unshakable resolution









仕事のため上京する先輩を見送って、リビングのテーブルに受験参考書を広げた時だった。








―――ピンポーン―――








玄関のインターホンが鳴った。
誰だろ・・・?
この家を訪れる人はそうはいない。
セールスにしては時間が早い。何と言っても、まだ朝の9時前なんだから。
居留守を使うこともできるのだが・・・・・・
ぼくは、玄関の扉を開けてしまった。
ぼくと先輩を別々の道へと導く扉を・・・・・・













玄関に立っていたのは、上等そうなスーツを着こなした、長身の男の人だった。
いかにも仕事ができそうな、銀縁の眼鏡をかけていて、でもそれが真面目臭くなくスタイリッシュに似合っていて、洗練されたオトナのオトコって雰囲気を醸し出していた。
そして、ぼくは・・・この人を知っている。
たった一度しか会ったことないけれど・・・眼鏡の奥から、探るようにぼくを一瞥した、あの顔を忘れてはいなかった。
「麻野優くんですね?」
確認するように、ぼくの名前をなぞった。
「わたしは、プライマリーの脇坂と申します。三上直人のことで、お話がありまして・・・」
ズキンと胸が痛んだ。
こんな日がくることに、あの夏の日から、ずっと怯え続けていた。
けど、ぼくは拒否しなかった。
予感がしていたから・・・・・・













客間に通し、お茶を出すと、彼は「すぐに東京に戻らないといけないので」と、話を始めた。
「先に申し上げておきますが、きみと三上の関係については、三上から聞いています」
「か、関係って・・・・・・」
「三上は契約書にサインする時、きみと共に住むことを条件としました。普通それでわかるでしょ?」
彼に、まじまじと見つめられ、ぼくは俯いた。
「なるほど・・・三上が夢中になるのもわかります」
お茶をすする音に、ぼくは顔を上げた。
「あなたは・・・脇坂さんは、先輩をスカウトに来た人ですよね?夏に」
「覚えてましたか・・・?」
「はい・・・・・・」
忘れるはずがない。きみのことが気にいったと先輩に言ったその目は、本気の目だった。
先輩は、この人についていくだろう、そう確信したのだから。
「で、やはり噂ではないんですね?きみと三上は、同居人以上の関係・・・そうなんですね?」





どう答えればいい?
この人はうすうす感づいている。
けど、肯定してしまっていいのだろうか?

「脇坂さんはどうしてそう思うんですか?」





反対に聞いてみた。
「わたしはこういう仕事柄、人を見抜く力には自信がありますからね。三上の言動でわかりますよ」
自信たっぷりの態度で、ぼくの出をうかがっているようだ。
「噂がたっているのは、知っています。先輩はぼくをかわいがってくれていますから。たぶんオンナの子たちのやっかみも入っているんだと思いますけど」
ぼくは、否定することにした。友樹の忠告もあったから、そうやすやすと認めるわけにはいかない。
「あくまでも、噂だと?」
「ええ。ただの同居人です。ぼくも先輩もこの世に身寄りがいないから、先輩がぼくも連れて行こうと思ってるんでしょう」
すると、彼はふっと笑った。
「あくまで認めないということですね。まあそれでもいいです。どっちにしろ、きみにお願いすることには変わりはない」
ぼくは、次の言葉を待った。頭の中ではわかっていた。
だから、覚悟をして・・・・・・







「三上直人と別れてくれないか?一緒に上京しないでほしい」







どうしてだろうか。
先輩と別れろ、そう言われたのに、なんだかすっきりした気分。

すうっと、心のわだかまりが引いていく気分なのは。
「別れてほしいって、だからぼくと先輩は―――」
「優くん、ぼくはきみと腹を割って話がしたい。きみは三上を愛していると私は思っている。それは、恋人としてなのか、兄としてなのか、敬愛する先輩としてなのか、そんなことはどうでもいいんだ。きみが三上を愛しているというのは、まぎれもない事実だ。そうだろ?」
ぼくは黙っていた。黙って彼の言葉を聞いていた。
「だから、お願いする。三上のことを愛しているなら・・・身をひいてほしい」
ぼくを刺すような瞳。それは、自分が見つけた三上直人という才能を守るためなら、どんなことでも厭わない、そんな決意のこもった瞳だった。
「ぼくは・・・先輩の邪魔ですか?」
やっとのことで、声を絞り出した。
「まあね・・・うちの事務所は業界でも大手で、その中でも本格アーティストを多く抱えている。そんな事務所が力を入れる新人ということで、三上への注目はかなり高い。しかも、路上のころから評判だったのをうちが押さえたんだ。他の事務所からの圧力も大きい。そこへきみとの噂だ。赤の他人のオトコの子と一緒に住んでいる。路上にもいつも一緒に来ていたかわいいオトコの子。街で手を繋いで歩いていた。いろんな噂が飛び交っている。どれが事実でどれが噂かなんて関係ない。そういうレッテルを貼られるだけで、この世界では終わりだ」
彼は息をついた。
「脇坂さんは・・・先輩の音楽をどう思いますか?」
彼は意外そうな顔をした。
ぼくがそんなことを聞くなんて思ってもみなかったんだろう。

「彼には天性の才能があると思っている。あの声は生まれ持ったものだし、彼の書く詩の世界は、彼の今までの人生を反映していると思う。それを、自分の言葉でストレートに表す。彼は・・・普通にのほほんと暮らしてきたようなオトコじゃないんだろ?」
ぼくは黙って頷いた。
「そして、綴った言葉をメロディーにのせる。それが、人の感情をダイレクトに刺激する。時には優しくなれたり、時には揺さぶられたり・・・ストレートに心を打つ。そう思わないか?」
この人は・・・先輩の音楽を理解している。そう思った。





先輩には、この人が必要だ。
ぼくなんかより、この人が・・・・・・





ぼくは、先輩が事務所と契約してからずっと思っていた。
ぼくという人間は、先輩に本当に必要なのかって。

ぼくは先輩に愛されている。
それはいたるところで感じることができる。

だから、もし先輩の夢の実現に、もしぼくが邪魔になっても、先輩は何も言わないだろう。
ぼくのことをいちばんに考え、ぼくを大事に思ってくれる先輩は、ぼくのために夢をあきらめるかもしれない。
これは自惚れではないと思う。それほど先輩は、ぼくを好きでいてくれる。
そして、それと同じくらいぼくも先輩が好き。
先輩の夢が叶うことが、ぼくの夢でもある。

ぼくも先輩が大事だから、先輩のことをいちばんに考えたいから、ぼくは揺れていた。
「今は、きみとの噂も事務所で抑えているんだ。でも一緒に上京なんてことになったらもう抑えもきかない。この世界は潰しあいの世界だからな。みんな真剣なんだ。夢をつかもうと必死なんだ。私は、彼の音楽に惚れている。彼は間違いなく成功する、いやさせてみせる。だから、こんなちっぽけなことで彼の才能をふいにしたくないんだ」
「ちっぽけな・・・こと?」
「きみにはつらい言葉かもしれないが、そうだろ?事実にしろ噂にしろ、オトコ同士の恋愛の行き着くところなんてたかが知れている。この業界、そういうヤツも珍しくないけど、幸せになったヤツなんてひとりもいない。身寄りのないもの同士、淋しさを紛らわせてるだけのただの共依存関係かもしれない。そんなことで、掴みかけた夢を壊すなんてバカげている」
とてもキツイ言葉なのに、怒りも湧かなければ、悲しくもなかった。
ただ、妙に納得している自分がいた。反論もなかった。彼の言っていることは、間違ってはいないから。
さらに、たたみかけるように彼は言った。
「残酷なことを言っているのは百も承知だ。しかも大のオトナがまだ未成年のきみにね。だけど、同じ三上直人という人間を愛しているならわかってほしい」
先輩を愛している人間はぼくだけではない。この人も、三上直人という才能あふれる若者に惹かれ、愛してしまったんだ。
そして、先輩の夢の実現のために必要なのはこの人で、邪魔なのはぼく。
玄関で彼を見たとき、とうとうやってきたと思った。
彼の話は、ぼくにはつらいことばかりだった。
突然やってきて、真実もはっきり確かめないままに、別れろだなんて理不尽な話、普通なら塩撒いて追い返したいくらいだ。

なのに、ぼくは黙って聞き、そして妙に納得し、すっきりしている。
きっと、ぼくは、決断する決め手みたいなものがほしかったんだ。
あの夏の日以来、夢に向かって走り出した先輩に置いていかれるんじゃないかって不安で、それでもやっぱり先輩の夢の実現を願っていた。
こっちと東京を往復する先輩がキツそうなのに気づいていても、帰ってきてくれるのがうれしくて、でもそんな自分がイヤでたまらなかった。
そして、友樹からの忠告。自分は本当は邪魔なんじゃないかって自覚し始めて、どんどん確信に変わっていくくせに、なかなか踏ん切りがつかなかった。
だけど、今日、彼の話を聞いて、ぼくは決心した。
これから、新人アーティストとしてデビューして、夢への階段を登っていく先輩にスキャンダルはいらない。
ぼくはいらない。







「わかりました、脇坂さん。ぼくは先輩と上京しませんし、先輩と会いません」
何の反論もなく、別れを受け入れたぼくに、彼は、心底驚いたようだった。
「―――ほんとに・・・いいのか?」
あれだけ、堂々とぼくに別れを説いた彼が、急にトーンを下げたのがおかしくってぼくは笑った。
そう、ぼくは、先輩との別れを決意したばっかりなのに、笑えたんだ。
「いいのかって、わざわざそのために来られたんでしょ?でも―――」
「でも・・・なんだい?」
「条件があります。条件というか・・・ぼくの最後のお願いです」
ぼくは、大きく息をついて話し始めた。
「先輩との約束で、ぼくは3月1日の卒業式の次の日に東京へ行くことになってるんです。だから、それまでは、今までと同じように先輩に接します」
「けどきみ―――」
「心配しないでください。先輩が帰ってきてもなるべく外には出ませんから。だから、脇坂さんのほうでも、仕事を入れるなりなんなりして、あまり先輩をこちらに帰らせないようにしてください」
「それじゃあきみがあまりに・・・」
「いいんです。そのほうがつらくないでしょ?先輩に気づかれてはいけないんです。ぼくはあなたより少しだけ多く彼を知っています。もし先輩が知ったら・・・全部終わってしまうから」
絶対に先輩に気づかれてはいけない。ぼくは、何の跡形もなく、消えなければいけない。雪のように・・・・・・
「もうひとつ、3月2日の夜の9時すぎに先輩のケータイに電話してください。急な打ち合わせが入ったとか何でもいいですから。絶対に忘れないでください」
「その電話に何の意味があるんだ・・・?」
「その電話のあと・・・ぼくが先輩の前から消えるってことです」













玄関まで、彼を見送った。
ドアノブに手をかけた彼は、ふと振り返って、ぼくを見つめた。
「きみは・・・・・・」
「何ですか?」
「こうなることを・・・別れのシナリオを考えていたのか?」
ぼくはふんわり微笑んだ。
「ぼくも・・・脇坂さんと同じように三上直人を愛していますから、彼の成功をいちばんに考えているんです。いつだって」
そう、愛の種類が違っても、ぼくと彼とは同類。
そして、ぼくは、彼なら先輩を幸せにしてくれると確信した。
「脇坂さん、もうお会いすることはないと思います。どうか先輩を・・・よろしくお願いします」
ぼくは、心をこめて頭を下げた。
ふわりと、ぼくの頭に大きな手が舞い降りた。
「きみの・・・優くんの勇気に感謝するよ。絶対に彼を成功させる。日本のトップアーティストにして見せるから」
この温かい、大きな手の感触に、ぼくは全てを委ねた。
先輩の戦いはもう始まっている。
未知の世界で、悩み、苦しみながら、一歩一歩階段を登っていかなければならない。
そして、ぼくの戦いは始まった。
ぼくは、一世一代の最高の大芝居を打たなくてはならない。

最高の演技で、先輩を送り出さなければならない。
きっとできる。最後まで演じきれる。
なぜなら、ぼくの先輩への愛は、とてつもなく大きなものだから・・・・・
先輩を愛する気持ちさえ忘れなければ、きっとうまくできる。
ぼくが表すことができる、精一杯の先輩への愛の証なのだから・・・・・・


 



〜Fin〜












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