魂と生の道は多様であるため、魂の医師は多くの面から要求を受けることになります。というのは、彼はありのままの自分でしか、他者に関わることができないからです。そこから、努力を強いる日々の仕事でバランスを得たいという欲求が生まれ、自分が霊的・心理的に生長しなければならないということがますます、あらゆる心理療法家にとって欠くことのできない命令となっていきます。師が弟子より知識と人格形成の点で優れていなければならないということは間違いありません。とりわけ、人格的な指導と内面的な導きをしてくれるものと期待される人は当然、経験と成熟の面で質的により優れていることが期待されます。


 1920年代の初頭、ユングは自分が真の自己化のための場所がないかどうか、周りを見回しました。彼が求めていたのは、単に普通の意味での一種の休暇用の別荘ではありませんでした。そのような避難場所は自分の手で作らなければならないという考えが彼の心に思い浮かびます。従弟のエルンスト・フィーヒターが設計したキュスナハトの家と違い、新しい住まいは、多くの患者を持つ医師の役割と特権に相応なブルジョワの別荘という性格を持ってはなりませんでした。今回も、魂の深みと生命性を象徴する水に面して立てられなければならないということは決まっています。これまでにもボートで何度も乗りつけたことがあり、あらゆる種類の湖の動物、野鴨、タゲリ、カイツブリが葦に巣を作っている上部チューリッヒ湖の魅惑的な島は、理想的な場所であるように思われました。ですがその時、同じく上部チューリッヒ湖に面したボーリンゲンの土地が売りに出されたのです。ユングは機会を捉えて、その土地を1922年に手に入れました。彼がもともと考えていたのは、未開社会によくあるような一種の小屋でした。

 「人間の原始的な感情に対応するような住処であり、物理的な意味でだけでなく、心理的な意味でも庇護されているような感じがするものでなければならなかった」

 その土地は、聖マインラット寺院の地域内にあり、古い教会の地所で、もとは聖ガル修道院の所有地だったところです。湖に向かって開かれている一方で、陸の側では村に対して樹木や茂みで遮断されており、理想的な立地でした。建築家は必要ありませんでした。建物を所有してそこに住むことになっているユングは、すでに設計の段階から自分の意図に従わなければならなかったからです。一緒に煉瓦積みを手伝ってもらうのには、地元の労働者2人で十分でした。石の切り方を彼はボーリンゲンの石切り場で学びました。丈の高い40歳代を終えようとしている彼が灰色の作業着に身を包み、ハンマーとこてを持っているのを見れば、誰でも彼が名もない田舎の建築職人だと思ったことでしょう。とりわけ、石の仕事や建造が心理学と関係があるなどとは誰も気づかなかったに違いありません。ですが、まさにボーリンゲンの建物、丸い輪郭をした塔については、建設は人間になるという命題が当てはまったのです。

 「最初から塔は私にとって成熟の場所となった。子宮、あるいは、その中で私が再び、ありのままの現在、過去、未来の自分になれる母の姿だったのである」

 彼が母性原理に言及しているのは単なる偶然ではありません。建築の始まる2ヶ月前に、ユングの母エミーリエ・ユング=プライスヴェルクが亡くなったのです。彼女は晩年はキュスナハトに自分の所帯を切り盛りしており、とりわけ孫たちとよく接触し、かつて牧師の妻だった彼女は彼らの宗教教育をしていたのでした。そして、塔はおよそ4年ごとに増築され、1956年に完成しました。それは、彼の妻エンマ・ユングが亡くなった翌年のことでした。そのため、この塔は彼の家族や、根源的な意味においての彼の祖先とも密接なつながりがあるのです。

 「我々の心は、身体と同様に、全てはすでに祖先たちに存在した個別的要素から成り立っている。個人的な心における「新しさ」というのは、太古の構成要素の無限に変化する再構成なのだ。したがって肉体も精神も、すぐれて歴史的性格を持ち、新しいもの、つまり今ここに生起するものの中に、独自といえる個所はない。すなわち、そこでは先祖の要素がただ部分的にあらわれているにすぎないだけである」

 塔はそれを建設したユングを、まるで自分が石となって再び生まれ、自分の個性化のプロセスが建築となって実現したかのような気持ちにさせました。この理由からだけでも、世の中から隔絶して水道も電力供給網ともつながっていないこの建物には、ブルジョワ的な快活さが微塵も感じられません。というのは、ここで時折休息する者はC.G.ユング教授ではなく、つまり第一人格ではなく、自分の魂の過去に根ざしている無時間的な第二人格だからです。

 「ボーリンゲンでは私は、ありのままの、本来の自分に返っている。ここではいわば、「母の太古の息子」なのである。錬金術でもそのように非常に賢明な表現がなされている。というのは、すでに子どもの頃から経験してきた「老人」、「太古者」は、はじめから生きてきて、これからも生きていくであろう第二人格だからである。それは時間の外にいて、母なる無意識の息子である。私の空想では「太古者」はフィレモンの姿を取り、ボーリンゲンでは生きているのである」

 ボーリンゲンでの簡素な生活は、文明からの流行じみた逃避ではなく、一種の郷愁を感じさせるものでした。

 「今私は、この土地の自然と諸々の事物の中に伸び広がっているようで、自分自身、一本一本の木、波がピチャピチャ立てる音、雲、やって来ては去ってゆく動物、いろいろな物の中で生きています。塔には、四季の移り変わりに生まれ育ってこないもの、私と結ばれていないものは何もありません。全てにそれ自身と私の歴史があり、ここでは空間は背後にあるものの空間なき王国のための空間なのです」

 あるチューリッヒの同僚にユングはあるとき手紙で、煙やオートミール、時にはワインや燻製のベーコンの臭いがする質素な空間の歴史的な形が自分にとってどんなに大切であるかを説明しています。薪を割って火を作り、ポンプで水を汲んで料理をするこのような生活を、黙想と自己発見のこの領域に知的で技術的な世界の消耗と息切れを持ち込みかねない人々に乱されるのを求める者などいるでしょうか。人はおそらく自分で太古の社会の人々の間で何年も暮らしてみなければ、ボーリンゲンの塔のこの住人の行動を理解することはできないでしょう。ボーリンゲンの塔によってユングは、「今までと違ったライフ・スタイル」を実践しているわけでもなければ、自然児へのエキセントリックな憧れに駆られているのでもありません。それは、原初的なものとの触れ合い、根源的なものへの回帰なのです。晩年しばしばユングと行動をともにして、彼が未開人の心に深く馴染んでいることを知ったアフリカ通のローレンス・ファン・デル・ポストは、諸々の事物や要素との彼の関わりにこの未開人の心が表現されているのを見出しました。例えば、火に対する彼の姿勢です。

 「彼が火を自明のこととして受け取ったことは一度もない。彼にとって火はいつまでも奇跡であり続け、神聖なものであった。彼は独特の仕方で薪を積み重ね、それに火をつけた。もちろんそこには、未開人たちが仰々しい火を作るのとよく似た何かも含まれていた。まるでそこに生死がかかり、いったん火が起こされたら、死んではならないかのように。ユングは宗教的な儀式を執り行うように、本能的に火を起こした。そして、ヒンズーの炎が燃え上がると、彼の顔は炎に照らされて、太古の司祭のような敬虔な表情になった」

 古く、自然に近い諸文化へのユングの旅は、塔の建設とも、また家族をキュスナハトに残して何日も、あるいは何週間もボーリンゲンで隔絶した生活をすることとも密接に関連していたのです。いろいろな石に没頭し、木材や火で儀式や創作を行ったことが彼の子ども時代に確固たる位置を占めているため、次のことを取り立てて強調するまでもないでしょう。すなわち、ボーリンゲンの塔のこの住人は、他の国の未開生活を模倣しているのではなく、自分自身の生を生きているのであり、しかもそれが、やむにやまれず内的な欲求から発しているということです。その証拠となるのはもちろん、今日でも塔やその周りに見ることのできる彼自身の手になる石の建造物です。それらは常に、イメージや形となったもの、内的経験から創造されたものです。そのため、彼の彫刻の才能は今でも人々を驚かせますが、最初から芸術と美学の尺度を基にして判断されてはならないと言えるでしょう。

 「現代精神が装っているように、我々は中世、古代、原始時代を、完全に卒業したわけではない。それどころか我々は、進歩という濁流に身を投じたが、その進歩の我々を未来へと流し去る力が凶暴であればあるほど、我々をますます根こそぎにしてしまう。ひとたび過去が破られると、常に過去は絶滅され、前進運動を留めるものがなくなってしまう。しかしまさにこの過去との連関の喪失、根絶が「文明の不快」を生ぜしめ、また我々の進化論的な全背景の到達していない現在に生きるよりは、むしろ未来に、黄金時代という架空の約束の中に生きるという混乱とせっかちさを引き起こすのである。我々は目新しいものへと性急に飛び込み、物足りなさ、満たされぬ思い、苛立ちなどの感情の高まりに駆り立てられる。我々はもはや所有しているものの中に生きることはできず、約束に生き、今日の光の中に住まず、未来の暗闇に住み、最後には未来が真の来光をもたらしてくれると期待している。良きものは全て何らかの悪しきものによってあがなわれるということ、例えば輝かしい科学的発見によって我々は恐るべき危険にさらされていることは言わずもがな、大なる自由という希望は国家への隷属の増大によって帳消しにされていることを、認めようとはしない。我々の父や祖父たちの求めたものを理解しなければ、それだけ我々はますます自分自身を理解しなくなる。かくして、我々は個人としての根源と、自分を導く本能とを断ち切ることに全力をあげて加担し、その結果ニーチェが「重力の精神」と呼んだものによってのみ支配される集団の一分子となるのである。前進による改善、つまり新しい方式や工夫による改革は、もちろんはじめは感心させられるものであるが、時の経つとともに、それらは疑わしくなり、いずれにしても高くつく。それらは決して、全体としては人々の満足や幸福を高めるものではない。たいていは、人間存在のはかない甘味料である。それは例えば、不快な、ただ生活のテンポを速めるだけの、そして我々に昔と比べて時間のゆとりを持たせない、迅速な報道機関のようなものである。昔の親方たちは、『全て急ぐものは悪魔の仕業』と言うのが常であった。他方、逆行による改善は、原則として、より安価でその上永続性がある。というのは、それらは過去のより単純で確認済みの方法に立ち戻って、新聞、ラジオ、テレビなど、いわば時間節約のための新考案をすべてできるだけ使わないようにするからである」



参考文献
ゲルハルト・ヴェーア著(村本詔司訳)『ユング伝』 創元社,1994
カール・ユング著(アニエラ・ヤッフェ編集,
河合隼雄,藤繩昭,出井淑子共訳)『ユング自伝2』みすず書房,1973




旅――北アフリカへ