| ハンセン病の歴史について |
|
ハンセン病はすでにご存じのように、感染症の一つです。しかし日本においてのハンセン病は、同じ感染症と言っても結核、はしか、インフルエンザなどとは、全然違った特徴を |
| 目 次 |
| いつからあったのですか? |
| どのような歴史をたどったのですか? |
| 日本での歴史は? |
| 地域別の歴史年表 |
| ハンセン病の呼称の変遷 |
| 年表 日本のハンセン病史 |
| ハンセン病の略年表 |
|
いつからあったのですか? topへ |
||||||||||
|
(1)ハンセン病は最初に東アフリカ(又は近東=エジプト・トルコ・シリア・イスラエルなどの国々)で発生し、その後の一連の ※ なお次の(3)と(4)は「いつからあったか」以後の時代の事実となりますので、次の「どのような歴史をたどったのか」の話に譲ります。 |
||||||||||
| どのような歴史をたどったのですか? topへ | ||||||
|
|
| 日本での歴史は? topへ | ||||||
|
|
| 地域別の歴史年表(ここでは、これまでの研究を出来るだけ多く記載しました。現在学者間で 「正確である」 と判定を下されていないものは、グレイの枠にしています。)(参考:ハンセン病の呼称の変遷) topへ | ||||||
| 年 代 | エジプト(及び古代オリエント) | インド(中近東) | 中国 | ヨーロッパ | アメリカ | 日本【注44】 |
| B.C.3000年頃 | 旧約聖書の叙述をハンセン病とする 【注2】 |
|||||
| B.C.2975年頃 | Hesepti王の時「leprosy」の治療法が存在した【注52】 | |||||
| B.C.2600年頃 | 黄帝が「素問」を行った【注53】 | |||||
| B.C.2000年頃 | ラージャスターン地方のBalathalで病変の有る頭骨が発掘される【注73】 | |||||
| B.C.1537年頃 | 「エーベルス・パピルス」に「wekhedu」の記載がある【注7】 | |||||
| B.C.1400年頃 | カナンの土器に病気の人物像がある 【注5】 |
|||||
| B.C.1300年頃 | 「ベルリン・パピルス」に「leprosy」の記載がある【注7】 | |||||
| B.C.1000~ 800年頃 |
「ヤジュル・ヴェーダ」や「アタルヴァ・ヴェーダ」に「kilāsa」と記される【注60】 | |||||
| B.C.600年頃 | 「スシュルタ・サンヒター」に「kuṣṭha」と記される【注8】 | |||||
| B.C.550年頃 | 「論語」に「疾」として記述がある【注9】 | |||||
| B.C.6世紀 | ミイラにらい特有の痕跡が認められる 【注10】 |
|||||
| B.C.5世紀 | 旧約聖書に「ツァラアト」と記述される | 豫讓が厲を装ったと「史記列伝」にある【注呼64】 | ||||
| B.C.380年頃 | ヒッポクラテスが「象皮病」とよぶ【注11】 | |||||
| B.C.326年頃 | アレクサンドロス大王のインド遠征 【注12】 |
|||||
| B.C.250年頃 | 「70人訳聖書」に「レプラ」の訳が登場する【注13】 | |||||
| B.C.233年頃 | 「韓非子」に「厲」と記載されている【注14】 | |||||
| B.C.3世紀 | ストラトンが「象皮病」として最初の正確な記述【注40】 | |||||
| B.C.90年頃 | ルクレティウスが「象皮病」の記述をする【注49】 | 「史記列伝」に「悪疾」と記載されている【注15】 | ||||
| B.C.62年頃 | ポンペイウスの軍隊がイタリアへ持ち帰った【注23】 | |||||
| B.C.40年頃 | ケルススはラテン語でも「象皮病」と呼ぶ【注4】 | |||||
| 前漢 (~B.C.8年) |
「黄帝内経:素問」に「癘風」と記載 【注16】 |
「漢書」に日本について最古の記述がある【注47】 | ||||
| 1~50年頃 | エルサレムにハンセン病患者が居た【注72】 | |||||
| 150年頃 | アレタイオスが(ヨーロッパで最初の)正確な記述【注24】 | |||||
| 200年頃 | 華佗の著書に具体的に症状が記述された【注22】 | ガレノスが初めて「レプラ」を用いた 【注17】 |
||||
| 314年 | アンキュラ教会会議で「leprous」な者は祈るよう規定を設けた【注61】 | |||||
| 330年頃 | コンスタンティヌスの「寄進状」に記述がある【注35】 | |||||
| 370年頃 | 聖バシリウスが「Basiliad」(ラザレットの前身)を建てた【注41】 | 高句麗好太王の碑文に交戦記録がある【注48】 | ||||
| 378年頃 | コンスタンチノープル郊外に病院が有ったとの記述がある【注64】 | |||||
| 395年 ~404年 |
ヨハネス・クリュソストモスが「ラザレット」を建てたと記述がある【注66】 | |||||
| 538年 | オルレアンの宗教会議で癩者に関する条項が採択された【注63】 | |||||
| 583年 | リヨンの宗教会議で癩者に関する規制が制定された【注67】 | |||||
| 6世紀 | コプト人のミイラに痕跡が有る【注42】 | |||||
| 606年 | 聖徳太子が進講した「法華経」に「癩、癰疽」の記述がある【注呼67】 | |||||
| 612年 | 「日本書紀」に「白癩」の記述がある 【注33】 |
|||||
| 636年 | 「ラザレット」がフランス、イタリーに存在したとの記述がある【注39】 | |||||
| 643年 | ロタリの勅令に記述がある【注45】 | |||||
| 726年 | ボニファティウスが「癩者」が聖餐に列することを許可した【注62】 | |||||
| ~749年 | 行基が治療救済活動を行った | |||||
| 757年 | ピピン3世が「癩者」に関する法令を発布した【注65】 | |||||
| ~760年 | 光明皇后の施浴伝説がある | |||||
| 789年 | カール大帝が「癩者」に関する法令を発布した【注65】 | |||||
| 869年 ~1266年 |
ヨーロッパ各国に「ラザレット」が設立されたとの記録がある【注70】 | |||||
| 1096年~ | 十字軍の遠征が始まった【注38】 | |||||
| 1243年 | 忍性が「北山十八間戸」を創設する 【注36】 |
|||||
| 1413年 | アイスランドの司教が罹患した記録がある【注71】 | |||||
| 1505年 | オバンドが黒人奴隷を導入する【注69】 | |||||
| 1535年頃 | ケサーダがコロンビアに持ち込んだ 【注68】 |
|||||
| 1549年~ | ザビエル他の宣教師が救済に尽力する【注59】 | |||||
| 1807年 | ノルウェーの飢饉でハンセン病が大流行【注37】 | |||||
| 1847年 | ダニエルセンとベックがハンセン病を疾病として臨床的に確立した。同時に遺伝説も発表している【注:名称43】 | |||||
| 1873年 | ハンセンが「らい菌」を発見。伝染説を提唱【注19】 | |||||
| ダミアン神父がハワイのモロカイ島へ渡った【注31】 | ||||||
| 1875年~ | キリスト教宣教師等が多くの病院を設立 | |||||
| 1894年 | カービル療養所が開設された【注50】 | |||||
| 1897年 | 第一回国際らい会議で伝染病であること、伝染力は微弱であることなどが確認される【注27】 | |||||
| 1900年 | 内務省の第一回調査で患者数30.359人【参考】 | |||||
| 1907年 | 「癩予防ニ関スル件」が制定される | |||||
| 1909年 | 全国五カ所に公立療養所が開設される | |||||
| 1929年 | 「無らい県運動」が全国に広がる | |||||
| 1931年 | 「癩予防法」が制定される | |||||
| 1943年 | ファジェットが「プロミン」の有効性を発見【注20】 | |||||
| 1948年 | マザー・テレサがカルカッタに住む 【注46】 |
. | . | |||
| 1951年 | 全療協が結成され「予防法闘争」が始まる | |||||
| 1953年 | 「らい予防法」が制定される | |||||
| 1966年 | 世界の有病率【注34】は8.4である | |||||
| 1981年 | WHOが多剤併用療法(MDT)を推奨する【注32】 | |||||
| 1985年 | WHOは122カ国を「ハンセン病が公衆衛生問題として重要な国」とした。 世界の患者数の変遷(1985年~) | |||||
| 1991年 | WHOの第44回世界保健会議で「2000年までに制圧(有病率を「1」以下に)する」と宣言【参考】 | |||||
| 1996年 | 「らい予防法の廃止に関する法律」が制定される | |||||
| 1998年 | 元患者13人が国賠訴訟を熊本地裁に提訴した | |||||
| 2000年 | 世界合計752,417人―有病率0.99―世界レベルで目標を達成する | |||||
| 2001年 | 国賠訴訟、元患者側が全面勝訴 | |||||
| 2003年 | WHOが指定した122カ国の内、110ヶ国が、各国レベルで制圧目標(有病率を「1」以下に)を達成した。そして有病率が未達成な国は12ヶ国だけになった | |||||
| 宿泊拒否事件が発生した | ||||||
| 2005年 | 有病率が未達成な国は9ヶ国だけになった【参考】 | |||||
| 患者数が世界で最大の148,910人である | ・検証会議が最終報告書を提出 ・新患者数がゼロ【注21】 |
|||||
| 2006年 | 有病率が未達成な国は6ヶ国だけになった【参考】 | |||||
| 有病率が1を切り0.87となる。【参考】 | ・小鹿島・楽生院訴訟に「改正補償法」成立 ・入所者数3,080人【注26】 |
|||||
| 2007年 | 有病率が未達成な国は4ヶ国だけになった【参考】 | |||||
| 2008年 | . | 「ハンセン病問題基本法成立 | ||||
| 地域別 | エジプト(及び古代オリエント) | インド(中近東) | 中国 | ヨーロッパ・アメリカ | アメリカ | 日本【注44】 |
| ※日本の歴史について、更に詳しく知りたい方は「略年表」、「年表 日本のハンセン病史」をご覧下さい。 ※【注呼64】と表示しているのは、「呼称の変遷」の頁の注のことです。 ※地域の分類は、地理学・歴史学等の学術的分類に従わない、便宜的なものです。 ※お願い:読みにくい!分かりにくい!間違いではないか?などご意見をどしどしお寄せください。悩みながら作っていますので(笑)。こちらからよろしくお願いします。 topへ |
||||||
HOME | 最新のニュース!|イベント情報|官庁・市民団体|各種サイト内検索|掲示板・BBS
やさしい説明|詳しく解説|医学的説明|歴史|裁判|検証会議|法律|差別や人権問題|療養所|世界|宗教
データ集|用語集|写真集|人物|文献・書籍|病名の変遷|年表で読むハンセン病
Copyright © Libell 2001-2009 . All rights reserved.