「わたしたちが苦難を受けるように定められている」とパウロは、最初に書いた手紙、テサロニケの信徒への手紙T3:3で語っています。また、最晩年の手紙のひとつであるテモテへの手紙U3:12では「キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます」と記しています。最初の手紙に記したことと、最後の手紙に記していることは、内容的に変わっていません。パウロの生涯は、キリストを信じるがゆえに苦難や迫害を受け続けた生涯であったということでしょう。
イスラエルの民も、ここで「我らはあなたゆえに、絶えることなく/殺される者となり/屠るための羊と見なされています」(23節)と言っています。主を信じる者の生活は、どの者も同じなのです。主キリストを信じるゆえに、また「あなたゆえに」苦難を受けることになるのです。民はそのような苦難の中でも「我らは決してあなたを忘れることなく/あなたとの契約をむなしいものとせず」(18節)と語っていましたが、遂に堪え切れなくなったのでしょう。最後になって「主よ、奮い立ってください。…目覚めてください。なぜ、御顔を隠しておられるのですか」と訴えたのです。
パウロの生涯も、苦難や迫害の生涯だったと申しました。しかし、彼がその中で信仰を貫くことができたのは、主が自分に御顔を向けてくださっているということを知り得たからでしょう。わたしたちも礼拝の最後の祝祷において、「主が御顔をあなたに向けて」くださっている(民数記6:24∼26)という祝福の言葉を聞くのです。その御言葉に支えられて、困難の中にあっても、主への信仰を堅持して歩んでゆくのです。
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