あなたを生かす聖書の言葉

2022年11月6日(投稿)

今週の聖句    ネヘミヤ書1

「おお、わが主よ、あなたの僕の祈り…に、どうか耳を傾けてください。わたしたちは心からあなたの御名を畏れ敬っています。」

(ネヘミヤ書1:11) 

ネヘミヤは、ペルシャ王アルタクセルクセスの献酌官でした。ある日、ユダから来た人から、今のエルサレムの状況を聞きました。それは、民は皆不幸で、恥辱を受けていること、エルサレムの城壁、城門も破壊されているという事実でした(3節)。それを知って、ネヘミヤは祈ります。そしてその祈りの後に、王に願い出てエルサレムに帰還することが許され(2章に記されている)、彼による城門再建が始まることになるのです。

一切のことは祈りから始まったことに、何よりも心を寄せたいのです。「これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた」(4)とあるとおりです。エルサレムの城門の再建は、資金集めから始まったのではなく、計画立案や工事に携わる人や物の調達から始まったのでもないのです。それは祈りから始まりました。「神による再建は、晴れがましい「最初のひとすき」から始まるのではなく「日曜学校の歌」から始まる。…初めにあるのは行動ではない、言葉なのであり、この場合で言えば、神によって呼び起こされた祈りなのです。」(リュティ『講解説教 ネヘミヤ書』)

日本のプロテスタント教会の始まりも祈りでした。明治5年、旧暦の正月二日、初週祈祷会に約30名の青年が集まって祈りました。その祈りは夏まで続いたと言われていますが、「御名を畏れ敬」(11)う祈りが始まって一ヶ月後に9名が受洗、既に洗礼を受けていた2人を合わせ、計11名で最初のプロテスタント教会が誕生したのです。それが横浜公会です。教会の形成も、ネヘミヤの「幾日も」の祈りと同様、祈りから始まったのです。「初めにあるのは行動ではない、言葉なのであり、この場合で言えば、神によって呼び起こされた祈り」であるというのは、いつの時代にも言える普遍的事実であります。
京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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