京 言 葉
はんなり ・・・上品な明るさ。「華なり」から変化
おおきに ・・・とても有難う
おばんざい・・・日常のおかず
ドンツキ ・・・突き当たり 
オイド ・・・お尻。御所言葉からの表現
ゆうてはりました ・・・おっしゃっていた
かにここ ・・・やっと、ぎりぎり(今はほとんど使われていない)
まったり ・・・柔らかくコクのある 
舞妓 ・・・ 江戸時代の元禄のころから呼び名があり、踊子のこと
ぶぶ漬 ・・・ 御茶漬 
ほんなら ・・・ それなら 
ごもく ・・・「ごみ」以外に食べ物の場合は、種々の混合(五目)
鳥の付いた地名
鳳・・・鳳端」町(上京区)
からす・・・烏丸町(上京区)、烏田町(山科区)
カ モ・・・鴨土町(東山区)、
ガ ン・・・雁金町(下京区)
スズメ・・・朱雀(下京区)、雀ケ森町(東山区)
タ カ・・・鷹司町(右京区)、鷹峯(北区)、鷹匠町(伏見区)
つ る・・・鶴山町(上京区)、田鶴原町(右京区)
ニワトリ・・・鶏鉾町(下京区)
五の花街祇園東、祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒
  ※ 京都の飲食店は、有名でない小さな店で、おいしいくて安い店が多い。



 と 

祇園祭は、染織品の動く博物館とも言われ、16〜18世紀のペルシャ、ヨーロッパ、インド、
中国、朝鮮、日本の絢爛豪華な装飾品が都大路を練る。

鉾・ひきやま曳山…重量は、約10トン〜12トン。 高さは、地上から鉾頭まで約25m、屋根まで8m。
車輪、直径約2m。囃方台は、長さ約3.5m、幅約2.7m。 屋根方(障害物を調整する)4名、音頭取り
(進行、停止など指示)2名、車方(停止、方向転換の操作)10名、曳き方(鉾を曳く)約40名。

 … 重量は、約1.2トン〜1.6トン。高さは、地上から松の木まで約6m。 広さは、長さ約2.7m、幅約2.3m。
   舁方(山を舁ぐ役。今では車をつけて押している)約20名。
稚 児(巡行の主役)… 祭が終わるまで町の「養子」に迎え7月13日八坂神社で神の使いとし5位少将、 
十万石の格式が与えられる。今は長刀鉾にだけ残っている。京都に住んでいる小学生の中から選ばれる。
祇園囃子…まつりを盛り立てる重要なもの。囃子方は、鉦、太鼓、笛で構成され約40名(交代要員も含む)が
乗り演奏する。


京 町 家 戦前に立てられた伝統的様式を持つ木造住宅。千本格子、坪庭、通り庭が特長。 暮らしと商いを両立させながら自然を生活に取り入れ、85%が修繕をしながら住みつづけておられる。 コンクリートでない木のよさ、京都らしい街並みを出来る限りのこしたいものです。 上京、中京、下京、東山区に多く残っている。 祇園の街並みが守られる。 お茶屋などが軒を連ね京情緒が残る祇園南側地区が歴史的景観保全修景地区に指定され、地元町内会も建物や看板 の色や高さなどを規制する協定を結んだ。東山区の祇園周辺4地区を「歴史的景観保全修景地区」に指定。お茶屋、 料亭、古美術商などが並ぶ祇園元吉(祇園縄手、新門前)、祇園町南側、宮川町、八坂通沿道の地区は、京都らし い町並みで世界的に知られている。
京の五節句 新春(門松を飾り新年を祝う)、上巳(流れに胚を浮かべ歌を詠むみ、雛を飾り祝う。桃の節句)、 端午(蓬の薬効と菖蒲邪気を祓い子供の成長、無病息災の祈り)、七夕(短冊に願いを込め、技芸の上達を祈る)、 重陽(不老長寿を花に祈る、秋の節句) ◎ 博覧会のルーツ 明治4年に我が国最初の「京都博覧会」が開かれた。会場は、京都らしい西本願寺書院、翌年には健仁寺、知恩院の 会場でも行われた。京の春の行事として行われている都をどり、鴨川をどりは、博覧会のアトラクションとして始め られたのが現在まで行われている。 ◎ 昔、京の街を行商した女性 大原女 ・・ 絣の着物に前掛け、赤だすき、手拭いを被り、頭に薪をのせて売り歩いた。起源は建礼門院が寂光院に 隠れ棲む時代。 白川女 ・・ 白川の里で造られた花を箕に入れ、頭に載せ「はァないりまへんかァ」と朝の街を売り歩いた。今でも季 節の花を車を引く姿が見かけられる。 桂 女 ・・ 江戸時代のころまで、桂川の鮎や麦芽で出来た桂飴を売り歩いた。明治に消滅。 畑の姥 ・・ 高雄、梅ケ畑の里人で林業で出た廃材で梯、床几、まな板などを「はしごかわしゃんせ」と言って売り歩 いた。 ◎ 住所の呼び方 住所を書いたり、読んだりする時に上がる、下がるが良く使われるのは、市中を流れる鴨川の流れによっている。 例、「四条通下がる」とか「五条通上がる」のように。 ※ 京都のヘソ 六角堂(紫雲山頂法寺)の本堂右手にある直径42cmほどの円形の石「ヘソ石」が昔の京都の中心にあったと伝え られている。烏丸通六角東入る。 ※ 《京の京極と呼ばれる所》 ◎ 新京極 ・・・ 明治5年門前市が開かれていた場所に、南北に延長500mの道を開いて歓楽街を造った。 東京極と呼ばれていた寺町通りに対して新京極と名付けられた。繁華街の中、四条道から三条道までの寺町道の東。 特に修学旅行生などで賑っている。 ◎ 松原京極・・・松原道の東洞院道から大宮道まで日常生活に関係する店が並んでいる大きな商店街。 ◎ 壬生京極・・・仏光寺道のJR山陰線の高架下から西新道まで。新選組で有名な壬生寺の近くで昔は壬生寺まで続い ていた。長年地元の食生活に関する商品を提供している老舗が点在している。(日常生活品) 修学旅行シーズンに高 校生が体験学習に来て、各お店で2〜3人が半日店員さんになり、地元のお客さんとコミュニケーション等を体験する ◎ 田中京極・・・百万辺交差点を北進すると東大路に面した約400mの商店街。南には京大があり、「ユニティー 田中」の愛称がつけられている。

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