詩編57編が、1節にあるように「ダビデがサウロを逃れて洞窟にいたとき」に歌ったとすれば、その時のことはサムエル記上22章に記されていることでしょう。そして、前回読んだ56編がガトでの出来事の際に歌われたのであれば、それはサムエル記上21章に記されている出来事でしょう。そのことを踏まえると、この56編、57編は続きのようなものだと言えるのです。
言葉を換えて言えば、ダビデは苦難に継ぐ苦難という日々を過ごしていたのです。しかし、その中で、彼は「わたしは心を確かにします。心を確かにして、あなたに賛美の歌をうたいます」と言うのです。そのように讃美をして曙を呼び覚まそうと語るのです。「わたしは心を確かにします」というのは、文語訳聖書では「わが心定まれり」と訳されていました。ダビデは心を定めたのです。苦難に継ぐ苦難の日々であるが、その中で神を賛美するということを。そしてそのようにして、曙、即ち望みや喜び、光や安心を呼び覚ますことを。
苦難がなくなり平穏な日々が来たら、或いは不安な夜が終わって曙の光が差し込んで来たときなら、だれでも賛美の歌をうたうことができるでしょう。しかし、ダビデは、そのように状況がよくなったら賛美するというのではないのです。苦難に継ぐ苦難の中でも主を賛美するのです。否、そのような日々であるからこそ、主を賛美するのです。主が一切を創造なさり、被造物を良しとしてくださり、わたしたちを受容してくださっていることには変わりはないからこそ、またその主にある事実を覚えればこそ、自分たちがどのような状況にあっても主に讃美の歌を歌うのです。そのことを心に定めるのが、わたしたちキリスト者の歩みであるのです。
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