一人だけ学年が違うみくるが卒業する。
卒業まで、あと少し。/Preview
それは二年目の夏休みに突入する前のことだった。 頭から爪先まで茹りそうに暑苦しいその日もまた、俺はほとんど意味もなく文芸部部室へ顔を出していた。 やることといったら相変わらずまったく上手くなる気配をみせない古泉とのボードゲームに付き合うか、ハルヒがネサフで発見した珍妙な記事を読んだりとか、長門に薦められた本をちらっと広げてみたりとか。 要するに、やってもやらなくてもいいようなことばっかりだったわけで、それがこのSOS団の日常でもあった。 古泉との人生ゲームが二周目に突入したところで、俺はふと口が寂しくなった。 ………麗しの天使こと朝比奈さんがまだ来ていない。いったいどうしたというのか。 「どうされましたか?」 ルーレットを回す途中でぴたりと動きを止めた俺に、正面に座る古泉が首を傾げた。 「いや………。誰か美味い茶を淹れてくれないもんかと」 ちらりと視線を泳がせると、パソコンから顔を上げたハルヒと目が合った。 「あたしはそんな無駄な労働しないわよ」 端から期待しちゃいねえよ。 ハルヒは部室を見回して立ち上がると、腰に手を当てて大仰に呻いた。 「みくるちゃん、おっそいわねえ。呼び出しでも食らってんのかしら?」 おまえじゃあるまいし、朝比奈さんが呼び出されるような暴挙をしでかすわけがなかろう。 それにしても、確かに遅いな。まさか校内でおかしなトラブルに巻き込まれるとも思えんが、なにしろ朝比奈さんだからな………油断ならない。 「暇だし、ちょっと探してこよっかな」 と、ハルヒがパソコンをシャットダウンしかけたところで、部室のドアが開いた。 「お、遅れてごめんなさぁい………」 額に汗を浮かべ、息を切らしながら噂の朝比奈さんが入ってきた。どうやら走ってきたらしい。そんなに急がなくもいいんですよ。 「おっそいわよ、みくるちゃん。どこほっつき歩いてたの?」 容赦なく指を突きつけるハルヒは相変わらず傲岸不遜の権化だが、その顔はどこか嬉しそうである。なんだかんだで朝比奈さんがいないと気分が盛り上がらないんだろうな。その点に関しては俺も大いに同意するところだ。 「ちょっと、進路相談のことで………。先生とお話してたんです」 爛々と輝きだしたハルヒの目が、動きを止めて見開かれた。 俺も思わずじっと朝比奈さんの顔を凝視してしまった。古泉はさして変わらないいつもの笑顔で、長門は珍しく本から顔を上げている。 進路―――か。当然の話なんだが、こうして目の前に突きつけられるとどうしても考えちまうな。 このメンバーの中で、朝比奈さんだけが三年生で、今年卒業なのだ。 あと半年もすれば、この部室からその姿は消えてしまう。 動きを止めたハルヒに朝比奈さんが慌ててドアを閉める。 「あ、あのっ。遅れたら、まずかったですか………?」 「いえ、だいじょうぶですよ」 なるべく笑顔を作りながら椅子を勧めると、朝比奈さんはかわいらしくお辞儀をしていつもの場所に座った。 「………そういうことなら仕方ないわね」 ようやく立ち直ったハルヒが、団長席に座り直して足を組む。 その表情は若干強張っていたが、変化を悟られないようにしているのが明らかだった。 「次から遅れるときは連絡しなさいよ。早くお茶淹れて!」 「はっ、はいぃ、今すぐ………」 ここ最近は表情も口調もだいぶ柔らかくなってきたハルヒにしてはきつい言い方だ。これも誤魔化してるつもりなんだろうな。それに気づいてないっぽい朝比奈さんは少々気の毒だ。 休む間もなく湯を沸かし始める朝比奈さんを横目に、ハルヒがこっそりと嘆息したのを俺は見逃さなかった。 俺だって朝比奈さんがここからいなくなるのは寂しいとも。あのお茶が飲めなくなるのも、いつだって柔和で癒しを与えてくれる笑顔が見れなくなるのも。 でも、そうだな。 一番朝比奈さんをかわいがってたのは、やっぱり、ハルヒだ。
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