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「主はわたしたちの神、わたしたちは主の民」という言葉は、神がイスラエルの民と結んだ契約の内容を示す言葉です。神は、イスラエルと契約を結んで、彼らの神として臨むことにし、それによって、イスラエルは主の民とされたのです。その主なる神は、深い地の底も、山々の頂も、海も陸も、わたしたちも、すべてを造り給う創造者なる神です(4∼6節参照)。そのように一切のもの主権者であられるのです。だからと言って、主なる神はその主権にモノを言わせて、民を搾取するなどということはなさいません。むしろ、真の牧者が羊の群れを青草の原、憩いの水際にともなうように、民を、愛と恵みをもって、救いへと導き給うてくださるのです。主なる神のそのような姿は、最終的には主イエスにおいて示されました。主イエスこそ、神の独り子としての主権を持ち給うておられましたが、同時に羊のために命を捨てる真の牧者としてわたしたちに臨み、救いへと導いてくださったのです。
そのことを覚えれば、わたしたちは、その主に向かって喜び歌い、喜びの叫びをあげるのです。主に感謝し、主を礼拝するのです。そのように、主を賛美するということは、主を大きくすることです。その分、自分が小さくなるのです。小さくなって僕のようになるのです。僕は主人の言葉に聞きます。わたしたちも主のみ声を、御言葉を聴くのです。
賛美を生み出す源は、その御声であり、主の御言葉です。だから、わたしたちは、何をさておいても、まず御声に聞くのです。「今日こそ、主の声に聞き従わなければならない」とあるように、今日こそ御言葉に聞くのです。もう少し時間ができたら、暇ができたら、聞くというのではありません。今こそ、御声に聞いて、御名を賛美するのです。それが、わたしたちの信仰生活です。
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