上記の聖句で分かるように、この詩編は、全地の王として君臨されていた主イエスの昇天を予示している、と理解されてきました。主イエスが仰せになった「時は満ち、神の国は近づいた」(マルコ1:15)という言葉は、主イエスが全地の王としての統治を始めたということです。この詩編で言えば、「主はいと高き神、畏るべき方。/全地に君臨される偉大な王。/諸国の民を我らに従わせると宣言し/国々を我らの足もとに置かれた」(3∼4節)ということです。その主イエスが真の主であることを示すために、主なる神は御子イエス・キリストを天に上らせてくださったのです。エフェソ1:20に「神は…キリストを死者の中から復活させ、天において御自分の右の座に着かせ、すべての支配、権威、勢力、主権の上に・・・置かれました」とあるとおりです。
主イエスの昇天において、主イエスこそが真の主権者であり、全地の王であることが明らかにされました。それと同時に、わたしたち主を信じる者たちが「アブラハムの神の民」(10節)とされていることも明らかになりました。わたしたちは今や、神とその民という契約の中に置かれて、もはや御前から落ちることのないものとされているのです。
主の昇天によって、主イエスはわたしたちから遠く離れてしまったように思う人もいるかもしれません。しかし、主イエスが肉体を取ってこの地におられた場合、主がエルサレムにおられたなら、この場所にはおられないということになります。主が上げられることで、キリストは復活の主の霊においていつも共にいますようになったのです。今や、主はすぐ近くにおられるのです。だから、「思い煩うのはやめ・・・何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明け」(フィリピ4:6)て良いのです。主の昇天と共に、主が近くいますようになった恵みの事実を、改めて深く味わいたいものです。
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