明日になれば 








後方でバタンとドアの閉まる音を聞いて、葉月はのそりと身体を起こした。
キシキシと痛む身体は思うように動かず、それでも残った気力でベッドから立ち上がると、足の間を液体が伝う感触に慌ててティッシュの箱に手を伸ばした。
しみこんでゆく赤いものが混じった液体は、自分が雅彦に抱かれた証拠だ。
そこに、すでに愛情という感情がなくても。







いつからだろう。
一体何が悪かったのだろう。
どんなに考えても、葉月には全くわからなかった。







帰宅した雅彦を玄関で出迎えれば、「ただいま」という言葉と一緒に優しいキスをくれた。
葉月が用意した料理を、「おいしい」と褒めながら残さず平らげてくれた。
一緒に入浴して、葉月が聞けば一日の出来事を楽しく話して聞かせてくれた。
そして・・・・・・
一緒のベッドに入って、肌を擦り合わせて、互いの熱情を交歓しあった。
葉月に触れる指先は優しく、時には悪戯に荒っぽく、紡がれる言葉は恥ずかしいくらいに甘く、愛情という温もりの中で、葉月は夢のような時間を過ごした。







あれは夢だったのだろうか?
雅彦への愛情と、雅彦への葉月の欲望が見せた、夢だったのだろうか?







触れてもらえないくちびる。
身体のどこに触れることもなく、ふたりを繋ぐのは雅彦の欲望を満たす部分だけ。
冷たく怒ったような、面倒くさそうな声音は、葉月の名を紡ぐことは決してない。
赤いしみのついた、しわだらけのシーツ。
そして・・・・・・
一緒に暮らすことになった時、一緒に選んだ大きなベッドの傍らに、ひとり残された自分。







『葉月・・・・・・』
誰にも呼んではもらえなかった名前を、初めて囁いてくれたのは雅彦だった。
『おれがずっとそばに居てやるから・・・・・・』
そう言って強く抱き締めてくれた腕の強さに、生まれて初めて安堵を覚えたあの日。







それらがすべて夢だったというのか?
誰からも愛されずに育った、葉月の願望が見せた、夢だったというのか?







葉月は微かな笑みを漏らす。
そう、全部夢だったのだ。
今この瞬間が現実だというのならば。







愛されるわけがないじゃないか。
愛されたことがないくせに、愛されていると勘違いできた自分はなんて滑稽なんだろう。
雅彦は優しいから、自分は勘違いをしたのだ。
憐れみを愛情だと、蔑みを欲望だと。
雅彦が自分を、欲しがっているのだと。







葉月は目を閉じてくちびるを噛む。
だけど。
愛されたことがなくても、人を愛することはできるのだ。
葉月は雅彦を・・・・・・愛している。
それが証拠だ。







だから葉月はここにいる。
どんな扱いを受けようとも、雅彦のそばにいる。
雅彦に『出て行け』と言われるまでは。














「なにをグズグズしてるんだ・・・?」
鬱陶しそうな声に驚いて振り返れば、バスタオルを腰に巻いた雅彦が葉月を見下ろしていた。
「ご、ごめんなさいっ」
冷たい声音に心音を跳ね上げながら、葉月はシーツを剥がして立ち上がる。
散らばった衣服を慌ててかき集め、身体の中心で疼く痛みを隠し、何もなかったように俯いて雅彦の傍らをスルリと抜けようとして、腕を掴まれた。
「待てよ」
「あっ・・・・・・」
たいした力ではなかったけれど、不意をつかれてバランスを崩し、フローリングの床の上に転がった葉月に、雅彦は冷たい視線を投げかけた。
「戻ってくるまでに自分の部屋に帰っておけって言ったよな?なに?まだ満足してないわけ・・・?」
突き刺すような視線を追いかければ、中途半端に勃起したままの葉月自身にたどり着き、葉月は咄嗟に抱えていたシーツでソコを隠した。
「おまえはつくづく淫乱な体質だよ。後ろに突っ込まれてブッカケられただけで勃っちまうんだからな」
葉月は恥ずかしさで顔を真っ赤に染めた。
どんな理不尽なセックスでも、雅彦に抱かれているということだけで感じてしまう身体。
少しも身体に触れることはなく、酷く扱われても、雅彦の肉欲で粘膜を擦られて感じてしまう身体。
完璧なまでに自分の欲望だけを満たすための雅彦のセックスは、前戯もなければ愛撫を施されることもなく、挿入のためだけのものとなっていた。
もちろん葉月のことなど完全無視のくせに、頂点へと向かう最後の激しい動きでは、いつも葉月のいちばん感じるポイントを確実に攻めてくるから、葉月はいつも中途半端なまま放り出され、自室に戻って処理するしかなかった。
いつもなら、すぐに自室に戻るのに・・・・・・
「そんなに物欲しそうな目で見んなよ。チッ、せっかくシャワー浴びてさっぱりしてきたのに。仕方ないな。ほら、これ好きだろ?」
床に座り込んだ葉月の前に立ち、タオルを剥ぐと、雅彦は葉月の髪をぐいっとつかんで自分の欲望に近づけた。
「おまえ、これが好きなんだよな?ほら、やるから、しゃぶってみろよ」







乱暴に髪を鷲掴みにされて、顔を前後に動かされて、喉の奥まで欲望を頬張った葉月の目尻には涙が滲んでいたけれど、雅彦は構うことなく自由に葉月の頭を揺すり上げた。
「ウッ、ん・・・・・・」
「もっと舌を使えよ。いつも言ってるだろ?んとに学習能力のないヤツだな」
呆れたような雅彦の声には優しさの欠片もない。
もう何度となく経験している行為。
『気持ちいいよ。上手だね、葉月は・・・』
蕩けるように甘い言葉と労わるように頬を撫でる指先。
それらを思い出しそうになって、葉月は慌てて心の奥へと仕舞いこむ。
そう、全て葉月にとって都合のいい夢でしかなかったのだから。







葉月は懸命に舌を絡ませ、くちびるで扱き、雅彦の快感を高めることに意識を集中した。
まだ自分は雅彦の役に立っている、雅彦にとって利用価値があるのだと言い聞かせながら。
強制されているのではない、自分から進んで雅彦の欲望を愛しているのだと伝わるように、雅彦の感じる部分に舌を這わせ、派手な音を立てながら吸い上げ、双玉をやわやわと揉み込む。
硬く大きくなってゆく雅彦をくちびるで感じていると、葉月自身も高ぶってくる。
葉月は空いている手をそろりと自分の欲望に伸ばした。
「・・・んっ、ぅ・・・・・・ん」
刺すような雅彦の視線を感じたけれども、手の動きを緩めることはできなかった。
雅彦は自分の腰と葉月の頭を器用に操り、葉月の口の中で欲望をますます膨らませる。
その大きさに葉月の口は張り裂けそうになるが、許されることはなく、動きがさらに激しくなった。
すでに舌を絡ませるとかそういった思考は葉月の頭から弾け飛んでいて、口の粘膜で雅彦の欲望をひたすら擦るだけになっていた。
ジュルジュルといういやらしい水音が響く淫靡な空気でいっぱいの部屋。
雅彦の動きと連動して葉月の手の動きも激しさを増す。
「・・・ぅぅぅ、ウッ、んん・・・・・・ぅ・・・・・・アッ、あぁ・・・・・・」
苦しくて苦しくて、でも口の中を犯す欲望の膨らみが愛しくて、だけどもう限界・・・と思った瞬間、口が楽になったと同時に顔に生暖かい液体を感じた。
同じくして自分の手の中にも。
「ったく・・・自分まで出すなんて、本当におまえは羞恥心の欠片もない淫乱だな。床、綺麗に拭いておけよ」
うっすら目を開ければ、飛び込んできたのは、葉月が大好きな雅彦の綺麗な背中。
二度と葉月が触れることも、腕を回すこともないだろう、広くて大きい背中。
「何ボーっとしてんだ?早く出て行けよ」
雅彦の口から初めて零れた『出て行け』という言葉に、葉月の心は凍りついた。



おしまい






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