ふわりふわり
 








「だ〜か〜ら〜ぁ、いいかげん泣き止めよ」
新平は助手席に座って泣きじゃくる幼馴染にため息をついた。
「だってっ、ほ、っとにっ、好きだったっ、ぃっく」
涙でグシャグシャの顔を手のひらでぬぐう姿を見るのは何度目だろう。
「ほら、手で拭くなって!」
ティッシュボックスからティッシュをシュッと引き抜いて渡してやると、泣きながらも「ありがとう」という言葉が返ってきた。
バイト先の大型スーパーの駐車場。
いつもなら買い物客で溢れかえっているここも、閉店時間を1時間も過ぎたこの時間は閑散としていた。
隣の助手席で恥ずかしげもなくオイオイと泣いているのは幼馴染の郁実。
もともと親同士の仲が良かったこと、加えて誕生日も数日違うだけというから、生まれたころから家族ぐるみのの付き合いが続いていた。
義務教育だけではく、高校・そして大学までも同じだし、バイト先まで一緒。
人生において一緒にいない時間の方が少ないに違いない。
だからなのか、郁実は新平の前では遠慮なしに自分の感情をさらけ出すのだ。
待つこと10分。
思いっきり泣いて、締めとばかりにチーンとかむと、郁実は大きく深呼吸をした。
「気が済んだか」
新平が問いかけると、郁実は泣きはらした赤い目を伏せてコックリうなずく。
「じゃ帰るか」
うなずくばかりの郁実を横目に、新平はアクセルを踏んだ。










***   ***   ***










「ねぇお願いだから!」
この言葉をいったい何回聞いただろうか。
そしてこれに続く言葉も予想通り。
「今度こそ大丈夫だから!」
いったい何を基準に大丈夫という自信を導き出すのか、新平には理解不能だ。
「ったくおまえはほんと学習能力がないな」
あきれながら、ボソリとつぶやいたつもりがどうやら郁実の耳に届いたらしい。
「あるよ、ちゃんと!だから今回はこれまで反省を生かして頑張ったんだから!」
おそらく何を言っても無駄だ。
新平は心の中で大きな大きなため息をついた。
どれだけ悲しい思いをすれば気が済むのだろうか。
新平は意気揚揚と気合をいれまくりの郁実を横目で見やる。
ひとり目を閉じてはシュミレーションでもしているのかブツブツと何やら呟いている。
「あ〜〜〜どうしよう…緊張してきちゃったよぉ新平ぃ〜〜〜」
「おいっおれにすがりつくなっつ、おまえ告白する前に事故りたいのか?」
ハンドルを握る腕をギュッと掴み、ジタバタ暴れる郁実を諌めると、粗相して怒られた子犬のようにシュンとうなだれるから、前方から視線をそらさずに手探りで郁実の髪をワシワシと撫でてやる。
「今度こそ…なんだろ?」
郁実は頭に置かれた手をギュッと握り締めた。
あ〜おれってほんと郁実には甘いよな……
それでも郁実を突き放すなんてできなくて、新平はその手を握り返してやるのだった。
「じゃあ、行ってくるね!」
オシッと気合を入れて郁実は車から出ていった。
向かう先はふたりのバイト先…のロッカールーム。
待っているのはバイトをまとめている男性社員。たしか大学2年生の自分たちより5歳年上の社会人だった。
その社会人に郁実はコクりに行ったのだ。「好きだ」と。
郁実の恋愛対象が同性だと知ったのは、たしか高校に入学してすぐのことだったと記憶している。
入学式で毅然と歓迎の挨拶をした生徒会長に一目ぼれしたと聞いたときには、そんじょそこらの事では動じない新平も、さすがに耳をうたがった。
よく考えてみれば、同じ性を持つ人間とは思えないほど郁実は華奢な体つきをしているし、顔立ちも美人の母親に似て綺麗だ。
だからといってまさか同性を好きになる性質だとは思わなかった。
しかも郁実はそんな自分の性癖を隠す事無く新平に打ち明け、その上その生徒会長に告白までしたのだ。
もちろん結果は玉砕だったわけだが。
そして男子新入生が生徒会長に告白したという噂(というか事実なのだが)はまたたく間に校内を駆け抜け、郁実は一躍有名人となった。
新平は、こういった性癖は個人の問題だと思うし、郁実のことは大切な幼馴染だから偏見も嫌悪感もないけれど、新平がそうだからといって他の人間がみんなそうだとは限らない。日本人の気質から考えても、自分たちとは異なる異質なものを排除しようとする感情が生じる可能性の方が高いだろうから、新平はあっけらんかんとした郁実の心配をしていた。
もちろん新平が何がおこっても郁実の味方であることは間違いないのだが。
しかしそんな心配は無用に等しかった。
もとから明るく天真爛漫な性格が良かったのか、郁実は誰に苛められることも虐げられることもなかった。
手放しで応援されている・・・というか、面白がられているといったほうがいいかもしれないが、とにかく郁実は全校生徒に受け入れられることとなった。
その後も郁実は、恋愛に積極的といおうか、自分の感情に正直だといおうか、好きになったらその気持ちを相手に伝えないと気が済まないらしく、当たっては砕けるを繰り返した。
どんなに郁実が綺麗な顔立ちをしていたとしても、所詮男であることにかわりはなく、さすがに郁実の気持ちを受け止める度量のある男はひとりもいなかったのだ。
新平に言わせれば、郁実の好きになる相手に問題があると思うのだが。
そして郁実は自分の好きになった相手のことを、必ず新平に報告し、相談した。
そのたびに新平は内心またかと舌打ちしながらも、放っておけなくて、話を聞き、相談に乗ってやり、最後には慰める役回りを引き受けた。
そして今日も……
たっぷり自信ありげな後姿を見送りながら、数分後の郁実の姿を想像すると、新平は大きなため息をつかざるを得ないのだった。










***   ***   ***










「新平」
すっかり暗くなった外を眺める、窓に映った郁実の横顔はすっかり沈んでいた。
「なんだ?」
努めて冷静に新平は返事をする。
こういうときに気のきいた慰めの言葉をかけてやることだけが優しさではないと思うから。
「おれってダメなのかなぁ」
ぼんやりと真っ暗な景色を眺めながら郁実が呟く。
高校一年生のあの時から数えるとすでに両手では足りないくらい、郁実は自分の気持ちを相手に伝えているのだが、いまだかつて一度もOKの返事をもらったことがない。
当たっては砕け、砕けてぼろぼろに泣いて、そして笑顔になってまた新しい恋を見つけ、新平に報告する、そんなことを何度繰り返しただろうか。
『好きな人が出来たんだよ〜』
嬉しそうに新平に伝える郁実の笑顔を思い出すと新平は複雑な気持ちでいっぱいになった。
明るくていつも笑顔を絶やさない、良くも悪くも天真爛漫。
『八方美人』だなんて陰口をたたかれることも有るけれど、それは優しすぎるからだと新平は思っている。
おそらくきっと、今日だって、断られた瞬間は笑顔を見せたに違いない。
相手に負担をかけないため、そして何よりも自分の恋が世間一般に通用しないことを、郁実自身がよくわかっているから。
「やっぱ誰だって同性からコクられたってキモチ悪いだけだよな。わかってるのにさ。わかってるのに『もしかして』って思っちゃうんだ。期待したって仕方ない、何度失敗したらわかるんだって、もうひとりのおれが言うんだけど・・・」
悲しくても我慢して笑顔をつくり、何でもないような顔をして新平のもとに戻ってきてから、落ち込んで自己嫌悪に陥る郁実を、新平は放ってはおけなかった。
放っておけないから、こうやって端から見ればバカみたいな役を引き受けているのだ。
「おれには、一生恋愛なんて無理なのかもね」
いつも付き合わせちゃってごめんね、と泣き笑いのような表情を浮かべる郁実に、新平の心がじくりと痛む。
郁実はいいやつだ。それは長い付き合いである新平が一番よくわかっている。
時々舞い上がりすぎで自分が見えなくなることがあるけれど、それも素直さゆえのことだと思っている。
恋愛対象が同性だというだけで、どうして郁実は何度も何度も泣かなくてはならないのだろう。
どうして郁実の恋は報われないのだろう。
どうして郁実の良さがわからないのだろう。
黙り込んだ郁実の痛みが、新平の心にシンクロするかのようだ。
どうして僕の恋は報われないのだろう。
僕は恋をしてはいけないのだろうか。
僕は・・・僕は誰かと一緒に歩いてゆくことはできないのだろうか。
僕は・・・僕は・・・僕は・・・・・・





「自分を卑下するのはやめろ」
自分でも驚くほどの低い声だった。
小さな密室内の空気が一瞬にして冷えてしまいそうなほど。
郁実がビクリと身体を震わせ息を飲んだのがわかり、新平は決して怒っているのではないことをアピールするかのように、左手で郁実の後頭部をポンポンと優しく叩いた。
もちろん視線は前方に向けたまま。
「郁実はイイヤツだ。それはおれがいちばんわかってる。きっと郁実の心も身体も受け止めてくれるヤツはいるはずだ。だから、ダメだとか否定的になるな」
「新平・・・・・・」
「おれがずっと付き合ってやるから。ここまできたら、おまえの幸せいっぱいの笑顔見ないことには、おれの気が済まん」
新平は腹をくくった。
幼馴染みとして育ったのも運命ならば、こんな風にふたりして今を生きてるのも運命なのだ。
とにかく郁実には幸せになって欲しい。
泣きたい時には自分の前で思いっきり泣けばいい。遠慮なんてせずに。
その度に、おれはティッシュを引き抜いて渡してやるぞ。新平は心の中で呟いた。
信号待ちの交差点。
「ありがとう・・・新平」
ギュッと握り返された手の温もりと、照れたように伏せられた長い睫毛に、思いがけずドキリとして、青信号に変わると同時に慌ててアクセルを踏んだ新平であった。










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