あなたを生かす聖書の言葉

2023年12月10日(投稿)

今週の聖句    詩編6

「主よ、怒ってわたしを責めないでください/憤って懲らしめないでください。/…主よ、いつまでなのでしょうか。」

(詩編6:2〜3) 

詩編には、罪の悔い改めの詩編が七つあります。6編はその内の最初のものです。しかし、ここには罪という言葉は出てきません。詩人は苦難を嘆いています。その苦難は、神の、罪に対する怒り、憤りによるもの、とこの詩人は考えているのです。だからこそ、「主よ…責めないでください…懲らしめないでください」(2)と願っているのです。

わたしたちは苦難が振り掛かって来ると、運が悪かったと思って得体のしれない運命を呪ったり、あの人のせいだとかあの出来事の故だと思って、それらの出来事や人物を恨んだりします。しかし、この詩人は、苦難を主なる神との関わりで捉えています。それがこの詩編の大きな特徴です。そのように主との関わりを問題にするからこそ、各節ごとに「主よ」と呼ぶのです。この人は主との関係を正したいのです。6節には「死の国に行けば、だれもあなたの名を唱えず/陰府に入れば/だれもあなたに感謝をささげません」とあります。自分が死んで陰府に行ったら、主を賛美する人がこの地上において一人失せることになる、それでも良いのですか、と訴えているのです。それだけ、主を賛美する者でありたいし、主にこそ賛美が帰されることを願っているのです。

9節以下では調子が変わり、「主はわたしの泣く声を聞き…嘆きを聞き…祈りを受け入れてくださる」というふうに、主が自分の声を聞き、受け入れてくださっていることを感謝しています。主はわたしたちを顧み、いつも目に止めてくださっているのです。見捨てはしないのです。「主は天から見渡し/人の子らをひとりひとり御覧に」(詩編33:13)なるのです。わたしたちも主の御目の内に置かれているのです。だから、「いつまでなのでしょう」と問わざるを得ないほど苦難が続いたとしても、「主よ」と呼び、主を賛美するのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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