あなたを生かす聖書の言葉

2023年4月16日(投稿)

今週の聖句    ヨブ記2

「お前まで愚かなことを言うのか。わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」

(ヨブ記2:10) 

苦難は厭うべき以外の何ものでもなく、できれば避けたい不幸であると思うでしょう。実際、ヨブは「頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病に」(7)かかりました。サタンの仕打ちでした。見舞いに来たヨブの友人は、彼の中にヨブの姿を見ることができないほど変貌していましたし、七日間も話しかけるのをためらうほどの苦痛も伴っていました(1113参照)。だからこそ、ヨブの妻は「神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言いました。苦難は、そのように神を呪わせる手立て程度の意味しかない、とわたしたちも思うのです。

しかし、ヨブは違うことを語ります。それが上記の聖句です。確かに、神は幸福をくださるでしょう。というか、そのことを願って、わたしたちは神を信じるのでしょう。しかし、神は不幸をも与えるのです。それは、不幸の中にあっても、神の御手の支えがあることを知らせるためです。

芳賀力は『自然、歴史、そして神義論』の中で、苦難の意味として、謙遜の教育、刑罰の想起、信仰の訓練、信仰の実証の四つを挙げています。本来は神に罰せられ、裁きを受けねばならない罪人だったことを、苦難は我々に知らせてくれます。実際パウロは、「思い上がることがないようにと…一つのとげを与えられた」(Uコリ12:7)と言っています。苦難は彼の思い上がりの罪を示し、御前での謙遜の大切さを教えたのです。また他の箇所で(Tコリ10:13)、パウロは苦難に遭っても主は「逃れる道をも備えてくださる」と言います。だから、苦難をとおして主への信仰を深めることができるのです。またへブライ12:5以下では、わたしたちが神の実子だからこそ、主は試練をもって鍛錬くださると言われているのです。そのように苦難も、御手の内にあることを示すために主から来ることを知って、わたしたちも主を信じ崇めるのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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