あなたを生かす聖書の言葉

2024年6月2日(投稿)

今週の聖句    詩編25

「主よ、あなたの御名のために/罪深いわたしをお赦しください。」

(詩編25:11) 

詩編25編の中心の言葉は上記の11節です。その11節で言われていることは、一読して分かるように、罪の赦しの祈願です。ただ、罪の赦しを願うのは、自分の罪が赦されて自分一人が安心するためではなく、「御名のため」です。その意味では、主の祈りの「御名を崇めさせたまえ」という祈願に通じる祈願です。わたしたちキリスト者にとって大事なことは、わたし個人の救いではありません。個人的願いの実現でもありません。主の御名が崇められ、主にこそ栄光が帰されることです。

この詩編は、その11節を強調するために、11節を三重の括弧で括っています。一番内側の括弧は810節と1214節です。そこで言われていることは、「道」であり「契約」です(8,10,14節等)。いずれも神の救いの御計画に関わる言葉です。神はわたしたちに救いをお与えになろうとする、その御心を変えることはなさらないのです。神の救いの道は定まっていて、そのための契約は不変です。必ずや、救いの完成へとわたしたちを導いてくださるのです。その点で堅忍不抜であられるのです。

そのようにしてくださるのは、勿論、神の憐みによることです。だから、真ん中の括弧では、「憐れみと慈しみ」「慈しみ深く、御恵み」「憐れんでください」(6,7,15)と祈ることになるのであり、更には、主が恵みと憐みをもってわたしたちを救いへと導き給うことを覚えればこそ、いちばん外側の括弧が示しているように、主を「仰ぎ望み」、主に「依り頼み」「望みおく」ことが大事になって来るのです(13)。そのように主に「望みをおき、無垢で真っ直ぐ」(21)であること、一途さをもって主に信頼をして主の御栄を表すことを願って生きることが、罪の赦しの成就にもつながっているのです。

京都大宮教会 牧師 渡邊宣一

今週の聖句(バックナンバー)