あなたを生かす聖書の言葉

2022年10月9日(投稿)

今週の聖句    エズラ記7

「主は、…エルサレムの神殿を栄えあるものとする心を王にお与えになり…」

(エズラ記7:27) 

神殿は再建されました。そこでの礼拝を整えるために働いたのは、エズラでした。彼は祭司の家系にありましたが(7:5)、「律法に詳しい書記官」でもありました(6b)。ですから、その律法に基づいて神殿礼拝を整えて行ったのでしょう。礼拝は神の御心、御言葉(律法)によって整えられていくべきものです。わたしたち礼拝者の気持ちや気分を主にするのではありませんし、わたしたちの満足を求めるものでもありません。御言葉を主にし、その御言葉の主に栄光を帰するのです。それこそが、礼拝においてなされるべきことなのです。

実際、主なる神ご自身が、礼拝がそのようになるよう働きかけてくださっているのです。このエズラ7章では「神なる主の御手の加護」(6)、「神の慈しみ深い御手の加護」(9)と、神の加護への言及が繰り返されます。また27節では、神は異邦人であるペルシャ王にまで働きかけて、「神殿を栄えあるものとする心を…お与えにな」ったとあるのです。そのように、神の側からの恵みの働き掛けがあるからこそ、礼拝は整えられてゆくのです。わたしたちの場合も同じです。主の恵みに満ちた働きかけがあるからこそ、この礼拝が成り立ち、わたしたちも御前に侍ることができるようになっているのです。

わたしたちは、本来は罪人であり、御前に出ることができなかった者たちでした。しかし、そのわたしたちに、主は恵みの御手を差し伸べてくださっているのです。「主の手が短くて救えないのではない」(イザヤ59:1)と言われていますが、正に然りです。神は、わたしたち罪人の所まで主の恵みの御手を差し伸べ、御前に出ることができるよう招いてくださったのです。

それは、御子イエス・キリストにおいて成し遂げられました。それならば、その御子をこそ一途に見上げ、御子を神として礼拝していくのです。

京都大宮教会 牧師 渡邉宣一

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