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(2007年1月1日〜1月31日)



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詩人尹東柱とともに集う 投稿者:北風 投稿日: 1月31日(水)20時04分2秒   引用
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いのち尽きる日まで天を仰ぎ 一点の恥じることもなきを
木の葉をふるわす風にも わたしは苦しんだ。
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詩人尹東柱とともに集う

2月24日(土) 午後2時〜4時半

会場:立教大学(池袋キャンパス)チャペル(礼拝堂)
     〔正門を入って右〕


1.追悼礼拝 柳時京司祭(立教大学チャプレン)

2.朗読とスピーチ 石川逸子(詩人)/山田昭次(立教大名誉教授)ほか数名

3.尹東柱ゆかりの唄を歌う 尹東柱詩「十字架」 (作曲:李建)ほか

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尹東柱という青年をご存知ですか?

けっして大声で叫ばないが、平明な詩語で、清潔な使命感と心やさしい抒情とが溶けあった、すぐれた詩を表わし、今では韓国で「国民詩人」として広く愛されている、コリアの詩人。(このお知らせ冒頭の2行は、彼の「序詩」の一節です)

1917年に旧満州(現・中国東北部)で生まれ、ソウルの延禧専門学校(現・延世大学)を卒業した彼は、1942年春、渡日し、東京の立教大学に留学しました。

その年の秋には京都の同志社大学に移りましたが、43年夏、治安維持法違反(独立運動)の容疑で逮捕され、福岡刑務所に収監中、正体不明の注射を打たれたあげく、45年2月16日に獄死しました。京都の警察署の刑事は、ハングルで彼が書きためた詩稿やノート類を机の上に積み上げさせ、日本語に翻訳させていた、という目撃証言があります。尹東柱は母国語で詩を書いていた、そのために、27歳の若い命を奪われたのです。

         ☆

このすぐれた心優しきコリアの詩人に思いを寄せ、その非命の生涯を肝に銘じ、今の私たちの行くべき道を考える、そんな集いを開きます。場所は、クリスチャンであった尹東柱が留学中にきっと通ったと思われる、立教大学のチャペルです。

心ある人びと、ここにこぞりて、この詩人の失われた未来をあらためて受け継ぎ、よみがえらせたい。詩人の生誕90年目にあたる今年の2月に、そんな祈りを込めて。

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会場:立教大学・池袋キャンパス

●「池袋駅」下車、西口より徒歩7分。
JR山手線・埼京線・東北本線、東武東上線、西武池袋線、地下鉄丸の内線・有楽町線

主催:詩人尹東柱とともに集う・東京の会(準備会)
   尹東柱の故郷をたずねる会

連絡先:横浜市戸塚区舞岡町3392-1-3-106
Email:maiokaak@yahoo.co.jp


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これはリベルさんの言葉とは思えないね。 投稿者:北風 投稿日: 1月31日(水)19時17分47秒   引用  編集済
〉一本の映画を作るのと、一冊の本を出版するのとでは、その資金・労力、両方の面で、比較の対象にするのは適当とは思えないのです。

おいらには映画のほうが(ある種の)手軽に思える。
今回のように、シナリオのための事前の調査は必要ない(作品を縛るから? 間接ながら監督がこういっていたと聞いた。)、一月にクランクインして編集も含め3月に完成する(!)。

まあしかし、リベルさんのような認識が「常識」なんでしょうね。だから1億5000万という制作費がシナリオもキャスティングも決まってない段階で「映画は金がかかるんです」の一言で、善男善女が納得する。
(リベル) 書いた後で、歩きながら思っていました。「文学全集の」「短歌」で悪戦苦闘したり、「全史」で6000頁を見直したりと、汗を流している方もいらっしゃると。

しかし、そういうことを、そもそも取り上げた話題ではなかったのです。端を発したのはこの言葉です。
「「ハンセン病」をテーマとして出版されたものはたくさんありますが、出版社がその資金協力を求めたという例は聞いたことがない。そのことに誰も気付いていない」
に対して私が
「いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に」
と答えたのが、あの問答を生んだのです。

言葉は、一人歩きし始めると、恐ろしい生き物になる、と実感しました。

これが弁解ですが、いずれにしても、これは、出版人としては、聞き捨てならない「言葉」でした。お詫びします・・・m(_ _)m


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夕焼けさんへ。Re: 私が危惧し・・・、怖さを感じる由縁! 投稿者:リベル 投稿日: 1月31日(水)17時38分8秒   引用  編集済
>  この北風さんの行為が、私を重く悩ませ、クランクインという事実に対し、あきらめからの傍観の域?、そして、見守ることに努める決意!なのか、と、リベルさんとの密約を感じていました。

>  そんな中、ここ数日映画制作に関する書き込みを目にし、リベルさんの求めているもの(真意)が、全く分からず、敢えて書き込みをさせていただいてる次第です。(中山監督は好きだが、映画化には多少の疑問もある!という、お立場)

この二点、「密約」云々と、私の「真意」については、キチントご説明します。今は一杯機嫌なので、レスは深夜になりますが、ご容赦ください。


一つ、お願いがあります、夕焼けさん。私が、これまで書いてきたことを、良く、お読み頂いていたのかなと危惧しています。出来れば、出来ればですが、もう一度良くお読み頂くことをお願いします。分かり易く言えば、二つとも大きな誤解でして、だから、私が今夜書くことも、これまで書いてきたことの繰り返しになってしまうからなのです。

私は、伝えたいメッセージを、簡単な、一行で伝えることがあります。だから読み過ごされるのかも知れません。申し訳ありませんでした。今後は、肝要なメッセージは赤い太文字で書くように、致します・・・。


誤解の無いように付け加えておきますが、夕焼けさんの投稿の主旨には、賛成なのです。映画の評価の部分ではなく、ハンセン病問題は「人権」を中心にして、論じるべき問題であるという、根幹の部分に関しては、それは、全く大いに同感です。それを忘れた議論が、一人歩きを始めることが往々にしてありますから・・・。


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ちょっぴり反論。。 投稿者:あずき 投稿日: 1月31日(水)13時03分53秒   引用
>いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に。

わたしの大人になってからの人生の大半は「出版」の世界を脇から「ハラハラ」と見る日々ばかりでしたから、一億五千万円の資金を募るという映画界が解せないのです。出版界にも『可哀想だ。』と言って頂きたいものです。
(リベル) そう言う意味では、あちらも、こちらも、「可哀想」だと思います。私が思うのは、資金量と労力のことです。本を一冊出版するのに、何百万円、何千萬円の資金は必要では無いと思います。太宰治の原稿を入手して、了解を貰えば、出版は出来るのでしょう。一本の映画を作るのと、一冊の本を出版するのとでは、その資金・労力、両方の面で、比較の対象にするのは適当とは思えないのです。そう言う意味で「可哀想だ」と申し上げたのですが・・・。(1.31 17:21)


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Re: 私が危惧し・・・、怖さを感じる由縁! 投稿者:北風 投稿日: 1月31日(水)09時26分38秒   引用  編集済
>  この北風さんの行為が、私を重く悩ませ、クランクインという事実に対し、あきらめからの傍観の域?、そして、見守ることに努める決意!なのか、と、リベルさんとの密約を感じていました。

小生は、削除も自己削除も反対を原則としていましたが、今回は誤解を招く行為で、夕焼けさんを「悩ませ」てすみません。

小生は、理に走りすぎる「性」があって、悩むところです。性急に自分の言いたいことをしゃべって決め付けずもっと他人の話を聞くべきだと思って、いったん削除したのですが、考えを変えたから「削除」したわけではありません。

いずれにしても、いったんアップしながらの自己削除は「潔くない」態度でした。お詫びします。


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私が危惧し・・・、怖さを感じる由縁! 投稿者:夕焼け 投稿日: 1月31日(水)08時08分28秒   引用
 砂の城 ならぬ、見切り発車の様相が見え隠れした・・・私の2006年の戌(犬)年!

 2007年亥(猪)年! 「砂の城になりかねないのでは?」と、私から見れば心ある方々の声を後ろ(馬耳東風?)に、新年早々撮影開始(クランクイン)。しかも、総制作費(一億五千万)には遠く及ばない中での撮影開始・・・。

 こういう状況下で、「なぜ?今やらなければならないのか!!」・・・が、やはり、理解できないでいる。

 本年早々、私から見れば勇気を持っての書き込みだったのでは?と、思える「猪武者」さんの書き込み・・・、多くを考えさせられた・・・。

 その思いに対してのにわとりさんの、これまた私から見れば勇気ある書き込みに対し、北風さんがレス・・・、なのに数時間で削除!
 この北風さんの行為が、私を重く悩ませ、クランクインという事実に対し、あきらめからの傍観の域?、そして、見守ることに努める決意!なのか、と、リベルさんとの密約を感じていました。
 私の多くの疑念を残しつつ・・・、独自・独学の検証・考察に本年は努めようと、考えていました。

 そんな中、ここ数日映画制作に関する書き込みを目にし、リベルさんの求めているもの(真意)が、全く分からず、敢えて書き込みをさせていただいてる次第です。(中山監督は好きだが、映画化には多少の疑問もある!という、お立場)

 私の今の状況は、「怖い」「恐さ」が覆うのです。

 この映画制作の仕掛け人は一体誰なのか!?
 このことに巻き込まれたとしか思えない、私の多くの友人!師!
 この方々に及ぼす、これからのバッシングがあるのでは?・・・私の思い過ごしだろうか!?

 このことが、心配で、恐くもあるのです・・・。

 冤罪への言及なしに、映画に関する制作には、時間と共に民意は遠のいて行くと思われます。我々は支援者の域を越えています!!
 そのことが理解されていると思えるのに・・・?
 その「映画化」には、多くの心ある方々が、退き、去っていってしまう現象を・・・、私は目にしています。
 ハンセン病への理解・・・その被差別化する手法に「stigma」がどのように人民(市民)へとコントロールされていったのかという権力構造・・・、そこから生じた多くの 二律背反 にも目を背けずと、研究に精進されていた方々の 落胆 が、そして、嘆きがあることも・・・、一市民ではあるけれど知る努力が求められているようです。

 人権を尊ぶを主眼の、ハンセン病問題といえているのか?
 民主主義を根幹とした、ハンセン病問題といえているのか?

 とても大事なことで、話し合わなければならない こと だと、信じて疑いません。


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Re: 同じ構造 投稿者:リベル 投稿日: 1月30日(火)23時15分11秒   引用
> どこぞのアベ氏の、
> 「(参拝に)行くか行かないかについては、外交・政治問題化している状況にかんがみ、個人として考えるところに従い、あえて鮮明にしないのであり、決してあいまいにしているのではない」

どこぞのナカヤマ氏の、
「藤本事件(という言葉は決してお使いになりませんが)・映画化制作費については、諸般の状況にかんがみ、個人として考えるところに従い、あえて鮮明にしないのであり、決してあいまいにしているのではない」

と並べると、面白いのですが・・・。ここから分かってくることは、ナカヤマ氏はこういう言葉さえ発しないということです。


> 周りは、本人の語らない理由をアレコレ想像しますが、ジツはなーんにも考えてなかったりして。

そうかも知れない。これが意外にも「真相」だったりすると・・・全くアホラシイ(肩を落とす)


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スティグマ 投稿者:リベル 投稿日: 1月30日(火)22時56分44秒   引用  編集済
ハンセン病に関連して「スティグマ」という言葉が時々出てきます。普通の辞書の説明を、ご参考までに書いておきます。

大辞林:〔ギリシャ語で、奴隷や犯罪者の身体に刻印された徴 (しるし) の意〕 個人に非常な不名誉や屈辱を引き起こすもの。
    アメリカの社会学者ゴフマンが用いた。(注:これは、Ichiroさんも、書いて居られます)

コンサイス カタカナ語辞典:[1] 汚点.汚名.恥辱.★ギリシア語で,奴隷や犯罪者の身体に押した焼き印の意. [2][3]は略します。


なお、大谷氏の著作は数多くあります。(紀伊国屋の場合・アマゾンの場合)

「現代のスティグマ」も有名ですが「らい予防法廃止の歴史」というのも、良く読まれているようです。ご参考までに。どちらもお高いので、図書館の利用がお勧めです。あ、余計なお世話もいいとこでした・・・。


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同じ構造 投稿者:どん兵衛 投稿日: 1月30日(火)22時38分17秒   引用
>「説明責任以上の責」っていったい何ですか?
>> (リベル) 私は映画制作に関する、諸々の責任だと解釈しましたが・・・?

これを見ていて、どこぞのアベ氏の、
「(参拝に)行くか行かないかについては、外交・政治問題化している
状況にかんがみ、個人として考えるところに従い、あえて鮮明にしないのであり、
決してあいまいにしているのではない」
http://www.sankei.co.jp/seiji/shusho/070130/shs070130002.htm
を思い出しました。

周りは、本人の語らない理由をアレコレ想像しますが、ジツはなーんにも考えてなかったりして。

ところで、Ichiroさんの投稿は、
これもあれですか、ジツは何か深い訳があるとか??(苦笑


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Stigma (2) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月30日(火)19時59分49秒   引用  編集済
Stigma (2)

皆さん、できましたら大谷先生の本読んでくださいね。(前述)

 ●語感が悪いせいかどうか よく判らないが、事実上stigmaを語っているのだが、「ステイグマ」の言葉の使用は少ない。ハンセン病関係で堂々と 本の名前になっているのは先に述べた大谷先生の本だけである。(外にあったら教えてください)

 ●stigmaとは、新しい概念かと思ったが、1960年代に療養所の雑誌に既に紹介されていた。よく勉強された職員がおられると感服したことがある。

 ●「ステイグマの社会学」 せりか書房 アーヴィング・ゴッフマン著 石黒 毅訳という本がある。(1970)
 サブタイトルは 「烙印を押されたアイデンテイ」とある。英語での名前は Stigma ; Notes on the Management of Spoiled Identity という。著者は Erving Goffmanである。

 この翻訳者によるとグッフマンは、アメリカの社会科学の本来の題にはまったく触れず、統計に馴染まないので統計を無視し、お喋りである(饒舌)と述べている。しかし異端というわけではなさそう。この本は1970年の訳書であるのでちょっと古い本であろう。stigmatizeされた人々が2つの社会を生きている(!!!)など(一つは常人の社会)、その関係を研究されているいい本である。もちろんハンセン病のことは出てこない。

 Erving Goffman:1945年トロント大学卒。シカゴ大学、エジンバラ大学に学び、1953年comunication conduct in an island communityで PhDを得た。 合衆国国立精神衛生研究所、聖エリザベス病院でも研究。1958年カリフォルニア大学バークレイ校に転じ、1962年に教授(社会学)、68年にはペンシルベニア大学(人類学社会学科)に転じた。この本は70年に書かれたのでその後の履歴は書かれていない。

 ●ハンセン病関係は大谷先生以外に leprosy stigma といういい論文がある。
 Jopling W:Lepr Rev(1991),62,1-12,
 題:leprosy stigma 節を書いてみる
The history of leprosy stigma
Leprosy and stigma in other European countries
Leprosy misconceptions and stigma in coutries outside Europe
Factors contributing to leprosy stigma
Conclusion

 こちらは別の機会に紹介したい。
私はこの論文を大谷先生の本より先に読んだ。こちらの方の発表が前であるが、大谷先生はこの論文を引用されていなかった。こう書いたが、実は大谷先生の本は私にとって衝撃的ないい本であったと感じた。

●Medline(Pubmed) で検索すると leprosy stigmaは115も論文が出てくる。その中に検索語Japanを入れたら僅か4編。うち1編が私が書いた。しかし、これには疑問がある。題やキーワードにstigmaがハイっていないと検索にかからない恐れはある。即ち、stigmaはもっと普遍的な問題ではないか。


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Stigma (1) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月30日(火)19時56分49秒   引用  編集済
Stigma (1)

皆さんが知っている;または感じているが、余り使われない単語である。例えば、アイスター事件も、stigmaがあるから発生する事件であるが、この言葉は使用されなかった。ハンセン病以外にも使える重要なまた、便利な言葉である。第1回ハンセン病市民学会の席でもあったが、外のスチグマタイズされた人々との連携もあるので、この言葉は理解されて欲しいと思う。ここではその言葉について述べる。

 検証会議でも使用されてない(全部を読んだわけではないが)理由を考えてみると、leprosy stigma (leprostigmaという単語もある)が特異的で、他と同一視されたくないという意識があったからと思う。stigma自体、把握が難しい単語ではある。

 大谷藤郎先生の本に「現代のスチイグマ」というのがある。(イは小文字である。)ハンセン病・精神病・エイズ・難病の艱難というサブタイトルがある。(けい草書房 1993年)この言葉を日本語に翻訳すれば”烙印”という言葉は一番当たるのではないだろうか。

 しかし、私は、横文字ではstigmaと書くのが、一番間違いのなさそうであると感じている。大谷先生の本の最初の文言:古代社会では、奴隷や犯罪人は焼き鏝で印し、つまりstigmaを身体に焼き付けられた。stigmaを負わされた人間は、地域共同体では許されることのない異分子であり、何かの時にはスケープゴートとしていけにえに供された。

 stigmaの定義 大谷先生の本によると:

P.スピッカーはstigmaは尊厳の喪失、不適切な処遇、抑制、落屑、市民権の否定、恥、きまりわるさ、不利益、失敗、不適応にたいする避難、給付申請のためのためらい、レッテル貼り、そして劣等感と同一視されるが、集団にせよ、個人にせよ、実際に他の人々と関わる時において初めて意味をもつ、と述べているが、後段において、実態そのものの概念ではなく相対的な人間関係においてあらわれる、という指摘を行っている。

  G・クレセテイ他によると(大谷先生の本)

 医学においてstigmaは確認や診断の助けとなる特質・特性を意味するものとして使われるが、社会科学においてはそれがいつも暗に否定的意味を含むものとして使われている。ゴッフマンはstigmaのことを「非常に評判を悪くする特質をもつもの」として定義している。

 ゴッフマンによると、stigmaを貼られ易い人の3類型を次のように示している。(大谷先生の本)

 1)身体上の欠陥
 2)性格のうえでの欠陥 意思薄弱、不正直、暴力的
 3)人種、民族、宗教に関わる集団的なもの
 例えばわが国において、精神病やかってのらい病(ハンセン病)は残念のことだが不当に不名誉なレッテルを貼られstigma化されてきた(stigmatized)典型といえる。(大谷先生の本より)

 ここではその言葉について述べた。(続く)


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おまけ。 投稿者:あずき 投稿日: 1月30日(火)16時54分38秒   引用  編集済
数学者アラン・チューリングの師、ケンブリッジ大学のハーディー教授の一九四〇年のこの言葉は、皮肉にも数学の歴史の転換期を予言してしまったようだった。

『真の数学者による真の数学は役に立たない。科学は戦争など悪にも役立つが、純粋数学は安全である。戦争に役たたせる道は見出されていないし、今後も長い年月、見出されるとは思えない。』

しかし、チューリングをはじめとするイギリスの数学者たちは、一九三九年戦争勃発とともに、ドイツ軍の「エニグマ」という暗号文解読のために集められることになった。これをさらに発展させられたものが、コンピューター理論の元となった「コロッサス」となる。
(リベル) これは、誠に興味深く読ませて頂きました。「チューリング」から始まって、いくつ検索したことやら! Wikipediaに引きずり込まれて「ポアンカレ予想」まで行って、ネットサーフを終わりにしました・・・。(1.30 23:20)


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(無題) 投稿者:あずき 投稿日: 1月30日(火)16時42分58秒   引用  編集済
映画「新・あつい壁」の制作過程、資金問題などを、ずっと読んできて思ったことなので
すが、これを「出版」に置き換えて考えてみるとどうでしょうか?「ハンセン病」をテー
マとして出版されたものはたくさんありますが、出版社がその資金協力を求めたという例
は聞いたことがない。そのことに誰も気付いていない。何故、映画の世界はそれを可能に
するのか?それに協力している方々にたずねてみたいものです。

観客動員できない映画は当然ながら赤字を抱え込む。いかに観客動員できるか(いかに大
衆を呼び込めるか?)は映画の質そのものにかかっているのであって、社会的意義やら周
囲の協力ではないのです。過去の映画の歴史のなかで、そうして残っていった名画もある
のですから。

それから。。。

>炭疽菌は、らい菌より古く発見された菌(1840)ということと、731部隊も研究していたと
いうことでここに追加する。731部隊が研究していたことが、現代にも関係あるのですね。

これは科学の研究においてはあたりまえの歴史ではないでしょうか?科学には、文学のよ
うに「復古」はあり得ません。良き歴史であれ、悪しき歴史であれ、科学は前に進むしか
ないのです。この科学の恐ろしさを科学者自身に自覚していただくしかない。「原爆」に
おいても同じことです。
(リベル) いや、あずきさん、出版と比べては、可哀想でしょう、中山監督に。たとえば「もののけ姫」のエンディングロールを見てみると、ずらり、大スポンサーが名を連ねているでしょう。映画作りに詳しいわけではありませんが、興行収入の見込めるものは、あのようにスポンサーがどさっと大金を投じるのだと、そう思われます。だからそこは、理解して行かなければいけないと、私は思います。(1.30 23:30)

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Re: ありがとうございました 投稿者:匿名 投稿日: 1月30日(火)02時12分15秒   引用
>
> ただ、監督ご自身は、説明責任以上の責を感じながら、
> この作品に取り組まれていることと思いますので、
> 思わず擁護の投稿をしてしまいました。ご容赦下さい。


「説明責任以上の責」っていったい何ですか?
(リベル) 私は映画制作に関する、諸々の責任だと解釈しましたが・・・?


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Re: ありがとうございました 投稿者:リベル 投稿日: 1月29日(月)23時21分13秒   引用
> ただ、監督ご自身は、説明責任以上の責を感じながら、
> この作品に取り組まれていることと思いますので、

その通りなのでしょうね。大変な重責を肩に背負っていらっしゃる、そのご苦労は察するに余りあるものだろうと、思います。頑張って下さい、と声援を送ります。


> 思わず擁護の投稿をしてしまいました。ご容赦下さい。

「擁護」であろうと、「反論」であろうと、好きなこと(悪意、中傷、アダルト以外は)をお書き頂く場所なので、「ご容赦云々」なんてとんでもありません。どしどし思うことをお書きください・・・(*^_^*)


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リベル様 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月29日(月)12時31分49秒   引用
リベル様

●療養の手引き
 昭和14年の患者さんを療養所に勧誘するパンフレットは別の所に置いてきました。また検討します。 Ichiro

●島と半島の話   (気楽に読んでください)

 カミングアウトした人の出身地を一人で訪れたことがあります。観光のためですが。
 人口800人の島。観光シーズンでないので予約もせずに訪れました。民宿のおにぃちゃん(ニーニー)は 島の人、全員知っているといいました。選挙の時はタイヘンなんだそうです。カミングアウトした人は、古くから島を出ておられたのですが、歴史館の館長さんは知っておられました。
 その民宿のオニイチャンは一つ笑い話を聞かせてくれました。女性が少ないその島に、観光かなにかで女学生が来たそうです。独身の彼が島を案内して、1,2日後したら、島のあるオバーは”おめでとう”と言ったそうです。仲良くなったと勘違いしたらしい。

 その辺に山羊が出てきました。とって食べていいとの話でした、そうもいきません。
 若い女の人は島から出て行きます。ということで、その島の男性はフィリッピンに出かけて、結婚相手を探していました。集団見合いで、相手は、5,6人、気に入った人を選び、結婚します。嫁さんは初めは日本語がまったくできないのですが、だんだん上手になります。という話を伺いました。
 夏に行ったその民宿では夜に布団がでませんでした。文句いったら出たでしょうが。


 別の離島では、古来の行事(虫払いの行事)を見にいきました。たしかフィリピーノの嫁さんも5,6名でてこられ、古来の行事にも参加されていました。国際化といっていいのでしょう。国際化はほかにも普通のことなのです。


 別の話です。私は某県に検診にいった話を某誌に書きましたが,私に対する批判がある、と教えた人がいました。
 どうも某半島(大きいのであるが)の名前を出したのがよくなかったらしい。県の名前もいけません、と言われましたが、しかし言われたのは2回シリーズで書き終えた後でした。
 配慮が足りませんでした。

●炭疽菌による 事故
 (以前の「悪魔の飽食」の話題に関連して)

 その記事は2001年にでた。
 井上尚英著 あの日スヴェルドロフスクで何が起こったか。
 日本医事新報 4043,55−58,2001

 (私のもっている地図ではエカテリンブルグと書いてあるが、スヴェルドロフスクが正しいようだ。)そこの生物兵器研究所の換気口が開いてしまい、1979年3月31日に数キロの菌が夜の静寂の中を忍び出てしまった。少なくとも1000名の市民、軍関係者が死亡した。

 炭疽菌は、らい菌より古く発見された菌(1840)ということと、731部隊も研究していたということでここに追加する。731部隊が研究していたことが、現代にも関係あるのですね。


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ありがとうございました 投稿者:ぴよ 投稿日: 1月29日(月)12時09分23秒   引用
>「あつい壁」は、立派な映画だと思います。そのことに異論はありません。
しかし、それがゆえに全て正しいとはいえません。同じ作家でも秀作もあれば駄作もあり、時間や状況は人も変えます。

おっしゃる通りです。
実は、私も基本的認識は北風さんと同じです。

ただ、監督ご自身は、説明責任以上の責を感じながら、
この作品に取り組まれていることと思いますので、
思わず擁護の投稿をしてしまいました。ご容赦下さい。

北風さん、リベルさん、レスをありがとうございました。


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水掛け論をするのは本意ではありませんが。Re: 一人で作っているのではない。 投稿者:北風 投稿日: 1月29日(月)11時06分40秒   引用
> >しかし、この映画は「作品の評価」の前の段階でそれを行っている、だからこそ、それに「共鳴」した人への誠実な説明責任があるのではないか。
>
> もし北風さんが抗議文を寄せられれば、クランクイン前でしたら、監督直々に説得に飛んで来られたでしょう。

誠実にシナリオ批判をして(去年の春以来)居る人がいて、支援団体(全療協・市民学会など)を含め批判文を送っているのに黙殺している事実があります。

> ですが、そうした個別の対応で、説明責任を果たしたことになるとは、私には思えません。

ブログやBBS、いくらでも手段はあります(ブログには「全療協」の「要請文」を載せています)。

> この点について、お考えに同意します。
>
> ただ、それでも私が述べたいのは、これまでの作品も掛け金に入れてはどうか、ということです。

「あつい壁」は、立派な映画だと思います。そのことに異論はありません。
しかし、それがゆえに全て正しいとはいえません。同じ作家でも秀作もあれば駄作もあり、時間や状況は人も変えます。


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Re: 一人で作っているのではない。 投稿者:ぴよ 投稿日: 1月29日(月)10時47分11秒   引用
>しかし、この映画は「作品の評価」の前の段階でそれを行っている、だからこそ、それに「共鳴」した人への誠実な説明責任があるのではないか。

もし北風さんが抗議文を寄せられれば、クランクイン前でしたら、監督直々に説得に飛んで来られたでしょう。
ですが、そうした個別の対応で、説明責任を果たしたことになるとは、私には思えません。

この点について、お考えに同意します。

ただ、それでも私が述べたいのは、これまでの作品も掛け金に入れてはどうか、ということです。


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つまり Re: Re: (無題) 投稿者:北風 投稿日: 1月29日(月)10時27分51秒   引用
>
> 私は直接聞きましたよ。「いい映画を撮りたい」、それだけです。

それだけでは、困る。

> 4年余り前でしたが、当時から懸命に動いておられました。

それだけでは、困る。

> いかなる芸術家も、リアリストの仮面をつけているものです。

それでは、困る。

そこからがスタートだべや。


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一人で作っているのではない。 投稿者:北風 投稿日: 1月29日(月)09時44分20秒   引用  編集済
>
> 映像作家は、まず作品で評価されるべきだと思います。

問題なのは、作品の評価が「ない前」に、制作費を集め上映を組織しています。
それならば、せめてきちんと批判に答え、説明責任を全うすべきだと思います。

自前で作って「さあ、評価してください」というならば何も言うことはない。
「楽しみを奪うから」説明はできないが「すばらしい作品」になりつつありますではあまりに不誠実だ。

「いい映画を作りたい」ということは、まあ、むしろ言わない人を探すほうが大変でしょう。

>いかなる芸術家も、リアリストの仮面をつけているものです。

であるならば、「作品が評価」されて始めて、制作費が回収され観客が動員できるというものです。
しかし、この映画は「作品の評価」の前の段階でそれを行っている、だからこそ、それに「共鳴」した人への誠実な説明責任があるのではないか。


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Re: Re: (無題) 投稿者:ぴよ 投稿日: 1月29日(月)06時39分27秒   引用
リベルさん、レスをありがとうございました。

>そういう、痛みが伝わってくるような、そういう切実な叫びが、声が、聞こえてこない、と言っているのですが・・・。

リベルさんのおっしゃる通り、諸処の要請文やコメント、
今作のシナリオ等からそれを読み取ることは難しいでしょうが、
これまでの作品からは、私は十分に聞き取ることが出来ました。

映像作家は、まず作品で評価されるべきだと思います。
(リベル) 私は「あつい壁」を見ていません、実は。だから、中山監督が「叫び」のない人だと言うのではありません。

今回の作品に関して、昨年夏のスタート以来、何の「叫び」も未だ聞こえてこないことを、言っているのです。これから、胸に響いてくるような言葉を発することも可能なのです。それを期待したいのですが・・・。(1.29 11:46)


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Re: Re: (無題) 投稿者:リベル 投稿日: 1月29日(月)04時54分51秒   引用  編集済
> 私は直接聞きましたよ。「いい映画を撮りたい」、それだけです。

それは、私の言っている(というか千住さんの言っている)「叫び」とは違うものなのです。それは欲望・希望・願いの類ではないでしょうか。私の言っているのは、怒り・悲しみのような類の、腹の中からこみ上げてくる、衝動なのです。

そういう、痛みが伝わってくるような、そういう切実な叫びが、声が、聞こえてこない、と言っているのですが・・・。


>いかなる芸術家も、リアリストの仮面をつけているものです。

このお説には、賛成できません。十把一絡げにしては、芸術家にお気の毒でしょう・・・。


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Re:Re: (無題) 投稿者:ぴよ 投稿日: 1月29日(月)03時51分9秒   引用
>中山監督から、「叫び」が聞こえてこないのです。未だ。それが「イタダケナイ」主な理由だと気付きました。銭、ゼニ、ご協力、要請、そんな言葉より、先ず、兎に角「叫び」を聞かせてくれよ! と言いたくなるのです・・・。

私は直接聞きましたよ。「いい映画を撮りたい」、それだけです。
4年余り前でしたが、当時から懸命に動いておられました。

いかなる芸術家も、リアリストの仮面をつけているものです。


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Re:Re: (無題) 投稿者:リベル 投稿日: 1月29日(月)02時16分31秒   引用  編集済
>ですから、私は論理的には「ご名答」だと思うのですが・・・はて・・・情緒的には、イタダケナイのは・・・これはどうしたことか???


今、千住博氏の「ルノワールは無邪気に微笑む」というのを読んでいるのですが、その中に面白い言葉を見付けました(102ページ)。芸術とは何か?の答えは「俺の叫びを聞いてくれ」だ、と言うのです。岡本太郎さんの真似みたいですが、チョット違います。

自分の心の中には「叫び」がある。それを「聞いてもらう」のが芸術を通じてのコミュニケーションだ、というのが彼の持論のようです。


中山監督から、「叫び」が聞こえてこないのです。未だ。それが「イタダケナイ」主な理由だと気付きました。銭、ゼニ、ご協力、要請、そんな言葉より、先ず、兎に角「叫び」を聞かせてくれよ! と言いたくなるのです・・・。


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「速報!朗報!」 投稿者:リベル 投稿日: 1月29日(月)00時16分55秒   引用  編集済
昨日、「「新・あつい壁」のニュースを「速報」から持参しました」を書くとき、思いました。正確には標記の通り「速報!朗報!」なのです。

2001年に「ハンセン病のリンク集」を作った直後から、そう命名していたのですが、今日から「ニュース速報!」に改めました。そうです、理由は、最近「朗報」が殆ど無いからです。

「朗報」が有った日くらい、「速報!朗報!」を復活させようかな?そんな日が有るかな?


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中山さんちの映画blog 投稿者:リベル 投稿日: 1月29日(月)00時09分44秒   引用  編集済
「中山さんちの映画blog」が更新されました。

最後に「編集者のつぶやき」コーナーがあって、こう締め括られています。

「◇ニュースやホームページについてのご感想やご要望、中山監督への一言など、皆さまからの「声」もお待ちしています。ぜひ下記アドレスまでお寄せください。」

どなたか、「一言」如何ですか? 私ですか? 書いたか? ですか? いいえ、未だです・・・。


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Re: (無題) 投稿者:リベル 投稿日: 1月28日(日)23時30分26秒   引用  編集済
> 「藤本」の名前がでないのは、遺族の理解をえるのに失敗したということでしょう。
> 遺族をさらに頑なに追い込んだのではないか?

この辺も、全く「知らしむべからず」方式が徹底しているようで、私達の理解を曖昧にさせてくれます。スカットしません。今、ご遺族は「殺人事件」からも「ハンセン病」からも、無縁の処で、幸せに暮らしたいと、ただそう思っていらっしゃるのでしょう。それは、そうあるべきだと思っています。

> >中山監督は「差別は論理ではなく情緒の問題。その情緒に訴えるのが映画。差別を考える材料にしてほしい」と話している。
>
> ↑「情緒」の問題? 本当か?

私は、この監督の言葉は、ご名答だと思っています。10月にここに「差別」という言葉を自分はどう受け取っているかを書いています。
たとえば「男・女」のように客観的に存在する「区別」に、「個人の好悪」や「国の都合」という「主観」が加わって、「差別」(婦人参政権の問題のような)が発生するのだろうと、そう思っているのです。

ですから、その意味で監督の「情緒の問題」という捉え方は、正しいと思います。

そして映画は、脳の中の理性・論理の分野での「理解」を経て生まれてくる、喜びや悲しみや怒りなどという「情緒」を対象としている、
というのも正しいと思っています。


ですから、私は論理的には「ご名答」だと思うのですが・・・はて・・・情緒的には、イタダケナイのは・・・これはどうしたことか???


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(無題) 投稿者:北風 投稿日: 1月28日(日)12時51分55秒   引用
「藤本」の名前がでないのは、遺族の理解をえるのに失敗したということでしょう。
遺族をさらに頑なに追い込んだのではないか?

>中山監督は「差別は論理ではなく情緒の問題。その情緒に訴えるのが映画。差別を考える材料にしてほしい」と話している。

↑「情緒」の問題? 本当か?


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Re: 療養の手引き 投稿者:リベル 投稿日: 1月28日(日)12時11分1秒   引用  編集済
>  ●療養の手引き
>
>  財団法人らい予防協会編集 昭和14年発行


昭和4年、小笠原登が「癩の極悪性の本質について」で伝染性の微弱なことを書き、昭和9年「癩の極悪性の本質について」で「我が国の多くの専門家が認めるに至った」と述べ、昭和11年、窪田静太郎も同じことを論文に書きました。昭和14年「癩と遺伝」で日戸修一が同様に感染力の弱さを訴えましたが、昭和16年「第15回日本癩学会」で小笠原登が集中攻撃を受け孤立したのが有名です。(参考)

昭和14年というのは、そういう時代です。その年にらい予防協会が編集・発行した冊子では「伝染力・感染力」の弱さをどのように扱っていたのか、全く無視していたのか、「写真」や「地図」は兎も角、その辺はどのように書いていますでしょうか?注目に値します。

恐らく、何も触れず、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいたのだと想像しますが・・・。


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療養の手引き 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月28日(日)10時16分32秒   引用  編集済
 ●療養の手引き

 財団法人らい予防協会編集 昭和14年発行

 32ページの写真の多いパンフレット。写真はすべて全生園のもので、恐らくこれをもって入所を勧誘したものと思われる。表紙に鶏があるが、これは皇太后陛下の御恵の鶏であった。勧誘だから奇麗ごとの写真である。当時の療養所の全国の地図があるが、全くとんでもない代物で、九州療養所(荒尾市の東に描かれている)、星塚敬愛園、国頭愛楽園の位置も違う。愛楽園と光明園の相対的な位置もちがうし身延深敬病院九州病院の位置も違う。

 当時はまだ慰廃園も、回春病院も聖バルナバ医院もあったのですね。収容患者数はこのパンフレットによる全国で 7,857とある。

 これとは別であるが、菊池恵楓園には 勧誘のために、そこが作成した写真を並べたアルバムがあった。

 ●Leprosy in Japan
Dr. Fujio Ohtani
Ministry of Health and Welfare
March 1979,second edition March 1983, Third edition March 1988

日本のハンセン病の概説の英文のパンフレット(35ページ)。厚生省が、作らせたもののようであるが、お金は笹川が出したらしく、Sasakawa Memorial Health Foundationとある。個人的に入手したのは、色々英語の表現を勉強するために手に入れた(小生の話)。
 Leprosy prevention lawの英訳が入っている。参考にされる人はどうぞ。


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(無題) 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 1月28日(日)10時12分58秒   引用
>申し上げたいのは、「中山さんちの映画blog」及びこれらの新聞全部、「藤本事件」は勿論「F事件」、「菊池事件」という言葉すら全く出てきません。これは、逆に異常だとお感じになりませんか?

“異常”だと感じます。
どこかで抑圧的な力がはたらいているような印象を受けますね。
またもし、そういう抑圧的な力がはたらいているのだとしたら、
その力の出所は、いったいどこなんでしょうか?
ご存知の方、ご教示くださいませんか。


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「新・あつい壁」のニュースを「速報」から持参しました 投稿者:リベル 投稿日: 1月28日(日)00時46分40秒   引用  編集済
全部、クリックなさる必要は有りません。

申し上げたいのは、「中山さんちの映画blog」及びこれらの新聞全部、「藤本事件」は勿論「F事件」、「菊池事件」という言葉すら全く出てきません。これは、逆に異常だとお感じになりませんか?

何か、「報道管制」、「箝口令」的なものでも有ったのでしょうか?ご存知の方、いらっしゃいましたら、お教えください・・・m(_ _)m


※「新・あつい壁」クランクイン!(1/19・20・21・24・27)

中山さんちの映画blog 西日本新聞(1) くまにち・コム(1) 読売新聞・九州 くまにち・コム(2) 西日本新聞(2) 朝日新聞・熊本 くまにち・コム(3)


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主婦の友 昭和15年9月号 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月27日(土)16時12分57秒   引用  編集済
主婦の友 昭和15年9月号

 青春を宿命の病者に捧げる 救らい白衣の天使の感激 −長島愛生園にてー
 という 座談会が掲載されている。154−161ページ。

 婦長一人と看護婦9名の座談会である。当時のご苦労は よくわかるのであるが 婦長さんが 当時の国策そのもので 締めくくられている。当時看護婦が20数名いると書かれているなかの10名であるので、当時の雰囲気が現れている。婦長さんは北海道出身であるが、あとの9名は岡山県出身が2名の他には 各県ばらばらである。看護のご苦労が書かれているが、当時の臨終など 泣かせることも記載されている。看護婦の給料は月に平均38円とある。

 「文明国の中で病者の多いのは日本が第一位です。一番すくないのはドイツ、イギリスで20人位だそうですが、日本でもこの2600年に当たって1万5000のらいを国内からなくするために、各地に分散している患者を全部療養所に収容しようという運動がおこっております。」

 1年に一回、岡山にでる、と書かれ、禁欲的な生活のようである。

 「この島からも医官の先生方や職員の方々がたくさん応召しておれれますが、出征なさる時はもう、病者の間で組織している青年団少年団を先頭に、歩ける限りの病者が浜辺に出揃って、めくらさんたちは背負われてきて日の丸の旗を振りながら声を限りに愛国行進曲を歌あって武運を祈ります。」
 と書かれている。

 蛇足:当時の広告
    戦線へ弾丸を 支那事変国債 8月22日より9月2日まで  大蔵省


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三菱総合研究所 投稿者:リベル 投稿日: 1月27日(土)12時01分16秒   引用  編集済
HPを訪ねてみました。これです。

サイト内検索をしたら、一件だけ出てきました。「MRI・講演・社会技術概論」。MRIはMitsubishi Research Institute .Inc の略だそうです。題名は「事実の構造化を目指して」とあくまで三菱総研に相応しいもの(勝手に決めつけるな)。(中略)「小泉政権の是非論」。「ハンセン病裁判に控訴しなかったこと」。でハンセン病に辿り着きます。

実質的に、全くハンセン病と関係のない機関です。だからいけないとは、言いませんが。何だかなあ・・・阿藤快さんのような呟きが出てきませんか・・・?


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Re:救癩者と呼べる人、呼べない人 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月27日(土)09時24分36秒   引用  編集済
リベルさん お早うございます。

 救癩の二つの意味ですか。私は前者とばかり思っていましたが、大昔は第ニの意味もあるのですね。

 体験した人は、体験に基づくご意見があると思いました。この方は那覇の診療所にもこられていますし、犀川先生はご存知の方ですから、そういう疑問点を呈しました。

 (私の個人的意見は 犀川先生と和泉先生は 救癩者です)

 新聞広告は知っていました。というより私に色々情報を寄せる人から新聞切り抜きを送っていただきました。もうそんな年月が経ったのかという感慨でした。施政者としては、法律に基づいて行っているのだろうと思いました。


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Re: 転載〔1〕 投稿者:リベル 投稿日: 1月27日(土)01時00分57秒   引用
> また第2回目の会議の資料はこちらに掲載されています。
> 「独立行政法人 福祉医療機構」というところがありまして
> (これって厚生労働省関連みたい?)
> ↓こうゆうページがありました。(非常に親切なページと感心です)
> http://www.wam.go.jp/wamappl/bb14GS50.nsf/vAdmPBigcategory40/AB18D209C4D88A0649257229002C2982?OpenDocument
>
>
> それから、既にご存知だった方もいらっしゃるかもしれませんが、
>
> 厚生労働省の再発防止検討会についての文書の右上のほうをご覧になると
> 照会先に(株)三菱総合研究所が新しく加わっています。
>
> 昨年の11月にあった第2回の再発防止検討会のときから
> 再発防止検討会の事務局を民間委託先にすると決まったようで、
> (株)三菱総合研究所という民間のシンクタンクになったんだそうです。

有り難うございました。また、見落としていました。「独立行政法人 福祉医療機構」は早速お気に入りに確保。重要な情報源です。

もう一つ三菱総研。これも気付きませんでした。厚労省、いろいろ、あちこちにばらまいて、目立たぬように、自分のHPから排除しようとしていますね。上記の福祉医療機構は「天下り先」の一つでしょう、どうせ。

資料の最後に「事務局の委託 第2回検討会より、2.の機能を株式会社三菱総合研究所へ委託する。ただし、委員の人事に関することや情報公開等国が帰するべき業務については、従前通りとする」と押えるべき所は押えているのは流石です。「国が帰」してはいけません。「国に帰」さなければ・・・、役人頭のお粗末さを露呈!


よし、この遣り口もしっかり頭に叩き込んでおかなければ・・・。有り難うございました・・・m(_ _)m


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転載〔2〕 投稿者:匿名 投稿日: 1月26日(金)23時32分36秒   引用
● 「ハンセン病補償法改正1周年記念講演会―到達点と残された課題―」
日 時  2007年2月2日午後6時30分〜 (午後6時開場)
場 所  四谷区民ホール (「新宿御苑前」駅の出口2番)
       〒160-8581新宿区内藤町87番地
       TEL:03-3351-2118
      http://www.shinjuku-kuminhall.com/pdf/yotsuya_map.pdf
プログラムの内容
     基調講演(徳田弁護士)
     韓国未認定者からの訴え
     韓国定着村からの訴え
     ミクロネシアの問題(藤野豊先生)
主催:ハンセン病小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団
連絡先:ハンセン病国賠訴訟東日本弁護団TEL 042-540-1742
詳細  チラシ
http://www15.ocn.ne.jp/~srkt/20070202news.html

HPの御案内
ハンセン病小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団
http://www15.ocn.ne.jp/~srkt
(リベル) この辺は、「イベント情報」にしっかり押さえてあるのですが・・・。(1.27 01:03)


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転載〔1〕 投稿者:匿名 投稿日: 1月26日(金)23時31分11秒   引用
「第3回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」
が開催されます。ぜひ傍聴してください。
(ハンセン病国賠弁護団HPを参考にしました
http://www.hansenkokubai.gr.jp/index.html )

日時  平成19年2月2日(金) 14:00〜16:00
場所  虎ノ門パストラル 新館6階 アジュール
〒105-0001  東京都港区虎ノ門4-1-1
TEL:03-3432-7261(代表)
(地下鉄日比谷線でお越しの場合は神谷町4aまたは4bの出口をご利用下さい)

もし参加される方は、厚生労働省に傍聴申し込みが必要です。
1月30日(火)締め切り。ファックスか葉書にて。
〒100-8916 東京都千代田区霞が関1-2-2 厚生労働省疾病対策課
ファックス:03−3593−6223
詳細は↓
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/02/s0202-2.html

会場「虎ノ門パストラル」 アクセス 地図
http://www.pastoral.or.jp/access/

●電車にてお越しの場合
○ 地下鉄日比谷線でお越しの場合は神谷町4aまたは4bの出口をご利用下さい。
(地下鉄 銀座線の場合は 虎ノ門駅 2番出口より 徒歩8分)

○ JRご利用
 ・ 東京駅から : 地下鉄丸ノ内線霞ヶ関駅で日比谷線(中目黒方面)に
  乗り換え、1つめ神谷町駅下車、
  又は、JR新橋駅よりお車で約7〜8分
 ・ 新宿駅から : 地下鉄丸ノ内線霞ヶ関駅で日比谷線(中目黒方面)にのりか
  え、1つめ神谷町駅下車
 ・ 池袋駅から : 地下鉄丸ノ内線霞ヶ関駅で日比谷線(中目黒方面)にのりか

  え、1つめ神谷町駅下車
  ・渋谷駅から : JR山手線恵比寿駅で日比谷線(北千住方面)にのりかえ、
  3つめ神谷町駅下車
  又は、地下鉄銀座線虎ノ門駅より徒歩8分
●羽田空港よりお越しの場合
モノレール浜松町駅より お車で約7〜8分
●お車にてお越しの場合
首都高速道路 霞ヶ関ランプより 約8〜10分
首都高速道路 芝公園ランプより 約8〜10分
※ホテル正面に200台収容の有料駐車場をご用意しております

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なお、「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」というの

第1回目は昨年2006年3月29日にあり、第2回目は同年11月16日に開催されています。

第1回議事録は厚労省のHPに掲載されていました。
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2006/03/txt/s0329-6.txt

(厚労省HPのサイトマップから“審議会・研究会”、
“その他(検討会、研究会等)”と順にクリックしていって掲載を発見。
第2回の開催についてとハンセン病資料館施設整備等検討懇談会の開催についてもあ
りました。
こうゆうことは“ハンセン病に関する情報ページ”にも掲載して欲しいですね。
http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/index.html)

弁護団のHPに第1回目の会議の資料が掲載されています。
http://www.hansenkokubai.gr.jp/topics/20060406.html

また第2回目の会議の資料はこちらに掲載されています。
「独立行政法人 福祉医療機構」というところがありまして
(これって厚生労働省関連みたい?)
↓こうゆうページがありました。(非常に親切なページと感心です)
http://www.wam.go.jp/wamappl/bb14GS50.nsf/vAdmPBigcategory40/AB18D209C4D88A0649257229002C2982?OpenDocument


それから、既にご存知だった方もいらっしゃるかもしれませんが、

厚生労働省の再発防止検討会についての文書の右上のほうをご覧になると
照会先に(株)三菱総合研究所が新しく加わっています。

昨年の11月にあった第2回の再発防止検討会のときから
再発防止検討会の事務局を民間委託先にすると決まったようで、
(株)三菱総合研究所という民間のシンクタンクになったんだそうです。
(リベル) 大半は、「イベント情報」と「ハンセン病問題を考える」に記していますが、「福祉医療機構」と「三菱総研」は初耳で、とても勉強になりました。これをお調べになったO.Jさんに心から敬意を表します。(1.27 01:10)


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発見!怠慢多謝! 投稿者:リベル 投稿日: 1月26日(金)15時36分31秒   引用  編集済
昨年の6月5日から10日にかけて、全国紙にこんな「突き出し」広告が出ていました。

6月21日に締め切りであることは「速報!朗報!」では五月蠅く書きましたが、肝心の広告に、気付きませんでした・・・(恥)


実は、先程の政府広報の画面は、お分かりの方もいらっしゃるように、自分のHPソフトに取り込んでいます。そうしないと、先日も書きましたように、新聞社などのメディアは、記事や特集や企画を、長期保存は出来ません。利益面から、それは咎めることは出来ません。

出版された書物は、数千年は腐食しないでしょう。だから、web上の記録は、こうやって保存して行くほか、保存の方法がないことに、大きな不満を感じているのです。


手前味噌を承知で言いますと、私のサイトでも(ここの過去ログもその良い例ですが)、geositiesを「倉庫」として使わざるを得ません。私のプロバイダーのHP容量は20メガですから、こうなります。


ハンセン病の虐待の歴史を、正確に後世に残すのは、なかなか大変なことです。どなたか、宜しく、お願いします。私もボチボチ、もうアキマヘン・・・(笑)まあ、ポックリ逝った時はここに、こう書いてくれと、家内には頼んでありますので、気持ちは楽なのですが・・・。


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救癩者と呼べる人、呼べない人 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月26日(金)07時27分20秒   引用
救癩者と呼べる人、呼べない人

 「救癩者と呼べる人は療養所の医療人に一人もいません。救癩者はすべて在野の人達であり、私たち自らであったことです。」

 愛楽園からの退所者の方が書かれた文章です。 ハンセン病回復者手記 沖縄楓の友の会編 1999

 ●ロルフ・フォン・スコアプランド博士(アは小文字)
 ドイツ系の方で、1947年から3年間米軍政府の公衆衛生福祉部長として直接愛楽園の運営に関わり、愛楽園を大きく変えました。プロミンを開始し、食糧事情を改善しました。治療、ケア、リハビリテーションを重視しました。これは先進的なことです。
 そして退園政策をおし進めました。比嘉政一さんはそれで退園されました。この方の文章です。(博士の写真はこの本にあります。愛楽園関係の本には、博士はよく記載されている)

 医療人の名前は挙げておられないが、断種、堕胎、無断解剖を非難されている。
 あと二人の名前を記載されている。

 ●上原信雄先生(ハンセン病患者保護指導所の開設に努力され運営に努力された。在野の歯科医師。沖縄ライ予防援護協会会長、この本に写真が載っている)。
 ●青木恵哉先生(愛楽園の生みの親、牧師)。

 「救癩者と呼べる人は療養所の医療人に一人もいません。救癩者はすべて在野の人達であり、私たち自らであったことです。」

 と締めくくられました。

  コメント:犀川先生は当然ご存知と思われるが、犀川先生もそうなんだろうか。
(リベル) さすがに、よくお調べになっていらっしゃいますね。でもIchiroさんご自身が「療養所の医療人」だったのですが、この辺はどう読み取れば正しいのでしょう?犀川一夫氏や和泉眞蔵氏は「救癩者」ではないのでしょうか?チョットよく理解できません・・・(>_<)


そもそも、私が気になるのは「救癩」という言葉の意味です。以前にここでも話題になっていました。「救癩」には意味が二つある、と。「ハンセン病をやんでいる人を救う」という意味と「日本という国家を、らいから救う」という意味と。

ここで使われている「救癩者」は前者の意味だと思います。昔有った「救らいの日」というのははてどっちの意味だろうと、首を捻ってしまいますが・・・(1.27 01:23)


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Yahoo!よ、お前もか! 投稿者:リベル 投稿日: 1月25日(木)18時04分52秒   引用  編集済
昨日まで、このURLは、最新のハンセン病に関する新聞報道を掲載してくれていました。

私は、珍しく、断言しますが、昨日まではURLに「/leprosy」までありました。つまり本日付で「ハンセン病」の項目がこのページから削除された、ということです。

確かに、ハンセン病は「トピックス」ではなくなりました。

しかし、未だ療養所に3000人の入所者がいらっしゃいます。前にも書きましたが、読売新聞、熊本日日新聞、沖縄タイムスと次々に「企画」や「特集」を閉鎖してきました。所詮、ジャーナリズムは、そうでなければ、生き残って行けないのでしょう。

逆に、例えば「市民学会」や「ハンセン病首都圏市民の会」が生まれてきています。

これは、私達に問題意識の有り様を、問いかけていると、考えるべきなのでしょうか。


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寄付に適当な団体 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月25日(木)12時30分52秒   引用
寄付に適当な団体

 リベル様 了解です。リベル様のリンク集から日本財団を読みましたが、次にあげる財団との関係は? 同じかな。

笹川記念保健協力財団: この事業:
* ハンセン病対策(制圧活動/患者・回復者の社会的・経済的自立の支援) 外の事業もあります。
 別の所の記載 財団事業: 当財団は時代の二一ズに呼応して、ハンセン病制圧事業をはじめ、多岐にわたる保健・医療の国際的協力の問題に取り組んできました。

 外に寄付に適当な団体を探してみました。

 ●社会福祉法人ふれあい福祉協会

 国がおこなうハンセン病回復者に対する諸事業の一部をふれあい福祉協会が分担することになり、国から委託を受け諸事業を行うとあり(社会復帰支援事業など)、以前の藤楓協会の財産を引き継いでいます。高松宮記念ハンセン病資料館の運営も書いてありました。これは重要な仕事と思います。 専門知識の普及(ハンセン病夏季大学)や色々なフォーラムの援助(ハンセン病学会にあるようなものを含む)なども記載されてあります。
 「ふれあい福祉だより」に、寄付者ご芳名はあるが金額は発表していませんね。

 (蛇足ですが、以前の藤楓協会の場合、国の予算に縛られない機動性があったことを思い出します。)

 ●沖縄県ゆうな協会
  沖縄県の入園されていない人、元入園者、入園者のための協会です。外来診療所、宿泊施設も昔からあります。この協会のトップは県知事ですが理事長は原実先生(以前は犀川先生)。以前より県からの補助が少なくなったそうです。機関紙「あだんの実」に寄付者名前と金額を発表しています。

 私は上記の団体の回し者ではありませんが、政府や県からの補助が少ないと活動が活発にできないことは理解できます。

 ほかに適当な団体があったらご教示下さい。


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第1回ハンセン病制圧チャリティーゴルフ大会 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月24日(水)16時21分35秒   引用
第1回ハンセン病制圧チャリティーゴルフ大会

具体的にはどこに寄付するのでしょうか。
(リベル) 私は、ニュースとして取り上げませんでした。日本財団の前身は「日本競艇協会」だか何だか、笹川良一氏がらみのものです。私は、一応笹川良一の伝記だかを読みました。彼は我が家から10キロ程の箕面市出身ですし、顕彰碑が有るらしいので一応興味を持って、調べましたが、余り感心はしていません。明らかに私情で、情報選択をしているわけで、自分でも感心しませんが、こんな規模のサイトでは、これくらいの我儘は、許して頂かないと・・・。

あ、寄付は30万円とやら。行く先は「日本財団」以外に無いでしょう。今の会長の笹川陽平氏のblogがあります。私は、情報収集先として週に一度は見に行っています。お読みになれば、正体は大体見当がつくと思います・・・。(1.24 17:12)


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「新・あつい壁」、全療協が「協力要請」 投稿者:リベル 投稿日: 1月24日(水)00時17分11秒   引用  編集済
今日気付いたのですが、「中山監督の映画制作ノート」が更新されています。

更新の内容は
(1)タイトルに「新・あつい壁」が赤い文字で、加わったこと。
(2)「全療協から全国ご関係のみなさまに新たな「協力要請」が出されました」という一文と、その文書が、記載されたことの二つです。

生じた疑問を正直に書きます。
(1)「全国ご関係のみなさま」というのはどなたか?
(2)これは、「要請」することなのか?辞書には書いてありませんが、普通「要請」は高いところから、下に向かって「する」ものだと私は思いこんでいたので・・・。全療協さんも、言葉の選び方を間違えられたのではないかと、心配になっています。

お気付きだと思いますが、「協力要請」の文章の中に、「F事件」や「藤本事件」の文字が全く出て来ません。これは、一つの見識の現れだと、感じ入りました。


いずれにしても、「新・あつい壁」は赤字にせず、黒字の方が良いと思うのですが・・・(笑)


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瀉血の文献 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月23日(火)22時51分54秒   引用
瀉血の文献

 廃藩置県当時の沖縄の風俗 明治29年発行 (復刻版あり)

 国頭地方の人民疾病には医薬を持ちふること稀なり。唯従来の施治者一村に1,2名あり。病人に対しては主として小刀をもって身体を裁傷して出血せりむるの旧慣なり。今依然として行わる。
 (追記;これを見つけた時は興奮しました)

 沖縄大百科事典
 ブーブーは熱病、ハブこう(噛む)傷に有効とある。

 沖縄のブーブーとハンセン病
 日本医事新報 3889,56−57,1999年10月23日

 沖縄県における乱切・瀉血療法  −記憶していた患者がいたー
 皮膚科の臨床, 45,435-437,2003.

 はぶヨ、ハイ、噛まれた人もいたよ。何。噛まれたら? アー これまた、ヤブーのとこいって血ーとって(中略)毎日、血出して(中略)頭が、風邪引くときも頭が痛いから(中略)頭から血ー取って、腰もいっぱい血ー出して。うー(芭蕉)ヨ、ウーニコといって、小さいウー切ってからね、これをあとはまた酒で消毒して。熱だから。血を出して熱は冷やまるから。あー医者もいない。注射もない。

(無医村であり、瀉血療法をしなければという話であった)(週刊レキオ社:おばあが笑ってV、2002.)

 あーそう、大変よお、怖いよう、痛み? 痛いでもあんた、しかたあるかあ、あんしぇーな人の命(ぬち)とかかわるのに。アーシェ。恐ろしくて泣いて、子供のときは。


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沖縄の瀉血(2) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月23日(火)22時50分14秒   引用
沖縄の瀉血(2)

 中世のヨーロッパでは瀉血は床屋がやっていたのである。(あのマークは動脈、静脈である)ゲーテが死の床で1リットルも瀉血したそうである。この辺は詳しくないので省略しよう。

沖縄において最初に使われたのは何時か知らない。私が調べた文献によると明治時代すでにあった。私が昭和41年(1966年)に沖縄学童検診に参加した際に、瀉血の跡が多数の児童にみられた。その翌年の統計によると小児で都市部15%、離島部は50%弱行っていたという。すごい頻度である。理由としては、当時聞いた話では胎毒を出すという不明確な話から、文献によると急性熱性疾患、頭痛、ハブにかまれた場合の処置である。
 当時私は、これは医学的にいって、意味ないことだから、止めるように強く注意した。(ハブの場合は別であるが)
 時がたち、現在では 行われていないと信じていたが ブウブウという瀉血がなお使われている。私はその機械を見せられたのである。(吸引を強くし紫斑を作る)しかも看護師の人は自分自身にやっていた。一般的でないのは勿論である。

 瀉血の跡は(多数の小さい瘢痕 小刀で切ったので) 沖縄の人、特に古い人には なじみであろう。これを見て 沖縄の人として 懐かしく思うと ある本にあった。

 瀉血は何故効くか。よくわからない。頭痛や高血圧、炎症の場合はその場所の血流を少なくすることによると思われる。炎症の所が痛いのは皮膚科であれば帯状疱疹が痛いのをみてもよくわかる。

 (私は昔、疼痛について研究した。結論として疼痛(の一部)は、血管の中に血球がつまった拡張痛であるというのである。それから考えると血を出す瀉血が有効な理由も考えられる)

 ハンセン病の場合はよく判らないが、端的に言って、いい治療法がないからと思う。(外に灸はあった)

 ある患者さんの難治性の傷の場合は、出血を起させて新しい傷を作ることにより治癒が早くなった例がある。患者さんの心情からいうと、治らないので頭にきて切ったとも思われる。生検という小さい手術で、ある皮膚病が治癒に赴くことがあるのは知られているので、まるっきり荒唐無稽のことではない。
 毒を出すという意味では、ハブが噛んだ傷に有効なのは、当然であろう。

 昔の瀉血の跡は 私は数名の入園者に診察し写真を撮影した。これについての詳しい報告は別に譲る。なお週刊「レキオ」に昔のオバーが瀉血が痛かったことを鮮やかに述べていたのがあった。ウチナーヤマツウグチ(沖縄風日本語)で書かれた物凄いコトバである。
 (文献の所で このコトバを引用する)


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沖縄の瀉血(1) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月23日(火)22時47分36秒   引用
沖縄の瀉血(1)

 気楽に読んで下さい。

 瀉血と一口にいうが、石器時代の頭部に穴をあけるのも瀉血のように書かれたものもあり、ヨーロッパでは、中世に瀉血が愛用されたこともあり、現在検索すると、医学的にC型肝炎に対して使われるのも瀉血とあり、概念や技法も別々であり、別の言葉で表した方がよさそうである。ヒルを使う瀉血もある。私は沖縄の「乱切・瀉血療法」を提案したことがある。小刀で小さく乱切するからである。
 沖縄の瀉血について述べる。ハブの傷に使われたこともあり、毒を出すのに有効であったろう。それで瀉血療法と呼んでいいかもしれないが、純粋の医学としては受け入れられない。一応、沖縄の瀉血と書くことにした。

 昔は沖縄ではハンセン病の民間治療として使われたこともある。説明は後で述べるとして、根拠から述べる。

 「戦争を乗り越えて」 みやこ・あんなの会編 2000年 でいご印刷
 p160
 ヤブ治療:らい病(ハンセン病)についての適切な治療法が無かった頃、島に伝わる民間療法で、やいと(灸)や皮膚の斑紋の部分にコップなどをあて、血液を吸い出す等の治療であったという。やぶとは非医師。

 注:コップをあてるだけでは吸い出せません。実は小刀で切り、ぶうぶうと称する竹の棒を熱し、真空に近くして吸引するのである。現代は機械を使って吸引し紫斑(出血斑)を作るのもある。

 「宮古南静園昭和12年年報」
 大風子油の注射 2.0-0.5ccを用いる。一週3回。瀉血(ぶうぶう)も民間療法の一にして、急性熱性疾患には好んでこれをおこなう。らいの灸療法についての記載あり。ほかに外科的治療法の記載あり。切開、腐骨の切除、クレゾール石鹸液とリバノールガーゼ、リバノール軟膏、硼酸軟膏、その他の薬品を塗布とある。
 地方病としてのマラリア、赤痢アメーバ、フイラリアの治療が述べてある。マラリアにはキニーネ(キナポン、バグノン)、赤痢アメーバに対してはエメチン製剤、フィラリアに対してはキニーネ製剤、ピクリン酸剤、アクリジン色素を使う。


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F事件から”現代”を考える会が・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 1月23日(火)00時42分13秒   引用
久し振りに連載復活。周防監督の「それでもボクはやっていない」を取り上げて、読ませます。


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ところで・・・Re: どこの島はハンセン病が多い? 投稿者:リベル 投稿日: 1月23日(火)00時16分2秒   引用
> 『某全史』でもっとも気を使ったのは、原告がどこの島の出身であるということを明らかにしたがらない。
>
> 裁判では出身を名乗っても、活字にはしたがらない。その場合、その人の「陳述書」や「調書」からそれを削除すればいいかというとそうは行かない。準備書面、判決、別な人の陳述書や証言調書にその引用があるかもしれない。
> したがって、そういう要請があるごとに、極論すれば6000ページを見直したものです。
> どこの島がハンセン病が多いとか少ないとか、知っていてもいうべきでないことのひとつでしょう。
(リベル) この「匿名」さんの、昨日の投稿は、大切なことなので、念のため、もう一度、書きます。実は、私のどうでも良い話が、地図の取り込みに時間がかかって、二重投稿になって、失敗したので、自責の念も有って・・・。(1.23 00:17)

(リベル) なるほど、まさしく、虚を衝かれました。

また、恥ずかしながら、『某全史』の出版に当たって、そんなご苦労が有ったとは、想像もしてみませんでした。矢張り山籠もりは、弊害も多いのです。視野が、それから想像の範囲が、著しく狭くなっていることを、それをシッカリ意識し続けながら生きていないと、間違いを犯すことになりかねません。自重を心掛けます。お言葉、有り難うございました。(1.22 17:25)


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敬称について 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月22日(月)21時13分53秒   引用  編集済
敬称について

 昔かららい予防法廃止を叫んでおられた荒川 巌(元松ヶ丘保養園園長)甲田の裾(1995年)「らい予防法について」
 隔離主義導入の経緯
  わが国では、この隔離主義のらい予防法を強行してきましたが、先人たちは、これはノルウエーの先例を手本にしたものだと述べています。さらに光田健輔先生は......

「ハンセン病 排除・差別・隔離の歴史」 沖浦和光 徳永進 編集  岩波書店 2001(改定前)

 徳永進 :業績のある人は そのまま
   光田健輔 小笠原登 神谷美恵子 犀川一夫 原田のぶ雄(変換できません。「麻痺した顔」の著者)
   例外:光田健輔氏(一度)
   西占貢先生(この方は恩師である。何度でも先生が続く)
   さんをつけた場合:田中文雄さん(入園者) 鶴見さん(有名人 名前が転換できない)
 藤野 豊:
  医官光田健輔 全生病院長光田健輔 光田健輔(これが一番多い)光田 厚生省医務局長東龍太郎 多磨全生園長林芳信、菊池恵楓園長宮崎松記 全国ハンセン病患者協議会会長高瀬重ニ郎 高松宮宣仁
 遠藤比呂道(弁護士):
  医師光田健輔  光田 光田健輔医師 神谷美恵子 神谷 犀川一夫氏(引きつづき氏) 平沢保治氏 蟻川恒正氏(本の著者)徳田靖之氏(弁護士)石川信義医師
 由布雅夫:(医師 園長)
  高島重孝先生(教科書の著者) 宮崎松記医師(園長) 大谷藤郎委員長 大谷藤郎先生

要約すると、文章にするのは姓名でよく、また説明するなら当時の職名を利用するといい。恩師に先生をつけてもいい。教授はいいと思われるが(教授の場合)調べた内にはでてこなかった。尊称の博士はあまり使われない。しかし先生同様、場合によっては使っていいと思われる。(ここには例を挙げていないが)エッセイの場合は、自分との関係で、より変化あるものと思われる。
(リベル) いろいろ集めて、研究して頂いたのですね。

元来、書き手がどんな敬称・尊称をつけようと、その方の自由だと思います。私が先日「光田健輔博士」は如何なものか?と申し上げたのは、文章の前後関係から推して「祭り上げる」感じを受け取ったので(後に「博士」でなかったとのご指摘も頂きましたが)そこまで奉るのは、どうなのでしょうか?と言いたかったからなのです。彼についての研究や評価は、確定的でなく、毀誉褒貶の激しい現状から鑑みても、慎重であるべきだと思っています。(1.23 00:10)


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国策の座談会 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月22日(月)17時51分50秒   引用
リベル様

 凄いですね。川を引っ張りだしましたね。ううむ。歴史の橋は 文化遺産ですから県道から ながめるだけで写真は撮影しました。昔は海に浮かぶ橋だったようですが。

 主婦の友だったか 看護婦さんの座談会があったのを読みましたが、まったく国策に沿った発言でがっかりしました。私の偏見かなあと思います。当時を振り返ると、愛生園の看護婦になるだけでも、凄いんじゃないかと思っています。菊池恵楓園で残されている写真などから想像すると、実際にいた人に聞いてみたいと思います。

 宮古にいた時に、戦前から勤務していた女性に会ったことがあります。宮古で働きながら那覇で看護婦試験を昭和18年に受けたそうです。一時は看護婦は彼女一人の時期があったそうです。ゲートボールを入園者の方と楽しんでおられました。また、医介補の方に会ったことがあります。医師一人、医介補一人の時期もあったようです。これらの方の働きがなければ療養所は うまくいってなかったと思います。


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Re: 宮古島には川がない 投稿者:リベル 投稿日: 1月22日(月)17時16分38秒   引用
>  実は一本小川があります。巾は10メートルに満たない。宮古島市下地町の沖縄製糖工場の
>  近くです。そこに一本の石橋がかかっています。これは16世紀ごろ作られた沖縄県最古の橋といわれています。
>  周囲100キロの島にこれ一本ですから、事実上川がないといっていいでしょう。


こんなのが有りました。川幅は役10メートルです。
出す方法は下に書きましたから、どうぞお試しください。



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どこの島はハンセン病が多い? 投稿者:匿名 投稿日: 1月22日(月)17時06分38秒   引用
『某全史』でもっとも気を使ったのは、原告がどこの島の出身であるということを明らかにしたがらない。

裁判では出身を名乗っても、活字にはしたがらない。その場合、その人の「陳述書」や「調書」からそれを削除すればいいかというとそうは行かない。準備書面、判決、別な人の陳述書や証言調書にその引用があるかもしれない。
したがって、そういう要請があるごとに、極論すれば6000ページを見直したものです。
どこの島がハンセン病が多いとか少ないとか、知っていてもいうべきでないことのひとつでしょう。
(リベル) なるほど、まさしく、虚を衝かれました。

また、恥ずかしながら、『某全史』の出版に当たって、そんなご苦労が有ったとは、想像もしてみませんでした。矢張り山籠もりは、弊害も多いのです。視野が、それから想像の範囲が、著しく狭くなっていることを、それをシッカリ意識し続けながら生きていないと、間違いを犯すことになりかねません。自重を心掛けます。お言葉、有り難うございました。(1.22 17:25)


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宮古島には川がない 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月22日(月)12時47分14秒   引用
宮古島には川がない:地下は奇奇怪怪

 リベル様 少し脱線いたします。

 これは事実であります。
 川の定義は なんでしょうか。
 実は一本小川があります。巾は10メートルに満たない。宮古島市下地町の沖縄製糖工場の
 近くです。そこに一本の石橋がかかっています。これは16世紀ごろ作られた沖縄県最古の橋といわれています。
 周囲100キロの島にこれ一本ですから、事実上川がないといっていいでしょう。

 その話は別にして、宮古島の地下は奇奇怪怪です。わたしはこれを研究して、ローカル新聞に4回に亙って自説を述べました。更に奇奇怪怪なことは、まったく反論がないことでしょう。

 相手にされなかったか  残念!

 奇奇怪怪の理由:一周道路が時に大洪水を起し時に1ヶ月以上通行不能になること。
 幻の滝が時に出現すること。(写真を新聞に載せ、また1枚市長さんにあげましたら喜ばれました)
 国土地理院の地図にも出ていない大きな池があること。水面が上下する池があること。現在は この不思議な地下を利用して地下ダムが出来ている。


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群盲象を撫ず。一斑を見て全豹を評す。 投稿者:リベル 投稿日: 1月22日(月)00時04分47秒   引用  編集済
まだ昨日のことです。捻くれ者さんがお書きになりました。

>古い記録を読んでいますと、光田健輔氏やその弟子スジの「苦闘」「一所懸命な取り組み」に泣きたくなる思いがすることがあります。まことに献身的だった。にもかかわらず批判は受けなければならないし、あやまちは指摘されなければならない。

たまたま、私も「古い記録」を読んでいて、だものですから、大いに共感した旨記しました。私が読んでいたのは昭和14年の「婦人公論」、「祖国浄化の先駆者/救癩献身の聖者に訊く」と題する座談会で、光田健輔、林文雄ほか出席のものです。

読み終わって、とても、とても興奮してしまいました。北風さんの持論が、理屈でなく実感として、お腹にストンと、所謂「腑に落ち」ました。「光田健輔、小川正子などについては、後世の評者が叫び立てる言葉に付和雷同せず、自ら深く調べて、自分の頭で考えて、ものを言いなさい」 というご意見だったと思います。間違っていたら、修正をしてやってください、申し訳ありません。

興奮醒めやらぬママ、二つ、思うことを書き連ねさせて頂きます。

1)「中央公論」のあの座談会を、もっと多くの人に読んでもらいたい。スキャナや、読取りソフトを使っても、ルビ付きの文章はダメなのではないか?

2)勿論、その文章だけでなく、こういう生の声が聞こえる記録は、他にも沢山あるはず。それを、もっと多くの人に読んでもらわないと、歪んだ伝説が、歪んだままで後世に残って行く。それを防ぐにはさあ、どうする???

「ハンセン病文学全集」の範疇ではない。「文学」ではないから。どうすればよいのでしょう?今日は、こうして、疑問を投げかけたままで、終わります。

念のためですが、誤解を避けるために、明言しておきます。光田健輔に対する私の評価が変化したのでは有りません。象や豹を知る材料が我々には必要で、それはこうして、手の届くところにもある、ということを、申し上げたかったのです。


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Re: 続 ミャンマーの大壷 投稿者:リベル 投稿日: 1月21日(日)22時50分43秒   引用  編集済
>そして宮古島は 川がないのです。これはタイヘンな特徴です。
>  私は宮古島にいった当時 川がないのに蛍がいるのは不思議だと思いました。しかし蛍は土棲の蛍であるとわかりました。川がないと いい事があります。海が汚染されません。この事は私は西表島で実感しました。

「川がない」が幼児のような新鮮な驚きでした。「そんな・・・?」猜疑心が服を着てパソコンを触っているような私は、文明の利器を活用して、確認しに行ってきました。

本当に川が無いのです。百聞は一見に如かず。Googleマップの検索窓に「宮古島」と入れるだけで、ご覧の画面が出てきます。右上の「航空写真」をクリックすれば、それが出て、良く分かります。



川の無い島



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天橋立 投稿者:あさり 投稿日: 1月21日(日)21時48分4秒   引用  編集済
掲示板に天橋立の「またのぞき」の風景が出ていましたね。
天橋立は日本三景のひとつに挙げられています。
昔天橋立に行きましたね。なかなかの壮観でした。
掲示板「又のぞき」に来ます。
(リベル) あさりさん、いらっしゃい。

私が始めて行った時には、父と、大きい従兄弟三人と一緒でした。口惜しいかな幼児の私には「またのぞき」のポーズが取れず、はい、体型の関係でしょうか、口惜しい思いをした記憶があります。父が見かねて、両足を持ってぶら下げてくれて、思いを果たした、いや、そうかも知れませんが、その記憶は全く有りません。もうみんな、先へ行ってしまった・・・(涙、本当)

またのぞきに来てください・・・(1.21 22:58)


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続 ミャンマーの大壷 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月21日(日)08時04分22秒   引用
リベルさん コメントありがとう。

 私も和泉先生フアンです。会った時は 最新情報をいつも聞きます。私が言いたかったことはこれから述べることが 和泉先生の画期的な発見とは どうも繋がらなかったということです。書き方が あまり尊敬したようでなかったですね。反省しました。

 ミャンマーの大壷の文章で 舌足らずの所がありました。宮古島での話で、よくわからなかった理由は 住環境の整備、食生活の改善 水環境の整備が 同時に おこったので はっきり判ら無かったと考えています。宮古島の戦後は 水道を完備する仕事が大変で 皆が協力したといわれます。体を洗う水が 貴重な 泉からの水であれば 十分洗えなかったでしょう。そして宮古島は 川がないのです。これはタイヘンな特徴です。
 私は宮古島にいった当時 川がないのに蛍がいるのは不思議だと思いました。しかし蛍は土棲の蛍であるとわかりました。川がないと いい事があります。海が汚染されません。この事は私は西表島で実感しました。


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ミャンマーの大壷 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月21日(日)00時41分4秒   引用  編集済
ミャンマーの大壷

 軽い気持ちでお読みください。

 私は土曜の番組では「旅サラダ」が好きである。1月20日、ある日本の温泉旅館でミャンマーの大壷を入手して、入浴に使っているという話がでていた。何のための壷という話にはなったが、うやむやに終わった。実は私は知っている。これは雨が少ない地方の雨水をためる大壷である。

 平成2年正月、私は厚生省から派遣され単身タイに飛んだ。タイ厚生省の伝染病長官は医師、王家の出身で有名な人である。(当時、タイにエイズが多く、活躍されていた)個人的に色々話を伺ったが、タイではハンセン病は東北地方に多いといわれた。理由は、雨が少なく、不潔になるからである、といわれた。タイではコンケーンがその中心である。そこの療養所に行った時、大きな壷を発見した。(この療養所のピア先生はMDTの好成績を出されたので有名である)雨水をためる大壷である。
 環境中の川の水の中にライ菌のDNA破片の発見(和泉先生ら)に関係ないが、昔から、ハンセン病は水と関係あるといわれていた。たしか内田守先生の説だったが(ちょっとうろ覚えである)その根拠は 文明の進歩 とくに水道の敷設と ハンセン病の減少が関係あるということであった。
 よーし。これを証明しようと張り切られた(と私は想像する)先生が長尾先生である。宮古島はハンセン病流行が最後まであったのである。ところが よくわからなかった。ハンセン病患者の減少がどれが主因であるかわからなかったのである。住環境の整備、食料事情の改善、水環境の整備、人口の流出などのファクターである。

 今でこそ宮古島は水が豊富という印象があるが昔はそうでなかった。豊富な水量を地下ダムが蓄えるようになったからである。昔は宮古島の女性は 朝晩 頭に壷を載せて泉に、水を汲みにいったのである。ここの水道の発展は戦後のこと、歴史がはっきりわかっている。

 今でも、農機具を頭に載せる婦人は池間島におられる。昔泉に水を汲みに行った婦人である。そこの民宿に私はミャンマーの大壷のような壷が放置されているのを発見した。これは写真に撮っていないのは残念。なおコンケーンの大壷は あとでその療養所に行かれた先生に写真撮影をお願いしたのであった。

追加:この島は昔、ハンセン病が多く、この島から宮古南静園の直接船で患者さんはこられていたが、特別の船着場があるのを私は見付けた。港とは 少々離れている海岸にあり、そこは海で亡くなった方も使われる船着場である。昔は寂しい所であったようだが、道路が改善されてしまった。
(リベル) 確かに、ハンセン病の感染源と「水」=「生活用水」の関係は密であるようで、古代エジプトについてはナイル川が関係する話も出てきます。

>環境中の川の水の中にライ菌のDNA破片の発見(和泉先生ら)に関係ないが
はしかし、軽い気持ちで読んでいても引っ掛かります。和泉氏が、現地で泥まみれになってやっておられるのは「DNAの破片の発見」ではありません。Ichiro先生の発言でなければ、やり過ごすのでしょうけど、少なくとも先生は医学者でいらっしゃる。その先生のお言葉としては少し乱暴すぎるのではないか?和泉ファンの私ならずとも、気になさる方もいらっしゃるかも知れません。

和泉氏は、正確には「DNAの破片の発見」ではなく「らい菌を集めてゲノム解析」をなさっているのです。大変貴重な研究です。「インドネシア便り」に詳しいので、ご参考までに・・・。

折角、軽い気持ちで読ませて頂いていましたのに、突然ドキリとさせることを仰有る。先生の悪い癖ですよ、もう・・・(笑)(1.21 01:26)


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コトバ足らず 投稿者:  投稿日: 1月20日(土)16時56分20秒   引用  編集済
自主上映の一回20万円は、どこかで聞いた「一般的な相場」であって、今回の「新あつい壁」のものではありません。
誤解されやすい表現でご迷惑を掛けました。お詫びします。

しかし、それにしても、この制作委員会は、決定的に説明不足だと思います。
というよりも、「楽しみを奪う」というような言動に見られるように「説明する意志」がないように見受けられる。
(リベル) 上手に枕を振っていらっしゃる。

「説明する意志」の有る、無し、よりも「楽しみを奪う」というような「言辞」を弄して、真実から、目を背けさせようという、そういう「誠意」の無さを、あの文章全体から感じられる、そのことが仰有りたかったのではないかと、お察ししますが・・・。

それこそ「一所懸命」さが、感じられないのです。助けてー!!こんな状態なんだよー!!と言いたければ、言うべきだと思います。真剣な人達の目を誤魔化そうとすると・・・それはやはり、いけないなあ、と思います。(1.21 00:45)


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Re: 一所懸命な取り組み 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 1月20日(土)14時22分42秒   引用
> 古い記録を読んでいますと、光田健輔氏やその弟子スジの「苦闘」「一所懸命な取り組み」に泣きたくなる思いがすることがあります。まことに献身的だった。にもかかわらず批判は受けなければならないし、あやまちは指摘されなければならない。

・・・・・・・・・・・・・・・
ここで「新・あつい壁」製作・上映実行委員会の「一生懸命な取り組み」を、光田健輔氏やその弟子スジの「一所懸命な取り組み」に比すことは喩として適切ではないと思いますが;
でも、捻くれ者さんの仰りたいこと、私にもわかるような気がいたします。
私もまた“一所懸命であれば何でもいいのか”と言いたくなってしまいます。

だいたい、(映画に限らず)何事であれ、人が自分の仕事に一所懸命取り組むのは、いってみればあたりまえのことであって、“一所懸命であれば何でもいい”というものではないと思います。重要なのは取り組み方、取り組み姿勢や方法論ではないでしょうか。その姿勢に説得力がなかったり、方法論に何らかの誤魔化しもしくは欠陥があるような場合、またそれを明確には指摘できなくとも、何らか至適化の努力の欠如を感じさせられた場合も、人はおいそれとは動かされないものです。
(少なくとも、私も中山監督の「あつい壁」はいい映画だと思っています。しかし、今回はその過去の映画のバリューの上にのっかって金集めをすると決定したときから、主題に何らかのズレを生じているように感じて仕方がないのです。それを納得させるだけのものを、あのブログから、私は読み取れません。)

上映について、「勧進元」から製作側への上納金“20万円”というのが「相場」であるかどうか、私は知りませんが;
例えば ↓「地球交響曲」の「自主上映の手引き」
http://www.gaiasymphony.com/tebiki.html
に記載されているフィルムまたはDVD貸出料(フィルム/デジタル上映にかかる費用)
と比較して、かなり高い。
もし、「新・あつい壁」上映に20万円の上納金が必要とすれば、
製作協力券持参者以外に、入場者(1人当たり\1,200として、200,000÷1,200≒167)
167人を上納金を払うために動員しなければならないことになります。
上映には、その他に、環境/設備使用料等の費用もかかりましょう。

思うに、少なくとも“製作・上映実行委員会”は、製作費に関するお願いだけでなく、
映画の内容と上映システムについても、きちんとした説明をしなければならないでしょう。
協力者の方々に対して、すでに上映システムに関する説明はなされているのでしょうか?
(リベル) ドン・キホーテさんのお話の通りだと思います。昔は、そういう「説明責任」が何となく無用とされていて、「映画でござる」と大手を振って歩けたのが、今は違う。まして世論の反発が一つならず生まれている、しからば・・・と説明をするのが先ず、筋でしょう。それから、さあ、買いなさい、見なさいと言うのが普通の、ごく普通の神経だと、私もそう思います。

一つ、ドンさんに同意できないのは、本筋から離れますが「一所懸命」のところです。「一所懸命」には方法論は無いと、私は思います。ひたすら「一所懸命」だから、方法論に目が行かないから「一所懸命」なのではないか。問題は、「一所懸命」さ、ではなく、そのエネルギーの向かう先だと思うのです。「力」と「方向」を分けて考えるべきではないかと、「一生懸命」しか能のない私などは、そう思うのです・・・。(1.21 00:33)


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一所懸命な取り組み 投稿者:捻くれ者 投稿日: 1月20日(土)12時20分31秒   引用
古い記録を読んでいますと、光田健輔氏やその弟子スジの「苦闘」「一所懸命な取り組み」に泣きたくなる思いがすることがあります。まことに献身的だった。にもかかわらず批判は受けなければならないし、あやまちは指摘されなければならない。
(リベル) 捻くれ者さん、いやはや、驚かされました。私は今「婦人公論」の古いのを、「東風吹かば」のしゅうさんのご厚意で読むことが出来ているのですが、何と、全く同感で、兎に角一生懸命真面目にやっている、それに胸を打たれてしまうのです。これは新鮮な驚きでした。書いてある内容については置いておいて、やはりものは広く読んでみないと、なかなか真実には届かないなあと、しゅうさんに、感謝することしきりです。しゅうさんのご想像を遙かに超えて感謝、感激しているのです。

「あやまち」は指摘されなければならない、これはこれで、その通りなのですが・・・。


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Wikipediaのハンセン病 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月20日(土)12時01分39秒   引用
リベル様

 チェックいたしました。蜂谷先生は知りませんが、あまりよく書けているので、私が知った人と勘違いしました。
 小さい不満は あちこち あります。
 らい が使える例外のことを記載していた方がいいと思います。
 光田反応ですが、T型が陽性は間違いないのですが 正常の人も陽性ですので、こちらも記載する必要がありましょう。正常の人はらい菌に対する細胞性免疫はもっているわけですから。それかららい反応のらい性結節性紅斑 ENL を最初に記載し 命名した 村田茂助先生の話がでていませんね。日本が誇るこの業績は光田の光田反応に導いた論文より前の発表です。茂助先生は、村田正太先生と間違われます。後者の先生は、梅毒の村田先生ですが、小笠原先生との学会の所にでてきます。たいへん偉い先生であるという記載も読んだことがあります。評価が定まらないということでしょう。
 後の方のは書き直しが要求されていますが、私が書くとモット長くなりそうですので失礼します。

 教科書とか、辞書の記載は short and to the pointで とくに 一般の方へ正確な記述が要求されると思います。 私も協力できることはしなければという思いはあります。
(リベル) チェックして頂いて、有り難うございました。やはり気になる箇所がいろいろお有りだったでしょう。そう想像していました。

>私も協力できることはしなければという思いはあります。

先生に、そう伺って、とても心強く感じます。是非、先生の豊かな学識、経験と何よりもその「やらねば」というお気持ちを、Wikipediaへ投入なさって見て下さい。「編集」というタブをクリックして、文章を書き換えて下さい。滅多なことでは、壊れません。「誰もが書き込んで作り上げて行く」ことが主旨の百科事典ですから・・・。(1.21 00:02)


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Wikipediaが大きく様変わり 投稿者:リベル 投稿日: 1月20日(土)07時26分26秒   引用
Wikipediaの「ハンセン病」。何か、最近急に中身が増えてきました。「蜂谷」という人が医学の専門家らしく、とても細かい書き込みが、大量に増えて来ました。Ichiro先生、一度チェックしてみて下さい。

他にも、記述が冗長だから、修正して下さい、などという、運営者側からの注文も出ています。皆さん押しかけて、協力してあげて下さい。私は「韓国・台湾」の訴訟の所を投稿しました。他の所を触る気力が有りません。

宜しくお願いします・・・って、私がお願いすることではありませんですが・・・。


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タイミングって、大切でしょう? 投稿者:リベル 投稿日: 1月20日(土)00時10分21秒   引用
何のことかというと、今、「志村康さんとキャッチボール」というBBSがダウンしているのです。数日前まで、そこに志村さんが書いておられたのは、ロケ隊の苦闘ぶりでした。寒さ対策がとても大変な中、一生懸命毎日の撮影に取り組んでいるということが、書いてありました。

私は去年の11月11日にこう書いています。私の中ではこのときに「藤本事件」と「新・あつい壁」は決別を告げた訳なのです。

私は今回の「中山さんちの映画blog」を読んで、泣きたくなりました。こんなことを、書かなければならないお人は、どんなに辛いだろうなあと、思ったからです。正に「窮地」に立って居られるのではないか?と・・・。

私は、ですから、宝塚の山中から、熊本のロケ隊にエールを送るだけです。


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上映運動 投稿者:  投稿日: 1月19日(金)20時50分19秒   引用  編集済
制作費をカンパに頼り、さらに上映運動をして売り上げを見込む。
伝聞だから正確かどうか、本当かどうか知りませんが。上映運動を展開して各地で上映会をする場合、「勧進元」が制作側に20万円払うというのが「相場」らしい。

それは、それでいい。商業ベースに乗らない良質な映画を作っていくためのシステムとして必要だろう。それは「制作側」とカンパしたり上映運動をしたりする側との共同制作である。

そして、そういうことであればあるだけ、

〉「映画の内容も素晴らしいものになりつつあります。
〉その詳細を今みなさまにお伝えすると、完成後の楽しみを奪ってしまうことにもなりかねませんので差し控えますが、

これは「ふざけた態度」としか言いようがない。
エンタティメントのミステリーでも作っているつもりだろうか。


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トラ狸概算 投稿者:ドン・キショット 投稿日: 1月19日(金)20時14分55秒   引用  編集済
2007年1月17日―新年のご挨拶―
・「今月、ようやくクランクイン」
  ↓
・製作費協力のお願い[現在、目標額1億5千万円の約半分ほど]
  ↓
・「映画は、本年2月までに撮影を終え」、
 編集作業を経て「4月までには完成する予定」
  ↓ (影の声:わー、あっという間にできちゃうのね!)
  ↓
・100万人に観てもらいたい (ということは…)
 100万人×\1,000[としてですが]=\1,000,000,000
 10億円−1億5千万円=8億5千万円(!)
            ↑
・トラ狸概算――啓発映画は儲かる!(という結果がでましたー)


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Re: 拝読 Re: 「新・あつい壁」クランクイン! 投稿者:リベル 投稿日: 1月19日(金)17時51分2秒   引用
と題して、書いたのですが、どうも一杯機嫌で書いていて、いけません。

とても大事な問題なので、今書いたのを「メモ帳」に保存しました。一寝入りして、シャキットしてから、もう一度お伺いします。ご免なさい・・・m(_ _)m


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拝読 Re: 「新・あつい壁」クランクイン! 投稿者:北風 投稿日: 1月19日(金)12時56分21秒   引用  編集済
> 中山さんちの映画blogに、挨拶とお願いが出ています。
>
> 皆さんのご意見は如何でしょうか。私はかつて自分なりの考えを書いていますが、こんな一介の爺が何を思おうと、言おうと知ったことではありません。そんなことは全く無視して、思う存分意見交換をなさってください。

「楽しみを奪うから」内容は言わない。ただ資金協力をしてくれ。
藤本事件については一言も触れていない。

>映画製作並びに上映に関するお願い事ばかりを率直に申しあげて参りましたが、これもひとえに、今回の映画「新・あつい壁」が、ハンセン病問題に関わるあらゆる立場の多くの方々の共通の願いとも言うべき、ハンセン病に関わる偏見・差別の問題を解決していくために大きな力になるものと確信するが故です。

何の説明もなしに「藤本事件」ではなく「偏見・差別の問題」への啓発映画に「はっきり」と路線転換したようだ。


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「新・あつい壁」クランクイン! 投稿者:リベル 投稿日: 1月19日(金)11時56分49秒   引用
中山さんちの映画blogに、挨拶とお願いが出ています。

皆さんのご意見は如何でしょうか。私はかつて自分なりの考えを書いていますが、こんな一介の爺が何を思おうと、言おうと知ったことではありません。そんなことは全く無視して、思う存分意見交換をなさってください。


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知りませんでした 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月19日(金)03時35分33秒   引用
リベル様

 その言葉は知っていましたが、場所限定の使用とは知りませんでした。いつか辞書を聞かれていましたが、うちの辞書は小学館のです。大辞泉だったかな。熊本にあるので手元にありません。今は阿蘇です。以前の小さい活字の広辞苑もありますが、あまり引いていません。日本の辞書に関しては、何時からの使用かと思っていろいろ引くことがありますが、オックスフォードの辞書と違い、書いていませんね。本音と建前というのは昔は使っていなかったと思って調べたことがあります。

 ジョップリング先生は小生はそう書いています。日本から直接先生に電話したこともありますし、一度ですがロンドンでお会いしました。先生とは、手紙も40通以上交換しています。ジョプリングとは知りませんでした。ふむふむ。
(リベル) 「場所限定の使用」というのとはチョット違うのです。別に東京のど真ん中で「天橋立の股のぞき」と言っても一向に構わないのです。単に「股のぞき」と使っても恐らく通用しないだろうという意味です。「三ツ峠の股のぞき」というように場所を付してつかわないと分かりにくいと思います・・・(1.19 07:44)


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余談:天橋立の股覗き 投稿者:リベル 投稿日: 1月19日(金)00時34分33秒   引用  編集済
「股覗き」と書いて、これではアダルトサイトの宣伝と間違えられて、お読み頂けないかと思い(お読み頂いても、何の役にも立たない点は同じですが)、書き換えました。

「またのぞき」を念のために辞書を引いたところ、「日本国語大辞典」や「大辞典(平凡社)」の復刻版に至るまで、皆無でした。驚いて検索したら、これは実に特殊な日本語で、「天橋立」「竜ケ岩洞」「三ツ峠」など限られた場所でのみ、通用する言葉でした。

私の出身地で、近くの名所と言えば「天橋立」だったので、子供の時から「股のぞき」は日常用語でしたが、そういう思いこみはいけませんね。(思いこみと言えば、Ichiro先生の「Jopling=ジョップリング」は先生、先生の思いこみではありませんか?熊本地裁の判決文や療養所の解説では「ジョプリング」となっているので、気になっていましたが・・・。脱線、脱線)

風呂場で(ということにしておきます)股のぞきの姿勢になったとき、異常に気付きました。直線であるべきものがそうでない。段がついている。内股の直線が、直線でなくなっているのです。そうです。皺でした。これにはショックでした。もうすぐ七二歳になりますから、当たり前と言えば当たり前なのですが。


ウーム、なかなかの風景ですね・・・



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Re: 不時ノ来客アリ 投稿者:北風 投稿日: 1月19日(金)00時06分56秒   引用
深夜復旧浮上予定」潜水艦落書号運転士リベル・・・

浮上後の進路は「北北西」がいいかなと。
しっかし、リベルさん。潜水艦はタクシーじゃないんですから「運転士」はどうかな。
(リベル) ぷっ・・・〆(。。 )メモメモ

北北西には2週間早すぎるかと・・・(^O^)・・・丸かぶりの顔。(1.19 02:40)


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不時ノ来客アリ 投稿者:リベル 投稿日: 1月18日(木)14時15分4秒   引用  編集済
昨夕不時ノ来客アリ轟沈サル」未ダ浮上ママナラズ」深夜復旧浮上予定」潜水艦落書号運転士リベル・・・(o_ _)oパタッ!


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申し遅れましたが 投稿者:北風 投稿日: 1月18日(木)10時13分0秒   引用  編集済
林檎箱を開いて中身をうちのお倉に納めなおしました。

これで安心。
(リベル) ご笑納頂きましたか。ここで書くのもおかしいかも知れませんが、私はこの「林檎箱」は不十分で、もっと完全性を期した国賠訴訟のデータ・ベースの完成を夢見ていました。もう気力・体力が無い、というのが真相で、誠に腹立たしいのです。

本心を、目立たないこの場所で、告白しますと、どなたかにこれをベースとして補充、完結して頂きたいのです。北風さんの表現に、一筋の曙光を感じて(自分に都合の良いように、感じて)思い切って書いてみました。また、言い換えれば、あの「林檎箱」の中身は、受け取った人の物、どう料理して頂こうが、私は一向に構いません、ということも、言いたかったのです。名シェフにお委せです・・・。(1.18 17:31)


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お詫びします 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月17日(水)20時45分34秒   引用
リベル様

 社会経済とらいの伝染力の変化 正しいらい対策のための病因論
 和泉眞蔵 解放教育 1983年12月

 が見つかりました。まずはお詫びします。光田健輔、土肥慶蔵、北里柴三郎、小笠原、村田正太、早田皓は全て そのままでありました。私が勝手に敬称をつけたようです。リベルさんの言われる通りでした。協力者には 君とさんが使われています。一つ気がついたのは 和泉真蔵となっていたことで、これはミスかもしれません。

 ついでですから小生が読んだ所を書いてみます。

 ハワイにおけるらいの大流行
 1853年、それまでらい患者のいなかったハワイに一人の中国人らい患者が渡来した。それからわずかに20年の間にハワイでは2千名のらい患者がみられるようになった。驚いたハワイ政府は1865年にモロカイ島にらい患者の隔離施設を作り、患者の強制隔離によってらいの拡大をふせごうとした。これが光田も批判したハワイの強制隔離方式であるが1895年までの30年間に、モロカイに収容されたらい患者は6025名にのぼったという。当時のハワイの人口は四万人であったことを考えると、これは正にらいの大流行であった。このハワイの大流行はわが国のらい対策の成立期と時期を一つにしていたため、わが国のらい関係者に強い危機感を与えたようで、光田も繰り返しハワイの例を出し、らいの伝染力の恐ろしさを訴えている。
 明治33年(1900)わが国におけるらいの第1回全国調査がおこなわれ、患者総数は33,359人、らい血統家族人口は995,300人という結果がでた。この結果について光田は後になって「とにかく百万近い人間がライを病む可能性があるという、恐るべき事態があきらかになった」(光田健輔著「愛生園日記」)と述べているから、対策を誤ると日本においても、ハワイのような事態が起きると光田は恐れていたと思われる。

 ●私が読んだものに別のものがあったようで、光田は日本が世界第二のらい大国になると恐れていたというのが頭にありましたが、ここにはありませんでした。
(リベル) Ichiro先生、私に詫びて頂くことなど、何一つ思い至りません。どうぞご遠慮なく、持論を展開なさって下さい。

冒頭の和泉氏の論文の題は「社会経済状態と・・・」で有るはずです。こういう部分は、先生、科学者らしく正確を期して頂かないと、他の発言まで真偽が疑われることになりかねません。ご用心、ご用心・・・(笑)


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Re: ダミアン神父(4) 投稿者:先ずは日本語。 投稿日: 1月17日(水)16時15分44秒   引用
> 討論する時は、英語ではドクターといい、博士号の有無とは関係ないので、これも私のいい加減さの現れかもしれません。

それを言っちゃあ、「OK牧場の決闘」のドク・ホリディだってドクターだ。


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ダミアン神父(4) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月17日(水)12時57分2秒   引用  編集済
ダミアン神父(4)

ようやく本論です。もっと引用論文について慎重にします。博士号については、知りませんでした。博士は尊称ですから、注意して使う言葉でしょう。討論する時は、英語ではドクターといい、博士号の有無とは関係ないので、これも私のいい加減さの現れかもしれません。しかし広辞苑を引きますと、博士は、学問またはその道に広く通じた人、学者、とあり源氏物語を引用しています。(すみません。古文の世界でしょう)

 なお、ダミアン神父を討論するなら、当時当地の事情を理解しないといけませんので、参考論文を引用した次第です。

 ジョップリング博士の見解

 ハンセン病の”リドレー・ジョップリングの分類”で有名なジョップリング先生自身、だいぶ以前に私が見たのと同じ写真をみられたそうである。先生の私信の一部分を本稿に使う許可を得たので紹介したい。

 (注:このエッセイ当時、私は先生と文通をしていた)

 手紙によると、ダミアン神父が感染したのはモロカイ島にいってから毎日患者に接したからで、12年経過して診断が下されたとしている。「確かにモロカイ島において彼はハンセン病に対する濃厚な露出を受けている。しかし、その露出が濃厚であることは、個人がハンセン病に罹ることや、その型がL型、B型、T型になることに全く関与しません」

He certainly experienced very heavy exposure to leprosy in his work at Molokai, but heaviness of exposure plays no part in determining if an individual is going to acquire leprosy, nor it have any part in determining if the leprosy will be lepromatous borderline or tuberuculoid.

(注:no partにアンダーラインが引いてある)

 個人の免疫状態が(発病に関する)決定的な因子であり、彼の免疫は生来性の免疫と獲得された免疫のコンビネーションによります。私がダミアン神父に関して最終的に言いたいことは、ハンセン病への露出が濃厚であったから神父は発病したのでない、ということです。ハンセン病に対する露出は軽微であっても発病したでしょう。とうのは神父はハンセン病に罹りやすい成人の5%に入ったからです。

(注:ジョップリング博士は夫婦でハンセン病が伝染した頻度を研究し、大人で20組に1組は伝染することを観察している。小児の場合は別である)

 ハワイでの流行やナウル島の流行についてもジョップリング博士の見解を伺ってみた。太平洋のナウル島でも三分の一の島民が罹患したことが知られている。

 「高い感染率の説明は今のところ想像の域をでない(can only be guesswork)が、それを真剣に検討した研究は私は知らない。言えることは当時免疫が低下していたであろうということである(または感受性が高かったに違いない)そういう高い感染率があったのは島に限られていることは大変興味ある事実である。」

 Trautman博士の総説でもこれらの流行の事実は述べられているが、説明を避けている。(文献は前に述べた)


 あとジョップリング博士のことども という最近の博士のことどもを綴ったが、これはあまり重要でないので省略する。

 ●ダミアン神父(1−4)は基本的には次のエッセイである。

 モロカイ島の殉教者 ダミアン神父
 −新たに発見された写真と発病に関するジョップリング博士の見解ー
 日本医事新報
 3669,65−68,1994年8月20日号

 リベル様へ
 すみません、和泉先生の論文は私の重要ファイルに入っていませんでした。あちこちやったので 行方不明です。まだ探してみます。内容は医者の僕にハンセン病を教えてくれたこと、株式会社CBR 2005年の47ページに紹介されています。どこまでがこの説明かよくわかりませんが、ハワイでの流行も話がでています。普通ダミアンといいますが和泉先生はダミエンと正確に書かれています。Damienが正確ですんが私は通説の方に従いました。
(リベル) 分かりました。

それから、和泉氏の著書の題名は正確には「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」です。こだわるようですが、この題名は、どの一語も省略できない、良い題名だと先日紹介した手前、気になってしまいましたので・・・。(1.18 16:58)


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Re: 文献追加 投稿者:北風 投稿日: 1月17日(水)10時09分22秒   引用  編集済
>   Starの文献が判りました。
>   Epidemiological aspects of Hansen's disease(HD)
> Trautman JR
> The Star 49,2,3-7,1989 (November/December)
>
> ナウル島とカピンガマランギ島のことが出ていましたが、引用しませんでしたが、ニューギニアのマルル島のこともでています。ここは戦後、住民の15%が罹患したそうです。カピンガマランギ島は3割で、75%がT型と述べています。この文献は引用文献も31もあります。

これも、前提なしに引用すると誤解されやすい。

これだけ読むと、ハンセン病は感染しにくい病気という「定説」を否定し、大流行の可能性を述べている。しかし、こうした「流行地」には必ず悪条件があって、その条件にあてはまらない場合はきわめて感染率は低い。日本のような場合は、「感染症ですらない」というような表現を和泉さんはしていたように思う。このことは、Ichiro先生が引用(?)した『解放教育』の当該号に詳細に論じておられたと記憶している。

そういう前提を説明無しに、ある「事実」だけをぽんと出すのは、「嘘」ではないが「誤解」を誘導する。しかも引用文献の数まで出してそういうことを言うのは、昨年暮れにおっしゃった「慎重な」態度とはいえないと思いますが。


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Re: ダミアン神父(1) 投稿者:猪武者@自宅 投稿日: 1月17日(水)08時39分11秒   引用
>> 和泉先生は、光田健輔を称賛しておられるのか?
>
> この二点が曖昧なので、私の中では話がこんぐらがってしまいました。私の知っている限り、和泉氏が「光田健輔博士」と尊称を付しているのを見たことがありませんので・・・。

まず、光田健輔氏は「博士」ではないはずです。
周辺が学位をとることを進めたけれど「誰が俺の論文の審査をするのか」と嘯いたと伝えられる。
済世学舎(確か。要確認)出身の光田氏と、隔離に批判的な東大の太田正雄、京都の小笠原などアカデミズムに対する対抗意識もあったと思われるし、小生は、このことが光田氏の「隔離」に固執したひとつの要因であったと思っています。

また、和泉さんはもっと辛らつで「もっとも注意しなくてはいけないのは、現在のハンセン病専門医(と称する)人々の言説である。光田イズムから出ていない。医学的知見に非常に間違いが多い」といっている。このことは、憚らず書いているし直接聞いたことです。和泉さんは、現在のハンセン病学会でも非常に微妙な位置にいるのだと思う。

和泉さんの引用をするならこうしたことを念頭において慎重かつ丁寧にする必要があると思う。
(リベル) 猪武者さんには、二つ、驚かされました。(1)「博士」ではない。確かに、調べた限り、どこにも出てきません。なお、「済世学舎」は正しいと思います。高松宮ハンセン病資料館運営委員会発行の「ハンセン病資料館」p.37に「市立済世学舎後期卒業後、31年に東京帝国大学病理特科修業・・・」と記されています。

(2)「憚らず書いているし直接聞いたことです」とお書きになっています。ということは、猪武者さんは和泉さんと面識があるという、そういうことですね。「学会でも非常に微妙な位置に・・・」ということは、和泉氏の著書「医者の僕に…」のp.136からだけでも、十分に窺えます。信念を曲げないその断固たる生き方には尊敬の念を禁じ得ません。(1.18 23:57)


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ダミアン神父(3) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月17日(水)07時55分37秒   引用
ダミアン神父(3)

すみません。まだ本論に入っていません。以下の文献に基いているが、筆者のコメントも入っています。

 ダミアン神父の鮮明な写真の発表

 文献:ダミアン神父百周年記念誌.

 昭和62年にシドニー、バーン、スウイフト医師が撮影した写真が発表された。彼は明治21年から25年まで、モロカイ島で働き、ダミアン神父を看取った。その相続人ゴットウイン・スイフト氏は昭和35年に死亡し、裁判所により相続したカトリックホノルル司教区が公表した。写真の原板は現在はホノルルにあるダミアン美術館が所有している。素人写真にしては大変質がよく、ネガサイズはキャビネ版である。

 聖職の衣服をまとった姿のポートレートがある。左手にレプローマ(結節)を多数見せ、それが鮮明に写し出されている。より症状がひどい右手は隠している。

 (吊っているという話があったが、そう思われる。正確にいえば右腕である)

 顔面にも結節が多い。まさしくL型のハンセン病である。亡くなる2日前の別の写真では、ハワイのような常夏の国なのに厚い布団をまとっている。手足が寒くなり厚着になるのは、ハンセン病患者にみられる普通の症状である。頭髪はあるが、眉毛は薄い。また死後のベット上の神父も、マザーマリアンヌと一緒の写真も残されている。もう一枚の写真は二人のマザーと一緒であるが、顔はぶれている。当時のフイルムの感光度の低さを思わせる写真である。
 ほかに、ダミアン神父を中心としてセツルメントの60余名の子供の患者と撮った写真があるが、これは明治21年ウイリアム・ビリンガムが撮影したものである。聖職の衣服をまとった神父の体格は大きく、堂々としている。彼の健康時の体重は80キロあったという。患者の大部分は子供であるが大人もいるようである。一種独特の同じような顔貌を呈しているが これは病気と関係あるのだろうか。


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ダミアン神父(2) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月17日(水)07時53分37秒   引用
ダミアン神父(2) (まだ本論に入っていません)

ダミアン神父のハンセン病

 ダミアン神父が隔離政策のためにハンセン病の患者を集めたモロカイ島に派遣されたのは明治6年であるが、同じ年にノルウエーのハンセンはその病原菌を発見した。驚くべき偶然の一致である。神父がハワイに派遣されたのは、その9年前であった。当時ハンセン病は遺伝説が有力であったが、その後、伝染病説も伝わってきた。当所は4人の神父が交代で行く予定であったが、ダミアンは派遺された直後から自分が引き続き島に残りたいと上司に手紙をしたため、神父の定住が決定された。
 彼の発病に至る症状を「ダミアン神父百周年記念誌」に基き記述したい。

 神父はハワイ島にいた時から患者たちの小屋に入って、聖体を授けたり病人の世話をしていた。当時から脚がひりひり焼けるような感じがしたという。ハンセン病の患者でも、ひりひり焼ける感じを訴える患者は少ないが、菊池恵楓園の患者のなかにはそう述べた人もいる。明治7年に足の鈍痛を感じ、熱っぽくて眠れなかった。これは明らかにハンセン病の症状と思われる。明治9年、腕と背部に皮膚の乾いた部分が現われた。明治11年、神父はハンセン病の初期の各種兆候に苦しんでいたが、この時期には診断は下されていない。すなわち寒気、軽い腫れと関節のだるさ、微熱、手足の先のひりひりした麻痺感覚、体の末端部の伸筋の表面に沿ってあちこちに出る鋭い痛みの感覚と、こうしたすべてのサインは、まだ皮膚の損傷はないが、記念誌によると、明らかに体全体にわたるハンセン病の初期感染の症状をあらわしていた。(なお神父はハンセン病専門家の依頼に応じて死亡の前に病気の情報を知らせている)同年から医師が交代でモロカイ島にくるようになった。明治12年から13年、病気の兆候が消え、一時は元気になった。明治14年秋、左足に激痛が走った。翌年痛みは脚全体に及んだ。12月に熱湯に足を入れても感じがなく、大きな水泡を作った。これはハンセン病の決定的な症状である。明治18年の初め、アーニング医師は神父に診断を告げた。物語風にいうと「お察しの通り、ハンセン病に間違いありません」と言った。すると神父は 「驚きません。長い間そう思っていましたから」と答えたのである。
 (アーニング医師はナイセル教授の弟子、ドイツ人、以前このブログに書いたように人体実験を行った。)
 モーリッツ医師の報告(明治19年1月1日)によると「明治18年5月5日、アーニング医師と私が診察した時、額を除いて彼の顔に直接の変化はありませんでした。
 (注:二人で診察することを対診という)
しかし同年8月には小さな、はっきりそれとわかるハンセン病の結節が右の耳たぶにでました。それから今日まで眉毛がだんだん減ってなくなり、額部の皮膚と頬がゆっくり、しかし間違いなく変化してきました」と書いている。
 二人の医師は,記載されたように1885年5月7日(ママ)診察しハンセン病以外のいかなる病気の症状もなかったと断定している。
 (前と日時の相違があるが、原文献が手元にないのでこのままにする。申し訳ありません)

 当時、神父は手紙で「私はホノルルに行くことを禁じられています。なぜなら、わたしは完全にハンセン病患者になったからです。そのマークは私の左の頬にあります。私の眉は抜け始め、まもなく完全に形を損なうでしょう。」と述べている。明治21年12月に画家クリフォードがモロカイ島にいき、彼の肖像画を描いたが、その中にはっきりと左の耳にレプローマ(らいの結節)が見える。

 彼がいつハンセン病に罹患したのかは、色々考えがあるようである。百年記念誌は、病気の進行がゆるやかであるのでその追跡を困難にしている、と記載している。立場上ヨーロッパでの感染の可能性は触れていない。神父は医学の素養があったので、伝染するのも覚悟していたようである。彼自身、患者の足の切断などを行っている。また、神父は日本の後藤医師の薬浴療法に関心があり、事実、明治19年にホノルルに行って勉強したのは、自分の病気の治療という意味ではなく、それを患者の治療に応用しようとしたものらしい。しかし、その治療法も期待通りでなかったせいか、断念している。

 記念誌によると、神父は医学の常識を超えて、感染するのも覚悟で患者とつきあっている。花でもさわるように患部を触ったり、食事を患者と共にしている。食事の用意は最初は患者でないクリスチャンの婦人がしていたが、後には患者が用意したという。

 日本ではハンセン病療養所などに勤務している医師、看護婦などにハンセン病を発病した例はないと言われる。しかし大人に全く伝染しないというわけではない、とジョップリング博士は私信に書かれた。博士は仕事中にハンセン病を発病した3人のイギリス人を治療したことがあるという。

 文献:筒井義之:ダミアンーモロカイ島の殉教者。ダミアン神父百周年記念誌。1989年。


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文献追加 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月17日(水)06時14分42秒   引用
  Starの文献が判りました。
  Epidemiological aspects of Hansen's disease(HD)
Trautman JR
The Star 49,2,3-7,1989 (November/December)

ナウル島とカピンガマランギ島のことが出ていましたが、引用しませんでしたが、ニューギニアのマルル島のこともでています。ここは戦後、住民の15%が罹患したそうです。カピンガマランギ島は3割で、75%がT型と述べています。この文献は引用文献も31もあります。


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Re:ダミアン神父(1) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月17日(水)05時58分1秒   引用
 質問ありがとうございます。

  まだ 前置きで Jopling先生のお話はでてきません。色々調べて書いたわけですが、どの文献か ちょっとわかりません。カピンガマランギ島の事件は 和泉先生も触れられていますが、私が読んだ文献と違うようなお話でした。私の読んだのはStarに書かれた論文です。回春病院のことは、そこが発行している本からで、白人の写真がでていました。但し、何か面みたいなものをかぶっていて不思議に思いました。パン食の話は小生が恵楓園で聞いた話しです。

 尊称に関しては調べてみますが コピーが手元にないかもしれませんので、前に挙げた和泉先生の文献お持ちの方 調べていただけませんか。失礼なお願いですが。
(リベル) ??


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Re: ダミアン神父(1) 投稿者:リベル 投稿日: 1月17日(水)02時13分53秒   引用  編集済
>  神父の発病の問題を医学的にどのように解釈すべきであろうか。このことはハンセン病に関するわだかまりにかかわっている。最近ダミアン神父の鮮明な写真が発表されたのを機会に、らいの専門家であるジョップリング博士に色々意見を聞いたので、その点につきいささか述べてみたい。
>
>  ハワイでの流行と日本のハンセン病政策
>
>  ハワイでの流行が始まったのは19世紀に入ってからであるが、特に1840年から50年にかけて深刻化した。1865年1月3日カメハメハ五世は隔離法を発布し、同年9月モロカイ島を隔離の島と指定した。ハワイの人口4万人にたいして6025人の患者が隔離されたという。また最盛期には5000人の患者がいたもといわれる。このような激烈な流行は後にナウル島(1920年代)、カピンガマランギ島(1980年代)に見られた。後者の2つの島では島民の三分の一が罹患したという。このような激烈な流行については詳細な研究はなされていないが、ナウル島の場合はスペイン風邪に続発したといわれ、殆どがT型であった。約20年後、日本軍が占領した時も39名(最盛期の約10分の1)の患者が残っていた
>  ハワイでの流行は我々はピンとこないのであるが、日本にも患者が入国した記録があり、あとでは治療を回春病院でおこなったという。事実、回春病院が廃止されたあと菊池恵楓園に転園した患者の中にハワイ生まれの白人がおられた。わざわざパン食をさせたと聞いた。
>  ハワイでのハンセン病の流行激は烈を極めた。多磨研究所(当時)の和泉先生は、その激烈であったことが、日本のハンセン病の父といわれた光田健輔博士をして極欄な隔離主義に走らせたという。光田博士は日本が世界第二のハンセン病大国になると恐れていたそうである。
>  和泉眞蔵:解放教育、56-72,1983年12月号


ジョップリング先生が仰有ったのが、どこまでなのか?
和泉先生は、光田健輔を称賛しておられるのか?

この二点が曖昧なので、私の中では話がこんぐらがってしまいました。私の知っている限り、和泉氏が「光田健輔博士」と尊称を付しているのを見たことがありませんので・・・。

Ichiro先生、このことをお教えください・・・。よろしくお願いします。


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失礼しました 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月16日(火)21時51分51秒   引用
文献名を間違えて 失礼しました。

 今後気をつけます。確かに誤解を招く恐れがあります。その直前も激烈を 分けて書いて
 もう疲れていると思われました。


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  投稿者:  投稿日: 1月16日(火)20時38分12秒   引用  編集済
リベルさんがたびたび指摘しているが、Ichiro 先生は科学者の割にはおおらかというか杜撰ですな。

開放教育→解放教育

和泉先生の当該論文はちょっと違う趣旨のような気がしますが。
というよりIchiro 先生のような紹介の仕方では、論文を読んでいない人に誤解をあたえかねない。


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ダミアン神父(1) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月16日(火)20時19分3秒   引用
ダミアン神父(1)

 ダミアン神父はどこで感染したのか、を含んで、ダミアン神父問題は色々な意味でわだかまりを生じた。ダミアン神父の彫刻が問題になったころ、その問題について検討したことがあるので、ここに述べてみたい。
 日本医事新報 3669,65-67,1994.

 (前略)ノルウエーやハワイにおけるハンセン病の流行が、本邦のハンセン病対策に直接影響をおよぼした。ということは、モロカイ島の殉教者ダミアン神父の存在も日本のハンセン病の現状と全く無関係ではない。
 ダミアン神父はハワイのモロカイ島で神父として奉仕中、ハンセン病を発病した。19世紀末のことである。このことは当時全世界にショックを与えた。神父の症状は悪化し、明治22年4月15日逝去した。殉教者として当時から敬われていたが、ベルギー国民の願いはアメリカ大統領を動かし、昭和11年に遺体は掘り起こされ、ベルギーに返還された。当時のベルギー国王レオポルド三世も棺に挙手の礼をとっている。ちなみにベルギーの救らい協会を「ダミアン」協会と称する。

 神父の発病の問題を医学的にどのように解釈すべきであろうか。このことはハンセン病に関するわだかまりにかかわっている。最近ダミアン神父の鮮明な写真が発表されたのを機会に、らいの専門家であるジョップリング博士に色々意見を聞いたので、その点につきいささか述べてみたい。

 ハワイでの流行と日本のハンセン病政策

 ハワイでの流行が始まったのは19世紀に入ってからであるが、特に1840年から50年にかけて深刻化した。1865年1月3日カメハメハ五世は隔離法を発布し、同年9月モロカイ島を隔離の島と指定した。ハワイの人口4万人にたいして6025人の患者が隔離されたという。また最盛期には5000人の患者がいたもといわれる。このような激烈な流行は後にナウル島(1920年代)、カピンガマランギ島(1980年代)に見られた。後者の2つの島では島民の三分の一が罹患したという。このような激烈な流行については詳細な研究はなされていないが、ナウル島の場合はスペイン風邪に続発したといわれ、殆どがT型であった。約20年後、日本軍が占領した時も39名(最盛期の約10分の1)の患者が残っていた
 ハワイでの流行は我々はピンとこないのであるが、日本にも患者が入国した記録があり、あとでは治療を回春病院でおこなったという。事実、回春病院が廃止されたあと菊池恵楓園に転園した患者の中にハワイ生まれの白人がおられた。わざわざパン食をさせたと聞いた。
 ハワイでのハンセン病の流行激は烈を極めた。多磨研究所(当時)の和泉先生は、その激烈であったことが、日本のハンセン病の父といわれた光田健輔博士をして極欄な隔離主義に走らせたという。光田博士は日本が世界第二のハンセン病大国になると恐れていたそうである。
 和泉眞蔵:開放教育、56-72,1983年12月号


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日本人の業績 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月16日(火)07時29分44秒   引用
日本人の業績

 私の調べた日本人ハンセン病学への寄与について書いて見たい。ここに挙げた人以外にもあると思う。


 光田健輔およびその弟子

 光田健輔 らい結節乳剤を以ってする皮膚反応の価値.日皮泌誌,19,697-708,1919.
Hayashi F:Mitsuda's skin reaction in leprosy.
Int J Lepr 1:31-28,1933.
 らい菌にたいする細胞性免疫で病型を決定するレプロミン反応(光田反応)を導いた業績。検査法の開発については、弟子の林文雄の功績が大きい。レプロミン反応としては 大分後になってインドからダーメンドラ反応が出た。

 村田茂助
 村田茂助:らい性結節性紅斑ニツイテ 日皮泌誌:12:1013-1051,1912.

 燦然たる功績である。らい反応の一つであるErythema nodosum leprosum,を記述し命名した功績は大きい。 ENLは現在でも世界中で使われる術語である。村田茂助は光田健輔が研究していた多磨全生園で外科医長をし、研究もしたが 早く開業した。


小笠原登
  「らいに関する三つの迷信」 1931

 阿部正英らの業績

 Abe M, Minagawa F, Yoshino Y,Ozawa T, Saikawa K, Saito: Fluorescent leprosy antibody absorption (FLA-ABS) test for detecting subclinical infection with Mycobacterium leprae. Int J lepr 48:109-119,1980.

 Subclinical infectionの知識がこの検査法で進歩した。

 高坂健二らの業績

 (和泉先生 医者のハンセン病を教えてくれたこと)p 196
リファンプシン服用すると数日で感染性を失うことがヌードマウスを使った動物摂取実験で証明された。
Kohsaka K, Yoneda K, Miyata Y, Ito T, Tanabe S.
[Susceptibility of rhino mouse to Mycobacterium leprae]
Nippon Rai Gakkai Zasshi. 1983 Oct-Dec;52(4):195-9. Japanese. 邦文論文であるが、英文抄録がついている。


 和泉眞蔵ら の論文(上記先生の本より)

J Clin Microbiol. 2004 Feb;42(2):741-5.
Genotyping of Mycobacterium leprae on the basis of the polymorphism of TTC repeats for analysis of leprosy transmission.Matsuoka M, Zhang L, Budiawan T, Saeki K, Izumi S.

The polymorphism of TTC repeats in Mycobacterium leprae was examined using the bacilli obtained from residents in villages at North Maluku where M. leprae infections are highly endemic (as well as from patients at North Sulawesi of Indonesia) to elucidate the possible mode of leprosy transmission. (以下省略、検索ででてきます。)
http://www.healthy.pair.com/
 最近の論文であるが重要と思う。



(リベル) 和泉先生の著書の名は正確には「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」ですね。私は「年金生活者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」と自分の身に置き換えて、大切に考えているので、これは長いけど覚えてしまいました。私は定年後「ハンセン病」に出会わなかったら、今頃毎日、どうやって消光していただろうと、深刻に考えているものですから・・・(笑)(1.16 12:25)


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第3回 ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会(ロードマップ委員会) 投稿者:リベル 投稿日: 1月15日(月)01時55分57秒   引用
2月2日(金)14:00〜16:00/虎ノ門パストラル 新館6階 アジュール(東京都港区虎ノ門4-1-1)

この会議は第一回が昨年の3月29日(議事録―大いにもめまくっています・・・)、第二回(議事録は未だです。キット半年先でしょう)が11月16日に開かれました。

以上、「速報!朗報!」から、運んできました。

西日本弁護団は、今回から、みんなで傍聴しようと呼びかけています。大いに賛成です。私達のやるべきことは、これだと思っていますので・・・。


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過去ログに「サイト内検索」・テスト中 投稿者:リベル 投稿日: 1月14日(日)02時26分23秒   引用  編集済
過去ログに「サイト内検索」を付けました。

例えば「園券」についていつ、誰が、どんな投稿をしたか?件名で探せますし、自分は何を投稿したか?は自分の名前を入れればOKです。

上の「過去ログ」をクリックしてご活用ください。料金は無料です。(笑)


付記:機能不全です。と一度書きましたが、私の誤解でした。使い方を書きましたので、ご活用ください。


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これは、どうなっているのか? 投稿者:リベル 投稿日: 1月14日(日)00時31分15秒   引用  編集済
まず、ご覧頂きたいのは、「これ」です。2001年5月18日の読売新聞の紙面です。URLをご覧頂いてもお分かりのように、先日私がアップしたものとは、全然似て非なるものなのです。

これはしかも、誰にでも、容易に入手できるのです。まず(1)「Internet Archive」のサイトを開きます。そして検索窓に、読売新聞のURL「http://www.yomiuri.co.jp/」を入れて、検索します。大きな一覧表が出ますから、その中の「May 16, 2001」をクリックします。(何故ここか?は試行錯誤してみてください)それで、ひょっとしたら文字化けした、冒頭の紙面が出てくるはずです。ツールバーの「表示」、「エンコード」、「日本語(自動選択)」で文字化けを直せば、一丁上がり、となります。

この場合、著作権の問題はどうなるのでしょう?「Internet Archive」の社長、ブルースター・ケイル氏が、朝日新聞のインタービューに答えた記事がこれです。長いですが、興味がおありの方はどうぞ。

以上は全て、先日紹介させて頂いた、先達、あつこさんに、お教え頂いたものです。改めてお礼を申し上げます。


話はチョット変わりますが、東奥日報(青森)、河北新報(”ページが見付かりません”は承知しています)(宮城)、くまにち.コム(熊本)、沖縄タイムス(沖縄)と並べると、日本の北と南ですがこの四紙の私にとっての共通項は「ハンセン病のアーカイブ」なのです。

実は、たった今、強烈なパンチを食らいました。「ブルータス、お前もか!」最後の牙城として、称賛しようとした「沖縄タイムス」もついに、ご覧のように、昨年12月1日に、城を明け渡してしまいました。

ここは、「ハンセン病のリンク集」の「国賠訴訟」のページででも「沖縄タイムスの記事約1,730件が月日順に。1989年1月5日「犀川一夫氏の朝日社会福祉賞受賞」の記事もある!こうなるともう立派なデータベース。脱帽です」と絶賛していたのですが、今から改訂しなければなりません。

ああ、衝撃が大きすぎて、もう書き続ける気が失せてしまいました。では、今日はこれで・・・


付記:真の最後の牙城、東奥日報の記事は、Yahoo!の「ハンセン病人権問題」のページから・・・(o_ _)oパタッ!

神戸新聞を取り上げるのは、また後日ということで・・・今度はほんとに(o_ _)oパタッ!


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余談ですが・・・「なんともあれへん」 投稿者:リベル 投稿日: 1月13日(土)17時38分42秒   引用  編集済
「なんともあれへん」という言葉に馴染みが深い方はそう多くないと思います。これは関西弁で「大丈夫」というような意味なのですが。

でも、これは標準語では、そのニュアンスを伝えにくい言葉だなあと、フト思いました。「大丈夫」とは少し違う。「何でもないよ」でもない。

「あかん」と、「あかんやん」と、「あかんやないかいな」、こうなると私は素人になってしまいます。私は丹波出身だからです。

「だめ」と、「だめだよ」または「だめよ」と、「だめじゃないか(の)」と、同じかと言われるともう、私には分かりません。

しかく、日本語は、面白いというか、奥が深いものですね。

「なんともあれへん」に一番近いのは「ノー・プロブレム」だったら、可笑しいなあ、と思って、これを書きました。

まあ、どっちにしても、ノー・プロブレムではありますね・・・。「この話題、問題にするほどではない」・・・これも違うかなあ・・・。


聞こえてきます。伊吹さん(京都出身ですね)、松岡さんの声が・・・「なんともあれへん」・・・。


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題の訂正 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月13日(土)14時17分29秒   引用  編集済
昭和5年 恵楓園には園券はなかったが

 を 昭和6年に訂正します。申し訳ありません。
 昭和5年に父がなくなりまして とあり それから入所の話が続いていましたが、その2ページ前に 本園に入園されたのは いつですか、とあり、その答えは昭和6年2月28日とあります。それ以外は訂正する必要ありません。ご本人は記憶力抜群でした。

 リベルさんへ

 確かに人物の評価は、むつかしく、光田健輔、宮崎松記、犀川先生、大谷先生(満点に近いと思いますが)などについて考えても、時代、業績、人々に及ぼした影響などを考慮すべきものと思います。
 また、メデイアの偏向というか、傾向というか、私は沖縄にいて、色々考えさせられました。
(リベル) 先程TVで、キャノンの御手洗冨士夫さんを見て、家内が「この人、立派な人物なの?」と訊いてきました。私は「さあ、分からん」と答えました。人物を評価するのは、とても難しいことだと思います。自分自身を評価するのが第一難しいことで、棺桶に入るまでに結論が出ないだろうと、私の場合は思っています。

ましてや、人様のことなど。私は、頬に涙の跡の無いひと、汗の臭いの漂わない人を信じないと前に書きましたが、せいぜい言い切れるのはそれくらいなので、伝記も自著も読んだことの無い人のことなど、分かりっこないと思っています。少なくとも、時代・業績・影響力と、先生が挙げて居られる要素は、私の場合、全く人物評価の指標にはしていませんので、コメントが遅くなりました、ご免なさい。(1.15 12:00)


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続:飽食の由来 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月13日(土)08時51分40秒   引用
飽食の由来を以前書いたのですが

 つらつら考えるに、あの本の趣旨と 私が書いた飽食の由来は どうも マッチしない。しかし、確かに著者は、美食のことを、強調している。他の人々は 飢えている時代に、という意味であろう。

 しかし、その本を再読したら 次の様にも解釈できる。しかしその本の著者ははっきり書いてないが。

 悪魔は 人体実験した捕虜の犠牲による 実験の結果を得て、満腹し、満足した。


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昭和5年 恵楓園には園券はなかったが 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月13日(土)08時33分10秒   引用  編集済
菊池恵楓園に代理貨幣(いわゆる)園券があったか なかったか 未だ決着がついていない。

 菊池野の2007年1月号に、きわめて興味深い思い出話がでていた。

 畑野むめさんの思い出話:この方はしっかり記憶があり、なお、鹿屋にも入所歴があるのでお話は信用していいと思う。

 自ら苦労して入所された。昭和5年である。
 >ばってん、療養所に入ったら園がお金をみんな取り上げたんですよ。そしてしばらくしたらカードを持ってきて、「あんたの所持金高はみんなこれに書いてあるから、これで売店で買いなさい」言うて、びっくりしましたね。ここは現金というのを持たせなかったんですよ。余所の園は園内通用券というブリキで作った贋金(ママ)があったらしいけど、ここはカードだったんですよ。それを売店に持っていったら差し引いてくれましたね。療養所に入ったらそんな風で、もうびっくりしましたね。

 園券の定義には あてはまらないが 要するに郵便局の通帳みたいなものであろう。他の園でも、園券と通帳の2つのシステムの併用というところもあった。
(リベル) 菊池恵楓園(当時九州療養所)に園券(当時所内通用票)が有ったかどうかは昨年の10月10日まで投稿が続いています。菊池恵楓園発行の「壁をこえて」の149頁に「1916年4月:所内通用票(所内通貨)制度廃止」とあることは、その時書きました。

私の中では、そこで話は終わっています。そして用語の解説は、このように改訂しました。

畑野むめさんが入所されたのは1931年です。やはり所内通用票はもう無く通帳方式だったのですね。(12:13 12:18)


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もう一度「ハンセン病問題はどこへいく?」 投稿者:リベル 投稿日: 1月13日(土)01時38分30秒   引用  編集済
丁度24時間前に書いたものに色々手直しを加えました。一人合点が多くていけないと思いましたので。前のは削除せず、こういうやり方をさせて頂きました。見苦しい点はお許しください・・・m(_ _)m


数日前、「ハンセン病問題はどこへいく?」という記事が出ている「リプレーザ」誌について、下( 1月 9日(火)00時32分48秒)で、ぶつくさ不満を述べました。「おねだり」の下心は全く無かったのですが、人の潜在意識を看破する能力をお持ちの方が、読む機会を与えて下さいました。

一番大きな収穫は、一つの「反省」です。これまで私は、たとえば大谷藤郎氏を、無条件に神聖視していました。そういう無垢でノー天気な単純さは、やはり反省するべきだと思いました。物事を裏から見る、別の面から見る、という姿勢も忘れてはいけないという人生の戒め、という意味で。

他にも滋養になることは有りましたが、言い立てるほどのものではないので、書きません。(と言いながら、後で少し書いています)


感想としては、大きく三つありました。


1)「ハンセン病問題はどこへいく?」というタイトルに期待しましたが、残念なのは田中氏が問題を矮小化してしまったことです。大谷氏、藤野氏や市民学会批判に終始して、「療養所の将来構想」や、「人権擁護の問題」に全く触れないのは、羊頭狗肉ではないかと憤慨しました。更に世界のハンセン病の制圧状況に、一顧だに与えないのを責めるのは、もう「無い物ねだり」なのかも知れません。


2)田中氏は、関係する人々(滝尾英二氏、山下峰幸氏を除いて)を滅多切りにしていますが、それは1)にも書いたとおり見当違いだろうと思います。「ハンセン病問題」に関して、怒りをぶつけるべき相手は、こういう非道な災禍を生み出した「人間の業」であり、その差し当たっての権化である「国」、「厚生労働省」であるはずです。


3)私は、頬に涙の跡の無い人、汗の臭いの漂ってこない人(言い換えれば「愛」にも「神」にも近寄ろうと努力しなかった人)の言葉を信じません。田中氏は虐げられた方々の手記を読み、話を聴いて、自分の心の底から突き上げてくる慟哭や怒りを、果たして経験されたことが有るのでしょうか?あの文章を読む限り、その経験が根底に流れていないと感じられるのです。

田中氏は、自分のハンセン病との関わりを総括したいと、あの一文を草されました。しかし、総括するにしても、ネガティブに閉塞するのと、ポジティブに展望を残すのと、二種類有るはずです。文の最後を「いやはや、疲れますばい、人生。」で締め括られては、こちとらが疲れますばい、です。これでは「さあ、では、いざ、今から・・・」と腕捲りをしながら立ち上がろうとする前向きの気持ちが失せてしまいます。

善意や他人に対する「リスペクト」を下敷きにしていない論評は、人類のプラスには決してならないものだ、と痛感しました。


この文章を読む機会を与えて下さった方に、心から感謝しています。この一文から、多くの有益な示唆を頂戴しました(カタカナ語の多用や、不真面目な、笑いを取ろうとする言葉遣いは、読む人を不愉快にするという教えも)。今後「食わず嫌い」は止めることを誓います。


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Re: 堂々たる確信犯 投稿者:リベル 投稿日: 1月12日(金)18時39分2秒   引用
> 慎んで北風が著作権法違反の片棒を担ぎます。

誠に心強いお言葉を頂いて、早速、梱包・発送させていただきました。

娘を嫁に出してから、娘の日記を読むような心境で、一つ一つ、確認をしてみました。jpgのファイルが上手く入っていなかったり、検証会議の所でも、「日弁連法務研究財団」のサイトがリニューアルされていたり、とまだまだ、修正したいこと、やりたいことが出てきました。

当面、手を付ける時間がありませんが、「消えない記録」としての意味を、取り敢えず重視して(手前勝手ですが)、目下はこのままにさせて頂きます。ご免なさい・・・。


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版権と引用あれこれ 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月12日(金)17時20分59秒   引用
版権と 引用あれこれ

  啓発雑誌スターは、作者や雑誌の正式引用あれは転載可とあり、大いに安心である。版権の条件を厳密に守ると、文化、研究発表に制限が加わりすぎ困ることがままある。

 私は、引用する時は、引用されるものが、全体の1/3以下になるようにし、必ず引用の文献をつけることにしている。(ブログの時はあやしいですね)
 自分のを引論文を引用する時も、写真などは、雑誌社の許可をとるのは当然である。

 民謡は作者が著作権協会に登録している場合としていない場合がある。民謡で作者がわからない時は自由に引用できる。新聞でエッセイを載せた時に、調べてもらったことがある。

 引用しなかったことが、学者生命の危機さえ招きかねないこともある。ある雑誌であるが、載せた図を作った人を引用せず、その後、1ページを費やして、謝罪文を書いていた。私から言わせれば、編集長、編集委員もある程度責任があり、それが現われていないのは不満である。
 私が知っている先生によると、殆ど全文を引用(盗用)した論文があったそうである。当然文句を言ったそうであるが、第一著者は有名な人(亡くなる直前)で、第2著者が悪いのであるが、学者生命は断たれた。

 科学論文で敵さんも巧妙に引用することがある。ある皮膚科の先生の話によると、公表されている写真を左右逆焼き付けにしてきたそうである。(当然引用していない) 許可を求めれば写真の転載を許可をするのに、と思うのであるが。
 私の所属していた大学のある症例の写真を、ある教科書が勝手に転載、しかも、文献名、著者名を記載していなかったことがあった。いつも、勝手な大学のことを考える時、それを思ってしまうのである。一体、勝手な人はどう思っているのであろうか。

  蛇足を言えば、ある人の論文では、共著者に謝辞を述べていた。共著者は著者の一人である。自分に謝辞を言ってどうする、と、ある雑誌に文句をつけたことがある。
(リベル) ここに、実はIchiro先生に、或るお願いを書いていたのですが、自主的に削除しました。理由は自分の間違いに気付いたからです。軽率な言辞を心からお詫びします。(1.13 00:00)


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「ハンセン病問題はどこへいく?」 投稿者:リベル 投稿日: 1月12日(金)01時39分21秒   引用  編集済
注:太陽が出てから読み返して、説明不足の部分に少し補筆しました(08:10)

数日前、「ハンセン病問題はどこへいく?」という記事が出ている「リプレーザ」誌について、下( 1月 9日(火)00時32分48秒)で、ぶつくさ不満を述べました。「おねだり」の下心は全く無かったのですが、人の潜在意識を看破する能力をお持ちの方が、読む機会を与えて下さいました。

一番大きな収穫は、一つの「反省」です。これまで私は、たとえば大谷藤郎氏を、無条件に神聖視していました。そういう無垢でノーテンキな単純さは、やはり反省するべきだと思いました。物事を裏から見る、別の面から見る、という姿勢も忘れてはいけないという人生の戒め、という意味で。

他にも滋養になることは有りましたが、言い立てるほどのものではないので、書きません。(と言いながら、後で少し書いています)

感想としては、大きく二つありました。

1)「ハンセン病問題はどこへいく?」というタイトルに期待しましたが、残念なのは田中氏が問題を、氏の言葉を借りれば、矮小化してしまったことです。大谷氏、藤野氏や市民学会批判に終始して、入所者の将来構想や、人権擁護の問題に全く触れないで、「どこへいく?」は羊頭狗肉ではないかと憤慨しました。更に世界のハンセン病の制圧状況に、一顧だに与えないのを責めるのは、もう「無い物ねだり」なのかも知れません。

2)私は、頬に涙の跡の無い人、汗の臭いの漂ってこない人(言い換えれば「愛」にも「神」にも近寄ろうと努力しなかった人)の言葉を信じません。総括するにしても、ネガティブに閉塞するのと、ポジティブに展望を残すのと、二種類有るはずです。文の最後を「いやはや、疲れますばい、人生。」で締め括られては、こちとらが疲れますばい。
文中に多用されているカタカナ語(これも反省材料になりましたが)を使うならば「グッドウィル」や他人に対する「リスペクト」を持ち合わせない人の文章は人類のプラスには決してならないものだ、と痛感しました。


この文章を読む機会を与えて下さった方に、心から感謝しています。この一文から、多くの有益な示唆を頂戴しました(カタカナ語の多用や、不真面目な、笑いを取ろうとする言葉遣いは、読む人を不愉快にするという教えも)。今後「食わず嫌い」は止めることを誓います。


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悪魔の飽食(2) 飽食の由来 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月11日(木)20時14分47秒   引用
悪魔の飽食(2):飽食の由来


 研究された細菌は色々あり ペスト菌の場合は散布させるためにノミの大量生産もした。梅毒、ハンセン病も書いてあるがハンセン病は武器にならないと思う。現在でも意味があるのかと考えてみたが、さすが炭疽菌は研究していた。現在でも、封筒などに入れて人を殺している。いつだったか、ソ連では、これは大量にばらまかれ、大事件が起きたことがある。(都市の名前を忘れた) 感染した日本人を救うために、菌をマルタに注射し、高濃度の抗体を得る、ということもやっていたようだ。はっきりしないが、戦後の生物学的兵器の発展に貢献したようだ。朝鮮戦線、ベトナムなどで発展させたものが使用されたのであろう。

 危険な実験のために隊員にも感染死が続出。(戦死扱いと書かれている) その場合、解剖するという誓約書を出させていると書かれている。医学研究者は優秀な人が多く、戦後色々な大学、研究機関で活躍した。この本が書かれている昭和56年現在は活躍中の人が多く、この本では明らかにされていない。著者は この本で、内地に帰った医学研究者を個人的に罪を問うたわけではない、と述べている。
 石井四兄弟は本が書かれた当時、既に死亡している。(同郷の人たちや兄弟で結束を固めていた)

 悪魔の飽食 の由来であるが、どうも帝国陸軍一の美食部隊とあり、まさに飽食から きているのではないかと思う。デラックスな食事を提供されたが、大量の細菌を培養するには、栄養十分な肉汁、卵、糖分、澱粉を好む、それら材料を人間に横流ししたようだ。豪華なメニューが残されている。魚も冷凍でもってきたようで、鮪刺身、烏賊刺身があった。飽食して お腹が出て、馬に乗れない軍医将校もいたようだ。


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悪魔の飽食(1) 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月11日(木)20時12分2秒   引用
悪魔の飽食(1)

 「悪魔の飽食」は 療養所の医師の形容には 似つかわしくない。

 森村誠一著の本の題名。アカハタ日曜版に連載後、単行本となる(昭和56年)。続;悪魔の飽食(昭和57年)が続く。
 京都大学出身の松井四郎軍医中将をトップとする、満州の中央、ハルピンの近くの、平房(ピンファン)に作った細菌戦を研究、開発、実施する部隊を731部隊(セブン、スリー、ワン、ユニット)という。日本全体から集めた2600余人の隊員、研究者を擁した。広大な敷地に、怪しい建物、隣りには飛行場があった。飛行機は最大11機あった。人員、物資の輸送の外、細菌をばらまく用途もあった。また建物の冷暖房、トイレその他、細菌を培養する研究所にふさわしいものであった。

 あらゆる種類の伝染病を研究、そのためには捕虜の人体実験を行った。
 研究者(他の大学からのも含む)の求めに応じそれ以外の人体実験を行ったが、そのオゾマシサは、とても読むに耐えない。中国で細菌戦を実施。ソ連参戦直後、マルタと称する人体実験用捕虜を青酸ガスで殺害後、撤退。最後にはマルタの死体の山をみせて、2人1組で自殺させたと書かれている。死体は焼却し、松花江(スンガリー)に流した。今でも焼却作業を思い出し、うなされる隊員もいる。
 破壊する時間を稼ぐために、関東軍は 牡丹江で、ソ連軍へ必至の抵抗を行った。
 証拠隠滅を図り、施設を破壊したが、本が発行された当時に残っている施設の写真は掲載されている。
 首脳陣は研究成果と引き換えに、米国と取引し、裁判を逃れた。米国は情報が他国に流れるのを心配したらしい。ただし、一部の人々はソ連の軍事裁判を受けている。秘密を守ることに徹し、たとえ宮様でも、すんなり見学させてない。


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Re: 堂々たる確信犯 投稿者:北風 投稿日: 1月11日(木)14時27分34秒   引用  編集済
> > まだ、どなたからもメールが来ませんが・・・?
> >
>
> 北九州あたりから来たりして〔嘘〕。

慎んで北風が著作権法違反の片棒を担ぎます。
思い出すなあ。どんな思索でも作品でも忽然と個人の頭に湧き出すものではなく、多かれ少なかれ先人の恩恵を受けているのだから、過度の著作権保護は文化の発展を損なうといったら、亡君、ぬぬぬ、暴君、ぬぬ。辞書にないのか。某君に出版を業としながら「著作権法違反」の常習者といわれたっけ。そういや某君の会社は、「見出しにも著作権がある」と主張していた。
元来著作権とは、自分の著作物を自由に複製して不特定多数の人に読んでもらう権利だそうだ。
(リベル) 只今、晩酌(というような上等な言葉は、我が家には無いのですが)を終えて、拝読しました。今夜、深夜になるかと思いますが、宅急便で「リンゴ箱」を、お送りすることを、約束致します。これが初出荷になります。毎度あり!っていうか(照)(1.11 17:20)


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Re: 堂々たる確信犯 投稿者:北風 投稿日: 1月11日(木)12時41分28秒   引用
> まだ、どなたからもメールが来ませんが・・・?
>

北九州あたりから来たりして〔嘘〕。


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堂々たる確信犯 投稿者:リベル 投稿日: 1月11日(木)02時51分20秒   引用  編集済
まだ、どなたからもメールが来ませんが・・・?

法を犯すのは、切り抜きを配布する私奴なので、受け取る人は罪に問われません。どうか安心して、お申し越しください・・・。



参考までに、お渡しする予定の「リンゴ箱」の姿は・・・。
ご発注をお待ち致しております。百聞は一見に如かずとやら申しますことですし・・・



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Re: 悪魔の飽食と恵楓園 投稿者:あずき 投稿日: 1月10日(水)02時24分47秒   引用  編集済
> 悪魔の飽食と 菊池恵楓園
>
>  年報 2006 116ページ
>  >まさにハンセン病療養所における医師たちは、「悪魔の飽食」だったんです。(胎児標本を考える;パネルデイスカッション)
>
>  私は 治療しようとし、研究しようとする医師と信じているが、胎児標本に関してはその標本を使って あまり研究していない。満州で研究していた、人体実験をし、材料を マルタと呼ぶ 人達と同じ意識ではないと信じるが、「悪魔の飽食」と呼ばれることは 正に その人達と同じ意識であったという 批判に他ならない。
>
>  私は 「悪魔の飽食」 「続悪魔の飽食」(写真削除前の版)をもっている。その一部の写真が問題であったが、これは実はある画報での、天然痘が発生した時の満州での解剖の写真であることがわかっている。菊池恵楓園での治療の写真のうち全身を治療している衣服が、天然痘での解剖の写真とそっくりである。ゴムでできた衣服であるが これは 戦前は よく使っていたということらしい。
>
>  「悪魔の飽食」の人たちは 米軍と取引して、軍事裁判は一切受けていない。
>
>  志村さんは 昭和35年に恵楓園は火葬場を廃止しました;その最後の火葬の再に標本を火葬に付したといっています。当時の園長は温厚な田尻先生(Infiltration of Tajiriで知っていた)でした。私は昭和38年にお会いしたことがあります。
>
>  昭和35年といえば、博士号制度が改定になり、今まで研究のために菊池恵楓園に、たくさん来られていた医師は、目出度く博士様になられ、その後さっさと恵楓園から離れたのです。そういう理由で入園者の間には医師に対する不信感が芽生え、検査などに協力が得られなくなった、と 私は聞いています。
>
>  人体実験をした悪魔の飽食と呼ばれるのは、厳しすぎると感じています。

突然出現しましてごめんなさい。この文章に対して、わたくしが素通りできないのは何故なのか時間をかけて考えました。この違和感はなんなのか、やっとわかりました。「悪魔の飽食」という「比喩」が「菊池恵楓園」で行われたという医事行為を表現するのにあまりにも不適切だからです。似ているように見えても、根本のところではまるで違うでしょう。知識を成熟させるものは「感性」ではないでしょうか?「自戒」をこめて。。。失礼しました。


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違法行為 投稿者:リベル 投稿日: 1月10日(水)00時49分2秒   引用  編集済
『私的使用は、著作権法で「個人的に、または家庭内その他これに準ずる限られた範囲内で使用すること」と定義されています。私的使用を目的とする複製は、使用する人が自身でする必要があります。記事、写真などのデータをダウンロードしたり、蓄積したりすることも、法的には「複製」に当たります。営利を目的としない場合でも、上に挙げた範囲を超えてダウンロードしたり蓄積したりすれば、私的使用とは言えません。』

これは朝日新聞のサイトの「著作権」のところから持ってきました。長くてご免なさい。

私は実は2001年の判決前から「ハンセン病のリンク集」を作り始めていて、関連する記事の切り抜きがリンゴ箱に三箱有ります。これは上に言う「複製」に当たるのでしょうか?

私が例えばこんな記事の切り抜きを、ご希望の方に私的に郵送したら、法的に「複製」したものを使用したとみなされてお縄を頂戴することになるのでしょうか?

下の「河北新報」の転載は明らかに「著作権法違反」と承知してやっています。かつて(というのは今、休止中だからですが)「ハンセン病・全国自治体ホームページウォッチング+α 」という凄いサイトをお作りになったコンビのお一人の、あつこさんという方に「堂々たる確信犯」という異名を頂戴して、鼻を高くしたことがあります。

私は恐らく最後まで(と言うことは死ぬまで)「堂々たる確信犯」を貫くことでしょう、ぶち込まれなければ、の話ですが。

と言うことで、ご希望の方には「切り抜き」をリンゴ箱ごと、お送りします。どうぞメールをください。上↑の「投稿フォーム」が手っ取り早いです。早くなさらないと、家宅捜索の後だと、それこそ「後の祭り」ですから・・・


日本の「著作権法」が憲法違反の「違法行為」に当たる(法的根拠を追求しないで下さい。自分の行為も違法だと認めている人間に)ことに気付き、「正義」に目覚めることを、期待しています。駄目でしょうね、今の日本の官僚さんでは・・・。


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悪魔の飽食と恵楓園 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月 9日(火)17時50分51秒   引用
悪魔の飽食と 菊池恵楓園

 年報 2006 116ページ
 >まさにハンセン病療養所における医師たちは、「悪魔の飽食」だったんです。(胎児標本を考える;パネルデイスカッション)

 私は 治療しようとし、研究しようとする医師と信じているが、胎児標本に関してはその標本を使って あまり研究していない。満州で研究していた、人体実験をし、材料を マルタと呼ぶ 人達と同じ意識ではないと信じるが、「悪魔の飽食」と呼ばれることは 正に その人達と同じ意識であったという 批判に他ならない。

 私は 「悪魔の飽食」 「続悪魔の飽食」(写真削除前の版)をもっている。その一部の写真が問題であったが、これは実はある画報での、天然痘が発生した時の満州での解剖の写真であることがわかっている。菊池恵楓園での治療の写真のうち全身を治療している衣服が、天然痘での解剖の写真とそっくりである。ゴムでできた衣服であるが これは 戦前は よく使っていたということらしい。

 「悪魔の飽食」の人たちは 米軍と取引して、軍事裁判は一切受けていない。

 志村さんは 昭和35年に恵楓園は火葬場を廃止しました;その最後の火葬の再に標本を火葬に付したといっています。当時の園長は温厚な田尻先生(Infiltration of Tajiriで知っていた)でした。私は昭和38年にお会いしたことがあります。

 昭和35年といえば、博士号制度が改定になり、今まで研究のために菊池恵楓園に、たくさん来られていた医師は、目出度く博士様になられ、その後さっさと恵楓園から離れたのです。そういう理由で入園者の間には医師に対する不信感が芽生え、検査などに協力が得られなくなった、と 私は聞いています。

 人体実験をした悪魔の飽食と呼ばれるのは、厳しすぎると感じています。
(リベル) ハンセン病市民学会が「年報2006」を発行しました。その中に「シンポジウム―胎児標本問題を考える」という特集があり、パネリストの藤野豊氏が、菊池先生が引用された表現を使って居られます。

私などは、何気なく読み過ごしてしまいましたが、実際に療養所で医師や園長を経験なさった方は「厳しすぎる」とお感じになるかも知れないですね。

問題は「悪魔の飽食」という言葉の捉え方にも有るのではないでしょうか。森村誠一氏が731部隊の所業をそう表現したようですが、そこでどのように使われていたか、一般にはどう受け取られる表現なのか、などを正確に知らない私には「厳しい」のかどうか判断できません。ただここで「悪魔の飽食」をこの形で一人歩きさせていては、「危ない」と感じて、これを書きました。(1.9 23:46)


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リプレーザ奇譚 投稿者:リベル 投稿日: 1月 9日(火)00時32分48秒   引用  編集済
近所の郊外型書店に電話。


私:「リプレーザ」です。年末か何か、最近出たんですが・・・、「リプレーザ」

本屋さん:「ギ」?

私:いや、「リ」です。あの、テープコーダーとかで言うでしょう、再演奏っていうのかな、リプレーって・・・。

本屋さん:あ、はい、はい・・・

私:それにザを付けた「リプレーザ」です。

本屋さん:はい、分かりました、「リプレーザ」ですね。見て参りますので、少々お待ちください・・・


ってな具合です。コチトラはそうでなくても滑舌が悪いのに、おまけに上が総入れ歯なのだから止むを得ません。

惹句は良かったのですが、この誌名は戴けません。「オフレコ」は創刊号を読みましたが、あのときはこういう問題は生じなかった。せめて「リセット」とか、英語で「Replace」とかにして頂かないと・・・。


これがまた、何処にも無い。結局本屋に電話するのが億劫になって、紀伊国屋の全店検索(右の「各店在庫案内をクリック)。大津から関西圏をすっ飛ばして、徳島か岡山へ行かないと無い。

「今度は図書館だ」と大阪府立図書館の「大阪府Web-OPAC横断検索」で調べても、これもゼロ。

アマゾンには有ったのですが、送料が無料になるのは1500円からなので、もうこの辺りでは「アレルギー」的になって、もう止めたっ!バカバカシイッ!ってえわけで・・・



お陰で「リプレース」という誌名だけは、頭に叩き込まれましたが・・・(笑)。



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河北新報から 投稿者:リベル 投稿日: 1月 8日(月)18時25分21秒   引用  編集済
「偏見なくしたい」ハンセン病療養所退所の男性、基調講演

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 国立ハンセン病療養所東北新生園(宮城県登米市)を1980年に退所し、社会復帰した男性が12日、仙台市太白区文化センターで開かれる「ハンセン病問題に関するシンポジウム」(厚生労働省主催)で、初めて基調講演をする。登米市のステファーノ佐藤さん(67)=本名・佐藤芳雄=。「普通の人と同じ生活を送る姿を伝え、偏見をなくしたい」と、栗原市の入院先から会場へ駆け付ける。

 佐藤さんは54年、中学2年でハンセン病と診断され、新生園に入所した。国立療養所長島愛生園(岡山県)の邑久高新良田教室を卒業後、大阪で就職したが、再び治療が必要に。国立療養所邑久光明園(同県)で義肢装具製作の技術を2年間学び、67年に新生園へ戻った。

 80年に退所するまで、病気の後遺症で足を切断した入所者のために義肢製作に取り組んだ。退所後は、新生園の近くで廃品回収業をしている。

 佐藤さんは「苦労話を求める人もいるが、現在はごく普通の生活を送っています。ハンセン病は、特別な病気ではないことを強調するつもりです」と話す。現在はけがで入院中だが、外出許可も取った。

 「ステファーノ」の名は洗礼名で、新約聖書にある聖ステファーノから取った。

 信仰のために石打ちの刑に処された殉教者で、「石ならぬ、心ない言葉をぶつけられても負けないように」と自分で選び、中学3年の時、新生園のカトリック教会で洗礼を受けた。

 シンポジウムは午後1時半から。佐藤さんのほか、熊本保健科学大の小野友道副学長らが基調講演し、当事者や教育関係者、学生らによるパネル討論などもある。

 参加無料。連絡先は厚労省疾病対策課03(5253)1111内線2369。

2007年01月07日日曜日


これは、昨日の記事なのに、会員登録しないと読めません。こういうのには、怒りを感じます。金を出さなきゃ、読ませない、と言うのは、これは筋が通っていると思いますが・・・。昔は「社会の木鐸」とか自称していたはずなのに・・・嗚呼!!


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ありゃりゃん 投稿者:エミ 投稿日: 1月 8日(月)11時22分16秒   引用
「あれ?」じゃないだろ。
北風さんが拾ってきた記事でしょー。
リプレーザ社のメルアドを見よ。
レイバーネットの記事も見よ。
模索舎の「新着入荷アイテム・思想一覧」では「Represa」となってるけど、
その横に掲載されている「Ripresa」表紙も見よ。
(鉛の時代の活字人間は妙に頑固だで!)


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リベル様 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月 8日(月)10時41分7秒   引用  編集済
リベル様

 お返事です。和泉先生の本が ありました。
 和泉眞蔵著 「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」(2005)

 成田先生批判:(p197)
>成田は父親がハンセン病の場合は治療中であっても菌検査が陰性になるまで子どもを抱かせてはいけないし、母親が患者の場合は授乳させてはいけない

 平成16年の成田先生の意見というより、以前(いつかわからない)の説明のような印象を受けました。菌がある患者さんに抱かせるという話は かなり大胆で、私はできません。

 >光田は吸血昆虫によるらい菌の媒介について述べているが、

 これは教科書的な話でないかと思います。Joplingの教科書にも

 らい菌を含む人間の鼻汁をハエに食べさせたら脚、鼻、口、糞にらい菌が生きていて、1−7日生きている(viable)である。しかし最終判断はまだない(Handbook of leprosy 4th edition,p3) (Geater JG 1975,Davey TF,1974),5版では否定的。しかし結核菌がゴキブリで移動するという話がありました。いずれにせよ、光田先生の時代以降の話です。憶測にせよ、実証しようとした精神はいいと思います。

 スミマセン。最終的には、昆虫による媒介は、否定されています。そういう意味では、和泉先生の話は正しいのですが、歴史を考えると 以上のことがあります。
(リベル) これは、「リベル様」ではなく、「和泉様」ですね。直接お話し頂かないと、私には、専門的過ぎて、何ともお答できません・・・(>_<) (1.8 17:43)


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あれ? 投稿者:北風 投稿日: 1月 8日(月)08時48分12秒   引用  編集済
Represaは拾ってきた記事のそのままですが。

田中等さんは、裁判闘争支援の東日本の立役者だった人。路線〔?〕の違いでハンセン病市民学会には参加していません。したがって内容は、藤野さんを筆頭としたハンセン病市民学会、「清官」大谷さんらを批判して滅多切り。傾聴すべき点が多々あります。
(相手を敵と見方に分けて「敵」の言うことには耳を貸さないのでは、何の進歩もありません。聞く耳さえ持てば、誰の言うことでも滋養になります〕

「清官」このキーワードはリベルさんの問題意識とも絡むかもしれません。魯迅とかさ。


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ごめん! 投稿者:エミ 投稿日: 1月 8日(月)02時29分10秒   引用
あちゃー、申し訳ない。
Represa[誤]→Ripresa[正]


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「身捨つるほどの祖国はありや」、「ハンセン病問題はどこへゆく」 投稿者:リベル 投稿日: 1月 8日(月)01時25分47秒   引用  編集済
いま、私が兎に角、くたばるまでに仕上げようとしていることは、目次の「研究コーナー」にも書いているとおり(どっちに転んでも手前味噌だから平気です、一つずつリンクしないだけマシ?)
@「ハンセン病問題を考える」、
A「世界のハンセン病の現状」、
B「医学的知見の変遷」、
C「起源と歴史」の四つです。

これらを、深く調べて行くに連れ、何かとお出ましになるのが「官僚」なのです。@、Bは言うまでもありませんが、Aにおいても、インドの胡散臭い動きがあります(最近紹介させて頂きました)。Cでは中世の、国家制度の成立期に(宗教も絡みますが)難渋しております。

国家という大きな器の内側に、私たち生身の人間1人1人が身体を密着させています。その間にあって、潤滑油の働きをするのが、本来の官僚の役割なのでしょう(その最も優れた例の一つを大谷藤郎氏に見ますが)。

でも、残念ながら我が祖国の官僚達は、決して身を挺して潤滑油となってははくれません。逆に国家と、私たちの間に砂利や瓦礫を放り込むようなことばかりを、なさる。

私たちの、心を一つにして闘うべき相手は、官僚なのではないでしょうか?「入所者の将来構想」にしても、「人権擁護法」、「ハンセン病基本法」にしても・・・。

ゴルバチョフ氏も「何故共産党の看板を下ろさざるを得なかったのか」と問われて、
「官僚の腐敗」ですと答えたそうです。ホラ、指差しておられる・・・



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たまにはこんな雑誌も読んでみてもいいかもしれません。 投稿者:北風 投稿日: 1月 7日(日)19時41分4秒   引用
リプレーザ No.01 ――winter 2006/2007

運動系総合誌が新たに創刊しました、期待!

[2006年12月/A5/275頁/¥1,333+67] 特集=身捨つるほどの祖国はありや 編=「Represa」編集委員会 発行=リプレーザ社 発売元=社会評論社

目次:<ザイニチ>という<普遍>性(金性済/小田原紀雄)/刑法の安全保障法化(宮本弘典)/占領政策を挟撃するパレスチナ・レバノン民衆運動(藤田進)/ハンセン病問題はどこへゆく?(田中等) /民衆蜂起の源流---秩父困民党の山村を訪ねて(桐村剛)/「シベリア文学論」(中西昭雄)/農---造る・作るそして創る(新居崎邦明)/批評(映画/音楽/本)/ 他
(リベル) 折しも一昨日の朝日新聞夕刊が「スポーツ総合誌」の苦戦ぶりを伝えました。それとは全く別に「社会評論社」という出版社の名を、それも今年に入ってから、何処かで見たのが思い出せません。今検索してこんなページを見付けました。「運動系」が「スポーツ系」に同時通訳された、私の脳味噌の神経回路がおかしくなったのか、一昨日の夕刊のせいか・・・(笑)兎に角、「身捨つるほどの祖国はありや」、「ハンセン病問題はどこへゆく」。惹句が上手い!。1400円を、高いと思わせないこの本は、売れるかも知れませんネ・・・。おっと、出版社の社長さんに、こんな言い種は無いか・・・(反省)(1.8 00:13)


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Re: 世界のハンセン病の現状 投稿者:小箱 投稿日: 1月 6日(土)21時43分6秒   引用
> 「世界のハンセン病はいま・・・」と題して纏めていたページを一応完成しました。名前を標記のように変えて、視点も「制圧」から拡げてあります。と、大袈裟に言うほどのものではありませんが、取り敢えず・・・。どうぞ宜しく、ご批判、ご叱責をお願い致します・・・。常套句・・・。
>
> これで本当にメールくださった方が、かつてお一人だけいて下さいました。その時に書いていた言葉を、念の為に繰り返してみます。「重箱の隅を突くようなことでも結構です・・・」。お待ちしております・・・


  参考になるかどうか解りませんが、ミシェル・フーコーの「狂気の歴史」に少し変遷が出ています。
(リベル) 小箱さん、ありがとうございました。探したところ大阪府立図書館に有りました。今度梅田へ出たとき借りてきます。古書でも5500円で、チョット手が出ませんので・・・(笑)(1.7 00:12)


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世界のハンセン病の現状 投稿者:リベル 投稿日: 1月 6日(土)12時05分47秒   引用  編集済
「世界のハンセン病はいま・・・」と題して纏めていたページを一応完成しました。名前を標記のように変えて、視点も「制圧」から拡げてあります。と、大袈裟に言うほどのものではありませんが、取り敢えず・・・。どうぞ宜しく、ご批判、ご叱責をお願い致します・・・。常套句・・・。

これで本当にメールくださった方が、かつてお一人だけいて下さいました。その時に書いていた言葉を、念の為に繰り返してみます。「重箱の隅を突くようなことでも結構です・・・」。お待ちしております・・・


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中世のらい者 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月 6日(土)03時52分29秒   引用  編集済
リベル様

 中世のらい者(leperは ライより響きが悪いようですが一応 らい者とします)
 The mediaeval "leper"
Johs G Anderson
The Star 50,6,7-8,16,1991

がありましたので コピーを送ります。この人はその道の専門家らしいので 検索してください。らい者は 前に鈴をならして 他の人に警告するということは 何かで 読んだことはあります。この記事の らい者の十戒 というところは 特に興味があります。

 追加:和泉先生の本は どこかにいってしまったので 読んでから追加します。
(リベル) Ichiro先生、有り難うございました。宜しくお願いします・・・m(_ _)m (1.6 11.59)


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「改正ハンセン病補償法」(平成18年)まとめサイト 投稿者:リベル 投稿日: 1月 6日(土)00時39分6秒   引用
「ハンセン病の起源と歴史」のページが行き詰まっているのです。理由は極めて明解で「中世のハンセン病」です。「ラザレット」、「模擬裁判(symbolic burialの荒井英子氏訳らしい)」、「十字軍」の三つのキーワードに絞られるようなのですが、荒井氏の「ハンセン病とキリスト教」以外に入手、閲覧できる文献が見当たらなくて、難渋しています。

もう荒井氏の著作を、ごっそり写せば、はい、出来上がりなのですが、それもどうも良心が(?)咎めて・・・。それに関連して「トーリア」の規則を検索していたら、出てきたのが標記したサイトです。

結構な量があって、とても直ぐには読み切れませんが・・・。

このサイトの、正体、作者が一切分かりません。どなたかご存知の方、情報をください。宜しくお願いします・・・m(_ _)m


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子供を作らぬことの強制 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月 5日(金)20時48分30秒   引用
何故 子供を作らないことを指導,強制したか。

 (今ごろこんな話題と思われるかもしれないが、年報2006で胎児標本が小特集になったからである)

 回春教室を読むと、光田健輔が育てる人に困って(最初は私費で別の人に育ててもらったという)という話がでている。確かに育てる人がいないと困る。しかし、これだけの理由であろうか。
 それから 色々理由が変ってきたのであろう。

 「わたしはこう思う」(1994年、全患協)の82ページに 以下の記載がある。(著者は入園者)

 >ハンセン病療養所は85年の歴史を持つが、職員のなかには感染した人は一人もいない。大人は免疫をもっているからで、夫婦のうち夫が患者であっても妻に感染することはない。ただし、二人の間に産まれた子は、病人から引き離さないと、感染する率は高い。

 具体的な%は知らないが、最後の事は正しいと思う。夫婦間の感染率は、日本では詳しく調べられた。大体数%以下であったが、もっと高い%を出した人もいる。ジョップリングは5%と言っている。20組の中の1組に感染したという。自分の経験例であるので、これを正しいとしている。夫婦生活をしても、5%ということは、濃密な接触で伝染するという説は怪しい。ただし子供に関しては統計が異なる。

 他人の子供(幼児)をハンセン病患者が育てても、感染発病しない、と言い切っていいかどうかはわからないが、感染しないようだ。これは本妙寺で、他人の子供を抱いて、哀れみを誘い喜捨を求めていた人たちを研究した人の話である。(文献が判らないのは申し訳ない)
 ところが、自分の子供となると話は異なる。

 藤野豊さんは、近着の年報2006で光田健輔はインドで文献を出し(座談会であるから文献名がわからぬ;115page、インドの学会で喋ったのか投稿したのかわらぬ)精液がらい菌をもっているのでと説を述べていると書かれた。それは知りませんでした。すると男性が責任ということになるのか。

 (蛇足ですが宮崎松記さんの本を読むと、らいと戦争の邦文論文でなく、英文が書かれたとあるが、その文献も探しきれません。インドに行きだしてかららしい。知っている人は教えて下さい)

続く

リデルさんへ インドの論文に次のようなものがありました。
 Leprosy control activities in India: integration into general health system
Pandey A, Patel R, Uddin MJ
Lepr Rev (2006) 77,210-218.
(リベル) 毎度、毎度で恐縮なのですが、今読んでいますので、和泉さんの「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」をご紹介します。現在のご自分の最新の研究の成果も交えて、この問題を詳しくお書きになっています。

「らい菌が体外では短時間に死滅する」、「幼少時の濃厚接触以外は感染しない」、「らい菌は感染力が弱く、感染しても発病するのはごく稀である」という諸説に反論されています(p.210〜)。参考になさって下さい・・・。(1.5 23:51)


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ハンセン病患者数の統計 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月 5日(金)07時09分54秒   引用
リベル様へ

 明けましてオメデトウございます。

 大きな問題ですね。ハンセン病患者数の統計は日本の場合も含んで色々問題があります。しかし、今回和泉先生が指摘されたのは、新患数の統計の方針の変更であろうかと存じます。ご存知の通り、インド民族は誇り高い民族です。和泉先生が疑問を持たれるのであれば直接、責任者の方と議論する方法もあるかと存じます。

 第3者的な意見で申し訳ありません。The Starがまだ存在しておれば、そこで議論する方法もありましょう。このメデイアが廃刊になったのは残念です。学会で聞くという方法もあると思います。それより、インターネットを利用して聞かれたらいかがかと存じます。具体的にはちょっと判りません。

 Ichiro
(リベル) 明けましておめでとう御座います。今年もどうぞ宜しくお願い致します。

和泉先生も「疫学的には極めて不自然な現象と言わなければなりません。事実、インドの当局者も、21世紀入っておきたこの急速な減少が、ハンセン病管理体制の見直しによるものであると認めています」と仰有っていますが、これは、恰も、菊池先生ご紹介の「integration into general health system」と符合するのではないでしょうか。

日本の厚労省と一緒にすると、インドの当局者に叱られるかも知れませんが、何か古来、為政者の行ってきた手口がチラチラ見えてきていけません。ああ、人間こんな風に成り下がってはいけないですね・・・(反省)(1.6 00:02)


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これは放擲出来ない問題だと思います。 投稿者:リベル 投稿日: 1月 4日(木)23時13分57秒   引用  編集済
【お詫び】下の(1月 4日(木)17時53分7秒)投稿が、編集も削除も受け付けなくなってしまいましたので、こんな形になってしまい、ご免なさい。下の一覧表をどうしても入れたかったので・・・。

先ず下にご紹介するのは、市民学会のホームページに紹介された、和泉眞蔵氏の「インドネシア便り」の最新版です。少し長いのですが、下に載せた一覧表の「新規発見症例数」を見ながらお読み頂くと、分かり易いのではないかと思います。世界規模の表は下のURLに有ります。

「世界保健機関(WHO)によりますと、2005年中に世界で発見された新患は約30万人でした。2002年の新患数が62万人でしたからほぼ半分になったことになります。この急速な新患の減少が今後も続けば、人類がハンセン病の苦しみから解放される日も遠くないように思われます。本当にそうなら嬉しいのですが、詳しく検討するとこの統計数字には大きな落とし穴があることが分かります。それは、この減少のほとんどがインド一国で起きており、インドを除く他の流行国の新患は減少していないかむしろ増加しているのです。(下の一覧表ををご覧ください。確かに一目瞭然なのです。)

インドでは、2002年から毎年10万人のペースで新患の減少が続いていますが、ハンセン病のような超慢性の病気がこのような速さで減少したことは歴史上ありませんから、疫学的には極めて不自然な現象と言わなければなりません。事実、インドの当局者も、21世紀入っておきたこの急速な減少が、ハンセン病管理体制の見直しによるものであると認めています。やはりこの統計数字上の減少は人為的なものだったのです。しかし、そう考えてもこのような急速な減少が3年間も続くことは説明できません。なぜなら、制度の見直しによって統計上に一時的な急減が起きたとしても、新しい方法が定着すると、減少は自然の状態にもどり、ゆっくりとしたペースに帰るはずだからです。なぜそうならないのでしょうか。

 これは私の推測ですが、現在のインドのハンセン病対策の現場では、疑わしい症状を持った早期の患者を、ハンセン病と診断しづらい圧力がかかっているのではないかと思います。インドを管轄するWHOの南東アジア地域事務所の責任者は、「ハンセン病でない人をハンセン病と誤診するのは犯罪だ」と私たちに語ったことがあります。もしこのような圧力が今後も続けば、近い将来予想される結果は恐ろしいものです。多くの患者から早期診断早期治療のチャンスが奪われ、身体障害を伴う重症になってから治療される患者が増える可能性があるからです。いかにして後遺症を残さないで治療するかがハンセン病医療の要諦ですから、これは最悪の選択と言わなければなりません。インドの関係者には、1日も早くこのことに気づいてほしいと願わずにはいられません。」

1993年から2003年まで世界の新患者数は50万人台で、決して低下傾向にはないのです。ところが、和泉氏ご指摘のように毎年10万人と急減しています。そしてその理由と言うのが、身体が震えそうな「お上の圧力」という理由ではありませんか。流石に和泉氏の指摘は厳しい。

世界の新規患者数は、実は少しも減っていない。このことを私たちは他人事として見ていてはいけない、と思わざるを得ません。

WHOの「ハンセン病の制圧」は、目標(世界的に10.000人に1人以下の患者数)に到達したのだ、として座視していてはいけないのだと思います。

http://www.eonet.ne.jp/~libell/14data-kanjasuu.htm



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にわとりさん、そして猪武者さん、これは私が悪いのです 投稿者:リベル 投稿日: 1月 4日(木)22時35分4秒   引用
お屠蘇気分のせいではなく、私が手抜きをしてしまったので、後悔しています。私が皆様に読んで頂きたかったのは・・・

「F事件の映画化をという意見がありますが、再審もいかに裁判所に受理させるかと言うことで腐心されましたが理解が得られず断念せざるを得なくなりました。
全療協も組織自体が高齢化と入所者減で先行きが見えない状況です、再審にしろ映画にしろ恵楓園自治会が現状を維持できている間でないと・・・」

そして、今日も・・・

「弁護団も弱体化し全療協も非力ですが立ち枯れにはさせないという意志だけは持ち続けて行きたいと願っております。」

とお書きにならざるを得ない、この現状です。志村さんの悲痛とも言える、この叫びを聞いて、黙って居られなくて、読んで頂きたいと思ったのが、事実なのです。

そのことを、キチント申し上げなかったのが、猪武者さんの発言を招いてしまいました。既に様々に論じられている藤本事件を改めて考えようという積もりでは無くて、「療養所の将来構想」を、もっとみんなが真剣に考えなければ、という気持ちだったのです。

悲痛な叫びに応える有効な具体策は何なのでしょう・・・?


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猪武者さん 投稿者:にわとり 投稿日: 1月 4日(木)20時58分41秒   引用
何を根拠に「もっと市民を信じて「連帯」を視野に入れてほしい」というような表現が出てくるんでしょうか?F事件が「えん罪」であり、何とか無実を!というのは映画化に関わる誰しもが思い描いていることです。志村さんの書き込みをどのように読めば猪武者さんのような捉え方になるのか、正直私には理解ができません。勉強不足と片づけられてしまいそうですが・・・・。


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これは放擲出来ない問題だと思います。 投稿者:リベル 投稿日: 1月 4日(木)17時53分7秒   引用  編集済
先ず下にご紹介するのは、市民学会のホームページに紹介された、和泉眞蔵氏の「インドネシア便り」の最新版です。少し長いのですが、下に載せたURLの表の「世界新患数」の列を見ながらお読み頂くと、分かり易いのではないかと思います。

「世界保健機関(WHO)によりますと、2005年中に世界で発見された新患は約30万人でした。2002年の新患数が62万人でしたからほぼ半分になったことになります。この急速な新患の減少が今後も続けば、人類がハンセン病の苦しみから解放される日も遠くないように思われます。本当にそうなら嬉しいのですが、詳しく検討するとこの統計数字には大きな落とし穴があることが分かります。それは、この減少のほとんどがインド一国で起きており、インドを除く他の流行国の新患は減少していないかむしろ増加しているのです。(このサイトのTable5をご覧ください。確かに一目瞭然なのです。)
インドでは、2002年から毎年10万人のペースで新患の減少が続いていますが、ハンセン病のような超慢性の病気がこのような速さで減少したことは歴史上ありませんから、疫学的には極めて不自然な現象と言わなければなりません。事実、インドの当局者も、21世紀入っておきたこの急速な減少が、ハンセン病管理体制の見直しによるものであると認めています。やはりこの統計数字上の減少は人為的なものだったのです。しかし、そう考えてもこのような急速な減少が3年間も続くことは説明できません。なぜなら、制度の見直しによって統計上に一時的な急減が起きたとしても、新しい方法が定着すると、減少は自然の状態にもどり、ゆっくりとしたペースに帰るはずだからです。なぜそうならないのでしょうか。
 これは私の推測ですが、現在のインドのハンセン病対策の現場では、疑わしい症状を持った早期の患者を、ハンセン病と診断しづらい圧力がかかっているのではないかと思います。インドを管轄するWHOの南東アジア地域事務所の責任者は、「ハンセン病でない人をハンセン病と誤診するのは犯罪だ」と私たちに語ったことがあります。もしこのような圧力が今後も続けば、近い将来予想される結果は恐ろしいものです。多くの患者から早期診断早期治療のチャンスが奪われ、身体障害を伴う重症になってから治療される患者が増える可能性があるからです。いかにして後遺症を残さないで治療するかがハンセン病医療の要諦ですから、これは最悪の選択と言わなければなりません。インドの関係者には、1日も早くこのことに気づいてほしいと願わずにはいられません。」

1993年から2003年まで世界の新患者数は50万人台で、決して低下傾向にはないのです。ところが、和泉氏ご指摘のように2005年が急落しています。そしてその理由と言うのが、身体が震えそうな「お上の圧力」という理由ではありませんか。流石に和泉氏の指摘は厳しい。

世界の新規患者数は少しも減っていない。このことを私たちは他人事として見ていてはいけない、と思わざるを得ません。

WHOの「ハンセン病の制圧」は、目標を到達した、として座視していてはいけないのだと思います。
http://www.eonet.ne.jp/~libell/14data-kanjasuu.htm



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Re: お読みになりましたか? 投稿者:猪武者 投稿日: 1月 4日(木)04時55分29秒   引用  編集済
> 「志村さんとキャッチボール」、ここに採録しようかとしましたが・・・。
>
> オリジナルをお読みください・・・。No.22です。

拝読しました。
にもかかわらず、事件が「冤罪」だったのかどうかということを避け、偏見による見込み操作、差別に満ちた訴訟指揮、見せしめ的な処刑を描けば足りるかという疑問が残ります。

刑事事件における、病気による司法の下での不平等は見聞するだけで枚挙に暇がありません。しかも皮肉なことに、その不平等は多くの場合「被疑者」に有利に働いています。
もしFさんが「冤罪」で「患者でなかったら」ということまで踏み込んで考えなくては、本当の意味の隔離政策、偏見差別、法の下の平等を問うことにならないのではないか。
そうでなければ、単にFさんの事件を「啓発映画」の一エピソードに使ったのに過ぎないのではないかという疑問に答えが出ない。

誤解を恐れずに言えば、Fさんの死は一度は権力に利用され、今度は「啓発」に使われたというのは言いすぎだろうか。Fの死は冤罪を明らかにする以外にはあがなうことはできないのではないかと思えて仕方がないのです。
「核になる主体」としては、もっと市民を信じて「連帯」を視野に入れてほしいと思いました。現在の日本の状況から考えても、F事件の真実を明らかにして司法の誤りを正していくことは、入園者の皆さんだけの問題ではなく、元患者運動と支援という関係をこえて、われわれ自身の問題でもあるからです。


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猪の性格 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月 3日(水)09時35分32秒   引用
あけまして おめでとうございます。

 猪年ですね。猪突猛進といいますが これは大きくなってからの性格で、小さいウリボウの時は なにかあると草叢に隠れます。身を隠す ということですが まあ 小さいので当然でしょう。猪や漠は小さいときにウリボウの斑が現れ、消えていきます。鹿の場合は鹿の子斑といいます。猿にも子ども特有な斑があるそうですがちょっとよく知りません。
 動物のことを知りたくて動物園の技師の方に電話をしました。このウリボウなどは 児斑ともいいますがこの意義は一体なんでしょう。答えはカムフラージュだろうと言われました。そういえば そうかなあ。
 人間の児斑は 蒙古斑といいます。すると蒙古斑の意義は、カムフラージュか というわけで、そういう論文を書いたのですが生憎引用数が少ないので、認められませんでした。

 教訓:人間も動物も成長する。


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お読みになりましたか? 投稿者:リベル 投稿日: 1月 2日(火)21時38分35秒   引用  編集済
「志村さんとキャッチボール」、ここに採録しようかとしましたが・・・。

オリジナルをお読みください・・・。No.22です。


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明けましてオメデトウございます 投稿者:Ichiro 投稿日: 1月 1日(月)08時42分19秒   引用
明けまして オメデトウございます。

 Ichiroです。

 今年はもっと慎重に書き込もうかと 考えています。

 今までも慎重のつもりでしたが.....


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明けましておめでとうございます。 投稿者:リベル 投稿日: 1月 1日(月)00時49分50秒   引用  編集済
明けましておめでとうございます。

今年も、どうぞ宜しくお願いいたします。



このちぎり絵が好きで・・・。
何か、面壁九年の達磨さんにしては表情に哀愁が漂っていて・・・。

「ちっともお目出度くなんかねえよ」、みたいな・・・

クリックしてみてください、作者の気持ちが汲み取れて・・・。
特に、眉ですか・・・

「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし   一休さん」

みたいな顔をしているのが面白くって・・・。あっ、くどい?  私の悪い癖でして・・・ごめんなさい・・・。



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謹賀新年! 投稿者:ルリカケス 投稿日: 1月 1日(月)00時32分48秒   引用
リベル様へ

 新年明けましておめでとうございます。

今年から、ちょくちょくお邪魔致しますので宜しくお願いします。
(リベル) ルリカケスさんのホームページは、実に充実しているので、毎日訪問させていただいています。今年もどうぞ宜しくお願いします。

ご投稿を心からお待ちしております。(1.1 01:42)

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