の表情がほんの少しだけ動いた。
「ねぇ、黙ってないで何とか言ったらどうなの?」
それでも男は顔を上げなかった。
「あんたみたいなのとこの人が釣り合うわけないでしょ?」
男は普段は野暮ったい眼鏡をかけていて、その美形を隠している。
仕事が内勤なため、スーツも量販店で購入したような安っぽいもので、身体にフィットしていない。
しかしそれは見かけだけであり、顔立ちもスレンダーな身体もおれのタイプなのだ。
それでもおれはこの男を選ぶことはできない。
勝気で我儘、それでいて美人な女のことも捨てがたいからだ。
おれの中の天秤は男に少しだけ傾いているのに、選ぶ決定打にはならない。
それがおれという男なのだ。


しばらくの沈黙の後、男が思い切って顔を上げた。
「わかりました」
その一言におれは驚いて男を見た。
男は全くの無表情で、どんな感情も読み取れない。
男は立ち上がると、尻ポケットの財布から千円札を一枚抜くと、テーブルの上に置いた。
そして丁寧に頭を下げて、店を出て行った。
それは驚くほどの早業で、おれは男に声をかけることもできなかった。
「なんだ、もっと揉めるかと思ってたのに、案外簡単だったわね」
女の言葉には『あなた、遊ばれてたんじゃないの?』というニュアンスがこめられているようだった。










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