あなたを生かす聖書の言葉

2026年6月7日(投稿)

今週の聖句    詩編99

「我らの神、主をあがめよ。/その聖なる山に向かってひれ伏せ。/我らの神、主は聖なる方。」

(詩編99:9) 

この詩編は大きく三つに分けられますが、その三つの段落の各々の最後で「主は聖なる方」という言葉が繰り返されます(3,5,9)。そのように、主なる神の聖であることが強調されているのです。神が《聖》であるということは、清潔であり、咎や汚れを厭い、神々しいお方であるというだけではありません。「主はケルビム(天使の一種)の上に御座を置かれ」(1)、「すべての民の上に高くいます」(2節)とあるとおり、主なる神が聖であるということは一切の被造物を超えている神の超越性、或いは他者性を言っているのです。

だからこそ、わたしたち罪の内にある者は、聖なるお方である主の御前に出ると滅びるほかないのです。預言者イザヤが、御使いたちの「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主」という讃美を聞いて聖なる神の御前にいる自分を思った時、「災いだ、わたしは滅ぼされる」と語らざるを得なかったとおりです(イザヤ6:35参照)

しかし、この詩編は、神は裁きだけではなく「恵みの御業」をも成し遂げると言うのです(4)。「恵みの御業」とは《義》とも訳される字です。そのようにわたしたちに義を賜うのです。実際、6節以下には祭司の代表としてモーセとアロンが、預言者の代表としてサムエルが挙げられ、彼らが御名を呼ぶと赦しをもって臨んでくださると記されているのです。犯した罪や咎には裁きという報いが振り掛かりますが、罪の悔い改めをもって御名を呼ぶ者には、赦しを賜い義なる者として御前に立つ者としてくださるのです。そのことは、遂にはキリストにおいて成し遂げられ、わたしたちは義と聖と贖いを与えられました(Tコリント1:30)。そのことを喜び、主を崇めて歩んでゆくのです。

京都大宮教会 牧師 渡邊宣一

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