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この詩編では、「この都で生まれた」というフレーズが三回繰り返されています(4,5,6節)。それだけではなく、「この都で生まれた、と書こう」(4節)、「書き記される/この都で生まれ者、と」(6節)というように、この都で生まれた者と、書き記すということまでいわれているのです。
「この都」とは、当然、エルサレムであり、そこは「神の都」(3節)、神のが支配し給うところであります。神の恵みによって選ばれ、愛されている神の民のいますべき場所です。そのような聖なる山に基を置くエルサレムに、神は、御自身の民であるユダヤ人だけではなく、この者もあの者もここで生まれ、この都の住民であると書き記すことになる、というのであります。「主は諸国の民を数え、書き記される/この都で生まれた者、と」あるとおりです。その諸国の民には、ラハブ(エジプトのこと)、バビロン、ペリシテ、ティルス、クシュも入っています(4節参照)。彼らは、幾たびとなくイスラエルを脅かして来た者たちであり、イスラエルから見れば異邦人であり、敵対勢力です。しかし、その者たちも、この都で生まれた者と書き記されることになる、というのです。それだけ、神の支配が、全領域に及ぶのです。神は一部の民だけではない、御自身が数えられる諸国の民に、御自身の愛と恵みを注ぎ給うのです。そして、すべての者が「わたしの源はすべてあなたの中にある」(7節)と、皆が歌い踊るようにしてくださるのです。
神の恵みには限りありません。神の愛には境界線もないのです。すべての者に及ぶのです。だからこそ、主イエスも「行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28:19)と仰せになったのです。その福音をすべての民に宣べ伝え、皆が主の愛の内に居ることを、わたしたちは示して行くのです。
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