ヨブ記は32章からエリフという若者が登場し、ヨブに対して勧めの言葉を語ることになります。それは37章まで続きます。今日は32〜34章を読みます。
エリフは、以前登場した三人のヨブの友人たちよりも若く、彼ら三人とヨブのやりとりが歯がゆく感じられたのでしょう。32:21で半ば怒りを込めて、自分は「だれの顔をたてようともしない。/人間にへつらうことはしたくない」と忖度なしに語ることを宣言します。エリフはアブラハムの弟ナホルの第二子「ブズ」(32:2)の子孫です。彼は正統的ユダヤ人です。実際、彼がここでヨブに語っていることは、ユダヤ教が説いている苦難の教育的意味であると言っても良いほどの内容です。
その彼が語っている苦難の意味は、要するに、苦難は驕り高ぶりを抑え、謙遜たらしめるためのものだということです。「なぜ、あなたは神と争おうとするのか。/神はそのなさることを/いちいち説明されない」(33:13)。そうです。神はわたしたちに苦難を及ぼすとしても、その理由をいちいち述べることはしないのです。わたしたちは神と同じ立場にいないのですから、いちいち問いかけることもできないのです。そのように出来ると思うのは傲慢の現れです。その傲慢を打ち砕き御前に遜らせるために、神は苦難を与えるのです(33:14∼30参照)。ですから、必要なことは、「神は人の歩みに目を注ぎ/その一歩一歩を見ておらえる」ことを覚えて「沈黙」し、聞くことです(33:31∼33)。
エリフとて人間ですから、完全に御心を示し得る訳ではありません。それなら、わたしたちは真の神の独り子であるキリストの言葉に聞くのです。どれほどの苦難が降りかかってきたとしても、「わたしの恵みはあなたに十分である」(Uコリント12:9)と仰せになってくださる主の御手の内に自分があることを信じて、罪の執り成し手であられるその主キリストにこそ聞くのです。
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