ラッシュ消失後、彼の痕跡を求めて小さな旅をするダヴィッド。
喪失の破片/Preview
アスラム城の一角に用意した彼の部屋は、好きにしていいと言ったにもかかわらず、扉を開けてみれば彼を招く前となんら変わらない姿でダヴィッドを出迎えた。
「――……」
本来は来賓のための一室で、広々とした間取りに一人用にしては明らかに大きく作られた寝台、明かり取りのための天窓、開閉自在な空気穴、敷き詰められた毛足の長い絨毯。何度も足を踏み入れていたはずだが、絨毯にも目立った汚れはないように見えた。
寝台のシーツもまったく乱れておらず、そっと上掛けをめくってみても何の痕跡も残されていない。
(いつの間に……)
彼と共にいたのは、決して長い時間ではなかったかもしれない。とはいえ、ほんの少しと言えるほど短いわけでもなかったはずだ。この部屋だって、主の生活の癖が多少は染み込んでもおかしくない程度には使われていた。
それなのに、ここには――
(なにもない)
寝台に腰かけて窓にかかるカーテンを引いた。音もなく真昼の陽光が差し込み、人気のない室内を明るみにしていく。部屋の隅々にまで目が行き届くようになっても、やはり、彼の痕跡はどこにも見つからなかった。
そんなはずはない。意図的に消されたのでなければ。
(いつの間に――)
数歩進んだだけで絨毯の流れがかき乱されて歩いた跡を残しているというのに、数分座っただけでシーツにわずかな皺ができたというのに、それ以外にはなにもない。
彼が意図的に消したのだ。
(気づかなかった)
足音はかき消され、自身の思考のわだかまりを浮き彫りにしていく。遠く兵舎から届くはずの鍛錬の声も音も聞き取れない。静かだ。陽光だけが変わりなく一定の強さでダヴィッドの上を通り過ぎていく。
(気づかなかった――)
思えばこの部屋の寝台で寝た記憶は一度もない。彼がここで眠る想像をしたこともない。今も、どうしてか、彼が一人でこの部屋で過ごす様を少しも脳裏に思い描けずにいる。
どれほど、自分と一緒にいる彼という存在しか目に入っていなかったのか。
(本当に?)
気づかないふりをしていたのではないか?
あえてなにも訊こうとしなかったのではないか?
彼は彼の考えや目的があるのを忘れてはいなかったか?
(そうかもしれない)
認めるのにそれほどの労力は必要としなかった。結局のところ、自分は彼が与えてくれるものを享受するのに満足していて、それがあるべき姿なのだと勝手に思い込んで、それ以上には考えずにいたのだ。
彼が何を思ってここにいて、自分と接して、どう考えて行動しようとしていたのか――
それらを無意識にうちに蹴っていたのではないかと。
(そうとしか、思えない)
人の気配が極めて希薄な部屋を抜ける。何の感慨もなかった。ただ、自分が彼にこの一室を与えたきり、この部屋における彼の生活になんら介入しようとも思わなかったという、その事実が浮き彫りになっただけだ。
後ろ手に扉を閉めると、室内と変わらない無機質な城内の空気にうんざりして小さくかぶりを振った。
この部屋に何を求めてやってきたのか――それもまた、随分と自分勝手ではないか。失われた存在のわずかな欠片を探し歩いてどうしようと言うのだろう。
無意味ではないのかもしれない。だが、それでどうなるわけでもない。
(目が眩んでいたのか)
廊下から望む外の景色に特別な変化があるはずもなく、自身の思考の上滑りを慰める手段にもならない。窓枠から覗く雲の切れ間一つなく広がった晴天を見上げると、余計に自分の惨めさが際立つようにも思えた。
そんな被害妄想じみた考えそのものが、極めて不毛であるのはわかっていたが――
(ずっと同じことを考えている……)
時折すれ違う城仕えの侍女や使用人たちが立ち止まって礼をするのにも、頷き返すだけで労いの言葉をかけるのも忘れていた。中には何か言いたげにしている者もいる。自分がどんな顔をして彼らの視界に映りこんでいるのかを想像するのはやめた。
どうしようもないのだ。
(悔やんでいる――、悔やんで……?)
堂々巡りをするどころか、一点で停止する思考の行方を断じるなら、それが最も的確に思えた。
悔やんでいるとしたら、何を?
(すべてを?)
それこそ愚考ではないのか――
すべてを一纏めにして納得の行くように切り捨てられるほど潔くはない自分をどう捉えるべきだろうか
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