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(2006年11月1日〜12月31日)


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遅れを取ってしまいました 投稿者:リベル 投稿日:12月31日(日)17時28分31秒   引用  編集済
どうぞお願いします、口を慎むなんて、お止しになってください!。北風さんらしくも無い!

遅まきながら、申し上げます。皆様本当に有難うございました。年をとると、人様のお気持ちが一段と身に染みて、思われるものなのでしょうか。

来年も、どうぞ宜しくお願いします。

どうぞ良いお年をお迎えください・・・m(_ _)m


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もうすぐ来年 投稿者:北風 投稿日:12月31日(日)16時49分45秒   引用  編集済
皆さんよい歳をお迎えください。

来年は懸案を片付けて、「補巻」をだしたいと思いますが、先ずは完結が先決。
ハンセン病市民学会の年報が届きました。去年も今年も「広告」の要請がなく、何もださないのはかっこ悪いのでこちらから申し込んだ。1ページ枠はすでに満杯で2分の1を二つにししてくれというのでそうしたが、送られてきた『年報』の表2と表3を見て納得。
来年は是非完結して、口も慎んで広告の要請が来るようにしたいもんだ(笑)。
(リベル) 北風さんのお建てになった金字塔は、エジプトのとは違って、何千年、何万年、いや永久に不朽なのですよね。真価は年を経る毎に増してゆくばかりです。

「口も慎んで」?何を仰いますやら、いや、そうなさってください、いや、そうなさいますか?いや、出来ますか?

さあ、今年も旨い酒を、存分に楽しんでください・・・。(1.1 00:55)

北風さん、「よい年」でしょう。私の歳になると、そうとばかりは言ってられないのですから・・・(爆)(1.1 01:48)


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自意識過剰 投稿者:北風 投稿日:12月31日(日)09時14分24秒   引用
田中さんのことは、田中さん。狙撃兵は狙撃兵。
(リベル) 今頃書いていますが、しゅうさんはしゅうさん、北風さんは北風さん。「切り取り方」と、思いますが・・・。ダメですかこういうの・・・?(1.1 01:58)


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一歩、前進? 投稿者:リベル 投稿日:12月31日(日)01時52分53秒   引用  編集済
散歩の途中、片足のご不自由な80前ぐらいのご老人を見かけました。杖をついて一歩一歩、歩くのがやっと、というご様子です。川沿いの鉄柵を伝い歩きで、しかも雨上がりで鉄柵はびしょ濡れ、ビニールの小袋を敷いて滑らせて行く手に手袋は無し。スーツ姿でキチント整髪しておられる。

辺りに人影は無い。この先には又長い階段がある。大変な道のりではある。立ち止まって、躊躇しました。お手伝いした方が良いかな?でも足が縺れるでもなく、遅いが着実に進んで居られる。私は踵を返して自宅の方向へ大通りの横断歩道を渡りました。渡りながら未だ迷っている。渡り終えてまた振り返って見ました。いくらも進んでは居られない。

どうする?と自問自答しました。帰ってシャワーを浴びて・・・焼酎が待っているぞっ。でもこのまま帰っても何か寝覚めが悪い、後悔するに決まっている、酒も不味いぞ!で、また踵を返して横断歩道を戻りました。

「失礼ですが・・・あのお、腕をお貸ししますが、どうぞ・・・。」老紳士は強い目で私の目を見ながら、キッパリと「いや、結構です!」。憐れみは無用と言わんばかりの、有無を言わせぬ響きがあって、「そうですか、失礼しました」と別れました。


という出来事が一昨日有りました。前に(12月24日)書いた、和泉さんの言葉を思い出しました。

「本当に助けを必要としている人に救いの手を差し伸べた時、本当に救われるのは助けられた人よりも手を差し伸べた人自身なのだ」

この言葉が少し実感できた気がしました。最初は「これは先の道のりが大変だぞ、お助けしなければ」という純粋な衝動でした。横断歩道を渡っている内に湧いてきたのは、これはもう「エゴ」だけです。「寝覚めが悪い」から「後悔すると酒が不味くなる」からなのです。


もう一度、紹介しておきます。インドのK・C・ダス先生が和泉眞蔵さんに仰有った言葉はこうです。

「インドには多くの外国人協力者が来ているが、この人たちはインドにたくさんのハンセン病患者がいるのを知り、それを放置していたのでは自分自身が幸せな気持ちで生きて行けないと感じているのです。つまり、インドのハンセン病患者のために働くのは、自分が幸せな人生を送るためなのです」

少し、少おしだけ、納得出来て来たような、そんな気がしています。


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一日早いのですが・・・ 投稿者:リベル 投稿日:12月31日(日)00時57分39秒   引用
御目出度い飾りを貼り付けました。


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Re: リベラリストでいきましょう。 Re: 曲解。 投稿者:しゅう 投稿日:12月30日(土)20時25分39秒   引用  編集済
あああ・・・

> > こういうことをおいらが言っているととられたなら、反省しなくてはなりませが、そういうことをいった覚えはありません。おいらは「狙撃兵」ですから流れ弾をしゅうさんに当てるようなことはしません。
>
> 狙撃って何でしょうか?! だいたいそんな物騒なこと止めて下さい。

北風さん! 「狙撃兵」は、私が言った「歌殺し」の悪乗りですね!!!

もうイヤですね・・・、絶句。これは、私が悪いのかなあ・・・?
(リベル) 注:「歌殺し」というのは、いま、しゅうさんのBBS「東風吹かば」で話題になっている言葉でした。為念。(12.31 01:01)


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Re: 北風さんに 投稿者:リベル 投稿日:12月30日(土)18時11分4秒   引用  編集済
> 上記のハンセン病学会への批判は、姓のみ名乗って掲示板に書くだけでなく研究者・大学教授の立場で公式に行われることを期待します。

気になって、「田中 hoffman.cc.sophia.ac.jp 」で検索しました。インターネトは凄いですね。私が存じ上げている、というか、「基礎知識」のページにblogも含めて紹介している田中裕先生だったではないですか・・・!先生のサイトには松本馨さんの「小さき声」の復刻 など読み応えの有るものがギッシリ詰まっています。ご存じなかった方は是非一度、ご訪問ください・・・。

田中先生、どうぞお気兼ねなく、北風さんの鋭い舌鋒に屈することなく、ご来駕頂くことを、皆んなでお待ち申し上げています・・・。


ワンテンポ遅れた発言で御免なさい。しゅうさん今から一寝入りします。また深夜、丑三つ時に蘇生して参りますので、お許し下さい・・・m(_ _)m


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リベラリストでいきましょう。 Re: 曲解。 投稿者:しゅう 投稿日:12月30日(土)14時17分5秒   引用
リベルさん、皆さん、荒れた感じに受け取られるかも知れませんが、仲間内の気安さから言っているので、お気を悪くなさらないで下さい。

> >
> > 「遅れてやってきた者」「安全地帯からものいう者」そのどちらにも、わたくしは、その通りで、半生を賭けてきた北風さんには、もう何も言えないという負い目を抱くのですが、一言だけお願いしたいと思います。
>
> こういうことをおいらが言っているととられたなら、反省しなくてはなりませが、そういうことをいった覚えはありません。おいらは「狙撃兵」ですから流れ弾をしゅうさんに当てるようなことはしません。

狙撃って何でしょうか?! だいたいそんな物騒なこと止めて下さい。

>
> > 「遅れてやってきた者」は、どこからかハンセンを切り取って始めないと始まりません。
>
> そんなことは、いつでも誰でも直面することです。
>
> > 田中さんは田中さんのハンセンの切り取りをされていらっしゃると思います。私には、私の切り取りがあります。その切り取りはそれぞれ人によって違うと思います。それは、その人の持っているもので違ってくるのではないでしょうか。 田中さんは研究者として、古文にも外国語にもたいへん強くていらっしゃる、田中さんの切り取りから見えてくるハンセンというものもあると思います。ゆっくり、そのお話しも伺いたいと思いますが。
>
> 「古文や外国語に強い? で?」というところです。職業的な知識や技能がいくらあっても関係ないでしょう。まあ、そうであるならば、「定説」を繰り返すのではなく、じっくりと考察した上でそれなりの卓見を伺いたいものです。


田中さんに期待されるものは高いのかも知れませんが、いまの北風さんがなさっているのは、私には、何でもかんでも攻撃しているように、見えます。

>
> > 北風さんの書かれている内容だけでも、充分、行政の矛盾ではないでしょうか?
>
> 「行政」ではなく「らい学会」ですが、その矛盾や自己撞着は「当然」前提としていっています。そんな「矛盾」の指摘は、言い古されているし当たり前すぎて、いう必要もない。


「らい学会」でした、間違えましてすみません。

北風さんには言い古されている問題、そして済んだ問題かも知れませんが、私には、いまも矛盾を生々と感じますし、北風さんが書かれている
「血の通う生きた現実からみれば、二つの問題を止揚しようという問題意識」
としてその矛盾を埋めるにはもっともっと文献を読んでいかないとそこへは到達できそうにありません。時間もかかりそうです。その間にいろいろ総合的に読んできたいですね。


> > > 少なくとも、おいらは同じような問題意識を持っている。
> >
> > 北風さんの問題意識はべつにして。(-_-)
>
> 別にされては困るのです。ここがおいらの一番言いたかったことですから。


私は、北風さんのこの問題意識は、「矛盾」について、北風さんご自身が書かれている
「血の通う生きた現実からみれば、二つの問題を止揚しようという問題意識」
だと思いましたが違うのでしょうか?
田中さんは「らい学会」について問うておられるので、北風さんが問題意識を持たれるのは田中さんが問うているものではないと思いました。別の議論ではありません。


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Re: 曲解。 投稿者:北風 投稿日:12月30日(土)12時37分25秒   引用
> > 北風さんの問題意識はべつにして。(-_-)
>
> 別にされては困るのです。ここがおいらの一番言いたかったことですから。

こういうことを「別にした」議論って何でしょうか?


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曲解。 投稿者:北風 投稿日:12月30日(土)12時00分18秒   引用  編集済
>
> 「遅れてやってきた者」「安全地帯からものいう者」そのどちらにも、わたくしは、その通りで、半生を賭けてきた北風さんには、もう何も言えないという負い目を抱くのですが、一言だけお願いしたいと思います。

こういうことをおいらが言っているととられたなら、反省しなくてはなりませが、そういうことをいった覚えはありません。おいらは「狙撃兵」ですから流れ弾をしゅうさんに当てるようなことはしません。

> 「遅れてやってきた者」は、どこからかハンセンを切り取って始めないと始まりません。

そんなことは、いつでも誰でも直面することです。

> 田中さんは田中さんのハンセンの切り取りをされていらっしゃると思います。私には、私の切り取りがあります。その切り取りはそれぞれ人によって違うと思います。それは、その人の持っているもので違ってくるのではないでしょうか。 田中さんは研究者として、古文にも外国語にもたいへん強くていらっしゃる、田中さんの切り取りから見えてくるハンセンというものもあると思います。ゆっくり、そのお話しも伺いたいと思いますが。

「古文や外国語に強い? で?」というところです。職業的な知識や技能がいくらあっても関係ないでしょう。まあ、そうであるならば、「定説」を繰り返すのではなく、じっくりと考察した上でそれなりの卓見を伺いたいものです。

> 北風さんの書かれている内容だけでも、充分、行政の矛盾ではないでしょうか?

「行政」ではなく「らい学会」ですが、その矛盾や自己撞着は「当然」前提としていっています。そんな「矛盾」の指摘は、言い古されているし当たり前すぎて、いう必要もない。

> > 少なくとも、おいらは同じような問題意識を持っている。
>
> 北風さんの問題意識はべつにして。(-_-)

別にされては困るのです。ここがおいらの一番言いたかったことですから。


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切り取り方 Re: あまりに教条的 投稿者:しゅう 投稿日:12月29日(金)21時50分43秒   引用
> かつて僕は、光田以下の隔離主義者の言行を「批判」してきたけれど、裁判以降、安心して安全地帯から先人の業績を否定する動きに与する気にはなれなくなっている。


「遅れてやってきた者」「安全地帯からものいう者」そのどちらにも、わたくしは、その通りで、半生を賭けてきた北風さんには、もう何も言えないという負い目を抱くのですが、一言だけお願いしたいと思います。

「遅れてやってきた者」は、どこからかハンセンを切り取って始めないと始まりません。

田中さんは田中さんのハンセンの切り取りをされていらっしゃると思います。私には、私の切り取りがあります。その切り取りはそれぞれ人によって違うと思います。それは、その人の持っているもので違ってくるのではないでしょうか。 田中さんは研究者として、古文にも外国語にもたいへん強くていらっしゃる、田中さんの切り取りから見えてくるハンセンというものもあると思います。ゆっくり、そのお話しも伺いたいと思いますが。



>
> 「救癩」と「祖国浄化」を、何の検討もなしに同義語視するのには賛成できない。祖国浄化という言葉が頻出するから「救癩」は、患者をいうのではなく、国家を救う謂いだというのはあまりに牽強付会ではないか。
> いったい、
>
> 〉当時の文献を見る限り、「救癩」とは、第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していた
>
> という当時の文献とは何か。
>
> また。
>
> > それにしても、「強制隔離政策によって生じた患者の悲惨さについて反省が求められる」という結びの言葉と、強制隔離政策を定め、それを廃止しなかったことに責任を追う先輩達を「我々は非難する権利がない」というその直前の言葉との間には、驚くべき矛盾がありますね。
>
> これを「驚くべき矛盾」とは捉えない。言葉の上のクンコの学からは「矛盾」かもしれないが、血の通う生きた現実からみれば、二つの問題を止揚しようという問題意識を持った「苦悩」の表現であって、二元論的ないいとこ取りとは異なるのではないか。
> (もっとも止揚しようとしたのではなく、あっちにもこっちにもいい顔をした結果という見方もあるけれど)


北風さんの書かれている内容だけでも、充分、行政の矛盾ではないでしょうか?

> 少なくとも、おいらは同じような問題意識を持っている。

北風さんの問題意識はべつにして。(-_-)
(リベル) 「切り取り方」と言われて、ギクッとしました。私も、自分なりの「切り取り方」をしていて恬淡としています。自分を客観視出来ていなかったわけです。そういう視点も物凄く重要だなあと感じ入りました。

そういえば、光田氏も末氏も小川氏も和泉氏も厚生労働省も、誰もかも、「自分なりの切り取り方」をしている訳で・・・。待てよ・・・あれっ・・・分からなくなってきました・・・(笑)(12.30 01:08)


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年報 2006 投稿者:Ichiro 投稿日:12月29日(金)20時38分1秒   引用
リベル様

 熊本の小生宅にハンセン病市民学会 年報 2006が 到着しました。 しばらく
 熱心に読もう。

 特集 第2回交流集会記録
 小特集 胎児標本問題
 論文 ハンセン病患者のための高等学校における校内民主化運動に関する研究
    日本の委任統治下「南洋群島」における ハンセン病政策
 研究ノート 内務省年報が示す明治初期のハンセン病医療状況
       孤高のハンセン病先覚者 増田勇
 資料紹介 カラウパパにおける断種手術
 実践報告 学びと出会いがゆたかに広がったニ日間
 書評・紹介 太田国夫 自分の十字架を背負って
       沖縄県ハンセン病小減収総務局編 沖縄県ハンセン病証言集資料編
       菊池恵楓園自治会編 壁を越えて
 資料 ハンセン病回復者の医療の質と生活の質を向上するための提言
    厚生労働大臣宛胎児標本の取り扱いに関する要望書

 さて 読みましょう


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知識と知恵 投稿者:北風 投稿日:12月29日(金)18時33分7秒   引用
〉田中さんの列挙された本などにしても、一冊も読んでいないことからも明らかです。言わなくっても分かっているから、もういい、と言われそうなので、終わり・・・(笑)(12.28 15:59)

万巻の書を読めばいいというものでのでもなく。
(リベル) ま、御尤も、と言わんか・・・(笑)(12.28 19:18)


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(無題) 投稿者:北風 投稿日:12月29日(金)14時49分5秒   引用  編集済
ジャーナリストがデモや戦場を取材する場合、どちら側から見て報道するかという問題がある。

デモ隊やイラクの民衆の側に身を置いて見るのと、機動隊や海兵隊の後ろから取材するのとでは同じ事柄でもまったく違って見えるだろう。

しばらく前は、光田批判はあたかも隆車に立ち向かうカマキリのようなものだったが、いまや光田を批判することは裁判の判決や多数を背景に全く不安はない。批判する理由をあげる必要もないくらいだ。勝ち組に入れ、バスに乗り遅れるなの風景だ。

裁判の目的は「勝つこと」だから、光田に「功罪」あっても「功」には触れず「罪」は強調する。そのことは法廷闘争にあっては、全く正しい。しかし、裁判を離れれば、その「功」をも(あるかないかも含めて)再検討する必要があろう。
こういう時こそ、少数の側に、バッシングされる側に身を置いて物事を見なおすことが、とりわけ研究者には必要な態度ではないか。

このことは、末利光が言うように「光田健輔の復権」を目指すという訳ではないことはいうまでもない。


それにしてもIchiro先生はわからない。
(リベル) 大分前ですが、末利光氏のことが話題になったとき、北風さんの仰ることで腑に落ちない部分が有りました。私はその頃、なるべくそういうことには目を瞑る、と言うより、見ない振りをすることにしていたのです。

「裁判の目的は「勝つこと」だから、光田に「功罪」あっても「功」には触れず「罪」は強調する。そのことは法廷闘争にあっては、全く正しい。しかし、裁判を離れれば、その「功」をも(あるかないかも含めて)再検討する必要があろう。
こういう時こそ、少数の側に、バッシングされる側に身を置いて物事を見なおすことが、とりわけ研究者には必要な態度ではないか。」

これで、目から鱗が落ちた感じです。ダメだなあ俺って・・・と、思っています・・・。

読み返して、付記しなければ、と思いました。私はハンセン病を、勉強していますが、「研究者」ではありません。これはたとえば、田中さんの列挙された本などにしても、一冊も読んでいないことからも明らかです。言わなくっても分かっているから、もういい、と言われそうなので、終わり・・・(笑)(12.28 15:59)


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ハンセン病の写真 投稿者:Ichiro 投稿日:12月29日(金)12時44分45秒   引用
ハンセン病の写真

 TT型ハンセン病
 BT型ハンセン病
  細川 篤、上里 博ら、西日本皮膚科、68,607-608,609-610,2006.

皮膚科専門雑誌に掲載されたもので、いい写真といい解説がある。普通の病気ですね。普通と違う所は、皮疹内部に感覚脱出ー低下。1−2年で略治した。感覚もでてくる。この写真は、ちょっと前まで見られた普通のハンセン病である。普通の皮膚病と考えて何ら差し支えない。しかし、ハンセン病問題はこれからは発生しない。leprosy stigmaが見られた、昔の状況が問題と考える。

 細川先生に 琉球大学のHPにあげて欲しいと書いたが(余計なお世話かもしれない)、版権その他の問題があるかもしれない。上里先生は新教授である。琉球大学皮膚科は創立以来、ハンセン病にカカワッテいる。初代の教授は残念ながら、定年を待たずに亡くなられた。

 「ハンセン病アトラス」 診断のための指針 金原出版 2006
 CDがついた写真を伴う医学生向き教科書
 制作:日本ハンセン病学会、日本皮膚科学会

 教科書である。あまり患者が少なくなったからという理由で作られた。現代版らしくCD付である。

 教科書に関して文句:隔離政策とか、それに関する資料を一切書かれていない。
 どこからか お金が出たからかなあ。
 厚生労働科学研究費補助金がでたからであった。(4p)

 年表があり 1931年 らい予防法制定 全患者対象
         1996年 らい予防法廃止
          2001年 熊本地裁:隔離政策の違憲性と国賠訴訟を認める判決とある。
 恐ろしく素っ気無いというか、事務的な記載である。

 私個人としては 光田反応もない、らい性結節性紅斑(これは村田茂助の発見、提唱である:ENLという略号では書かれている)もない教科書なんか不完全と 思うがねえ。英語の教科書はHandbook of leprosy
の第5版もないねえ。

 蛇足:これはインドでしか入手できないのかな。

リベル様へ

 さすがは ハンセン病は よく調べられている。教科書からかな。
 和泉先生の文献はどれですか。私は現在でも成田先生の言われたことは正しいと思っています。根拠は挙げられますが、迷惑をかける恐れがあります。
(リベル) 和泉さんの本。「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」の197ページです。(12.28 12:54)


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あれよあれよ・・・ 投稿者:リベル 投稿日:12月29日(金)12時33分0秒   引用
皆さん、あまりにも沢山の本を読み、多くのことに通暁なさっていて、私なんぞ、ああそうなんだと、ポカンと口を開けているだけの状態で、まさにあれよあれよという感じです。ふーん、ハハーン、あ そうなんだ・・・と勉強しながら・・・。

これをまた、プリントアウトして、歩きながら、雪を払い除けながら(そうなんです、粉雪がチラチラ程度ですが)じっくり読ませていただきます。そして、思うことや疑問が出てくれば、また発言させていただきます・・・。では、行ってまいりまあす・・・。


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Re: 北風さんに 投稿者:北風 投稿日:12月29日(金)08時51分35秒   引用  編集済
> > かつて僕は、光田以下の隔離主義者の言行を「批判」してきたけれど、裁判以降、安心して安全地帯から先人の業績を否定する動きに与する気にはなれなくなっている。(北風)

> 彼等の医師としての業績を否定することなどできないでしょう。〔田中さん〕

僕のいいたいのは否定するにしても肯定するにしてもまともな吟味が為されていない。
ただ裁判の「結果」のみが、一人歩きしている。研究者なら、判決にとらわれずにあるいは、判決に寄りかからず事実に基づいて検討すべきだろうということ。
その検証無しに、いまや「定説」になった光田批判の繰り返しに過ぎない。どこぞでの塚本虎二批判と同じ。

> また、宗教的な情熱を以て献身的な「救癩」活動をした小川正子のような人

これは間違い。小川正子は「宗教的な情熱」で、ハンセン病の医師になったのではない。そしてまた、それが「強制隔離を推進」する役割をどのように果たしたのかも、まともに検証されていない。一方的な否定と、末利光のような死者を冒涜するに等しい祭り上げのみ。

> しかし、問題は、強制的な終生隔離を前提とした「救癩」とは何であったのかということではないでしょうか。

そういうことではないでしょう。「救癩」事業は終生隔離以前からあったし、「救癩」を志した人が全て終生隔離を目指したわけではない。用語が時代の制約を受けているからといって、現在の「用法」を鵜呑みにして批判するの誤りは「改心」と同じ。

> 文化勲章を受け、シュバイツアー以上の聖者とまで云われた光田健輔の提言した医療政策がもたらした社会的な帰結、その甚だしき人権侵害の歴史こそが、まさに裁判において問われたのであり、単に予防法の廃止だけでは問題の解決にはなりえなかったと思っています。

そんなことは、誰でも承知でしょう。それだけをいうならサントリーのコマーシャルじゃないけれど、判決に「何も足さない 何も引かない」で十分だ。

> ichiro 先生が示された英文を見て、それが、日本らい学会という専門家の集団が、癩予防法の廃止について、社会的な責任を果たすために纏めたものであったことはすぐに解りました。その英訳は、日本の強制隔離政策をどのようにして、日本の専門医が自己批判したかを世界に対して釈明するものだと思いました。それだけに、文書の中に、矛盾する表現があることを、どのように外国語で説明するかと云うことも、我々の課題の一つだと思って投稿した次第です。

それは、宜しくお願いします。

> 十年前の文書であっても、ハンセン病医療の問題は、世界的にはまだ過去のものとはなっていませんし、同じような治癒の難しい伝染病が起きるならば、将来においても、同様な誤りが起きる可能性があるでしょう。
>
> この声明文に矛盾があるということは、学会の内部に、自己批判の内容に対して強烈に抵抗する動きがあったからだと考えるのが自然ではないでしょうか。そういう抵抗が精算されずに残っており、それがいつかまた暗黙の中に復活する危険を私は感じます。そのかぎりで、私もまた、この矛盾を放置せずに議論を尽くすことの重要性を認識しています。

リベルさんの引いた和泉さんの引用は、自身も職をとして原告側に立って証言した人が、同じく原告側証人として「良心的医師」であり、多磨全生園名誉園長であり、ハンセン病資料館運営雄委員長であり、今なお多磨全生園で医療に従事する成田さんを、学問的に批判していることに磐石の重みがある。
上記のハンセン病学会への批判は、姓のみ名乗って掲示板に書くだけでなく研究者・大学教授の立場で公式に行われることを期待します。

> 〉当時の文献を見る限り、「救癩」とは、第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していた
>
> という当時の文献とは何か。
>
> たとえば、1926年当時の高野六郎内務省衛生局課長の「民族浄化のために」
>
> 「こんな病気(ハンセン病)を国民から駆逐し去ることは、誰しも希う所に相違ない。民族の血液を浄化するために、また此の残虐な病苦から同朋を救うために、慈善事業、救療事業の第一に数えねばならぬ仕事である。」

「救癩事業の第一に数えなければならない」と主張すること自体、「救癩」にそのような内容が包摂されていないことの証左であって、「救癩」が「第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していた」ということに直結させるには無理がある。

>  この「民族の血を浄化せよ」というような優生学的な含意を有つ言葉は、日本MTL主催の救癩キャンペーンなどで、実際に使われた表現です。また

それは事実です。しかし、それをもって「救癩」が「第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していた」ということに直結させるには無理がある。

> 「癩の問題は、決して癩患者あるいはその九族の問題にあらずして、實に国家社會の保健衛生の問題であることを知ると同時に、此処に留意してその為すべきを為す如く努力することは、国民の社会的責務であることを知らなければならないのである」(「癩絶滅と大谷派光明会」1931)」

これも同じ。この文章のどこを読んでも「救癩」というコトバが「第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していた」という結論を導くには無理がある。

> など。

主張や結論が先にあってそれに都合よい文献を探すのではなく、資料を熟読吟味してそこから結論を導き出していただきたい。


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当時の問題点 投稿者:Ichiro 投稿日:12月29日(金)06時53分21秒   引用
1995年の日本らい学会は横浜で開かれました。

 Ichiroです。

 総会の成立:総会は異様な雰囲気で行われました。通常、総会が始まる時に、会の成立を確認するのですが、それがありませんでした。会員以外の入場を普通はとめるのですが、それができなかったからか、少なくとも、この確認がなかったのは、主催者側のミスと思われます。会の最後でもありませんでした。
 大谷見解(1994,4,20)、所長連盟の見解(平成6年11月8日)、日本らい学会の見解(1995年4月22日)と並べますと、最後のものが、ダメ押しでもあり、なかなかまとまりにくいものと思われます。実は、総会で読まれたものは、前に資料として渡されたものと違っていたのです。私の翻訳は前のものに基づいています。
 署名された5人は、小生はよく知っています。署名されたことは、よかったと思います。そしてそれは総会で承認されたわけです。(復権への日月にまとまって出ています)


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北風さんに 投稿者:田中  投稿日:12月29日(金)02時37分17秒   引用  編集済
> かつて僕は、光田以下の隔離主義者の言行を「批判」してきたけれど、裁判以降、安心して安全地帯から先人の業績を否定する動きに与する気にはなれなくなっている。

私自身もまた、光田健輔の「回春病室」、また内田守の書いた光田健輔の評伝、さらには岡野さんの書かれた「林文雄−救癩使徒行伝」など、ひととおりは目を通していますので、光田健輔や、林文雄のような人達がいかに献身的に活動したかと云うことは弁えているつもりです。彼等の医師としての業績を否定することなどできないでしょう。

また、宗教的な情熱を以て献身的な「救癩」活動をした小川正子のような人が、なぜ強制隔離を推進するような役割を果たさなければならなかったのか、私とても、情的には、彼女に代表される「救癩の使徒」の気持ちを踏みにじることはできません。

しかし、問題は、強制的な終生隔離を前提とした「救癩」とは何であったのかということではないでしょうか。

文化勲章を受け、シュバイツアー以上の聖者とまで云われた光田健輔の提言した医療政策がもたらした社会的な帰結、その甚だしき人権侵害の歴史こそが、まさに裁判において問われたのであり、単に予防法の廃止だけでは問題の解決にはなりえなかったと思っています。

ichiro 先生が示された英文を見て、それが、日本らい学会という専門家の集団が、癩予防法の廃止について、社会的な責任を果たすために纏めたものであったことはすぐに解りました。その英訳は、日本の強制隔離政策をどのようにして、日本の専門医が自己批判したかを世界に対して釈明するものだと思いました。それだけに、文書の中に、矛盾する表現があることを、どのように外国語で説明するかと云うことも、我々の課題の一つだと思って投稿した次第です。

十年前の文書であっても、ハンセン病医療の問題は、世界的にはまだ過去のものとはなっていませんし、同じような治癒の難しい伝染病が起きるならば、将来においても、同様な誤りが起きる可能性があるでしょう。

この声明文に矛盾があるということは、学会の内部に、自己批判の内容に対して強烈に抵抗する動きがあったからだと考えるのが自然ではないでしょうか。そういう抵抗が精算されずに残っており、それがいつかまた暗黙の中に復活する危険を私は感じます。そのかぎりで、私もまた、この矛盾を放置せずに議論を尽くすことの重要性を認識しています。



〉当時の文献を見る限り、「救癩」とは、第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していた

という当時の文献とは何か。

たとえば、1926年当時の高野六郎内務省衛生局課長の「民族浄化のために」

「こんな病気(ハンセン病)を国民から駆逐し去ることは、誰しも希う所に相違ない。民族の血液を浄化するために、また此の残虐な病苦から同朋を救うために、慈善事業、救療事業の第一に数えねばならぬ仕事である。」

 この「民族の血を浄化せよ」というような優生学的な含意を有つ言葉は、日本MTL主催の救癩キャンペーンなどで、実際に使われた表現です。また

「癩の問題は、決して癩患者あるいはその九族の問題にあらずして、實に国家社會の保健衛生の問題であることを知ると同時に、此処に留意してその為すべきを為す如く努力することは、国民の社会的責務であることを知らなければならないのである」(「癩絶滅と大谷派光明会」1931)」

など。


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反応します 投稿者:リベル 投稿日:12月29日(金)01時06分20秒   引用  編集済
「一杯機嫌なので一寝入りしてから反応します」という前言(起きて来てから削除しましたが)が、なにか皆様の発言を封じるように、働いてしまったのではないかと、案じています。

いま良く拝読しますと、私がとやかく言う前に、田中さんからの反応をお待ちするのが、筋なのだろうと思います。でも折角ですから、敢えて「とやかく」言うならば、Ichiroさんの仰るとおり、日本らい学会決議文の作文の際は、なるほどかなりの量のファックスの遣り取りがあったことは想像に難くありません。ならば・・・

「矛盾」を止揚しようとする「苦悩」は、少し想像するのが難しいということになろうかと思います。私は、前(12月28日(木)00時37分34秒)に紹介した「成田講義」から推しても、北風さんご指摘の「あっちにもこっちにも」のいい加減収束論の方を採りたくなりますが如何なものでしょう。

田中さんは、年末でお忙しいかもしれませんが、本来どおり、お出ましをお待ちしてみることといたします。お出ましが無ければ、私たちで勝手に議論を進めることに致しましょう・・・。「安全地帯説」も、もっとお話をお聞きしたい(芸能人は、話をふくらますと表現するようですが)ですし・・・。


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原文の書き換え 投稿者:北風 投稿日:12月28日(木)15時48分57秒   引用  編集済
〉救癩の旗印を掲げて隔離を最善と信じ、そこに生涯を賭けた人の思いまでを(原文)

を「英訳」から「日本語」に再翻訳し

〉強制隔離政策を定め、それを廃止しなかったことに責任を追う先輩達(田中さん)

これについて批判をするというのは、おかしい。
少なくとも、「原文」には「キクチ」さんの英訳にも「田中」さんのそこからの日本語訳にも責任はない。
原文からすれば、勝手に翻訳して(「翻訳」という手続きをとっているけれど、勝手に文章を変えて)、その勝手に変えられた文章に文句つけられても迷惑だという話ではないか。


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あまりに教条的 投稿者:北風 投稿日:12月28日(木)15時33分30秒   引用  編集済
かつて僕は、光田以下の隔離主義者の言行を「批判」してきたけれど、裁判以降、安心して安全地帯から先人の業績を否定する動きに与する気にはなれなくなっている。

「救癩」と「祖国浄化」を、何の検討もなしに同義語視するのには賛成できない。祖国浄化という言葉が頻出するから「救癩」は、患者をいうのではなく、国家を救う謂いだというのはあまりに牽強付会ではないか。
いったい、

〉当時の文献を見る限り、「救癩」とは、第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していた

という当時の文献とは何か。

また。

> それにしても、「強制隔離政策によって生じた患者の悲惨さについて反省が求められる」という結びの言葉と、強制隔離政策を定め、それを廃止しなかったことに責任を追う先輩達を「我々は非難する権利がない」というその直前の言葉との間には、驚くべき矛盾がありますね。

これを「驚くべき矛盾」とは捉えない。言葉の上のクンコの学からは「矛盾」かもしれないが、血の通う生きた現実からみれば、二つの問題を止揚しようという問題意識を持った「苦悩」の表現であって、二元論的ないいとこ取りとは異なるのではないか。
(もっとも止揚しようとしたのではなく、あっちにもこっちにもいい顔をした結果という見方もあるけれど)

少なくとも、おいらは同じような問題意識を持っている。


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学会決議文の翻訳について 投稿者:Ichiro 投稿日:12月28日(木)12時38分14秒   引用
田中様 リベル様 コメントありがとうございました。

日本らい学会決議文の英訳について (10年以上前のことですが)

 福西先生の文章の前には、学会の公的意見のフルテキストとあります。依頼があったのでしょう。福西先生はご自身、translator,と書かれています。co-translatorとして Nagata Y と記載されています。
 小生は個人の資格で行ったものです。平会員であるので、色々な情報がありませんでした。署名した一人に聞きましたら、決議文の作成はタイヘンで、ファックスが行ったり来たりしたという話でした。

 福西先生も小生も写真入りです。書いた時期は覚えていませんが、夏であったか、中々発表がないのでイライラしていましたが、福西先生の論文が先に出て、ビックリした覚えがあります。Starに電話を入れたのですが、はっきりしたことは判りませんでした。今から考えると色々情報を集めていた方がよかったかと思います。聞いたことはありませんが、小生の文章が出て、福西先生もビックリされたでしょう。

>救癩の旗印を掲げて隔離を最善と信じ、そこに生涯を賭けた人の思いまでを、私たちには踏みにじる権利がない。
の文章ですが、救癩に生涯を賭けたなら判りますが
 隔離に生涯を賭けたのではないのは明らかですので、ちょっとはしおりました。福西先生は忠実に翻訳されています。

 この文章について当時は異議は出たかどうか、記憶にありません。なにしろトウトウとしたらい予防法廃止の流れがあり、学会もタイヘンであったことを思い出します。総会の議長が、なんと会の成立をとらなかったことを記憶にとどめています。
 しかし;署名した5人のうちの一人は、この文章(勿論邦文)が不満と園の雑誌か新聞に書かれていましたが、署名したので、仕方がありませんね。誰が読んでも光田健輔とわかりますね。複数にはしましたが。
 英文を全部出してもいいのですが、省略します。

 一つだけエピソードを。Jopling博士は私が書いた号を見て喜ばれ、その号を小生に送ってこられました。大切に保管しています。

 リベルさんへ:妙な日本語の文章は、早速英語に翻訳して、はて、イワンとすることは何だろうかと、考える癖があります。


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田中さんへ 投稿者:リベル 投稿日:12月28日(木)00時37分34秒   引用  編集済
リベルさん、皆さん、この掲示板でははじめての投稿ですが、どうかよろしくお願いします。

こちらこそ、ようこそお越し頂きました。

> この箇所は、1995年の「「らい予防法」についての日本らい学会の見解」の以下の文の英訳ですね。
>
> 「救癩の旗印を掲げて隔離を最善と信じ、そこに生涯を賭けた人の思いまでを、私たちには踏みにじる権利がない。しかし、無謀な強制隔離によって、肉親と引き裂かれた人の悲痛な叫びに、今、改めて耳を傾けながら、これほどの無惨さを黙視したことに対し、日本らい学会には反省が求められるであろう」(原文)

これを教えて頂いたことに、深く感謝します。そこからだとは全く気付きませんでした。お蔭様で、これで、理解が進むことになりました。

> 「学会見解」のこの部分の、Fukunishi および ichiro 両先生の英訳を読んで、この学会見解についてあらためて以下のような疑問を感じました。(新しい論点ではありませんが、英訳することによって明白になった問題点です)
>
> しかし、「救癩」とは、はたして、「患者の救済」「患者の救助」を目指していたのだろうか。
>
> 当時の文献を見る限り、「救癩」とは、第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していたことは、「祖国浄化」という言葉が多用されたことから解ります。「祖国浄化」という旗印を個々の「患者の救助」と混同することはできないのではないか。

このご指摘は真に正鵠を射ていると思います。訳者の弁護ではありませんが、しかしそう言われればその意味での「救癩」を和訳するとどうなるか?とても難しいことだろうとは思います。「relief our country from Hansen's disease」とでも訳すのでしょうか、無能力を晒しますからこれは止めますが。


> A「救癩の旗印を掲げて隔離を最善と信じ、そこに生涯を賭けた人の思いまでを、私たちには踏みにじる権利がない。」(原文)
>
> そうすると、1995年の時点に於ける「日本らい医学会」は、光田健輔氏に代表される先輩の「らい専門医達」を非難する権利がない、と云っていることとなる。
>
> 日本語で、この「学会見解」を読んだときにも、上記の部分は非常な違和感を覚えましたが、英訳を読むと、要するに、「我々は、光田健輔氏に代表される先輩を非難する権利を持たないけれども、癩予防法は廃止する」と云う当時の学会の意向がより明確になったと思いました。

全くその通りに私も理解していました。


> それにしても、「強制隔離政策によって生じた患者の悲惨さについて反省が求められる」という結びの言葉と、強制隔離政策を定め、それを廃止しなかったことに責任を追う先輩達を「我々は非難する権利がない」というその直前の言葉との間には、驚くべき矛盾がありますね。

そうなのですね。今読んでいる和泉眞蔵さんの本の中にもこうあります。

「2004年(平成16)五月、ハンセン病資料館の見学者(看護学生)に対し成田(稔 ハンセン病資料館運営委員長―リベル注)は、父親がハンセン病の場合は治療中であっても菌検査が陰性になるまで子供を抱かせてはいけないし、母親が患者の場合は授乳してはいけないと講義し、資料館はその記録を印刷して見学者に配布している。現在の日本のハンセン病医学や啓発活動に内在するこの思考停止状態には戦慄を禁じ得ない。」

まだ、平然と、矛盾は横行し続けて居るのですね・・・。まさに慄然とせざるを得ません!


実は、あのIchiroさんの文章を、そこまで読み込んではいませんでした。目から鱗が落ちた感じで、田中さんに、とてもとても感謝しています・・・。


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Re: らい予防法 投稿者:田中  投稿日:12月27日(水)21時52分14秒   引用  編集済
リベルさん、皆さん、この掲示板でははじめての投稿ですが、どうかよろしくお願いします。

ichiro 先生の投稿に対するコメントです。

>  福西先生の Japanese leprosy prevention law
> Ichiroの Japan's leprosy prevention law to disappearを検討しましたが、これが正しい(The Star 50,4,及び5,1995に投稿されたもの)
>
>  先輩を擁護した文章の英文は:
>  Finally, we think that we do not have the right to trample down the will of our predecessors, who believed that the isolation of the patients was the best way and devoted their lives to this belief, under the banner of relief for the HD patients. But when listening again to the grieving cries of peole who were separated from their families, the Japanese Leprosy Association has a need for serious reflection on its having shut its eyes to such cruelities. (Dr. Fukunishi)
>
>  同じ日本語を翻訳したのである。時期的にみて、同じごろ投稿しているので、お互いの英文は見ていない。
> We have no right to condemn our senior leprologists who advocated isolation under the banner of the "salvation" of patients with Hansen's disease. However, we must listen to and hear the pitiful cries of those who have been separated from their families because of leprosy stigma. Reflections and self-criticisms are urgently needed.(Ichiro)
>

この箇所は、1995年の「「らい予防法」についての日本らい学会の見解」の以下の文の英訳ですね。

「救癩の旗印を掲げて隔離を最善と信じ、そこに生涯を賭けた人の思いまでを、私たちには踏みにじる権利がない。しかし、無謀な強制隔離によって、肉親と引き裂かれた人の悲痛な叫びに、今、改めて耳を傾けながら、これほどの無惨さを黙視したことに対し、日本らい学会には反省が求められるであろう」(原文)

「学会見解」のこの部分の、Fukunishi および ichiro 両先生の英訳を読んで、この学会見解についてあらためて以下のような疑問を感じました。(新しい論点ではありませんが、英訳することによって明白になった問題点です)

@「救癩の旗印」という日本語が、

「ハンセン病の患者の救助の旗印(Fukunishi 譯)」あるいは
「ハンセン病の患者の救済の旗印 (ichiro 譯)」

と英訳されています。そこには、原文にない「患者の」救済ないし、「患者の」救助という言葉が補われている。

しかし、「救癩」とは、はたして、「患者の救済」「患者の救助」を目指していたのだろうか。

当時の文献を見る限り、「救癩」とは、第一義的には個々の患者の救済ではなく、日本という「祖国」を、癩病から「救済」することを意味していたことは、「祖国浄化」という言葉が多用されたことから解ります。「祖国浄化」という旗印を個々の「患者の救助」と混同することはできないのではないか。

A「救癩の旗印を掲げて隔離を最善と信じ、そこに生涯を賭けた人の思いまでを、私たちには踏みにじる権利がない。」(原文)

これについてのichiro 先生の英訳は、そのまま日本語に直訳・復元すると

「ハンセン病の患者の「救済」の旗印のもとに隔離を唱道した先輩のらい専門医たちを非難する権利は我々にはない」

となりますね。日本語では、「生涯を賭けた人の思いまでを」という書き方であるために、それが、誰を指すのかが曖昧ですが、ichiro 先生の英譯では、「隔離を唱道したらい専門医たち」とストレートに訳している。(leprologist は Oxford English Dictionary によれば 「らい病の専門医」 medical experts of leprosy disease  です)

そうすると、1995年の時点に於ける「日本らい医学会」は、光田健輔氏に代表される先輩の「らい専門医達」を非難する権利がない、と云っていることとなる。

日本語で、この「学会見解」を読んだときにも、上記の部分は非常な違和感を覚えましたが、英訳を読むと、要するに、「我々は、光田健輔氏に代表される先輩を非難する権利を持たないけれども、癩予防法は廃止する」と云う当時の学会の意向がより明確になったと思いました。

それにしても、「強制隔離政策によって生じた患者の悲惨さについて反省が求められる」という結びの言葉と、強制隔離政策を定め、それを廃止しなかったことに責任を追う先輩達を「我々は非難する権利がない」というその直前の言葉との間には、驚くべき矛盾がありますね。


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炭疽菌 投稿者:Ichiro 投稿日:12月27日(水)12時59分16秒   引用
炭疽菌

 らい菌は比較的早期に発見された。(1873) 結核菌(1882,Koch)より早い。しかし細菌としては 炭疽菌が先である(1840)。よく間違える人がいるらしく Hilson教授(細菌学)がStarに書かれていた。48:3,1,1989.

 KochとPasteurが君臨していた世界である。Hansenはよくやったというべきであろう。

 炭疽菌とは生物化学兵器になる怖い菌である。もともと動物にいて、稀に人間の皮膚に病変を作る。私の同僚が発表している。これは生物兵器になることがわかる前である。
 日本医事新報に、ソビエトのある町に発生した炭疽菌による大悲劇を読んだことがあるが、今インターネットで検索しても、町の名前はわからなかった。研究所の煙突から散布されたのだったか、恐ろしい話である。

 学者の競争:Hilson 教授(前述の教授)はらい菌が胸腺欠乏マウス(ヌードマウス)で繁殖するという大発見をしたのであるが、日本の高坂健二教授も発見されている。どちらが先に発表したのだろう。Medlineで検索してみよう。

 nude mouse と leprosyで検索してみよう。出たものはdateで並び変えをする。
 Repuro 45:177,1976
Nature 262:399,1976
高坂教授が先である。
 もう一つ The Starの同じ号に書かれた高坂教授の文献はご自分の論文を先に書いておられる。

 しかし、
 日本らい学会雑誌の月は 如何 :7-9月号
 Natureの発行日は 如何:7月29日

この判定は、これだけでは判らない。牧野先生教えてください。
 調査するなら、その論文のacceptの日日まで問題にするが、The Starには記載がない。

 蛇足ですが、received(受付)とaccepted(受理)は意味が違う。前者は雑誌社に論文が到着した日時であり、後者は編集委員会(委員長)が受理と決定した日日である。私の論文で1年ばかりして受理したのもある。

学者の戦いは厳しい。なお、検索して判ったいろいろがあるが省略する。Medlineがインターネットで自由に検索できるのは有り難い。実は小生は、Medlineの初期の欠点について書いたことがあるが、現在のMedlineには満足している。
(リベル) Ichiro先生は「wikipedia」というオンライン百科事典の「ハンセン病」のページをご覧頂いていますか。実は一週間ほど前から「蜂谷」という人が「医学的分野」について大幅な加筆を行っています。一度ごらん頂いて、変なところが有ったら、直して下さい。誰でも自由に加筆・編集が出来ますから。本領を発揮なさってください。私奴は「韓国・台湾」関係をドサット投稿しました。色々修正を加えられましたが、大事なのはその元原稿を提供することですから・・・。

一度是非、トライなさってください。「編集戦争」とか称する修正合戦も起きたりで、なかなか面白いのです・・・。(12.28 00:52)


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田舎の親父が 投稿者:北風 投稿日:12月26日(火)21時11分23秒   引用  編集済
自転車で自損事故を起こし、脳挫傷の疑いで病院のICUに担ぎ込まれた連絡があって、もしものことがあっては寝覚めが悪いので、見舞いに行ってきました。

自転車でガードレールの間を、かっこよくひらりとすり抜けようとして引っかかって、したたか頭を打ったらしい。

昨日今日とCTスキャンをとって、脳内出血も止まって血も引いているようだし、一般病室に移ってもいいということで、いったん帰ってきました。

大丈夫かい。大変だったね。

うん。みんなに心配掛けてすまん。君も忙しいのによく来てくれた。

いやなに、暮れに入って忙しいのは金ばかり・・・。

なに、よく聞こえないね。
(こういう時だけ耳が遠くなるなよ)

しかし、この事故でわしは、一つ教訓を得た。

なんだい。

うむ。冒険はいかん、冒険は。君も注意しなさい。

はい。しかし今さら言われてもねえ。とうさんも87になって始めてその教訓を得たのかい?

うむ。この教訓を得たことで今度の事故も、あながち無駄ではなかった。

ばかばかしいから、帰ります。
(リベル) こんな夜中に、また大声を出して笑わされてしまいました。人の心をつかむのが、お上手だから、参ります。心が笑っているのが伝わってくるのです。作家におなりになれば如何でしょう、書くほうにお回りになっては、と真面目に思います・・・。(12.26 23:50)


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らい予防法 投稿者:Ichiro 投稿日:12月26日(火)20時40分9秒   引用
らい予防法は leprosy prevention law です。

 福西先生の Japanese leprosy prevention law
Ichiroの Japan's leprosy prevention law to disappearを検討しましたが、これが正しい(The Star 50,4,及び5,1995に投稿されたもの)

 先輩を擁護した文章の英文は:
 Finally, we think that we do not have the right to trample down the will of our predecessors, who believed that the isolation of the patients was the best way and devoted their lives to this belief, under the banner of relief for the HD patients. But when listening again to the grieving cries of peole who were separated from their families, the Japanese Leprosy Association has a need for serious reflection on its having shut its eyes to such cruelities. (Dr. Fukunishi)

 同じ日本語を翻訳したのである。時期的にみて、同じごろ投稿しているので、お互いの英文は見ていない。
We have no right to condemn our senior leprologists who advocated isolation under the banner of the "salvation" of patients with Hansen's disease. However, we must listen to and hear the pitiful cries of those who have been separated from their families because of leprosy stigma. Reflections and self-criticisms are urgently needed.(Ichiro)

Starの編集部も全く同じ投稿が送られたのでびっくりしたらしい。元の日本語は同じでも英文では異なるのは 上に示すことでわかる。
(リベル) わあ、英作文ですね。学者さんには必須ですよね。これは参ります。私が孫に自慢するのは入試で「孔子は居留守を使いました」を英訳できたことです。これは、しかし、如何にも入試向けで、実践向けではないですね、今にして思えば・・・。(12.26 23:55)


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カラオケの続き 投稿者:Ichiro 投稿日:12月26日(火)18時51分4秒   引用
カラオケ(2)

 前の続きです。入園者や老人と仲良くなるのには、カラオケがいいだろうという話です。

 入園者から琉球民謡を習う。Ichiroです。

 菊池恵楓園にいたときは、(1989−1995)カラオケ嫌いで通した。盆踊りの恵楓音頭には熱心だったが、サマニナッテイナイネエと入江信さんに笑われた。それくらいの冗談は言える仲である。ロボットの踊りのようだったかもしれない。運動は昔から下手だった。野球もボーリングも下手である。

 しかし、沖縄にいくことになって、決心した。カラオケを始めよう。当時はなぜか、「島唄」が流行していた。NHKの大河ドラマも影響があるか。しかし、この唄、難しいなあ。

 その前、1966年の沖縄学童検診に参加して、一つだけ沖縄民謡を覚えた。西武門節(にしんじょうぶし)である。

 1995年に宮古に赴任した。Kさんという力強いオバー(沖縄では、愛称)が教えてくれることになった。那覇で、踊りのお師匠さんに習っていた時に発病した人である。差別の中、二人を育て上げた鉄の意志の人である。校長先生にも文句をいった人である。

 70周年記念誌(宮古南静園)にはKさんは、「学級迫害」という題で詳しく書かれていた。

 沖縄は民謡舞踊の国である。最初に習ったのは「ラッパ節」これを園の会に出した。4人くらいで踊るのであるが、下手だったから目立ったかもしれない。最初はやさしいからといって、「島の女」がありました。あまり文句をいわない人であったが、沖縄独特の ti についてはやかましかった。chi は不可ということを徹底的にしごかれた。
 今となっては、カラオケで歌える歌も増えた。毎月曜と金曜にカラオケが出来る園である。不幸があったら取りやめである。

 外の人が歌わないので私が歌って外の人が踊る唄。宮古南静園の話である。
 張水のクイチャー(最初の張にはサンズイがある)人頭税がなくなったという報道に接して歓喜の声を張り上げて海岸で踊ったというクイチャーである。外に好きな唄を並べる。
 伊良部とうがにー、家内(きない)和合、なりやまあやぐ、豊年の唄、汗水節(あしみずぶし)、西武門節、黄金の花、島唄、ていんさぐの花

 かにく畑(にんぐるま) これは通信カラオケには出てこない。4分の3が囃子で、要するにあの畑の女としたいという、物騒な唄である。ハハハ

 外に、民謡で、歴史上、上からの圧制をこらえた面が見えてくる。上田長福さんという、前のなりやまあやぐ、を覚えていた人に会ったのは感激であった。その内容は 恥ずかしくて とてもかけない。


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一つ発見。英語の年表 投稿者:リベル 投稿日:12月26日(火)14時02分3秒   引用  編集済
こんなサイト「FindArticles」が有りました。1984年以降の世界中の新聞(日本は共同通信だけ?)・雑誌記事を集めまくって、検索できるようにしたもののようです、と言うのはまだ良く読めていないので・・・(恥)兎に角「leprosy」で1990件ヒットするから凄いです。

ある意味では「Google」、「Yahoo!」の検索の「穴」を突いている検索サービスかもしれません。その中に共同通信、2001年5月28日のこんな年表がありました。「ハンセン病・和英辞典」も兼ねるかと、只今、興味津々です。逆にあちらのサイトの検索に使えますから。

兎に角「らい予防法」は「 Leprosy Prevention Law 」だと、初めて知りました。感激(恥)

「Nov. 1930 : Japan's first state-run sanatorium, Nagashima Aiseien, opens in the town of Oku, Okayama Pref.」

この一行が、辞書を引かずに分かったので、これまた嬉しくなりました。この程度です。私の英語力。「半分以上ローマ字じゃねえか!」。「ごもっとも!」。

しばらく楽しめる玩具が見つかったようです・・・(笑)


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看板の架け替え 投稿者:リベル 投稿日:12月26日(火)12時16分17秒   引用
黒板風にしたかったのですが、取り敢えずはこれで・・・。

黒板風を探します・・・。

うん、これも、なかなか、良いかな・・・?・・・自画自賛!!


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へしこ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月26日(火)07時55分38秒   引用
niftyで検索しましたら、1万件以上ヒットしました。

 そんなにおいしいのですか。インターネットは素晴らしい。

 Ichiro


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「へしこ」って何でしょう? 投稿者:リベル 投稿日:12月26日(火)05時10分50秒   引用
先日、「へしこ」を食べました。久し振りで、もう最高、焼酎が滅法美味くて・・・。

「へしこ」は大辞林、広辞苑にも出ていません。日本国語大辞典に[方言]として、富山県と福井県の地名が出ているだけです。検索でWikipediaの解説が、一番良し。またWikipediaが私の中で点数を上げました。

私は60歳を過ぎるまで名前すら知りませんでした。定年後家内の実家に勤労奉仕に行くようになって、そこで近所のお婆ちゃんが下さる自家製の「へしこ」に出くわしました。これは一度食べたら、もう忘れられない絶品でした。

でした、というのはそのお婆ちゃんが、お亡くなりになって、手に入らなくなったのです。そもそもが若狭湾のものなので、何故大江山の麓で作られていたのかは不明です。最近関西のTVで、ハイヒール桃子というタレントさんが、舞鶴の或る店から取り寄せて食べている、という話を、間を置いて二度聞きました。店の名も。

で、思い切って取り寄せました。やはり、美味い。あのお婆ちゃんのよりチョット落ちるかというのは、絶対に気のせいだと思います。薄く切って刺身で、必ず山葵を忘れずに、食べる。もう酒の味が倍増すること請け合いですぞ・・・(笑)

どうしてもと仰る方には、この店の名前を耳打ちしますぞ・・・。正に折紙つきの店名を・・・。


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朝鮮らい予防令 投稿者:Ichiro 投稿日:12月26日(火)03時32分56秒   引用
朝鮮癩予防令は 1935年4月20日、朝鮮総督宇垣一成により公布された。同予防令は同年6月1日施行された。

 とあります。4月20日「朝鮮癩予防令施行規則」が定められた。
 「朝鮮ハンセン病史」による。くわしい経緯も書かれています。
 ということで、当時は韓国だけでなく、現在の北朝鮮も含めると書いてください。

 廃止は書いてありませんが、敗戦により法的なものは、どうなったのでしょうか。

 台湾はらい予防法が、1962年まで施行されていたのですね。宮古南静園には、小生が勤務した時に、戦前、台湾の療養所におられた方が2名いました。1回、うちの訪問団が、訪問しました。小生がいくと色々問題がありそうで、一人の医師を同行してもらいました。
(リベル) 有難うございました。やはり、廃止の年月日は分かりませんか・・・。アメリカにはこういうものの年表は無いのでしょうか?一向に見かけませんですね。チョット頑張ってみます・・・。(12.26 04:33)


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韓国、アメリカのらい予防法は 投稿者:リベル 投稿日:12月26日(火)00時37分2秒   引用  編集済
和泉眞蔵さんの本に、らい予防法は、韓国とアメリカでは1960年代の末には廃止になっていたと書いてあります。韓国はモグネットの年表が一番詳しいのですが「癩予防令」が1935年に公布というのはあるのですが、廃止が書いてありません。アメリカは年表がありません。

どなたか、この二つを確認する方法をお教えください。よろしくお願いします。

なお、台湾が1962年廃止、琉球政府が1972年廃止なのは、判明しています。


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要石(かなめいし) 投稿者:Ichiro 投稿日:12月25日(月)21時49分42秒   引用
沖縄に関しては米国人は血で贖ったという感覚があるのでしょうね。

 Ichiroです。役に立たない奄美大島は 道路もろくに作らずに返したくせに、沖縄では昔はB29が道路に降りれるような写真もみました。何故か鳥居も気に入って、どこかの軍のマークにしています。Okinawa is a milestone of the Pacific. はそういう感覚を物語っているようです。近くに特攻隊の基地があったので、国頭愛楽園を攻撃した米軍は、気にしたようで、何回も訪れ、訪問したりしています。当然、それは宣伝ですので、軍のカメラマンを連れていき、結局、そのネガが残っているので、私たちは、当時の有様を知ることができます。ここで、米軍とハンセン病について書く、気持ちはありませんが、リベルさんに釣られて書いてしまいました。これでオシマイ。
(リベル) 分かりました。ご免なさい。今日歩きながら思っていたのです。アメリカの世界戦略の一環なのだろうと。環太平洋諸国の一つであるアメリカにとって、日本と中国を牽制、抑止するためのいわば橋頭堡として、沖縄の意義は大きいのだろうと。「milestone」はこの場合は「標石」ではなく「歴史上の画期的出来事」の意味で用いられているのですね。(12.25 23:27)


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某先生のお宅に暮のご挨拶。 投稿者:北風 投稿日:12月24日(日)12時23分47秒   引用  編集済
【追記】ちょっと気になって、検索してみたら必ずしも下記の話は「新説」でなかったり、正確でない部分もありそうですが、これは聞いたおいらが未熟なためにそう聞き取ったのかもしれません。先生の名誉の為に付記していきます。


のっけから、

君、鬼に金棒の初出はなんだか知ってるかね。

はい?・・・・・。

これは、日蓮ですよ。日蓮の消息の中に出てくるんだよ。どの辞書にだってこのことはでてこない。日蓮はいまの言葉で言えばフェミニストですね。何で何とか学会とかあっちのほうにいっちゃったんだろうね。
それから「名」と「名前」はどこが違うかわかるかね。

はい?・・・・・・。

だって「名をあげる」というけれど、「名前をあげる」って言わないでしょ。
この「前」ってのが不思議なコトバでね。男前とか気前がいいとかの「前」と同じなのか。同じとすればどういう意味があるのか。
そうそう、君。「馬鹿」ってなぜいうかわかりますか? これは広辞苑なんか、元は梵語で僧侶の隠語なんていっていますが、インチキです。これはもともとは、乱暴者の意味で、太平記に出ていますよ。多くは破家と書いていますが、馬鹿も使っています。破家はれっきとした中国語ですから、これは梵語からなんてとんでもない漢語ですよ。
コトバってわからないことだらけなんだよ。僕は時間がおしくて仕方ない。ですから、君と散歩するのは僕の大サービスなんです。

はい。

そりゃそうでしょうね。国語研究所の最新版の日本語語彙集は9万語収録だそうですが、その一つ一つに、そういう疑問を持ってさらにそれを体系化しようとすれば、年取ったり死んだりする暇がない。

ちなみに、その先生は小学校の先生をしていたとき、子どもの「なぜ?」の答えられなくて大学に入りなおして世界的な言語学者(とおいらは思っているのですが、あまりの孤高の為に毀誉褒貶の激しい方です)になった碩学です。

先生はずっとしゃべりっぱなしで、おいらはお説を拝聴しながら鎌倉市街のお宅から極楽寺、由比ガ浜とお供して稲村ガ崎に沈む夕日を眺めてまいりました。
貴重な一日でした。
(リベル) さあ分からない。最初に浮かんだのが白川静さんだけど、故人。大野晋さんか、北原保雄氏か。でもお二人とも孤高でもなし。残念ながら、私の知識はそこまで。「日本語語彙集」で検索しましたが、それらしいのが無し、で歩きに出ました。さあ誰だろう?「鬼に金棒」「名と名前」「馬鹿は破家」と面白い話題は由比ヶ浜の真砂に引けを取らない。うーむ、どなたなのか?とうとう首を傾げたままで帰ってきました。

爽やかな一日を、心から羨ましく思いました。さて、稲村ヶ崎の夕日の後、何処で一杯おやりになったかが、洩れていますが・・・その酒もまた一段と旨かった筈なのに・・・(涎) (12.25 00:49)


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リベル様 投稿者:Ichiro 投稿日:12月24日(日)07時05分22秒   引用
いつも守って頂いて感謝します。

 Ichiroです。以前は本名ででていましたが、ストーカーの様な人がいて、閉口しました。
 ●子と名乗っていましたが、男性のようでした。私はこの名前を見るたびに、狂気を思い出しました。そう、lunaticです。

 色々な人が色々言っています。医師の説明は最も和泉先生の説明が説得力があります。

 一里塚は、英語のmilestoneにピッタリカンカンですね。熊本には江戸に向かう古い道があり、一里木、ニ里木、三里木と大きな杉の木がありました。これは阿蘇まで、色々な形で残っています。
 沖縄にいた時に、Okinawa is a (the?) milestone of the Pacificという言葉がありました。要石と翻訳するのでしょうね。
(リベル) 「かなめいし」はひょっとしたら名訳ではないか?と辞書を引きましたが、そうでもなかったので、ガックリ・・・。「一里木」は面白いですね。辞書に無かったので、検索したら、先ずバス停が出たのでビックリ。Okinawa is a milestone of the Pacific.は検索でこのままの言葉が出たので、これまたビックリ。でも中身はチンプンカンプンでしたが・・・。Ichiro先生、トライして下さいませんか(笑) (12.25 01:03)


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旧聞に属する話ですが・・・ 投稿者:リベル 投稿日:12月24日(日)01時39分2秒   引用  編集済
と言っても、一週間前でした。「夕焼けさんにお答します」と題した投稿の中でこんなことを書いています。

「支援」と一口に言っても、療養所で黙々と介護する方、研究論文で掘り下げようとする学生さんから、各支援団体、弁護団、和泉眞蔵氏、中村哲氏などなど、それこそ多様な「支援の態様」が有ります。

そして「支援する心」も「怒り」、「苦しみ」、「正義感」、「同情」、「研究心」などと、また多岐に渡ると想像します。

そういう意味でやはり”「千差万別」で良いに決まっています”と私は書きました。私の場合は「怒り」に発したのだ、と言いたいがために・・・。


ここでフト思ったのですが、「苦しみ」と書いたのは何故だったか?

ここで、実はしばらく中断して、思い出そうと苦しみました。何か最近映画か、本か、新聞かで読んだのが思い出せません。「支援」活動をしないと、苦しいから、そういう生き方を選んだ人が居る、と記憶があって。一遍上人、シュバイツアー、親鸞、・・・。発見しました。「灯台下暗し」!「医学的知見の変遷」のページ作りのために、毎日手にしている和泉眞蔵氏の「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」の27頁でした。

インドで学んだことと題して、和泉さんは「とてつもなく大きな教訓を得た。その想いは今日でも私の国際協力の中で生き続けている」と書いて居られます。

それは、インド政府のハンセン病対策の責任者、K・C・ダス先生の次の言葉です。

「インドには多くの外国人協力者が来ているが、この人たちはインドにたくさんのハンセン病患者がいるのを知り、それを放置していたのでは自分自身が幸せな気持ちで生きて行けないと感じているのです。つまり、インドのハンセン病患者のために働くのは、自分が幸せな人生を送るためなのです」これを聞いて和泉さんはまさに絶句します。

そして、和泉さんはこういう想いに到達するのです。

「本当に助けを必要としている人に救いの手を差し伸べた時、本当に救われるのは助けられた人よりも手を差し伸べた人自身なのだ」

じつは、ここからが本題なのですが、和泉眞蔵氏の「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」の27頁を見付けたとき、嬉しくなって、家内に

「いや、苦労して探していたのが、目の前にあったよ。こんなことが書いてある、まあ読んでご覧。」

と言ったら、黙って読んでいました。読み終わって、しばらく、「間」があって、

「私に一言、言ってくれたら、苦労しないで済んだのに・・・」、
「えっ!」、
「この前私に、これ読んでみろと言って、読ませたじゃない」

背筋に寒気が走る、と言いますが、その時の私は正にそれでした。もう本当の「恐怖心」を覚えました。あの「間」は何なのだ?。こうやって「認知症」が始まるのか・・・と、本気で思ったからです。

あと一週間で、新年です。又一つ年を取らなければなりません・・・嗚呼!


   門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし   一休宗純


江戸より二十三里と書いてあります



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10分テープ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月23日(土)07時42分5秒   引用
入園者や老人と仲良しになる手段としてカラオケがいいと考えている。

 Ichiroです。

 昔の馴染みのメロデイを歌い、昔を振り返り、脳を刺激し、いい気持ちになる。
 肺を動かして、肺炎の予防になる。
 まだ他にいいことありそう。
 菊池恵楓園と、宮古南静園に勤務していた時は、相当状況が違っていた。
 前者の場合、寮を2つ担当していたが、開棟記念日とか、正月とか、年に数回、記念行事があり、カラオケをする。昼からであるがビールが振舞われる。(今はどうかしりません)皆和気藹々であるが、目が不自由な人が多いので、カラオケはテープである。目が不自由な人は、記憶だけで、素晴らしい歌を歌われる。私たち職員は歌詞カードがいるのであるが、自分の歌うところは、10分テープで、歌を録音しなければいけない。盲人会館と老人会館にいって、たくさんある元のテープから、係りのひとにいって、録音してもらう。勿論古い歌ばかりですねえ。
 余りカラオケは熱心でなかったが、宮古にいって、熱心になった。教えてくれるお姉さまがテグスネ引いて待っていたのである。


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余談ですが:飛行機雲 投稿者:リベル 投稿日:12月23日(土)01時02分21秒   引用  編集済
私は、勝手に飛行機雲を三種類に分けています。

1)機体だけで、飛行機雲が無い

2)機体の長さの10倍ほどのごく短いもの

3)空の端から端までほどの、うんと長いやつ

1)はキッパリしているがアッサリ過ぎて・・・
2)が彗星のようで一番美しい・・・
3)は最後の方が拡散して、余り美しくない。その上、翌日の雨を予兆しているし・・・

で、2)の短いのが一番心地よく感じます。3)の予報は少し眉唾です。というのは先日、この三種類が同時に空に有ったからです。これは恐らく高度のせいだと思うのですが、翌日どうだったか、覚えていないのが残念です。

バス停に毎日約20分は座っているその北の空に、東西を結ぶ航空路が有るらしくポケーッとそうやって空を視ています。最近、飛蚊症が無くなりました。治ったのかというと逆で、それこそ拡散して、視野全体に泡状に広がっただけです。少し不安がよぎりますが、まあ、身体の方が先だろうと、楽観視して、いて良いのかどうか・・・


こんな写真ばかり写している人も・・・
明日も天気は良さそうです。写真の下のURL。

http://www.bosaijoho.go.jp/radar.html



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消えた? 投稿者:あれ? 投稿日:12月22日(金)09時13分37秒   引用
日本ハンセン病学会は回復者の方もおみえになる学会です
(リベル) やはり、削除されそうなことを書いているという、自覚はおありになるようですね・・・。ご希望にお答する用意をしておきました。↑ (12.22 12:12)


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訂正 投稿者:Ichiro 投稿日:12月22日(金)07時50分55秒   引用
訂正

 Stanley Steinのカービル入所は1931年、完全失明は6年後というので、The Star誌創刊の1941年は完全失明ということでした。

 なお、The Starは 啓発誌としてはお手本的な 記載があります。
 The Starから、というcreditを入れれば、転載オーケーと高らかに書いてあります。

 夕焼けさんなどの発言を読みました。このブログはどれくらい読まれているか、知りませんが、
 読んでおられる方は 時々声を発していただきたいと思います。


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さとう さんの提起が・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日:12月22日(金)06時41分2秒   引用
 私は、今回のさとうさんからの提起『「回復者の方もお読みになるBBS」だからという発想をまず取っ払いませんか。』で、
 2005年の5月・・・、ハンセン病市民学会の設立総会でのフロア内からの貴重な提起を思い出してしまいました!?     「遺伝病ではない軽い感染症なのです」

 この時の 衝撃 と、似通ったものを感じてしまいました。

 リベルさんが、仰りたいことは説明を聞くまでもなく、充分に理解は出来るのですが、さとうさんの提起は、北風さんが以前(2005年)投稿してくださった・・・、

らいとハンセン病 投稿者:北風 投稿日: 6月26日(日)11時37分2秒   引用  編集済
1964年につきだまさし、せいすみお、北河内清、島田静雨、しまだひとし、沖三郎、谺雄二、水島和也、くろだよしたか、小泉雅二、西原桂子、中石としお、黒田淑隆、小林弘明、高田四郎、福島まさみを同人として結成された「らい詩人集団」の機関誌「らい」のバックナンバーを手元にあるぶんを見た限り、一切「ハンセン病」という言葉は使われていない。

その「宣言」に。
1、私たちは詩によって自己のらい体験を追及し、また詩をつうじて他者のらい体験を自己の課題とする人々を結集する。
2、私たちは、私たちの詩がらいとの対決において不充分であり、無力であったことを認める。なぜそうなったかの根を洗いざらし、自己につながる病根を摘発することから、私たちは出発するだろう。
3、私たちは対決するものの根強さをようやく知り始めたところである。それは日本の社会と歴史が背負い続けた課題とひとしいものである。だから私たちはらいに固執するだろう。なぜなら私たちじしんの苦痛をはなれて対決の足場は組めないから。
4、私たちの生の本質と全体性としてのらいとの対決への志向が集団の最低限の拘束である。
サークルと詩誌をその拠点としよう。
1964年8月
                 らい詩人集団

ここには、谷川雁の問題提起への明らかな呼応がありますね。

病名問題を「新聞雑誌の上ではほとんど「ハンセン氏病」という用語が、社会的には定着した感じがある。ながい、たゆみない運動の、ささやかだが確実な勝利だといえよう」『全患協運動史』(1977年)とする「患者運動」とは違った、文学する人たちの闘いがあったわけですね。

こうした運動を含め、今回の裁判は、入園者の歴史を被害と加害、善悪、白黒二元に単純化してしまった。もちろん裁判ですから勝つための戦略・戦術は必要ですが、裁判に功罪両方あるとすれば、マイナスの一面ではないでしょうか。
これからは入園者の歴史は、被害と加害の二元論から、もともと存在した幅と厚みを取り戻して行く作業が必要ではないでしょうか。
それは入園者ではなく、我々が、ハンセン病の歴史から学ぶ中で行うべき作業ではないでしょうか。日暮れて道遠し。


 北風さんからの、この課題は、常に持ち続けたいと、私は考えています!

 特に、今、話題になっている、「呼称の問題」は、

『3、私たちは対決するものの根強さをようやく知り始めたところである。それは日本の社会と歴史が背負い続けた課題とひとしいものである。だから私たちはらいに固執するだろう。なぜなら私たちじしんの苦痛をはなれて対決の足場は組めないから。』

 この「3、」も充分すぎるほど議論し、理解された後での、『呼称問題』であって欲しいと思っています。

 導き出す、努力と行為が「支援者であれば求められている気がしてなりません」

 回復者 支援者 を、一括りで論じる時には、機微にも似た心の持ちようが求められているような気がしています。

 藤本松夫さんの 死 を、見詰めて行けば行くほど、「お偉い市民学会の先生方は、なぜ?映画製作過程時に、適切なアドバイス(論議)が成されなかったのか?」が、ついて回り、この「呼称問題」の一義的な取り様からの示唆に対しても先生方に“投げ掛けて”みたくなりました。

私自身もですが、「可哀そう!同情!」の域を越える、「壁」の存在があることを意識しておきたいと思っています。


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夕焼けさん、北風さん、Ichiroさん、さとうさんへ 投稿者:リベル 投稿日:12月21日(木)23時11分8秒   引用  編集済
>意見は変えませんが、以後、アクセスはしませんのでご安心ください。ご迷惑をおかけしました。お詫びいたします。

>リベルさんが「宝剣」をぬかなかったようでほっとしました。
まあそういわずに、忌憚なく話してください。


何もかも、私の神経過敏(敢えて”耄碌”と言わないこの頑迷さ)のせいで、「悪意」や「底意」を勝手に感じて、天手古舞いしてしまったようで。正に噴飯ものですね。

冷静な議論と、ご忠告を拝読、再読、三読して、反省。さっさと「アクセス禁止」は中止しました。お詫びしなければならないのは、私の方です。さとうさんこれに懲りることなく、またお出でください・・・m(_ _)m



しかし、だからと言って、誤解を解こうという努力まで放擲してしまってはいけませんね。

>「回復者の方もお読みになるBBS」だからという発想をまず取っ払いませんか。

「回復者の方もお読みになるBBS」というのが、一人歩きをさせられているのではないでしょうか?Ichiroさんの文章をもう一度書きます。こうあります。

「病型のことは普遍的な話ですが、また差別を醸し出す可能性があるので、中止します。本当は、この様な素晴らしいスペクトラムは 他の疾患にないこと、などを書きたかったのですが。」

「この様な素晴らしいスペクトラムは 他の疾患にはないこと」とあります。これは例えば「日本ハンセン病学会」の演壇上で発言されても看過されるでしょう。しかし「市民学会の総会」の演壇ならどうでしょう。

「素晴らしい」というのは医家の主観です。繰り返しますが、医家仲間での発言なら、差し支えないのでしょうけど、「回復者の方もいらっしゃる総会やBBS」では、これは慎むべき、無用の修辞語だと私は思います。

そういうことが言いたいのですが、如何なのでしょう。ご意見や反論をお待まちしています。さとうさん、アクセス禁止はしていませんよ。それとも、こんな分からず屋には、言っても無駄だと・・・まあ、そう仰有らずに・・・。

ただひとつ、お願いすることがあるとすれば、他の人々の尊厳に対する「リスペクト」です・・・人間としての、最低限の・・・(また、物議を醸すかな・・・笑)


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Re: 出し遅れの証文 投稿者:北風 投稿日:12月21日(木)22時24分58秒   引用  編集済
>
> 意見は変えませんが、以後、アクセスはしませんのでご安心ください。ご迷惑をおかけしました。お詫びいたします。

リベルさんが「宝剣」をぬかなかったようでほっとしました。
まあそういわずに、忌憚なく話してください。

【蛇足】念のためいうと、僕は「想像力」と「思いやり」は全く別な言葉として使っています。


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Re: 出し遅れの証文 投稿者:さとう 投稿日:12月21日(木)21時59分42秒   引用
北風さん>

> しかし、その上でリベルさんのおっしゃることが、「はきちがえた同情の裏に隠れた患者蔑視のシッポ」かどうかという問題ですが、これは同意できない。
>


これは誤解です。私の書き方が悪くて申しわけないです。

例えば医師と患者なら、医者の発言の中にはきちがえた同情の裏に隠れた患者蔑視のシッポが見えたときに、なにより傷つく。

患者が医者のことばや表現によって傷つくのは、こちらが相手(医者)の前に、専門家として最大限の敬意と依存とをもって心身をさらけ出そうとしているのに、コミュニケーションの中などで、意識的に用語や表現の言い換え、選別などの「配慮」が行われた時、それを感じ取った時のほうである、無神経に発せられたことばよりもかえって深い傷を受けてしまう、というような意味です。

癌や胃潰瘍ならいいのですが、病気そのものが一般には被差別の要素をもっていたり、あるいは社会の中の弱者が医療の場面でも被差別の立場に追いやられがちなケースでは、
思いやり論より専門バカであることが患者にとっては救いになることもあるのではないか。
説明がへたですみません。医療の中ではよく言われることだと思います。アンチテーゼです。


それ以外は弁解はしません。


私の直後のIchiroさんの書き込みを読んでこれ以上は不用だなと思ったもので、
あとはリベルさんがおっしゃるように言いたいことだけを書いた形になってしまいました。ご不快な思いをさせて申しわけありません。


意見は変えませんが、以後、アクセスはしませんのでご安心ください。ご迷惑をおかけしました。お詫びいたします。


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長い道 投稿者:Ichiro 投稿日:12月21日(木)18時27分27秒   引用
長い道

 「らい病」から「ハンセン病」に至る長い道、という題にしたいと思いましたが、長い道としました。

 あるブログで、図書館で図書の分類をいまだ、「らい」のままであるので、「ハンセン病」にする運動が出ていました。この道は未完の道である。

 Stanley Steinの事を書いてみたい。ハンセン病啓発という点では、世界第一(私見)といえる貢献をおこなった人である。ハンセン病患者であった彼は1941年9月 The Starの編集長になり、1967年になくなったが、彼は、leprosyを Hansen's diseaseに変えるのに身命を賭した。その雑誌の50周年記念号でTrautman(有名なハンセン病学者)は、その記念号の当時(1991年)に、彼が生き返っても、HDがまだ、よく使われていないので、がっかりするだろうと述べている。Steinは盲目で有名であるが、最初から盲目であったのだろうか(私見)。


             ターミノロジーに関する編集方針(The Star 1991年)
 The Star stands firm in its opposition to the use of the term "leprosy". We shall never abandon our campaign to secure general acceptance of "Hansen's disease". その後、その雑誌の投稿者の意見や、不可避の場合はleprosyを認めることもある、と述べている。


 The Starの目的:ハンセン病の啓発
         患者さんに職業訓練を(そういえば、この雑誌にはリハビリの記事が多い)
         地域サービス(community service)(はっきりしないが、これも啓発運動かもしれない)

 同じカービル療養所で、プロミン使用開始も同じ年の1941年、このことが大きな刺激になって、雑誌発行となったと思われる。(有効であるとの学会発表は1943年)Trautmanは、この2つのことはハンセン病史上大きな一里塚である、と述べている。(英語milestone)

ところで、この1991年の雑誌には、Steinが"anti-leprosy campaign"をおこしたのが創刊号かどうかは書かれていない。

 最近の話になるが、平沢保治氏の世界ハンセン病紀行(かもがわ出版、2005)によると悲しい事が書かれている。もう使われなくなった編集室を見学されたのであるが、The Starの整理状態が悪く、バックナンバーがあちこちに散乱していたそうです。

 なお、前述の平沢氏の本には現在のカービル療養所の状況が書かれており、日本の療養所の将来に関しても参考になるかもしれません。興味ある人は読んでくださいね。

 リベル様 やはり脇が甘すぎました。私の昔のエッセイで、私はどちらかといえば、理科系だから、●●のような微妙なことは感覚的に捉えられないと書いたことを思い出します。リベル様のおっしゃる事は そうなんだろうと思います。


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出し遅れの証文 投稿者:北風 投稿日:12月21日(木)09時43分11秒   引用  編集済
「さとう」さんのご意見へのレスを一度書いたのですが、これは一義的にはリベルさんのお答えになることだと思ってやめました。

その要旨は、さとうさんの仰ることは、字義的には正しいと思います。
しかし、その上でリベルさんのおっしゃることが、「はきちがえた同情の裏に隠れた患者蔑視のシッポ」かどうかという問題ですが、これは同意できない。

なぜならば、リベルさんの仰ることは「想像力」の問題だと思うからです。リベルさんの菊池先生への「批判」は、想像力の貧困(失礼)を指摘されている。あるいは、自分の発言を客観視するといってもいい。このことは、それに続けビートタケシの例を引いていることでも明らかです。

相手を思い、相手の立場を理解するための想像力や自己の客観視は、差別の解消ばかりでなくあらゆる知的な営為には不可欠だと思いますが、さて、リベル発言の「想像力の問題」という本質に触れず「回復者の方もお読みになるBBS」だからという不用意な(失礼)発言をとらえ、「はきちがえた同情の裏に隠れた患者蔑視」に直結させる論旨には、それがあるのだろうかと思いますね。

ところで、小生はやはり「アクセス禁止」はいかがかと。
サトウサンがどなたであれ、コトバにはコトバをもって対応すればいいと思います。


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補足。 投稿者:夕焼け 投稿日:12月21日(木)07時18分6秒   引用
 「ことば」・・・、思いを伝える道具の一つなのかもしれませんが、本当に難しいですね・・・!

 「暑いからクーラーを!」の、最初の提起を読ませていただいたとき、温度を測る行為は、「クーラーを点けるに値すのか?」と読み込んでいましたが、菊池先生の意図が、点ける行為への説得(裏付け)と、判り・・・、捉え方の相違により、大変な趣きがあることを、実感させられました・・・、・・・・。


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残念というより・・・・・・ 投稿者:夕焼け 投稿日:12月21日(木)06時28分16秒   引用
 リベル様

 私の批判・批評する行為からの機微、と、リベルさんの寛容を目指しながらの機微は、スキルの趣きは違えど、それぞれの尊重は持ち合わせていると 実感 していましたし、とても大事なことと考えています。

 さとう さんの、「回復者の方もお読みになるBBS」だからという発想をまず取っ払いませんか」

 という発信、と、
 「「支援者」という ひと括り で、見て欲しくない!と、強く思います」
と、言う私の思いとが、スクランブルされるのです。

 提起の仕方には、リベルさんの尊厳を蔑ろにしたといえる行為は、ありますが・・・、捉え方・見方によれば、リベルさんの活動を尊び、『敬意からの進言』と、感じたのは私だけでしょうか!?

 ここにも支援の仕方に関わる大きな提起が内包しているようにも感じます。

 リベルさん! 北風さんや匿名希望さんの持つ感性からの機微にも似た感じ方を、私はこの さとう さんより察してしまいました。
 管理者である、リベルさんの「荒らし」とのご判断に、楯突こうなどとは思いませんが、リベルさんがこうして、「発動」します。という断言的な思いを、公表なさっている行為には、先に書きました、「寛容からの機微を目指す」その行為に感謝と、語り合える開かれたBBSという視点からは、嬉・し・さすら感じます。


 それと、―「暑いからクーラー」―という、感性の尊重か? 基準値の尊重か?という憲法論争にも触れる、大いなる問答は無視できないと・・・、感じています。

 私が以前から苦しんでいる「公共の福祉」この部位に触る問題だからです!

日本国憲法
『第13条(個人の尊重,生命・自由・幸福追求の権利)

 すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法その他の国政の上で,最大の尊重を必要とする。』

 菊池先生の提起からの、私見・・・。
 私は、暑いと感じた方の思いを尊重したいと思っています。先生の行為(温度を調べる)は、無駄などといっている訳ではありません! 実際にこの事象同様のことは、人間界に多く存在していると思っていますし、基準値からの総括的の判断は必要不可欠なのでしょう。
 ですが、「暑い」と、感じた方のその要因には、触れておくべきと、思っています、たかが目安を、絶対的という捉え方の示唆からの判断には、私たちは取り返しのつかない結果を生む 恐れ を、常に心がけておく必要を・・・、今、感じています。


 『感性』・・・、菊池先生!私は、この「感性を磨く行為」が、教育の中に、もっと重要視された 浸透 を、望んでいるものの ひとり です。
 多種・多様の中での感性教育が求められているような気がして成りません!知性は、その感性から発する積み重ねであって欲しい・・・、と思います。

 菊池先生、>いつも思うのですが、日本人は感性でものを言うのでしょうか。肝心のことがぬけています。

 先生の仰ることがわからないわけでも有りませんが、感性・・・感情が 考える行為 のさきがけと捉える私にとっては、些か、酷な言葉ではありますし、納得できていない 私 がいます。


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さとうさんに史上初の「アクセス禁止」を発動します! 投稿者:リベル 投稿日:12月21日(木)01時26分11秒   引用  編集済
> リベルさんが「如何なものか」と思われたなら、「如何なものか」とその場で書けばいいだけのこと。
>
> 「回復者の方もお読みになるBBS」だからという発想をまず取っ払いませんか。

問答無用です!人の言っていることを十分理解しないで、自分の言いたいことだけをお書きになる。一番上に書いています。「人を傷付けるのは如何なものでしょう・・・」と。私は大いに傷付けられました。

言葉遣いは丁寧でいらっっしゃいますが、底意のない「反論」ではなく、喧嘩を売りにお見えになったと判断して、このBBSでは唯一の「アクセス禁止」とさせて頂きます。(実際には過去に一度ありましたが、直ぐ解除しました)

「中学生もお読みになるBBS」ですから、アダルト向けの話は止めましょう、と言ってはいけない、と仰有るのですか?何か勘違いをなさっています。(あっ、つい、問答をしてしまいました)

先回もいきなり「差別」ではないかと仰有いました。私は、自分に抜きがたい「差別」する心が有ると、かつて告白しています。そういうこともご存じなく、何か、強いて私を中傷し、傷付けようとなさっています。そこには明らかな「悪意」しか感じられません。一緒に考えて、前へ進もうという気持ちが皆無です。それは流石に、お断りです。

犬に吠えられても無視すれば済みますが、噛み付かれたら、力づくで引き離すほかないでしょう。
(リベル) やはり、書きます。「さとう」と名乗る投稿者はハンセン病のこと、差別のことなどの本質を知らない外部の人と推察します。日本語は巧みですが、本質に対する理解が乏しいのです。このBBSも良く読んでは居られない。又、PCを変えて、お見えになるかも知れませんが、お見かけ次第削除することを予告しておきます。これは新手の「荒らし」に他ならないと、見抜きましたよ、さとうさん・・・。(12.21 02:39)


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Re: さとうさんへお答します 投稿者:さとう 投稿日:12月21日(木)01時12分18秒   引用
リベルさんが「如何なものか」と思われたなら、「如何なものか」とその場で書けばいいだけのこと。

「回復者の方もお読みになるBBS」だからという発想をまず取っ払いませんか。


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リベルさんへ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月20日(水)17時16分5秒   引用
予想外の批判ありがとうございます。

リベルさん すみません。下を見ていませんでした。

 病型分類の建て方が見事というか、座標軸が単純であることです。決して多彩さが素晴らしいとは言っていません。(日本語の下手な所はカンベンしてください)

 ハンセン病に一番近い肺結核を調べてみます。

 ○日本結核学会病型分類は 座標軸として、空洞の有無、異常陰影の性質、活動性の有無、病巣の面積を記載しています。
 ○学研分類というのがあり、これは6つの基本型と断層写真による空洞の有無を問題にしている。
 両者共、座標軸といっていいでしょうが、単純ではありません。

 糖尿病は1 インスリン依存性、2 インスリン非依存性、3栄養不良関連性 4 その他 となっています。病型というより、病気そのものが異なるという印象があります。

 感染性疾患のなかには探せばハンセン病のように単純に軸が定まっているのがあるかもしれません。しかし2つぐらいの病型だろうと思います。見事というのは言い過ぎで、単純な軸で作られている、と言い直します。

 学者はケチをつけるものでして、ハンセン病医学では、移行があるので、これが最終的でないということをほのめかしていますが、私自身、病型の中央にあるものは、移行があるのがハンセン病の特徴と思っています。軸が移動し、らい反応が出現します。
 軸の両端の病型は 極型 polar といい、TTp, LLpは 移行しません。

 分類をしてL型の人が差別されると困るなと思いましたが、WHO分類でmultibacillary(多菌型,MB)も、paucibacillary(PB,小菌型)も、隔離が必要ないことを申し添えます。


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さとうさんへお答します 投稿者:リベル 投稿日:12月20日(水)12時32分47秒   引用  編集済
お取り上げになった、投稿の少し前の「12月19日(火)12時59分35秒」のIchiroさんの投稿が出発点ですので、それをもう一度読み返してみます。

「病型のことは普遍的な話ですが、また差別を醸し出す可能性があるので、中止します。本当は、この様な素晴らしいスペクトラムは 他の疾患にないこと、などを書きたかったのですが。」

私はここに書かれている「スペクトラム」を「多彩性」と理解しました。ここでは「病型」が多彩だという意味で使われています(この多彩さについては「病型分類について 投稿者:Ichiro 投稿日:12月18日(月)17時42分39秒」をもう一度ご覧ください)。そしてその多彩さが素晴らしいと表現されています。それはしかし、医家仲間で会話をする場合の表現なのではないでしょうか。

それは、回復者の方もお読みになるBBSでは、慎むべき表現なのではないかと思います。私は、さとうさんが仰有るように、<回復者の方もお読みになるこのBBSで使う「表現」>をせよ、などと「表現」を強要するつもりは、全くありません。
「病型の多彩さが素晴らしい」と言うのは如何なものか?と言いたいだけなのです。


これで、説明できたのか、かなり不安ですが、歩きに出る時間が来ましたので、ご意見をプリントアウトして、じっくりもう一度、読ませて頂きます。

存分な反論を、お待ちしております・・・では行って参りまあす・・・。


迷いましたが、やはり付け加えます。私は実は菊池先生とは、タダナラヌ仲なのです(笑)はい、実は、ここでお話しするだけではなく、入手不可能な貴重な専門資料をお送り頂いたりしています。なので、「イビル」ようなことは、するわけが有りません(そうでなくても「イビリ」は嫌いですが)。言葉の端々に「愛情」が見え隠れしないように、気を遣うことこそ有れ・・・。


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割り入って申しわけありませんが 投稿者:さとう 投稿日:12月20日(水)11時32分39秒   引用
12月19日(火)20時13分39秒のIchiroさんの投稿に対するリベルさんのコメント;

>やはり、丁寧に説明します。ハンセン病の「多彩性」は患者さんにとっては、苦しみの象徴のようなものだと、私は感じます。医家にとっては、学問の対象としてはそれは「素晴らしい」ものかも知れません。がそれは医家仲間でお話になることであって、回復者の方もお読みになるこのBBSで使う「表現」ではないだろうと、私は思うのです。そういう意味で申し上げたのですが、お分かり頂けたでしょうか。ご理解を切望します。(12.20 012:24)


こういう考え方こそが「差別」ではないでしょうか。

患者が傷つくのは、医師の情け容赦ない専門用語からではなく、はきちがえた同情の裏に隠れた患者蔑視のシッポが見えたときです。

ハンセン病の「多彩性」が苦しみの象徴だというのなら、ハンセン病史におけるそこのところの解明はなお必要であり、医者であれ患者であれ支援者であれ、持ちうる限りの情報を提供し合おうというのが真摯な態度というものではないでしょうか。

話が散漫だったり他の話題と交錯して読みづらいと感じることはありますが、それと、<回復者の方もお読みになるこのBBSで使う「表現」>をせよという話は全く別のことでしょう。

割って入って申しわけありませんが。


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教えて下さい 投稿者:Ichiro 投稿日:12月20日(水)05時37分22秒   引用
小生は不勉強です。

 リベルさんが引用されたなかに、非入所者給与金(仮称)の創設について合意。 というのを見つけました。私も1人だけ、まったく療養所を訪れていない人が以前ハンセン病に罹患していたという証明書を書いた覚えがあります。友人と一緒にこられましたが、私は身体の検査で診断しました。その後政府との交渉が、どうなったか、知らないのです。不勉強ですが、新しい患者さんとの色々な折衝でさえも、患者さんの自主性を重んじ、こちらから訪問するといったことは、やっていません。(保健婦からの要請があれば別ですが)

 その南海の療養所では、戦災で、入所に関する資料を失ったということで、入所していた人々の審査はタイヘンでした。医学的所見は二の次で、入所さえ証明できれば、オーケーということでした。それは当然のことでした。当時の状況と色々な人々(入所者とか、入所証明を求める人)の記憶を照合するという推理小説並みの話し合いをした覚えがあります。
(リベル) 菊池先生。12月19日(火)20時13分39秒のご投稿への、私のレスはお読み頂いたのでしょうか?一生懸命書きましたのに・・・、無視されてしまったのかなあ・・・(涙)(12.20 07:59)


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猛省!不勉強! 投稿者:リベル 投稿日:12月20日(水)01時14分10秒   引用
最近読んだ、二つの文章なのですが・・・

1)私たちは、当初、施設への「隔離」被害に目を奪われ、入所歴のない方々の被害を見落とす過ちを犯しました。その故に、非入所者の経済的な恒久対策の実現には、判決確定後四年近い年月(注:2005年4月1日)を要してしまいました。(徳田靖之弁護士。「ハンセン病違憲国賠裁判全史」序「らい予防法違憲国賠訴訟」の歴史的意義と限界から)

2)私は小泉首相が控訴断念を表明した五月二三日の夕方のニュースを、ひとり大島青松園の研究室で聞いた。涙が次々溢れて止まらなかった。そしてこれで闘いはひとまず終わったと胸をなで下ろした。しかしこの見通しは甘く、予想に反して国はその後も抵抗し続け最終勝利までにはさらに八ヶ月の闘い(注:2002年1月30日)が必要だった。(和泉眞蔵。「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」から)


熊本地裁判決や控訴断念で、闘いは終わったと私は誤認していました。大きな大きな間違いを犯していました。「年表 日本のハンセン病」に事実は記録していましたが、「仏作って何とやら」で、さらに告白しますと、2005年4月1日に関しては、事実の記録さえ漏らしていたとは・・・まだまだ、何を見落としていることか・・・私の闘いには終わりがなさそう・・・と言いながら、楽しそう・・・かな?


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匿名希望様へ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月19日(火)20時16分13秒   引用
「暑いので、クーラーを入れて欲しい」という人が、室内の温度をいうと説得力があると思いました。


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リベル様へ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月19日(火)20時13分39秒   引用
リベルさんの言われる意味がよく、わかりませんが、その様に感じられるならば引っ込めます。
(リベル) 「意味がよく、わかりませんが」では私は大変困ってしまいます。言葉が足りなかったのだろうと反省しています。北野武の話は、単なる「余談」ではない、と受け取って頂きたかったのです、実は・・・。お分かり頂けることを祈るのみです・・・m(_ _)m (12.20 00:09)

やはり、丁寧に説明します。ハンセン病の「多彩性」は患者さんにとっては、苦しみの象徴のようなものだと、私は感じます。医家にとっては、学問の対象としてはそれは「素晴らしい」ものかも知れません。がそれは医家仲間でお話になることであって、回復者の方もお読みになるこのBBSで使う「表現」ではないだろうと、私は思うのです。そういう意味で申し上げたのですが、お分かり頂けたでしょうか。ご理解を切望します。(12.20 012:24)


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うーむ。 投稿者:匿名希望 投稿日:12月19日(火)18時13分27秒   引用
いくら温度が高くても、「暑い」と感じなければ、クーラーは要らないのでは?


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余談ですが・・・北野武 投稿者:リベル 投稿日:12月19日(火)17時16分57秒   引用
タケシさんが「ビ−トタケシ」だった頃、と武さんが語っていました、舞台に立つときに、二人の自分が居た、と。1人は舞台に立って相方と喋っている自分、もう1人は観客席で舞台の自分を見ている自分。

何につけ、自分を客観視することの大切さを言っているのだと思います。それがなければ映画の賞も取れなかっただろうし、良いTV番組のプロデュュースも出来なかったのでしょう。観る方がどう受け止めるだろうか?という、いわば「バランス感覚」と言い換えても良いのでしょうか。

私などは、飲みながら妻と話していても、果たして聞いている彼女の身になって話しているのか、それすら危なっかしいものです・・・(恥)


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反省 投稿者:Ichiro 投稿日:12月19日(火)12時59分35秒   引用
病型のことは普遍的な話ですが、また差別を醸し出す可能性があるので、中止します。本当は、この様な素晴らしいスペクトラムは 他の疾患にないこと、などを書きたかったのですが。蛇足ですが菌が検出されるmultibacillary(MB)でも、されないpaucibacillary(PB)でも隔離は不要です。

 夕焼けさん 助け舟 かたじけない。裁判の資料にも、医師の診断書はないのですかね。
 いつも思うのですが、日本人は感性でものを言うのでしょうか。肝心のことがぬけています。
 現在は 寒くなりましたが、以前当地で、暑い時にクーラーを入れろという話がありましたが、温度を測ったのは私だけでした。
(リベル) スペクトラムは「多彩性」とでもいうのでしょうか、いずれにしろそれを「素晴らしい」と表現するのは如何なものでしょうか?医学者としての一方的な感懐なのではありませんか?。回復者の方が、これをお読みになったとき、どんな感じを抱かれるか、そのこともお考え頂かなければ、いけないのではないかと、私は思いますが、如何お考えになりますか?チョット私、辛辣に過ぎますか?(12.19 17:24)


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職務違反を承知で・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日:12月19日(火)10時12分18秒   引用
 取り急ぎ、菊池先生・・・、「ありがとう!」

>あのF氏がどの病型であったか、ちょっとわからない。「検証会議」(全療協編集,2005)によると、志村康氏は、松夫は「神経らいの軽症」との診断をうけたとの説があるが、園に聞いてもはっきりしないと述べておられる。(ハンセン病医学、1997年にこのneuritic, pureというのが書かれているが、詳細はよくわからない。)これは、この事件の理解に資するものと考える。

 事件の始まりであり、終焉化された部分に触れて下さっています!・・・、終焉させられたのだと!私は認知しています。

>この事件の理解に資するものと考える。

 菊池先生の主観が、聞けたこと・・・、リベルさん!「実にありがたいです!?」


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リベルさんへ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月19日(火)07時48分35秒   引用
失礼しました。書き直しましょう。

 Ichiro


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真相の伝聞・伝達が・・・、人をつくる! 投稿者:夕焼け 投稿日:12月19日(火)06時45分46秒   引用
 IT時代の到来を、情報化時代と言われて久しくはありますが・・・。

 武田、織田、豊臣、徳川・・・この時代の 間者 といわれる方々の情報伝達が如何に権力を手中にする為の要であったのか?が、史実より学べ取れます。この時代、間者の育成に財力の投資を注いでいた方の力量というものに注目せざるを得ません!

 情報が制す、営み!・・・、その社会があるとすれば、我々もこの情報という媒体を、更に考察しておく必要性があるようですね。

 事実の情報・真相でリベルさんを突き動かした『怒りの持ち方』にも触れる・・・、「パワーの泉」が、そこにはあるようです。

 怒りがパワーの泉と感じ取れるようになったのは、言うまでもなく権能側による被差別化政策からの、事実があったことからだと思います。その 人 が持つ恐さを権能側という立場に起たれた多くの方々より、認知・認識させられ、その立場が如何に 魔力 に満ちた場所であるのか?と、いう現実を漸く感じ取れるようになりました。
 その危険極まりない立場に、立てるとしたら・・・、その自分自身が持つ 恐さ も知っておくべきと、感じています。

 私の 縁 は運よく、この危険極まりない場所には触れることすら出来ないでいましたので、その点、野心・功名ということばからは、幸いにして無縁でいられた様に思っています。

 被差別化されてしまった立場の、多くの友人に遭遇(邂逅)する 縁 のお陰で、逆に「怒りのパワー」が持つ、活力に触れることが出来始めている気がしています。
 怒りの表現を、今後しっかり学ばせて頂きたい思いです!

 情報開示、心ある方々による情報の伝達が、国民主権・主権在民を、そして、個人の尊重・・・、民衆主義の真価へと。
 「立憲主義」を生み出した原動力には違いないと考えていますが・・・、中身というか、まだまだ程遠いというか、悪くすれば、翼賛会的なニュアンスも近頃感じ取れる始末は、如何に  私が、そして、国民が真摯に生き様とはしてないという現実を醸し出しているのかも知れません!

 私たちは、ハンセン病問題に携わり・拘り、何を感じ!何をしなければならないのか!?が、問われている!と、この掲示板より感じ取っています。

 この時期、しっかりと地に足がついた活動は、情報如何だと感じます。
 真実・事実の情報が、支援者とされる方々の志向にも大きく作用するものと考えます。

 「支援者」という ひと括り で、見て欲しくない!と、強く思います。力ある正義は、決して数の論理では語れないものと自負していますし、「力なき正義は無力だ!」という危険性を、学ばされています。

 情報による自身の 変容 が、この部位から感じ取れます!!
    『 Re: 志村康さんとキャッチボール 24 ( No.44 ) 』
http://hpcgi2.nifty.com/kwalk/patio/patio.cgi?mode=past&no=100&p=6&order=desc


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Re: 菊池さん 投稿者:リベル 投稿日:12月19日(火)06時39分18秒   引用
> ここに書きこまるれこと。
> 何が意味があるのか、なにが目的なのか、教えてくれれませんか。

こんな時間に、北風さんが現れるのは、珍事だなあと思っていたら、案の定、呂律が回っていないじゃあ有りませんか・・・(爆)


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菊池さん 投稿者:北風 投稿日:12月19日(火)01時21分38秒   引用
ここに書きこまるれこと。
何が意味があるのか、なにが目的なのか、教えてくれれませんか。

別に細切れの知識は要りません。
断片的な知識も細部のこだわりも意味がなければ不要です。
もう少しまじめにやってwくれませんか。
(リベル) 例えば、いま勉強中の「医学的所見の変遷」がらみで、和泉眞蔵氏の「医者の僕が・・・」を読んでいると、不意に「T型の患者さん」(p.162)などと出てくることが有ります。そういうときは大抵、判決のこの部分で理解できますし、確認は国立感染症研究所のこのページで、大体ことが済みます。

でも、まあ、そこまでの専門的知識は、普通は不要だと思いますデスネ(笑)。(12.19 02:10)


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病型分類について 投稿者:Ichiro 投稿日:12月18日(月)17時42分39秒   引用
病型分類について

 ハンセン病患者様を診察したら、まず病型分類を行うのが、診断した医師の仕事である。(しかし、らい予防法には病型まで診断せよとは書かれていない)ハンセン病の臨床の学会で、症例がでると、先ず、病型を問題とする。(これは確かである)症例によっては、この問題ばかり検討することも稀ではない。

 病型分類は、時代時代で変化してきた。現在はRidley-Jopling classificationを用いる。この最初の発表は1962年である。この分類は時代の審査に耐え、Ridley, Jopling両博士は Sir Rickard Christopher Medalを授与されている。なおフィールドワークでは、これより簡略したMB(多菌型 multi-bacillary) PB(小菌型paucibacillary)という分類も最近はなされる。

 病型分類の重要性は、この分類で、その患者の治療計画、らい反応の種類、予後が左右されるといったことだろう。例えば、ある治療薬の検定をする場合も、病型を考慮に入れないと、有効とはいえない。

 あのF氏がどの病型であったか、ちょっとわからない。「検証会議」(全療協編集,2005)によると、志村康氏は、松夫は「神経らいの軽症」との診断をうけたとの説があるが、園に聞いてもはっきりしないと述べておられる。(ハンセン病医学、1997年にこのneuritic, pureというのが書かれているが、詳細はよくわからない。)これは、この事件の理解に資するものと考える。

 光田健輔は、病型分類に直結する重要な発見をした。世界最初のレプロミン反応である。光田反応である。
 患者さんのらい腫から光田抗原を精製する。細胞性免疫を調べるために皮内(intradermally)に注射するのであるが、普通は48時間後判定であるが、完成した光田反応では3−4週後に判定する。その後、インドのダルメンドラ氏がダルメンドラ反応を完成した。しかし日本では、ずっと光田反応を使っていた。
 この光田反応を行うと、正常人及び類結核らい(T型)では、陽性、らい腫らい(結節らい,L型)では陰性である。すなわち、前者は、らい菌に対する細胞性免疫があることを示し、後者はないことを示す。光田反応はらい、非らいを区別する反応ではない。

 光田健輔のオリジナルの論文を読むと、最初はらい、非らいを区別するために研究だったらしい。その目的には、不都合であったが、よく調べると、あることが判ってきた。即ち、らい、非らいを分けるのでなく、細胞性免疫のない、結節型と、細胞性免疫がある、正常人と斑紋らいを区別できるようだ。弟子たちが完成したのが、光田反応である。世界的業績といっていだろう。完成したのは弟子としても、最初の光田の発想は歴史上、驚嘆すべきものであろう。色々な外国の教科書にも、勿論記載されている。(Mitsuda reaction)
蛇足であるが、私が日本人がつけた皮膚病名の論文を頼まれた時、特別に光田反応とらい性結節性紅斑(ENL, Erythema nodosum leprosum)は追加しておいた。後者は村田茂助の命名である。

 菊池恵楓園では光田反応は、平成5年ころまでは使っていたが、その後、抗原が入手できなくなった。現在はどうか知らない。昔の多磨研究所(現在のハンセン病研究センター)に結節を切除し、凍らせて宅急便で、送り抗原を作ってもらうのである。アルマジロで増菌させたのは、人体には使えないということであった。

 現代は菌検(メスで皮膚内容をこさいで菌を染色する:私は使い捨てメスを使っていた)も、廃れてきたし、光田反応も使えないとなると、精密な皮疹の診断と組織診断が重要となる。

ハンセン病医学(1997)の古い病型分類を載せる。(153ページ)

Madrid 分類
Lepromatous type
 (L)
macular
diffuse
infiltrated
nodular
neurotic, pure
Borderline group(B)
infiltrated
macular
neurotic
Tuberuculoid type (T)
macular
minor tuberculoid
major tuberculoid
neuritic, pure
Indeterminate group(I)
macular
neuritic,pure
あと Ridley-Jopling分類と WHO分類がある。
(リベル) 「Ridley-Jopling classification」や、「MB型」、「PB型」(WHOの分類です)、「マドリッド分類」などを素人にも分かり易く纏めたのが、判決文に有ります。こちらです。チョット「尻拭い」・・・(笑)(12.19 01:24)


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心ある友人から・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日:12月18日(月)07時34分5秒   引用
 知性と自尊心の 構築の糧 にと友人からの・・・。

http://www.acc.senshu-u.ac.jp/koho/ns-web/0610/0610-02-01.html


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私は、この場への「投稿者」を・・・ 投稿者:夕焼け 投稿日:12月17日(日)23時15分54秒   引用
 私を、後押しして下さったのはジャーナリスト(物書き)でもなければ、教授でもありません!
 学生さんでした。当時このBBSに何度となくお邪魔していた学生さんの書き込みに 勇気 を頂いたようです!?

>>リベルさん 投稿者:夕焼け 投稿日: 7月28日(金)08時33分13秒   引用
 「学べる場」としての書き込みをさせていただきます。

 北風さん発信の、山下峰幸氏の論考に 動揺 を越えたものを感じてしまった 独り です。

 シナリオを必読出来ていない状況下での発信は、控えるべき!が、頭をもたげ書き込みに躊躇していましたが・・・。
 山下論考を繰り返し目を通していると、「焼きなす」さんの、疑問からの提起を見習いたくなった次第です。

 以前から、あるHPのBBS内にも度々、「藤本事件」についての 己想 は書き込みさせていただいていましたので、映画「新・あつい壁」の動向には、不信感有り、期待感有りの堂々巡りが、心層の中で動き回っていたようです。

 今は、北風さん・山下さんの公の場としての発信に ハンセン病被差別化 ・・・「被差別化」する、されるという社会形態を、探る一助として この大いなる提起に拘わっていきたいと思っておりますし、藤本松夫さんの死を見つめていきたい想いです。よろしくお願いいたします!

 中山監督の 制作の趣旨 内の「こ・と・ば」が気に掛かっています。小さな事と言ってしまえばそれまでなのでしょうが・・・、ことばは、"たかが・・・、されど・・・”と感じていますので、その部分を提起させていただきます。

>そこには、“ハンセン病”者として「ボロ雑巾」のようにあつかわれた一人の人間の“人間回復”への叫びがあります。

 この部分に触れるとき、何か違和感を感じ得ません!・・・、本当に「人間回復」への叫びだったのか!?と、言う点です。
 ボロ雑巾と言う言葉からは確かに人間回復と言う言葉でも良いのかもしれませんが・・・。<<

 この書き込みをする前の、「焼きなす」さんの書き込み(問い)に対して、何か同じ波長でも感じたのか如く、皆さんのサーポートする姿が、嬉しく・・・そして、参画型支援者 とでも言いますか、まさに老若男女・・・、中学生も有識者も、リベルさんの掲示板に書き込みしてくださる方々(投稿者)は 支援者の域 には違いないと、この頃より私は考えていましたものですから・・・。

 支援は支援で尊いことなのでしょうが、「何を理解したが為の支援なのか?」を、根底に内包しておくことが求められている気がしています。
(リベル) 注:7月28日の夕焼けさんの投稿はここです。焼きなすさんの投稿はその二つ前です。(12.18 00:12)


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お知らせ&ご意見募集 投稿者:リベル 投稿日:12月17日(日)02時48分25秒   引用
下に、新しい試みをした序でに、「投稿」の文字色を「黒」から「紺」に変えてみました。見やすい、読みやすい気もしますが、如何でしょうか?

ご意見、ご注文を、お待ちしています・・・m(_ _)m


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夕焼けさんにお答えします 投稿者:リベル 投稿日:12月17日(日)02時02分38秒   引用  編集済
最初にこちらの方から、書きます。お読みになりやすいように、引用部分は茶色、自分のコメントは紺色で表示します。


>BBSというのは、音楽で言えば、「オーケストラ」ではない。ということです。ここは、音楽好きの人が、それぞれの楽器を持って来て、好きな曲を演奏する、広場だと思っています。

 果たして、「音楽好きという趣味の領域」と「支援するこころ、支援する行為」とが同意語的に扱えるものか?が、問われているのかもしれません!


「音楽好きの人」というのは、ここでは「投稿者」の意味です。「療養所を訪問したいのですが・・・」と質問する中学生から、「ジョプリング」についての情報を提供して下さる医学博士に至るまで・・・という意味です。夕焼けさんの仰有っている「支援するこころ、支援する行為」というのは、投稿者の中でも「今、ハンセン病の問題で、何が重要か?と懸命に考えている人」という意味ではないでしょうか。そうとすれば、私は、この投稿者の「心」なり「行動」が「千差万別」だと思っているわけでは、決して有りません、ということは、書かなくても良かったかも知れませんが・・・(以上12.17 16:00加筆)

なので、私の考え方では「同義語」ではないのです。この二つの言葉は、異なるカテゴリーに置いて考えなければいけない、と私は思います。


次にもう一つの疑問にお答えします。


>リベルという名の支援者の正体は・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 8月11日(金)05時06分32秒   引用  編集済

>私の場合にも「支援者」という言葉が当てはまります。

>「支援」と一口に言っても、「支援する心」の有り様や程度、「支援」の仕方・態様はまさに千差万別なのでしょう。それはそれで良いに決まっています。

>私の場合、手元に有った「島が動いた」(加賀田一氏著)が切っ掛けでした。事実を知ってまず驚き、どうしてこんな理不尽が堂々と存在したのかと訝り、真相を知るにつれ国を初めとする多くの「人」の作為・不作為に怒りを覚えました。

>怒りが私を突き動かした。それでハンセン病に関する記事を検索して読み始めました。それを集めて、蒐めて整理したら「ハンセン病のリンク集」という形になった。そういう言い方をすれば、まあそういう次第なのです。

>ですから、私という「支援者」の原点=初心は、「理不尽を許したもの」に対する「怒り」なのです。別の言い方をしますと、自分を含めての「人間」が、好むと好まざるに関わらず内包する「悪」に対する怒りなのです。

>その「怒り」に触れるものは「天然」でない、「真実」でないとみなして弾劾する。実はそれだけなのです。

>言い換えれば、「怒り」に触れないものは・・・?

>「放置」する。

リベルさん、この時期私はリベルさんの発信に多少、首を傾げていたのです。
『支援』でなく『生き方』という観点では、仕方・態様はまさに千差万別なのでしょう。それはそれで良いに決まっています。
と、私も同調できたのですが、ことハンセン病問題・・・、被差別化を探り、次世代に伝え残していくという立場も内包していると思える行為(支援)としては、「千差万別」で良し!と、言い切れるのだろうか?という思いです。


実は、冒頭の「千差万別」の一節は、最後の「放置する」という結論を出すための「イントロ部分」に過ぎないのです。何を放置するのか?これを書いた8月11日頃の前後をお読み頂くと分かって頂けると思いますが、「藤本事件」を、です。つまり私の場合は「怒り」に突き動かされて「行動」します。「藤本事件」は、私に「怒り」を呼び起こさないから、「行動」しない、放置すると、叫んだわけです(半ば自嘲的?)。

「支援」と一口に言っても、療養所で黙々と介護する方、研究論文で掘り下げようとする学生さんから、各支援団体、弁護団、和泉眞蔵氏、中村哲氏などなど、それこそ多様な「支援の態様」が有ります。

そして「支援する心」も「怒り」、「苦しみ」、「正義感」、「同情」、「研究心」などと、また多岐に渡ると想像します。

そういう意味でやはり”「千差万別」で良いに決まっています”と私は書きました。私の場合は「怒り」に発したのだ、と言いたいがために・・・。


ここでフト思ったのですが、「苦しみ」と書いたのは何故だったか?

ここで、実はしばらく中断して、思い出そうと苦しみました。何か最近映画か、本か、新聞かで読んだのが思い出せません。「支援」活動をしないと、苦しいから、そういう生き方を選んだ人が居る、と記憶があって。一遍上人、シュバイツアー、親鸞、・・・。発見しました。「灯台下暗し」!「医学的知見の変遷」のページ作りのために、毎日手にしている和泉眞蔵氏の「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」の27頁でした。

インドで学んだことと題して、和泉さんは「とてつもなく大きな教訓を得た。その想いは今日でも私の国際協力の中で生き続けている」と書いて居られます。

それは、インド政府のハンセン病対策の責任者、K・C・ダス先生の次の言葉です。

「インドには多くの外国人協力者が来ているが、この人たちはインドにたくさんのハンセン病患者がいるのを知り、それを放置していたのでは自分自身が幸せな気持ちで生きて行けないと感じているのです。つまり、インドのハンセン病患者のために働くのは、自分が幸せな人生を送るためなのです」これを聞いて和泉さんはまさに絶句します。

そして、和泉さんはこういう想いに到達するのです。

「本当に助けを必要としている人に救いの手を差し伸べた時、本当に救われるのは助けられた人よりも手を差し伸べた人自身なのだ」

私などは、勿論とてもこういう高潔な境地には立ち至れませんが、それにしても、とつくづく思うのは「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」というタイトルは、これ以上短くしようがない、素晴らしいタイトルなのだなあ、と・・・。

以上、発行所(株)シービーアール、宣伝担当でした・・・おいおい、また笑いを取ろうとして・・・これも陳腐になって来て・・・私はもう、どう締めくくって良いのやら・・・(>_<)


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大事にしている言葉の「ひとつ」です! 投稿者:夕焼け 投稿日:12月16日(土)08時08分7秒   引用
 その国の政治のレベルは
    その国の国民以上には成れない


 その学会の組織のレベルは
    その組織の組織人(会員)以上には成れない

と、言いたいところなのですが、残念なことに私たち支援者の負託を受けての代表者でないところに、全てを当てはめる事はできないのかもしれませんね。
 ただ、自ら、共同代表・運営委員・事務局長・事務局次長・会計監事 などの役職を受けているとすれば、それはそれなりの責務も付いて回ってくることだと思われますが・・・。

 兎にも角にも!、「開かれた学会」を強調しているとすれば支援者、如何である!といえることも事実だと考えます。

 支援者が参加でき、賛否両論の上での活動方針論は時間的・物理的にも無理なことなのでしょうか?
 支援者を「たかが」と、蔑視している行為があるとするならば、「されど」が、我々には求められている気がしていますし、支援する行為の本質も、このBBSより、感じ取りたい思いです!!
(リベル) 私が今一つ、注目しているのは市民学会HPの「広場」の中の右上、お便りは「こちら」までの「こちら」です。これがどうも唯一の開かれた小窓のようです。しばし観察と試行を試みようと、私奴は密かに思っています。(12.17 02:23)


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「支援・サポート」の意義と本質の導き出し・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日:12月16日(土)07時12分13秒   引用
『今年の夏、私はリベルさんより 大きな提起 を頂いていました!?』

 >「支援」と一口に言っても、「支援する心」の有り様や程度、「支援」の仕方・態様はまさに千差万別なのでしょう。それはそれで良いに決まっています。

 リベルさんの、このように主観をはっきりさせる言い方には、この時期のリベルさんの立場、立つ位置といいますか、この断言的な言葉から ささやかな思惑 も抱いていました。

当時、リベルさんからの発信であり、私には 大きな提起 だったのです!
以下が、その発信です。
*************************************
リベルという名の支援者の正体は・・・ 投稿者:リベル 投稿日: 8月11日(金)05時06分32秒   引用  編集済

私の場合にも「支援者」という言葉が当てはまります。

「支援」と一口に言っても、「支援する心」の有り様や程度、「支援」の仕方・態様はまさに千差万別なのでしょう。それはそれで良いに決まっています。

私の場合、手元に有った「島が動いた」(加賀田一氏著)が切っ掛けでした。事実を知ってまず驚き、どうしてこんな理不尽が堂々と存在したのかと訝り、真相を知るにつれ国を初めとする多くの「人」の作為・不作為に怒りを覚えました。

怒りが私を突き動かした。それでハンセン病に関する記事を検索して読み始めました。それを集めて、蒐めて整理したら「ハンセン病のリンク集」という形になった。そういう言い方をすれば、まあそういう次第なのです。

ですから、私という「支援者」の原点=初心は、「理不尽を許したもの」に対する「怒り」なのです。別の言い方をしますと、自分を含めての「人間」が、好むと好まざるに関わらず内包する「悪」に対する怒りなのです。

その「怒り」に触れるものは「天然」でない、「真実」でないとみなして弾劾する。実はそれだけなのです。

言い換えれば、「怒り」に触れないものは・・・?

「放置」する。


クラクラするような強烈な陽光が私の頭上に叩き付けた冷ややかな結論は、かようなものでした・・・。これが現実です・・・。


武者小路実篤はこの実物の前に立って
地の底に吸い込まれるような興奮に陥ったそうです。

ゴッホの「烏のいる麦畑」。書いたこととは全く無関係です。気紛れに・・・。
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 リベルさん、この時期私はリベルさんの発信に多少、首を傾げていたのです。
『支援』でなく『生き方』という観点では、仕方・態様はまさに千差万別なのでしょう。それはそれで良いに決まっています。
と、私も同調できたのですが、ことハンセン病問題・・・、被差別化を探り、次世代に伝え残していくという立場も内包していると思える行為(支援)としては、「千差万別」で良し!と、言い切れるのだろうか?という思いです。
「これでよいのか?」「何か変だぞ!?」「どうしてなんだろう?」という思考からの 強い怒り となり、その打診も時としては、気軽に聞き入れ、支援の和の中でそのことを論じ合える会こそが、「市民学会」が少なからず口にする“開かれた会”といえる由縁だと思っていました。
 この時期、リベルさんの 大きな提起 より私は、「支援」「サポート」するって、どいうことなんだろう!と、考える示唆を頂いたようです。

 「支援」この行為も、もっと論議することが求められているのかもしれませんネ。

 そんな中、
Re: 残念に感じています 投稿者:リベル 投稿日:12月12日(火)00時03分36秒


リベルさんの『ハンセン病の落書き板』、このBBSはオーケストラを目指すものではない!という貴重な意見と、
音楽の広場にせよ。 投稿者:匿名希望 投稿日:12月13日(水)09時09分9秒

>これでは考えを「整理する」どころか散漫になるばかり。

 私は、それぞれの貴重な発信を目にすることができました!


 私は、しゅうさん!が語るこの言葉に耳を傾けてみました!
リベルさんのお考え良いですねー Re: 残念に感じています 投稿者:しゅう 投稿日:12月12日(火)11時06分17秒

> ハンセン病の支援活動は、自分は弱者の立場に立った良いことをして居るんだという、ややもすると自己陶酔に陥りやすいところがあるように思います。

 支援する行為の危険性にも触れられた発言であると感じ、この部位からも支援にする行為への提起が含まれているものと感じたのです。
>BBSというのは、音楽で言えば、「オーケストラ」ではない。ということです。ここは、音楽好きの人が、それぞれの楽器を持って来て、好きな曲を演奏する、広場だと思っています。

 果たして、「音楽好きという趣味の領域」と「支援するこころ、支援する行為」とが同意語的に扱えるものか?が、問われているのかもしれません!


<蛇足>
論議できる風土を、持ちえるこのBBSの管理者には、今後も、『仮』の優柔不断を、貫き、のらりくらりの中だからこその、支援する行為の本質が導き出されていくのかもしれませんね!


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余談ですが・・・「ごきげんよう」 投稿者:リベル 投稿日:12月15日(金)17時28分58秒   引用  編集済
私の、歩きながら聴く番組の一つが小堺一機さんの「ごきげんよう」です。

いつも、だいたい、「天神橋」という名前だけは立派な橋を渡る頃、大声で爆笑することが多いのに気付きました。長さ5メートルほどの橋です、小川に毛が生えた程度の川なのです。その辺りは人通りがとても少ないことが、放映時間との偶然に拍車を掛けているのかも知れません。こんな話がありました。小堺さん曰くです。

親父さんが:  「出てけっ!」

おふくろさんが:「どっから!」

親父さん:   「ええっと・・・」

と、実に微笑ましく、そしてそこはかと愛情が感じられて。大声を出して笑いました。またいつもの天神橋でしたし・・・心おきなく・・・誰も見ていなかったかな・・・。

http://www.fujitv.co.jp/b_hp/gokigen/


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夕焼けさん Re: ついでに 投稿者:リベル 投稿日:12月14日(木)11時23分40秒   引用  編集済
> この間のシンポジウムでのフロアからの発言に対し、終了後に(後日)その発言者の発言を非難する動きがあって、その発言者は「発言停止」を求められたという。
>
> たとえ誤った発言であれ、関係者全員がシンポジウムの場に居たのであるからその場で指摘するべきであって、あとでそういうことをするのは、少々陰湿な感じがする。
> こういうことが常態となったらフロアからの発言はなくなり、パネリストのお説を拝聴するかになってしまう。

夕焼けさんの仰有るとおりです。どさくさ紛れに、この件が置き去りにされていました。「発言停止」など、全く、もってのほかの話なのではないでしょうか?「黙殺」ですね。こういうところにもシステム上の未成熟さが、有るのではないかと思います。

「Re: 市民学会の意思決定。 投稿者:リベル 投稿日:12月11日(月)12時34分37秒」に書いたとおり、「これは、やはりいけません。いけないことです。そして、黙っていてはいけない。さあ、どうする優柔不断のリベルさん・・・! 」です。私、市民学会へ発信したときは、ここへご報告します。

適切なご指摘を、本当に有り難うございました。夕焼けさん・・・m(_ _)m


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訂正! 投稿者:夕焼け 投稿日:12月14日(木)08時34分4秒   引用
答申、改め>提起 とさせていただきます。
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Yさんの論考を、どのように受け止めているのか!?未だ・・・ 投稿者:夕焼け 投稿日:12月14日(木)08時29分12秒   引用
「市民学会」として、映画制作の後押しの立場を表明した時より、説明責任は付いて回っていたのでしょうが・・・。

 北風さんの >ついでに 投稿者:北風 投稿日:12月12日(火)10時26分32秒
この投稿も非常に気になりますが、
>その発言者は「発言停止」を求められたという。
>少々陰湿な感じがする。  など!

 宝塚のYさんの理路整然からの答申に対しての誠意が、見えないところにも・・・、釈然としない暗闇も、心に内包しています。
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事件です 投稿者:リベル 投稿日:12月14日(木)00時28分54秒   引用  編集済
「Wikipedia」というオンライン百科があって、「ハンセン病」の項も立っていることは前にもお話しし、「藤本事件」をどなたか書いて下さいと騒いだことを、覚えていて下さるでしょうか。

今日、ブラリと立ち寄ったら、「藤本事件」が出来上がっています。Carpkazuというネコ好きの自称リベラリストの方が、11月29日から作り始めて、昨日完成した模様です。まだ良く読んでいません。最初の数行だけで。取り敢えず、ご報告に馳せ参じました・・・。
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リベルさんが正しい 投稿者:Ichiro 投稿日:12月13日(水)13時05分16秒   引用
後藤先生からの返事です。
 勉強になりました。

> WHO study group:Chemotherapy of leprosy for control programms. WHO
>Technical Report Series No. 675, 1982.
>が、MDTについての最初の正式な文書です。
>これは1981年に行われたWHO study groupの会議のまとめとして刊行され、そ
>の中には、MDTの根拠となった先行研究も引用されています。
>1981年の会議のrecommendationのpublicationが翌年にずれこんだということです。
>これは、その後の変更についても同様で、1987年の変更は1988年にpublishさ
>れています。
>この事情は、治療指針(第1版、第2版ともに)表2の注に書いてあります。
>決定された年を示す。文献の発表は翌年となっている。
(リベル) 朗報ですね。私もホット安堵しました。鹿児島大学といえば采女博文先生もご在籍で、私のサイトでも「法規集」で大いにお世話になっています。今研究室のサイトが故障中で、数日前にメール交換したところでした。(12.13 13:38)
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音楽の広場にせよ。 投稿者:匿名希望 投稿日:12月13日(水)09時09分9秒   引用  編集済
人の演奏に割ってはいってプワーとかジャーンとか鳴らすだけというのはどうも。
人にセッションを仕掛けて反応したら、すでにもう違うことをしているというのもどうも。

これでは考えを「整理する」どころか散漫になるばかり。
(リベル) これは、拝読していて、一瞬ポカ〜ンとして、それから爆笑しました。実にユーモアのセンスに溢れたお方だ、この投稿をなさった方は、と感服。

セッションと言えば数日前「バード」というチャーリー・パーカーの伝記映画を観ました。フォレスト・ウィッテカー が猛特訓を受けてアルトサックスを吹きます。っていうかプワーっと吹く真似をします。これはしかし凄かった。私はマイルス・デイビスの「マイ・ファニー・バレンタイン」を、深夜ヘッドフォンで聴くと頭蓋骨の内側を舐め回されるような恍惚感を・・・オット脱線が過ぎました・・・(反省)(12.13 13:53)

ご免なさい。笑いすぎたのは、プワーを尺八の、ジャーンを琵琶の、擬音と解釈したからでした・・・シャワーを浴びていて、フト気付いて・・・駄目ですね・・・遅くて・・・(12.13 17:10 追記)
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続 がんばる人 投稿者:Ichiro 投稿日:12月13日(水)05時03分4秒   引用  編集済
私の中学校の校長先生は 岩代浩一氏の父親です。

 その岩代浩一氏(音楽家)の講演を聴いたのですが、父親はすごい音痴だったそうですが、「馬鹿になれ」といって すごく 教育したそうです。父親の岩代氏は、稀代の教育家でした。新制中学制度が始まったばかりですが、その中学校はモデルスクールとなりました。

 その教育家が育てたのが岩代浩一氏で、その岩代氏が育てたのが浩一氏ご長男の岩代太郎さんです。リベルさんの話を聞いて思い出しました。
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ようやくわかりました 投稿者:Ichiro 投稿日:12月13日(水)04時45分0秒   引用
やはりリベルさんが 正しい

 Chemotherapy of leprosy for control programmes : report of a WHO study group [meeting held in Geneva from 12 to 16 October 1981]
WHO Study Group on Chemotherapy of Leprosy for Control Programmes.

Publisher: World Health Organization,
Pub Date: 1982.
Pages: 33 p.

 つまり1981年が正しいが、出版は1982年になってしまった、ということです。WHOのサイトから検索しました。
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余談ですが・・・頑張る人 投稿者:リベル 投稿日:12月13日(水)02時06分22秒   引用
昨日の夕刊から・・・

「きょうも一日数学をがんばるぞ、と言っているようでは、とてもものにならない。夜、数学を考えながら寝て、朝起きたときには数学の世界に入っていなければならない。自分の命を削って数学をやるくらいでなければ、とてもできない」3年前にウルフ賞を受けた特異な数学者、佐藤幹夫氏(78歳)


「プレッシャーだが逃げてもいられず、負けるつもりでは演じても仕方ない。とはいえすぐ勝てるものでもなく、開き直りの心境。父の狐を踏襲しつつ、僕なりの狐をいつか、完成できればと思います」父野村万作氏の当り役「釣り狐」に挑戦する野村萬斎氏(40歳)


なんか、背筋を伸ばして、襟を正したくなってきます・・・。
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Re: William Jopling博士 投稿者:リベル 投稿日:12月13日(水)01時25分1秒   引用
>  恐らく、別のメデイア(発表会とか新聞)で発表したのが1981年ではないかと思います。文献は1982年ですから、それがそれとして、正しいと思います。鹿児島大学の後藤正直先生がもっとも詳しいので、聞いてみましょう

12月12日17時53分にレスを書きましたが、お読み頂いてないようなので、繰り返します。

「学者の執筆する文献は、先ず、事実を根拠としなければいけないのでしょう。WHOが自分のサイトで「recommended multidrug therapy (MDT) in 1981.」と言っているのですから、これをないがしろにした文献の方がオカシイということになるというのが私たち素人の考え方です。こうかも知れません、WHOが提唱したのが1981年であり、それが実行に移されたのが、つまり表に出たのが1982年からだ、と・・・。裁判の判決であろうが、厚労省の報告であろうが、正しいことは一つだというお考えには賛成ですが、しかし、本家本元が言っていることに異を唱えるとなると、それは如何なものかと思えてくるのです。」

矢張り、素人考えなのかなあ・・・(>_<)
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写真展開催のおしらせ 投稿者:野村一郎 投稿日:12月12日(火)19時19分24秒   引用
突然の書き込みご容赦ください。私は早稲田大学中国ハンセン病問題支援プロジェクト学生NGO「橋」−QIAO−にて広報を担当している野村といいます。今回、我々の活動を写真展という形で発表することとなりました。以下正式な告知文を掲載致しますので、ご都合がつきましたら是非ご来場ください。


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      学生NGO「橋」-QIAO-写真展
      〜多謝〜ありがとうを言いたくて
****************************

私たち学生NGO「橋」-QIAO-は春・夏の年二回、
中国のハンセン病回復村を訪れワークキャンプを行っています。
今回、このワークキャンプにて撮影された写真を元に写真展を
開催することになりました。一人一人のキャンパーが感じたこと
考えたこと、そして村人達の声をメッセージと写真に託しました。
会場では映像資料も展示します。また21日16:30〜より
QIAO説明会も同会場にて開催します。
ご来場お待ちしております。

【日時】12/18(月)〜12/22(金)10:00〜16:30
【場所】早稲田大学 小野梓記念館(27号館)1F早稲田ギャラリー
【主催】平山郁夫記念ボランティアセンター
     中国ハンセン病問題支援プロジェクト
     学生NGO「橋」-QIAO-
【HP】http://blog.livedoor.jp/qiao2006/archives/cat_50010299.html
【連絡先】早稲田大学二年 野村一郎(QIAO広報部長)
     メールアドレス:ichiro.nomura@gmail.com
(リベル) 野村一郎様

良くいらっしゃいました。「イベント情報」のページにもご案内を掲載しておきました。[NEW]のマークが付いています。今後ともどうぞ宜しくお願い致します。(12.13 01:39)
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William Jopling博士 投稿者:Ichiro 投稿日:12月12日(火)19時02分53秒   引用  編集済
リベル様

 恐らく、別のメデイア(発表会とか新聞)で発表したのが1981年ではないかと思います。文献は1982年ですから、それがそれとして、正しいと思います。鹿児島大学の後藤正直先生がもっとも詳しいので、聞いてみましょう。(でてこないかな)

William Jopling博士(1911-1997)

 ハンセン病といえば、光田反応と、Ridley-Jopling classification(分類)が頭に浮かびます。ハンセン病は医学生にとっては簡単な病気ではない。一番判りにくいのが、Ridley-Jopling classificationである。このことは、ご本人も、お認めである。ここでJopling博士について書いてみよう。

 1911年生まれ、医師資格は1936年である。レジデント研修直後、短期間船にのり、東京にこられたが、上海では、日本の軍艦がうようよいたという話をされた。その後、南アフリカのローデシア(現:ジンバブエ)に医師として働かれ、ハンセン病患者を療養所に送られたりして、ハンセン病に関心を持たれた。戦時中は軍医もされた。戦後仕事が多くなり、ロンドンに帰られた。(36歳)大学院生活2年後、熱帯病病院のスタッフとなられた。当時アフリカからのハンセン病患者が多くなり、昔の城を改造したハンセン病専門病院(24床しかない)のJordan病院(1950-1967)を内務省が作り、その住み込みの院長となられた。病理専門のRidley博士と一緒にRidley-Joplingの分類を完成させた(1962年)教科書Handbook of Leprosyを著した。この本は国際的によく売れ5版を重ねた。博士は臨床家であるが、視野がひろく、色々な面の論文もある。らい反応にも関心が深く、らい性結節性紅斑(ENL)の命名者である村田茂助の名前を日本からの訪問客の林芳信先生から聞きだし紹介している。東京の学会で光田博士をみられている。個人的にはJordan病院の総婦長と再婚された。
 自叙伝:The Star, 51:4,5-10,March/April, 1992.
皮膚科の臨床、35,1839-1845,1993..
ほかの文献:ジョップリング博士との出会い
      日本医事新報、4013,55-58,2001.
Jopling博士を悼む
      日本ハンセン病学会雑誌、67,365-369,1998.
      ジョップリング博士と日本の強制隔離主義
      青松 601:27-30,2004,10月.
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リベルさんのお考え良いですねー Re: 残念に感じています 投稿者:しゅう 投稿日:12月12日(火)11時06分17秒   引用
> このお話については、私はこのように考えています。BBSというのは、音楽で言えば、「オーケストラ」ではない。ということです。ここは、音楽好きの人が、それぞれの楽器を持って来て、好きな曲を演奏する、広場だと思っています。
>
> ただ希望するマナー、エチケットは一番上に書いています。「情報・質問・問題提起、雑談・冗談・議論・激論 は大歓迎ですが、人を傷付けるのは如何なものでしょう・・・」。これは思いつくままに言葉を並べたのではありません。取り上げる「内容」三つと、「取り上げ方」四つを整理して書いたつもりです。
>
> その範囲内であれば、どんな楽器で、何を演奏されようと自由である、そういう広場を提供しているのです。私はといえば、まあ地主に過ぎません。BBSの運営者はコンダクターではないし、そうあってはいけないと私は思っています。発言をリードしたり抑制したりしてはいけないと思っています。まあ、とてつもない大太鼓でも鳴らされれば、か細い声で「お控え頂けますか」というのが関の山で・・・。
>
> だから、MLと大きく違うところは、集まったみんなで、管弦楽を演奏する(一つの意見をまとめあげる)場所ではないということです。みんなが、それぞれ他の人の演奏を聴いて、「なるほど」と思ったり「チョット違うな」と思ったり、そうして自分の考えを整理する場所と言っても良いのでしょう。少なくとも私は、そういう(考えを整理する)場所として活用しています。もし自分の演奏を多くの人にキチント聴いて欲しいと思えば、その方個人が(私自身も含めて)リサイタルを開かれれば良いのです。(然るべき所へ、意見具申をなされば良いのです。)


わたくしもこの掲示板の愛読者です。

リベルさんのこのお考えはとても開かれていて良いと思います。

ハンセン病の支援活動は、自分は弱者の立場に立った良いことをして居るんだという、ややもすると自己陶酔に陥りやすいところがあるように思います。ハンセン・オタクにならない為に、批判的な思考を常に意識しながら、異論を内に抱えて、やって行かなければならないと思います。

レベルの高い「市民学会」を願います。
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ついでに 投稿者:北風 投稿日:12月12日(火)10時26分32秒   引用  編集済
この間のシンポジウムでのフロアからの発言に対し、終了後に(後日)その発言者の発言を非難する動きがあって、その発言者は「発言停止」を求められたという。

たとえ誤った発言であれ、関係者全員がシンポジウムの場に居たのであるからその場で指摘するべきであって、あとでそういうことをするのは、少々陰湿な感じがする。
こういうことが常態となったらフロアからの発言はなくなり、パネリストのお説を拝聴するかになってしまう。
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すみません 投稿者:北風 投稿日:12月12日(火)09時04分39秒   引用
外出先でずっと気になっていました。

〉そういう意味で「なつめ」さんの投稿は、非常にソフトながらまたご自分で意識していないかもしれないが、「言論の封殺」の意図を感じます。

これは「結果的に、言論を封殺することになってしまいます」に改めます。
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異なった音色に・・・。 投稿者:夕焼け 投稿日:12月12日(火)07時31分9秒   引用
 リベルさん!私は、「嬉しい」・・・です。

 この 時点 では、私とは違うと思える 音色 が、ある意味整然とされた論調の中、このBBSよりお聞きすることが出来ているからです。

 ハンセン病問題・・・この被差別化された問題に対し自ら携わり・拘り合おうとしているのは「なぜなのか?」
 この提起に触れる悦びを、私は隠すことができません!

 国家がらみと思える、被差別化の要因をそのことを容認してきた国民に求めようとする欺瞞には、あえて、異論を唱えたくなります!
 情報操作により「考える葦」と、成りえなかった現実にもっと目を向けて頂きたいし、そのシステム化がはびこる処に、「怒り」が持ちえるのか?が、問われている気がして成りません!!

 この市民レベル間の情報化時代の到来に、何を感じ、どのような羅針盤を頼りにしていくのか?という判断規定は個の持つ、これまでの環境や、今ある立場などにより、発信は当然の如く違ってくるのでしょうが、「音色の違いはあって当り前」で、済ませるのか?より、聞きたがる方々に、気持ちの良い音色に仕立てた合唱・演奏にしていくのか?は、これからも考えていきたい一人です。

 以前からの読者であると語っているわりには、私たちが述べようとしている本質の真意には気が付いていないような 感 がしています。

 「市民学会」に期待する真摯な思いがあるからこその提起であり、願いであることが理解されていないことに、やや、無念の思いと、これから「や・る・べ・き」課題が垣間見れます。

 これまで、いや、これからも「被差別化」される多くの要因が我々の住む地(日本国・世界)には現存されている事実に、僅かでも危惧される思いがあるとしたなら、「市民学会」が設立総会時に導き出してくださった活動の柱、交流・検証・提言を今一度読み込み、その活動の柱に対する、「提起」や、時には荒々しく「批判」する行為があってこその 意義! を、私は このBBSより より、見出そうとしているようです!

http://shimingakkai.com/houshin-2005.html
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1年の違い 投稿者:Ichiro 投稿日:12月12日(火)06時42分55秒   引用
リベル様

 確かに1981年と書いてありましたが、文献を挙げていません。普通の文章であれば、これでいいのですが、医学の論文であれば、証拠(文献)を挙げるのが通常です。文献を挙げなければ、そのmedia(新聞発表など)とか、日日を挙げる方法もありましょう。おそらくこれが正しいかもしれません。1981年説の。

 リベルさんの言われるのが正しいでしょう。但し、それは証拠があればですが。最も有名な事例がハンセンの場合でしょう。

 1873年:ハンセンがらい菌を発見した。
 1874年:ハンセンが始めてらい菌発見の文献をかいた。(母国語)
 1880年:ハンセンが英語、ドイツ語、フランス語で文献を書いた。

 つまり、1873年という年は、らい菌発見100年記念集会のために、よってたかって研究したので判明したわけです。

 あとはWHOに問い合わせる方法もあります。

 WHO訪問のこと;1975年9月始め、ジュネーブの蟻田博士訪問のあと、WHOを訪問した。紹介状もなく、であるが私の目的は当時有名であった、4U1ITU(アマチュア無線局)を訪問することであった。ずうずうしく機械を触ってきたが、スイス電波法違反は犯していません。そこから電波を出したかったのであるが。
(リベル) 学者の執筆する文献は、先ず、事実を根拠としなければいけないのでしょう。WHOが自分のサイトで「1981年」に「recommended multidrug therapy (MDT) 」と言っているのですから、これをないがしろにした文献の方がオカシイということになるというのが私たち素人の考え方です。こうかも知れません、WHOが提唱したのが1981年であり、それが実行に移されたのが、つまり表に出たのが1982年からだ、と・・・。裁判の判決であろうが、厚労省の報告であろうが、正しいことは一つだというお考えには賛成ですが、しかし、本家本元が言っていることに異を唱えるとなると、それは如何なものかと思えてくるのです。(12.12 17:53)
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Re: MDTは 1982年から 投稿者:リベル 投稿日:12月12日(火)03時12分40秒   引用  編集済
> 1981年説の文献があったら教えてください。

こんなのが有ります。

1)WHOのサイトのLeprosyの解説。「Treatment today」の3番目

2)熊本地裁判決第一章、第二、一、3ハンセン病の治療

3)厚労省HP「公衆衛生問題としてのハンセン病制圧の最終推進戦略」のNo.45(かなり下の方です)

私は、1981年が正しいのではないかと思っていますが・・・。また「全患協」の時のような新事実発見と参りますか・・・期待大!!です。
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MDTは 1982年から 投稿者:Ichiro 投稿日:12月12日(火)00時41分20秒   引用
多剤療法(multi-drug therapy)は、やはり1982年からと思います。

 Ichiroです。

 1996年発行 Handbook of leprosy (fifth edition, W H Jopling and A C McDougall によると その135ページにmultiple drug therapy advised by WHO
in 1982 として 次の文献を引用しています。

 WHO. Chemotherapy of leprosy for control programmes. Report of a WHO study group. Technical Report Series 675, World Health Organization, Geneva, 1982.

1981年説の文献があったら教えてください。
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Re: 残念に感じています 投稿者:リベル 投稿日:12月12日(火)00時03分36秒   引用  編集済
北風さんが、私の書きたいことの大半を、書いて下さったようです。重複するところがありますが、私なりの答も有って然るべきでしょうから、お答えします。


> ハンセン病市民学会組織委員会/組織委員会各位/宗教部会各位/事務局各位
> というMLの藤野豊さんのメッセージを紹介されているのですが、
>
> (1)このMLは一般に公開されていますか?
> あるいは参加登録されている方以外には公開されていないのですか?
> 「別に機密文書ではないでしょうから」、とリベルさんが断っていらっしゃいますが、
> もし一般公開されていないMLだとしたら、
> リベルさんのHPのBBSという誰でも見ることが可能な場に、
> 発信者以外の方(リベルさん)が他人のメッセージ(藤野さん発言)を
> 公開するということに対しては、発信者の方の了解を得てのことでしょうか?
> 発信者ご本人の了解を得ているのであれば問題は無いと思いますが、
> もしそうでないとしたら・・・それは公平というか、フェアではないのでは?
> それはいかがなものでしょうか?ちょっと気になります。
>
> (2)リベルさんご自身はこれらのMLに参加されていて、
> この藤野さんのメッセージを受信されているのですか?
> だとすると、このBBSに書かれているご意見の数々は先にこれらのMLにも
> 書き込まれているのですか?
> その上でこのBBSにもご意見をだされて両方からの返答・回答をお待ちなのですか?


北風さんが書いて下さったように、先ず、私はこのMLに参加していません。ですから「別に秘密文書でもないでしょうから。 投稿者:  投稿日:12月 8日(金)12時13分51秒」に紹介されている文章にはその時初めてお目にかかったわけです。これが(1)(2)の回答になっている、と思います。


> (3)リベルさんに限りませんが、他の方からも
> 市民学会への疑問がかかれていますが、それらのことは直接市民学会へまずは
> ご意見を出されているのですか?
> 意見をいう窓口がないと思うのなら、作って欲しいといってみてはいかがですか?
> 実際に意見が排除されているかどうかは私にはわかりませんが、
> 少なくとも、開かれた会といっている会ですし、まだスタートしたばかりなのですから
> どんどん会員(以外の方も?)の声をだしていって皆で作り上げていけば
> いいのではないかと思いますが。
>
> F事件の映画化の問題で以前にこのBBSで議論が盛んでしたが、
> その時にも感じたのですが素朴な疑問として、
>
> 当事者の方々へまずは率直にご意見をだしてみてはいかがですか?
> その上でさらなる議論をしたらいいと思うのですけれども・・・
>
> というようなご意見がどなたかからも以前あったように記憶していますが、
> せっかくのご意見が反映されていかないのは残念です。
> なぜ当事者に伝えてみるというような経緯を経ないで、
> 色々なご不満を一方的に述べておられるのか
> 非常に疑問に感じてしまいます。
>
> このBBSがリベルさんのお仲間同士のそれこそMLで一般に
> 公開されていないものであるならどのようなご発言をされてもいいのですが、
> とにかく公開の場で誰でも見られる場であるということを、
> 時々お忘れになっているのかな、と残念に思うことがあります。
>
> もっと公の場での発信の場であると意識されて頂きたいと思います。
> 時々2チャンネル化するこのBBSが怖くなります。
> なら、見なければいい、と反論があるかもしれませんが・・・
> 正直しばらくはこちらのBBSを見る気がしなくなっておりました。
>
> リベルさんのHPは多大な敬意を表しておりますので、
> 皆様がたの良識あるご発言を望みます。
> HPもBBSも目的は皆さんが“ハンセン病問題”について
> 真剣に考えていらっしゃることだと思います。
> ですから、意見交換の場は大切であることは間違いありませんが、
> まずは公開の場で話す場であるということを認識された上で、
> 本当にこの問題の解決をめざすのであれば、
> 当事者間でまずは、意見をぶつけてみた方がいいかと思います。
>
> そうしないと目的に向かって、残念ながらかえって逆効果になってしまう、
> ということをおおいに危惧しております。


このお話については、私はこのように考えています。BBSというのは、音楽で言えば、「オーケストラ」ではない。ということです。ここは、音楽好きの人が、それぞれの楽器を持って来て、好きな曲を演奏する、広場だと思っています。

ただ希望するマナー、エチケットは一番上に書いています。「情報・質問・問題提起、雑談・冗談・議論・激論 は大歓迎ですが、人を傷付けるのは如何なものでしょう・・・」。これは思いつくままに言葉を並べたのではありません。取り上げる「内容」三つと、「取り上げ方」四つを整理して書いたつもりです。

その範囲内であれば、どんな楽器で、何を演奏されようと自由である、そういう広場を提供しているのです。私はといえば、まあ地主に過ぎません。BBSの運営者はコンダクターではないし、そうあってはいけないと私は思っています。発言をリードしたり抑制したりしてはいけないと思っています。まあ、とてつもない大太鼓でも鳴らされれば、か細い声で「お控え頂けますか」というのが関の山で・・・。

だから、MLと大きく違うところは、集まったみんなで、管弦楽を演奏する(一つの意見をまとめあげる)場所ではないということです。みんなが、それぞれ他の人の演奏を聴いて、「なるほど」と思ったり「チョット違うな」と思ったり、そうして自分の考えを整理する場所と言っても良いのでしょう。少なくとも私は、そういう(考えを整理する)場所として活用しています。もし自分の演奏を多くの人にキチント聴いて欲しいと思えば、その方個人が(私自身も含めて)リサイタルを開かれれば良いのです。(然るべき所へ、意見具申をなされば良いのです。)

ただ、気を付けなければいけないのは、私はこのBBSの提供者であることです。ということは、私の発言は、他の人の発言と同次元ではとらえて頂けない、特殊な立場にあると言えます。それだけに、発言は余程慎重でなければならないと思います。そのことは「ナツメ」さんの演奏をお聴きしていて、強く感じ、そして反省・自戒しました。


> せっかくハンセン病について初めて知るという方たちが
> リベルさんのHPを訪問して、さらにBBSも訪問したときに
> 引いてしまうような内容だったら、それ以上関わりたくない、
> 知りたくない、というような気になりはしないでしょうか?
>
> とかく難しく感じさせらるこの問題に関わろうとした時に、
> まだ内情をよく知らない方たちに、さらにマイナスな
> イメージを持たれてしまったら、このことは
> 誰にとっても有益にはなりませんので
> 本当にもったいなく、残念に思えてなりません。


洋楽器ばかりの所へ、琵琶・尺八の演奏が聞こえてきて、あれ?と耳を峙てました。しかし和楽器も勿論歓迎です。ましてや「ナツメ」さんは優れた演奏家です。ハンセン病問題に対する真摯な熱意が伝わってきます。

武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」がニューヨーク・フィルハーモニ−の楽員の心を最終的には溶融したように、このBBSの楽員の方々も耳を澄ませてお聴きするだろうことを、地主としては心待ちしています。・・・・甘い!か・・・(笑)

いつもそうやって、何とか(笑)のマークで締めくくろうとしてやがる、という声が、どこかから・・・(>_<)
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時間がない 投稿者:北風 投稿日:12月11日(月)16時22分44秒   引用  編集済
今ちょっと拝見しました。
これから友人の「壽屋学芸賞」の授賞式に出席しなくてはならないので改めて書きますが、思いつくままに。

まず、事実誤認があります。「別に秘密でもないでしょう」とメールを公開したのはリベルさんではありません。
映画の問題でもYさんが、直接監督や事務局と話した事実を指摘しています。

メールの内容も映画の話も「個人」の私信やプライバシーを公開したわけではなく、きわめて公的な問題です。公の問題は、個人の手を離れて「公の場」で論じられるべきです。(日本の政治について、そんなことは直接首相に言えという人は居ないでしょう。ことの大小あっても同じ)

そういう意味で「なつめ」さんの投稿は、非常にソフトながらまたご自分で意識していないかもしれないが、「言論の封殺」の意図を感じます。

繰り返しますが、ここは「公の場」であるからこそ議論しているのであって、「公の場」での議論をせず「閉ざされたところ」で意思決定や物事が進行することの危険を指摘しています。

また、これを読んでいる皆さんが「引いてしまう」ことを危惧していますが、それは「昔の言葉」で「大衆蔑視」といいます。情報は公開して読んだ人の判断に任せるのがいい。

「読者」の皆さんの忌憚のないご意見をお聞きしたいですね。
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Re: 市民学会の意思決定。 投稿者:リベル 投稿日:12月11日(月)12時34分37秒   引用  編集済
注意!これは下の「ナツメ」さん(別称リベル)の投稿とダブりました。だからそれを拝読する前に書いて投稿し、そして「ナツメ」さんの投稿に気付きました。今から出かけますので、書き直しはしません。プリントアウトして読みながら歩いてきます。以上ご了承ください、お願いします。


> 少なくとも宝塚のYさんが、市民学会に、「映画問題」で問題提起の書簡を送っている。
> その問題提起は、会員の公開された議論にもなっていない。問題提起があった事実さえも会員に知らされていない。完全に握りつぶされている。

山下峰幸さんの「シナリオ批判」は、市民学会への書簡となっていたのでしたか、それは忘れていました(こんな風に、いい加減だからいけない!)。だとすると、握り潰しですね。


> 一方、一部の人の「問題提起」は幹部へのメーリングリストで既成事実化され決定され
て、一般会員は「シンポジウム」とやらに駆り出されているのが現状ということですわな。

幹部へのMLで既成事実化・決定、これもいけない。


> しかし、一番問題なのは、こうしたことは、だれそれがという個人的な問題ではなく、一義的に市民学会の場で議論されるべき問題であって、しかし、そうした事を議論する場がないというシステム上の問題ですかな。

そのとおりですね。システム上の欠陥・瑕疵ですね、これは。


> たとえば、この問題を「総会」で議論するにしても、事前に「議題」として提出して議事に繰り入れなければ、不規則発言として排除されてしまう。
> では、「議題」はどういう風に提出したらいいのか? これも窓口がない。

不規則発言視排除、窓口不在。全て匿名希望さんと意見が合致、というか、再確認させて頂けました。


これは、やはりいけません。いけないことです。そして、黙っていてはいけない。さあ、どうする優柔不断のリベルさん・・・!
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訂正 投稿者:ナツメ 投稿日:12月11日(月)12時22分48秒   引用
すみません。先ほどの投稿は投稿者名がリベルさんになってしまいました。
もちろんリベルさんではないのは言うまでもありません。
どうしてそうなってしまったのか、うっかりしていました。大変申し訳ありません。
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残念に感じています 投稿者:リベル 投稿日:12月11日(月)12時20分22秒   引用
初めて投稿します。リベルさんのHPはいつも参考になっておりますので、リベルさんの熱意には大変敬意を感じております。

ただ、リベルさんについては個人的にはどのような立場の方かは存じ上げないので、
疑問に思うことがあるのですが、このたび思い切って質問させてください。

ハンセン病市民学会組織委員会/組織委員会各位/宗教部会各位/事務局各位
というMLの藤野豊さんのメッセージを紹介されているのですが、

(1)このMLは一般に公開されていますか?
あるいは参加登録されている方以外には公開されていないのですか?
「別に機密文書ではないでしょうから」、とリベルさんが断っていらっしゃいますが、
もし一般公開されていないMLだとしたら、
リベルさんのHPのBBSという誰でも見ることが可能な場に、
発信者以外の方(リベルさん)が他人のメッセージ(藤野さん発言)を
公開するということに対しては、発信者の方の了解を得てのことでしょうか?
発信者ご本人の了解を得ているのであれば問題は無いと思いますが、
もしそうでないとしたら・・・それは公平というか、フェアではないのでは?
それはいかがなものでしょうか?ちょっと気になります。

(2)リベルさんご自身はこれらのMLに参加されていて、
この藤野さんのメッセージを受信されているのですか?
だとすると、このBBSに書かれているご意見の数々は先にこれらのMLにも
書き込まれているのですか?
その上でこのBBSにもご意見をだされて両方からの返答・回答をお待ちなのですか?

(3)リベルさんに限りませんが、他の方からも
市民学会への疑問がかかれていますが、それらのことは直接市民学会へまずは
ご意見を出されているのですか?
意見をいう窓口がないと思うのなら、作って欲しいといってみてはいかがですか?
実際に意見が排除されているかどうかは私にはわかりませんが、
少なくとも、開かれた会といっている会ですし、まだスタートしたばかりなのですから
どんどん会員(以外の方も?)の声をだしていって皆で作り上げていけば
いいのではないかと思いますが。

F事件の映画化の問題で以前にこのBBSで議論が盛んでしたが、
その時にも感じたのですが素朴な疑問として、

当事者の方々へまずは率直にご意見をだしてみてはいかがですか?
その上でさらなる議論をしたらいいと思うのですけれども・・・

というようなご意見がどなたかからも以前あったように記憶していますが、
せっかくのご意見が反映されていかないのは残念です。
なぜ当事者に伝えてみるというような経緯を経ないで、
色々なご不満を一方的に述べておられるのか
非常に疑問に感じてしまいます。

このBBSがリベルさんのお仲間同士のそれこそMLで一般に
公開されていないものであるならどのようなご発言をされてもいいのですが、
とにかく公開の場で誰でも見られる場であるということを、
時々お忘れになっているのかな、と残念に思うことがあります。

もっと公の場での発信の場であると意識されて頂きたいと思います。
時々2チャンネル化するこのBBSが怖くなります。
なら、見なければいい、と反論があるかもしれませんが・・・
正直しばらくはこちらのBBSを見る気がしなくなっておりました。

リベルさんのHPは多大な敬意を表しておりますので、
皆様がたの良識あるご発言を望みます。
HPもBBSも目的は皆さんが“ハンセン病問題”について
真剣に考えていらっしゃることだと思います。
ですから、意見交換の場は大切であることは間違いありませんが、
まずは公開の場で話す場であるということを認識された上で、
本当にこの問題の解決をめざすのであれば、
当事者間でまずは、意見をぶつけてみた方がいいかと思います。

そうしないと目的に向かって、残念ながらかえって逆効果になってしまう、
ということをおおいに危惧しております。

せっかくハンセン病について初めて知るという方たちが
リベルさんのHPを訪問して、さらにBBSも訪問したときに
引いてしまうような内容だったら、それ以上関わりたくない、
知りたくない、というような気になりはしないでしょうか?

とかく難しく感じさせらるこの問題に関わろうとした時に、
まだ内情をよく知らない方たちに、さらにマイナスな
イメージを持たれてしまったら、このことは
誰にとっても有益にはなりませんので
本当にもったいなく、残念に思えてなりません。
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市民学会の意思決定。 投稿者:匿名希望 投稿日:12月11日(月)09時48分1秒   引用  編集済
少なくとも宝塚のYさんが、市民学会に、「映画問題」で問題提起の書簡を送っている。
その問題提起は、会員の公開された議論にもなっていない。問題提起があった事実さえも会員に知らされていない。完全に握りつぶされている。

一方、一部の人の「問題提起」は幹部へのメーリングリストで既成事実化され決定されて、一般会員は「シンポジウム」とやらに駆り出されているのが現状ということですわな。

しかし、一番問題なのは、こうしたことは、だれそれがという個人的な問題ではなく、一義的に市民学会の場で議論されるべき問題であって、しかし、そうした事を議論する場がないというシステム上の問題ですかな。
たとえば、この問題を「総会」で議論するにしても、事前に「議題」として提出して議事に繰り入れなければ、不規則発言として排除されてしまう。
では、「議題」はどういう風に提出したらいいのか? これも窓口がない。
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余談ですが・・・恐るべき人間がいる 投稿者:リベル 投稿日:12月11日(月)08時07分11秒   引用
政治評論家の三宅久之氏の話
「神奈川県の或る中学で、朝礼の時女生徒が倒れる数が異常であるので調べたら、麻薬が蔓延していた。先生達が校長に相談したら「黙っておけ。私はもう一ヶ月で定年だ、今問題が起ると、退職金に影響することは先生方にも分かるでしょう!」と言ったという。

自分の怒りや正義感や義憤、そういう感情を、収入に影響するからと、理性で抑え込むという、そのことに私は底知れない恐怖感を覚えるのです。人間は恐ろしい。今更ながらですが・・・この年で・・・(>_<)

いや、この校長先生が、普通に、人並みに、麻薬の蔓延に怒りを感じたとしての話ですね。ひょっとしたら、感じないのかも知れない。そであれば、もう、なにをかいわんや、ですが。「甘い!」ですって・・・?そうなのでしょうね、恐らく・・・
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Re: 続:Re: 別に秘密文書でもないでしょうから。 投稿者:リベル 投稿日:12月11日(月)01時14分1秒   引用  編集済
> 今まさにこのことを考えています。
> 単に、将来構想や厚労省追及の応援部隊ではなく、どう位置づけどう関わっていくのか。

私が、もう一つ言いたかったのは、市民学会の意志決定、意思形成の方法のことです。

1)誰の意見を集約しようとしているのか?広く「市民」にか、それとも学会員にですか?

2)意見集約の方法は?問題提起をし、検討を依頼して(別に秘密文書でもないでしょうから。 投稿日:12月 8日(金)12時13分51秒 参照)・・・その先は?自主的な返事待ちでしょうか?

3)BBSや投稿フォームを作ってはいけないのですか?ML(同上参照)という閉じられた世界での呼びかけに止まらず、折角のHPに意見や提案や疑問などをドンドン掲載しないのは何故ですか?

4)こういうことを、何故私は、ここに書いているだけなのですか?(それは自分が悪い!)


これらのことを、誰に、どこへ言えば良いのか?そこで躓かせるものが、有るように思えるのです。その石ころを取り除くためには、何をすれば良いのか、どなたか教えて下さい。小さな、小さなヒントでも。

取り敢えず、窓口をなさっている遠藤事務局次長さんに、上の質問をメールする(もっとチャント整理してですが)のは簡単です。が、その先が、予想できないので、困ります。遠藤氏を困らせるだけになるような気がして・・・。困っています・・・。


そうか、北風さんが、前から仰有っていたのは、こういうことだったのですか・・・。
返事を強要しているのでは有りません、本当に。自分で肯いているだけです・・・(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン
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Re: 続:Re: 別に秘密文書でもないでしょうから。 投稿者:北風 投稿日:12月10日(日)21時37分47秒   引用
>
> 市民学会の存在と役割の重要性を、もっと自認して頂かないと、困ってしまいます。
>

今まさにこのことを考えています。
単に、将来構想や厚労省追及の応援部隊ではなく、どう位置づけどう関わっていくのか。

少なくとも、「「それはおかしいですよ」と、ただひとことが、言えません・・・」というような「学会」であってはならない。
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南洋と鳩 投稿者:Ichiro 投稿日:12月10日(日)14時15分43秒   引用
南洋について:新しい発見があれば素晴らしい事です。ただし、厚生労働省にたいする作戦としてはリベルさんの考えに与します。南洋については「日本領サイパン島の1万日」野村進 岩波書店を推します。そこの歴史が詳しく書かれています。医師がいなければ、療養所ではないわけで、実際がどうであったか、詳しく知りたいと思います。サイパンには博物館が2つありました。一つは米国系です。

鳩について:鳩のデコイとはどういう目的でしょうか。ちょっと判りません。鳩は平和のシンボルといいますが、とんでもないという説があります。それは鳩が力を加減しないで戦うからです。それと私が気に入らないのは、鳩の寄生虫で、日本で有名な柔道家がクリプトコッカスのためになくなっています。他に、サルモネラ、オーム病、ニューカッスル病、ヒトプラスマ症をきたすそうです。あとの方はインターネットからの知識です。
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第1回ハンセン病問題対策協議会 全面解決要求書 投稿者:リベル 投稿日:12月10日(日)04時05分25秒   引用  編集済
5年前の判決直後、小泉談話を受けて早速開かれた「第一回ハンセン病問題対策協議会」の記録が有りました。弁護士野間啓氏のHPの中のデータベースに有りました。

良く読むと、当時の「統一交渉団」の綿密さや熱意がひしひしと伝わってきます。厚労省と、しかし、何度も付き合ってみて、少し倦怠期気味か?などと言うと、叱られてしまいますね。この夏の対策協議会のまとめと読み比べると、面白いです・・・。
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続:Re: 別に秘密文書でもないでしょうから。 投稿者:リベル 投稿日:12月 9日(土)14時16分11秒   引用  編集済
>療養所の将来構想 、「胎児標本」問題、「新・あつい壁」の上映運動、「ハンセン病問題基本法」など、わたくしたちの前には課題が山積みです。(一部簡略化)

藤野事務局長ご指摘の通り、重要な課題が山積みです。

>ソロクト・台湾については「補償法」改正で道が開けたものの、隔離された記録の未確認などでソロクトへの補償は停滞しています。

ソロクトでさえ、記録が散逸して補償の実現がままならないのが現状です。


こういう問題について、市民学会はこれまでどう対処してきたのでしょう。「胎児標本問題」では、2度厚労省に要望書が突きつけられました。
しかし、療養所の将来構想 、「新・あつい壁」、「ハンセン病問題基本法」、「藤本事件の再審請求」他の問題はどうなのでしょう。どういう発言を市民学会としてされてきたか?意見集約をされてきたか?私の知る限りでは、お見かけしません。

この状況の下で、唐突に「ミクロネシア」の問題を厚労省や国会に訴え、要望するというのは、少々順番が違うのではないか、と私は思います。藤野先生のこの問題に関する調査や研究自体は重要であり、価値の高いものだと信じます。

しかし、山積する重要課題を置き去りにして、「ミクロネシア」を市民学会が取り上げ、厚労省などへ働きかけるというのは、軽率の謗りを免れ得ないと思います。厚労省は、なんだ市民学会は、他の問題よりこの問題を重視しているのか、と喜んで誤解することでしょう。

市民学会の存在と役割の重要性を、もっと自認して頂かないと、困ってしまいます。


宝塚の山中から、老い耄れの呟きで、お耳を汚してしまいました・・・(>_<)
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Re: 別に秘密文書でもないでしょうから。 投稿者:リベル 投稿日:12月 9日(土)02時50分25秒   引用  編集済
> ◇◆◇◆  ハンセン病市民学会組織委員会 ML    ◆◇◆◇
> ◆◇◆◇ Hansen's Disease Association for the People ◇◆◇◆
> ハンセン病市民学会 組織委員会各位
> ハンセン病市民学会 宗教部会各位
> ハンセン病市民学会 事務局各位
>                    2006年11月19日
>                     ハンセン病市民学会 事務局長  藤野 豊


正直申しますと、今日は何も言いたく有りません。という言い方も横柄で、誠に失礼極まりないので・・・、

ご免なさい、今夜はしばし沈思黙考の時間とさせてください。と言い直します・・・m(_ _)m


この写真の中央に居る鳩は、どうもデコイではないかと、疑っております・・・。
だって、枯れ葉をベンチの上に置いたり(向こうのベンチには積もっていませんし
手前のベンチの枯れ葉を無くすると、絵柄が一変してしまいます)、
何やかややって居る間、こう好都合に、前を向いてじっとしている鳩なんて、
居るわけ無いでしょう・・・自分の性格の悪さに、怒りと失望・・・(笑)

(リベル) 我が家の家訓の一つ。心底腹が立ったら、マウスシャット!(12.9 05:11)
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ハンセン病問題を考える! 投稿者:ルリカケス 投稿日:12月 9日(土)02時06分49秒   引用
>全癩患協・全患協・全療協は何を要求し、どう発言してきたか? そして、統一交渉団(全原協・全療協・全国弁連)は?
  それに対して国は、厚生労働省は何を語り、何をしようとしてきたか?そして、しているか?それを年表の形に並べて読んでみると、こんなことが見えてきます。いま、私たちが何を為すべきか?それが、ここから読み取れます。

リベル様
 今日は、ルリカケスです。毎日リベル様のHPはご覧になっています。今回の全療協&統一交渉団の最近の動向を読んでいますと、まさにリベルさんの言わている事が解ります。
全療協は解りますが、全原協の役員が療養所にいながら、園内の事を発言するはどうかなーと思う一人です。
 まして退所者も「ハンセン病問題対策協議会」には、しっかりとした要請書を出すべきではないでしょうか?全療協自身が、退所者の事を掲げても絵に描いた餅にならないよう今後統一交渉団は、今以上協議に時間を掛けるべきと思います。
また書き込みます。今回のハンセン病問題を考えるサイト参考になります。
(リベル) ルリカケスさん、ご無沙汰しています。毎日HPへは伺っております。いま、統一交渉団の果たすべき役割は大きいと痛感しています。厚労省への突っ込みは頼もしいのですが、もっと三者(全原協・全療協・全国弁連)間の、頻繁で綿密な打ち合わせが、聞こえてきても良いような気もいたします・・・。(12.9 02:42)
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別に秘密文書でもないでしょうから。 投稿者:  投稿日:12月 8日(金)12時13分51秒   引用  編集済
◇◆◇◆  ハンセン病市民学会組織委員会 ML    ◆◇◆◇
◆◇◆◇ Hansen's Disease Association for the People ◇◆◇◆
ハンセン病市民学会 組織委員会各位
ハンセン病市民学会 宗教部会各位
ハンセン病市民学会 事務局各位

 皆様の日ごろのハンセン病問題への取り組みに感謝いたします。療養所の将来構想 、「胎児標本」問題、「新・あつい壁」の上映運動、来年度の草津での総会準備など、わたくしたちの前には課題が山積みです。弁護団の徳田先生からは「ハンセン病問題基本法」制定へ向けた国民運動喚起の提起もありました。そうした状況を承知の上で、まことに申し訳ないのですが、さらにご負担をおかけする提案をさせていただきます。それは、旧植民地・占領地への補償の問題です。ソロクト・台湾については「補償法」改正で道が開けたものの、隔離された記録の未確認などでソロクトへの補償は停滞しています。さらに非入所者・退所者・私立入所者への補償は未着手です。そして、ミクロネシア(旧「南洋群島」)への補償については、南洋庁が隔離を規定した法令がないことを理由に、厚生労働省は告示さえしていません。私もまだ調査中なのですが、こうした状況を踏まえて、『市民学会年報2007』に中間報告を急遽、投稿させていただき、審査の結果、掲載をお許しいただきました。詳しくは、その原稿に譲るとして、以下、ポイントを記します。

@ たしかに南洋庁は隔離を命じる法令は発布していません。しかし、南洋庁警務課『南洋群島警察之概要』1937年版において「当庁ニ於テハ未ダ癩予防ニ関スル法令ノ制定ナキ為内地法令ヲ参酌シ其他訓牒ニヨリ取締ヲ為ス」と明言しています。これは、「南洋群島」において日本国内と同じく強制隔離があったことを南洋庁自身が認めていることになります。
A 「南洋群島」の療養所は療養所とは名ばかりの施設で、医師も看護師も常駐せず、月に1回、食料と医薬品を届けるだけで、あとは患者と付添い人が自分で治療していました。療養所は日本国内よりもさらにひどい棄民の場でした。
B 患者には、現地住民だけではなく、日本人(特に沖縄出身者)、そして強制連行された朝鮮人もいました。現地の療養所には現地住民のみを隔離するのが原則でしたが、いわゆる太平洋戦争段階では、沖縄出身者も、朝鮮人も隔離収容されましたし、さらには、療養所もない無人島に隔離された例もあります。
C 戦争末期の1944年〜1945年にはパラオとヤップで日本軍による患者殺害があったことは間違いありません。サイパンでもあったという情報もあります。パラオとヤップの犠牲者のなかには沖縄出身者と朝鮮人も含まれていた可能性が高いです。
D 日本統治時代の患者で今も生存されている方をを見つけることはかなり困難です。いくつかの情報でもみな亡くなったということです。しかし、ヤップに遺族が一人おられることがわかりました。ただ遺族には補償を受ける権利はありません。
E 沖縄出身者の犠牲もあるということで、沖縄県健康増進課とも相談しましたが、国がミクロネシアの患者を補償の対象に告示しない限り、県として独自に調査することは難しいとのお答えでした。沖縄県としては、国が告示してくれれば、県出身者については調査したいというご意向です。

 そこで、提案させていただきます。

@ 『年報2007』が12月に刊行予定とのことです。私は、中間報告とは言いながら、現時点で確認できた公文書を含む資料、情報をそこで紹介したので、これを根拠に、厚生労働省に対し、ミクロネシアの患者の告示を求める行動を起こす。
A 国会でもそうした議論を進めるよう、各政党、関係議員に要請する。
B たとえ、生存者がいなくても、国の過ちとして認めさせ、謝罪させる。
C ソロクト・台湾の補償状況を報告し、さらにミクロネシア・「満州」などへの補償を求めるシンポジウムを市民学会が中心となり補償法改正1周年ということで来年1月〜3月に各地で開催する。東京・京都・大阪・名古屋・福岡・沖縄・札幌・富山・群馬・新潟・岡山など。
D 虐殺の事実を確認して、市民学会として現地で犠牲者の追悼会を開く。これには宗教部会の皆様の関係する教団にも呼びかける。

 私も調査を進めますが、この提案についてご検討いただければ幸いです。

                   2006年11月19日
                   ハンセン病市民学会 事務局長  藤野 豊
(リベル) 拝読しました。っていうかプリントアウトして歩きながら読み、考えました。また、一寝入りして、書かせて頂きます。今は焼酎2合弱を頂戴して、眠くって・・・(笑)(12.8 17:20)
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Re:作り上げることの「正義」とは・ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 8日(金)07時52分14秒   引用
夕焼けさん 情報コメントありがとうございました。

 終戦時のハンセン病療養所の悲劇については、また、新しい事実が判明したのでしょうか。克目して、フォローしたいと存じます。検証会の続きという面もありましょう。

 昨年サイパンに行った際、2つの博物館に行きましたが、ハンセン病関係はわからず、またサイパンの10000日という本にも、いろいろ戦争にまつわる悲劇が書かれていましたが、ハンセン病関係は書かれていませんでした。サイパンは沖縄本島の悲劇と同様の悲劇を経験しています。以前石垣島で、波照間島の悲劇(日本軍がマラリアの多い西表島行きを命じ、3割の住民の死者がでた)の生き証人に会ったことがあります。戦争の狂気の中の悲劇は、記録されるべきでしょう。

 リベルさんへ 今日は大詔奉戴日でしたね。
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余談ですが・・・今日は大詔奉戴日 投稿者:リベル 投稿日:12月 8日(金)07時21分26秒   引用  編集済
昭和16年の今日、真珠湾攻撃。あれからもう65年経ちました・・・。


当時の軍艦は、お粗末な感じですね・・・
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Re: 作り上げることの「正義」とは・・・ 投稿者:匿名 投稿日:12月 8日(金)02時02分26秒   引用
> http://blog.livedoor.jp/nakayama_movie2005/archives/50535273.html#comments
>
>  時々、自分は荒探しの鬼化しているのでは?と、自身に問いかけることがあり、重く暗い空気が嫌で逃げ出したくなるような・・・、そんな感触を感じることが間々あります。
>
>  先日、愛媛・松山で行なわれた『全人・同教大会』に行き、
> ハンセン病問題―その差別の連鎖を問う―  の特別分科会 藤野豊 さん講演を聞いてきました。会場を満席・・・、立ち見客まで出る参加者の下でのお話しでした!
>  講演内容についてですが、広島の鬼神には大変申し訳有りませんが、「孫引き」には成らぬまでも、引用からの功名といった感を講演で知る羽目になりました!
>
>  12月26日に厚生労働省に「南洋群島」(ミクロネシア)・サイパン島(ヤルート、パラオ、ヤップの各島での療養所)・・・、「ナウルの虐殺」「パラオ・ヤップの虐殺」を、認めさせる行動に出ると、彼は意気込んでいましたが・・・?
>  この講演になぜ?会場のほとんどの方が認知していないと思える、問題を講演のラストに意気込み、しかもこの問題の事実関係を自分がやってきたと思えるような風評の下で講演が出来るのか?  いつから、広島の鬼神とタッグを組むようになったのでしょう。私はその事実を認知はしていませんが、鬼神との 協働 となっているのであれば、私にとってみればこれほどの 慶び はありませんが・・・。 この藤野さんに関する件は、追々講演内容も活字化されると思っていますが、部落問題とハンセン病の 蜜 成る関係も研究テーマや問題提起としての先駆者的地位の確立には好きなようにやって下さい!と、いう傍観的思いを感じてしまうところに 私の問題 があるようです!
>  傍観的という、醒めた言いようには訳もあります。
>  功名を指針とした動きに必ず訪れるのではないかと思える、配慮・心配りの問題です!
>  確かに、藤野さんは間違ったことは語ってはいませんでしたし、多くの勉強・学習材料も私は頂けたと思っています。しかし、彼が唱える 根拠への打破 がまだまだ不足しているように思いました。たとえば、ある研究者が、部落の中からハンセン病患者の比率が高いと述べているところの根拠は、地域差や部落内の経済力など色々な要因の中からであり、この提起をする時に充分注意を要するのは、観客側の資質だと思っています。国家やその背後にある財界の企みという現世にも十分存在している政略に対する 怒り を持ち合わせた方々なら、藤野さんの提起も消化しきれるのか知れませんが、「部落問題」「ハンセン病問題」を人が持つ心の問題であると一義的な様相の下、邁進する活動という茶番につき合わされている国民性では、「部落とハンセン」を、ネガティブなイメージからの植え付けが始まり、拡がる可能性・・・、まかり通る恐れすら感じてしまいました。
>  これからの被差別部落化問題の活動に、新たなる闘いも含まれる恐れすら感じてしまいました!
>  日本国民の大半は、「部落問題」も「ハンセン病問題」も、まだまだ論理的に語れる方々の存在が 希有 であることの現実を事実である!と、私は傲慢にも信じています。
>  そんな中での、新たなイメージからの一人歩きが、面白半分とまではいいませんが、人の口に扉は立てられない多くの事象に直面されることにより、落胆という嘆きの事実が圧し掛かってくるようです!!
>
>  松夫さんにほんの僅かなのでしょうが、触れることが出来ていた私は、幸せ者なのかもしれませんね!
>
>  被差別部落問題・化 と ハンセン病被差別問題・化 で、あることの確信の下で、動けるからです。
>
>  「差別化」は、世の必要不可欠の施策であると唱える存在の事実に、目を向け、対峙の姿勢も不可欠である事実に多くの仲間と、共有する仕組みが求められているように思いますが・・・、現実の厳しさを肌で感じますし、自分自身の人間性の持つ問題が、拡がりが示せない要因であることを気が付き始めました・・・。
>
>  映画化の必要論を、製作者側に今一度語っていただき、その真意に理解が得られるのか?の、論議がされないでいく事実には、人権の構築など絵空事!今回の映画化で、ハンセン病問題に携わる方々の 値打ち が問われ、多くの思いやり・やさしさを持ち合わせた人民の存在を失うことになるやも知れません!
>
>  部落問題の実態から何かを掴み取りたいと渇望されている方には、現実の部落問題解放が、如何に骨格のない、権利闘争という武器で歪められたのか!?このこととハンセン病被差別化問題との 交差 が僅かでも見えてくることに、勇気の弁と、怒りの弁を持ち合わせた方々の民主主義の原理には背く少数派からの発信こそが、必要不可欠であると、今、私は信じています!!
>
>  人権という名の下で、何が起き、何がされようとしているのか?見抜く力が、市民レベルに求められている気がします。その為の摩擦は避けられません!いい子ぶりっ子の精神は早く振りほどきたい!が、今の私の私に対する願望です!!
>
> 蛇足
>  私の同志からの連絡ですが・・・、参考に!
>
> 10月2日付けで2000万円が決定されていました。
> これの一番最後のページに対象の一覧があります。
> http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/04katudou/h18/18e-kouhyou.pdf
>
> ホームページ
> http://www.ntj.jac.go.jp/
> 基金について
> http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/index.html


同感です。
「それはおかしいですよ」と、ただひとことが、言えません・・・
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ハンセン病違憲国賠裁判全史 投稿者:リベル 投稿日:12月 8日(金)00時50分44秒   引用  編集済
12月5日に皓星社さんから出たこの書物を手にする機会を得ました。一年以上前でしたか、こういうのが本になると聞いたとき、北風さんに「凄いことをやりますね」と言ったら「有るものを本にするだけです。どの裁判にも付き物で・・・」と軽く往なされたので、そんなものかなあと信じていたら、とんでもない。

編集日記からも、最近の北風さんの独り言からも読み取れますが、やはり物凄い仕事です。犀川氏、大谷氏、和泉氏などの証言が全部読めるだけでも、お腹が一杯になりそうですが、真価はそこにはありません、実は・・・。

頁を開けば、全編から溢れかえる慟哭が、正に耳朶を打ちます。私などは腹筋が痛くなるほど泣きました・・・(笑)本当かどうか、「最終準備書面」などという、これまで古賀弁護士のサイトで、資料発掘に訪問したことしかない、その最後の文章をご紹介してみます。これで立ち上がらなければ杉山正士裁判官は男でない・・・。


『原告は、視力を失ない、両耳とも補聴器によって辛うじて会話可能な70歳代である。50年以上の隔離を経て、暗闇と無音の世界に生き続ける彼を支えたものは、50年前の屈辱である。
 自らの療養所への入所の故に、理不尽にも新婚間もなく離婚され行方を絶った妹への謝罪すらかなわず、狂おしい程に泣き叫びながら自らを呪う以外に術のなかった彼は、いつかこの屈辱を公にする日の来ることを信じて、生きぬくことを誓ったのである。
 50年を経て遠く九州の地に国賠訴訟の狼煙が上ったことを知ったとき、ついにその日が来たと彼は絶叫した。
 「この日のために自分は地獄のような日々を耐えてきた」と全身を震わせて号泣するその姿こそ、原告らすべてがこの訴訟にかける思いの発露である。
 50年余のあまりにも長すぎる沈黙を超えて、原告らは、その身の奥深く刻み込み塗り込めてきた被害の一端を明かしつつ「人間を返せ」の叫びを結んで、裁判所に問いかけている。
 日本国の裁判所は憲法の番人たるかと。
 今ほど、司法の責任が問われているときはない。今こそ、真の救済のための扉が開かれなければならない。』

書いた弁護士さんも偉いが、受けて立ち上がった杉山さんも偉い・・・(o_ _)oパタッ!
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再度「ハンセン病問題を考える」 投稿者:リベル 投稿日:12月 7日(木)13時02分44秒   引用  編集済
申し訳ありません。横入りで。人様のお話を、一時ネグッテ、新しい試みをテストさせていただきました。ホームページのソース(タグという奴)を、そのまま貼り付けてみたのです。チョット一つ問題はありましたが、まずまず、成功でした・・・単なる自己満足・・・お許しください、今から、良く読ませて頂きます・・・。

いま、ハンセン病問題を考えるために…

  2001年の熊本地裁判決の翌月、総理大臣談話を受けて第一回「ハンセン病問題対策協議会」が開かれました。

  その5年後、2006年には「平成18年度ハンセン病問題対策協議会」が開かれ、「終生在園保障」と「退所者対策」は議題に上りましたが、

  「全療協の目的」が当初から冒頭にに取り上げている「人権擁護」に関する具体策は取り上げられることがありませんでした。

  振り返ってみると、これまで抽象的に「差別や偏見の解消」が叫ばれることはあっても、その具体化の動きは見られなかったのです。

  僅かに日弁連が、2000年に「政府から独立した人権機関」の設置を要求しますがその後、実現は難航しています。(参考)

  2003年に「宿泊拒否問題」が発生し、問題の根の深さが認識されて初めて、「検証会議の最終報告書」が「提言」の中で

  「人権擁護制度」を明文化しました。ここに至って初めて、「全療協の目的」が掲げる三っつの項目が、揃って日の目を見ることとなったと

  言えるのではないでしょうか。私たちが、いま考えなければならないことは、人権法規、在園保障、退所者(含む非入所者)対策、

  この三つなのではないでしょうか。

  全癩患協・全患協・全療協は何を要求し、どう発言してきたか? そして、統一交渉団(全原協・全療協・全国弁連)は?

  それに対して国は、厚生労働省は何を語り、何をしようとしてきたか?そして、しているか?

  それを年表の形に並べて読んでみると、こんなことが見えてきます。いま、私たちが何を為すべきか?それが、ここから読み取れます。

 お願い

  せっかくお見え頂いても、余りの文章量に後ずさりされては、いけませんので、一言付け加えさせて頂きます。

  最初に「全療協の目的」だけお読み頂いて、あとは飛ばして「平成18年度ハンセン病問題対策協議会 まとめ」をお読みください。

  「全療協の目的」が長い歴史を経て、形を変えて活きていることをお伝えしたい、それが編者の願いだということをご理解頂ければ

  とても有り難いと存じます。その中間は現在に至るまでの、半世紀以上にわたる経緯を見るための「参考」としてご覧ください。


本体は、こちらです。
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種々の団体、組織 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 7日(木)12時34分10秒   引用
夕焼けさん こんにちは よく読んでコメントしたいと思います。

 ハンセン病をとりまく種々の団体、組織

 ハンセン病を患った人々の医療、福祉は一義的には政府が行っていたし、予算設備なども政府が行っていたので、自治会はまっすぐ政府に対して要求などしていた。しかし、お役所仕事や予算の面もあり、また、その間の色々な面で他の団体の関与があった。慰問などを含めるとその団体の数は多い。

 藤楓協会:藤楓協会は平成15年3月31日で幕を閉じた。藤野豊は「いのちの近代史」において、皇族と藤楓協会の「功績」を論じている。どうもマイナスのイメージが強いが、私はそればかりではないと思う。政府の行うことは、予算や議員に縛られるが、それに縛られないで、予算をつけてくれた。平成十何年であったか、藤楓協会が建ててくれた、療養所の中の建物を(登記関係のことである)整理されていた。
 らい予防法の時代、藤楓協会は啓発運動を細々と行っていたが、どうも時代に即しないうらみはあった。藤楓協会が消滅したのは時代の流れと思う。

 県:療養所へ入る前、後、それから残された家族の世話などを行っていた。外出して園に帰らない人々の世話もしていた。ほかの仕事もあったかもしれない。係官は色々な市町村にいっても、そこの役場は訪問しないのである。厳密に守秘がなされていた。

 笹川財団(今は日本財団と名前を変えた):藤楓協会と同じような事をやっていたが、特に外国のハンセン病患者のために行ったことは特筆に価する。米国、英国など先進国は、二つずつ、大きなハンセン病救援(治らい剤の供与、その他)の団体があるが、日本はこの団体は笹川財団一つである。ちなみに、ベルギーの団体はダミアン協会という。
 中国は国が大きいので州を決め、数カ国が受け持っていた。タイ国の場合、笹川財団は6億円をかけ、前の空港の近くに研究所を寄付したが(前笹川会長の誕生日の記念とうたっていた)、今では、エイズの研究所になった。インドネシアも笹川財団が受け持っていた。
 以前に笹川財団から、ハンセン病療養所職員を、外国の病院、療養所に見学に連れていったことがある。それは、見聞を広めるのに役にたったし、懐かしく思い出している元職員もいることであろう。私は参加していなかったが、笹川財団がリハビリの建物を中国に寄付した際、日中でシンポジウムを開いたことがある。私も参加した。(平成4年)

 慰問などは、いろいろ民間のレベルもある。宮古では、AWWAといい、米軍の婦人福祉協会(女性の軍人とそれから軍人の奥様の団体)が毎年1回、寄付と交流にきていたが、与那覇老人会会長はせっせと、毎年何が欲しいという手紙を書いていた。30年以上も前からである。

 大学学生は、いろいろな大学から来ていたが、慰問もあるが、見学勉強という面も強い。入所者も歓迎していた。宮古の場合、中心は順天堂大学である。琉球大学の学生で、見学にきて、後に療養所に勤務した医師もいる。

 天理教の団体が来ていたのは恵楓園であった。色々な療養所では、色々な団体、個人が慰問にきていたに相違ない。
(リベル) 藤楓協会は、2003年3月に「社会福祉法人ふれあい福祉協会」と名を変えて、継続・活動しています。実態は、厚労省の下働き兼天下り先に堕しているようですが・・・(笑)(12.7 13:46)
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二つの問題。 投稿者:北風 投稿日:12月 7日(木)12時27分3秒   引用
夕焼けさんが指摘している、二つの問題は現在のハンセン病問題を考えるとき、非常に重要な視点だと思います。

批判精神が欠落してしまうと、往々にして(もし80年前に生きていたら)、安上がりな療養所の建設の為に光田健輔の提唱した「十坪住宅」の募金に嬉々として随う無邪気な女学生になってしまう。
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作り上げることの「正義」とは・・・ 投稿者:夕焼け 投稿日:12月 7日(木)08時07分19秒   引用
http://blog.livedoor.jp/nakayama_movie2005/archives/50535273.html#comments

 時々、自分は荒探しの鬼化しているのでは?と、自身に問いかけることがあり、重く暗い空気が嫌で逃げ出したくなるような・・・、そんな感触を感じることが間々あります。

 先日、愛媛・松山で行なわれた『全人・同教大会』に行き、
ハンセン病問題―その差別の連鎖を問う―  の特別分科会 藤野豊 さん講演を聞いてきました。会場を満席・・・、立ち見客まで出る参加者の下でのお話しでした!
 講演内容についてですが、広島の鬼神には大変申し訳有りませんが、「孫引き」には成らぬまでも、引用からの功名といった感を講演で知る羽目になりました!

 12月26日に厚生労働省に「南洋群島」(ミクロネシア)・サイパン島(ヤルート、パラオ、ヤップの各島での療養所)・・・、「ナウルの虐殺」「パラオ・ヤップの虐殺」を、認めさせる行動に出ると、彼は意気込んでいましたが・・・?
 この講演になぜ?会場のほとんどの方が認知していないと思える、問題を講演のラストに意気込み、しかもこの問題の事実関係を自分がやってきたと思えるような風評の下で講演が出来るのか?  いつから、広島の鬼神とタッグを組むようになったのでしょう。私はその事実を認知はしていませんが、鬼神との 協働 となっているのであれば、私にとってみればこれほどの 慶び はありませんが・・・。 この藤野さんに関する件は、追々講演内容も活字化されると思っていますが、部落問題とハンセン病の 蜜 成る関係も研究テーマや問題提起としての先駆者的地位の確立には好きなようにやって下さい!と、いう傍観的思いを感じてしまうところに 私の問題 があるようです!
 傍観的という、醒めた言いようには訳もあります。
 功名を指針とした動きに必ず訪れるのではないかと思える、配慮・心配りの問題です!
 確かに、藤野さんは間違ったことは語ってはいませんでしたし、多くの勉強・学習材料も私は頂けたと思っています。しかし、彼が唱える 根拠への打破 がまだまだ不足しているように思いました。たとえば、ある研究者が、部落の中からハンセン病患者の比率が高いと述べているところの根拠は、地域差や部落内の経済力など色々な要因の中からであり、この提起をする時に充分注意を要するのは、観客側の資質だと思っています。国家やその背後にある財界の企みという現世にも十分存在している政略に対する 怒り を持ち合わせた方々なら、藤野さんの提起も消化しきれるのか知れませんが、「部落問題」「ハンセン病問題」を人が持つ心の問題であると一義的な様相の下、邁進する活動という茶番につき合わされている国民性では、「部落とハンセン」を、ネガティブなイメージからの植え付けが始まり、拡がる可能性・・・、まかり通る恐れすら感じてしまいました。
 これからの被差別部落化問題の活動に、新たなる闘いも含まれる恐れすら感じてしまいました!
 日本国民の大半は、「部落問題」も「ハンセン病問題」も、まだまだ論理的に語れる方々の存在が 希有 であることの現実を事実である!と、私は傲慢にも信じています。
 そんな中での、新たなイメージからの一人歩きが、面白半分とまではいいませんが、人の口に扉は立てられない多くの事象に直面されることにより、落胆という嘆きの事実が圧し掛かってくるようです!!

 松夫さんにほんの僅かなのでしょうが、触れることが出来ていた私は、幸せ者なのかもしれませんね!

 被差別部落問題・化 と ハンセン病被差別問題・化 で、あることの確信の下で、動けるからです。

 「差別化」は、世の必要不可欠の施策であると唱える存在の事実に、目を向け、対峙の姿勢も不可欠である事実に多くの仲間と、共有する仕組みが求められているように思いますが・・・、現実の厳しさを肌で感じますし、自分自身の人間性の持つ問題が、拡がりが示せない要因であることを気が付き始めました・・・。

 映画化の必要論を、製作者側に今一度語っていただき、その真意に理解が得られるのか?の、論議がされないでいく事実には、人権の構築など絵空事!今回の映画化で、ハンセン病問題に携わる方々の 値打ち が問われ、多くの思いやり・やさしさを持ち合わせた人民の存在を失うことになるやも知れません!

 部落問題の実態から何かを掴み取りたいと渇望されている方には、現実の部落問題解放が、如何に骨格のない、権利闘争という武器で歪められたのか!?このこととハンセン病被差別化問題との 交差 が僅かでも見えてくることに、勇気の弁と、怒りの弁を持ち合わせた方々の民主主義の原理には背く少数派からの発信こそが、必要不可欠であると、今、私は信じています!!

 人権という名の下で、何が起き、何がされようとしているのか?見抜く力が、市民レベルに求められている気がします。その為の摩擦は避けられません!いい子ぶりっ子の精神は早く振りほどきたい!が、今の私の私に対する願望です!!

蛇足
 私の同志からの連絡ですが・・・、参考に!

10月2日付けで2000万円が決定されていました。
これの一番最後のページに対象の一覧があります。
http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/04katudou/h18/18e-kouhyou.pdf

ホームページ
http://www.ntj.jac.go.jp/
基金について
http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/index.html
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「アプリオリに」 投稿者:リベル 投稿日:12月 6日(水)01時48分1秒   引用  編集済
これは、北風さんの解説通り「論証も抜きに、端から〜」というように新聞などで使われています。今、三つの辞書から関係のある「解説」を抜き書きします。

大辞林:近代では、「先天的」の意。生物学・心理学などではある機能が生得的に与えられていること。また哲学、特にカントの認識論では、認識・概念などが後天的な経験に依存せず、それに論理的に先立つものとして与えられていること。

新明解国語辞典:先天的の意。物事に対する認識が、いっさいの経験に依存しないことを表わす。先験的。 ⇔ア ポステリオリ

コンサイス カタカナ語辞典:先天的、生得的。 ⇔ア-ポステリオリ。
★近代とりわけカント以降 「いっさいの経験に依存しない」 という意味で、対概念のア-ポステリオリとともに認識論上の用語として用いられる

などと書いてあります。語源は哲学らしいのですが、「新明解」の説明が明解で分かり易いかなと思いますが・・・。

やっぱり、一番分かり易いのは「はなから」または「はなっから」ですね・・・(笑)
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Re: 「ハンセン病問題を考える」一応完成 投稿者:リベル 投稿日:12月 6日(水)00時54分5秒   引用  編集済
> 「ハンセン病問題を考える」のページが一応、完成しました。その冒頭の解説文が、以下の通りです。

と書いて、お目に掛けましたが、日弁連のサイトからヒントを得て、一行、「人権法」について追加しました。こうなります。

いま、ハンセン病問題を考えるために…

 熊本地裁判決の翌月、総理大臣談話を受けて第一回「ハンセン病問題対策協議会」が開かれました。
 2006年には「平成18年度ハンセン病問題対策協議会」が開かれ、「終生在園保障」と「退所者医療」は議題に上りましたが、
 「全療協の目的」が最初から冒頭にに取り上げている「人権擁護」に関する具体策は取り上げられることがありませんでした。
 振り返ってみると、これまで抽象的に「差別や偏見の解消」が叫ばれることはあっても、その具体化の動きは見られなかったのです。
 僅かに日弁連が、2000年に「政府から独立した人権機関」の設置を要求しますがその後進展ははかばかしくありません。(参考)
 2003年に「宿泊拒否問題」が発生し問題の深さが認識されて初めて「検証会議の最終報告書」が「提言」の中で
 「人権擁護制度」を明文化しました。ここに至って初めて、「全療協の目的」の三項目の具体化が日の目を見ることとなったと
 言えるのではないでしょうか。私たちが、いま考えなければならないことは、これでハッキリと整理されたと私は思っています。


毎度同じことを申し上げて、恐縮するのですが、このページについての、姑の嫁いびりのような、或いは、重箱の隅を穿るような、ご意見を賜りたく、お願いします。例えば「平成14年度ハンセン病問題対策協議会  統一要求書」が長すぎるから、「要約」にしろ!など・・・(笑)(この辺、進行に応じて修正しました)
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北風様 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 5日(火)18時05分16秒   引用
アプリオリは よくわかりません。(Yahooの辞書などを読みましたが)

 Ichiroです。

 周防先生の事は、歴史上のことで、リベルさんに興味を持ってもらって、人物の所に載せられるかなということで書きました。滝尾英二先生も周防先生の経歴については、佐久間温巳先生の発表に負う所が大きいようです。光田健輔の全体を描いたのは「光田健輔とハンセン病医療」(光仰ぐ日あるべし)があります。徳永先生も全体的なことを評論しておられます。ハンセンやアーニングの話も混乱の元でしょう。

 色々混乱させて、申し訳ありません。

 どうぞ、ご自分のご意見を発表してください。
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Re: ふーむ 投稿者:北風 投稿日:12月 5日(火)09時41分34秒   引用
>  批判されているので、返事したいのですが、恥ずかしいことですが、アプリオリを説明してくださいませ。
>

アリストテレスもカントも関係ない通俗的な用法です。
論証も抜きにはなから光田健輔を「悪人」と決め付けるくらいの意味にご理解ください。

光田健輔については、いまだまともな評伝もないわけですから。
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「ハンセン病問題を考える」一応完成 投稿者:リベル 投稿日:12月 5日(火)04時49分58秒   引用  編集済
「ハンセン病問題を考える」のページが一応、完成しました。その冒頭の解説文が、以下の通りです。
明日又、改訂を加えますが、今日の所はここまで・・・(o_ _)oパタッ!

いま、ハンセン病問題を考えるために…

 熊本地裁判決の翌月、総理大臣談話を受けて第一回「ハンセン病問題対策協議会が開かれました。
 2006年には「平成18年度ハンセン病問題対策協議会」が開かれ、「終生在園保障」と「退所者医療」は議題に上りましたが、
 「全療協の目的」が最初から冒頭にに取り上げている「人権擁護」に関する具体策は取り上げられることがありませんでした。
 振り返ってみると、これまで抽象的に「差別や偏見の解消」が叫ばれることはあっても、その具体化の動きは見られなかったのです。
 2003年に「宿泊拒否問題」が発生し問題の深さが認識されて初めて「検証会議の最終報告書」が「提言」の中で
 「人権擁護制度」を明文化しました。ここに至って初めて、「全療協の目的」の三項目の具体化が日の目を見ることとなったと
 言えるのではないでしょうか。私たちが、いま考えなければならないことは、これでハッキリと整理されたと私は思っています。
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Re:ふーむ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 5日(火)01時33分6秒   引用
北風様

 批判されているので、返事したいのですが、恥ずかしいことですが、アプリオリを説明してくださいませ。

 またリベルさんのご批判についても、尤もと思います。慎みます。
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Re: ふーむ。 投稿者:北風 投稿日:12月 5日(火)01時00分24秒   引用
> 菊池先生の多彩な問題提起は、多彩に過ぎて何をおっしゃりたいのかわからない。
>
> 周防-光田顕彰というのが本筋なのか、法律にのっとれば死刑囚を実験材料に使ってもいいというのが本筋なのか。
>
> よくわかりません。
> ただ、昨今アプリオリに光田を悪人に仕立てて良しとしている人たちに与するものではありませんが。

ちょっと遠慮して「匿名」とか申しましたが、改めて名乗って申し上げます。
先生の意図わからない。

ハンセン病の問題を提起しひとつひとつ明らかにしようとしているのか、皆さんをこんらんさせようとしていのか。
たとえば、周防博士の話題を出した。真反対の評価が出たのにあいまいにしらばくれている。
問題提起者としてあまりに無責任だ。
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失礼しました 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 5日(火)00時25分30秒   引用
どこかから間違いの情報が入ったのでしょう。1982年と誤って覚えたのは次の文献からかもしれません。

 WHO Study Group:Chemotherapy of leprosy for control programmes. WHO Techinical
report Series No.675.1982
(WHOの多剤併用療法の原典)

 これはハンセン病の外来診療に引用されています。
 たくさん尻拭いしてくださいね。
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Re: 多剤療法(ハンセン病の標準療法) 投稿者:リベル 投稿日:12月 4日(月)23時29分28秒   引用  編集済
> 1982年 WHOから推奨されたということになっています。

WHOが推奨したのは1981年ではないでしょうか。私の調べではそうなっていますし、杉山判決もそう記しているのですが。

なお、専門的過ぎて分かりにくい方は、杉山判決のこの部分に、目を通して頂くと、理解が早まるかと・・・。


なんだか、菊池先生の、尻ぬぐいに汲々としているようで、嫌になります。先生、一般読者のことを、考えて、お手柔らかに、一つ、お願い致しま〜す・・・(笑)その内、笑わなくなりますよ・・・(脅迫!)
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森田さんのブログより 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 4日(月)23時26分10秒   引用
奄美市は同市名瀬の国立療養所・奄美和光園の将来構想検討委員会(築愛三委員長、委員19人)を28日夜、市役所委員会室で開いた。検討委が厚生労働省に要望した国立長寿検証センター(仮称)併設案の進展がないため、奄美郡島振興開発(奄振)事業による専門コンサルタントの導入も視野に案を見直し、再要望する方針が示された。

 検討委は2004年7月、国立長寿検証センター併設案を厚労省に要望。その後、同省からの正式回答はないが、市当局の照会に対し同省は「長寿研究は国立長寿検証センター(愛知県)ー極集中しており、補完施設の設置は難しい」との見解を示している。約1年ぶりに開いた今回の検討委では、和光園へ向けた将来構想について改めて協議。この中で委員から「併設案実現には国民的価値の説得が必要。奄振コンサルをいれ、専門的データを示して再提案したい」との意見が出た。
また、奄美市と包括連携協定を結んでいる鹿児島大学と施設共同設置を検討する提案や、和光園入所者の委員からは「国立の医療機関にこだわらず、認知症や寝たきりの重度障害などを見る施設の併設を検討してほしい」との声もあった。

 市当局は今年度内に検討委を再開催して新たに奄美市案をまとめ、国や県に再要望する方針を提示。「厚労省に要望後、具体的な働き掛けをしてこなかった」と自省し、国立長寿医療センターの視察、関係首長や地元選出国・県会議員による直接要望など積極的な取り組を行うとした。

 奄美和光園の入園者は62人(平均年齢80・2歳。10月1日現在)と全国13療養所で最も少なく、20010年には50人を割る見込み。奄美群島唯一の国立医療機関である点や増加傾向にある一般外来の機能を考慮した。将来構想の確立が喫緊の課題となっている。
今年度から3ヵ年計画の施設整備に着手している。

(地元新聞大島が伝える・2006年11月30日)

 私見ですが、此処に参与である、和光園の前川園長のコメントが書かれていない。現在の厚労省の動きと施設長(13園)の協議会のまとめが書かれていない。現在各施設長は他の疾病と一緒に園の将来構想を考えていないし、また和光園入所者のS氏は会員の代表でない。
 問題は、あくまでも、国の施設として使用するのか?民営化で行くのか?委員会のまとめが決まっていない。国立の施設として使用するなら、法の見直しほか越えなければならないハードルは越えられるか??疑問符である。
(リベル) 【注】「森田さん」というのは森田隆二氏のことで、退所者でいらっしゃいます。ホームページとブログで精力的に発言なさっています。(12.4 23:38)
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追加 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 4日(月)22時59分41秒   引用
リファンプシンを目の前で飲ませるのは 外国の話でした。

 熊丸茂先生の専門は 眼科です。目の中のらい菌がいた所にB663が集まり、キラキラとその色素(B663)が光っていました。
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訂正 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 4日(月)22時53分40秒   引用
治療機関は 治療期間でした。失礼しました。

 薬剤パックは 裏に1から28まで 数字が入っていました。最初の日以外は自分で服用するのです。(self-administration)

 数字に関して 面白い話が あります。まあ、1ヶ月は30−31日あるのに28日しかないという西欧流いい加減なのですが ある療養所だったか 凄く決まりどうりという患者さんがおられました。私はいい加減流でもいいと思うんですが。
(リベル) 以前に、「修正」の方法をご説明申し上げたのですが、もう一度ご説明します。左下の「管理者メニュー」をクリック。直したい項目の「編集」をクリックします。そうすると元の草稿が出てきますので、それに修正を加えて、「投稿」をクリック、で完了です。

先生に、失礼を顧みず申し上げます。新しい投稿をすることを「スレッドを立てる」略して「スレを立てる」と言います。ネチケットの一つとして、「矢鱈にスレを立てない」という原則があります。私自身最近知ったので、余り偉そうには言えませんが、先生はいとも簡単に「スレ」をお立てになります。チョットこの画面でご覧になってみてください。あたかも、先生の独壇場と化して居ます。これは、一種のマナー違反と見なされるということを、思い切って申し上げておかないと、他で恥をおかきになることになりますので、敢えて、失礼を顧みず・・・大胆だなあ私も・・・(笑)(12.5 00:21)
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多剤療法(ハンセン病の標準療法) 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 4日(月)22時42分8秒   引用
多剤療法といっても その言葉だけでは、ハンセン病用ばかりではないので multidrug therapy MDT と呼称することにしましょう。

 1982年 WHOから推奨されたということになっています。私は菊池恵楓園にきたのが1989年 7年後ですので それ以前、どのように日本で取り扱われたのか よくわかりません。以前からダプソン(DDS、錠剤で供給されるサルファ剤)は有効であるのは判っていましたが、薬剤耐性ができるのが欠点とされました。
 それ以前に、マルタ島で研究された事は、DDSと抗結核療法を併せた療法といわれます。マルタ研究といわれます。(なおマルタとハンセン病は何故か関係があるようですがこれは別の話です)私が平成2年タイにいって聞いた話では、そこでMDT開発研究が行われピア博士が最高の成績を得られたという話でした。

 方法:(ハンセン病アトラスによる)

 RFP 600mg/月1回  (リファンプシン、リファンピン 抗酸菌に殺菌的に働く)
 CLF 300mg /月1回   (クロファジミン、商品名ランプレン 別名 B663)
CLF 50mg/毎日
 DDS 100mg/毎日 (ダプソン、サルファ剤)

 L型で 2年間投与

RFP 600mg 月1回
  DDS 100mg/毎日

 T型で 6ヶ月

 本当は色々変化があるのですが、基本的なものは 以上です。えらい簡単でしょう。日本では これを忠実に守るのは すごく困難で(一つの理由は薬剤にmg数が異なる)、しかも、患者さんに恨まれました。クロファジミンというのは褐色の色素剤で らい菌が多い組織に集まるので それはそれは 赤茶けて褐色の色素沈着が集まるのです。そうなるのは逆にそこに菌が多い証拠でもありますが、どうしてもMDTを厳密に行うと 人気がありません。しかし、B663は 神経痛にいいのではないか とか 色々使っていました。
 らい菌の多い組織に集まるのは確かで、私は熊丸園長から 目の組織にたくさん集まったB663を見て感激しました。

 平成4年9月25日、全国のハンセン病療養所の基本科医師が鹿児島に集まり、MDTの会議が行われました。これは画期的なことです。(光仰ぐ日あるべし には 鹿児島市で国立ハンセン病治療研究班会議が開かれたとあります。活字の上でしか知らない有名な先生もご出席されました。(私は平成元年にきた後輩などで当然か)ちょっと残念だったのは 多磨全生園からは 出席がなかった。

 その後 WHOは1992年にオキロフサシンの使用を追加し、また、徐々に治療機関を減少させたり、1回で終了する変形もありましたが、WHOの基本は前に書いた通りです。

 MDTは実際有効か

 タイ、韓国、その他の国の統計的な報告があり、有効であると報告されています。わが国においては、1982年には、もはや統計的に云々する患者数が得られていません。

 私の感想:発病後時間がたった症例とか、凄く進行した症例は、これに固執すべきでないが、新患は これでいいと思う。宮古で全くの新患で T型であったが 半年では完全治癒とはいかず(本当はそこで中止していいのですが)患者さんが心配するので1年余り続けて
なくなった感覚が出てきて中止した例があります。感激しました。また新患で 変形移行率が少ないのも重要な所見です。

 薬剤パック:外国の会社ですが1ヶ月分をパックにしていました。通常1ヶ月1回、患者を呼び出し その時にリファンプシンを目の前で飲ませる。クロファジミンもそうですが、リファンピシンを目の前で飲ませる理由がわかりますか。
 正解です。高価で殺菌的に作用するこの薬を 他の人に売る人が いるのです。
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Re:広辞苑によれば 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 4日(月)18時04分35秒   引用
何時も不明確な日本語で失礼します。

 ある言葉は何時から使われたかということで、古くから、という意味ですが、Oxfordの辞書などは、何時からか、書かれています。最近使われだした日本語なら、広辞苑の出版の版は当然、大いに参考になります。

 例えば、「建前」と「本音」の使われだしたのは何時かということです。
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国際化 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 4日(月)12時34分37秒   引用
私が昔いた大学の教室に久しぶりに行きました。

 若い女性がいました。「あの、学会場はどこですか」「I am sorry, I don't know」
 ううむ。英語が返ってくるとは思わなかった。よく聞いたら2,3ヶ月の短期留学で、ナンジンから来たとのこと。南京である。
 思い出しました。中国のハンセン病の研究センターは南京にあります。なにしろ中国には人口は13億?もいるので、先日elimination(10000人に一人)は達成したが、未だ新患はいるとのことである。平成4年に中国訪問したことを思い出しました。
(リベル) ちょっと説明をしておきますと、「elimination」というのは「Leprosy elimination campaigns」の専門用語(?)で詳しくは手前味噌で、「世界のハンセン病」の中の「ハンセン病根絶キャンペーン」(原文はこちら)を参考になさって下さい。このキャンペーンでは、患者数を一万人に1人以下(これを「有病率」と言いますが)にすることを目標に定めていたのです。これは前記の「世界のハンセン病」の冒頭にも説明しています。

菊池先生、ここは、一般の方もいらっしゃいますので、なるべく「専門家」向けでないように、ご配慮頂けると有り難いのです。そうすれば、私ごときものの下手な解説が無用になりますので・・・(笑)(12.4 17:13)
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Re:余談:広辞苑によれば・ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 4日(月)12時24分54秒   引用
プロジェクトX には 酷い間違いがあると何かで読んだのですが、

 Ichiroです。

 何を問題にしていたのか 忘れてしまいました。一応スタンダードとされた、その努力には敬意を表しますが、私はその後、別の辞書を買うことにしました。

 日本語の辞書はいいのですが、英語の辞書のように、何時から使われだしたか書いていただくといいと思います。ないものネダリかなあ。
(リベル) 「プロジェクトX」の番組自身に間違いがあったのでしょうか?それとも「広辞苑」の話に間違いがあったのでしょうか?それが分からないので、困っています・・・。

「別の辞書」の名前を教えて頂ければ、分かり易くて、有り難いのですが・・・。

「広辞苑」「大辞林」は勿論、その他の日本の本にも全て第○版、第○刷の「発行日」は書いてありますが・・・どういう意味なのでしょう・・・?(12.4 17:26)
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出来ました! 投稿者:リベル 投稿日:12月 4日(月)05時23分30秒   引用  編集済
「ハンセン病を考える資料室」が一応、完成です。このタイトルから「資料室」を削るのが最終目的です。このページを、あれこれ、アチコチ、触って頂いている内に、何が「ハンセン病の問題点」かを把握して頂くというのが「夢」ですが・・・。

現状では(今の出来上がりの程度では)無理なので、何か上手い解説を付けて、出来上がりにしたいのです。

解説というのは例えば、先ず「全療協の目的」が柱となるキーワードであること。それから途中はすっ飛ばして、最後の、「平成18年度ハンセン病問題対策協議会 統一要求書」と「平成18年度ハンセン病問題対策協議会 まとめ」の二つだけを、良く読んで頂く。

結局最後の二つが、目下厚労省と「統一交渉団」でやり合っている重要な現在の「ハンセン病の問題点」なのですから、その内容が「全療協の目的」の三項目と一致していること。それを見極めて頂ければ、問題の把握が出来た。そういうことになるのではないか?

先ほどすっ飛ばした部分も、その理解を助け、紆余曲折を明らかにしてくれる助けにもなる大事な役割を担っていると分かる、そういうことになるのではないか?

私の「思い」はそういうところに有るのですが・・・(;´д`)ハァハァ


遠慮会釈のない、ご意見やご批判を頂ければ、本当に有り難いと思いつつ・・・(o_ _)oパタッ!
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奇妙なサイトを発見! 投稿者:リベル 投稿日:12月 4日(月)03時47分16秒   引用
「全患協の目的」で検索(Google)していたら、こんなのが有りました。

とても読み切れないので、後で読みますが、まあ、エネルギッシュな書き手であることだけは、取り敢えず、確かです・・・。どういう主義信条の持ち主なのかは、私は未だ判断出来ていません。念のためですが、お勧めしているわけでは有りません。と書かせるような雰囲気を持つ文章なので、お断りしておきます。(シツコイ・・・か・・・(>_<) )
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余談:広辞苑によれば・・・ 投稿者:リベル 投稿日:12月 4日(月)01時34分43秒   引用
これは、出来れば、読まないで下さい。と、書き終わってから、書いています。なら消せばよいのに・・・いやごもっとも・・・。


よく新聞や講演などでお目に掛かる言葉です。私はこれを使いません。

NHKの「プロジェクトX」で新村出・猛父子のご苦労を見ました。これには頭が下がります。しかし、その後柳瀬尚紀氏の「広辞苑を読む」、金武伸弥氏の「広辞苑は信頼できるか」、矢沢永一・渡部昇一両氏の「広辞苑の嘘」(これは悪意に満ちているので、嫌いです。その後この二人の著作は一切読みません)を読んで、その通りだなと思い、以後遠ざけています。語源を知りたいときだけ広辞苑を先に引きますが。

これまで、石原慎太郎氏が、随分前に記者会見の中でさり気なく「大辞林によれば…」と言ったので、随分意を強くしました。その後乙武氏が「五体不満足」の中でスンナリと「大辞林に…」と言っていました。先週でしたか、シナリオライターの井上由美子氏が、また言ってくれました。これが私の知る限りでは三人目です。

大辞林の初版の序によれば、最初の編集会議から、出版までに28年かかったそうです。それに、広辞苑を先輩辞書として、それを越えるべく作られています。だから、それを越えて当たり前なのかも知れませんが。広辞苑は8年前に第五版を出しましたから、あと二年は第六版を出さない気がします。急がないと、「大辞林に依れば…」だらけになりますよ、岩波さん・・・。

最近井上由美子さんの記事を目にして、興奮の余り、書かなくて良いことを、口走ってしまいました・・・(反省)
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続 光田健輔 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 3日(日)06時43分43秒   引用
リベルさん コメント有難うございました。

 文化勲章を受章した直後であれば 精神的に高揚(ハイター)になってもおかしくないですが、いつもの言葉でしょうね。
 光田先生の影響力はそれはそれは 凄かったと思います。徳永先生が ハンセン病国の国王と表現しておられます。カリスマ性ともいえましょうか。
 私は勿論光田先生にお会いしたことはありませんが、Joplingによれば、東京の国際らい学会の時、2本の杖を持っていたが、周囲の人からすれば、素晴らしい威厳があったと述べています。外国人もそう感じたのでしょう。
 言葉が下品なのは、色々な階層の人々に直接会話していた現れでしょうか。ちょっと擁護しすぎかな。(その状況を判断して、言葉を変えるということを潔しとしない?)

 あとの方に蝿などの感染経路みたいなことがかかれていますが、実際あとでコックローチ(ゴキブリ)で抗酸菌(実際は結核菌)が移るという実験がありましたね。当時は濃厚接触感染説の時代ですので、興味深く読みました。(通貨で伝染するという時代)
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光田健輔 投稿者:リベル 投稿日:12月 3日(日)02時32分28秒   引用  編集済
光田健輔は1951年11月3日、長年のハンセン病対策への寄与をよしとして文化勲章を受章。その5日後に参院厚生委員会でこのように発言しています。(発言は単なる「返事」を除いて全て採録してありますが、あまり長いので、特に問題があると思う箇所は赤字にしてあります。学術的なことは和泉真蔵氏の著書内での指摘を参考に)

文化勲章を受章したばかりの、斯界の権威が、国会でこういう発言をすれば、その影響力たるやいかなるものか、想像に難くは有りません。その上次元の低〜い話も含まれています。

「悪人」に仕立てる意図は有りませんが(ほんまかいな?)こういう発言を読めば、まあ立派な識見を持った、優れた人物だとは私には到底感じられません、です・・・。
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追加 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 3日(日)01時28分37秒   引用
死刑囚についてのコメントを忘れていました。

 血塗られし歴史があったのですね。日本の寄生虫研究にも、犠牲を伴う研究がありました。それがいいとは、言っていませんが。

 歴史は直視すべきでしょう。ハンセン博士も訴えられたなどというのは、私は知りませんでした。
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Re:ふーむ 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 3日(日)01時15分50秒   引用
失礼しました。実は反論を期待して 書きました。

 周防先生のことは、ハンセン病歴史の中で知らない、というのはあまり情けないという感じです。宮古南静園の2代目園長は、小鹿島の医務課長からの転勤でした。この人の行動は、周防先生のこの事件を熟知していたと解釈していました。

 光田先生は、日本ハンセン病史という感じです。プラスの部分もみていきたいと思いました。前半生のことは、そこで引用した本が詳しいですね。ヒューマニズムが素晴らしい。また調査など、自ら汗をカカレル先生でした。

 実力がないのですが、光田反応の基になった論文を読みましたが、光田先生の最初の思惑とは違うなあと感じました。あれがどうして光田反応に結びつくのか。弟子が偉いのでしょう。

 あと村田先生(茂助先生)は 顕彰したいなあ、と思っています。村田先生は世界初、ENL(Erythema nodosum leprosum)を発見、発表された先生です。全生園の記録によると、外科を担当し、ヒゲがあります。光田先生は、性格上のこともあるのか、この素晴らしい同僚をさっぱり買っていなかったらしく、いろいろ売り出さなかったですね。村田先生もさっさと開業に転じてしまいました。

 もう一人の高名な村田先生とは異なります。
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ふーむ。 投稿者:匿名希望 投稿日:12月 2日(土)22時49分4秒   引用  編集済
菊池先生の多彩な問題提起は、多彩に過ぎて何をおっしゃりたいのかわからない。

周防-光田顕彰というのが本筋なのか、法律にのっとれば死刑囚を実験材料に使ってもいいというのが本筋なのか。

よくわかりません。
ただ、昨今アプリオリに光田を悪人に仕立てて良しとしている人たちに与するものではありませんが。
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光田健輔 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 2日(土)22時13分0秒   引用
光田健輔:人物、業績、影響力総て巨大すぎて、一度に論評するのは難しい。

 隔離の中の医療 徳永進 in ハンセン病 排除・差別・隔離の歴史
 岩波書店 2001

 に比較的コンパクトに論評している。光田氏に関する著書は「回春病室 救ライ50年の記録」 朝日新聞社を引用しているが、彼の時代性を帯びたヒューマニズムを絶賛している。外人しか 活躍していない時代に(回春病室は ハンナリデルの回春病院からきているのか)、こつこつと調査をしている。患者を率いて長島に移動する所や、種々のエピソードを引用しているが、無らい県運動から、ワゼクトミーに関しても論じている。
 現代の様な画像や内視鏡のない時代であったことを考慮もすべきと論じている。
「全治したように思える者でも、療養所を出て、不規則な生活をすると悪化するのを多々みている」という信念があった。信念であるから、確信犯といえそうだ。
 多くの医師がハンセン病の臨床を避ける中、ハンセン病の臨床医を育てたことは偉大だが、国家を考え、自分をハンセン病国の国王だと錯覚したら修正が効かないと述べている。

 徳永の書いた最後の言葉:光田健輔の持つヒューマニズムを批判できるくらいの人権尊重を自分の中に持ち日々実践行動をし、人権のついての思想を国民の中に育てる努力をせずしては、光田を批判することは難しいのではないかと、私は思う。
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望郷の窓―病(やまい)と差別の真実― 投稿者:リベル 投稿日:12月 2日(土)17時35分55秒   引用  編集済
これは、見て、本当に良かったと思いました。(今日のTV東京系列16:00〜16:55放映 ここに全国の放映予定の一覧表が有ります)

「差別」する心が、誰にでも偏在している、という捕え方が、正鵠を射ていて、心の底に響いてきました。出色の出来だと思います。何度も涙が出てきて、最初は家内に隠していたのですが、もう突き上げてきて、あとは涙ボロボロなのを隠さず・・・でした。

神美知宏氏の監修になる、と有りましたが、これは全国的規模での映写・放映が考えられるべきとても優れた作品だと思います。
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光田主義者:早田皓園長 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 2日(土)13時43分52秒   引用
光田主義者:早田園長

 いまは屋我地島のドンキホーテは出てきませんが、終戦当時の国頭愛楽園長早田皓は典型的な光田主義者と思います。当時の苦労などは、いろいろ語られていますが、ここでは光田主義者のことです。
 光田先生は、退官後、自治会の代表の前で2つ、陳謝していますが、その一つは家族の許可なく解剖したことです。昭和20年になくなった太田正雄東大教授もまた、ハンセン病を研究し、動物実験を行い、化学療法の開発を志したのですが、当時としては、解剖するということは、重要な研究手段でした。
 私は平成10年、宮古でハンセン病学会を開きましたが、いつも通信で親しくしていただいた人から、学会の直前に耳寄りの情報が齎されました。それは沖縄県公文書館に米軍が撮影したフイルムがたくさんあり、愛楽園の写真もたくさんあります、とのことで、早速、必要なものを引き伸ばし、学会でパネルにして展示しました。その中に、あの激戦の廃墟の中で、屋外で遺体解剖をしている早田園長の写真があったのです。吃驚しました。米軍(軍人と思いますが、ジャーナリストかもしれない)も、吃驚したのかどうか、写真に記録していました。
 後で、自治会のパンフレットに使われたので知られていたかもしれません。食うものも食わず、煙が匂いそうな屋外で解剖している姿は鬼気迫るものがありました。
 他に、色々印象に残る写真がありましたね。あばら家の前に立つ、松葉杖姿の12,3歳くらいの美少女は 特に印象的でした。
 これら写真は発表しないのは、目的外使用を禁じる約束書によります。もし、発表したければ、沖縄県公文書館にいって、契約してください。
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残留孤児、国に賠償を命じる 投稿者:リベル 投稿日:12月 1日(金)22時33分4秒   引用  編集済
厚生労働省中国孤児等対策室の北原久文室長の話(2006年12月1日読売新聞)

「国側にとって厳しい判決と受け止めている。判決内容を詳しく検討した上、今後の対応について関係省庁と協議したい」


厚生労働省の篠崎英夫健康局長のコメント(2001年5月11日読売新聞)

「国側にとって大変厳しい判決。内容を詳しく検討し、関係省庁とも協議の上、対応を決めたい」


厚労省の引き出しには「敗訴の場合のコメント」というファイルが入っていて、単にそれを読み上げることになっているらしい、ですね・・・(笑)
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Re: 志村康さんのBBSから 投稿者:リベル 投稿日:12月 1日(金)17時49分25秒   引用  編集済
> > 『F事件については弁護団で解明が進み何時でも再審を裁判所に申したてが出来るように準備書面が出来上がっておりましたが、最終段階で親族の同意が得られず現在は止まった侭で塩漬けされております、再審に対しては全く白紙となり私の思いも切れてしまいました。
>
> 志村さんといえども、これはおかしい。
> (もちろん、実際は「弁護団」ですが)
> 遺族との意思疎通のないまま「準備書面」ができて「最終段階」で遺族の同意を取り付けるというのは。

まあ、そうなのですが・・・。いきさつをを傍で見ていない私には何とも・・・。


> > F事件については「新・あつい壁」をもって残念ながら終わってしまうようです、映画だけはなんとしても成功させなければと思っております。』
>
> メディアは映画だけではない。
> それに、そうであればあるだけ「キチン」とした映画が作られるべきであろう。
>
> 出版でもそうだが、あるテーマで一度本作りがなされると、もし不充分でも作り直しが利かない。もっとすぐれた企画があっても、同じテーマで二度は作れない。(作るは作れるかもしれないが、営業的にはまったく不利)
>
> あとで誰かがきちんと冤罪を見据えて映画を作ろうとしても、現実的には不可能になる。
> 先に作るにはそういう責任も発生する。だから問題があるときには、手をださないで後から来る人にゆだねるというのも「責任を知る」態度だと思います。

これは、勉強になりました。というか、常識なのかも・・・(恥)
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Re: 小さいことですが 投稿者:リベル 投稿日:12月 1日(金)17時38分55秒   引用
> 遺体を引き取られに行かれた方は 入江信さんだっとと 思います。

間違っていました。引き取りに行かれたのは入江信さん他計6名でした。志村さんは処刑の前日に面会されています。いずれにしろそういう志村さんのショックは思うだに余りあると・・・。

その辺の詳細については「藤本事件関連年表」を作るとき、志村さんほか関係者に、一々確認したのですが、記憶が錯綜していました。ご免なさい・・・。
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小さいことですが 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 1日(金)16時43分25秒   引用
遺体を引き取られに行かれた方は 入江信さんだっとと 思います。

 Ichiro
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Re: 志村康さんのBBSから 投稿者:匿名希望 投稿日:12月 1日(金)15時37分4秒   引用  編集済
> 『F事件については弁護団で解明が進み何時でも再審を裁判所に申したてが出来るように準備書面が出来上がっておりましたが、最終段階で親族の同意が得られず現在は止まった侭で塩漬けされております、再審に対しては全く白紙となり私の思いも切れてしまいました。

志村さんといえども、これはおかしい。
(もちろん、実際は「弁護団」ですが)
遺族との意思疎通のないまま「準備書面」ができて「最終段階」で遺族の同意を取り付けるというのは。

> F事件については「新・あつい壁」をもって残念ながら終わってしまうようです、映画だけはなんとしても成功させなければと思っております。』

メディアは映画だけではない。
それに、そうであればあるだけ「キチン」とした映画が作られるべきであろう。

出版でもそうだが、あるテーマで一度本作りがなされると、もし不充分でも作り直しが利かない。もっとすぐれた企画があっても、同じテーマで二度は作れない。(作るは作れるかもしれないが、営業的にはまったく不利)

あとで誰かがきちんと冤罪を見据えて映画を作ろうとしても、現実的には不可能になる。
先に作るにはそういう責任も発生する。だから問題があるときには、手をださないで後から来る人にゆだねるというのも「責任を知る」態度だと思います。

>後は、森長英三郎氏の言葉を借りれば「私たちによって、人民の名において無罪の判決をする」のみです。

まさにこのことだと思います。映画批判とこのことは矛盾しない。
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志村康さんのBBSから 投稿者:リベル 投稿日:12月 1日(金)14時25分24秒   引用  編集済
「志村康さんとキャッチボール」というBBSにこんなことをお書きになっていました。

『F事件については弁護団で解明が進み何時でも再審を裁判所に申したてが出来るように準備書面が出来上がっておりましたが、最終段階で親族の同意が得られず現在は止まった侭で塩漬けされております、再審に対しては全く白紙となり私の思いも切れてしまいました。

F事件については「新・あつい壁」をもって残念ながら終わってしまうようです、映画だけはなんとしても成功させなければと思っております。』

志村さんは、処刑の翌日、遺体の引き取りに出向かれた方です。「私の思いも切れてしまいました」という言葉に「無念」の思いが溢れていて、「涙」でした・・・。

私は、実はもうお忘れかと思いますが、20日前にこう書いています。その時点では、再審請求が絶望視される段階にあるとは、承知していなかったのですが、私の勘は正しかったようです。

後は、森長英三郎氏の言葉を借りれば「私たちによって、人民の名において無罪の判決をする」のみです。
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Re: 質問です 投稿者:リベル 投稿日:12月 1日(金)13時57分35秒   引用
> 2006年の春辺りに野村沙知代さんがハンセン病患者へインタビューするという番組を見たのですが、タイトルが分かりません。どなたか詳細について、知っていらっしゃる方いるのであれば、教えてください。

「野村沙知代」「ハンセン病」でググルとこんなのがありました。

「野村沙知代は以前「サンデージャポン」の取材で知り合った元ハンセン病患者の方々33名をプロ野球・楽天の試合に招待。「サンデージャポン」(2005年11月27日放送)。」

恐らく、これではないでしょうか・・・。
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航空写真の秘密 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 1日(金)05時49分31秒   引用
ハンセン病療養所は概して広い。たしか長島は100万坪。菊池は19万坪。宮古は5万坪。

 菊池が広いのは、宮崎園長が、終戦のどさくさで、隣の陸軍の飛行場の敷地を手にいれたからである。まあ、広くして、タクサン患者さんを入れようというわけである。2000人入れようという話であったが、最高はたしか1700を超えた。いつも統計を眺めているのだが、宮崎園長が去った年が最高の患者数であった。というわけで、その点宮崎園長の思想ははっきりしている。田尻園長(だったと思うが、私は1回会った)に変わると、さっさと減少に転じた。

 記念誌大好き、横並び大好き というわけで、色々な記念誌には航空写真のオンパレードである。(ちょっと変な前置きでした)

 私が宮古にいた時に、また、航空写真をとりましょう、という話になった。事務長さんは色々調べて、この会社が安いので、これにしよう、ということになった。撮影当日は日曜日であった。私は当然、興味津々というわけで待機したのである。(事務長さんは おられなかったが、奥さんと一緒に那覇にいかれたようであった)

 そして現れたのは2台の自動車に乗った数人(3人だったか 1人は女性)である。そして持ってこられたのは無線操縦のヘリコプターである。本当は スペアを考え 2台なのだが、相当自信をつけたので1台であった。1台の自動車には テレビを備え、ヘリコプターからの映像をキャッチし、指令して写真を撮る段取りなのだ。

 2台の自動車は運動場から海岸に近い所に移動した。ヘリコプターの騒音は スザマジイ。(療養所の放送で 我慢してもらった)空中高く舞い上がり、写真をパチパチ。ヘリコプターの速度は 思いのほか 速かった。

 70周年記念誌のその中を 拡大してみると私がいる(ホントかな。海岸のコンクリートのところですよ)場所は、中央に2台の車のいる所から海岸寄りです)全療協がだした あの本にも出ている。

 場所を移動し、30メートルばかり高い、ゴミ焼き場の方に移動して撮影した。航空写真の値段はあまりはっきり覚えていない。60万くらいだったか。100万はしていない。

 帰ってきた事務長に告げたら びっくり仰天。普通のヘリコプターと思っていたようだ。
まあ、航空写真はきれいにできたので、まずはメデタシメデタシ。一部始終は写真に撮影しているが エッセイに発表したことはない。これは初めてである。
(リベル) 1958(昭和33)年に1734人と最多です。その年の9月に宮崎園長が退職、田尻園長に代わりました。「壁をこえて」258頁から。(12.1 14:33)
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菊池恵楓園の野球場 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 1日(金)03時25分39秒   引用
菊池恵楓園の野球場は、大きいのが2面あります。

 使用料はいくらか忘れましたが、私がいた頃は自治会に払うとかいっていましたが、確認したわけではありません。
 療養所も広いし、車が何台あっても駐車できるし、ということで、大人気でした。啓発に一つの手段でしょう。患者さんも年老いていて、患者さんと野球したわけではありません。
 それでも記録を読むと、昔は色々スポーツをされていたようです。この野球場は使われていないですね。

 昔は畑とか、自動車練習場とか いろいろ使われたようです。その先に大きなゴミ焼き場を作りつつあったのですが、ダイオキシン騒動だったかで、中止。

 野球の 勝ち抜き戦をやる場合は 2面あると便利いいですねえ。今でもこの野球場は 人気あります。九州中の大学皮膚科の勝ち抜き戦をここでやりました。

 野村監督の奥様がここに来たのかよくわかりません。菊池恵楓園にこられる人はぜひ野球場を見てください。


 死刑囚を使った発想は 勿論、誉められたことではありません。
 キーヌーが死んだのは何年だったかな。他に例がありましたかな。
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(無題) 投稿者:はっしー 投稿日:12月 1日(金)03時06分15秒   引用  編集済
あ、失礼 スウェーデンではなく

ハンセン氏はノルウェー出身ですね

ノルウェーも、スウェーデンも後に問題視されていますね


http://www.arsvi.com/1990/970916.htm
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Handbook of Leprosy 投稿者:Ichiro 投稿日:12月 1日(金)03時03分40秒   引用
Handbook of Leprosy Fifth edition

W H Jopling, A C McDougall

International Edition (1996)

5版を持っている人は、少ないのではないか。著者のサイン入りです。4版は有名ですね。2冊持っています。4版はハードカバーでしたが、5版はペーパーバウンドで、あれ、インド内からの出版ですね。どうやらインドの人たちのための廉価版らしい。それでも4版とは内容が少々違います。

 4版を2冊持っている理由は、邦文への翻訳を志したので、著者から書き込みを入れたのを送ってもらったのですが、私の努力にも係わらず、日本の出版社からは、すべて拒否されてしまった。残念なことであるが、当時は自費出版は考えなかった。

 山本俊一先生の日本らい史、増補日本らい史を持っているが、ここも、出版に努力されたことが書かれている。どうも日本の出版会社は、ペイしないと渋い顔をするようだ。私の努力が不足していたこともある。なお、この教科書は 各国語に翻訳されている。
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Re: 質問です 投稿者:はっしー 投稿日:12月 1日(金)03時00分32秒   引用  編集済
> 2006年の春辺りに野村沙知代さんがハンセン病患者へインタビューするという番組を見たのですが、タイトルが分かりません。どなたか詳細について、知っていらっしゃる方いるのであれば、教えてください。
> おおまかな内容ですいません

タイトルは判りませんが、野村監督が野球の招待に菊池恵楓園の方達数名を
球場にお招きして、監督と野村沙知代さんが回復者の方達とお話をしている

と言う場面が流れたことがあります、簡単な挨拶と
労いの言葉をかけていたと言う記憶がありますが
詳細までは、記憶していないのでお役に立てずすみません

野村監督時代の、球団の紹介記事を何か探すと
詳細が出てくるかもしれません・・・・・
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Re: 宿願の旅路 投稿者:はっしー 投稿日:12月 1日(金)02時56分38秒   引用
この場合は、やはり法律が現状に即して改定される

その方が良かったのでは、無いでしょうか
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Re: 宿願の旅路 投稿者:はっしー 投稿日:12月 1日(金)02時54分18秒   引用
>  彼自身、義父自身のらい菌の接種は聞いた気がするが、告発されたとは知りませんでした。らい腫を植えるという、informed consentはなかなか難しいと思います。前に述べたように、国の法律に基づいて、死刑囚を使った例は、いいでしょう。

死刑囚の方であれば、医療用の治験が当然と言う発想は
少し怖い気がします、これが副作用や後遺症があるもので
あればある意味、人をモルモットにしてしまうんじゃないでしょうか

インフォームドコンセントは、確かに難しいことですが
完治して治療法が確立していると、ハンセン氏が実感されて
いたことが逆に裏付けられている出来事だった様に思います

スウェーデンは、優勢保護の観点が強いのでこういう
優劣差をつけた差別化があったかもしれませんが
それはいい姿勢ではないような気がするんですが
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Re: 宿願の旅路 投稿者:Ichiro 投稿日:11月30日(木)21時16分7秒   引用
ご質問ありがとうございます。

 確認するのは難しいですね。小生は ハワイ王国の法律には うといものですので、 本に書いてあるのが正しいと思いました。当時の首相(ギプソン)が そうとうな、やり手のようです。

 アメリカは州毎に法律が違うようですが、クリグマン博士は爪は何故前進するか、という研究で 囚人を使ったといわれます。
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素朴な疑問 Re: 宿願の旅路 投稿者:  投稿日:11月30日(木)21時04分16秒   引用  編集済
> 国の法律に基づいて、死刑囚を使った例は、いいでしょう。

こういう時、国の法律が間違っているということはないのですか?
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宿願の旅路 投稿者:Ichiro 投稿日:11月30日(木)21時01分0秒   引用
宿願の旅路 クヌッスン、ハンセン、トルードーの魂を求めて 武市●豊 心泉社
 平成12年

 (●は国の字に右の棒がなく、点がない字でマサと読む)

 この本にでている事は衝撃的な話である。
 1880年3月31日ハンセンは、ベルゲンの法廷で、Informed consentを得ず、ある女性に、らい菌(正確にはらい腫)を植えたとして告発された。勿論、発病に到らなかったが、有罪。ハンセンはベルゲンの病院のポストは失った。しかし、ハンセンは死去する時は、ハンセン病に関連する、全国の統括医務官のポストは保持していた。

 彼自身、義父自身のらい菌の接種は聞いた気がするが、告発されたとは知りませんでした。らい腫を植えるという、informed consentはなかなか難しいと思います。前に述べたように、国の法律に基づいて、死刑囚を使った例は、いいでしょう。
(リベル) 「匡」は匡正の匡ですね。匡正はしかし変換では有りませんね。中辞典には出ていました・・・。あ、「新明解」にも・・・。(12.1 13:47)
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質問です 投稿者:質問です 投稿日:11月30日(木)19時03分56秒   引用
2006年の春辺りに野村沙知代さんがハンセン病患者へインタビューするという番組を見たのですが、タイトルが分かりません。どなたか詳細について、知っていらっしゃる方いるのであれば、教えてください。
おおまかな内容ですいません
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小笠原先生@奄美 投稿者:Ichiro 投稿日:11月30日(木)12時14分55秒   引用
小笠原先生@奄美

 については、どなたの意向か、ちょっと 判りませんが、現在の奄美の園長さんに調べてくださいといっていますが うまくいくか。基本科はみておられないようです。

「光仰ぐ日あるべし」 (南島のハンセン病療養所の50年)の小笠原先生の記述も恐ろしく不完全の理由が小生はよくわかりません。芸術家、田中一村との交流もわかりましたし、一村が奄美の官舎にいたというのも、昔はのんびりしていたのですね。現在の国家公務員の体制であれば、考えにくい。
 菊池恵楓園にも、研究のためか、久留米の中村先生が非常勤でおられました。
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第2回ハンセン病問題に関する検証会議の提言 投稿者:リベル 投稿日:11月30日(木)00時38分22秒   引用  編集済
「第2回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」は11月16日に開催されました。議事録は未だです。いずれここに出ると思いますが、恐らく従来のぺースから推すと来年の桜の頃でしょう。議事録は忘れた頃に出しましょう、は官僚のモットーだそうですから(嘘)。

どんなものが出てくるかは、かなり正確に予想できます。「実り無し」。実質的な議論には至らないでしょう。第1回の繰り返しのような話が、ああだ、こうだと延々と続き、内田博文氏だけが、(半分は前回と同じでしょうけど、司会者がそう持っていくから)実のある話をなさって、後は「野次」と「怒号」と「弁明」と「〆の挨拶」。見てきたような嘘を言ってはいけませんね。

おおよそ、大はずれは無いだろうと、これは真面目に推察します。半年後をお楽しみになさって下さい。

第一回議事録はこちらです。厚労省のものを、読みやすくしたのですが、それでも恐らく余程お暇で酔狂なお方でないと、最後まではお読みにならないだろうと想像しつつ・・・(笑)
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年間日本人報告0を聞いて 投稿者:Ichiro 投稿日:11月29日(水)17時10分10秒   引用
早速 書きましたが 同じ主題で もっと前に 犀川先生は あだんの実に それから どなたか 書いておられましたね。

 ハンセン病について再び思う −年間日本人報告0を聞いてー
 日本医事新報 4305,83-84,2006-10-28

 5月に判ってから時間がたちすぎるという批判があるかもしれないが、この雑誌の編集部と喧嘩していて、一度はひっこめたためです。
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Re: 日本の現在の患者数は? 投稿者:リベル 投稿日:11月29日(水)12時44分35秒   引用  編集済
>  風邪が何人あっても 統計をとらないことと同じでしょう。

あっ、その通りでした。まことに「愚問」でした。恥ずかしいです。各国別の数字があるので、つい・・・。

昨年の新患数は0でした。さあ、今年はどうなのでしょうか・・・?
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Re: 日本の現在の患者数は? 投稿者:Ichiro 投稿日:11月29日(水)12時30分29秒   引用
伝染病の法律改正の時に、何種にも入らないことになった、ハンセン病は統計もとらないことになりました。
 私は、純学問的に不服でしたので機会あるごとに、質問などをしたのですが、その時の情勢は、それを許さないということでした。

 ということで 正解は不明。

 風邪が何人あっても 統計をとらないことと同じでしょう。
 と 脇が甘い話です。新型インフルエンザは 別でしょう。

 ハンセン病学会にオープンに質問状を出されたら如何でしょうか。(秘密がいいかな)

 以前は、L型で、菌陽性の統計を調べていましたが 今は していないでしょう。私が恵楓園にいった初期は たしか内の園で70名以上陽性でした。

 犬と猫の話は 歴史とお考えください。偏見があったら、当時の人々なのです。外国はどうかな。こんど色々調べにいかれる人がいるでしょう。調べてください。

 ローカルテレビで中国から帰ってきた人が 犬(犬の肉)を食べたといっていました。これは文化と思います。
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戌年生まれ。 投稿者:北風 投稿日:11月29日(水)09時36分40秒   引用
ははははは。
「おとなしい」猫、「乱暴な犬」というのは「偏見差別」だと思います。

菊池先生の多彩な話題提供で、論点をすり合わせるような話題が消えちゃいましたねえ。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) ウーム・・・。お腹の中を見透かされてしまいましたか・・・(゚ー゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)ウンウン  (11.29 11:38)
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Re: 日本の現在の患者数は? 投稿者:リベル 投稿日:11月29日(水)07時49分44秒   引用
> ウッカリしていました。日本の現在の患者数は?と訊かれたらどう答えれば良いのですか?
>
> ここに有るのは「入所者数」です。昨年の新規患者数がゼロだというのは聞いていますが・・・?

どなたか、ヒントでも頂けないでしょうか。宜しくお願いします・・・。
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犬と猫 投稿者:Ichiro 投稿日:11月29日(水)04時13分50秒   引用
 ハンセン病療養所では おとなしい猫は好まれたが、乱暴な犬は好まれなかった。犬の飼育禁止を打ち出している療養所もあった。(菊池恵楓園)おそらく他の療養所も同様であったと思われる。目や足などが不自由な方もおられる。早野さんの本にも 丸々と太った猫の写真がある。家族との交流も絶たれたり、不自由な入所者にとって、飼い猫は心を癒す動物であった。

 宮古南静園では終戦まで、セルロイド(現在ならプラスチックというか)の園券(金券)が使われていた。平成天皇皇后の前で短歌を披露した歌人が当時作った歌がある。
 猫首に 古(いにしえ)の金(かね) つけし春
 この歌は小生のある園券のエッセイのさわりに書いたら、ここだけ大いに面白かったといわれた人がいた。勿論、園券が価値がなくなったことを現している。 歌人の感覚はすごいですね。古(いにしえ)の金(かね)とは ねえ。この歌は 当時作られたのを、私が時間をかけて思い出させた歌である。

 蛇足ですが、私はこの付けた園券の色は赤色と推定した。
 これ三毛や 赤のコインが 似合う春
 平成時代の駄作である。お後がよろしいようで
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ハンセン病と犬と池間島 投稿者:Ichiro 投稿日:11月29日(水)02時49分45秒   引用
へえ 犬に通じたんですね ワン!

 沖縄県宮古島市池間島には 古くから(何時時代からか わかりません)犬がハンセン病をうつす というので 忌み嫌われていました。そこの島では古老は、犬は飼ってはいけないという習慣があった という話を読んだことがあります。しかし小生が宮古島に赴任したころは この習慣は消えうせていたようです。池間島は宮古本島と橋でつながり、平成4年2月に完成式をあげました。この月、私はたまたま、医療援助で宮古にいました。たいくつだろうというので前の年の12月にniftyに参加し、メール交換をしていた池間島の医師に会いに、南静園で借りた自動車でこの橋を渡った記憶があります。

 この島で思い出されるのは、ハンセン病患者専用埠頭でしょうね。昭和30年代に使われた船着場を発見しました。もっとも、地形が変わっていて(大きな道路ができた)、当時と雰囲気が異なっていました。言いにくいのですが、海でなくなられた遺体もここを利用されていました。
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余談ですが、米朝とざこばさん 投稿者:リベル 投稿日:11月29日(水)01時01分18秒   引用  編集済
関西に住んでいると、この二人はメディアを通じて、とても親しめる人達になっています。ざこばさんは、とても情にもろい、熱血漢で、そこに特に好感を持つ人が多いのですが、その面目躍如たる若き日を、米朝さんが語った一節に、ズキンと来ましたので、ご紹介します。

犬にも通じた?ざこばの言葉

 ウチでは3年間、内弟子修業をさせます。ざこぱの頃は、朝7時に起きて、掃除や買い物、小米朝ら小さかった私の子供の世話をするのが日課でした。仕事の日は、間に合うように私を起こして、私が食事をしている間に、部屋の布団を上げて外出の用意をします。
 たまに、ざこぱが運転する自転車の後ろに横乗りして阪急の武庫之荘駅まで行ったもんです。お巡りさんがいたらスッと降りてね。
 雨降りの日、ざこばに自転車で駅まで迎えに来て貰て走ってたら、途中に用水路があってね、そこで犬が流されてるんや。ウオーン、ウオーンちゅうて小ちゃい犬が鳴いてるねん。増水してる所へはまったんやな。「助けたりましょか?」「おう、助けたれ。けど、助ける前に、わしを先に送ってくれ」
 ざこばは家から現場に戻ると、裸になって用水路へ入った。ようよう(ようやく)子犬を抱えて水から上がったら、野犬が仰山(沢山)ぐるりを取り囲んでるねん。皆心配して集まってたんやな。そら怖いで。一生懸命、犬に向かって言うたそうや。『いじめてるのとちゃう(違う)で。俺が助けたんやで」「お前ら見てたやろ。悪いけど、俺、自転車で戻らなあかんのや。噛まんといてくれな」と言うたら、犬がスーッと道を空けたそうな。
 私は「そんなアホな」と言うたが、時間が経つうちに「そういうこともあるかもしれんなぁ」と思うようになってきました。
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Re:100年! 投稿者:Ichiro 投稿日:11月28日(火)03時23分9秒   引用
タツーの文献がわかりました。

 ハジチ禁止令100年 宮古におけるハジチの特徴(上) 宮古毎日 1999-2-22
 ハジチ禁止令100年 宮古におけるハジチの特徴(下) 宮古毎日 1999-2-23
Tattoos Ryukyu Shimpo July 23,1996
(evening)
100年目は日本語のほうでしょう。琉球新報と沖縄タイムスには1週に1枚、英文の所がありました。
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100年! 投稿者:Ichiro 投稿日:11月28日(火)02時29分59秒   引用
そうですね。100年ですか。

 日清、日露戦役後の日本であり、予算が少なかったせいか、最初は「浮浪癩」に限局したのでした。今は整備されていると思いますが、私は埃だらけの場所で、菊池恵楓園の明治42年のカルテをみつけました。家族が裕福なことがわかった場合は、家族に患者を返すとか、金をとるとか書いてあり、まことに「浮浪癩」対策だったことを確認いたしました。当時の立法者は強制隔離まで考えていたかどうか、検証する必要があると思います。

 蛇足ですが、100年といったら思い出があります。私が某療養所にいた時には、明治時代の古い習慣のタツーをされている入所者がおられ、その方は、誇りと自慢をもっておられたのですが、丁度沖縄県のタツー禁止令100年後にあたり、そのことを主題にローカル紙、県紙にエッセイを投稿したことがあります。(誰も他の人はやってなかった)

 リデルが創立した回春病院の100周年記念行事に出席しました(熊本)。ちょっと気がつくのが遅かったのですが、郵政省に働きかけ、記念切手を作らせる方法がありました。2,3年前から働きかけが必要です。100というきりのいい数字が決め手でした。
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「癩予防ニ関スル件」 投稿者:リベル 投稿日:11月28日(火)00時16分20秒   引用
1907年3月18日に公布されました。「浮浪癩」を保護する性格を持っていたこの法律が、後の「強制隔離」への口火を切ったのです。

『第三條 癩患者ニシテ療養ノ途ヲ有セス且救護者ナキモノハ行政官廳ニ於テ命令ノ定ムル所ニ從ヒ療養所ニ入ラシメ之ヲ救護スヘシ』

来年は2007年。あれからもう一世紀が過ぎたのですね・・・。実に、長い、長い100年でした・・・(T_T)
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Re:ついでに言えば 投稿者:Ichiro 投稿日:11月27日(月)21時16分25秒   引用
 花井善吉(第2代目院長)は善政をしき、花井善吉伝説を作った。

 花井院長はある患者を深く愛し、子供を作った(朝鮮ハンセン病史、滝尾英二、p59)

 李承晩大統領統治下、日本人に関する顕彰碑、記念碑は一切破壊せよという命令が出た時、密かに土中に埋められ朴大統領の時代になって掘り起こされた日本人の碑が2つあります。一つは基督同信会の伝道者乗松雅休です。もう一つは小鹿島慈恵院長の花井善吉の彰徳碑です。(このことは古老が著者に語ったことである)(同じ本)
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1952年の要求 投稿者:Ichiro 投稿日:11月27日(月)19時38分21秒   引用
さすが 全らい患協の要求は よく考えられている。

>家族の生活保障を考慮させる。
 扶養義務者が療養所に入所した場合、現在の如く、生活保護法の適用では患者の秘密が保持されないから、各療養所に特別民生委員を置き、これを通して、その家族の生活を保障する。

 次の文献で、その後の経緯がわかる。

 菊池野 昭和40年3月号 援護家庭をもつ患者組織の活動報告 早野孝義

 恵楓園に在籍する490名のうち、親族の擁護を受けているのは72名(15%)もいます。
(当時の話です)らい予防法による援護は県の保健予防課の一担当官により行われ、医療援助が削られています。(当時の話と思います)そのレベルは生活保護のレベルよりかなり低いと書かれています。
 早野さんは 越年闘争を行い、いろいろ要求されましたが、決められた額しか出せないというお役所仕事を批判しておられる。

 平成3年の在宅検診 続平成3年の在宅検診 菊池野 1991,3、1992,3

らい指定医が行う在宅検診は、県の係官と一緒に仕事をするので、県の係官の仕事である、援護家族との仕事を知ることになる。当時は、早野さんの時代より、相当、家族への援護は強化されていた。(医療援護もあったと思う)
 一つ気になることがある。援護家族制度は、らい予防法が消失すると、場合によっては、生活保護法に移行すると思われるが、秘密の保護はうまくいったのであろうか。

 うまくいったと、思いたい。民生委員に対し、厳密な教育がなされなければならない。
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療養所内の学校の校歌 投稿者:Ichiro 投稿日:11月27日(月)14時15分7秒   引用
南静園 半世紀ぶりに校歌斉唱/宮高生の演奏に合わせ
「宮古稲沖小中学校」卒業生ら

エエト宮古毎日新聞のHPにでています。

 Ichiro
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貴重な資料です 投稿者:Ichiro 投稿日:11月27日(月)12時46分54秒   引用
さすが リベルさん 貴重な資料です

 1)この際「癩」の名称を廃し「ハンセン氏病」と改める ということでご自身の名称にはたと気がついたのでしょうね。(昭和28年2月1日より前である)
 2)あとでは給与金となったと思います。
   政府はケチで、色々な収入を合算して(軍人恩給は別)、給与金を大体一定にしていました。しかし、私のこの知識は新しいので、この時期から、色々な変遷があったのかもしれません。
 3)援護家族(家庭)制度がこれからおこったのかどうか。制度としては 民間の有力者である民生委員でなく(秘密保護の意味である)、県の職員で行うこの制度は らい予防法廃止まで続いた。医師は、らい指定医である。入所するまで、また、患者の家族に関すること、家庭にいる患者などの世話を県の役人と らい指定医が行った。
 (要するに、療養所内が厚生省、そこに到るごちゃごちゃした事は県、という感じである)
 4)ちょっといいかっこしいではないか。私が恵楓園で聞いたことは、服役後は絶対に恵楓園に帰ってこないと いう 約束がなされたということである。こちらが 本音であろう。なお 他の園の話は 聞いていないが、同じような感じと思う。
 5)自宅治療をなぜ ひっこめたのかな。まだ DDSの時代ではないからでしょうか。

 とにかく素晴らしい資料でした。

 Ichiro
(リベル) 判決にも「我が国でも、昭和二八年(1953年)ころからDDS経口投与(DDSの飲み薬がダプソンです)の治療が開始されたが、広く普及するようになったのは、昭和三〇年(1953年)代後半であった」とあります。(11.27 17:36)
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らい予防法の前年 投稿者:リベル 投稿日:11月27日(月)00時27分32秒   引用  編集済
1952年5月、全癩患協第一回支部長会議が開かれて、次の決議がなされました。

  一、らい予防法は保護法的性格を持った予防法とする。
    この際「癩」の名称を廃し「ハンセン氏病」と改める。
  二、入所患者の生活保護金(療養慰安金)を法定する。
  三、家族の生活保障を考慮させる。
    扶養義務者が療養所に入所した場合、現在の如く、生活保護法の適用では患者の秘密が保持されないから、
    各療養所に特別民生委員を置き、これを通して、その家族の生活を保障する。
  四、懲戒検束規定を廃止する。
   イ、園長、職員は患者の保護者であり、園長の懲戒検束権は認められない。
   ロ、入所患者の微罪に対しては園長の行政措置を認めるが、この場合、患者の陪審制を定める。
   ハ、犯罪は刑法により処置する。
   ニ、有罪者は人道的にも医学的にも施設の完備した刑務所で服役する。
     刑期満了後は服役前に居住した療養所に帰ることを原則とする。
  五、強制収容の条件は削除する。
   イ、感染のおそれのない者の自宅治療を認める。
   ロ、この場合、自費の治療の困難な者に対しては国家により保障する。
  六、全快者又は治療効果があり病毒伝播のおそれのないものの退園を法定する。
    この場合、必要とする者に対してはアフターケア的施設及び職業斡旋を考慮する。
  七、病毒伝播のおそれのない者の一時帰省を決定する。
  八、患者の検診、入所等取り扱いに関しては秘密保持を厳にする。
    関係者の秘密漏洩に対する罰則を強化する。

  以上のうち、四項ロ、五項イ、ロについては、討論の後削除した。

これが、日本国憲法が施行されて5年後のことだとは、考え難い内容ですね。「犯罪は刑法により処置する」と国に要求しなければいけないとは・・・。


いま、「ハンセン病問題を考えるための資料室」にこういう「決議」や「要求」、「声明」などを集めています。「全療協の目的」に掲げられている三項目は、「全患協」以前から内在していたということを、証明しようとしているのですが、不可能のようです・・・。関西弁では「なんぎやなあ」と言いますが・・・(>_<)
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F事件から”現代”を考える会が更新 投稿者:リベル 投稿日:11月26日(日)17時19分46秒   引用  編集済
こちらです。

正直な感想を申し上げれば、矢張り「恐れるに足らない」連中だったと、分かってきました。いずれ現わす「馬脚」が、楽しみではあります・・・。
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Re:ついでに言えば 投稿者:Ichiro 投稿日:11月26日(日)14時59分50秒   引用
北風様

 有難うございました。
 あとの花井善吉の例は たしか滝尾英二先生の本に 倒されて再建された日本人の碑が
 2つあるが その一つだと書かれていました。
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ついでに言えば。 投稿者:北風 投稿日:11月26日(日)11時42分4秒   引用  編集済
李春相は、無教会派のクリスチャンだった。
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/tolerance/tolerance_newsletter12.html

また、対照的な花井善吉のような人もいた。
http://www.eonet.ne.jp/~yokati/siryoukan/hanai%20hi.htm
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html
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第5回国際らい会議(ハバナ) 投稿者:Ichiro 投稿日:11月26日(日)11時34分1秒   引用
ユマニテの人 木下杢太郎とハンセン病 成田稔 日本医事新報社 2004

 いろいろ古い会議などが載っていますが、ちょっと気がついたのですが、
 第5回国際らい会議(ハバナ、1948年)で leper(らい者)は用いず、代わりleprosy patient(らい患者)を用いることに決まった、とあります。

 leperの言葉がそういう悪い感じを与えるということであれば、精神において、ライから
 ハンセン病へ、と同じ意義ではないかと思うんであります。
 蛇足ですが、私が2月1日を今頃、があがあ主張するのも、へんですが、要するに前の
 全療協の厚い本に、2月としかなく、ここは2月1日と記載しておれば、問題はないので あります。

 周防博士についても、記載するのに参考にと思い書きました。
 Ichiro
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別な見方も 投稿者:北風 投稿日:11月26日(日)11時32分51秒   引用  編集済
周防園長銅像 建立と殺害

(1942.6.20)
 小鹿島を世界最高の癩療養施設として作った第4代すおう(周防正季)園長は院生たちを奴隷のように働かせた、最後には自身の銅像を建て、院生に参拝までさせた。 この時期に院生たちは絶え間なく続く強制労役のため病状は悪化し手足は傷だらけになり、過酷な状況に打ち克つことができず自殺しようと海に飛び込み逃走した。水に溺れ死ぬなど病が治るという希望はほとんど消えうせていた。
 1942年6月20日、院生のイチュンサン(李春相)は周防園長の銅像を参拝する儀式(報恩感謝日)に包丁を胸に抱き、職員、院生約3千余名とともに銅像の前広場(現 救癩塔の所)の道路にいたが、銅像に向かいやってきた園長の前をふさぎ「お前は患者に対して余りにも無理な仕業をした、この刃を受けろ」と声をはりあげ園長の右側の胸を包丁で刺した。イチュンサンは直ぐに捕まえられ引っ張られて行った 周防院長は、その日の午後、大量出血のため、官舎で亡くなった。
 イチュンサンは1942年8月20日光州地方法院(第1審)で死刑を言い渡され上告し、その年の10月2日大邱本審法院(第2審)で死刑の判決を受け、同じ年の12月7日総督府高等法院(第3審)で上告が棄却され、死刑が確定した。
 イチュンサンは法廷で「周防院長を殺したことは個人の感情からではなく義憤によるものだ。園長が寵愛するさとう(佐藤)看護長が園長の手先となり、拡張工事など各種事業に同僚院生たちを酷使したため、園長を殺害し世論化させ、この機会に小鹿島に悲惨な生活を赤裸々に暴露、公開し、世論にうったえることだ」と泰然として淡々と殺害動機を陳述した。



周防院長の銅像に参拝を強要される朝鮮人入園者。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) 後に引用される「恨生」のHPの年表に依れば・・・

1933年9月     第4代院長 周防正季が就任 当時の収容人員1212名
1933年〜36年   小鹿島慈恵病院第1次拡張工事 定員約4000名
1934年10月1日  小鹿島更正園に改称   断種手術の実施
1935年      監禁室が作られる(府令により小鹿島に光州刑務所小鹿島支所を設置)
1936年12月    第2次拡張工事
1937年10月    小鹿島納骨堂(萬霊塔)の竣工
1939年       強制労働による第3次拡張工事がはじまる 当時の入園者5925名
1940年      小鹿島入所者ピークとなる  6,137人
            周防正季園長銅像除幕式が中央公園で挙行される
1941年       朝鮮総督府、韓国内の患者数を13772名と発表
1942年6月     周防園長被殺される

光田健輔氏は被殺されず、1951年に文化勲章を手中にしています。嗚呼!!!(11.26 14:11)
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周防正季博士 投稿者:Ichiro 投稿日:11月26日(日)10時16分1秒   引用
その2 佐久間温巳先生の夏炉冬扇より

 周防博士の生涯は大別して3期にわけられる。第一は医師となって、一度は志した外科医の道を捨て官界に入り国内各県で防疫官や学校衛生主事等を歴任された時期、第2は朝鮮に渡り京畿衛生課長として主に麻薬中毒患者の治療に尽力された時期、第3に朝鮮でハンセン病の予防および治療に献身された時期である。
 生年月日:明治18年(1885)10月8日滋賀県で生まれ、明治42年3月愛知県立医学専門学校卒業
 第1期:略
 第2期:大正10年3月京畿道技師警察部衛生課長(当時の衛生行政は警察が担当した)に就任、麻薬撲滅のために寝食を忘れ没頭、その傍ら京城帝大薬理学教室で「モルフィン」の家兎腸管に及ぼす作用について」で学位受領。(昭和7年)
 なおその前であるが、現職のまま大正15年ー昭和2年欧米視察旅行をする。
 第3期:麻薬撲滅の実行力、指導力を認められ、総督府の推挙もあり昭和8年9月小鹿島慈恵医院院長に就任。昭和9年度から大療養所の建設に励む:実質的に博士がとりしきった。設計図は自分で書き、建設資材も安いところを探して自ら買い付け、連日工事源派に出て先頭に立って働かれた。昭和14年10月収容人数6000名を超える大療養所が完成。
(人数はクリオン療養所に匹敵するがニッパハウスの点在するクリオン療養所とは比較にならない)当時の宇垣総督は朝鮮の世界に誇るものの3番目とされた。
 研究活動も充実、昭和15年9月日本らい学会を主宰(2日間は更正園で、あと一日は京城大学で;総長は志賀博士;赤痢菌の発見者)(この写真はいろいろな資料にある)
 昭和15年6月、博士の銅像完成:銅像建立の計画を聞くや博士は極力反対、この時分は失明寸前となっていた親分朴順周の強い要望を容れ黒砂糖看護長が音頭をとり建立した。博士は気にやみ、自身も「レプラ」誌上に弁明の手紙を送った(12巻2号雑報)
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日本の現在の患者数は? 投稿者:リベル 投稿日:11月26日(日)05時28分19秒   引用
ウッカリしていました。日本の現在の患者数は?と訊かれたらどう答えれば良いのですか?

ここに有るのは「入所者数」です。昨年の新規患者数がゼロだというのは聞いていますが・・・?
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あきれた厚生省 投稿者:リベル 投稿日:11月26日(日)04時07分13秒   引用  編集済
昨夜お約束したとおり、エネルギーを補填して、「患者数の推移 一覧表」に取り組みました。

ここに二つの「厚生白書」を並べます。「昭和38年」と「昭和45年」。

一目で分かる違いは、表の作成者です。38年は「厚生省公衆衛生局及び医務局」、45年は「厚生省統計調査部」です。これだけでも不信感は湧くのですが、更に驚くべきは、昭和38年の方は「昭和35年」の総数を
   10,645+943=11,588
と単純な計算間違いまでしていることです。

これに加えて、昨夜報告した「国立療養所史 らい篇」(厚生省医務局療養所課内国立療養所史研究会編)の「患者数の推移」です。38年の白書と同じ「医務局」内で作っているのに数字が全く異なるとは・・・?何を信じて良いかもう、昨夜に増して腹が立ってきました。

というのは嘘で、もう昼過ぎから、こうあるのを予想して、腹を決めていたのです。「復権への日月」をベースにして、「国立療養所史」の数字を加え、マイ「一覧表」を作ろうと・・・。もう信じられるのは自分だけという、悲しい結論で・・・またやるべきことを増やしてしまいました・・・なかなか死なせてもらえません・・・(>_<)
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ハンセン病の文献 投稿者:Ichiro 投稿日:11月25日(土)14時17分2秒   引用
夏炉冬扇(かろ とーせん) 佐久間温巳

 日本医史学会に所属されている先生の本

 1)日本統治下の朝鮮救らい事業に一生を捧げた周防正季博士

 この本の著者は周防先生の後輩という立場もあるが、医史学的に、きわめて正確に描いた周防像。周防先生は大正8年頃、技師学校衛生主事であったが、夜学に通い、建築、設計、製図の技術を習得されたのが、あとで生かされている。京城(そうる)に行き、麻薬中毒の研究に従事、撲滅を目指したが、麻薬は日本軍部や朝鮮人有力者の資金稼ぎになっていたという。昭和8年9月に小鹿島慈恵医院院長に就任、次々と患者を集め7ヶ月にして患者を倍増した。大療養所を建設したのだが、昭和17年6月20日朝、李春成から刺殺さる。その事に関しての著者のコメント:
 周防園長の死は突発的事件にみえるが、その根底に多くの問題があったと思う。今日各方面で論議されている患者の強制的隔離政策、患者統制に利用された組織間の軋轢、多数の患者の監督には平常の手段のみでは無理で、ある程度の強圧策が必要であったこと、戦争の進展につれ食料をはじめ戦時真っ先に焼き打ちされた小鹿島神社の例でわかるように、日本の習慣、行事を押し付けた事、根本的には日本の植民地しはいに対する反感、など多くの問題がこのような悲しい事件を生んだ原因ではなかろうか。
 2)本邦ハンセン病史における後藤昌文、昌直先生父子の業績
 3)治らい剤「大風子油」と19世瑞碩岡村平兵衛
 4)救らいの先覚者 遠山道栄父子と回天病院
 5)虹の架け橋
 6)らい予防法の廃止と小笠原登先生
 7)89年ぶりに「らい予防法廃止」

 最初の文章は、名大医学部学友時報422−424号(昭和60年3−5月)が初出である。本には参考文献が掲載されてないので、こちらにあるのではないか。
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Re: 新・あつい壁」撮影へ 投稿者:北風 投稿日:11月25日(土)12時50分31秒   引用
> 来年1月、撮影開始。於:熊本。資金半分集まったので・・・。
>
> と西日本新聞に書いてありますよ・・・。

半分あれば十分できますわな。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) 「熊笹の遺言」の100倍ですから・・・。
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新・あつい壁」撮影へ 投稿者:リベル 投稿日:11月25日(土)12時40分8秒   引用
来年1月、撮影開始。於:熊本。資金半分集まったので・・・。

と西日本新聞に書いてありますよ・・・。
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阪大、神戸大にも。  Re: 「患者数の推移」についての疑問 投稿者:北風 投稿日:11月25日(土)11時17分27秒   引用
〉国立療養所史(らい篇)」は、貴重な存在のようです。今のところ国会図書館に有ることだけは、把握しました。どなたか情報をくださいな・・・m(_ _)m
>

所蔵図書館 18

医師会 ; 結核編 498.1602||WX11||Ko49 015185 ; 精神編 498.1602||WX11||K
o49 015186 ; 総括編 498.1602||WX11||Ko49 015187
科学院 ; らい編 498.16||kos 80649 ; 結核編 498.16||kos 81106 ; 精神編
498.16||kos 80807 ; 総括編 498.16||kos 81107
熊学大福 ; らい編 498.16/KO83 90026507 ; 結核編 498.16/KO83 90026505 ;
精神編 498.16/KO83 90026506 ; 総括編 498.16/KO83 90026504
恵泉女 ; 結核編 498.16/K 000153646 ; 精神編 498.16/K 000153647 ; 総括
編 498.16/K 000153645
結研 ; らい編 WX11||KOK||1 0004499 ; 結核編 WX11||KOK||2 0004501 ; 精
神編 WX11||KOK||3 0004502 ; 総括編 WX11||KOK||4 0004500
厚精研 ; らい編 0010034222 ; 結核編 0010034163 ; 精神編 0010034196
国立看護大 ; らい編 N062 N00027268
阪市大 生科 ; 総括編 498.19//K 17100028145
阪大 ; らい編 10501276082 ; 結核編 10501276066 ; 精神編 10501276074 ;
総括編 10501276058
阪府大羽 ; 精神編 20950565696
上智大 書庫 ; らい編 498.16:Ko835:v.1 000737120 ; 結核編 498.16:Ko835:
v.2 000737102 ; 精神編 498.16:Ko835:v.3 000737111 ; 総括編 498.16:
Ko835:v.4 000737094
神大保健 ; らい編 498.1-K//2 070000012452 ; 総括編 498.1-K//1 07000001
2451
静県大 ; 総括編 498.16||Ko 83 KO004685
東北福大 図 ; 総括編 0000086673 ; 結核編 0000086674 ; 精神編 000008667
5 ; らい編 0000086676
日福大 ; らい編 1300582499 ; 結核編 1100780665 ; 精神編 1100780640 ;
総括編 1100780657
有明高専 ; 結核編 498.16||K 1130189013 ; 精神編 498.16||K 1130189001 ;
総括編 498.16||K 1130188998
立大 ; らい編 94-07649 ; 結核編 94-07647 ; 精神編 94-07648 ; 総括編 94
-07646
龍大瀬 図 ; らい編 39400046078 ; 結核編 39400046056 ; 精神編 394000460
67 ; 総括編 39400046045
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) 昨日っていうか、今朝「国立療養所史 らい篇」でググッた結果、トップにヒットしたのが「立命館大」のサイトだったことを、寝起きに思いついて、「そうだ、大学が有るじゃないか!」と座ったら、これを出して貰っていました。有り難うございました。阪大が一番近いと思います。調べて行ってきます。有り難うございました・・・_(_^_)_
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骨董品的な代物を発見しました 投稿者:リベル 投稿日:11月25日(土)03時09分40秒   引用  編集済
作成した頃の「ハンセン病のリンク集」です。確かに、これです。数分前、見付けたときは、カウンターが「25」くらいでした。下の「国立療養史 らい篇」を検索していたら、飛び出してきました。これが現在の「ハンセン病のリンク集」の母体と言うか、初期の姿です。それから、諸先輩の助言を色々頂いて表の中は白にしたりなど、一歩一歩、改訂して、今の姿になってきています・・・。

わあ〜い・・・感動的でした・・・(T_T)
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Re: 「患者数の推移」についての疑問 投稿者:リベル 投稿日:11月25日(土)02時24分13秒   引用  編集済
> 「ハンセン病 患者数の推移」で検索しますと、邑久光明園、愛媛県、PHC、モグネットなど出てきますが、いずれも原典は一つだと思われます。「註」まで同じですし。
>
> ところが、全患協の数字(「全患協運動史」191頁、「復権への日月」378頁)の内、昭和10年から45年までが、前記のものと異なっているのです。今、愛媛県に数字の出典を(手紙で)お聞きしていますが、返事は未だです。

これは11月18日(土)03時33分30秒投稿のものです。その後邑久光明園にもメールしました。しかしいずれも返事が未だ来ません。いよいよ、電話しようと思っていたのですが、今日全く別のことを調べていてこんなのを発見!これで一件落着かも知れません。

大谷藤郎氏の「らい予防法廃止の歴史」で「将来の療養所のあり方研究会」のことを調べていたら「患者数の推移」の表(218頁)が目に飛び込んで来ました。見ると出典は「国立療養所史(らい篇)」(厚生省医務局療養所課内国立療養所史研究会編―リベル調べ)とあります。「全患協運動史」「復権への日月」の表と照合したら、ドンピシャリ。

これだったのです。全容解明には至りません、邑久光明園他の数字はではどこから出たのかが不明だからです。でももう追求は止めて、私の「データ」はその部分だけ「国立療養所史(らい篇)」の数字に変えておくことにします。「死」に追いかけられて、「追求」している時間が有りません・・・(>_<)

それにしても、「国立療養所史(らい篇)」は、貴重な存在のようです。今のところ国会図書館に有ることだけは、把握しました。どなたか情報をくださいな・・・m(_ _)m


以下は04:06から追加投稿です。

前記の大谷氏の同書の18頁に、もう一つの「患者数一覧表」を発見。これが冒頭の邑久光明園他の表の出典でした。この出所も「厚生省」となっています。

つまり1946年から1974年までに関して、厚生省は2種類の統計数字を発表しているのです。どなたか、この件を厚労省に対して追求して下さい。私は余りにも馬鹿馬鹿しくて、もうお付き合い出来ませんから・・・。馬鹿馬鹿しいものを、人に押しつけるのはいけないですね。又、明日、エネルギーを補填して再挑戦します・・・(o_ _)oパタッ!
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Re: 名前を確認しようとしてできず。 投稿者:北風 投稿日:11月24日(金)09時33分19秒   引用
> > 当時、leprosyをHansen's diseaseに変更することをもっとも熱心に唱えていたのが、Dr.V(名前を失念。菊池先生教えてください)で、彼は、WHO第二回の専門委員会の委員長として報告書を起草もしているその人のことなんですが。
>
> 北風さん、「Dr Vellut C.」ではなかったでしょうか?この人はWHO関係のサイトに良く現れます。本の著者として、が多いですが・・・。

おお。ピンポンです。最初の4文字「Vell」までは、明確に記憶しています。
まだ、存命で100歳くらいらしいですが。

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Re: 名前を確認しようとしてできず。 投稿者:リベル 投稿日:11月24日(金)04時00分22秒   引用  編集済
> 当時、leprosyをHansen's diseaseに変更することをもっとも熱心に唱えていたのが、Dr.V(名前を失念。菊池先生教えてください)で、彼は、WHO第二回の専門委員会の委員長として報告書を起草もしているその人のことなんですが。

北風さん、「Dr Vellut C.」ではなかったでしょうか?この人はWHO関係のサイトに良く現れます。本の著者として、が多いですが・・・。
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(無題) 投稿者:はっしー 投稿日:11月23日(木)20時15分32秒   引用
おや、書籍名を間違えてましたね 失礼しました(ぺこり)
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閑話休題 投稿者:北風 投稿日:11月23日(木)17時05分21秒   引用  編集済
プレオープンにきていた、「熊笹の遺言」のスタッフによると(無論人件費は手弁当だろうけれど)、「熊笹の遺言」の制作費は60万円だったそうです。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) やれば、出来るのです。その気が有れば、何事も・・・。「冤罪」のドキュメンタリーも・・・!

あれっ?「新・あつい壁」を応援すると言っていた、その舌の根も乾かぬうちに・・・???いえ、勿論、私ですよ・・・(11.23 17:20)
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Re: 知りません 投稿者:北風 投稿日:11月23日(木)16時49分54秒   引用  編集済
> 在宅治療と 病名のいいかえ が リンクしているとは 到底思えません。
>

言い方が悪かったかも。
Hansen's diseaseを主張した、WHOの「南米派」のドクターの考え方の中に、地域で在宅治療をするためには、偏見の手垢に染まったレプラという病名の変更が必要だったのではないでしょうか。だから、むしろ「在宅治療」が先にあったのではないか。

しかし、日本では、ハンセン病への呼称の変更は全患協によって運動として進められるけれど、「在宅治療」への要求は病名問題と切り離されて、不徹底に終わってしまったというつもりでした。
医学の方面からではなく、もっぱら「患者運動」の側面からですが。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) これは、口を差し挟まず、菊池先生のご感想をお待ちすることといたしまあ〜す・・・。(11.23 17:11)
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再び2月1日について 投稿者:Ichiro 投稿日:11月23日(木)07時36分3秒   引用
未だ 未解決の問題があります。

 私の文章がでてきました。

 日本においては、昭和24年から「癩」でなく「ハンセン病」を主張する患者さんと医師がありました。全国癩患者協議会のニュースに「ハンセン氏病」が登場するのは昭和27年3月1日、その11ヶ月後の昭和28年2月1日に全癩患協(全国癩患者協議会)という患者さんの団体名を全患協と名称変更しました。名実共に「ハンセン病」を主張したわけです。私はある記事を書くために高松宮ハンセン病資料館に行ってこのことを確認したわけでした。この日は記憶すべき重要な日であると思います。

 日本医事新報 らい病からハンセン病へ 4056,59,2002,1,19

問題とは なぜミスしたか、これはリベルさんの説が最も有力です。それから真相究明を求めた検証会は どうしたか。真相究明に値しないと考えたのでしょう。ちょっとひねくれていますか。

真相究明をうたった検証会議はどうなっているか
 なぜ ミスしたか
(リベル) 確かに、「検証会議」の発言も「検証」の要が有ります。菊池先生の説得性ある説明を、ここで無料で、お聞かせ頂ければ、有り難いのですが・・・。(11.23 17:15)
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和泉真蔵氏の「インドネシア便り」に刺激されて・・・ 投稿者:リベル 投稿日:11月23日(木)02時41分41秒   引用  編集済
こんな「研究コーナー」を作ってしまいました。今、作成中のものや、研究中のものを纏めています。その中の「世界のハンセン病はいま・・・」では、国際的な俯瞰をしようとしています。

「患者数の変遷」の表には、新たに「新規患者数」を加えました。これを見ると、昨日紹介した和泉先生の第11話の、インドの話が、良く分かるかな?と・・・。それに先日ご紹介した「WHO疫学週報トピックス」の最新版(表5)を見ると、インドの異常な減り方がハッキリ分かります・・・。まことに興味が尽きません・・・。
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Re: いいテーマ。 投稿者:リベル 投稿日:11月22日(水)23時43分28秒   引用
> 僕の場合、昨日犀川さんの話を聞いての印象ですが。
>
> なあなあ、の話では何の進展のありません。
> ここから僕もいろいろ調べてその結果、面白い知見にたどり着けたのなら、BBSでの可能性も証明できるというものです。
>
> 勉強しつつ。すすめてまいりましょう。


>「ハンセン病への言いかえと「在宅治療」は同根だったわけです」

これ、私は合点がいくのです、菊池先生。前へ進めてみましょうよ・・・。
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Re: 知りません 投稿者:リベル 投稿日:11月22日(水)23時39分48秒   引用  編集済
>  北風様 小生には わかりません。年は 何年でしょうか。

「WHO expert committee on leprosy」、第2回は1959年です。

検索してみるのですが、委員長名まではどうも・・・です。北風さん・・・?
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Re: 何かずれている。 投稿者:リベル 投稿日:11月22日(水)22時52分47秒   引用
> http://www.alfoo.org/diary/majo/
> 新・あつい壁を越えて!は、まだ撮影が始まっていないとのことですが、体制側に魂を売らずに少ない資金で、社会的な作品を作る心意気!その素晴らしい希少種ぶりにエールです!

私だけでしょうか?BBSの場合、書いている本人は、「題名」に思いを篭め、大きな意味を持たせるのですが、人のお書きになったのを読む場合、大抵は「題名」を素通りして本文に入ってしまいます。

だから、これを読んだとき、北風さんの真意が図りかねて、ナンダロこの鹿児島の市会議員さんは?と思いながら「題名」を見て、ようやくガッテン。皆さんもこういう経験、有りませんか?

そうか・・・やはり、私だけのようです・・・。

「何かずれている」というか「なにか、ごっそり欠落している」。そんな感じを受けました・・・(>_<)
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いいテーマ。 投稿者:北風 投稿日:11月22日(水)21時28分35秒   引用
僕の場合、昨日犀川さんの話を聞いての印象ですが。

なあなあ、の話では何の進展のありません。
ここから僕もいろいろ調べてその結果、面白い知見にたどり着けたのなら、BBSでの可能性も証明できるというものです。

勉強しつつ。すすめてまいりましょう。
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知りません 投稿者:Ichiro 投稿日:11月22日(水)20時41分0秒   引用
在宅治療と 病名のいいかえ が リンクしているとは 到底思えません。

 といっては みもふたもないので  説明を聞きたいと思います。
 在宅治療といっても 小笠原先生時代
 日本の在宅治療の歴史に重要な 沖縄の在宅治療
 犀川一夫先生と在宅治療
 などが思い出されます

 愛楽園の外来の在宅治療の数を提示します。
 1950 12 1951 12 1952 33 1953 21 1954 24 1955 45 1956 20 1957 50 1958 47 1959 40
1960 33 1961 58 1962 59 1963 58 1964 61 1965 52 1966 41
那覇スキンクリニック 1962 12 1963 97 1964 172 1965 269 1966 388
ほかに 宮古南静園 宮古スキンクリニック 八重山保健所がある。

 北風様 小生には わかりません。年は 何年でしょうか。
 小生のエッセイに 昭和6年のマニラの国際会議で「ハンセン病」を主張した発言が最初であったと伝えられます。と 書きましたので。

 Ichiro
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何かずれている。 投稿者:北風 投稿日:11月22日(水)18時57分15秒   引用
http://www.alfoo.org/diary/majo/

ハンセン病資料展の最終日です。

あつい壁を越えて!の上映中。中山節夫監督さんの講演前で、今村昌平学校の卒業生と昔からの映画界の話、日活時代の映画作りの裏話などに盛り上がって、話しは尽きないようです!

新・あつい壁を越えて!は、まだ撮影が始まっていないとのことですが、体制側に魂を売らずに少ない資金で、社会的な作品を作る心意気!その素晴らしい希少種ぶりにエールです!

こうやって歴史的事実を残す人を全面的に応援する人生を選択します。今から少し抜けてホームレスの炊き出しにいってきます。
2006/11/12 (Sun) 14:05
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名前を確認しようとしてできず。 投稿者:北風 投稿日:11月22日(水)18時15分31秒   引用
当時、leprosyをHansen's diseaseに変更することをもっとも熱心に唱えていたのが、Dr.V(名前を失念。菊池先生教えてください)で、彼は、WHO第二回の専門委員会の委員長として報告書を起草もしているその人のことなんですが。
しかし、当時の国際らい学会はleprosyを採用してHansen's diseaseをとらなかった。
知りませんでしたが、当時の「国際らい学会」には、南米派というのがあって彼等は「在宅治療」の推進派だった。彼はそのボスだった。
だから、ハンセン病への言いかえと「在宅治療」は同根だったわけです。

こうした情報を田中文雄さんなどに教えたのが、犀川さんだったらしい。
しかし、全患協運動の中でも、ハンセン病への名称の変更は主張されたけれど、「在宅治療」への転換の主張は、名称問題と切り離されて「不徹底」なものに終わってしまった。

パーティの喧騒の中なので、正確に聞き取れたのか自信ありません。
どなたかご存知の方は、訂正・補足をお願いします。

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昨日は 投稿者:北風 投稿日:11月22日(水)09時50分31秒   引用  編集済
鈴木時治展のプレ・オープニングで、谺さん、伊波さん、犀川先生、笹川記念保健協力財団の山口さんなどにお目にかかる。

犀川先生から、光田健輔胸像破壊事件のときのTF(あるいはSSさん)さんの自殺未遂の真相、ライからハンセン病への話し、台湾で実践した「在宅治療」の経験から、服薬している在宅患者に感染例がないことを疫学的に確信、そののち高坂先生がヌードマウスで証明した話など面白い話をたくさん聞きました。
耳は遠くなったらしいがお声は張りがあり、お元気で安心。

ハンセン病への言い換えは単に病名の変更ではなく、「在宅治療」の象徴だったのですね。この話は、あとで詳しく報告します。

大柄な犀川先生の隣にちょこんといた小柄な奥様が可愛かったね。
隔離を主張する光田健輔に対し在宅治療を志す犀川さんは一時、ハンセン病から足を洗おうとしたが、奥様が「あなたはハンセンの患者さんを見捨てるの」と、詰め寄ったらしい。

山口さんからは「インドYMCA事件」の真相を聞く。

【言い訳】
ウォーター・ローリーはつづりからは「ウォルター」がいいとは思ったのですが、おいらの耳学問ではウォーターと覚えたもんですから。高校の授業でした。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) >ハンセン病への言い換えは単に病名の変更ではなく、「在宅治療」の象徴だったのですね。この話は、あとで詳しく報告します。
「在宅治療」の象徴ですか・・・。楽しみにお待ちしています。

>【言い訳】ウォーター・ローリーはつづりからは「ウォルター」がいいとは思ったのですが、おいらの耳学問ではウォーターと覚えたもんですから。高校の授業でした。

北風さんは先生の授業をキチント聴く生徒だったのですね。中・高校生の時は、私もそうだったのですが・・・その後は・・・(笑)
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(無題) 投稿者:はっしー 投稿日:11月22日(水)07時30分12秒   引用
ハンセン病の医療問題に関しては、「僕がハンセン病から学んだこと」
と言う和泉先生の著作が、わかり易くて疾患に関する理解に繋がると思います
(リベル) それは「医者の僕にハンセン病が教えてくれたこと」のことだと思います。これは、読みやすく分かり易い良い本ですね。孫達にも送りました。ご紹介有り難うございました。

なお、下の第11話は少し専門的ですが、第8話の中程をお読み頂くと、理解が早まるのでは、と思います。(11.22 11:49)
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和泉真蔵氏のインドネシア便り 投稿者:リベル 投稿日:11月22日(水)05時18分11秒   引用
第11話が届いています。

最近の勉強の結果、先生のお話について行くのが、少し楽になってきました・・・ヽ(´ー`)ノ
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Re: 再び2月1日について 投稿者:リベル 投稿日:11月22日(水)01時52分18秒   引用  編集済
> 全らい患協から 全患協に機関名が変更になった2月1日について
>
>  すでに2月1日のことは、別の雑誌に発表しているのですが、「多磨」に投稿することにしました。すぐ、返事がきて、来年の2月号に掲載するとのこと、タイミング的にぴしゃりです。

今日、何気なく見付けたのですが「最終報告書」の97頁(PDFでは2頁目)に「1951(昭和26)年2 月、多磨全生園で「全癩患協」(昭和28 年4 月から「全患協」)発会式。」と書いてあります。

私は、変節する者ではありませんので、菊池説を信じています。念のため、ご承知置き頂いた方が良いと思って、報告したまでですので・・・誤解の無いようにお願いします。m(_ _)m
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Re:官僚とは・・・? 投稿者:リベル 投稿日:11月22日(水)00時27分19秒   引用  編集済
お約束ですので。

官僚=(A)官吏。役人。特に,国政に影響力をもつ上層の公務員群についていう。
   (B)行政の執行者。官吏。役人。特に政策決定に影響を与えるような上級の公務員の一群。

官吏=(A)国家公務員の通称。役人。官員。
   (B)役人。官人。官員。

役人=(A)官公庁につとめている人。官吏。公務員。
   (B)役所で公務に従事する人。官公吏。公務員。

公務員=(A)国または地方公共団体の職務を担当し,国民全体に奉仕する者。国家公務員と地方公務員とがある。
    (B)国または地方公共団体の事務を担当・執行する者。国家公務員と地方公務員とに区別。また一般職と特別職に分ける。

国家公務員=(A)国に雇用されて,国の公務に従事する人。特別職と一般職とに分かれる。
      (B)国によって任命され国の公務に従事する職員。特別職と一般職に分かれ、国家公務員法の適用を受けるのは一般職に限る。


以上の(A)と(B)は「広辞苑・第2版」(1998.11.11発行)と「大辞林・第3版」(2006.10.27発行)です。さあ、どちらがどっちか、当ててみて下さい。これは、易しいでしょう。


兎に角、いろいろ使い分けていますが、こういうことなのではないでしょうか。

公務員=役人=官吏

官僚=上級公務員=頭は良いが中には性格の悪い人も居る官庁の役人さんのこと(笑)
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Re: 私が悪い。 投稿者:リベル 投稿日:11月21日(火)17時39分15秒   引用
> タバコの好き嫌いは「自己責任」として、アメリカで売れなくなったタバコを日本で売るために、輸入関税を撤廃させて、いまや洋もくのシェアが35%になっているというのも事実ですね。
> フリップモリスのターゲットは、日本の若い女性だそうですから政府は妊婦や胎児の健康を売り渡してしまったわけだ。その代償はなんだったんだろね。
>
> シェアを奪われた日本たばこ産業は、自分がやられたことを東南アジアにやろうとして、日本のタバコの輸入関税の撤廃を迫っているそうです。もう、そうなってしまっているのかな?


ウォルター・ローリー(Sir Walter Raleigh 1552?−1618)

イギリスの軍人・探検家.1595年南米オリノコ地方を探検し,ジャガイモ,タバコをはじめて自国に伝えた人といわれる.
★日本ではラレイの呼び名が普通.同名のパイプ-タバコも輸入発売されている
(コンサイス カタカナ語辞典より)
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私が悪い。 投稿者:ウォーター=ローリー 投稿日:11月21日(火)13時29分39秒   引用  編集済
タバコの好き嫌いは「自己責任」として、アメリカで売れなくなったタバコを日本で売るために、輸入関税を撤廃させて、いまや洋もくのシェアが35%になっているというのも事実ですね。
フリップモリスのターゲットは、日本の若い女性だそうですから政府は妊婦や胎児の健康を売り渡してしまったわけだ。その代償はなんだったんだろね。

シェアを奪われた日本たばこ産業は、自分がやられたことを東南アジアにやろうとして、日本のタバコの輸入関税の撤廃を迫っているそうです。もう、そうなってしまっているのかな?
(リベル) タイトル「私が悪い。」の意味が分からないのですが・・・(笑) (11.21 17:45)


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某所 投稿者:北風 投稿日:11月21日(火)13時14分50秒   引用  編集済
http://6527.teacup.com/4800/bbs
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) 閲覧パスワードを要求されます。どうすれば良いのでしょう?お教えください・・・m(_ _)m (11.21 17:43)
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Re: 翻訳ツール 投稿者:リベル 投稿日:11月21日(火)00時37分55秒   引用
> どなたか、良いツールを教えて下さい・・・m(_ _)m

痺れを切らして、検索してこんなサイトを見付けました。勉強になりました。オンラインのフリーのソフト以外にも、5万円以上もするソフトがあることを、初めて知りました。しかも、値段の高いソフトだから、翻訳が優秀だとは限らないのが、まことに愉快です。

コストパフォーマンスから行って「Yahoo!」が一番良いような気がします。それを使った訳文がこれです。「OCN」や「Excite」より良いと思いますが、如何ですか・・・?
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かたくなにならずに。 投稿者:とんび 投稿日:11月20日(月)18時46分58秒   引用
(リベル) これは、信じられません。


などとかたくなにならずに、
せめて、一読をオススメしておきますね。

イラク戦争開戦の大嘘、‘イラクには大量破壊兵器がある'、がばれたように、
‘煙草は肺癌の元'というのも、いずれ嘘である事がばれるでありましょう。

もちろん、議論しようというのではなく、おすすめ、です。

‘煙草が嫌い'なかたに無理に好きになれ、
といっているのではありません。
みんな煙草を嫌うべきだ、という押し付けは間違っているのではありませんか?

煙草に害がないとなればなおさらのことです。

さもあらばあれ、全ての真実が明らかになる日のために、
せめて、真実を伝えた週刊誌の栄誉を、たたえておきましょう。

『週刊ポスト』2006年11月17日号、40頁。
受動喫煙は発癌と関係ない、
どころか、幼児期の受動喫煙者の
発癌率は受動喫煙しなかった子供に比べて、
肺癌の発生率がはっきり低いそうである。


たとえどれほど小さくとも真実を嘘によってつぶす事はできない。
がんがれ、『週刊ポスト』。
(リベル) はい。分かりました・・・。

がんがれ、『週刊ポスト』。

がんばれ、とんびさん・・。

煙草に害がないことを発見した人の名が、明らかにされないのは不思議ですが、その人は絶対にノーベル賞を貰うはずです。そのことを中央紙がこぞって大々的に書き立てる日を、楽しみに待つことにいたします。(11.21 03:33)
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翻訳ツール 投稿者:リベル 投稿日:11月20日(月)17時25分49秒   引用  編集済
OCNと言い、Exciteと言い、翻訳ツールというのはどうも、進歩が遅いのではないでしょうか。今日、Exiteの翻訳をトイレの時間に印刷して、大忙しで出かけて、歩きながら読みました。もう、途中で引き返そうかと思ったほどです。非道い翻訳、英語力の乏しい私にでも、それくらい分かります。

これは、どうにかならないのでしょうか?随分昔に、変な翻訳だ、と感じていたのが、全然進歩していません。何度読み返しても、汗が出てくるので、削除します。OCNだけ置いておきます。自分で訳そうとしましたが、矢張りムリです、恥を曝すだけ・・・。

どなたか、良いツールを教えて下さい・・・m(_ _)m
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これは、インドの「宿泊拒否事件」です 投稿者:リベル 投稿日:11月20日(月)13時24分34秒   引用  編集済
何故??日本ではどこも報道しないのでしょう?それが、大きな、大きな驚きです。インドは世界で最も患者数の多い国です。そこでこんなに意識が低いとは・・・?これも新しい驚きでした・・・。

YMCAの対応が待たれますね・・・。
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leperは使うべきでない 投稿者:Ichiro 投稿日:11月20日(月)12時37分18秒   引用
ゴパールさんですか。宮古南静園にこられた時にお会いしました。すばらしいリーダーです

 Ichiroです。

 1992年にニューヨークの世界皮膚科学会のハンセン病シンポジウムに出席した時、Leperは 絶対使うべき言葉でない、とインドの有名な教授が講演で述べられました。非常に悪い意味のようです。
(リベル) 知りませんでしたが、そうなのですね。文中にも「 banned」と有りました。(11.20 17:43)
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Re: 某所で話題になっています。どなたか情報ありませんか? 投稿者:リベル 投稿日:11月20日(月)12時29分24秒   引用  編集済
発見!これだと思います。

OCNの翻訳ですが、もっと良いツールは有りませんか?こちらが「Excite」の翻訳はURLが取れませんので上にコピペしました・・・。
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某所で話題になっています。どなたか情報ありませんか? 投稿者:北風 投稿日:11月20日(月)08時45分5秒   引用
Dr PK ゴパール 投稿者:   投稿日:11月19日(日)22時18分11秒   引用
Dr PK ゴパールは、IDEAインド代表ですね。
記事には行き着けなかったけど・・・。サンキューです。
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ご無沙汰しております。面白い記事がありましたので。 投稿者:とんび 投稿日:11月20日(月)03時55分0秒   引用
『週刊ポスト』2006年11月17日号、40頁。
受動喫煙は発癌と関係ない、
どころか、幼児期の受動喫煙者の
発癌率は受動喫煙しなかった子供に比べて、
肺癌の発生率がはっきり低いそうである。

世界保健機構WHOが権威ある研究機関に調べさせて、
タバコは健康に良いというデータがあったのだが、
隠していたのだそうな。
(リベル) これは、信じられません。JTが金を出したのかも知れませんし。私は「野蛮人が吸うものだよ」という一言で、禁煙できました。それを言ってくれた先輩は、先立ってしまいました。あ、墓参り、忘れていました・・・。(11.20 05:06)
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官僚とは・・・? 投稿者:リベル 投稿日:11月20日(月)00時26分46秒   引用
厚生労働省も大抵いい加減だけど、このところの文部科学省も悲惨な状況です。タウンミーティングのヤラセ、履修漏れ、いじめ問題対策と。

「一体官僚は・・・」と息巻きながら、待てよ、官僚って何なんだろう?と気になりました。「官僚」、「役人」、「公務員」この三つを「広辞苑・第五版」「大辞林・第三版」で引いて並べてみました。メモ帳にズラリと並べると、面白いことが見えてきました。

しかし、今は、書きません(コピペしません)。一度皆さんご自身で「定義」してみてください。なかなか、面白いでしょう・・・。そんな楽しみを奪うほど、私は野暮ではありません・・・(笑)

明後日くらいに、ここに列記することをお約束します。おたのしみに。
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今考えるべきハンセン病問題は・・・? 投稿者:リベル 投稿日:11月19日(日)17時38分51秒   引用  編集済
 ハンセン病患者・元患者を九十年にわたり強制隔離してきた国の政策を違憲と断罪した二〇〇一年五月の熊本地方裁判所判決から五年半。ハンセン病元患者の人間回復をめざすたたかいが正念場を迎えています。

 最大の課題は、全国十三カ所にある国立ハンセン病療養所の将来構想問題です。熊本地裁判決を受けて厚生労働省は同年十二月、療養所の入所者に対し、「在園を希望する場合、意思に反して退所、転園させることなく、終生の在園を保障し、社会生活とそん色のない生活環境と医療の整備をおこなう」と約束しました。ところが厚労省は、その約束の具体化である療養所の将来構想を入所者の再三の要請にもかかわらず、今になっても示そうとしません。

 「国は約束を守る気があるのか。私たちが死に絶えるのを待っているのではないか」。入所者が批判の声をあげるのは当然です。

 らい予防法が一九九六年に廃止され、熊本地裁判決で「人間回復」をかちとって以降も、元患者の社会復帰は進みません。社会復帰を保障する医療、住居の整備などの課題とともに、国の隔離・絶滅政策が深い傷跡を残しているからです。

 全国の療養所に三千八十人の入所者が生活しています(五月現在)。半数を超える千六百七十九人が病気の後遺症の治療や介護が必要で、不自由者棟での暮らしです。入所者の平均年齢は七十八・二歳です。

 ハンセン病は、感染力のきわめて弱い病気です。療養所で働く職員で発病した人はいません。薬剤の開発で発病しても完治し、すでに日本では感染源はないといわれています。戦前戦後、多く発病者をだしたのは、貧困と侵略戦争が招いた食料不足による抵抗力の衰えからでした。

 ところが日本政府は一九〇七年「癩(らい)予防ニ関スル件」を制定し、一六年「癩予防法」に改定以来、ハンセン病患者を療養所に強制隔離してきました。患者は「日の丸の染み」とされ、男性には断種、女性に妊娠がわかると堕胎を強いました。患者の絶滅政策です。それは戦後も長く続きました。厚労省は、この真相究明にも真剣ではありません。

 国の誤った隔離、絶滅政策は、国民のあいだに根深い偏見、差別をうみました。絶滅政策は、入所者にとって頼るべき子ども、孫の存在を奪いました。ふるさとに帰りたくても帰れない現実があるのです。入所者は、すでに療養所で数十年間、生活しています。隔離された療養所が、悲しいこととはいえ「第二のふるさと」になっています。

 「住みなれたこの地で生涯くらしたい」と入所者自治会や地元自治体が共同して、十三の療養所の特色を生かした将来構想を模索しています。群馬県草津町では、ハンセン病療養所栗生楽泉園にある温泉を生かしたアトピー性皮膚炎治療施設の併設による療養所の社会開放が構想されています。入所者にとって居ながらにしての社会復帰です。

 実現の壁となっているのが「らい予防法の廃止に関する法律」二条の規定です。「ハンセン病療養所は、現に入所しているものに対して、必要な治療をおこなう」として、入所者以外の治療を認めていません。先の赤旗まつりでのシンポジウムに続き東京で相次いでシンポが開かれ、「法改定を含め壁を壮大な運動で打ち破ろう」と話し合われました。


以上は今日の「しんぶん赤旗」からの抜粋です。

私も、全くその通りだと思います。お読み頂ければと思って、無断転載しました・・・。
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WHO疫学週報トピックス 投稿者:リベル 投稿日:11月19日(日)01時51分23秒   引用  編集済
「WHO疫学週報トピックス」というサイトがあります。神戸大学医学部保健学科で翻訳作業をして、作っておられるようです。1999年から2006年までのWHOのハンセン病に関する考え方が一望出来ます。大体、年に二回取り扱っています。全文検索を利用されると、早いです・・・。

「ハンセン病の制圧」の課程などは、生き生きと読み取れて、便利です。表などは時々省略されていて、英文(originalとして付随)を見なければなりませんが。

時々、大きな誤訳(私に分かるほどの)がありますから、それを見付けて、あ、先生はキチント目を通していないな!と意地悪になれるのが、楽しいですからどうぞ・・・(悪趣味)


なお、WHOの「ハンセン病の制圧」に興味をお持ちの方は厚労省にこんな頁があります。ご参考までに・・・。


WHO疫学週報トピックス
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5月11日 投稿者:Ichiro 投稿日:11月18日(土)07時52分56秒   引用
リベルさん コメント有難うございました。

 そうそう 平成13年は いろいろありましたね。

 3月7日 宮古南静園創立70周年記念式典がありました。記念誌が完成したのはその約2年後です。自治会は縦書きを主張、施設は横書きを主張(英文などをまぜると、こちらがいい)、それを合本した珍しい記念誌です。

 熊本地裁判決は5.11でした。海亀さんは 縁起がいい前兆でした。

 実は前の年も正月にいました。ミレニアム問題で、コンピュータがどうなるかわからんということでした。

 話は変わりますが、年表というのは大事なものなんですね。最近の話ですが、ある水俣病の年表にある、ある字を、環境省が、訂正しなさいと文句を付けていました。年表は歴史の結論でしょうか。
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再び2月1日について 投稿者:Ichiro 投稿日:11月18日(土)05時05分21秒   引用
全らい患協から 全患協に機関名が変更になった2月1日について

 すでに2月1日のことは、別の雑誌に発表しているのですが、「多磨」に投稿することにしました。すぐ、返事がきて、来年の2月号に掲載するとのこと、タイミング的にぴしゃりです。
 みなさんは、療養所の雑誌に寄稿されたことがあると思います。タイミングはなかなか微妙で、私の記憶では、菊池野に、菊池恵楓園の盆おどり唄を 8月号でもよかったのですが、注文して7月号に載せてもらいました。

 21世紀の最初の日、2001年1月1日正午頃、宮古島の東平安名崎で海がめが多数泳いでいたので、写真に撮ったのですが、新聞社に連絡が遅れて、記事になりませんでした。縁起がいいと思っていたのですが、その年に9,11がありました。

 古い話ですが昭和30年代にグッドタイミングなんとかという歌がありました。

 Ichiro
(リベル) 2月1日の件、早く反応が知りたいものですね。楽しみです・・・。

菊池先生、2001年というのは、熊本地裁判決の年でもありますね・・・。そちらは5月11日でしたが・・・。(11.18 06:38)
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「患者数の推移」についての疑問 投稿者:リベル 投稿日:11月18日(土)03時33分30秒   引用  編集済
「ハンセン病 患者数の推移」で検索しますと、邑久光明園、愛媛県、PHC、モグネットなど出てきますが、いずれも原典は一つだと思われます。「註」まで同じですし。

ところが、全患協の数字(「全患協運動史」191頁、「復権への日月」378頁)の内、昭和10年から45年までが、前記のものと異なっているのです。今、愛媛県に数字の出典をお聞きしていますが、返事は未だです。

前記のものは、「療養所入所者数」「在宅患者数」「新発見患者数」などの内訳が有って、重宝なのですが、しかし、この数字の違いには、小首を傾げざるを得ません。

どちらが正しいのでしょう?前記のものの原典は何なのでしょう?

どなたか、お教えください、お願いします・・・m(_ _)m
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余談ですが・・・11時 投稿者:リベル 投稿日:11月18日(土)01時36分1秒   引用  編集済
私は一日に二度起床します。午前11時と、午後11時です。何故こうなったかを説明すると長くなりますが、短く言いますと、昔有った「テレ放題」と私の吝嗇のせいです。お察しください。

今日、午前11時頃、布団の上でボーっとしながら、書棚の「レコード芸術」(考えてみればこのタイトル、変なタイトルですね)を三冊手にとってパラパラやっていました。「吉田秀和氏とオキシモロン」のことが、やはり気持ちに引っ掛かっていたのでしょうか?

有ったのです。「レコ芸」は捨てるはずがない、という固い自信が粘り腰を保ってくれたようです。しかし、やはり吉田秀和氏は巻頭だという思いこみが災いしていたのです。当の文章は真ん中辺り。しかも筆者は「亀山郁夫氏」だったのです。

謹んで文化勲章の吉田秀和氏にお詫び申し上げる次第です・・・m(_ _)m・・・_(_^_)_


「レコード芸術」2000年4月号 180ページ

(リベル) いま、じっくり読み返してみましたが、この亀山氏の文章、不愉快な、キザッタラシイ文章ですね、実に・・・(嘔吐感)。特に、二節目など、何が言いたいのか、何度も読み返しても、完全には理解できません。
私の文章より未だましか・・・・(>_<)(11.18 01:43)
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続 ダミアン神父 投稿者:Ichiro 投稿日:11月17日(金)05時12分58秒   引用
リベルさん
 小生も ダミアン神父のモロカイ島上陸と ハンセンのらい菌発見が 同じ年と知って タイヘンびっくりしました。

 昔の本を読むと ハンセンのライ菌発見の年は えらいバラバラです。たしか ライ菌発見は2月だったか(うろ覚えですが)とか あるようですが、これはらい菌発見100周年記念学会が ノルウエーであり、そのために多くの学者がよってたかって、調べた結果のようですね。
 その学会には たしか、日本人も多数参加されています。ダミアンはノルウエー語の論文は1874年に発行しています。
 菌と認識しないで菌塊を発表したのは、1973年以前もあります。認識しないのは 発見しないということです。

 ダミアンを描いたいい本もあります。
 Daws G:Holy man. Father Damien of Molokai, University of Hawaii Press 1984.

入手できるかどうか知りませんが、私は出版元に頼みました。案外安い本です。(ペーパーバック)この本には 色々写真があり キーヌーの写真もあります。なおダミアン神父のお兄さんも神父で ダミアンの神格化に加担したのであるが、ダミアンの死後、きわめて面白くない1年をモロカイ島で過ごしたとあります。
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「ハンセン病療養所の未来をつくるー社会とのきづなをもとめて」 投稿者:リベル 投稿日:11月17日(金)03時18分28秒   引用  編集済
11月16日(木)02時08分の投稿にハンセン病首都圏市民の会を「参考」として付け加えました。詳しい報告です。
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一斉検診 投稿者:Ichiro 投稿日:11月16日(木)21時43分4秒   引用
前に書いたように 早野孝義遺稿集 人になりたい は入所者からの鋭い舌鋒で種々の批判をされている。

 ハンセン氏療養所の医療管理について 菊池野 昭和38年10月号

 小生が知っている医療は平成元年以降である。医療の中心が一斉検診であることを鋭く論じておられる。確かに平成元年も一斉検診があった。それは9月に、1週間も掛かる大きな検診であった。患者数の減少だけでもないと思うが、後でだんだん簡略化して2日か3日くらいになったと思う。外からもタクサン患者さんがこられた。基本科(ハンセン病をみる科目)の中心は菌検といい、らい菌がいるかどうか、調べることである。数多くやるので、凄く早くできるようになった。大体6箇所検査する。私はT型の場合は省略した。
 早野氏の意見
 検診のあと、患者一人にたいする適切な治療指示も療養指導もないところから、検診の主な目的が推測できます(早野)。実際、患者は療養所にいても、自分の主治医が誰なのか、主治医がいるのかいないのかわからぬ(早野)
 私の意見
 治療をする場合は主治医がわかりますが、おそらく早野さんは、服薬だけされていたのでしょう。基本科は複数名医師がいて、入園者が主治医を選ぶ場合もあろうし、下の医師は指導される医師の指導を受けます。一斉検診には 不自由度など、変形の進行とか機能を調べることもある(整形外科など)在宅の患者さんは だいたい月に1回診察にくる。どうしても、おろそかになるので、給与金だったか、スキップしてこない人には、あげないシステムだったと思う。当時は新しい患者さんは少なく、再発される人を外来で治療していた。入院される人もおられたが、少なかった。それとDDSを飲むということを洗脳されていて、白血球が少なくても飲むと頑張る人が多かった。口をすっぱくしても、中止しないので閉口していた。洗脳は 凄いですねえ。

 早野氏の意見
 1)病気を治療することを中心とした医療管理ができていない
 2)健康管理が全然なされず、患者の健康は無視された状態で、奴隷所有者と奴隷との関係に似た患者作業の形態がある。
 3)ハ氏病政策を実施する職員の患者にたいする蔑視思想も、その根っこには政府の人命軽視の政策であるということです。
 その他いろいろ医師について注文されている。
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ダミアンにたいするイジメ 投稿者:Ichiro 投稿日:11月16日(木)12時59分15秒   引用
リベルさん ありがとうございました。
 ダニエル・カリオン医学生の話は感動的でした。私の早とちりをお許しください。
 切手になった という話を どこかで 読みましたので。

 前の私のエッセイの後半です。

 ダミアンの神格化はすでに始まっていた。アンチダミアン運動の旗頭はプロテスタント指導者養成所のハイドである。
 Damien was a coarse dirty man, bigoted and headstrong.
Damien was not a pure man in his relations with women
Leprosy of which he died should be attributed to his vices and carelessness.

当時の医学常識では梅毒とらいははっきり区別がつかなかった。ダットン神父(ダミアン、ダットン賞の)はダミアンからまったく女性経験がないと告白されている。
 ダミアンが女たらしであるという考えに毒された人もおり、食事を用意する人も患者に変えられたが彼は文句をいわなかった。
 ハイドに対抗してダミアンを擁護したのは、宝島で有名なスチーブンソンである。1889年5月、中傷を知り猛烈な反駁文を新聞に書いた。
 (ジキル博士とミスターハイドを書いたが、これが当てこすりかどうか、私はよくわからなかった)
(リベル) ちなみに、ダミアン神父が、ハワイのモロカイ島へ渡ったのは、1873年、奇しくもハンセンがらい菌を発見した年です。(11.17 01:49)
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キーヌーについての追加訂正 投稿者:Ichiro 投稿日:11月16日(木)12時39分57秒   引用
アーニングが キーヌーに人体実験したことは インターネットでも書かれています。

>discovery of the leprosy bacillus, with Arning’s experiment with Keanu,.

前の文章を追加訂正いたします。

 1)ナイセルがハンセンにけちをつけたのは、らい菌発見は単に偶然だといったことである。
 2)ハワイ王国のギプソンというやり手の首相は1884年間男をしてその旦那を殺したキーヌーという死刑囚を(法律に基づいて)人体実験を許した。アーニングは、らい腫(菌の多いデキモノ)を右前腕に植えた。当時アーニングはダミアン神父のライを診断(対診)している。キーヌーは3年後発病。最初はホノルルの牢獄にいたが1892年11月、モロカイ島の特殊牢獄で死亡(移植後8年)。
 アーニングは意気揚々とドイツの最初の皮膚科学会で発表したが、前に述べた理由で、認められなくなった。
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すみません 間違えました 投稿者:Ichiro 投稿日:11月16日(木)08時21分10秒   引用
すみません 間違いました。

 オロヤ熱は インターネット通りだと思います。
 切手になった話を 勝手読みしたようです。

 正確な情報を発表してください。 お忙しいでしょうか。

 Ichiro
(リベル) 「ダニエル・カリオン医学生について」です。意外に感動的な物語です。(11.16 11:52)
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「ハンセン病療養所の未来をつくるー社会とのきづなをもとめて」 投稿者:リベル 投稿日:11月16日(木)02時08分28秒   引用  編集済
去る11日に開かれたこのシンポジウムは

1)たとえ入所者が一人になっても統廃合を許さず、入・退所者が一市民として「生きていて良かった」と思える医療体制の実現、

2)差別の壁を克服し、二度と過ちをくり返さない社会実現のために、ハンセン病基本法の制定

に向って、入・退所者、全医労、市民が一緒になって市民運動を展開してゆこうとアピールして閉会しました(以上「ハンセン病ニュース」から)。

2001年12月25日の「確認事項」ではこう定められています。

二  在園保障
 厚生労働省は、「らい予防法の廃止に関する法律」第2条及び基本合意書に謳われている法的責任を踏まえ、13の国立ハンセン病療養所入所者(今後入所する者を含む)が在園を希望する場合には、その意思に反して退所、転園させることなく、終生の在園を保障するとともに、社会の中で生活するのと遜色のない水準を確保するため、入所者の生活環境及び医療の整備を行うよう最大限努める。

しかし、厚労省は、言を左右にして曖昧な態度をとり続けています。「平成18年度ハンセン病問題対策協議会」での「財団法人日本医療機能評価機構の審査」発言などは、明らかにその一端でしょう。

このままでは、厚労省が何をするか分かったものではない!と冒頭の宣言に至ったわけなのだと思います。冒頭の二つを併せて、自分の言葉で書き直してみます。


(1)療養所の入所者人口は激減傾向にあります。将来的に療養所の存続を図る道は、「施設を一般市民に開放する」(毎日新聞)手段を考えることしか無いのではないでしょうか。

(2)それを妨げているものの一つが「らい予防法の廃止に関する法律」の第二条です。そこにはこう書かれています。「第二条  国は、国立ハンセン病療養所において、この法律の施行の際 現に国立ハンセン病療養所に入所している者であって、引き続き入所するものに対して、必要な療養を行うものとする」と。つまり入所者以外の診療行為ができないのです。だから、この「廃止法」を変えなければなりません。

この(1)、(2)を断行するのは、容易なことでは有りません。

さあ、私達市民は、何をすれば良いのでしょう・・・。

11日のシンポジウムが、私達に突きつけているのは、こういうことなのではないでしょうか?さあ、どうしましょう・・・

参考:ハンセン病首都圏市民の会
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キーヌーの話 投稿者:Ichiro 投稿日:11月15日(水)12時10分9秒   引用
ライ菌を発見したハンセンの功績を盗もうとしたのは 細菌学者ナイセルである。彼は凄い学者で 上野筑波大学名誉教授は ナイセル王朝として 何回もエッセイを書かれた。義父ダニエルソンから論文を書くようにせかされたハンセンは、英語仏語ドイツ語で書き、ハンセンの名誉は保たれたのである。ナイセルは ハンセンのpriorityは認めたが、けちをつけている。

 ナイセルの弟子、アーヌングの話をする。彼は、ダミアンのライを診断したので有名であるが、ハワイ王国のやり手の首相と交渉して、正式に人体実験をした。その国の法律でオーケーというわけである。レイプで死刑を受けたキーヌーは罪一等減ぜられ、人体実験を受けた。らい腫(菌の多い腫れ)を植えられたのである。詳しいことは省略する。彼は額にらい腫を発病した。アーヌングは意気揚々とドイツの皮膚科学会(第1回)で発表したのであるが、次第に彼の業績は認められなくなった。一つには、彼の住所が流行地域であり、もう一つは親戚にも同病がいたからである。彼はモロカイ島で死んだ。
 私は 彼(アーヌング)の業績は ある程度検討する必要があると思う。キーヌーはその年齢まで 発病がなく(私の記憶がないが 49歳位であったか) 移植後3年で発病したからである。(世界的には認められていない)
 キーヌーの写真は ダミアン神父の本に掲載されている。

 しかしジョップリング博士なら、彼はダミアン神父と同様 L型が発病し易い体質を持っていた、というだろう。
さて その弟子アーヌングの話から始めよう。
(リベル) 菊池先生、その前に・・・[11月14日(火)23時22分30秒]に「オロヤ熱で殉死した人はカリオンではないでしょうか・・・?」の疑問を投げかけたのですが、そちらの方は、如何なのでしょうか・・・?(11.16 03:07)
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八木氏の名前 投稿者:Ichiro 投稿日:11月15日(水)07時52分49秒   引用
ライトさんの担当医の名前

 手元に資料がなかったので、八木氏としか書きませんでしたが、私が書いたものに入っていました。八木五夫氏でした。

 周防正季に関しては前に述べた資料が いいと思いますが、滝尾英二先生の 朝鮮ハンセン病史 日本植民地下の小鹿島(ソロクト) 未来社 2001年もあります。滝尾先生は独特の史観をお持ちの先生で、長島に山と資料を寄付されました。お会いしたこともありますが 熱心そのもののオジサンです。
(リベル) 滝尾氏のwebがあります。「滝尾英二ウェブ」です。ご参考までに・・・(11.16 103:01)
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世界の患者数の一覧表 投稿者:リベル 投稿日:11月15日(水)03時45分24秒   引用  編集済
一覧表が一応出来ました。しかし空欄が多いのです。WHOのサイトから寄せ集めて、これがやっとです。精一杯というか。下のサイトのお陰で、ここまで辿り着きました。(東京新聞さんも間違ったところがあるのですが)

しかし、業腹なので、いっそWHOにこの表をチェックして貰おうと思い立ちました。まあ、当然でしょう、・・・か?しかし悲しいかな、英語が駄目です。高校生の時、フィンランドの少女と文通しましたが、それとは別でしょうね。日本の出先(?)へメールして助けを乞うています。芳しい返事が来なかったら、本家へメールするつもりでいますが・・・(>_<)


社会実情データ図録から
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Re: ハンセン病に殉じた人々 投稿者:リベル 投稿日:11月15日(水)00時55分36秒   引用
> ハンセン病に殉じた人々
>  1)Father Damien
> 2)周防正李博士
>  3)宮崎松記博士
>  4)Dr. Ryrie of Sungei Buloh Settlement(マレーシア)
> 5)キーヌー(ハワイ)

驚き、そして認識を新たにしました。ダミアン氏と宮崎氏以外は、実は全く知りませんでした。名前も聞いたことがない、これは非道い、ですね。

これから、勉強します。菊池先生、有り難うございました・・・m(_ _)m
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Re: ハンセン病問題を考えるための資料室 投稿者:リベル 投稿日:11月15日(水)00時38分56秒   引用  編集済
> > 「解決済」かもしれませんが、昭和26年実施の「全癩患協」の規約にはなく、昭和51年9月1日実施の「全患協(全国ハンセン氏病患者協議会)」規約の第3条(目的)に明記されています。(全患協運動史・資料11)。
>
> どうも、これは、察するに決定版ではないでしょうか。ハンセン病問題を考えるための資料室」では、そのように記載しておきました。より正確な話は、恐らく出てこないのでは、と。出てきても裏付けが大変だろうと・・・(^^)/~~~スタコラサッサ

傍ら、トラ千代さんが、調べて下さっていました。私信ですが一部を公開させて貰っても、叱られますまい、ご免なさい、トラ千代さん・・・m(_ _)m

『資料室に残されている全患協ニュースのなかで、最も早く「全療協の目的」が題字の左横に掲載されたのは1961年(S36年)1月1日 163号でした!(デジカメで撮影すれば、添付出来たのに、と後悔しています)

次は
・4月15日 169号
・1962年(S37年)1月1日 183号
・4月 1日 189号
となります。

1950年代のニュースは残されていませんので、何とも言えませんが、規約に明記されるかなり早い時期から掲載されていたことがわかります。』

さあ、これで、15年遡りました。トラ千代さん、本当に有り難うございました。大変なご苦労をお掛けしてしまいました・・・m(_ _)m
「ハンセン病問題を考えるための資料室」(以後「ハンセン病を考える資料室」)の方も、修正しておきました、ひょっとしたら、未だ遡る可能性も・・・ヽ(´ー`)ノ
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続 殉じた人々 投稿者:Ichiro 投稿日:11月14日(火)23時22分30秒   引用
また間違えました。オロヤ熱でした。

 http://www.tropical.umn.edu/TTM/Cases/talks/Bartonella_files/frame.htm

 写真もでています。オロヤさんは 医師でなく 医学生でした。
(リベル) オロヤ熱で殉死した人はカリオンではないでしょうか・・・?これも、只今、勉強したばかりですが・・・(恥)興味深いのは「参考2」です・・・。野口英世の立派さ、凄さを改めて知らされました。感動的でした、本当に・・・。菊池先生有り難うございました。いろいろ勉強になります・・・m(_ _)m
参考1  参考2(11.15 01:20)
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殉じた人々 投稿者:Ichiro 投稿日:11月14日(火)21時07分51秒   引用
北風さん ありがとうございました。

 やはり 何に殉じたか ということでしょうかね。日本帝国主義に殉じた ということではないようで、朝鮮半島のハンセン病患者に殉じた でしょうか。誰か 教えてください。
殺した方も殉難者でしょうか。

 リベルさん また間違えてすみません。

 周防博士については 佐久間温巳 夏炉冬扇 1997が詳しいです。
 殉難者といえば オロヨ熱の オロヨさん を思い出します。
(リベル) >伊藤博文と安重根、周防氏と李春相、どっちが殉難者かという話。

北風さんの仰有るのは、この次元での話なのでしょう・・・。広い意味では「ハンセン病に殉じた」で良いのではと思いますが、これは北風さんから、難しい反論が有るかも知れません・・・(^^)/~~~スタコラサッサ(背中を見せて逃げて行く) (11.15 01:35)
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では Re: 追加です 投稿者:北風 投稿日:11月14日(火)14時04分49秒   引用  編集済
>
一応、お約束の「突っ込み」を。

飛行機事故は殉職として、周防氏は「殉職」でしょうか?
まして「ハンセン病に殉じた」というには無理はないでしょうか?

伊藤博文と安重根、周防氏と李春相、どっちが殉難者かという話。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/christ/asia/journals/asia3kim.pdf
↑いつものリンクと違います。
(リベル) >↑いつものリンクと違います。

ご心配なく。一目で分かります(笑)。なお、ご覧になる方のために、周防氏と李春相の記事は31頁から、です。(11.15 01:00)
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追加です 投稿者:Ichiro 投稿日:11月14日(火)12時53分52秒   引用
追加

 博士を連行した日は12月25日 クリスマスの日であった。
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ハンセン病に殉じた人々 投稿者:Ichiro 投稿日:11月14日(火)12時34分43秒   引用
ハンセン病に殉じた人々
 1)Father Damien
2)周防正李博士
 3)宮崎松記博士
 4)Dr. Ryrie of Sungei Buloh Settlement(マレーシア)
5)キーヌー(ハワイ)

 リデルさんではないが 脇を甘くするとコメントがきそうである。ここで述べたい人は
Dr. Ryrie である。

 博士は第2次大戦中、セツルメントを離れるのを拒否した。昭和18年 日本軍は博士を連行、シンガポールで抑留した。終戦時、博士は骨と皮であった。

 注;英語ではskin and bonesという。恐らくこちらが早くできて 日本語になってひっくりかえったか。

 英国に帰国したが健康は回復せず、昭和23年3月10日スコットランドでなくなる。
 彼はSungei Bulohの聖者と崇められている。

 キーヌーを殉じた人に入れるのには反対もあろう。人妻に暴行殺人して死刑を宣告されたが らいの人体実験に応じ、らい腫を植えられ発病、モロカイ島で亡くなった。
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データ集に追加を 投稿者:リベル 投稿日:11月14日(火)02時00分48秒   引用  編集済
いま、「起源と歴史」の頁を作っていて、世界の患者数の変遷を(最近しかデータは有りませんが)一覧表にしています。ところが、これが世界に無いので困ります。WHOの頁で、まるで土器の発掘作業みたいなことをやっています。特に相手が英語だから厄介なのです。

ところが、昨日「拾う神」が現れました。「社会実情データ図録」というサイトです。これで、良く理解できなかったWHOの統計に一貫性を見いだすことが出来ました。この元資料を作った東京新聞さんに感謝すべきなのでしょうけど。

これから、数日掛けて、一覧表を完成させます。それが出来上がったところで、どうってことは無いのですが、「起源と歴史」は「制圧の現状」で締めくくりたいと思っていたので、そういう私にとっては、凄い朗報であったわけで・・・とても、とても舞い上がっているというわけで・・・(笑)
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Re: ハンセン病問題を考えるための資料室 投稿者:リベル 投稿日:11月14日(火)01時10分34秒   引用
> 「解決済」かもしれませんが、昭和26年実施の「全癩患協」の規約にはなく、昭和51年9月1日実施の「全患協(全国ハンセン氏病患者協議会)」規約の第3条(目的)に明記されています。(全患協運動史・資料11)。

どうも、これは、察するに決定版ではないでしょうか。「ハンセン病問題を考えるための資料室」では、そのように記載しておきました。より正確な話は、恐らく出てこないのでは、と。出てきても裏付けが大変だろうと・・・(^^)/~~~スタコラサッサ
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Re: 第9回 投稿者:リベル 投稿日:11月14日(火)00時52分35秒   引用
>どうも散漫で取り止めがない。何を言いたいのかわからない。

まったく、仰有るとおりです。「社会参加」で纏めようとしていますが、上手く行かないで右往左往しています。どだい、「社会参加」はテーマ性に欠けます、それを「藤本事件」に強引に結び付けようとすると、まあ、こんな収拾のつかない結果になるのでしょう・・・。

取るに足らない方々だということが、少しずつ見えてきます。そのうちもっとハッキリ、馬脚を拝ませて頂くことになりそうですね、楽しみにしています、っていうか、もう「シカト」でも良いか?と・・・「馬」と「鹿」ですか・・・(笑)
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第9回 投稿者:北風 投稿日:11月13日(月)19時05分53秒   引用
どうも散漫で取り止めがない。何を言いたいのかわからない。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html
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Re: ハンセン病問題を考えるための資料室 投稿者:北風 投稿日:11月13日(月)17時14分10秒   引用
>
> 「全患協の目的」が作られたのは何時なのか?ご存知の方がいらっしゃいましたら、お教えください。分からなければ、電話してお尋ねしてみます。
>
「解決済」かもしれませんが、昭和26年実施の「全癩患協」の規約にはなく、昭和51年9月1日実施の「全患協(全国ハンセン氏病患者協議会)」規約の第3条(目的)に明記されています。(全患協運動史・資料11)。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) 今、見付けました。流石と申し上げたら失礼かも知れません。本当に有り難うございました。第一章第二節ですね。これが濫觴かも知れませんね。この年の2年前に「国立」「療養所」を取って「全国ハンセン氏病患者協議会」へ名称変更をしていますし・・・。(11.13 17:39)
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余談ですが・・・弦楽のためのレクイエム 投稿者:リベル 投稿日:11月13日(月)05時50分38秒   引用  編集済
今日バスの中で何気なく入れたFM放送が「武満徹 没後10年・2つの演奏会から」というのをやっていました。尾高忠明さんの解説が面白かったので、聴き入りました。二十歳の時作曲した「二つのレント」は、山根銀二氏に「音楽以前のもの」と酷評されたそうです。

その7年後「弦楽のためのレクイエム」では、山根氏は「こういう曲は外見がまずく評判はわるいかもしれないが、私には理解できる気がする」と言葉を濁しましたが、それで助かった。ストラヴィンスキーとハチャトゥーリアンが絶賛したのです。「音楽以前」と言い続けていたら、評論家生命は絶たれていたのでしょうね・・・。

人の作ったものをトヤカク言うより、自分でせっせと汗水垂らしてものを作る方が、楽かも知れません。「働けば、天然が見えてくる」とも、どなたかが仰有っていましたし・・・。


この「弦楽のためのレクイエム」は早坂文雄氏を悼んで作曲したそうですが、演奏した札幌交響楽団の楽員が、あちこちで涙を拭いながら演奏するので、不幸でも有ったのかなと思っていたらそうではなく、曲が余りにも心に悲しみを訴えるので、多くの楽員が涙を怺えられなかったのだという逸話も、尾高さんは紹介して居られましたが・・・。スゴイ曲です。

如何ですか?一度聴いてみようという気に、なられましたでしょう・・・(笑)


尊敬する奥さんと・・・

http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1033.html

(リベル) 「働くと天然が見えるようになる」と仰有ったのは、アミノ酸研究の権威、古武弥四郎氏でした・・・。
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ライトさんの最後 投稿者:Ichiro 投稿日:11月12日(日)23時30分58秒   引用
ライトさんの最後(回春病院最後の院長)

 昭和25年、80歳でなくなられたライトさんの最後を看取られた八木先生(86歳)がリデルライト記念老人ホーム降臨教会礼拝堂にて 講演されました(11月11日)
 司会の小笠原嘉祐理事長は、ご自身3歳時にライトさんに抱きかかえられた記憶がかすかにあられるので 熱心に質問されました。
 英国人というので、やむをえずオーストラリアに逃れて、その後熊本に再来日されたライトさんは、八木医師(当時30歳)に最後を看取られました。聖書の言葉を聴きながら(もう一人の聖職者の)静になくなられたということです。
 その前にNHKのお別れの放送があり、また大宮御所への連絡などは 宮崎園長が仕切っておられたようです。(当時50歳)診断書は宮崎園長が書かれたということです。無くなられる少し前にソファに座った写真は 八木先生の親戚と恵楓園のX線技師(本妙寺事件でも活躍された)が撮影されました。最後は急速に弱られてそうです。
 ライトさんといえば、穏やかな一面だけが強調されていますが、小笠原先生によると、昔の住居が荒らされていたのを知り、お怒りになったこともあり、別の面もあるとおっしゃっていました。講演は1時間を越えましたが、その前日小笠原先生と八木先生は3時間も語られたということで、また新しい事実が判明したものと思います。
(リベル) この小笠原氏のサイトを見付けました。「おがさわら的こころ」です。
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ハンセン病問題を考えるための資料室 投稿者:リベル 投稿日:11月12日(日)01時30分59秒   引用  編集済
ハンセン病問題を考えるための資料室を作りました。5年前の首相談話、最終報告書の提言、今年の統一交渉団の要求書などを集めて、出来るだけ読みやすくなるように、手を入れてみました。

「全患協の目的」が作られたのは何時なのか?ご存知の方がいらっしゃいましたら、お教えください。分からなければ、電話してお尋ねしてみます。

判決後、首相談話などを受けて、生まれてきたと思いこんでいたら、とんでもない。先ず「全療協の目的」ありき、なのです。手元に全療協ニュースの古いのがありません。こちらの850号が私の見ることの出来る最も古いものです。

掲げられた「全療協の目的」に従って「首相談話」の草案が作られ「基本合意」が「確認事項」が、そして検証会議の「提言」が生まれてきたと、そのように辿ってみるのも、有意義なことかな、と思います。

この夏の対策協議会に、統一交渉団が突きつけた「要求書」、それに対する厚労省の抵抗、その辺が明るく見えてくるような気がします。そして16日の「第2回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」がどう展開するのか、誠に興味深く、そして恐ろしく、感じられてくるのは・・・私だけでしょうか・・・。
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Re: 小笠原登余談 投稿者:小箱 投稿日:11月11日(土)08時49分3秒   引用
ありがとう御座いました。
ご紹介の本、ちょっと入手は難しそうなので、図書館ででも調べてみます。
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言葉足らずでした。11月8日07時56分 投稿者:リベル 投稿日:11月11日(土)04時01分24秒   引用  編集済
両脇を甘くして、ガードを上げてボディーを空けていたのに、一向にブローが来ないので、痺れを切らして、自己完結しておくことにしました。

>今、ハンセン病に関して、本当に大事な問題は、何なのか?「人権擁護法」「在園保障」など、色々な問題があり、しかも動いています。そういう状況の中に「新・あつい壁」という一石が投じられて小さな波紋を広げました。一躍「藤本事件」が脚光を浴びましたが、しかしあくまで、小さな波紋です。

小さな波紋ではありましたが、お陰様で藤本事件について、改めて考え、いろいろ読んで知る機会を得たのです。このことは深く感謝しなければいけません・・・。


>「藤本事件」自体にも「再審」或いは「冤罪」という根本的な問題が厳然と有ります。映画「新・あつい壁」が「死刑台のメロディー」のように「冤罪」の真実を掘り下げていく企画でない限り、この映画は「藤本事件の映画では無い」と言っても極論ではないと思います。シナリオが、大きく変わらない限りは・・・!

「死刑台のメロディー」のように、事件の真相と、官憲の卑劣さを暴く映画があって欲しいとは思いますが、それは別の機会に俟つとしましょう。今回の「新・あつい壁」は藤本事件をモチーフにした「ハンセン病差別の映画」なのです。その存在は重要な意味のあるものです。「藤本事件の映画」ではなく「ハンセン病差別の映画」として・・・。

こう考えて、私は前言を翻すことにしました。10月11日(水)02時37分54秒に私はこう書いています。

「中山監督は「冤罪を正面に打ち出してやると行政の協力が難しくなる」と仰有っています。その時点で映画化を諦めるべきであった。さもなくば行政と抗ってでも、「冤罪」を追求する映画を作るべきであった、と・・・。

イタリアの映画「死刑台のメロディー」がサッコとバンゼッティーを描いています。ハリウッドでも、問題の真髄に肉薄する冤罪映画はいくつもみられます。こんな映画を製作するのは、日本の公権力の下では不可能なのでしょうか?そうではありますまい。」

この前言を取り消します。前言を取り消し、「新・あつい壁」の存在を認め、応援する、と言っているのです。ご免なさい。優柔不断な性格と、判断力の欠如と、判断に至るまでの分析・整理能力の不足したお粗末な脳味噌と・・・このせいで、言を左右にした愚かさを、心から恥じています・・・。申し訳ありませんでした・・・m(_ _)m
(リベル) この文章には、後刻手を入れる可能性が高いです。今、かなり疲れていますので。ですから、リベルの奴、又どこかの校長みたいに二転三転するのではないか?とお疑いの方は、どうぞコピペなさって置いて下さい。基本的な考え方には変更はありませんから・・・。

きょうは、疲れ果てたので、これにて退散致します・・・(o_ _)oパタッ!  (11.11 04:17)
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第2回ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会 が危ない 投稿者:リベル 投稿日:11月11日(土)02時36分34秒   引用  編集済
これは第一回検討会の議事録の一部です。

鈴木委員(明治大学法科大学院、弁護士)
ちょっと揚げ足を取るようになるかもしれませんが、今のことについて言うと、提言は、法制化をしろと、こう言っているわけですから、法制化をするのがいいのかどうか検討するとなると、この提言全体をもう一度見直せということにも聞こえかねない話だろうと思います。ですから、提言を前提にするということになれば、提言は法制化をしろというので、いかなる具体的行動計画をつくったらば法制化が実現できるのかというのがこの検討会の仕事なのではないかと理解したのですが、今の**課長さんがおっしゃることと私の理解が何かずれているかなと思うので、そこを含めて、今、私たちは何をやるのかということが最大の議論の対象になっているのではないかと思うのですが。(注・提言の1の〆の言葉「ハンセン病への差別・偏見にとどまらず、病気を理由とするあらゆる差別・偏見を防止するための基本計画及びその実施等に関する国等の責務を法令で明確に規定することは、それだけでも差別・偏見を抑制する効果が大きく、病気の故に差別されている人々等を大いに勇気づけることになろう。」)

厚労省・疾病対策課長
いずれにしても、先ほど申し上げたように、法制化ということは書いてございますが、ただ、ここの中における文脈の趣旨というものを踏まえて、当時とられておりましたハンセン病隔離政策の状況と、現状における諸制度がさまざま出てきておりますので、そういった現状も踏まえて、果たしてどのような手法がこの文脈で書かれている趣旨を生かすにはいいのかという点についても、十分検討していただく必要があろうかということでございます。

この遣り取りが、先回の状況を象徴しています。鋭く本質を衝いて、こんな事やっていたんじゃいつ結論が出るか分からないではないですか?と詰め寄る委員。これを受けて、のらりくらり不得要領の回答に終始する厚労省。「時間稼ぎ」という露骨な非難まで飛び出しました。

どうか、一度、目を通して下さい。第2回が16日に迫っているのです!!!
お読みになりにくいと思います。いろいろアレンジはしてみましたが、この辺が限界なので、お許しください。

座長は、多田羅氏が続投なのでしょうか?8月17日開催予定だったのが、座長の体調不良で延期になったのです。議事録を読むと、続投ではなく、文字通り「投げ出したく」おなりになったのでは?と下種の勘繰りもしたくなります。

しかし、この第2回の議事録は、先回のように、また半年遅れで出てくるのでしょう。「ロードマップ委員会」は果たして出航するのか否か?本当に危ぶまれます・・・!!!
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日本語が危ない 投稿者:Ichiro 投稿日:11月10日(金)20時43分7秒   引用
日本語が 危ない という本などが たくさん出版されている。

 NHKの放映によると 若者の日本語があやしいのは 一つは携帯の使いすぎ(メール)によるという。悪い意味の言葉を 一つの単語で表しすぎるので、日本語そのものが 貧弱になってくるのだそうだ。なんでもかんでも きもい は ないだろう。美しい日本語はどこにいった。
 話は変わるが
 私の職場で 敬語の試験があったが、吾こそ満点と 思っていたが 違った。がっかり。
 私の勤務している地方では 敬語がなっていない。その人の前で ●●が来た というのでいつも頭にくる。一人かと思っていたら皆そういう。ううむ。ヘンな所に来た。
 敬語は英語にもある。私は年をとっているので、普通に話しても サーといわれる。女性には マームを付けるべきだ。最初に気づいたのは 軍人と話していても 将校と 兵の話し方は 全然違う。もっとも英語を勉強しすぎると日本語が怪しくなる。
(リベル) 洋画愛好者として、面白く拝読しました。戦争物や、ギリシャ・ローマ時代のものなどに、上官が「敬語を忘れていないか?」と追求するシーンが良くあります。その場合の詰問の英語は覚えていませんが、言われた部下が「・・・、サー」と言い直す場面が良くあります。「サー」を大きな声で言うので、「あ、敬語を使え!」と言ったのだなと分かるのです・・・。「マーム」は実は記憶にはありません・・・(残念)(11.11 00:46)
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在園保証の問題が・・・ 投稿者:リベル 投稿日:11月10日(金)17時27分54秒   引用  編集済
明日、シンポジウムが開かれます。

「厚生労働省は「入所者が1人になっても希望する療養所で終生暮らす権利を保障する」ことを表明(二 在園保証)している。しかし、具体的な将来構想については、「各療養所の計画を待つ」と消極的で、入所者も「将来は療養所の統廃合が避けられないのでは」と心配している。」と毎日新聞が報じています。

さあ明日のシンポジウム「ハンセン病療養所の未来をつくるー社会とのきづなをもとめて」はどうなることでしょうか。衣の下の狼を、見据えていなければいけません・・・厚労省の腹の底を・・・。
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その「妄想」は 投稿者:北風 投稿日:11月10日(金)17時18分15秒   引用  編集済
あれだけ慎重に扱っていた「資料集」を勝手にWEBに公開されたら、関原先生は黙っていないとも思うんですが。
ただ、それならあれほどインターネットの匿名性の陰に隠れなくてはならない理由はないし、あの対談の内容がいまひとつ、映画を批判しているようにも見えるがそれにしては不徹底。議論は積み重ねていきますから、「対談」に日付のないのもちょっとね。

何が目的か、その意図がいまひとつはっきりしないですね。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) ご免なさい。自分の投稿と時間が重なったせいでしょう、見落として居ました。

それもそう、仰有るとおりですね。

そうなのです。「意図」が分からない、そこがまた、ミステリー性を加えて、気を惹くのです。この手練手管などから推すと意外に強敵なのかも・・・???(11.11 00:52)
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グリコのおまけ 投稿者:北風 投稿日:11月10日(金)09時12分11秒   引用
これは、いろいろな意味で気になるサイトです。
素性がはっきりするまでウォッチングするつもりです。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) (爆)

昨日、散歩の途中で湧いてきた妄想は、これって黒幕は関原さん自身なのではないか?というものです。関原さんとしては実は広く、より広く、知って欲しい。で、窮余の一策として、ってことは、有り得ないことでしょうねえ・・・(>_<)
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余談ですが・・・文部科学省も奮闘中! 投稿者:リベル 投稿日:11月10日(金)03時27分44秒   引用  編集済
タウンミーティングの「やらせ」、4年前に「履修漏れ」を把握していた。それくらいで、満足しているのに、今度は「敬語」。「美化語」と「謙譲語2(丁重語)」を加えて5種類に分ける、と言います。この発想は、もう「オタク」の最たるものです。

現在の三分類をキチント言うことが出来る人は、「はい、手を挙げて!」と言いたくなります。

1)尊敬語・・・お父さん

2)謙譲語・・・愚妻をお届けする(その気は毛頭ありません)

3)丁寧語・・・さようでございますです

こんなところのようですが、今既に「美化語」というのは「丁寧語」の一種として存在するそうです。

例・・・御御御付け


こういう現状で、分類を細分化することの意義をまた、お官僚様は滔々とおまくしたてに、おなり遊ばされるのでございますのでございましょうか・・・(アホラシ)
(リベル) かく申す私奴は「丹波篠山山家の猿が」にドンピシャリの田舎者で、笈を負って(?)関東に出たのが18才。関西へ戻ったのが37才ですから、標準語の真っ只中に居たのは19年間。営業経験は会社員生活のほぼ全てですから、33年間。その間「敬語」で、絞られました。入社早々、先輩にものを尋ねるのに、呼びかけ方が分からなくて発した言葉は・・・「あのねえ」だったのですから、どんなに苦労したかはお察し頂けると思います。

今、「敬語練習帳」というのを読んでいます。大体、33年間の訓練の成果は「有り」のようですが、一つだけ、分かりません。

「どうぞ、お気をつけて」は「どうぞ、お気をつけになってください」だとしているのです(122頁)。これは「どうぞ、お気をおつけになってください」が正しいのではないでしょうか・・・???どなたかお教えください・・・m(_ _)m
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Re: 財団法人日本医療機能評価機構 投稿者:リベル 投稿日:11月10日(金)02時21分36秒   引用
>受審がトテモタイヘンであることを実感しました。病院、療養所と分かれてはいますが、現在の国立13園では、受審しても、とてもうまくいくとは思われません。

まさに、この点が問題なのだと思います。「在園保障」を約束した厚労省が、新しい手段に訴えようとしているのです。私に言わせれば「療養所破壊案」です。

これは「ウォッチング」の必要有り! ですね・・・。「平成18年度ハンセン病問題対策協議会のまとめ」の(3)在園保障 のところを、もう一度お確かめください。この一行に、国家的陰謀のスタートを読みとらなければ、危ない、危ない・・・!
http://www.eonet.ne.jp/~libell/10z-hansenbyou.htm
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財団法人日本医療機能評価機構 投稿者:Ichiro 投稿日:11月 9日(木)23時42分45秒   引用
リベル様

 有難うございました。財団法人日本医療機能評価機構については、小生の施設の目の前にある親元病院がうちの県では最初の年に受審成功、また5年後には更新しています。(インターネットで確認しました)受審がトテモタイヘンであることを実感しました。病院、療養所と分かれてはいますが、現在の国立13園では、受審しても、とてもうまくいくとは思われません。
 非常に厳密に現行法律を遵守することが要求されます。医師の定員であると、患者数から
ある一定の数が要求されます。前に述べた早野孝義遺稿集によると、ハンセン病療養所では患者数100に対して医師が1名ですが(ちょっと古いデータです)、現行法律では入所している人は総て入院患者として計算します。ということで、私が宮古にいた年はすべて、医療監査というか、毎年保健所からきて、定員が足りないという指摘を受けます。といっても、定員は厚労省がきめているので、増えるはずはありません。受審がタイヘンなことは、お示しになってインターネットのサイトを読めば一目瞭然です。
 確かに、ある裁判を調停した際に、この評価機構を受審することが、出ていましたが、私は、それをオーケーした人々は、本当にこれを受審するタイヘンさを理解していたのだろうかと疑問に思います。お金も、時間もタイヘンです。(厚労省は出すのかな)私は余力があれば、別の方法で相手を説得するべきではなかったのかと思う次第です。
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東大のサイト 投稿者:北風 投稿日:11月 9日(木)18時25分26秒   引用  編集済
帯と目次が検索できる奴。
Descriptionちゅうのんは、帯の惹句ですね。

あいまいなキーワードで探すにはNII(国立情報学研究所)のDB。
ほぼ同じ内容の検索と所蔵図書館情報も。
http://webcatplus.nii.ac.jp/assoc.cgi
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) 帯が読めるなどというのは、凄いですね。

ウェブキャット・プラスというのは、[ac]と付いているから大学かな?と思ったら違うのですね。「国立情報学研究所」などという、「学」を取るとスパイの元締めと勘違いしそうな、厳めしい名前・・・(笑)

相変わらず、「F事件から”現代”を考える会」が、グリコのおまけ風に付いてくるのが、何というか、楽しいですね・・・(;´д`)ハァハァ
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Re: 小笠原登余談 投稿者:リベル 投稿日:11月 9日(木)17時48分14秒   引用  編集済
> 【NDLデータ】
>
> 請求記号 GK111-E6
> タイトル 小笠原秀実・登 : 尾張本草学の系譜
> 責任表示 八木康敞著
> 出版地 東京
> 出版者 リブロポート
> 出版年 1988.10

こんなのを見付けました。北風さんはご存知だったと思いますが。今から使ってみます。


使ってみました。著者のところに八木康敞と入れたら、下記が出ました。解説が行き届いていて、なかなか良いでしょう・・・本当の値打ちに関しては、私には勿論分からないことなのですが・・・。


『ID: NB8825737
Title: 小笠原秀実・登―尾張本草学の系譜
Series: シリーズ 民間日本学者〈17〉
Author: 八木/康敞【著】
Publisher: リブロポート
Year: 1988
Description: 兄秀実は仏教アナーキズムの高峰を究め、弟登はらい治療に一身を献げ反隔離主義を貫く。京都を舞台に尾張本草学の伝統を開花させ、西欧至上主義に陥らぬ独立の学問を樹てた二人の生涯。
Contents: ・第1部 兄弟を生んだ風土(小笠原登と田中一村;尾張本草学と小笠原啓導;『甚目寺むかしばなし』;二人の旅立)
・第2部 小笠原登とハンセン病治療(小笠原登のらい病観;『小島の春』と光田健輔;第15回日本らい学会;小笠原登を継ぐ人々)
・第3部 仏教アナーキズムの高峰―小笠原秀実の思想(『梟の樹』;市川白弦のこと;教育者 小笠原秀実;詩人 小笠原秀実;石川三四郎とエリゼ・ルクリュ;アナーキスト 小笠原秀実)』


この違いというのは、「検索能力」と、「データベースのコンテンツ」と、この二つ共に違いがあるのでしょう?上の二つを見る限り「データベースのコンテンツ」が別だと思われます。良く分からない世界ですが、興味深い、実に好奇心をそそられます・・・。
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麗水愛養園専用券 投稿者:Ichiro 投稿日:11月 9日(木)12時31分15秒   引用
 Ichiroです。前の続きです。
 (前の小鹿島更生院は 手紙のままです。更生園もあるようです)

 基督教系の療養所の発行の園内通用券(紙幣)です。園内壱銭伝票(伝はもっと画数が多い)と園内五十銭伝票 がMcFaddenさんの本に記載されています。発行年は 書かれていません。この療養所は 現在はWilson leprosy center and rehabilitation hospitalの名前になっています。(homepage あり)(以前はBiederwolf colonyとあります)
 Dr.Wilsonは次のとうり書かれています。
 Due to the entire lack of intercommunication between the Colony and the outside world, it was necessary for us to introduce our own printed currency with which to
pay the meager wages of those employed within the Colony.
ということで、開始された理由がわかりました。なお、恐らく従業員の給料もこれで支払われていたことは 私はクリオン島(フィリッピン)で想像しました。
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新機軸! 投稿者:リベル 投稿日:11月 9日(木)12時13分4秒   引用
上の、ド真ん中に【過去ログ(2005.1.1〜)】というのを設置しました。本当は右端に置きたかったのですが、私の能力では??

一昨年の正月に開設して、もう二年。きょうこさん、のんさん、よしりんさん、Mayさん、夕焼けさん、トラ千代さん、喜多八さん・・・懐かしいお名前も・・・世は人につれ、人は世につれ・・・夕焼けさんが、ずっとレギュラーでいらっしゃる・・・なかなか興が尽きません・・・(笑)

過去記事へのリンクが可能になったのが(自分だけですが)、新機軸・・・ヽ(´ー`)ノ
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Re: 小笠原登余談 投稿者:北風 投稿日:11月 9日(木)08時47分6秒   引用  編集済
>  ちょっと横は入りですいません。
> この間、高野長英が逃亡中に小笠原登のお寺にしばらく潜んでいたという話を聞いたのですが、御存知ないですかねぇ。高野長英の伝記少しみたのですがそこまでは書いて無かったのです。
> もし小笠原登と接点があったとしたら、興味深いことと思います。

手元に資料がないので正確ではありませんが、誰かを匿ってその人物から小笠原登の祖父か父かが医術を学んだというのは確かですが、高野長英でないことも確かです。

「日本の民間学者」というシリーズの『小笠原秀実・登』(リブロポート)という本に当たればでていると思います。(この本誰かに貸したのか、手元にありません)


【NDLデータ】

請求記号 GK111-E6
タイトル 小笠原秀実・登 : 尾張本草学の系譜
責任表示 八木康敞著
出版地 東京
出版者 リブロポート
出版年 1988.10
形態 243,4p ; 19cm
シリーズ名 シリーズ民間日本学者 ; 17
注記 小笠原秀実の肖像あり
ISBN 4-8457-0375-0
入手条件・定価 1400円
全国書誌番号 89009415
個人著者標目 八木, 康敞 (1931-) ‖ヤギ,ヤスタカ
個人名件名 小笠原, 登 (1888-1970) ‖オガサワラ,ノボル
個人名件名 小笠原, 秀実 (1885-1958) ‖オガサワラ,シュウジツ
NDLC GK30-オガサワラ,ノボル(小笠原登)
NDLC GK30-オガサワラ,シュウジツ(小笠原秀実)
NDC(8) 289.1
本文の言語コード jpn: 日本語
書誌ID 000001952797
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小鹿島更生院銭票 投稿者:Ichiro 投稿日:11月 9日(木)08時22分28秒   引用
小箱様 リベル様  寡聞にして知りません。

 ソロクトの園内通用券について、所長先生にお手紙で質問しました。そのサマリーですが、以前のことは書かれていませんでした。

  1945年8月までは使用していた。その後、逃走防止のために、似たものが、1948年ー1955年に使用されていた。
 様式:名刺大。用紙は白で、一般貨幣に似た厚さがある。ハンコを押して使った。黒色で50円、100円の2種があった。
 使用場所:小鹿島内のみ。生活必需品とお菓子を買うのに使った。外出の場合は普通のお金に換えた。
 問題点:逃走防止のために使ったが 余り効果的ではなかった。
 現物はみつかっていない。

 なお手紙はハングルで書かれ、日本語訳が付けられていた。(誰かに訳してもらったようである)

 日本での情報を欲しておられたので、日本の通用券をコピーして送りました。
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小笠原登余談 投稿者:小箱 投稿日:11月 9日(木)00時29分12秒   引用
 ちょっと横は入りですいません。
この間、高野長英が逃亡中に小笠原登のお寺にしばらく潜んでいたという話を聞いたのですが、御存知ないですかねぇ。高野長英の伝記少しみたのですがそこまでは書いて無かったのです。
もし小笠原登と接点があったとしたら、興味深いことと思います。
(リベル) 私は寡聞にして存じ上げませんが、さて、菊池先生ならご存知かも・・・。
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Re: “泣き面に蜂”は、言い過ぎですか・・・? 投稿者:リベル 投稿日:11月 8日(水)07時56分58秒   引用  編集済
>こと人権に拘わる、冤罪事件としての追求であれば、今回の映画化が担った役は計り知れないものがあるのかもしれません!
>今回の映画製作という行為そのものが、松夫さんの遺族(身内)の方々にとっては、「無念で無念でしょうがなかったのかも知れません!」
>今一度、「今回の映画製作は何のためだったのでしょう」・・・

私が[11月 6日(月)04時48分3秒]に投稿した「映画「あつい壁」(1970年)」と[11月 8日(水)03時16分36秒]の「全療協の目的」を、足して2で割ると、夕焼けさんのお考えに一歩近づくのです。

実は、もう一〜二度他のテーマで投稿して、それらを総合して、或る結論を導こうと計画していますが、ひょっとして、夕焼けさんにその魂胆を見破られたのかな・・・(笑)


はっきり申し上げておきましょう。

今、ハンセン病に関して、本当に大事な問題は、何なのか?「人権擁護法」「在園保障」など、色々な問題があり、しかも動いています。そういう状況の中に「新・あつい壁」という一石が投じられて小さな波紋を広げました。一躍「藤本事件」が脚光を浴びましたが、しかしあくまで、小さな波紋です。

「藤本事件」自体にも「再審」或いは「冤罪」という根本的な問題が厳然と有ります。映画「新・あつい壁」が「死刑台のメロディー」のように「冤罪」の真実を掘り下げていく企画でない限り、この映画は「藤本事件の映画では無い」と言っても極論ではないと思います。シナリオが、大きく変わらない限りは・・・!


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ソロクトに園内通用券はあったか 投稿者:Ichiro 投稿日:11月 8日(水)06時19分43秒   引用
日本にあった園内通用券、はたして韓国にあったのでしょうか。

 私があったのではないか、と考えたのは
1)ソロクトは朝鮮半島内の日本代表的な位置を占めていたのではないか、恐らく東京の指示は(あったかどうかわかりませんが)忠実に守ったのではないか
2)朝鮮半島のキリスト教系の療養所では、園内通用券が作られていた。との2点です。
 早速、滝尾英二先生に聞いてみました。その前に先生の著書を調べてみましたが、触れられていません。また、インターネットでも調べてみましたが判りません。

(お金というのは入所者には身近ですから、色々の所に書かれている可能性があります。ご存知の方はここに発表してください)

 先生は親切にも、園内通用券は、見たことはないが現在の所長先生に手紙を出して聞いてくださいといわれました。早速航空便で出して見ました。所長先生は英語が読めるとのことで英語で書きました。(続く)
(リベル) なるほど、有ったと考えるべきなのでしょうね。所長先生のご返事が楽しみです・・・ヽ(´ー`)ノ


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“泣き面に蜂”は、言い過ぎですか・・・? 投稿者:夕焼け 投稿日:11月 8日(水)04時25分53秒   引用
 何事もなのでしょうが、事を興すには“理路整然”からの「知行合一」が求められているのでしょう・・・ね。

 こと人権に拘わる、冤罪事件としての追求であれば、今回の映画化が担った役は計り知れないものがあるのかもしれません!

 現実の事件を主題であれ題材であれ扱う以上は、「死刑囚では、なかったのかもしれない」で、世間に投げ掛ける行為(映画化)については、国と交えるという姿勢・覚悟のほども私には見えませんでしたし、映画化に必要とされる資金繰りにも到底納得できない事象を、夏以降、見聞きしてきました。
 このことを、ハンセン病啓発映画を邪魔する 輩 が居るから、映画化がままならない!と言われた日には、怒りより 嘆き が覆ってしまいましたが・・・、冷静に虚心坦懐の如く、見つめ直してみると、映画化を目的化した正義を唱えていれば、さもありなん!

 映画化の目的が違えば、最初からボタンの掛け違いは生じていたとい事で、その掛け直しが、出来なかったのか?が、今後、問われていくのでしょう。
 ボタンの掛け違いなどする必要がないと、掛け違いのままのいでたちで居たから、釈然としない空気が私を含め少数派の方々には感じ取れていたのだと思います!

 この「F事件」とされる映画化の為の資金作りの疲弊と、協賛側との軋轢が見え隠れしてきています。

 今回、映画化は「時期尚早だ!」と、唱えていた方々の 落胆 が目に浮かぶと共に、なぜ?法に長けたとされる方々の今回の映画化への振り返り・後戻りが、製作委員側へ打診としてはできなかったのだろうか?と、単純な思惑を抱いています・・・?
 「ハンセン病市民学会」「全寮協」の、後押しがあったからと、思わせる記述を何度となく目にしました。

>2006年05月14日 ハンセン病市民学会の本年度活動方針に、「映画製作・上映への協力」が盛りこまれました。       などなど。http://blog.livedoor.jp/nakayama_movie2005/#top

 まずは冤罪を!と唱えていた先駆者の方々は、裁判(再審)がある意味遠のいたと思える(ある方は再審が消えたと断言的なことばで、あ・き・ら・め・ざ・る、を得ない方針を打ち出したようですが???)今回の今映画化・・・、 事興しの不自然さ は、まさに「泣き面に蜂」の様相もあるのかもしれません。

 今回の映画製作という行為そのものが、松夫さんの遺族(身内)の方々にとっては、「無念で無念でしょうがなかったのかも知れません!」・・・。藤本松夫さんの身内の方々の心情に、僅かでも触れられるその行為が求められているような気がしてなりません。そのことをじっくり、ゆっくりと、今後も考えていきたいです。

★今一度、「今回の映画製作は何のためだったのでしょう」・・・、未だ見出せない!私の存在がありますし、そのことが分からなくて悔しい私の存在です。
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全療協の目的 投稿者:リベル 投稿日:11月 8日(水)03時16分36秒   引用  編集済
『ハンセン病療養所入所者に対する社会の一切の偏見をなくし、基本的人権を擁護する。

入所者療養権の確立と生活・文化の向上をはかる。

退所者対策の充実をはかる。』

これが「全療協ニュース」の題字横に書かれています。

私達が、今、ハンセン病について何をするべきなのか?何が今問題なのか?その答えはここに凝縮されているのではないかと、思います。

2001年12月25日に調印された「確認事項」が出発点でした。

この中の一項目「在園保障」を取り出してみても、果たして「終生の在園を保障する」という文言を、厚労省はどこまで守っていけるのでしょう?例によって、区切りのない長い文章の最後は「最大限努める。」となっています。これは「在園を保障する」をも受けているのです、と厚労省様は言い出しかねません。

案の定、この夏の「平成18年度ハンセン病問題対策協議会」では「すべての療養所で財団法人日本医療機能評価機構の審査を受けること計画する」などと、怪しいことを発言し始めました。何故今更、そんな審査が必要なのでしょう・・・?おかしいとお思いになりませんか・・・?

一度、その辺りを、復習してみようかと、整理し始めました。「検証会議の最終報告書」の「再発防止のための提言」にも、改めて目を通してみました。人権に関する国内法についての追求が不足しているのが、少し物足りないのですが、考えるキッカケには役立ちそうです・・・。


「ハンセン病問題対策協議会における確認事項」

http://www.eonet.ne.jp/~libell/10zenryoukyou.htm
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むずかしい退園 投稿者:Ichiro 投稿日:11月 7日(火)06時34分30秒   引用
むずかしい 退園 早野孝義 菊池野 昭和33年5月号

 菊池恵楓園宮崎松記の怒りを買った論文。当時の有様がよくわかる。
 むずかしい 退園  −もっと明るさをー

 近頃の入退園のありさま 新しく入園してくる患者が昨年81名、一昨年が82名。(中略)不完全な医療管理のなかにあって自発的にひたすら病気の治療にあたるのである。そしてこのような人たちが毎年40名ないし50名程度退園を希望する。入園者1700余名からすると確かに少なすぎる指数である。その中で退院許可になるものが14,5名である。

 (全部は書けないので項目を挙げる)

 新しく生まれる矛盾
 やすやすとできる退院措置が欲しい
 むずかしい診断
 にせの愛情に殺される患者の自由
 博士の思想の典型
 好転していく情勢
 わたしたちの進む方向
 おわりに

 投稿者の私見

 全部を書ければいいのであるが、私の問題にしたいのは、博士の思想の典型の中にある「一人の患者を入所させるために妻子兄弟家族ぐるみにして 入所させ、そのなかには壮健者(注:ハンセン病患者でない正常の人)を100名以上入所させたようである。」

 当時の情勢からして止むを得なかった面もあるかもしれない。確かに色々な理由で壮健さんが入っており、家族から聞いたことでは、小児麻痺であるが、患者に無痛を教育し、入所した人もいた。その方はそこで亡くなられた。(制度を利用した)

 宮崎松記は園を離れざるをえなかった。送別会では、博士は早野氏の手を握ったて挨拶したということが書かれている。
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映画「あつい壁」(1970年) 投稿者:リベル 投稿日:11月 6日(月)04時48分3秒   引用  編集済
「昭和二八年に熊本で起きた黒髪小学校事件を骨子に、一市民一家の悲劇を通して、ハンセン氏病への偏見と差別を告発した作品。脚本・監督は新人の中山節夫。」

Gooの映画解説には、こう書かれています。


今度の「新・あつい壁」の解説は、さしずめ・・・

「昭和二六年に熊本で起きたF事件を骨子に、一市民一家の悲劇を通して、ハンセン病への偏見と差別を告発した作品。監督は中山節夫。」

かつて、藤楓協会が公開していたホームページから保存していた写真です。

http://cinema-arci.com/data/filmlist/dai/jinkenn/atuikabe_dai.html
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小笠原登余談 投稿者:Ichiro 投稿日:11月 5日(日)19時58分52秒   引用
奄美和光園に いってまいりました。

 Ichiroです。国立13園では これで12園訪問しました。

 小笠原登先生のことを聞きたかったのですが、ここにこられる時は 何故か大西先生が世話されたそうで、あの、光田先生の女婿ですよね。(園長先生に聞きました)
 小笠原登は 死後有名になった芸術家 田中一村を官舎に住まわせてますね。まあ、びっくりです。この芸術家は患者さんに絵を描いて上げておられますが、裁判後に どやどやと入った入園者の家族が絵を 持っていったという話です。
 最近の集会で外から160名も出席されたそうですが、入園者も6名出席されたそうです。入園者の1割ですね。奄美から何名ですかという質問は わかりませんだそうです。
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日本語サイト Re: Medlineについて 投稿者:北風 投稿日:11月 5日(日)09時13分7秒   引用  編集済
> >  Medlineは 代表的な医学論文検索システムです。2002年からは 姓名で検索できるので便利になりました。
> >  もちろん題だけでも 出てきます。数が多いのでびっくりしないでください。
>
http://www.meteo-intergate.com/journal/search.html

菊池一郎さんで13件。
もっとも完全一致でなく、某一郎さんと菊池某さんの共著もヒットしました。
http://cluster.web.infoseek.co.jp/Fjiken/index.html

(リベル) 北風さんは、随分前から、このような検索システムに通暁されていたようですね。
「ハンセン病関係書籍目録稿」は「ハンセン病文学全集」の準備のためと、拝察しましたが
「らい文献目録」の瞠目すべき機能は最近の「雑誌索引検索」へ発展したのでしょうか・・・。
その辺りの技術的なことは、全く分かりません。これも「ピラミッド」ですね・・・(笑)

それはともかく、「F事件資料集」の宣伝が、必ず付録になっていますね。ご投稿頂く前に[URL]の中のURLを削除すれば、出なくなります。
まあ、一々チェックしなくても、直ぐ見られるので、その点便利ではありますが、何か、変・・・(笑)
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余談ですが・・・シャッポを脱ぎました・・・ 投稿者:リベル 投稿日:11月 4日(土)00時18分40秒   引用  編集済
宝塚市立図書館へ「ハンセン病文学全集」を置いてくれと言いましたが、地方財政の貧困が、皓星社さんの前に立ち塞がっている現実を目の当たりにする結果となりました。結局兵庫県立図書館から又借りの形になったのです。

かく申す私、「短歌」を手にしてあらためて驚いたのは、皓星社さんの本を手にするのが初めてだったことです。想像を超えた重量感に、しばし感懐を深めました。

初夏の頃でしたか、北風さんがこの「校正」の辛さを珍しく表に出して居られたのを記憶していましたが、さっと拝見しただけで「宜なるかな!」と驚嘆しました。かつてどこかで、「金字塔」と称賛したことがありましたが、確かに一つ一つ、大きな重い石を積み上げた「ピラミッド」です。大岡信氏の解説が、いみじくも指摘しているように「この人々の短歌作品が資料の膨大な山を出て広く人々の手に渡される」橋渡しを、北風さんはなさって居られるのです。脱帽!です。

最後にさり気なく、装幀 安野光雅とあるのを見て、私は遂に、息の根を止められたのでした・・・(o_ _)oパタッ
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じいちゃん 投稿者:ネコ 投稿日:11月 3日(金)11時04分27秒   引用
はじめましてまして、お邪魔致しますm(__)m。
実は私の祖父はらい病患者であります。
もう、五十年近く施設に入っておりますので私が生まれた頃…私は三十ですが…には既に入っておりました。
母が産まれて発病、入所。
想像を絶する扱いを受けたようです。
しかし、私は恨み事の一つも聞いた事がありd
(リベル) ネコさんからは、「10月29日(日)06時20分56秒」に、全く同文の投稿を頂いています。悪戯でないことを、祈るばかりですが・・・(11.03 11:35)
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全生園まつり 投稿者:リベル 投稿日:11月 3日(金)01時49分59秒   引用  編集済
毎日新聞に出ていました。「友の会」の活動内容も紹介されていました・・・ヽ(´ー`)ノ
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Re: Medlineについて 投稿者:リベル 投稿日:11月 3日(金)01時38分44秒   引用
>  Medlineは 代表的な医学論文検索システムです。2002年からは 姓名で検索できるので便利になりました。
>  もちろん題だけでも 出てきます。数が多いのでびっくりしないでください。

ビックリしました。「leprosy」で検索したら、18,899件。約2万件です。

「kikuchi ichiro」さんでは一件でしたが、「kikuchi i」さんでは何と、167件ヒットです。これで、中身まで読めたらなあ、というのは、欲が深すぎるのでしょうね・・・(笑)
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Medlineについて 投稿者:Ichiro 投稿日:11月 2日(木)06時39分41秒   引用
 Medlineは 代表的な医学論文検索システムです。2002年からは 姓名で検索できるので便利になりました。以前の場合、Kohsaka Kでしたが 現在は Kenji Kohsaka でも Kohsaka Kenjiでもいいようです。名前の方が一字であると、苗字は同一で、他の人のも検索され タイヘン不便でした。
 採用されている雑誌も、色々変化があり、悪い雑誌になると採用されていません。2字あけて 色々なタームで絞り込みます。年だと、例えば 2000と打ち込んでも、その年の場合もありますが 題に2000とあれば それもみつかります。無料ですので お試しください。
 もちろん題だけでも 出てきます。数が多いのでびっくりしないでください。それにあわせて 一局面にいくつだすか 調整します。
 出てきたら、年代別に並び替えたり、著者名をABC順に並び替えます。最近は著者数が多い論文が多いですね。関連論文などすぐ 検索できて便利です。英語の論文だけでなく、採用されている雑誌であると日本語のもでています。日本ハンセン病学会雑誌も採用されています。これは一つの分野であると、採用されるという原則があるようです。出てくるのは 英文抄録のあるものだけです。日本の商業雑誌は採用されていません。抄録は どなたかが要約しているようで、雑誌の英文のままではありません。

 http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?DB=pubmed
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余談ですが・・・心臓に悪い 投稿者:リベル 投稿日:11月 1日(水)00時02分0秒   引用  編集済
いよいよ、今日から全生園祭り。もう最後の点検も終わったでしょうか・・・?

ハンセン病図書館友の会の会員として、私奴は現地へお伺いできず、のうのうとしていましたが、この際、自分もシンドイことに挑戦して、「応援」としようと、オンラインゲーム用のグラボを取り付ける事にしました。

前のPCには何度も付けたり外したりしていたので、スイスイ行くかと思ったら、さあ大変。構造がまるで違う。諦めようかどうしようか、思い切って10万円(私のPCの値段です)捨てた積もりで、力任せに引っ張ったら、それが「当り」で、何とか取り付けましたが、それからが、又大変。

OSが新しい何とかを受け付けません、だの何だの、大もめにもめました。22時頃から初めて先ほどやっと立ち上げ成功。全生園もうまくいったのだろう、と先ず一息。でした。

もうこういうのはやりません!心臓に良くない!ふう〜っ・・・(o_ _)oパタッ!


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