あなたを生かす聖書の言葉

2024年3月31日(投稿)

今週の聖句    詩編22

「わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか」

(詩編22:2) 

主イエスは、十字架上で「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました(マタイ27:46)。これは「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である、と聖書は記しています。そしてその言葉は、詩編22:2と同じです。主イエスは、その詩編の言葉を思いだして、そのように叫ばれたのだろうと推測されています。と言うか、福音書の受難物語自体が、詩編22編も参考にしていると言ってもよいのです。この詩編が「偉大なる受難の詩編」、「十字架のキリストを預言する詩編」と呼ばれる所以でもあります。

この詩編の著者は、自分は神から見捨てられたと思っています。それは、冒頭の2節からも分かりますし、繰り返し「わたしを遠く離れないでください」(12,20)と語っていることからも明らかです。しかし、神は彼から離れてはいません。見捨ててもいないのです(46節参照)。神は、わたしたちの罪を問題にしているのです。「わたしは虫けら、とても人とは言えない。/人間の屑、民の恥」(7節、詩編14編も参照)という他ないほど、神の像(カタチ)が罪の故に損なわれていることを問題にしているのです。その罪の故に神との関わりを持つことができなくなっているので、冒頭のように叫ぶことになるのです。

そのわたしたちの罪を、主イエスは全部担って十字架にお掛かりになって贖ってくださり、わたしたちに罪の赦しを与えてくださったのです。主なる神との関係は今や回復しているのです。そのことを覚えればこそ、これからは「御名を語り伝え/集会の中であなたを賛美」(23)し続けるのであり、そのようにして、「主のことを来るべき世に語り伝え/成し遂げてくださった恵の御業を/民の末に告げ知らせる」(3132)のです。そのような礼拝と伝道こそが、主イエス・キリストによる赦罪の恵みに対する応答の道であるのです。

京都大宮教会 牧師 渡邊宣一

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