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「あなたの祭壇に、鳥が住みかを作り/つばめは巣をかけて、雛を置いています」(4節)と、この詩人は歌います。鳥たちが自由に神殿の軒先に住まうことができるのが、うらやましいのです。自分もそのように神殿にいつも居れたらどれほど幸いなことか、「あなたの庭で過ごす一日は千日にもまさる恵みです」という言葉に秘められている思いが、この4節にも現れているのです。
しかし、そうは言っても、この人は、実際に神殿に住んで生活をしたいのではありません。神殿は「命の神」(3節)が臨み給う所です。神が生きて働き給うことが明らかにされる場所です。この詩人は、神が賜う命でもって、魂が養われることを切望しているのです。その命を賜わって、心から主を賛美したいのです。そのような幸いを求めているのです(5節参照)。それは、わたしたちも同じことです。そのように生ける命を賜って、生ける主を賛美して生きる、それにまさる幸いはないのです。
そうであれば、この人はその神を求めて神殿に詣でるのです。神殿に向かっての巡礼の旅には、困難がつきものです。7節にある「嘆きの谷」というのは、物理的に困難な場所という意味か、精神的に苦痛があるという意味か、見解が分かれますが、どちらにしても、主なる神はその巡礼の旅を祝して「嘆きの谷を通るときも、そこを泉と」してくださるに違いないのです。
わたしたちの場合、この人のような巡礼の旅はありませんが、信仰生活は、言わば主の日から主の日へという旅のようなものです。そこには「嘆きの谷」のような困難が伴うでしょう。しかし、わたしたちには、「あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」(ヘブライ4:15)主イエス・キリストが共にいまし給うのです。その主の導きに信頼して、真の命を賜う神を賛美することを願う歩みを続けて参りたいのです。
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