ヨブ記3章以下に記されているヨブは、1、2章に記されているヨブとは別人のように思われます。1:21でヨブは「わたしは裸で母の胎を出た。/裸でそこに帰ろう。/主は与え、主は奪う。/主の御名はほめたたえられよ」と語って、苦難の中にあっても主への信頼と讃美に生きていました。また2:10では「わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」と言って、自分の身に及んだ皮膚病という辛い病いもかかわらず、なお感謝をもってその病を受け入れる、見事な信仰の表明がありました。しかし、3章に入ると、自分の出生を呪い(3∼10)、自己の存在を呪い(11∼19)、果ては神を呪う(20∼26)までになっているのです。ヨブの信仰は豹変したのか、と危ぶみたくなるほどです。
「苦しい時の神頼み」という言葉がありますが、逆に「苦しい時の神離れ」もあると言った人がいます。苦難や災いに遭い、迫害を受けるという中で、神を信じ神に祈ることをやめる人もないではないのです。新型コロナが流行し始めたとき、こんな時に礼拝するのですか、感染し死に至る危険性があるようなときに礼拝なんかしていられないだろうと言うのです。実際、礼拝を休止した教会も少なくありませんでした。それは一つの決断ですから責めることはできないかもしれません。しかし、神を信じているのであれば、苦難に遭ったときこそ、主の御許に立ち返るのが本来でしょう。わたしたちには、どのような事態に陥っても、率直に思いの丈を述べることができる主なる神がおられるのです。ですから、主を信じていればこそ、呪いの言葉であっても口にできるし、主もまたそれを受け止めてくださると信じることができるのです。
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