|
わたしたちは主を賛美するために創造されたのです。ということは、わたしたちは、艱難辛苦に取り巻かれることになったとしても、主を賛美するべきだし、主を賛美できるということです。更に言えば、人間の目で見ると到底賛美できない状況にあったとしても、わたしたちには賛美できるだけの主の恵みが注がれており、それほど確かに主の恩寵の中にいるのです。
実際、この詩人は、「全詩編中、最も痛烈な表現」と言われるほどの艱難辛苦の中にあったのです(4∼12,24∼28参照)。人々から見捨てられるだけではなく、神の怒り、憤りを受けて「持ち上げて投げ出された」(11)とあるように、神からも見捨てられたと思える中に置かれていたのです。
しかし、その中で、この人は、「主よ/あなたはとこしえの王座についておられます」(13)と告白します。これは、口語訳聖書では「しかし主よ、あなたはとこしえにみくらに座し」と訳されています。主は永遠にわたしたちの主として、その御支配を及ぼしてくださっているというのです。この人は困窮の中にありましたが、その困窮が自分を支配しているのではないのです。恵みの主こそが、自分を含め一切を支配し給うのです。
この詩人が、そのような告白に至ったのは、13∼23節にあるように、自分が連なっているシオンを、その主が再建くださったことを知ったからでしょう(17)。自分が連なっている共同体が神の恵みの中にあるのです。ならばそこに属している自分も又、恵みの内にあるのです。それで、「しかし主よ」と言って、主の御名を賛美するに至ったのです。わたしたちも主の恵みによって主の民の群れである教会に連なるを得ていることを覚えて、主を賛美するのです。
|