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「知れ、主こそ神であると。/主はわたしたちを造られた。/わたしたちは主のもの、その民/主に養われる羊の群れ」(3節)。この言葉のように、わたしたちは主に造られた主のものであるのです。それは、主がわたしたちの神として臨んでくださっているということでもあります。更に言えば、それこそが天地創造の初めから、神がわたしたちと結んでくださった契約の内容なのです。
その契約は永遠に変わることがないのです。5節には、「主は恵み深く、慈しみとこしえに/主の真実は代々に及ぶ」と言われています。ここの「慈しみはとこしえに」「真実は代々に及ぶ」というのは、共に契約に関わる言葉です。神による契約は、とこしえに続く慈しみによるものであり、その契約は真実で代々にわたって変わることがないのです。それだけ永遠であるのです。実際、聖書は初めから神の契約は永遠であることを告げているのです。ノアに対して神は永遠の契約を結ぶと仰せになりましたし(創世記9章)、アブラハム(創世記17章)やモーセ(出エジプト記31章)とも永遠の契約の約束をしてくださいました。そして遂にはエレミヤにおいて永遠の契約を、新しい契約として、わたしたちと結んでくださると預言してくださいました(31章)。
それは、主イエスの十字架において成就しました。正に「主の恵み深」きによって、わたしたちは「わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる」(エレミヤ31:33)という永遠の契約のパートナーとされて、何があっても「主に養われる羊の群れ」として歩むことができているのです。その恵み深きを思って、「主に向かって喜びの叫びをあげ/喜び祝い、主に仕え/喜び歌って御前に進み出」て(1∼2節)主を礼拝し、「感謝の歌を歌って主の門に進み、賛美の歌を歌って主の庭に入り感謝をささげ、御名をたたえ」(4節)るのです。
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