ヨハネによる福音書13:18には、「『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない」と記されています。この二重括弧で括られている言葉は、詩編41:10の引用です。そのことからも分かりますが、教会は、主イエス様はこの詩人と同じ経験をした、と理解したのでしょう。
この詩人は、病気を境に「信頼していた仲間」に裏切られ、悪意を抱かれ、敵対する者のように罵られ、嘲られたのです。見舞に来て空しいことを言うだけではない、病室を出てからも、心に満ちている悪意ある思いを口にして憚らなかったのです(7節参照)。そうであれば、この詩人は「主よ、憐れんでください」(5節)と願い、「主よ、どうかわたしを憐れみ/再びわたしを起き上がらせてください」(11節)と嘆願する他なかったのです。
上述のように、そのような詩人と同じ経験を主イエスはなさったのです。それだけではなく、今でも主イエスは、この詩人と同じような経験をする者に寄り添ってくださるのです。「いかに幸いなことでしょう/弱いものに思いやりのある人は」(2節)は、マタイ5:7の「憐れみ深い人は幸いである、その人たちはあわれみを受ける」という言葉の元になっていると言われています。正に主イエスこそ、わたしたちに憐れみをもって臨んでくださり、御自身の御憐れみの内に、わたしたちを置いてくださっているのです。わたしたちに代わって罵りや嘲り受け、罪を担って十字架にかかって罪の裁きを果たしてくださり、わたしたちが御前で生きることができる者としてくださったのです。
わたしたちも、主の憐れみの故に生きるを得ていることを覚えて、「主をたたえよ・・・/世々とこしえに/アーメン、アーメン」(14節)と讃美するのです。
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