あなたを生かす聖書の言葉

2023年12月24日(投稿)

今週の聖句    詩編8

「そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。/人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。」

(詩編8:5) 

上記の「人間」とは、死すべき存在という意味合いで、人間の 須臾 ( しゅゆ ) 性を言っていると言われています。また「人の子」とは「アダムの子」、即ち土くれに過ぎない人間ということで、人間の弱さ、脆さを言っている言葉です。しかし、この言葉を語ったときこの詩人の念頭にあったのは、上記に止まらず、罪の故に滅びゆくほかない人間の惨めな実態であったでしょう。

この詩編は(ダビデの詩とはありますが)、実はバビロン捕囚の時に記されたと言われています。捕囚期は国の崩壊期です。国が滅んだ時、人間性も崩壊しました。実際、捕囚期に書かれた哀歌4:10には、憐れみ深いはずの女が、我が娘を煮炊きして食べたというおぞましい記述があります。人間は弱いとか有限であるというだけではなく、そのような狂気に生きる者となるほど罪深いのです。深い心の底に渦巻くのは、そのような我欲の罪なのです。

しかし、その人間を主なる神はみ心に留め、顧みてくださるのです。実際、神は、御自身に「僅かに劣るものとして…造り/栄光と威光の冠をいただかせ」、被造物を治める権能を与えてくださったのです(67)。「僅かに劣る」という字は、御自身の後ろに着かせた、即ちわたしたちの敵の前に立ってその攻撃から守ってくださったという字です。それほど、わたしたちを御自身の保護下に置き給うのです。憐みの故です。その憐みが最終的に顕わされたのは、独り子なる神の来臨、十字架においてです。その御子によっておぞましい罪が贖われ、罪の赦し、罪からの解放を得たのです。そのことを覚えるとき「主よ…/御名はいかに力強く/全地に満ちていることでしょう」(2,10)と讃美するほかありません。その讃美がこの詩編の初めと終わりにあるように、わたしたちも、毎日の歩みの、否、一生の歩みの初めと終りに、その讃美を歌いたいものです。
京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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