christmas eve
〜side mikami〜






「お疲れ」
「じゃあ明日もヨロシク」
スタッフの声が飛び交う中、ギターを肩に出口に向かっていると、スタイリストの牧山に紙袋を渡された。
「何、コレ」
「三上クン、今日はイブだよ」
「それくらい、おれだってわかってる。そうじゃなくてコレはなんなんだって」
「だから。明日もここでライブだし、今日だってみんな帰って寝るだけじゃん?準備でここに残るスタッフもいるだろうし。そういうわけで、みんなゆっくりクリスマス気分を味わえないだろうからって、さっき脇坂さんからスタッフにって差し入れいただいたんだ」
脇坂を見やると「正確にはおれからじゃなく社長からだ」とぶっきらぼうな答えが返ってくる。
「それ、三上サンの分。じゃあ、明日もあっつ〜いステージをヨロシク」
牧山は言いたいことだけいうと、さっさと離れて行ってしまった。
「脇坂さん、コレ、なに?」
「開けてからのお楽しみ、ってことにしとけ。ほら、ホテル帰るぞ」











今日のイブと明日のクリスマスは、おれのさほど長くないミュージシャン人生の中で最大のキャパを誇るであろう、都心にある屋内スタジアムでのライブが予定されている。
デビューしてまだ2年にも満たないが、アーティスト三上直人としての人生は順風満帆と言えるだろう。
デビュー当時から、いやデビュー前の音楽を志した頃から自分の音楽に自信はあったが、世間に受け入れられるどうかは聞き手次第。さすがのおれも楽観視できなかったが、すべて危惧に終わり、今ではおれの曲がいたるところに溢れている。
今や絶大なる人気を誇るアーティストとして押しも押されぬ地位を得た。
しかし、どんなに成功を収めても、おれの音楽スタイルは以前と変わらぬままだし、変えようとも思わなかった。
だから、デビューの頃からテレビの仕事は極力控え、比較的キャパの小さなライブハウスはホールでの活動を精力的に行っている。デビュー前からFMラジオを中心にパワープレイされていたため、あっという間に人気に火がつき、ナマの三上直人が見たいとファンはこぞってチケットを求めた。そのためチケットはいつもプレミアがつき、さらにファンを煽ることになっていた。
もったいぶっているわけではない。まだ高校生だったころから、ライブハウスで歌うのが好きだった。客を真正面に受け止めて、その反応を全身で浴びるのが好きだった。一種の中毒なのかもしれないが、それがおれにとって最高の恍惚の瞬間だった。

そのスタイルを貫いているだけだ。
事務所からすれば、ハケるチケットは少ないし、その他いろいろな面で面倒ばかりだろうが、脇坂をはじめ誰も何も言わなかった。むしろ、それを戦略にしているようで、もしかしたらおれは事務所の売り方というものに、すっかりはまっていたのかもしれない。でないと、2〜3日に1回のペースで行なうライブ会場を押さえるなんてできないだろうから。
おそらくは事務所にとっては、全てが計画通り、予想通りの展開になっているのだろう。





今年のクリスマスに、この日本一のキャパを誇る会場でライブを行うと聞かされたのは、この春のことだ。
デビューしてまだ1年。おれは突然の告知に驚いたが、夏に発売するニューアルバムを引っさげてのツアーの一部としての興業ということで、他の会場は今まで通り地方都市のライブハウスやホールでということだった。
おれは反対しなかった。今まで、まだまだこの世界では新人であるおれの意を汲んでくれていた事務所への恩返しの意味もあったし、もっとおれのライブが見たいという聴衆の声を、雑誌の取材のたびに聞かされていたからだ。三上直人というアーティストの人気には分相応だし、マスコミには遅すぎたスタジアムライブとさえ言われた。
それからたくさんの準備をした。いつもと違い、キャパの大きさに比例して動く人間も増える。それにどうせやるなら成功させたい。
秋のツアーが始まり、2〜3日に一度の割合でライブをこなす。
移動しては本番、そんな毎日の繰り返しの中でも、優のことを考えない日はなかった。
今に始まったことではない。
おれの前から忽然と姿を消してしまった優のことを忘れたことなど一度もなかった。
夢が現実となりそうだった2年前。優をひとり置き去りにしてチャンスを逃すまいとがむしゃらだったあの頃は、音楽に没頭しすぎて優のことが頭の中から消えていたこともあったというのに。








一緒に東京で暮らすという約束を、最後の最後で反故にした優を、おれはあえて探さなかった。
おれには理解できない、おそらく一生理解できそうもない理由が、優にはあったのだろうから。
優の仕打ちに打ちのめされ、悲しさと同時に腹も立った。
夢や想いが同じところにあると思っていたのは、おれだけだったのかと。
デビューして、瞬く間に今の地位を得た。好きな音楽を仕事とし、手にしたことのない大金が舞い込んできた。音楽のことだけを考えていれば良い生活は、おれの描いていた音楽人生そのものだった。
ただひとつ、隣りに優がいないこと以外は。





そんな中、観覧車の前で笑顔で手を振っていた優を、忘れはしないが諦めかけていたとき、旅先の思わぬ場所で再会したのだ。
そしてその再会は、思い出したくもない別れとなった。
お互いがお互いを傷つけ、幸せだったころの純粋な気持ちも壊してしまうような、最低の数日だった。
どんなに問いただしても口を噤んだままの優に苛立ち、おれは優に酷い仕打ちをした。自愛に満ちた澄んだ瞳は何も変わらずあの頃のままおれを映していて、それが辛くて今度はおれが逃げ出した。
しかし、今ではあれもよかったんじゃないかと思っている。
NYでのすれ違いがあったからこそ、もう一度この手に優を抱くことができたのだと。





ニューアルバムの発売にツアーのリハと、忙しい日常に身を任せるものの、優を傷つけたという事実が心に重くのしかかり、なかなか集中できなくて脇坂の怒号を何度も浴びた。
歌うことが好きだった。おれの歌で客を呑み込み、おれの世界に引き擦り込むのが快感だった。
ライブを不安に思ったことなんて一度もなかったのだ。
だが、自分の音楽に絶対の自信を持っていたおれも、ただの人間だった。
初めてのスタジアム。しかも2日間。ステージの大きさも、客席の広さも、音楽の響く空間も、すべてが今までのホールなど比べものにならないくらいだった。
ステージから一番遠い客席に立てば、おれなんて米粒ほどのちっぽけな存在。
地方でのライブをこなしながら続けられるリハ。
集中できない自分。
圧し掛かるファンの期待。

何かを訴えかけるような、潤んだ瞳でおれを見つめていた優。





ちょうど一週間前、おれは空を飛んでいた。
雪で覆われたあの街を目指して。
すべてを、吹っ切るために。





窓際のソファに座り吸っていた煙草を揉み消すと、おれは大きく息を吸い立ち上がった。
ベッドに寝転がり、白い天井を眺めれば、浮かぶのは雪の中で笑っいてる優。
少年から青年への成長がそうさせたのか、以前からスレンダーだった身体は研ぎ澄まされたようにシャープで、それでいて昔と変わりないぬくもりをおれに与えてくれた。
強く抱きしめると折れそうだった身体は、情熱に溢れ、扇情的にしなやかにおれの腕のなかで撓んだ。
優の真実がどこにあるのかは、おれには今でもわからない。
おれに愛想をつかしたのが事実かもしれないし、他に理由があるのかもしれない。
だが、もう追求はしない。
それを知ったとしても、これからの人生、おれたちが一緒に歩いてゆくことはないのだから。
サイドテーブルに置かれたビロードの小さな巾着袋に手を伸ばし、そっと紐解いた。
優からもらったクロスと、おれが優に渡したペアリングを、おれは肌身離さず持ち歩いていた。
そしてもうひとつ。
小さな小さなプラチナのクロス。
NYで、おれは優が持っていたクロスとリングをこの手で葬った。あの時は頭に血が上っていて、あまりに短絡的で衝動的な行動だったが、後であまりにも大人気ない行動だったと反省したのだ。
だから、優に会いに行く前に、これを買った。
あの頃はシルバーしか買えなかったけれど、今じゃプラチナだって高い買い物ではない。
万が一、優の中にまだおれが住んでいるのなら、これを渡そうと。そんな期待も込めて。
それがまだおれの手にあるということは・・・・・・考えたくもないがそういうことなのだ。
こんなもので優の心を自分のもとに縛り付けることなんでできやしないのに。





クロスを握りしめると、起き上がり窓辺にたつ。
ふと、テーブルに置いたままの小さな紙袋が視界を横切り、中を確認すれば、それは小さなクリスマスケーキだった。
「クリスマス・・・・・・か・・・」
初めて優のくちびるに触れたあの日もクリスマスイブだった。
好きだという気持ちだけで、ずっと一緒に生きていけると思っていたあの頃。
そういえば、おれは優と、絵に描いたような楽しいクリスマスを過ごしたことがない。
そして、もう、一緒にクリスマスを過ごすことはないだろう。
「おれじゃなくても・・・あいつはいいのかもしれないな」
外国ではクリスマスを家族で過ごすのが当たり前らしい。
おそらく優も、新しい家族と楽しい時間を過ごすに違いない。
留守にしていたとかで会うことは叶わなかったが、きっと優はホスト夫妻に可愛がられてるのだろう。
おれを案内してくれたクリスとかいう青年もそう言っていた。優は人気者なんだって。





誰からも愛される優を、おれは今でも愛している。
これからどんな恋愛をしようとも、優ほど愛せる人はいないだろう。
海を隔てたあの場所で、優が幸せに暮らしてゆくことを、素晴らしい人生を送ることを、おれは心から願っているし、そのためならどんな祈りもささげよう。
運良く数センチだけ開閉できるタイプの窓ロックを解除し、おれは手の中のそれを・・・闇の中に落とした。





優・・・これでおまえはもうおれなんかに縛られることはないんだ。
優への愛は、誰にも触れられない場所で、大事に大事に抱いて生きてゆくから。
優、幸せになれ。
どんなに離れていようとも、おれの歌を聞いていてくれ。
おまえに届くように、おれはずっと歌いつづけるから。
そしていつか、笑って話せる日がやってくるように。
ともに暮らした日々を思い出として語れる日がやってくるように。
それがおれの祈り。




〜Fin〜

 


                                                                       




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