「驚くべき御業をすべて語り伝えよう」とあります。しかし、わたしたちは神の御業も御心もすべて、存じあげている訳ではありません。逆です。「神は…すべてをご存じ…です」(Tヨハネ3:20)とあるように、神こそが、わたしたちの思いも行いも、またすべての事柄も出来事も、余すことなくご存じなのです。大切なことは、わたしたちがそのことを認めることです。わたしたちの弱さ、小ささを受け入れることです。
この詩編は最後の20,21節で「人間」という言葉を使っています。これは「脆弱な人」という意味合いであると言われています。この人間と言われている人々は、この詩人を責め、苦難を与えている者たち(異邦の民、6、6,18節)のことですが、その者たちは、自分を大きく見せようとして、この詩人を非難したり、攻撃したりするのかもしれません。しかし、その人たちは、実は脆弱な人に過ぎないのです。それを隠すために、この詩人に対して攻撃的になって見せているだけなのでしょう。わたしたちに必要なことは、自分の脆弱さ、小ささを認めることです。神こそが、すべてをご存じであることを認めるのです。そして、その神の御手の内に自分も居ることを知るのです。そのとき、口から出てくるのは賛美です。自分が「御業をすべて語り伝え」ることができるという自負ではなく、「いと高き神よ、わたしは喜び、誇り/御名をほめ歌おう」という賛美であるのです。
「主は…とこしえの御座に着いておられる。/御自ら世界を正しく治め/国々の民を公平に裁かれる」(8∼9節)のです。不幸や苦難しかないと思うかもしれません。しかし、すべてをご存じの主が御座に着き、主権を行使してくださっているのです。その主に信頼すればこそ、主をほめ歌うのです。
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