上記の言葉は、ヨブが自分の飼っていた家畜全部(羊7000匹、ラクダ3000頭、牛500くびき、雌ろば500頭)を失い、たくさんの使用人や10人の子供たちが皆死んだとき、嘆き悲しみの内に語った言葉です。彼は何もかも失いました。嘆き悲しみは測り知れないでしょう。神を罵倒し、呪ってもよかったでしょう。実際、サタンはそうなると考えていました。
そもそも、ヨブが上記のような悲惨な目に遭ったのは、神とサタンのやり取りの結果でした。サタンは神に言います。ヨブが「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている」(8)のは、たくさんの利益を得ているからだ、もし何もかも失ったら、「あなたを呪うにちがい」ない(11)と。しかし、神は仰せになります、「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな」(12)と。
神は、サタンの試みを許すようなひどい方なのかと疑問に思う人もいるかもしれません。そうではありません。「彼には、手を出すな」という言葉で分かるように、神はヨブを御手の内に置いてくださっているのです。神はヨブの信仰に信頼しているのです。サタンは、ヨブは利益があるから信じていて、なくなったら呪うに違いない、と彼の信仰を疑っていました。「サタンの本質は疑惑の精神であって、その疑惑は、神がヨブの敬虔に対して寄せている信頼と対立する」(ワイザー)という言葉のとおりです。その神の信頼を覚えればこそ、ヨブの信仰は揺るがなかったのです。主が与え給うから持っているのであって、無くなったとしてもそれは主が取り給うだけである、それほど全ては御手の内にあると信じていたのです。だからこそ、「主の御名はほめたたえられよ」と告白し得たのです。我々にも同じことが言えます。その事実に心を寄せましょう。
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