紀元前701年、当時パレスチナ一帯を席巻していたアッシリア軍は、722年に北イスラエルのサマリアを打ち破った勢いをもって南ユダにも攻め込み、20万人の軍勢でもって都エルサレムを包囲しました。以前から援軍を依頼していたエジプト軍は、まだ来ていません。イスラエルの民は大いに恐れたでしょう。「地が姿を変え/山々が揺らいで海の中に移る・・・/海の水が騒ぎ、沸き返り/その高ぶるさまに山々が震える」というこの詩編の言葉
(2∼3)は、その時のイスラエルの民の心を示している言葉であると言ってもよいでしょう。
しかし、そのような中で預言者イザヤは、「エジプト人は人であって、神ではない。/その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない」(イザヤ31:3)と言い、エジプトに頼るのではなく「お前たちは、立ち帰って/静かにしているならば救われる。/安らかに信頼していることにこそ力がある」(同30:15)という主なる神の言葉を語り、更には「彼(アッシリアの王)はこの都に入場することはない…/わたしはこの都を守り抜いて救う」(同37:34∼35)という御言葉も伝えました。果たして、その夜の内にアッシリア軍185,000人が死に(疫病による?)、退却することになったのです。この詩編46:5∼6が「神はその中に居まし、都は揺らぐことがない。/夜明けとともに、神は助けをお与えになる」と語っているとおりであったのです(9〜10節も参照)。
「万軍の主はわたしたちと共にいます。/ヤコブの神はわたしたちの砦の塔」(8,12)とあるとおりです。そのことを覚えて、「力を捨てよ、知れ/わたしは神。/国々にあがめられ、この地であがめられる」(11)と言われているように、わたしたち教会も、イエス・キリストにおいて主なる神が共にいますことを信じて、「わたしは神」と仰せになるお方を崇めてゆくのです。
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