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上記聖句は出エジプト記20:2∼3「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き上った神である。/あなたには、わたしおいてほかに神があってはならない」という言葉と、順序と用語は違いますが、内容的には同じことを言っています。その言葉でわかるように、神は、御自分から御自身のことを示してくださるのです。天に座し給うままわたしたちを見ているだけではなくて、わたしたちの所にまで降って来られて、わたしたちの主、神として、救いへと導き給うお方なのです。7節以下には「わたしが、彼の肩の重荷を除き/籠を手から取り去る。/わたしは苦難の中から呼び求めるあなたを救い/雷鳴に隠れてあなたに答え/メリバの水のほとりであなたを試した」とあるように、エジプトの奴隷であったイスラエルの民を解放し、荒れ野の旅路を導き給うために、民の所にまで降って来られるお方なのです。
今、わたしたちは待降節の中にあります。その御子の御降誕のことを覚えても分かるように、神は最終的には独り子なる神イエス・キリストにおいてわたしたちの所にまで降って来られ、その御子の十字架と復活とによってわたしたちの罪を贖い、御前に生きることが出来るようにしてくださったのです。そのことを覚えれば、わたしたちは「わたしたちの力の神に向かって喜び歌い/ヤコブの神に向かって喜びの叫びをあげよ」(2節)とあるように、主に讃美を捧げるのです。それと同時に「口を広く開けよ、わたしはそれを満たそう」(11節)とあるように、神が賜わる命の糧である御言葉を求めてゆくのです。丁度、ひな鳥が母鳥の運んでくる餌を大口を開けて乞い求めるように、御言葉で充満することになるように、わたしたちも御言葉を強く求めてゆくのです。
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