あなたを生かす聖書の言葉

2023年4月30日(投稿)

今週の聖句    ヨブ記4

「考えて見なさい。/罪のない人が滅ぼされ/正しい人が絶たれたことがあるかどうか。」

(ヨブ記4:7) 

自分の出生を呪い、存在を呪い、遂には神さえも呪うほどになったヨブに向かって、三人の友人が順番に勧告することになります。最初に登場するのはエリファズです。冒頭の聖句は彼の言葉です。上記だけではありません。彼はそのほかに「人が神よりも正しくありえようか。/造り主より清くありえようか」(417)とも言います。だから、「聖なるものをおいて、誰に頼ろうというのか」(5:1)、造り主なる神にこそ信頼し、すべての問題を、神に任せよ(8節参照)と勧めます。全能者なる神は「傷つけても、包み/打っても、その御手でいやしてくださる。/六度苦難が襲っても、あなたを救い/七度襲っても/災いがあなたに触れないようにしてくださる」(51819)のだから、その神に信頼し、任せなさい、と勧告するのです。

彼の勧告は正しいのです。しかし、エリファズの言葉によって、ヨブの岩のように固くなった心は動かされることはありませんでした。ある注解者は、エリファズの言葉について「愛情の欠けた宗教的助言の典型」と語っています。そう言えば、パウロはTコリント8:1で「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」と語りました。知識は正しい知識であっても、否、正しければ正しいほど人を高ぶらせます。60年以上も前ですが、「お前こんなことも知らないのか。賢そうな顔をしてるが馬鹿だな」と言われた言葉を、わたしは未だに忘れていません。しかし、今はそのことを言った教師を恨んだり憎んだりしてはいません。発奮のきっかけを与えられたと思えるようになりました。それはともかく、正しい知識を語りさえすれば、人は心を開くようになるのではありません。高ぶりを伴った知識ではなく、その人に寄り添う愛こそが必要です。「岩のごとき固き心、砕くものは御力のみ」です(讃美歌514/2番参照)。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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