あなたを生かす聖書の言葉

2024年6月30日(投稿)

今週の聖句    詩編29

「御名の栄光を主に帰せよ。/聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。」

(詩編29:2) 

「聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ」(2)の部分は、口語訳聖書では「聖なる装いをもって主を拝め」と訳されています。「聖なる輝きに満ちる主」をひれ伏して礼拝するのですから、それに相応しい「聖なる装い」をすることは、当然のことでしょう。実際、英語で「晴れ着」を意味する字は、「日曜日の服(Sunday clothes)と言うそうです。日曜日、礼拝に出席するときに、普段の作業着に換えて、一張羅の洋服を身にまとったことから、そのように言われるようになったと言われています。最近発行された「宣教」852P.7に、かつての築地居留地に関する文章があり、「殊に日曜の朝、外国人一家が打ち連れて盛装して教会に行くに摺れ違い…」という文章がありますが、それを読んでも分かります。礼拝に出席するのに「盛装」をするという伝統を、わたしたちの教会は持っていたのです。

しかし、必要なのは「盛装」ではなく「正装」だと言った人がいます。華美でなくてもよい、主の御前に出るに相応しい清潔な装いこそが大切だということでしょう。この詩編は何度も「主の御声」と言います。そうです。礼拝では主の御声が語られるのです。御声を通して主の御臨在に触れるのです。それならば、その主の御前に出ることができる感謝と畏れこそが必要でしょう。御前に出るということから来る遜りと、心からなる敬愛をまとうのです。

この詩編のもう一つの特徴は、初めに「栄光を主に」(2)とあり、最後には「民に平和」(11)とあることです。これは御子がお生まれになった時、天の軍勢が「いと高きところには栄光…地には平和」(ルカ2:14)と讃美したことを思い起こさせます。今や、主の御声は御子においてわたしたちに示されることになるのです。ならば、尚のこと、わたしたちは、御前での遜り、畏敬という装いを身にまとって、主の礼拝に臨むのです。

京都大宮教会 牧師 渡邊宣一

今週の聖句(バックナンバー)