詩編23編は最も愛されている詩編であり、葬儀、結婚式等、人生のあらゆるときに読まれます。冒頭の「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。/主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い」(1,2節)という文言が牧歌的印象を与え、心穏やかにしてくれるからかもしれません。
しかし、この詩編の背景にあるのは、申命記8:2∼10に代表される出エジプト後の荒野の旅のような事態である、と言われています。あのとき、「選ばれた民が渡って歩いたのは、かくも物凄い砂の海、岩片の海であった。彼らが眺めたのは…『死せる山』であった。…砂漠は…あらゆる生の欠乏によって、我々の生を根源的に脅か」したのです。その中にあっても、主なる神はその民を守り、「まとう着物は古びず、足がはれることもなかった」(申命記8:4)のです。そういう事態を、この詩編は歌っているのです。
わたしたちの歩みも、罪や試練との戦いの中でなされますし、「死の陰の谷を行く」こともあれば、「災い」に遭遇することもあります(4節)。しかし、主が共にいまし給うて、わたしたちを外敵から守り「魂を生き返らせてくださる」(3a節)のです。そのようにして頂くに足る価値や資格が、わたしたちにあるからではありません。そうすることが、「主の御名にふさわしい」(3b節)ことだからです。主なる神は愛の主、恵みの主であるからこそ、わたしたちに食卓を整え、頭に香油を注ぎ、杯を溢れさせてくださり、恵みと慈しみをもって、関わり続けてくださるのです(5∼6節参照)。
実際、主なる神は、「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ10:11)独り子なる神を遣わしくださり、「羊のために命を捨てる」とのお言葉どおり、罪の贖いのために十字架にお掛かりになってわたしたちの魂を生き返らせ、生涯、主の家にとどまることができるようにしてくださっているのです。感謝を主に!です。
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