こだわりアカデミー (原本)
文明の始まりを知るカギとなる「遺跡」。 「ギョベックリ・テペ」遺跡が定説を覆す?!「ギョベックリ・テペ」遺跡の発見で騒然!筑波大学大学院人文社会科学研究科教授 常木 晃 氏(つねき あきら) ![]() 1954年東京都生れ。77年東京教育大学文学部卒業、82年筑波大学博士単位取得満期退学。86~87年ギリシア政府国費留学生としてテサロニキ大学大学院留学。87~89年日本学術振興会特別研究員、89~92年東海大学文学部講師。92年筑波大学歴史・人類学系講師、94年同大学歴史・人類学系助教授、2005年同大学大学院人文社会科学研究科教授、現在に至る。著書に『西アジアの考古学』『文明の原点を探る-新石器時代の西アジア』(同成社)、『食料生産社会の考古学』(朝倉書店)など。西アジア考古学、民族考古学、葬送に関する考古学などを研究。農耕の始まりから都市形成までの歴史過程を解明するために、1977年よりシリアとイランで現地調査を継続。近年は葬送や他界観念の始まりと展開についての研究を進めている。(2011年9月号掲載) 8500年前の集団墓地を発見! 副葬品から見える古代の社会とは?──先生は、主に西アジアの民族・葬送に関する考古学をご研究されていると伺っております。2007年には、フィールドワークであるシリアの遺跡発掘調査において、およそ8500年前の集団墓地を見付けられたとか。これは、世界最古級の発見だったそうですね。
──遺跡の規模からすると、まだまだ新たな発見がありそうですね。 常木 1万数千年前に人々が定住を始めるとともに、自分達のテリトリーを強く意識するようになります。それから8500年位前までの間、テリトリーは「親からの相続=所有」という概念が基本でした。そうすると、親が亡くなった時に、どうやって「これは自分のものだ」ということを証明するか、その問題に直面します。そこで、親の遺体を家の中に埋めたり、見えるところに頭蓋骨を飾るなどして、所有権を誇示していたのです。 農耕が先か、宗教が先か…。「ギョベックリ・テペ」の発見で騒然──文明の始まりや、人類の起源などは、誰もが知りたいテーマの一つです。
常木 はい。トルコ南部の山頂で見付かった「ギョベックリ・テペ」遺跡により、これまでの定説に「待った」が掛けられています。 ──つまり、農耕より宗教が先と…。どのような遺跡なんですか? 常木 何十もの巨大なT字形の石柱が円形状に建ち並び、大きな円の中に小さな円があるといった手の込んだ遺跡です。その中には、約1万1600年前につくられたと考えられる、人類最古の神殿があります。これほど古い時代の、しかも大規模な建造物は、他に見付かっていません。 なお、地下探査により、少なくともその場所に20基以上の円形遺構が存在することが判明しています。 ──大変な発見ですね。「宗教が先」という根拠はどこに? 常木 不思議なことに、ギョベックリ・テペ遺跡には、人が生活した痕跡がまるで残されていません。 例えば、T字形の石柱は、大きなもので高さ5m、推定重量が10tにもなり、石の切出しや運搬を含め、多くの人出が必要だったはずです。
常木 おっしゃる通りです。当時の人達の信仰・崇拝精神は、われわれの想像をはるかに超えるものだったともいえます。 この遺跡の発見により、「狩猟採集民族が定住して農耕を始め、大きな社会を形成するにつれ生じるようになった人々の間の利害関係や緊張を緩和するものとして宗教が生れた」という従来の説の見直しが迫られているのです。
──では、農耕の始まりについては? チーズ、ワイン、ビール…など、西アジアはさまざまな食糧のルーツ──遺跡の発掘調査というのは、本当に奥が深いですね。ところで、そもそも先生はなぜ考古学に興味を持たれたのでしょう。
そういえば先生は、シリアの他にイランでも発掘調査を行なわれているとか? 常木 30数年前に、4か月程南イランの中期旧石器時代の遺跡調査に携わりました。その遺跡群にすっかり魅了され、「いつかまた調査を再開したい」と思い続けているのですが、現在はイラン政府から調査の許可がおりず、残念ながら頓挫している状態です。 また、1987年末に発表された分子生物学のいわゆる「ミトコンドリア・イブ」仮説で、現代の私達の起源が東アフリカにあると提唱され、南イランは考古学的な証拠を検証できる重要な地域として注目されています。何とか、イラン政府の許可を取りつけて、調査を再開したいと願っています。 ──先生のお話で、西アジアは食糧生産社会の始まりの地であり、人類の起源を考える上でも極めて重要なフィールドであることが分りました。「テル・エル・ケルク」と、南イランでの遺跡調査によって、新たにワクワクするような発見があるのではないかと楽しみにしています。 本日はありがとうございました。 |