あなたを生かす聖書の言葉

2022年12月18日(投稿)

今週の聖句    ネヘミヤ書6

「神よ、今こそわたしの手を強くしてください。」

(ネヘミヤ書6:9) 

エルサレムの城壁修復工事を妨害する者たちは、様々な仕方で攻撃してきました。4章は、外部からの露骨な嫌がらせがあったことを記しています。その故に内部でも混乱した、と5章には記されていました。この6章には、工事の指導者であるネヘミヤ自身への攻撃があったことが記されています。

指導者はやはり重要です。主イエスは「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれ」(マタイ9:36)ました。飼い主がいないと、羊の群れは弱り果て打ちひしがれるのです。この「深く憐れまれた」という字は、日本語で言えば「断腸の思い」という趣旨の言葉で、主イエス様の十字架の御苦難を示す字として使われることがあります。民衆は自分たちのために命を賭してくれる指導者がいないと、立ち直ることができないのです。どのような群れであっても、指導者は大切なのです。主の教会においてはなおのことです。導き手が全うである必要があるのです。その全うさは、人間性とか人間的資質に関わる部分もありましょうが、それ以上に大事なことは、主の御前での在りようです。主なる神の真実への、変わることのない信頼こそが願われるのです。

ネヘミヤに敵対するサンバラトは、初め甘い手紙を送って彼を懐柔しようとします。それが失敗すると、今度は逆にネヘミヤが謀反を企てているという偽の手紙をでっちあげて、ネヘミヤを陥れようとします。しかし、ネヘミヤは「神よ、今こそわたしの手を強くしてください」と祈って、自分を召し給う主なる神への真実に信頼して祈り、そこに生きました。

牧師は勿論のこと、わたしたちキリスト者も「神は真実な方です。この神によって…主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです」(Tコリ1:9)とある、神の真実にこそ留まることが必要なのです(Tコリ10:13も参照)。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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