あなたを生かす聖書の言葉

2025年11月2日(投稿)

今週の聖句    詩編75

「そうです、人を高く上げるものは/東からも西からも、荒れ野からも来ません。/神が・・・裁きを行い/ある者を低く、ある者を高くなさる。」

(詩編75:7〜8) 

 7節の「荒れ野」とはユダヤの南の地域のことです。人を高く上げること、即ち神の救いは、東からも西からも南からも来ないのです。では、北から来るのかと言えば、イスラエルにとって北は敵対勢力が攻めてくる方角でした。ですから、この7節は、イスラエルの救いは東西南北のどこからも来ないことを告げているのです。わたしたちを取り囲んでいるもの、人間であれ出来事であれ、はたまた人間の知恵や力など人間の側であるものから、神の救いは来ないのです。救いはわたしたち人間の周辺からではなく、上から、天から、もっと言えば神から来るのです。神こそが、わたしたちを救い得るのです。

8節には「神が必ず裁きを行い/ある者を低く、ある者を高くなさる」と記されています。この言葉のとおり、誰を低くし誰を高くするかの裁定をなさるのは神であります。「神は御自身が憐れみたいと思う者を憐れみ、頑なにしようと思う者を頑なにされる」(ローマ9:18)とあるとおり、神の御心によって救いが来るか否かが決まるのです。

9節は、罪に対する怒りと裁きの杯が既に主の御手にあり、その杯には調合された酒が泡立っていて、逆らう者たちは今正にそれを飲み干すほかない所にまで来ている、と言っているのです。ところが、驚くべきことに、その罪への怒りと裁きの杯を、独り子なる神、主イエス・キリストが「父よ、わたしが飲まない限りこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたのみ心が行われますように」(マタイ26:42)と仰せになって飲み干し、十字架にかかりわたしたちを罪の裁きの座から、神の救いの高きへと引き上げてくださったのです。わたしたちは御子の十字架に示されている神の憐れみによって、今や救いに与っているのです。ですから、その「驚くべき御業を物語り」(2)続けていくのです。
京都大宮教会 牧師 渡邊宣一

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