あなたを生かす聖書の言葉

2024年6月23日(投稿)

今週の聖句    詩編28

「主をたたえよ。/嘆き祈るわたしの声を聞いてくださいました。」

(詩編28:6) 

この詩編の中で、上記6節だけが過去形になっています。いくつかの説明がありますが、恐らくこれは「預言者的過去」と言われているものではないかと思われます。実際には、まだ実現していないのに、信仰の目で見れば既に起こったという他ないということで、過去形で表現するのです。つまり、この言い方の背景には、主なる神に対する強固な信頼と、主の御業に対する絶対的確信があるのです。

実際、この人は冒頭で、主に向かって「わたしの岩」と語り掛けています。詩編の中では、神に向かって「岩」と呼び掛けることは少なくありませんが、それは単なる強固な方、堅固な方という意味に止まらず、当時の神殿が建っていた岩盤を「聖なる岩」と呼んでいたことに関係あるだろうと言っている人がいます。そのことから言えば、神殿(至聖所(2)に神が現臨くださっているように、自身にも神が現臨し共に居まし給うことへの信頼が、ここで表明されていると言って良いのです。確かに「逆らう者、悪を行う者」(3)が跳梁しています。しかし、彼らに相応の報い与えることによって、神は御自身の神であることをお示しくださるのです(35)。だからこそ、「わたしの心は主により頼みます。…歌をささげて感謝いたします」(7)と言えるのであり、わたしの願いを聞いてくださいましたと、過去形で語ることもできたのです。

その事実は、この詩人一人にだけ起こっていることではありません。この詩編は「わたし」が主語ですが、9節では「あなたの民」が主語になります。この人に起こっていることは、神の民(イスラエル=教会)にも起こっているのです。否、教会に起こっていることがわたしにも起こるのです。つまり、教会に連なることによって、主が願いを聞いてくださったと確信できるのです。だからこそ、「教会の外に救い無し」(キプリアヌス)とも言われできたのでしょう。
京都大宮教会 牧師 渡邊宣一

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